孕みの濁-ハラミノダク-


    ◆

 俺は残り少なくなった紅茶に口をつけながら、ちらっと店内の時計を見る。時刻は十二時半になろうとしていた。

「僕が提供できるオカルト関連の話はこれくらいかな。君たちの役に立つといいけど」

「とても興味深い話でした。教えていただいた情報を活用して、授業に取り組んでいきたいと思います」

 優雨はニッコリ笑ってお礼を言った。
 紅茶を飲み干した俺は、ふと思い出してあっと声を上げる。

「そうだ、のうがわさんだ」

「のうがわさん?」

 稲上さんはきょとんとした。

「えっと、俺たちこの辺りで、のうがわって苗字の人を探してて。このお店に来たことないですか?」

「お客様の苗字は覚えているけど、のうがわって苗字の人はいないね」

「そうですか……」

 俺は落胆して、ふと思う。
 そもそも、のうがわさんは苗字じゃないのかもしれない。例えばなきゐ様のように、人ならざるものの呼び名なんじゃないだろうか。

「あぁ、でも」

 稲上さんが思い出したように言った。

「五、六年くらい前にあった話だけど、ここに迷い込んで来た若い女性から『この近くに白い外壁に赤い屋根の家はありませんか』と尋ねられて、思い当たるのがあの空き家しかなかったんだ。女性は『そこにのうがわさんが住んでいるから会いに来た』とも言っていて、でもあそこは当時すでに空き家だったからおかしいなと思いつつ、『県道沿いにその特徴の家はあるけど誰も住んでいないですよ』って答えたら、女性は全く気にする様子もなく礼を言って出て行ってしまったんだ」

 その話を聞いた俺は、以前空き家の前で出会ったガリガリに痩せた女性のことを思い出してしまう。
 嫌な鳥肌が立つのを感じながら、目の前にいる優雨を見る。眉根を寄せた優雨は稲上さんの方を見たまま言った。

「あの空き家を借りていた過去の住人に、のうがわという方がいたんでしょうか?」

「そのあたりの情報になると、僕は全くわからないから力になれないかな」

 稲上さんは軽く苦笑したあと、でも、と続ける。

「お店をオープンした2015年に、何度か来店してくれた建設コンサルタント業の男性がいたんだ。彼は仕事関係で、一年間だけあの家を事務所代わりに借りていたんだよ」

 ハッとして、俺は身を乗り出す勢いで訊く。

「その人に、会うことってできませんか?」

「彼の息子さんが、君たちと同じ高校に通っているはずだよ」

「えっ?」

「男性は姫宮芳守(ひめみやよしもり)さん。町田市在住の方で、去年の冬に仕事の関係でこの辺りに来ていたからお店に寄ってくれたんだ。その時に彼の息子さんの話になって、今年の春から君たちと同じ高校に入学すると言っていたよ」

 俺は優雨に視線をやった。優雨は「姫宮……」と小さく呟いて、すぐ思い出したように言った。

「息子の名前は、湊斗(みなと)ですか?」

 そうだよ、と稲上さんは頷いた。

「僕は芳守さんの連絡先までは知らないから、息子さんを通して会ってみたらどうかな」

 その時、来客を知らせるドアベルが鳴った。
 出入口の方を見ると、若い四人組の女性が賑やかに入って来る。「いらっしゃいませ」と稲上さんが笑顔で出迎えると、女性たちのテンションが上がった。「友達から聞いてずっと気になってたんです」「あたしはインスタで知りました」と口々に言う。俺たちと同じ新規の客だろう。

 稲上さんに案内された四人は窓際の席に座った。すると一人の派手な子と目が合う。その子が隣の子に耳打ちすると、興味津々な目でちらちらとこっちを見てきた。
 休日に優雨と二人でいると、年上の女性グループから大学生だと勘違いされて声をかけられることがたまにある。一緒に遊ぼうとか、ご飯を一緒に食べないかとか、いわゆる逆ナンだ。

「そろそろ出るか」

 何となく察した優雨がカップの中身を飲み干して席を立つ。他のお客さんからも話を聞かなくていいのかと思ったけど、稲上さんから十分情報収集ができたからまぁ良しとするか。


 会計を済ませた俺たちは稲上さんに丁寧にお礼を言って店を出たあと、とりあえず来た道を戻りながら話をする。

「やったな優雨。これでようやく状況が進展するぞ」

「そうだな」

 喜ぶ俺とは違って、優雨は浮かない顔をしている。

「次は姫宮芳守さんに話を訊こうぜ」

「ああ。実際に空き家を借りて住んでいたなら、倒産した管理会社からあの家の所有者のことも何か聞いてる可能性はあるな。姫宮湊斗を通じて、父親に会わせてもらえるよう頼んでみるか」

「今から姫宮の家に行ってみればいいんじゃね? 生徒会長なら住所くらいすぐ分かるだろ」

「お前は生徒会をなんだと思ってるんだ。生徒の個人情報を容易に知れる権利はねぇよ」

「じゃあ月曜日までお預けか……。まぁ急に家に行くのも非常識だし、しょうがねぇよな」

 すると優雨はぎゅっと眉を寄せたかと思うと、じっと前を見つめたまま何かを考えている様子だった。次いで足を止めてスマホを取り出すと、片手で操作して誰かに電話をかけ始める。俺は不思議に思いながら、優雨の隣に並んで耳を澄ました。

『おつかれさまです会長!』

村上(むらかみ)、急に悪いな。実は一つ頼みたいことがあるんだけど、今大丈夫か?」

『もちろんです! 何なりとおっしゃってください!』

 スマホから聞こえる少年の声は明るくて、そして無駄にうるさかった。

「ありがとう。君のクラスに姫宮湊斗って生徒がいるだろう。ちょっと訳があって連絡を取りたいから、彼のLINEを知っていたら教えてほしいんだ」

『姫宮? まぁLINEは知ってますよ。え、ちょっと待ってくださいよ会長! もしかして姫宮のことを生徒会に勧誘しようとか思ってます!?』

「いや、生徒会とは一切関係ないことだから」

『僕の時はLINEすら聞かれなかったのに! なのに姫宮は会長自らLINEを知りたがるなんてっ!』

「ちょっと落ち着こうか村上」

 優雨は穏やかな口調でしゃべってるけど、顔はうんざりしている。

『わかりました。じゃあ僕を間に挟んで姫宮に要件を伝えるっていうのはどうですか? 駄目ですか?』

 村上という奴は意地でも姫宮湊斗の連絡先を優雨に教えたくないようだ。

「あぁ、まぁ、それでいいよ」

 承諾した優雨は短く要件を伝えた。それを聞いた村上は不思議そうに、けどどこか安心した声で言う。

『姫宮の父親と会って話したいことがあるんですね。じゃあ姫宮にLINEするんで、一旦切ります』

「頼んだよ。返事はLINEのメッセージで返してくれていいから」

 村上は明るい一声で『了解です!』と言って通話を切った。スマホを耳から離した優雨は疲れたように息を吐く。

「一年生に仲良い奴いたんだな」

「ぜんぜん仲良くねぇよ」

「けどLINE教えてんじゃん」

「とにかく生徒会に入りたいみたいで、何度か生徒会室に見学しに来てはその熱意を俺に語ってくるちょっとめんどくせぇ奴なんだよ。かなりしつこく連絡先を聞いてくるから、仕方なくLINEは教えた」

「一年で生徒会って入れたっけ」

「投票で選ばれれば可能だろ。村上は書記希望だけどゆくゆくは生徒会長になるのが目標らしい」

「ふーん。だから憧れの会長に懐いてるんだな」

「こっちはめんどくせぇと思いながら会長やってるけどな」

 そこで優雨のスマホが短い通知音を鳴らす。村上がさっそく仕事をしてくれたようだ。
 届いたメッセージを読んだ優雨は、短い息を吐いて俺に言った。

「父親は土日で九州に出張中で、帰ってくるのは月曜日の夕方だとよ」

「あー、残念」

 優雨はスマホをポケットにしまうと、眼鏡を一旦外して目頭を揉んだ。

「電話で訊くにしても仕事の邪魔になるだろうし、どうしようもないな……」

「まぁ、月曜日に持ち越しでいいんじゃねぇかな」

 優雨はどうにもスッキリしないのか、眼鏡をかけ直したその顔は不満気だ。俺が困った笑みを返すと、なぜか顰めっ面をされて先に一人で歩き出してしまう。
 俺はやれやれとポーズをとりながら優雨の後ろを追いかけた。互いに無言の時間が流れる中、俺は歩きながら周りの風景に目を向ける。緑豊かな土地は都会の喧騒を忘れられるが、この辺りは静かすぎてひどく寂しく映った。

 この土地に、口減らしという悲しい歴史が本当にあったんだろうか。どれくらいの数の子供が殺されて、森に埋められたんだろう。
 森から聞こえてくる赤ん坊の泣き声は、親を呼んでいるのかもしれないと思う。抱っこしてもらう安心感を求めて、ずっと泣き続けているのかもしれない……。
 そう思うと悲しくなってきて、無意識のうちに腹に右手を当てていた。

「ぃ、っ」

 腹部がズキッと痛む。
 顔をしかめて足を止めた俺に、遅れて足を止めた優雨が「どうした」と緊張した顔で振り返った。俺は腹に両手を回して背中を曲げる。

「ちょっと急に、腹が痛くて……」

 ズキンズキンと刺すような痛みに、たまらず両膝を地面に突いた。優雨がすぐそばにしゃがみ込んで、俺の肩に触れながら言う。

「友咲、今日はもう帰るぞ。停留所まで歩けるか?」

「っ、あぁ……」

 優雨が肩を貸してくれたおかげでなんとか停留所まで辿り着き、三十分後にはバスに乗車できた。席に座って体を休める。駅に到着する頃には痛みもだいぶ落ち着いて、一人で歩けるまで回復した。

「心配かけてごめんな、優雨。もう大丈夫だから」

 駅のホームで電車を待ちながら隣で笑う俺に、優雨は怪訝そうな表情を向けて言った。

「今夜、泊まってもいいか」

「えっ? あ、あぁ、もちろん」

 急すぎて面食らった。
 もしかして、さっき体調が悪くなったことを心配しているんだろうか。

「明日も泊まるか? 一日中ゲームしようぜ」

「アホか勉強すんだよ」

「またまたご冗談を」

「いや本気だが」

 俺は口をへの字に曲げた。明日はマジで勉強漬けになりそうだ。
 でも今夜は優雨がいてくれる。長い付き合いで〝一緒にいるのが当たり前〟という安心感が大きい優雨の存在には、本当に救われる思いだった。


    ◆

 五月二十六日、月曜日。

 昼休みに俺は別クラスの優雨と合流して一年の教室がある階に向かっていた。目的は姫宮湊斗に会うためだ。

 稲上さんから聞いた『泣ヶ森』『なきゐ様』の情報を、一晩泊まった優雨と一緒にインターネットで検索してみたが、それらに触れたブログや記事、SNS、動画等は全くヒットしなかった。あの辺りの地域に口減らしという歴史があったことすら一つも情報が出てこない。
 地域住民のごく一部の間だけで語られている話なんだろう。口減らしに関しては稲上さんも実際にあったかハッキリしないと言っていたし、信憑性は低そうだ。

「なぁ優雨。姫宮にはなんて説明して父親に会わせてもらえるように頼む?」

 俺は優雨の隣を歩きながら言った。一年の階にいる上級生の俺らには物珍しそうな視線が集中している。けど変に注目を浴びているのは生徒会長の優雨がいるせいだ。

「曖昧な理由で頼み事をされて、それでハイいいですよって応じてくれる奴ならいいけどな。正直に具体的な目的を話しても、普通なら相手にされねぇよ」

「そこはまぁ、生徒会長直々の頼みってことでなんとか応じてもらうか、最終手段は優雨の脅しでなんとかするしか」

「俺を便利扱いしてると後で痛い目に遭うぞ友咲」

 優雨は周りに聞こえないよう声のボリュームを下げてニッコリと笑う。俺は苦笑いして、その怖い笑顔から視線をそらした。
 教室の開いた状態のドアから中を覗いた優雨は、すぐ近くに集まって談笑していた男子グループに向かって「ちょっといいかな」と声をかける。

「姫宮湊斗は教室にいる?」

「え? うわ、生徒会長!」

 話しかけられたうちの一人が大きな声を上げたせいで、教室にいた生徒たちがみんな一斉に俺たちの方を向いた。

「えっと、姫ならベランダの方で飯食ってるかと」

「お〜い姫! 生徒会長がお前に用があるみたいだぞ〜!」

 もう一人の男子がベランダの方に向かって呼びかけると、教室の中に入って来た男子生徒が俺たちの方に向かって歩いてくる。
 姫ってあだ名で呼ばれているから可愛らしい顔でもしてんのかなと思ったけど、普通に誰が見ても男だと分かる容姿だ。でも数ヶ月前まで中学生だった幼さはまだ残っている。姫宮湊斗は猫のような目で俺を見て、すぐに隣にいる優雨へと視線を外した。

「なんの用ですか」

 感情のない声だ。会長が直々に訪ねてきたことにも特に驚きを見せない。優雨は申し訳なさそうに笑みを浮かべて言った。

「場所を変えて話がしたいから、昼休みの残り時間をもらえないかな」

 湊斗は数瞬だけ何かを考える顔つきになると「わかりました」と短く返事をした。
 周りの目が気にならない場所に移動するため、三人で廊下を歩き出したその時。

「会長ー! おつかれさまです!」

 後ろから元気な声が響いた。
 俺の隣にいた優雨が「げ、村上」と嫌そうに呟く。足を止めて振り返ると、チワワみたいに元気よく駆け寄ってくる小柄な男子生徒がいた。
 目の前で立ち止まった村上に、優雨は作り笑いを向ける。

「村上。土曜日の件はありがとう」

「お役に立てて何よりです! 姫宮とは同じ中学でクラスも一緒だったんでLINEは知ってたんですよ」

 見えない尻尾をブンブン振っている勢いだ。が、その尻尾が急に垂れ下がるように村上は不安な顔を見せる。

「てか会長、わざわざ姫宮を呼び出してこれからどこに行くんです? やっぱり姫宮を生徒会のメンバーに勧誘するためなんですか?」

「いや、そうじゃないよ。生徒会には全く関係ないから村上は気にしなくてい、」

「じゃあ何の話をするんですか? 僕には言えないことですか? 教えてくださいよぅ!」

 村上の勢いは止まらない。わあわあ騒ぎ出したせいで周りの生徒からまた注目を浴びてしまう。
 笑顔が引きつった優雨はこのままだと解放されないと判断したのか、俺に小声で「先に行って姫宮に話をしておいてくれ」と言った。頷いた俺は優雨をその場に残して、湊斗を連れて歩き出す。

「騒がしい友達だな。見てる分には面白えけど」

 俺の少し後ろを歩く湊斗は何も言わない。無視しているというより、反応が薄いだけなのか。

「俺、小瀬川友咲っていうんだ。優雨とは幼馴染み。よろしくな」

「よろしくお願いします。それで、今からどこに行くんですか?」

「とりあえず一階に下りて、校舎裏の駐輪場に出る場所まで行くか」

 湊斗は「わかりました」と言っただけであとは無言になる。淡白な奴だなぁと思いながらスマホを取り出して、優雨にLINEで駐輪場に行くことを伝えた。


 駐輪場に出る扉の横に設置された自販機で、湊斗にカフェオレのペットボトルを奢って、自分の分はお茶を選んだ。
 外に出ると予想通り誰もいなくて静かな場所だ。俺は校舎の薄汚れた壁に背中を預けて立つ。湊斗は俺の目の前に突っ立って、未開封のペットボトルを片手にぶら下げたまま口を開いた。

「俺の父に用があるんですよね」

「え?」

「土曜日に村上から電話があって、会長が父親に会いたがっていると聞きました。だから父は出張中で月曜日に帰ってくると伝えました」

「あー、うん、そうなんだよ」

 俺は後頭部を掻きながら簡単に説明する。

「親父さん昔、つっても2015年頃の話だけど、仕事関係で一軒家を借りていたことがなかったか? 親父さんのことを知ってる喫茶店の店主から聞いたんだけど」

「父が一軒家を借りていたのは知ってます。そこでお気に入りの喫茶店ができて、去年そこの店主に会いに行った話を夕食の席でしてました」

「おーそっか。俺と優雨は親父さんが昔借りてた家、つーか今は空き家なんだけど、その空き家に関する情報をワケあって集めてるんだよ。実際に住んでた人から詳しく話を聞けないかと思ってさ」

「それで父に会わせてもらえるよう、俺に頼みに来たんですね」

「理解が早くて助かるぜ姫宮。あ、俺も姫って呼んでいい?」

「やめてください。そのあだ名、好きじゃないんで」

「えーお姫様気分味わえていいじゃん、姫ちゃん」

「やめろって言ってんですけど」

 俺が笑うと、湊斗はムッとして眉根を寄せた。ちゃんと感情をおもてに出せる奴だと分かってちょっと安心する。俺は上下関係とか全く気にしないタイプだから、後輩が自然体で接してくれるのは嬉しい。

「親父さんさ、その家で幽霊を見たとか言ってなかったか?」

「幽霊? いえ、言ってませんけど。父に聞きたいことってそっち系の話ですか」

「あー、まぁそうなんだよ。詳しく聞きたい?」

「いえ結構です。めんどくさいんで」

「ドライだなぁ姫ちゃん」

「それ以上からかうなら失礼します」

「すみません。えっとそれで、親父さんに頼んでくれるか?」

「別にいいですけど」

「マジで?」

 ずいぶんとあっさりしている。

「今日は十七時ごろに帰宅する予定ですけど」

「出来れば今日会えるとめちゃくちゃ助かる」

「父にLINEしてみます」

 湊斗はスマホを取り出して操作をしながら言う。

「会って話すなら、俺ん家になるかもしれませんけど」

「急にお邪魔して大丈夫なのか?」

「まぁ、急に友達呼んでも喜んで迎えてくれる両親なんで。父は気さくで話好きな人だし、料理好きな母は夕食をご馳走したがると思いますよ。あ、返信がきました」

 向こうも昼休憩中だったのか、すぐに返ってきたメッセージを見て湊斗は言った。

「OK出ましたよ。母の方にも先輩を二人家に呼ぶって連絡しておきます」

「マジでありがとな姫ちゃ、あっ、姫宮」

 軽くじろっと睨まれたから慌てて言い直した。

「今度なんか飯でも奢るわ」

「いや、別にいいですそういうの。めんどくさいんで」

 無気力っぽい調子の湊斗に、俺は思わず苦笑する。

「それなら頼み事を聞き入れる方がめんどくさくね? 断ろうとか思わなかったのか?」

「まぁ正直言って、小瀬川先輩だけだったら即断ってますね。会長の頼みならまぁいいかなって思いました」

「生徒会長ってだけで信頼できる的なやつ? 騙されんなよ姫ちゃん。あいつは学校や大人の前では優等生を演じてるけど、本性は不良並みに口が悪くて笑顔で人を殴るような奴なんだぜ」

「誰が不良だって?」

 近くからした優雨の声にビクッと肩が跳ねる。
 横を見ると、ニコニコ笑う優雨が近づいてきた。その笑顔には「余計なこと言ってんじゃねぇよコロスぞ」と書いてある。

「よ、よお優雨、やっと解放されたんだな。姫のおかげで親父さんに会えることになったぞ」

「ほんとか。ありがとう姫宮。助かるよ」

 優雨は湊斗に笑みを向けた。お礼を言われた湊斗は「いえ」と素っ気ないひと言を返す。

「今日の放課後、姫の家で親父さんと会うことになったから。あ、そうだ姫。連絡取りやすいようにLINE交換しとこうぜ」

「まぁ、いいですけど」

 湊斗は特に嫌がることなく俺たちにLINEを教えてくれた。

「ありがとう姫宮。放課後、生徒玄関前に待ち合わせでいいか?」

「わかりました。じゃあ俺戻ります」

「んじゃ後でな〜、姫ちゃん」

 優雨にはぺこりと軽くお辞儀をして、ひらひら手を振る俺には冷たい一瞥をくれた湊斗は教室に戻っていった。

「友咲。姫宮にはどこまで話したんだ?」

 湊斗の姿が校舎の中に消えてすぐ、優雨は隣に立つ俺を見て言った。その顔は村上の相手をしたせいで若干疲れている。

「そこまで詳しいことは話してねぇよ。親父さんが昔借りてた空き家に関する情報を集めてるってくらい。幽霊の話もしようとしたけど、興味なさそうに断られた」

「ふうん。まぁ上手くいったなら良かった」

 そう話しながら俺たちも教室に戻っていく。


    ◆

 放課後。生徒玄関で待ち合わせた俺たちは、電車を乗り降りして閑静な住宅街を歩きながら湊斗の家に向かった。
 湊斗の母親が俺たちに夕食をご馳走したいと言っていると聞いてちょっと困ってしまう。普段なら喜んでご馳走になるけど、今の俺の体調面では無理な話だ。素直に胃の調子が悪いことを湊斗に伝えて、優雨も一緒に断った。

「わかりました。母に連絡しておきます」

「なんか悪ぃな。お袋さんにも謝るよ」

「別に気にしなくていいです」

 湊斗は素っ気ない態度でスマホを弄りながら母親に連絡をし終えると、俺を見て言った。

「小瀬川先輩、どっか体調悪いんですか」

「あー……最近胃の調子を悪くしてさ、医者から固形物はしばらく食べたらダメだって言われてんだよ」

 はあ、と聞いてきた癖して興味なさそうな返事をされた。優雨は何も言わず俺の隣でチュッパチャプスを咥えている。

「ここです」

 やがて洋風の外観をした一軒家の前で湊斗が足を止めた。とその時、すぐ隣の一軒家の玄関が開き、中から若い女性が出てきて俺たちの方を見る。

「あ、ミナちゃん。おかえりなさい」

「ただいま、あき姉」

 女性は笑顔で、湊斗は親しい口調で互いをあだ名で呼び合った。俺は不思議に思いながら湊斗に訊く。

「姫ちゃんのお姉さん?」

「違います」

「私、小田安希(おだあき)っていいます。ミナちゃんが小学校低学年の時に、隣に引っ越してきたの」

 安希さんはにこっと笑った。女性にしては珍しく長身で170センチ近くありそうに見えた。カジュアルなパンツスタイルにクールな印象のショートヘアがよく似合っている。

「はじめまして、水原優雨です」

「小瀬川友咲です」

 俺たちも短い挨拶を返した。すると安希さんは何故か俺を見て驚いたように目を見開き、そのまま固まったように動かなくなる。

「……」

「あの……?」

 安希さんの顔がどんどん険しくなるのを見て俺は困惑した。湊斗が不思議そうに「あき姉、どうかした?」と声をかけると、安希さんはハッと我に返って笑顔になる。

「えっと、ごめんね、なんでもないの」

 湊斗は特に気にせず「どっか出かけるの」と訊く。

「うん。駅近くの居酒屋で友達と食事するの。行ってくるね」

 軽く手を振った安希さんは俺たちに背を向けて駅方面に向かって歩いていく。
 鍵を取り出して玄関を開ける湊斗を待ちながら、なんとなく視線を感じた俺はその方向に目を向けた。すると離れた場所で安希さんが立ち止まっている姿が見える。
 不安げな顔をした安希さんと目が合うと、向こうは俺が気づくと思わなかったのかまた慌てて笑顔を浮かべた。そして背中を向けると足早に道の角を曲がって姿を消す。俺は怪訝に思って眉をひそめた。

「先輩?」

「友咲、どうした」

 よそを向いたまま動かない俺に二人が声をかけてくる。俺は視線を戻して玄関の中にいる二人に「何でもない」と笑って返した。


 出迎えてくれた母親と挨拶を交わした後、芳守さんが帰宅するまでの間は湊斗の部屋で待たせてもらうことになった。
 きっちりと片付いた部屋で、俺と優雨は小さなテーブルを前にしてカーペットの上に腰を下ろす。湊斗はテーブルを挟んで向かいにあるベッドの縁に腰掛けた。

「安希さんって社会人なのか?」

「今年から大学生です」

「互いをあだ名で呼び合うくらい仲がいいんだな」

「まぁ、俺が小学生の頃からの付き合いなんで。なんていうか、実の姉みたいな存在です」

 湊斗は淡白に答えた。親しい男女がいるとまず気になってくる関係性だが、湊斗を見ていると安希さんへの恋愛感情は多分なくて、本当に姉的存在なんだろうなと思えた。

「姫ってあだ名もいいけど、ミナちゃん呼びもいいな。俺もミナちゃんって呼んでいい?」

「絶対にやめてください。呼んだら今後は先輩のことをクソ先輩と呼びますよ」

「そんなツンツンするなよ姫ちゃん。俺たちもう友達じゃん」

 けらけら笑う俺を見て顔をしかめた湊斗は、何故か片手で拳を握りしめながら優雨に視線を移して言った。

「会長、この人殴っていいですか」

「一発だけ許す」

「許すな」