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2026年、三月下旬。
卒業式を終えたばかりの俺たちに、空き家の解体工事が始まったことを教えてくれたのは湊斗だった。
庭木が全て取り払われた空き家は、屋根瓦と外壁が全て無くなり、中身が剥き出し状態になっている。作業をする重機の騒音と振動が辺りに響き渡る中、俺は優雨と一緒に、その光景を向かいの歩道側から眺めていた。
「床下の穴さ、絶対にバレるよな」
ふと思って隣に立っている優雨に言った。優雨は棒付きの飴をタバコみたいに口に咥えたまま、関心なさげに「まぁバレるだろうな」と呟く。
「どうすんだろ。できれば埋めて欲しいけど」
「工事を中断させるほどのことじゃなければ埋めちまうだろ」
俺たちはこの春から都内にある別々の大学に行くことが決まっている。そして春休みから稲上さんの喫茶店でバイトを始めた。今日もこのあと優雨と一緒にバイト先へ向かう。
数日前に、優雨と湊斗の三人で焼肉食べ放題に行ってきた。二人の分はお礼を込めて俺が奢った。
食べながら湊斗に「安希さん元気にしてる?」と訊いたら、「今まで通り変わりなく元気に過ごしてますけど」と、相変わらず素っ気なく返された。
食事を終えて原町田中央通りの交差点で信号待ちをしていた時に、俺の隣にベビーカーを押した女性が並んだ。ふと下を向くと、ベビーカーの中にいた赤ん坊と目が合った。ご機嫌そうにニコニコ笑っている赤ん坊を見て、可愛いな、と心の底から思って自然と笑みがこぼれた。
そこで俺は、この体の中で生きていた子供のことを考えた。
激痛に襲われる意識の中で、確かに感じた。腹の内側を蹴って、外に出たがっている小さな存在を。
俺の腹を突き破って産まれてきたとして、その子供はちゃんと人間の姿形をしていただろうか。
ちゃんと呼吸ができただろうか。
泣き声を上げることができただろうか。
そんなことを考えて、悲しいような、苦しいような、なんとも言えない気持ちになった。
「そろそろバイト先に向かうか」
優雨は空き家に興味を失ったように背中を向けて歩き出す。俺も優雨の後に続いた。
途中、足を止めて振り返る。近くに咲いていた桜の木から花びらが舞った。綺麗だ。そんな視界の中で、空き家はこの世から消えていこうとしている。その光景がなんだか物寂しい。
目の前の光景をじっと見つめる。
ほぼ原型を失った家。あそこに家が存在し、そこに人が住んでいた過去は、数年もすれば忘れ去られてしまうだろう。
でも俺はずっと覚えている自信がある。空き家で体験した恐怖も。呪いを解くために奔走した日々も。洞窟内での出来事も。お腹の中にいた確かな存在も。
そのすべてが、忘れたくても忘れられない記憶となって、俺の脳に刻まれている。
最後にじっと目に焼き付けた。
急に吹いた強い風が前髪を大きく揺らし、花びらが上へと舞う。顎を上げると、濁りのない澄み切った空が視界いっぱいに広がった。なんだかあたたかい気持ちになって、思わず笑みがこぼれる。
優雨が俺の名前を呼ぶ声がした。
再び空き家に背中を向けた俺は、離れた場所で待ってくれている優雨のもとへと駆け出した――。

