きみが死ぬ夢を見たから

 社務所を出ると、すっかり陽は落ち、境内は薄闇に包まれていた。
 一緒に出てきた立石と並び、石段を下りる。

「その制服、河西高校だろ? ここから家は遠いのか?」
「うん。今日はバスで来たんだ」

 夏祭りのときは、混むからいつも自転車だった。
 立石はポケットから車の鍵を取り出し、軽く振ってみせる。

「もう遅い。二人とも送っていってやるよ」
「え、いいのか? やった!」
「……ありがとうございます」

 はしゃぐ圭の隣で、志貴が軽く頭を下げる。
 神社の脇の駐車場には、白いバンが一台停まっていた。志貴と後部座席に乗り込み、住所を告げると、立石がエンジンをかけて、車が発進する。

「いろいろ悪かったな。あいつを庇うわけじゃないが……あれでも、親父さんから受け継いだ仕事をこなそうと頑張ってるんだ」

 バックミラー越しに、立石がちらりとこちらを見る。

「立石さん、如月さんと付き合い長いのか?」
「ああ。ガキの頃からの腐れ縁だ」

 ハンドルを切りながら、小さく鼻で笑う。

「家族ぐるみでな。あいつの親父さん――先代の神主には、俺もずいぶん世話になった」

 ふと、言葉が途切れる。
 ハンドルを握る手に、わずかに力がこもった。

「面倒見のいい人で、いつも人のことばかり考えてた。……洪水で町じゅうがパニックになった、あの日も」

 圭ははっとして顔を上げる。
 ――一年前、町を呑み込んだ雨。
 一瞬、あの日の激しい雨音が耳の奥で蘇り、喉の奥がきゅっと詰まる。
 立石は前を向いたまま続けた。

「高齢で一人暮らししてる氏子がいてな。避難が遅れてるって聞いて、迎えに行ったそうだ」

 エンジン音だけが、静かな車内に響く。

「それで――そのまま、戻らなかった」

 立石の声が、そこで途切れる。圭は何も言えなかった。
 流れる街灯の光が、立石の横顔を断続的に照らす。フロントガラスの向こうでは、暗い川沿いの道がまっすぐ伸びていた。
 圭はそっと、そこから視線を逸らす。

「洪水のあとからだな。神社に相談に来るやつが増えたのは」
「……相談?」
「夢を見るとか、川の音が聞こえるとか、あの日の光景が頭から離れないとか。……ほとんどは心霊体験ってほどのことじゃない。けど、みんな何かしら抱えてる」

 バックミラー越しに、立石と目が合う。

「吐き出す場所が欲しいだけなんだろう。神社ってのは、そういうもんだ」

 車内に、また静けさが落ちた。

「……じゃあ、俺たちみたいなのは、いないってことか」

 圭は肩をすくめてみせる。冗談めかしたつもりだったが、声は思ったより軽くならなかった。
 立石は少しだけ黙り――ふと思い出したように口を開く。

「いや……そういえば洪水のすぐ後、お前らみたいに『影を見た』って相談に来た人がいた」

 圭の動きが止まる。

「え……本当か」

 立石は、ハンドルを握ったまま首をひねった。

「詳しいことは俺も知らん。あのとき何度か来てたが……いつの間にか、ぱったり顔を見せなくなったな」
「……来なくなった?」

 それまで黙って話を聞いていた志貴が、僅かに眉を顰めて問い返した。

「ああ。如月なら覚えてるかもしれんが」

 立石の言葉に、圭は身を乗り出す。

「その人に、話聞けたりしないかな」
「気になるのか?」
「まあな。俺たちと同じもの見たんなら、何かわかるかもしれないだろ」

 立石は小さく息を吐いてから、うなずいた。

「わかった。如月に聞いといてやる」
「マジ? ありがと!」

 圭はぱっと表情を明るくして、隣の志貴を見た。

「手がかり、見つかったかもな!」

 志貴は一瞬だけ目を細め、それから小さくうなずいた。

「ああ……そうだな」

 やがて車は減速し、見慣れた住宅街へ入る。

「この辺でいいか?」
「うん。大丈夫」

 自販機の横に白いバンを停め、立石は振り返った。

「連絡先、交換しとくか。例の『影を見た人』について、如月に聞いたら連絡する」
「ありがとう!」

 圭はスマホを取り出し、チャットアプリを開いて自分のIDを表示させる。QRコードを読み込ませ、連絡先を交換すると、志貴とともに車を降りた。
 夜気がひやりと頬を撫でる。

「じゃあな。あんまり無茶するなよ」

 白いバンがゆっくりと走り去っていく。エンジン音が遠ざかり、やがて聞こえなくなると、途端に辺りは静まり返った。

「帰るか」
「……ああ」

 志貴に促され、歩き出す。
 夕飯時らしく、明かりの灯った家が並んでいる。開け放たれた窓から、食器の触れ合う音や楽しげな笑い声が時折こぼれてきた。
 圭は無意識に視線を逸らし、そっと隣をうかがう。
 志貴は何か考え込むように、目を伏せていた。横顔には、街灯の影が落ちている。

「――あ!」

 突然の大声に、志貴が目を丸くする。

「……何だ?」
「グミ! そういえば、まだ食べてなかった!」

 鞄に手を突っ込み、花火の描かれたパッケージを取り出す。さっそく開けて一粒口に放り込んだ。

「……お、結構うまい! お前も食べてみろよ」
「俺はいい」
「遠慮するなって」
「そういうわけじゃ――、っ」

 無理やり一粒を口に押し込むと、志貴は数歩よろめき、口元を押さえて睨んできた。

「な? うまいだろ?」

 笑いながら、圭はもう一粒を口に入れる。志貴は無言で咀嚼し、やがて小さくため息をついた。

「そもそも、そんなにグミが好きじゃない」
「え、マジ? そうだっけ?」

 言われてみれば、志貴が菓子を自分から買って食べているところを見た覚えがない。好き嫌いなく何でも食べるやつだと思い込んでいた。
 小学生の頃、先生に見つからないよう、こっそりピーマンやトマトを志貴に食べてもらっていたことを思い出す。

「お前にも嫌いなものあったんだな〜」
「別に、嫌いってほどじゃないが……」

 志貴が言いかけて、視線を落とす。

「……圭は」

 一度言葉を切り、圭の持つグミの袋へ目を向けた。

「SNSをよく見るのか?」
「いや、普段はゲームばっかしてるし、そんな見ないけど……なんで?」

 首を傾げると、志貴は小さく息を吐き、再び視線を地面へ戻す。

「……聞いてみただけだ」
「ふーん……」

 理由は分からない。でも、志貴のほうから話を振ってくれたことが、少し嬉しい。

「てかさ! こないだ発売されたスフラ4、お前も買ってるよな? 今度一緒にやろう」

 小学生の頃から一緒に遊んできたシリーズだ。
 だが志貴は、こちらを見ないまま答えた。

「買ってない」
「マジで!? 何で?」
「もう、やらないから」

 静かな声だった。気づけば、志貴の家との別れ道に差しかかっている。
 志貴は足を止めた。

「じゃあな」
「あ……うん。おやすみ」

 背を向け、志貴が歩き出す。
 薄闇に溶けていくその背中を、圭はしばらく立ち尽くしたまま見つめていた。