◆
「友咲、起きろ」
優雨の落ち着いた声がして肩を揺らされた。
目を覚ます。満席のバス車内で、俺は優雨の隣りに座っていた。いつのまにか優雨の肩を借りて眠っていたようだ。
窓の外を見ると知らない街が視界に映る。路面電車が走っていて、帯屋町という商店街の前をバスが通過していくところだった。
「もうすぐ高知駅につくぞ」
通路側に座っている優雨が言った。俺はぼんやりとする頭で思い出す。
そうだ、ここは高知県だ。
今日は五月三十一日の土曜日。午前着の飛行機で高知龍馬空港に到着したあと、高知駅まで行くバスに乗車したのを思い出す。俺も優雨も四国に上陸したのは初めてだけど、目的が目的なだけに観光気分はあまり味わえそうもない。
「悪りぃ、寝ちまった……」
「疲れが溜まってんだろ」
目の下のクマが凄いぞ、と優雨に言われる。早朝から起きて飛行機で移動したせいか、ここにきてどっと疲労感に襲われた。精神はしっかりしていても、肉体の方はどんどん弱っていっているのを痛感する。
「ちゃんと寝てんだけど、なんか、寝た気がしなくてさ」
「……」
へらりと力なく笑った俺を見た優雨はぎゅっと眉根を寄せた。何か言われるかと思ったけど「そうかよ」とだけ素っ気なく返される。
「高知駅に着いたら、電車じゃなくてバスで土佐市方面に向かうぞ。中山香さんの自宅兼教室がある場所は、停留所から移動した方が近いからな」
「わかった」
高知駅に到着したバスから降りた俺たちは、次のバスに乗り換えるために時刻表を確認する。バスが来るまでちょっと時間があるから、待合所の中で待つことにした。
こぢんまりとした待合所はバスを待つ乗客でいっぱいだ。それでも、杖をついたお爺さんが座っている隣の椅子が丁度ふたつ空いたから、俺と優雨はそこに並んで座った。
しばらくして、俺の隣にいたお爺さんがゆっくりと立ち上がる。
「おおのまっこと、のうが悪いちや」
お爺さんは疲れたように小さく呟いて、ゆっくりした足取りで待合所から出て行った。
お爺さんの独り言を聞いた俺は、確か高知県は土佐弁だったなと思いながら、『のうが悪い』という部分が妙に引っかかった。
「のうが悪いって、なんて意味なんだろうな」
「脳? 頭が悪いのか?」
優雨が不思議そうに言った。気になった俺はスマホで意味を検索する。
「心地が良くないとか、椅子とかの座り心地が悪いって意味だってよ」
ふうん、と優雨は興味なさそうだった。
やがて時刻表通りに俺たちを乗せて出発したバスは、土佐市方面へと向かった。
一時間ほど揺られて土佐市に入り、県道沿いにぽつりと現れた停留所で降りた俺たちは、民家が散在とした田舎の土地を歩いて目的地を目指す。この時点で時刻は十二時を過ぎていた。
緩やかな斜面を行くと、やがて静かな環境に建つ中山香の自宅兼教室が見えてきた。二階建ての立派な日本家屋だ。
俺は胸元の高さまである竹のフェンスから敷地の中を覗いてみた。手入れが行き届いた広い庭の奥に見える縁側に、ラフな格好をした女性が一人で腰掛け、湯呑みを手にお茶を飲んでいる姿があった。足を怪我しているのか横に松葉杖が立て掛けてある。
あの人が中山香さんかもしれない。そう思った時、女性の顔が俺の方を向いた。ばっちり目が合ってしまう。その顔はブログの写真で見た中山香さんで間違いなかった。
香さんは松葉杖をつきながら少し警戒した様子で近づいて来ると、フェンス越しに立ち止まる。
「どちら様ですか?」
やべ、と若干焦った俺の隣から、優雨が改まった口調で言った。
「はじめまして、数日前に電話をした水原優雨です。東京から来ました。隣の彼は同じ高校に通っている幼馴染みです」
「えと、はじめまして、小瀬川友咲です」
俺はぺこりと頭を下げた。香さんは驚いたように「高校生でしたか」と困った顔をして呟く。
「電話できっぱりとお断りしたはずですよ」
「わかっています。ですがどうしてもお姉さんのことを知りたくて、失礼を承知で来ました」
「……」
香さんは表情を曇らせて俯いた。少しの間黙ったあと、顔を上げて俺をじっと見つめる。そして優雨に視線を戻して言った。
「あなたのお友達に危険が迫っているのですね」
俺たちは揃って目を見開いた。香さんには俺を通して何かが見えているのだろうか。緊張した体がぎゅっと締まる。
「自分から突き放しておいてあれですが、こうしてお会いできて良かったと思います。どうぞ中へ」
警戒心を解いた香さんは眉尻を下げた笑みを浮かべて、俺たちを敷地内に入れてくれた。
縁側に座って話をすることになった。香さんの隣に座った優雨が足の怪我について触れると、去年の夏に交通事故で怪我をして、その時の後遺症がまだ残っているのだと教えてくれた。
「姉の名前は栞といいます。漢字は、本に挟む栞と同じです」
香さんはお姉さんのことを静かに話し始めた。
「姉は2005年の一月頃に突然地元から姿を消して、今現在も連絡が取れない状況です。家族や親戚、知人含めて誰一人姉の居場所を知りません。表向きは行方不明扱いです」
膝の上に添えた両手に暗い視線を落としたまま「ですが」と続ける。
「姉は2006年の三月に亡くなっていることを、私は知っています」
「何故知っているんですか?」
優雨の沈着な問いかけに、香さんは答える。
「去年の夏のことです。私の夢の中に現れた姉が、そう教えてくれました」
「夢……?」
俺は目を丸くした。優雨は怪訝な顔になる。
「姉は二十代前半で結婚をしましたが、三年ほどで離婚をしています。離婚の理由は、赤ちゃんを授かることができなかったことでした。姉の体では妊娠ができないと病院で診断されたんです。姉は子供が大好きで、いつか自分の子供を持つことが夢でした。その気持ちがとても強かったことは私が一番良く知っています。とてもショックが大きかった姉は精神を病んでしまい、夫婦仲も悪くなってしまったんです……。私は傷ついた姉を支えようとしました。しかし結婚してすぐに子供を授かることができた私に、姉は負の感情を抱いていたのでしょう。子供ができた以降は、姉と顔を合わせることも、会話をすることも、極端に減っていったんです」
香さんは当時のことを思い出したのか、つらそうに眉を寄せて目を伏せる。
「そんな姉の心を癒したのはひとり旅でした。一人で県外のあちこちに行って、自由気ままな旅を楽しんでいるようでした。その問題の家に姉が引っ越しをしたのも、旅先で見つけて気に入ったから……。そんな単純な理由だったらよかったんですが」
そう話す声のトーンが不穏な響きに変わるのを感じた。数分前にはなかった嫌な空気が場を重くさせる。
「神奈川県の旅から帰ってきた姉は、そのあとすぐ、行き先を誰にも告げずに行方をくらませました。姉は問題の家に移り住んだあと、一年間で、ある計画を実行するための準備を進めたんです。……そして姉はそこに恐ろしい呪物をつくりだし、自分の命と引き換えにして、その呪物を完成させました」
俺は息を呑んだ。
自分の命と引き換えに完成させた――呪物。
「姉は旅の途中、その家の近くにあった森で出会ってしまったんです。人ならざる存在に」
俺は稲上さんから聞いた話を思い出す。口減らしで犠牲になった子供たちが埋められていた森。その森に集まった子供たちの魂が〝なきゐ様〟と呼ばれる人ならざる存在をつくりだしたことを。
「それって、なきゐ様のことですか?」
香さんが驚いた顔で俺を見た。
「なきゐ様……姉がその名前を夢の中で口にしていました。森の中で巨大な赤ん坊の姿をした存在に出会ったと。姉はその赤ん坊のことをなきゐ様と呼んでいました」
俺が見た巨大な赤ん坊。
あれが、なきゐ様なのか。
「他にも姉は『森の中にはたくさんの子供たちの魂が宿っている。みんなこの世に産まれたがっている。だから私が救ってあげたい』……と、そう言っていました」
「先ほどから口にしている夢の中とはどういうことですか?」
優雨が落ち着き払った口調で問いかけた。香さんは優雨に視線を移して答える。
「姉は特別な能力を持って生まれてきました。幼少期の頃からこの世のものではない存在を見たり、会話をしたり、人の心を読んだり、未来を予言したりなど、姉は普通の人間ではなかったんです。私には姉ほどの強い力はありませんが、普通の人には見えないものが見えたりします。他にも私たちだけの特別な能力がありました。それは〝一つの夢を二人で共有して見る〟ことができるというものです。共有した夢の中で私たちは会話をし、自由に行動することができました。親や友達に聞かれたくない話をしたい時は二人きりになれる夢の中で話をする――幼少期の頃からそれが当たり前になっていたんです」
冗談のような話を香さんは凄く真面目な顔をして言った。少し前の俺なら話半分に聞いていただろう。いろいろありすぎた今はすんなりと信じることができる。
「ずっと行方不明になっていた姉が突然夢の中に現れた時はまた会えて嬉しかった。けれど姉の容姿は姿を消した時と何一つ変わっておらず、姉の口から聞かされた恐ろしい話に私は震え上がりました……。姉が完成させた呪物は、子供を授かりたくても授かれない女性や、子供が欲しいと願う女性たちの体内に、森に宿る子供たちの魂を孕ませ産ませるという、恐ろしい呪いなんです」
口減らしで犠牲になった子供たちの魂を呪いの力で孕ませて産ませる……。そんな恐ろしい呪いが実際にあることを、俺は身をもって知っている。緊張で喉がひどく渇く。
「姉はターゲットにした女性の夢の中に現れては、あの空き家に来るように呼びかけ、実際に訪れた女性に呪いをかけているんです」
背筋が冷たくなる感覚がした。以前、空き家の前で首を切って自殺した女性。あの女性も、夢の中に現れた栞さんに導かれてしまった……そういうことなんだろう。
「呪いで孕んだ胎児は普通ではあり得ないスピードで成長をして産まれます。産まれた子供の姿形は人間の子供と全く変わりはありません。人間の子供と同じように成長していくそうです」
「あ、あの、待ってください。あり得ないスピードで産まれるって、つまり、それって……」
俺は思わず声を上げたが、動揺してうまく言葉が出てこない。
香さんの表情が僅かに暗くなる。
「一ヶ月以内に産まれると言っていました」
「一ヶ月以内……」
俺は呆然と呟いた。胸がぎゅっと苦しくなる。隣にいる優雨をちらっと見ると、優雨は青ざめた顔で言葉を失っていた。
「友咲さん」
香さんがひどく落ち着いた声で俺の名前を呼んだ。呼ばれた俺はハッとして、怯える気持ちを隠せずに香さんと目を合わせる。
「貴方はいつ呪いを受けたのですか?」
香さんは俺が呪われていることに気づいていた。
不安でいっぱいになりながら、震える声を絞り出す。
「五月十日です。空き家の二階で、黒い影に襲われて……」
いや、襲われそうになったのは妹の方だ。
黒い影の正体である中山栞さんは、妹をターゲットにして空き家へと呼び寄せた。そこで妹を庇った俺が代わりに呪いを受けてしまった……そういうことだ。
「姉は本来の目的を無視して、見境なく人を呪っているんですね……」
呟いた香さんは俯いた顔を曇らせる。俺は恐る恐る「あの……」と口を開いた。
「俺より先に呪いを受けた男性がいたんです。男が呪いを受けた場合って、その……どうなるんですか……?」
林田さんは腹を潰されて死んだ。
俺もそうなってしまうのか。そうはっきりと口にすることができない。
「私の目には、あなたのお腹の中に黒く濁った塊のようなもの……胎児がいるのが見えています」
香さんは俺と視線を合わせて言った。
「育った胎児は窮屈なお腹の中から出たがるでしょう。それが男性の場合だと、おそらくは……」
不自然に言葉を切った香さんは、つらそうにまた視線を落とした。
窮屈なお腹の中から出たがる胎児を想像する。中で暴れて、出口を求めて、柔らかい肉の壁を突き破り――そんな恐ろしい想像が頭をよぎって、背筋に震えが走った。
全ての始まりは五月十日。
あの日からもう二十日以上経過している。タイムリミットはすぐそこまで迫っていた。
「呪いを……呪いを解く方法はないんですか」
優雨が絞り出すような低い声で言った。
「あるなら教えてください」
優雨は険しい表情をして、真っ直ぐに香さんを見つめる。
「一つだけ……呪いを解く方法は、一つだけあります」
香さんは真剣みを帯びた表情をして答えた。
「家の一階にある和室の床下の一部に穴が開いています。その穴は地下洞窟へ降りられる出入口になっていて、洞窟の先は森の中まで続いているんです。洞窟の一番奥へ行くと、そこに姉が完成させた呪物があります。呪いの力を発している呪物を壊せば、呪いは解けるはずです」
「本当ですか?」
「ええ、間違いないと思います」
それは一筋の希望の光だった。香さんは目を伏せて続ける。
「姉は私を仲間にしたがっているようでした。私はそれを利用して、仲間になるフリをして姉から呪いを解く方法を聞き出したんです。そのあとに姉からの誘いを断りました。怒るかと思いましたが、姉は悲しそうに笑っただけで何も言わず消えました……。それを最後に、姉の夢は見ておりません」
人の道から外れてしまった姉を思ってか、香さんはつらそうに一度目を閉じる。そして申し訳なさそうに俺たちを見つめて言った。
「本当はすぐにでも呪物を壊しに行く必要があったのですが、夢を見たあとすぐに交通事故にあってしまって、半年間まともに動けない状態でした」
命に関わるような事故だったのだろう。それは偶然だったのか、それとも……。
「俺たちがそこへ向かいます」
優雨は迷いのない声で言った。最後まで付き合ってくれる優雨には感謝してもしきれない。
地下洞窟に行く。
そしてそこにある呪物を壊す。
「わかりました」
香さんは、親が子を心配するような眼差しで俺たちを見つめると、
「私の代わりに呪物を壊して、姉の呪いを断ち切ってください。どうかこの通り、よろしくお願いいたします」
そう言って、深々と頭を下げた。
◇
土曜日の午後。
外はまだ明るい時間帯だ。けれどカーテンを閉め切った部屋の中は薄暗い。私は電気もつけずに机に向かって手紙を書いていた。
ただ黙々とペンを走らせていたけど、最後の締めくくりに悩んだ手が止まる。書けない。一度諦めて別のことを考えてみる。
思い出すのは過去のこと。自分が普通の人間じゃないことに気づいた出来事だった――。
幼少期の頃、森の中にいる夢をよく見ていた。
そこにはたくさんの子供たちがいた。年齢はバラバラだけど十歳以下の幼い子供たちばかりで、中には赤ちゃんもいる。
夢の中の私は、みんなと一緒に森の中で遊んでいた。かくれんぼをしたり、追いかけっこをしたり。赤ちゃんを抱っこして世話をしたり。みんな仲良しで、友達というより兄弟に近い感覚だった。
森の奥に行くと、そこには巨大な赤ん坊が丸くなって眠っていた。私と一番仲が良かったおかっぱ頭の女の子が「あれはなきゐ様っていうの。この森を守ってくれてる存在なんだよ」と教えてくれた。
何度も同じ夢を見続けていると、私はたまに森の外に出てみたいという強い気持ちになることがあった。
森から出るために出口を探して歩き続けるけど、一向に外の景色が見えてこない。走っても走っても出口が見つからなくて、結局森から出ることが叶わないまま目を覚ます。
そんな夢を頻繁に見続けていたのに、小学校を卒業する頃にはパッタリと見なくなった。中学生になって勉強や部活と忙しくなり、いつしか夢の内容すらも忘れてしまった。
――高校一年の時だった。
休日に一人で池袋まで足を運んでいた私は、自由気ままにうろうろして一人の時間を楽しんでいた。そろそろ帰ろうかなと駅に向かいながらスマホで電車の時刻を確認していた時、目の前を横切ろうとした少女と接触しそうになった。
お互いに「すみません」と謝って目が合った瞬間、私は背筋にビビッとくるような衝撃を感じた。
初対面の子だ。それなのに『初めて会った気がしない』『この子を知っている気がする』という感情が芽生えた。少女も私を凝視して固まっていた。どちらともなく「よかったらお茶しませんか」と誘って、近くの喫茶店に入った。
そこで話したのはお互いの母親についてだった。
三つ年下の少女は、私と同じように幼少期は施設で、のちに里親に引き取られて育っていた。母親は精神を病んで自殺。父親の存在は不明だという。
私も少女に自分のことを話した。母親は2006年五月三日に私を産んで、それからすぐに亡くなっている。死因は自殺だった。父親は不明。そう施設側から聞かされている。
里親の施設に入った時、私に関する情報は『生まれた日』と『名前』しかなかった。産まれて間もない私の写真を母親が撮影していて、たった一枚だけしか残されていなかったその裏に『安希』『2006年5月3日生まれ』と書かれていた。
初対面の少女に自分の過去を話すことに全く抵抗はなかった。むしろ境遇が似ている者同士でお互いに安心感があったと思う。
やがて話題は、幼い頃によく見た夢の内容に移った。驚くべきことに内容が酷似していた。森の中でたくさんの子供たちと遊ぶ夢。森の奥には、なきゐ様という巨大な赤ん坊がいたこと――。
奇妙だなと思いつつも、不思議なことがあるんだね、という軽い言葉で片付けた。一時間以上喋り続けて店を出たあとは、バイバイとあっさり別れた。連絡先も交換していなければ、住んでる場所や学校名も互いに口にしていなかった。
少女とはそれきり会えていない。
――高校三年の冬だった。
私はその日、用事があって千葉県まで来ていた。用事を済ませて駅構内を歩いていた時に、後ろから声をかけられた。振り返ると初対面の少年がいた。少年を見た瞬間また『初めて会った気がしない』という強い感情が湧き上がった。
少年は迷子のような顔で私を見つめると「もしよかったらお話しできませんか」と言ってきた。私は警戒心を少しも抱かず頷いて、二人で近くの喫茶店に入った。
二つ年下の少年は、前に出会った少女と同様、家族のことについて話し始めた。少年もまた幼い頃に母親を自殺で失っていたけど、少年の場合はちゃんと父親がいた。
「二十代の頃に結婚した両親は、神奈川県にあった一軒家を借りて住んでいました。けどその家に住んでから母が急におかしくなったと、父は言っていました」
父親から聞いた母親のことを少年は暗い目をして話した。その家に引っ越してすぐ母親は行方不明になり、数ヶ月後、県外の狭いボロアパートで遺体が発見された。母親のそばではまだ一歳にもならない赤ん坊の少年が泣いていて、妻の死を知って駆けつけた父親に引き取られた。のちの検査で血のつながりがないことが明らかになっても、父親は少年を大切に育ててくれたという。
「僕は両親が借りていた家に行ってみました。その家がある辺り一帯の土地に足を踏み入れた瞬間、それがスイッチにでもなったかのように全てを思い出したんです。僕はこの土地で死んで、そこにある森に捨てられて、そしてまたこの世に生まれてきたと。……僕は、自分が普通の人間じゃないことに気づいたんです」
君もあの家がある場所まで行ってみてほしい。そしたら自分が何者なのか思い出せると思う――と少年は真剣な目をして言った。
最初は何を言っているのか理解できず混乱した。それでも私は少年の話を真剣に聞いた。他人事だと思えなかったから。私も彼と同じ存在なんだと感じていた。
「全ては呪いのせいなんだ」と少年は言った。そしてその呪いについて集めた情報を私に共有してくれた。
私たちの母親はその家で〝子供を孕む呪い〟を受けた。そして私たちを産んだあと、精神を病んで自殺してしまった。呪いの力はその人の精神までをも壊すのかもしれない、と少年は言った。
その呪いで、私は今こうして存在できているということを知って強いショックを受けた。このまま呪いを放置すればどんどん犠牲者は増えていく。誰かが止めないといけない。
「呪いを断ち切る方法ってないのかな……?」
そう呟いた私に「あるとはハッキリ言えないけど……」と、少年は自信なさげに言った。
「呪いの力を発している何かが、あの家のどこかにあると思うんです」
「わかるの?」
そう訊いたら「実際に行ってみたらわかると思う」と少年は答えた。呪いの力なんて感じられるんだろうかと不安に思いつつも「わかった。今度行ってみる」と頷き、少年からその家の場所を教えてもらいスマホにメモをとった。
少年とも連絡先などの交換はせずに別れた。今後のことを考えたら少年に頼りたい気持ちはあったけど、向こうは繋がりを持ちたくなさそうだったから訊けなかった。
少年とも、それきり会えていない。
――過去の出来事から現実に思考を戻す。
再び手を動かして最後の言葉を綴った。やがて完成した手紙を封筒に入れて、そのまま机の上に置く。封筒に書いた『お父さん、お母さんへ』の文字を、少しの間じっと見つめた。
手紙には今まで育ててくれた感謝と、突然いなくなることへの謝罪を綴っている。もしかしたら帰って来られなくなるかもしれない。最悪の事態を考えて、私は両親に宛てた手紙を残していくことを決めた。
椅子から立ち上がってすぐ横のクローゼットを開ける。そこから取り出した空のリュックに、数日前にホームセンターで購入しておいた懐中電灯とロープ、そして持ち手が短い斧を入れた。
私は心に決めた。空き家へ行き、そこにある恐ろしい呪いの力を断ち切る。
必要なものだけを入れたリュックを部屋の隅に置いておく。出発する前に、どうしてもやっておきたいことがあった。
ポケットからスマホを取り出してLINEを開く。ミナちゃんに『今どこにいる?』とメッセージを送信した。五分ほどして既読がついて返事が返ってくる。
『部屋にいるけど』
すぐにメッセージを送る。
『今から部屋に行ってもいい?』
『部屋に?』
『うん。二人きりで話したいことがあるの。大事な話だから』
既読がついてから少し時間がかかった。
『分かった』
『ありがとう。今から行くね』
私はスマホだけを持って家を出ると、すぐ隣のミナちゃん家のインターフォンを鳴らした。
◇
ミナちゃんの両親は留守にしていた。久しぶりに入った彼の部屋は綺麗に片付いている。というより物が少ない。昔からそうだった記憶がある。前回のことを思い出すと彼が小六の時になるけど。
「りんごジュースでいい?」
「うん。ありがとう」
私は微笑んでグラスを受け取り、テーブルを挟んで座ったミナちゃんに言った。
「ミナちゃんの部屋に入ったの久しぶりだね」
「小六の時が最後だったと思う」
「覚えてるんだ。じゃあ私と初めて出会った日のことも覚えてる?」
「あき姉が引っ越してきたその日に、両親と一緒にうちまで挨拶しに来た」
「ミナちゃん、第一印象で私のこと男だって勘違いしてたよね。お兄ちゃんって言われて笑っちゃった」
「髪がすごい短かったからそう見えたんだよ」
ミナちゃんはばつが悪そうに目を逸らす。私は当時のことを思い出してくすくす笑った。嬉しそうな顔でお兄ちゃんって言われた時はびっくりしたけど、かわいい弟ができたみたいで嬉しかった。
「あき姉、何かあった?」
急にそう言われて、ぴたっと肩の震えが止まる。目の前にいるミナちゃんはいつも通り落ち着いた態度だけど、私を見る目は心配そうだった。
「俺でよかったら相談にのるけど」
「……ありがとう、ミナちゃん」
他人に興味がなさそうに見える彼だけど、困っている人はほっとけない優しい子だって知っている。
「ちょっと悩み事があったんだけど、でも解決しそうなの。だからもう平気」
私はにこりと笑った。「ならいいけど」と呟いたミナちゃんの表情は晴れない。
「そういえば、前にミナちゃんと一緒にいた先輩たちのことなんだけど」
私は思い出して口にした。チャラい見た目の子と、真面目そうな子。第一印象は正反対に見える二人だった。
「仲良いの?」
「いや、ぜんぜん。学校で顔合わせて話したのはあの日が初めてだったし」
私はちょっと驚いた。
「そうだったんだ。それなのに家に呼んだの?」
「あの日は父さんに用が会ってうちに来てたんだよ」
「ミナちゃんのお父さんに?」
「父さんが昔借りていた家の情報が知りたいって」
私は思わず息を呑んだ。
小瀬川友咲――彼の姿が頭に浮かぶ。
彼を見た瞬間に、あの家の呪いを受けていることがすぐにわかった。彼のお腹の中で丸くなった胎児の形が見えたから……。
私はずっと悩んでいた。呪いを断ち切るか、そのままにしておくか。この二つの選択肢で悩んでいた。
あの森にはまだたくさんの子供たちの魂がある。呪いの力を無くしてしまったら、私みたいにこの世に生まれてくるチャンスを、あの子たちから奪うことになってしまう。
でも……あの家にある呪いが、年齢や性別関係なく人を呪っていることに気づき、強い恐怖心を抱いた。
だから私は悩んで悩んで……そして、呪いを断ち切りに行くことを決めたんだ。
「その家、どこにあるか分かる? 見た目とかの特徴でもいい」
「えっと、たしか父さんは――」
ミナちゃんはあの家の場所を口にした。ミナちゃんのお父さんが過去にあの家を借りていたことを知って驚きが隠せない。これも運命のいたずらか……。
ミナちゃんの先輩たちはあの家のことを調べている。理由はきっと、呪いを解くための方法を探しているからだ。
「あき姉も何か調べてるの?」
「えっと……」
言い淀んだ私を、ミナちゃんが怪訝そうに見てくる。
「あき姉もその家のことを――」
「私、ミナちゃんに出会えてよかったよ」
「え?」
急にそんなことを言われたミナちゃんは目を見開いてぽかんとする。私はにっこり笑って心の底から感謝を伝えた。
「ありがとう」
「えっと、急になに?」
「これからも変わらず、仲良くしてくれると嬉しいな」
「……? うん」
ミナちゃんは珍しく戸惑っていた。ひとりで勝手に満足した私は、グラスの中身を飲み干してから立ち上がる。
「ごちそうさま。私これから友達と会う約束があるから行くね。話、聞いてくれてありがとう」
はぐらかされたと感じたのか、ミナちゃんはちょっと不服そうな顔をしていた。けど無理矢理訊いてこないところが彼らしい。
ミナちゃんの家を出たあと一度部屋に戻り、準備しておいたリュックを背負う。
私がこの呪いを止める。そう改めて覚悟を決めた。
◆
俺たちは搭乗待合室のソファに並んで座っていた。
予約していた便よりも早い便に変更はできたけど、それでも東京に到着するのは夕方だ。そこから空き家まで移動するとなると、どんなに急いでも夜になってしまう。それでも俺たちは空き家に向かうことを決めた。
「来てよかったな」
俺は笑みを浮かべて、なるべく明るい声を意識して言った。すると優雨が呆れたような眼差しを向けてくる。
「まだ何も解決してねぇぞ」
「そうだけど、呪いを解く方法が分かったんだからちょっとくらい喜んでいいだろ。それにさ、ここに来てようやく、のうがわさんの謎も解けたんだし」
「それなぁ……」
そのことを思い出した優雨は腕を組んで項垂れるとため息をついた。簡単な問題に答えられなかった自分に落ち込んでいるかのようだ。
俺は香さんとの別れ際を思い出す。のうがわさんという謎の言葉について訊くと、すぐに「それはあだ名です」と返された。
「のうが悪い、という土佐弁を口癖のように使っていた姉に、近所の小学生たちがつけたあだ名なんです。子供好きな姉はよく学校帰りの小学生たちとこの庭で一緒に遊んだり、縁側でお菓子やジュースをご馳走したりしていました。子供たちから『のうがわさん』と呼ばれることを、姉はとても気に入っていたんです」
空き家に行って地下洞窟を見つけ、そこにある呪物を壊して呪いを解く――。
しかし呪物を壊すだけで本当に呪いは解けるんだろうか。その不安は拭えなかった。早く東京に戻りたいけど、今は焦っても仕方がない。俺は気を紛らわせようとスマホを取り出す。
でもSNSや動画を見る気にはなれない。ふと、地理院地図を見たあの日のことを思い出す。空中写真に写った空き家の後ろに広がるひとかたまりの森。泣ヶ森と呼ばれるその森の形が、俺はなぜか変だなと思ったんだ。
思い出すと気になってしまって、地理院地図を開き、空き家がある土地を新しい年代のカラー写真で画面上に表示させた。
小さく映る赤い屋根の空き家を中心にして、森全体が見えるように縮小していく。
「あ」
気づいて、目を見開く。
「なきゐ様……」
泣ヶ森の形は――巨大な赤ん坊だった。
母親のお腹の中で丸くなっている胎児のように森の形がなっているのだ。
森からは、土の道のような細い線が一本伸びている。ちょうど胎児のお腹の辺りから伸びた線の先には空き家があった。
その線はまるで〝臍の緒〟だ。
胎児の臍の緒が空き家に繋がっている。
もしかしたらこの線が地下洞窟を現しているんじゃないだろうか……そう思った時、急にLINE電話が鳴った。相手は湊斗だ。
「誰からだ?」
「姫だよ」
俺は短く答えて電話に出る。
「姫ちゃん、どうした?」
『先輩、今どこにいます?』
湊斗の声には若干の焦りが感じられた。
「優雨と一緒に高知県にいるぞ。あ、高知県の場所わかるか?」
『知ってますよ。四国でしょう』
湊斗はムッとした声で答えた。
「俺になんか用か?」
『あき姉と、その、連絡がとれなくて……』
「安希さん?」
優雨が無言で肩を寄せてくると、自分にも湊斗の声が聞こえるように片耳をスマホに近づけた。
『二時間前くらいに、あき姉が俺の家に来たんです。話したいことがあるとか言って何か思い詰めている感じだったけど、結局悩みとかは何も話してくれませんでした。けど先輩たちみたいに、例の空き家について調べてるっぽかったです』
「え、なんで?」
『わかりませんよ俺も。訊こうとしたけどはぐらかされて、友達と会う約束があるとか言ってすぐに出て行きました。気にしないようにしたけどやっぱり気になってしまって、さっきあき姉に電話したけどぜんぜん出ないんです。LINEのメッセージも既読がつかないし、こういうことは今まで一度もなかったから……』
最後の言葉は弱々しくて、湊斗が安希さんをすごく心配しているのが伝わってきた。
安希さんも空き家のことを調べていた。もしかして彼女も呪われているんだろうか。それとも別の理由があるのか……。俺を見て険しい顔をしていた安希さんの姿が脳裏に浮かぶ。
連絡がつかなくなっている安希さんが何処で何をしているのかは分からない。けど、もしかしたら空き家にいるんじゃないかと思った。
安希さんも呪いを解く方法を見つけたんだとしたら……
「友咲、もう時間だ。行くぞ」
隣からひどく落ち着いた声がしたかと思うと、立ち上がった優雨が一人で先に搭乗口の方へ歩いて行ってしまう。
「悪りぃ姫ちゃん。もう飛行機に乗らなきゃいけないから切るよ」
湊斗には申し訳ないけど、急いで通話を切って搭乗口へ向かう。先に列に並んでいた優雨の隣に立ち、なんとなく話しかけた。
「安希さんのこと、心配だな」
優雨は素っ気なく「そうだな」とだけ言った。
そのあとは互いに無言のまま機内に乗り込み、俺たちを乗せた飛行機は時刻通りに羽田空港へ向け飛び立った――。

