孕みの濁-ハラミノダク-


    ◆

 五月十二日、月曜日。

 担任から呼び出しをくらった俺は昼休みに職員室を訪れていた。
 話は案の定土曜日の件だったが、その件は冒頭にちょっと触れただけであっさり終わった。むしろ本題は別にあって、土曜日の件はついでだったようだ。

 本題は俺の授業態度のことだった。今日の俺は体調がすぐれなくて午前中の授業は殆ど頭に入っていない。ずっとぼーっとしていたせいで何度か注意を受けたし、体調が悪いなら保健室に行けと言われた。
 体調が悪いと言えるかは微妙なところだ。日曜日の朝から思考があまり働かなくて体がちょっと怠いけど熱はない。だからこうして登校してきたはいいけど、大事な時期に授業を真面目に聞いていない俺の態度を見て、普段温厚な担任も呆れを通り越してやや怒っている。

 椅子に座っている担任は両腕を組むと、目の前に立っている俺を見上げて「お前は楽観的なところがあるが、流石に危機感がなさすぎるんじゃないか」と顔をしかめて言った。

「おい、ちゃんと聞いてるのか小瀬川」

「あ、はい。めっちゃ聞いてます」

 駄目だ、頭がぼんやりして集中できない。
 はやく解放してくれと、顔に出さず思っていたその時、背後のドアがガラガラと開き「失礼します」と聞き慣れた低い声がした。
 振り向くと、俺の幼馴染み兼生徒会長の水原優雨(みずはらゆう)の姿があった。

 え、なんで優雨が? と目を大きくして見つめる俺を優雨はガン無視して隣に立つ。
 男にしては色白の肌と、サラサラした黒髪。切れ長の目を隠すシルバーフレームの眼鏡と、少しの乱れもなく着用したブレザーの制服。背筋をまっすぐ伸ばした立ち姿は、両手をポケットに入れて気怠げに立っている俺とは比べものにならないくらいちゃんとしている。

「わざわざ来てもらってすまないな、水原」

 優雨に向かって担任は申し訳なさそうに眉尻を下げた笑みを浮かべた。

「大丈夫です。僕に話というのはこの馬鹿……いえ、彼についてでしょうか」

 それを隣で聞いた俺は嫌な予感がした。

「あぁ、そうなんだ。水原、お前も自分のことで大変だとは思うが、どうか頼む。小瀬川の勉強に付き合ってあげてくれないか」

「ちょ、先生……」

 俺は少々慌てて、何勝手なこと言ってんですか、と担任に抗議の目を向ける。
 眼鏡のブリッジを指先で軽く上げた優雨は「そのつもりです」とはっきり言った。

「え?」

 俺は驚いて優雨の横顔を見る。が、優雨は俺をガン無視したまま、担任に向かってにっこりとした笑顔を向けた。

「彼のご両親からも頼まれていますから。昔から彼のご両親にはとても良くしてもらいましたし、喜んで引き受けましたよ。それに僕もこの馬鹿……いえ、彼の将来は自分のことのように心配していますので」

 真面目腐った口調の中に、なんか一言多い気がする。

「そうかそうか。いやあ水原がいれば先生も一安心だ。小瀬川、良かったな!」

 いや、何が良かったな、だよ。
 俺は思いっきり顔を顰めながら、すました顔で立っている優雨の横顔をちらっと見た。



「失礼しました」

「失礼しました〜」

 俺は優雨と一緒に職員室を出た。
 優雨は丁寧に挨拶してからドアを閉めると、再び俺をガン無視してさっさと廊下を歩き出す。俺はその後ろを追いかけた。昼休みもあと五分ほどしかなく、廊下には俺たち以外の生徒の姿はない。

「ハァ〜、まじで担任のやつ余計な心配するよなぁ」

「……」

「まぁ俺が楽観的に見られるのはしょうがないけど、俺だってちゃんと真剣に考えてるっつーの」

「……」

「お〜い優雨? さっきから俺のこと無視すんなよ」

 頭の後ろに両手を回して笑い混じりに話しかけていたら、急に優雨が立ち止まった。うおっ、と小さく声を上げて、その背中にぶつかりそうになる寸前で俺も立ち止まる。
 くるっと優雨が振り返った。
 その顔はめちゃくちゃ怖かった。
 あ、やべ、と口元が引きつる俺に無言で優雨は詰め寄ってくる。後ずさった背中が壁に当たって逃げ場を失った俺に向かって、優雨は右手で拳を握り、そしていきなり殴りかかってきた。

 ゴツッと、拳が壁にぶつかる痛そうな音が鳴り響く。
 ぎゅっと閉じていた目を恐る恐る開けた俺は、自分の顔の横に優雨の右腕があるのを見た。これが漫画かアニメだったら壁が陥没するかヒビが入っててもおかしくない勢いだったと思う。
 ひぇっと小さな悲鳴を漏らした俺は、すぐ目の前にある優雨の顔を見た。まるで取り立てのヤクザかよってくらいの凄みがある。

「てめぇ友咲。この大事な時期に俺の時間の邪魔をするとはいい度胸してんなァ」

 これだ、これですよ。絵に描いたような優等生キャラ、という飾りを取り除いた本来の姿。
 今目の前にいる恐ろしい男こそが水原優雨だ。

「いやマジでごめん! けど俺から頼んだわけじゃねぇだろ。担任と親が勝手にお前にお願いしたことだし……あー、いや、やっぱちゃんとしてない俺が悪いか。ごめん」

「……はー」

 素直に謝った俺に優雨はため息をつくと腕を引いた。その拳は無傷だ。

「土曜日の件、心ちゃんから聞いているぞ」

「え、マジ? なんだよあいつ勝手に」

「てめぇのことを心配してんだよ。警察から学校に連絡がいったら兄貴が怒られるからフォローしてあげてほしいって。兄貴が空き家に侵入したのは自分のせいだって落ち込んでたぞ」

 それを聞いて何とも言えない気持ちになった俺は眉をひそめた。怒り顔を消した優雨は腕を組みながら口を開く。

「先に空き家に侵入したのは心ちゃんなのに、そんなことをした記憶が本人には全くないらしいな」

「そうなんだよ。心のやつ、急に様子がおかしくなってさ。まるで何かに取り憑かれてるような感じだったぜ」

 あの日の夜のことを思い出す。
 警察から親に連絡がいったのはもちろん、帰って妹と一緒に母さんから叱られた。逆に楽観的な父さんの方は「不法侵入だけど人助けになったから良かったじゃないか」と言って、母さんを呆れさせていた。

「俺も次の日から体調があんまり良くないし、マジで一回、妹と一緒にお祓いしに行った方がいいかな?」

「お前がマジで心配するべきことは受験の方だろうが」

「ごもっとも。まぁただの風邪の引き始めかも」

「年がら年中半袖短パンで走り回ってても平気なくせに今さら風邪引くかよ」

「いつの話してんだよ。いや、それより優雨。あの空き家で俺が見たものを聞いてくれよ。マジやばかったんだって」

「怪我した男性が倒れてたって話なら、心ちゃんから聞いてるぞ」

「それもだけど、それじゃねぇよ。聞いてくれよ俺の恐怖体験を」

 俺の言葉に、優雨は「なんだそりゃ」と顔をしかめた。

 昼休みも終わるため早足で教室に戻りながら、俺はあの日体験した恐ろしい出来事をざっと語った。
 たくさんの赤ん坊の泣き声。巨大な赤ん坊の目。妹に襲い掛かろうとしてきた黒い影。それから妹が繰り返していた謎の言葉。

「妹が誰かの名前、っつーか苗字を繰り返すんだよ。なんて言ってたかなぁ。のがわ? のざわ? えーと」

「友咲」

 三年の教室がある三階へ続く階段の踊り場で、ずっと無言のまま前を歩いていた優雨が足を止めて振り返る。その顔はものすごく呆れ返っていた。

「お前、夢でも見たんだろ」

 幽霊を信じない奴がよく言う一言を返されて、俺はたまらず苦笑いする。

「まぁ、俺もそうかなって思ってるけど。けどなぁ」

「馬鹿がくだらねぇことに頭使ってんじゃねぇよ」

 きつい一言を吐き捨てて背中を向けた優雨に俺はちょっとムッときた。廊下に出て先を歩く優雨の隣に並んで不満をぶつける。

「優雨お前、さっきから俺のこと馬鹿馬鹿って言い過ぎじゃね?」

「わかった。嫌なら次からはアホって言うよ」

「そういうことじゃねーし」

 優雨はちらっと横目で俺を見てから、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


    ◆

 午前二時という時間帯に目を覚ます。
 ベッドの中。眠りから覚めた俺は枕元のスマホで時刻を確認したあと、仰向けの状態のまま薄暗い自室の天井をぼんやりと眺めた。そうしていると、俺の眠りを妨げた音が再び部屋に鳴り響く。


 ……コンっ、


 それは軽くて小さな音だった。
 俺は寝ぼけまなこなまま音がする方へ首を動かす。その先にあるのは窓だ。カーテンがしっかり閉じられた窓ガラスの向こう。そこから音が鳴っている。

 ……コンっ、……コンっ、……

 虫か何かが窓ガラスにぶつかっているような音に近かった。眉をひそめながらそろりと上半身を起こす。

 ……コンっ、……コンっ、……

 なんだか妙だと思った。ベッドから抜け出して静かに窓へ近づいた。
 カーテンの向こう。窓の外。
 そこにいる〝何か〟に気づかれないよう慎重に近づく。

 ……コンっ、

 窓の前で立ち止まり、カーテンに向かって手を伸ばす。体が緊張して心臓の鼓動が速くなった。カーテンと、その後ろにあるレースカーテンを一緒に掴む。

 ……コンっ、

「っ、……」

 喉をごくりと鳴らし、覚悟を決めて一気に引いた。
 シャッと勢いよく開いたカーテン。
 そこに隠れていた窓ガラスに――

 首から上だけの女の顔が浮かんでいた。

 暗闇にぼうっと浮かび上がる顔は氷のように青白く、そして不気味なほどに真顔だ。中年くらいだろうか。黒い髪はボサボサ、骸骨みたいに頬がこけ、ひどくやつれた見た目をしている。

 ……コンっ、……コンっ、……

 音の正体は、女がゆっくりした動作で窓ガラスに自らの額をぶつける音だった。その動きは、俺がカーテンを開けてすぐにぴたりと止まる。
 女がぬぅっと真っ正面を向いた。
 目が合う。

「――!」

 悲鳴は声にならなかった。
 体が動かせない。
 目を逸らすことも許されず、女の顔に見つめられていると、ふと思った。

 この女が、空き家の二階に現れた黒い影の正体なんじゃないか……?

 根拠のない確信だが、そう信じて疑わない自分がいる。妹に襲い掛かろうとした女が、なぜここにいるのか。何しに来たのか。背筋がひやりと寒くなって、頭の中が恐怖一色に染まった。
 その時、女が唇を動かした。
 無機質な声で、ひとつひとつはっきりと言葉にする。



    ブ
            ジ

        二

   ハ

        ラ

  ミ

    マ

            シ

        タ





「うわぁっ!!」

 自分の悲鳴で飛び起きた。
 部屋が明るくなっていて、枕元ではスマホが起床のアラームを鳴らしている。

「夢……だったのか……?」

 額に触れると、じっとりと嫌な汗をかいていた。
 俺は窓に目を向ける。寝る前には必ずカーテンを閉める習慣をつけているが、なぜか開いていた。

 つまり、それは……
 あれは、あの女の顔は……

「夢じゃねぇじゃん……」

 呆然と呟いたその時、下腹部が痛みを発した。

「っ」

 顔をしかめて腹に手を当てる。……なんだろう。今まで体験してきた腹痛とは違う。言葉にするのが難しいが、内側にぎゅうぎゅうと絞られるような、じわじわとくる痛みだ。


 ブジニハラミマシタ


 女の顔が発した言葉が脳裏に響いた。
 思い出して、気持ちが悪くなる。

 吐き気と食欲不振で、その日はほとんど何も口にできなかった。


    ◆

 五月十四日、水曜日。

 俺の体調はじわじわと悪化していた。腹の具合が良くないせいで食欲が全くなく、朝ご飯は牛乳一杯だけ飲んで家を出る。

「行ってきまーす」

「待って兄貴」

 今日は珍しく心が後ろを追いかけて来て、途中まで一緒に行くことになった。

「兄貴、なんか怖い夢でも見たの?」

 急にそう訊かれて内心どきっとする。

「なんで?」

「だって、夜中に兄貴の部屋からうなされてる声がしたから」

「あ〜」

「昨日からご飯もちゃんと食べてないし、体調悪いの?」

 心が心配そうに見てくるため、適当にはぐらかす。

「昔の不良だった頃の優雨がバット振り回しながら追いかけて来る夢なら見たな」

「なにそれめっちゃいい夢じゃん」

 優雨さん私の夢にも出てきてくれないかな〜と、心は頬を染めてうっとりしている。妹が相変わらずで安心した。


    ◆

 騒がしい教室に入ってすぐ、俺は自分の席に座ってぐでっと机に顔を伏せた。体がだる重くてしんどい。

「おっす友咲」

「おっす〜」

「……おう。おはよ」

 隣の席で駄弁っていた男子生徒二人に俺は顔を上げず挨拶を返した。元気がない俺に気づいた二人がさっそく絡んでくる。

「無駄に高いテンションはどこいったんだよ。あれか。受験勉強のし過ぎで寝不足か?」

「友咲に限ってそれはないって。フツーに漫画かゲームのし過ぎで寝不足なんだろ」

「あそっか」

 隣でけらけら笑う二人をじとりと睨む。

「お前らなぁ。体調悪そうにしてるダチを目の前にしてかける言葉がそれかよ」

「え、友咲、体調不良なん?」

「マジか。明日は大雨だな」

 ぜんぜん心配してくれない二人に、俺は思いっきり口を曲げた。チャイムが鳴り響き、憂鬱な一日がスタートする。

 今日も授業に全く集中できなかった。昼休みも弁当箱を開けたはいいが全く喉を通らず、残すのはもったいないからダチ二人に食べてもらった。明日は台風だとか言われた。


    ◆

「ただいま」

 学校を終えて帰宅した俺はそのままリビングに向かう。するとキッチンに母さんの姿があった。

「おかえりなさい、友咲」

 母さんはキッチンに置いてあるコーヒーメーカーの前に立っていた。今日は在宅勤務だったことを思い出しながら、鞄から取り出した弁当箱をシンクに持っていって自分で洗う。

「友咲、あなたに渡したいものが……あら。なんだか顔色が悪いわね、大丈夫?」

 湯気をたてるマグカップを手に振り返った母さんは、俺の顔を見て心配そうに言った。

「具合悪いなら病院へ行く?」

「あー、まぁ、行くほどでもねぇし、もうちょい様子見るわ。それより渡したいものって?」

 俺は手を動かしながら訊いた。母さんはコーヒーを一口飲んでから言う。

「友咲が助けた男性。彼のご両親がさっきお礼のお菓子を持って来てくれたのよ。息子はしばらく入院するけど元気だって。友咲が発見してくれたおかげで助かりましたって感謝してたわよ」

 と言って母さんは笑った。俺はリビングのテーブルの上に置いてある高級そうな菓子箱に目を向ける。警察から俺の名前と家の住所を聞いたんだろう。顔も名前も知らない他人からこんな風に感謝されるのは初めてだ。

「ふうん」

「あと、息子さんからあなた宛の手紙を預かってる」

「えっ?」

 手紙と聞いて驚いた。

「テーブルの上に置いてあるから。中はあなただけ読んでほしいって。なにかしらね」

 母さんはそれだけ伝えると仕事の続きをするためにリビングから出て行った。
 弁当箱を洗い終えた俺は、菓子箱のそばに置いてあった無地の白い封筒を手に取る。裏面にボールペンで書かれた林田鷹久(はやしだたかひさ)という名前を見て眉をひそめた。


 二階の自室に入り、鞄を勉強机に置いて椅子に座った。そしてのりづけされた白い封筒をハサミで開ける。
 無地の便箋には簡素に『あの空き家で何か見たり聞いたりしていたら俺に電話をくれないか』という文字と、電話番号が書かれていた。

「……この人も、あの家で何か体験したのか?」

 この文章からするとその可能性はありそうだ。顎に手をやってちょっと悩む。
 あの空き家で体験した恐怖を思い出し、そして無意識に部屋の窓を見た。
 顔だけの女。
 あの空き家で見た黒い影が、窓の外にいた女と同一としたら、俺の家まで来ていたことになる。
 なんのために?
 妹に襲いかかろうとしていた黒い影から、俺は妹をかばった。
 あの時、何か体に異変を感じたのを覚えている。それから始まった体調不良。俺は何かされたのか?
 考えがそこに至って、ひやりと背筋が寒くなった。

「この人なら、何か知ってるかもしれねぇよな」

 そうと決まれば。スマホを取り出して電話をする。

『もしもし』

 気怠そうな男の声が響いた。

「えっと、突然すみません。林田さんですか?」

『あ、手紙見て電話くれた感じ?』

「ハイ、そうです。俺、小瀬川友咲っていいます」

『知ってる。俺の命の恩人だしな』

 林田さんは急に明るくなった声で笑った。

『電話くれたってことは、お前もあの家で妙な体験をしたってことだよな?』

「まぁ、そうです」

『それってさ、赤ん坊の泣き声とか、女の幽霊じゃね?』

 俺は目を見開く。スマホを握る手が嫌な汗をかいた。

「……そうです」

『俺と同じか……。じゃあお前も体調崩してるだろ』

「え? ……はい」

 林田さんはため息をつくように、そうか、と呟いた。
 俺はぎゅっと眉間に皺を寄せる。嫌な予感がした。

『やっぱり俺ら、呪われたんだな』

「呪われた?」

『あの家は〝呪われた家〟だ。お前もあの家で幽霊を見てから体調を崩してんだろ』

 呪い。
 この体調不良は、そのせいなのか……?

『そうだ。お前って町田に住んでるんだよな。だったらさ、明日にでもこっち来れねぇか? 俺が入院してる病院、町田にあるんだよ』

「え? いや……」

 急な提案をされて戸惑ってしまう。

『直接顔を合わせて話そうぜ』

「電話じゃダメなんですか?」

『俺、このあとすぐ検査入るから。それに電話だと通話料金えぐいことになるぞ』

 そうだった。俺は少し悩んだが、体調不良の原因を明らかにするためにも、すぐに返事をする。

「わかりました。じゃあ、明日の学校帰りに寄らせてもらってもいいですか?」

『おう、頼むわ』

 林田さんから入院先の病院名と病室番号を聞いた。学校から徒歩で行ける距離の病院だ。
 通話を終えたあと、そのままLINEを開いて、まだ学校にいるだろう優雨に『明日ちょっと行きたいとこあるから付き合ってくれね?』とメッセージを送る。
 一人で行くのはちょっと不安だった。俺はこういう人生に関わる物事について知る時、急にメンタルが弱くなる。
 返事が返ってくるまでの間、制服を脱いで部屋着に着替えたりして待った。そして三十分後に、ぴこんと受信音が鳴る。

〈お断りだ〉

 冷たい一言だった。まぁ想定内である。

「頼むよ帰りラーメンおごるから……っと、送信」

〈どこへ行きたいんだよ〉

「病院、送信っと」

 間が空いた。もしかすると俺が病院で受診すると思っているかもしれない。まぁ病院に行くことに関しては嘘じゃないからいいだろう。

〈体調そんなに悪いのか〉

 やっぱり。

「ちょっとやばい、送信っと」

〈ラーメンとライスだ〉

「さんきゅ。並盛りでお願いします」

〈クソボケ。どっちも大盛りだ〉

 怖いけど根は優しい奴だ。


    ◆

 五月十五日、木曜日。

 放課後。俺は優雨と一緒に学校を出て林田さんが入院している病院に向かっていた。学校から徒歩で二十分はかからない距離だ。その移動中、優雨に林田さんとやりとりした内容をざっと伝えた。

「ふざけんな。心配して損したじゃねぇか」

 隣を歩いていた優雨は急に不機嫌になって文句を言ってきた。

「悪かったって。でも嘘は言ってねぇじゃん」

「うるせぇよ。見舞いならそう言えや」

「言ったら付き合ってくれたのか?」

「付き合うわけねぇだろアホ」

 じゃあ言わなくて正解だったとへらへら笑う俺を睨んだ優雨は、ブレザーのポケットから取り出したソーダ味の棒付きキャンディを口に咥えていきなりガリッと噛んだ。
 優雨はイライラすると飴を噛んでストレスを発散しようとする癖がある。まぁ昔は喧嘩で発散していたから飴の方がぜんぜんマシだ。だけど成人したら飴の代わりにタバコを吸うようになるんじゃないかと俺は密かに心配していた。イラついた顔で口に咥えている白い棒がタバコに見えてくる。

「でも優雨、一緒に来てくれるんだろ?」

「当たり前だ。一度OKしたら断らねぇんだよ俺は」

「知ってるよ。長い付き合いだからな」

 俺がニコッとした笑顔を向けると、優雨は心底嫌そうな顔をして前を向く。そして棒だけになった飴をタバコみたいに咥えたまま言った。

「その林田って男も、お前と同じ恐怖体験を空き家でして、それ以降体調が悪くなってるのか」

「おう」

「その原因は、呪われた家のせいだと」

「そうなんだよ。俺たちは呪われたとか言ってたし、気になるだろ?」

「馬鹿馬鹿しい。普通に病院行って薬貰って治せよ。友咲お前、幽霊とか呪いとかそんな不確かなものを信じる質だったか?」

「幽霊なんて信じてなかったぜ。けどあんな体験したら、流石になぁ」

 思い出しただけでも背筋がぞっとする。優雨は呆れた視線を俺に向けて言った。

「お前が見た幽霊は、巨大な赤ん坊と黒い影だったよな」

「おう。あと、たくさんの赤ん坊の泣き声を聞いた」

 まだ優雨には部屋の窓外に浮かんでいた女の顔については話していない。話したところで「夢だろ」の一言で片付けられるオチが見えているからだ。

「巨大な赤ん坊……か」

 呟き、ちょっと思案顔になった優雨は俺を見てフッと笑う。

「お前、化け狸にからかわれたのかもな」

 えっ? っと足を止めた俺はぽかんとした。そんな俺を置いていく優雨は二本目の飴を口に咥えている。

「いや……いやいやいや」

 俺は小走りで優雨の隣に並び直して、心配そうに言ってやった。

「優雨、お前こそそんな不確かなものを信じる質だったか?」

「アホ。冗談に決まってんだろ」

 優雨はうんざりした顔でガリッと飴を噛んだ。