◇
「アレは僕が壊そう。僕ならなんとか出来ると思う」
困惑する俺を尻目に、稲上さんは迷うことなく呪物へと近づいていく。
ミイラの目の前で立ち止まった稲上さんは地面に落ちていた斧を拾うと、振り上げ、躊躇わずに思いっきり振り下ろした。また見えない力が発動するかと思ったが、しかし今度は何も起こらない。
ゴツッと重い音が響き、そして――
ギャァアアアア゛ア゛アァァ!!!!
ミイラから恐ろしい悲鳴が上がった。
◆
痛い痛い痛い痛い。
腹が焼けるような激痛。まるで内側から強く蹴られているような衝撃。口の中が血の味でいっぱいだ。あまりの激痛に倒れ込み、悶え苦しんだ。
はらみ はらむ
はらみの……
繰り返される呪文。その呪文に反応しているかのように、内側から殴られる衝撃が止まない。
腹の奥深くに蠢くモノが外に出たがっている。
腹を突き破って、出てこようとしている。
「ゴホッ!」
胃が大きく震えて、また血を吐いた。
俺は背中を丸めてゲホゲホと咳き込む。うまく呼吸ができなくて苦しい。徐々に痛覚が麻痺し始めた。仰向けになってぐったりと全身から力を抜く。腹部を押さえていた手を顔の前にかざすと、血でべっとりと濡れていた。
朦朧とする意識の中、俺は死を覚悟する。すると脳裏に浮かんだのは、ここまで付き合ってくれた幼馴染みの姿だった。せめて最期にちゃんと「ありがとう」を伝えたかった。それが心残りになりそうだ。
顔の前にかざしていた手のひらを下ろすと、天井にぽっかりと開いた穴が、ぼやけた視界に映る。
おぎゃあっ
突然の、異変。
どこからか赤ん坊の泣き声がしたかと思うと、泣き声は一人、二人、三人と、どんどん数を増していく。
最終的に泣き声は呪文の声をかき消す音量になった。そして外の景色を映し出していた穴を塞ぐように、横からぬっと現れた物体を見て俺は驚く。
――巨大な目玉だ。
空き家の二階の窓から覗いていた巨大な赤ん坊の片目が、今度は洞窟内を覗いている。まるでケージの中にいる小動物を、上から覗き込んで観察しているかのようだ。
俺は目玉を見つめた。
目玉も俺を見つめていた。
いつの間にか赤ん坊の泣き声が止み、呪文の声も聞こえなくなっていた。やがて巨大な目玉が穴の枠外に消えていくと、遮られていた月明かりが再び洞窟内を照らす。地面に大の字になってぼーっとほうけていた俺は、あれっ? と思った。
「……痛く、ない?」
あれほどあった痛みが嘘のように消えている。ゆっくりと上半身を起こし、血塗れの服を恐る恐るめくって腹部を確認すると、肌には傷口ひとつ見当たらなかった。
「……? どうなって、」
ギャァアアアア゛ア゛アァァ!!!!
恐ろしい女の悲鳴が聞こえてきて、ビクッと肩が跳ね上がる。慌てて前方を見ると、少し離れた地面にしゃがみ込んでいる優雨の後ろ姿があった。
その更に奥、呪物のすぐそばに稲上さんが立っている。稲上さんは両手に持った斧の刃先をミイラに向かって何度も何度も振り下ろしていた。
ガンッ、ガンッ、バキッ、バキバキッ!
ミイラの体が仏壇のような箱と一緒に無茶苦茶に壊されていく。俺はその光景を呆然と見つめることしかできない。
やがて破壊音が止み、稲上さんは両腕を力なく下ろした。一仕事終えたかのように肩で大きく息を吐き、振り返る。
「呪物は無事に壊せたけど。これで呪いは解けたのかな?」
俺を見て確認するように言った。俺は稲上さんのセリフを頭の中で何度も繰り返し、痛みが消えた自身の腹にそっと手を当てる。
えっと、つまり俺は、
助かった、のか?
「友咲!」
ハッとした。駆け寄ってきた優雨が俺のすぐ目の前に両膝を突くと、必死になって声をかけてくる。
「だっ、大丈夫か!? 待ってろ、すぐ救急車を――」
「優雨」
目の前であたふたしている優雨を見て、なんとも言えない熱い感情が込み上げてくる。
衝動的に優雨の体を引き寄せて抱きしめた。背中と後頭部に手を回してぎゅうっと力を込める。突然のことに優雨は言葉を飲み込んで困惑していた。
しばらくして両手を下ろし、優雨の顔を真っ正面から見てへらりと笑う。
「マジで死ぬかと思ったけど、助かったんだな、俺」
「お前、腹の怪我は……?」
「それが魔法みたいに傷が消えてるんだよ」
優雨はぽかんと口を開けている。俺は無理もないと笑いながら頭上にある穴を見た。
あの巨大な赤ん坊――なきゐ様が、俺の傷を癒やしてくれたのかもしれない。そう思った。
「優雨」
優雨に視線を戻した。まだクエスチョンが抜けていない優雨の顔を見つめて、今なら迷うことなく伝えられる言葉を口にする。
「ありがとう」
優雨の目が大きく見開き、緊張がとけたように表情が緩む。
「やっと言えたな……ばか」
そう言って、心底嬉しそうに笑った。
安希さんが目を覚ましていることに気づいた俺たちは彼女の元へ向かう。俯いたまま頭を押さえていた安希さんに「大丈夫ですか」と声をかけると、驚いた顔が俺たちを見上げた。
「二人とも、どうしてここに……?」
「俺たちも呪物を壊しに来たんです」
俺がそう答えると、安希さんはハッとしたように呪物があった場所に顔を向ける。俺もつられてそっちを見ると、ぐちゃぐちゃに破壊した呪物のそばにしゃがみ込んでいる稲上さんの姿があった。何か気になるのか、ミイラの折れた腕や割れた頭部を触っている。よく平気で触れるなとちょっと引いた。
「呪いが解けてる。よかった……」
そう呟いた安希さんに視線を戻すと、彼女は俺の腹部を見て安堵の笑みを浮かべていた。
と、その時だった。
大勢から見られているような視線を感じた。それは優雨と安希さんも同じだったようで、俺たちは揃って同じ方向を見る。洞窟の奥の一箇所。そこに集まった子供たちの姿があった。
二十人、いやもっとか。十歳未満くらいで全員が古い着物を着ている。突っ立っているその姿は半透明だ。どの子も無表情のまま無言の視線を俺たちに注いでいる。
「あき姉!」
湊斗の声がした。
この空間に入って来た湊斗が必死な顔をして駆け寄ってくる。慌てて立ち上がった安希さんが、目の前で立ち止まった湊斗と向き合った。
「ミナちゃん、どうしてここが分かったの?」
安希さんからの問いかけに対し、湊斗は困ったように眉を下げる。
「それが、空き家の前で出会った女の子がここまで案内してくれて……あ」
湊斗の後ろからその女の子がひょこっと顔を覗かせた。
安希さんが、あっ、とまるで知っているかのような反応を見せる。俺も見覚えがあった。優雨と一緒に空き家の近くまで行った時に、森の中に佇んでいる女の子を見た。その子が今、目の前にいる。
女の子は嬉しそうににっこりと笑ったかと思うと、子供たちの方へ向かってパタパタと走っていった。その姿を悲しそうに見つめる安希さんに、湊斗が言う。
「あき姉。一緒に帰ろう」
安希さんは湊斗に視線を戻した。湊斗は真剣な顔をしている。安希さんは何故か迷うように目を伏せた。湊斗は静かに言う。
「ここに辿り着くまでの間に、あの女の子が話してくれたんだ。森や、自分たちのこととか、いろいろ。あき姉の正体も教えてくれた」
安希さんが息を呑む。湊斗は気にせず続けた。
「信じられない話だったけど、それが本当だとしても俺は気にしない。俺の知ってるあき姉に変わりはないんだし。それにあの女の子も、あき姉には外の世界で楽しく生きてほしいって言ってたよ」
湊斗の言葉に目を見開いた安希さんは女の子の方を見た。他の子たちの輪に加わった女の子は安希さんを見てニコッと笑うと、お別れをするように手を振っている。
「ありがとう……。みんなの分まで私、ちゃんと生きるね」
安希さんは泣き顔に笑みを浮かべて感謝を伝えた。それを聞いた湊斗は安心したように表情を緩める。
すると子供たちから色が抜け落ちていき、そしてあっという間に消えてしまった。
「これで一件落着かな」
先程まで子供たちがいた場所を眺めていると、稲上さんが声をかけてきた。いつの間にか俺たちの背後に立っていた稲上さんは、片手に斧をぶら下げたまま、穏やかな顔に笑みを浮かべている。
「ここにもう用はないし、地上に戻ろうか」
◆
地上に戻ってきた俺たちは、畳を元通り綺麗にしてから外に出た。新鮮な空気を吸って開放感に浸りながら、今何時だろうとスマホを見ると、家族から着信とメッセージが大量に届いていて青ざめた。優雨と湊斗もスマホを見て顔が引き攣っている。
早く帰りたいところだが、俺の服は血塗れで酷い有様だ。このまま帰ったらヤバい事件に巻き込まれたと大騒ぎになるだろう。
頭を悩ませていたら稲上さんが「みんな僕が車で送るから。友咲君はコンビニで着替えの服を購入するといいよ」と言ってくれた。
稲上さんに感謝した俺たちは近くに停まっていた五人乗りのバンに向かい、安希さんが助手席、後部座席に湊斗を真ん中にして乗り込んだ。途中コンビニに寄ってもらった俺は新しい服に着替えることができた。
東京方面へ向かって走行する車内では、今回の件に突如関わってきた安希さんと稲上さんに関する話になった。
まず先に、安希さんが自身に関することを明かしてくれた。安希さんが、今回の呪いによって産まれてきた子供のうちの一人だと知った時は心底驚いた。産まれた子供が安希さんのように普通の人間と変わりなく成長していることを知った俺は、なんとも言えない気持ちになって、無意識に腹に手を当てていた。
「あの呪物には結界がはられていて、壊すことが不可能だったの」
と、安希さんは言った。実際に安希さんと優雨は呪物を壊そうとして弾き飛ばされている。それなのに、稲上さんは容易くアレを壊してしまった。なぜそんなことが出来たのか。
稲上さんは話したくなさそうだったけど、みんなから説明を求められると、諦めたように口を開いた。
「実は僕、呪いで死ぬことができない体になってるんだ」
言うまでもなく全員がぽかんとなった。軽く苦笑した稲上さんは「話半分で聞いてもらっていいよ」と前置きしてから語り始めた。
◇
僕は二十一歳の時に〝死ぬことができない呪い〟をこの身に受けた。
どこで誰に呪いをかけられたのか。それについては話が長くなるから今回は割愛させてもらう。このまま簡単に僕について知ってもらえるよう話を進めさせてほしい。
包丁で喉を刺しても、ビルから飛び降りても、拳銃で頭を撃っても、全てが見えないバリアのような力に守られるため、体には全く傷がつかない。呪われたその日から病気にかかることもなくなった。
加えてこの呪いは老いまでストップさせてしまったのか、僕の容姿は二十一歳の時から全く老けていない。今年で四十三歳になると言ったら、車内にいる全員から疑いの目を向けられたため、僕は証拠に運転免許証を見せた。代表で受け取った湊斗君が確認をして「マジですね」と驚きを滲ませた声で呟いた。
三十代の頃は周りを騙せたけど、四十代に突入するとさすがに誤魔化しが利かなくなってくるのが悩みの種だ。
怪我もせず、病気にもならず、老いることがない。それは一見羨ましいと思われることでも、僕にとっては大きな苦痛だ。
この呪いが不老不死のような力を持っていたら。呪いが解けない限り永遠に明日が続く。下手したら百年、二百年と続く日々を、一人孤独に生きるしかない。それはもう生き地獄だ。
二十代の頃はこの身の呪いを解く方法を見つけようと奔走していたが、三十代でほぼ諦めた。その代わり、別の方法を考えるようになった。
呪いには、呪いを。
不老不死の呪いよりもさらに強力な呪いにかかって死ぬこと。それ以外に解放される方法はない。そう考えて、ネットやオカルト雑誌なんかに載っている呪われた場所に足を運んだ。他にも所持すると呪われる呪物を買い取ったり、呪いのまじないなども試した。海外にも行った。
とにかく得た情報全てを片っ端から試したが、結果はどれも効果無し。今回の呪いを含めて、この身の呪いを上回る強力な呪いは見つかっていない――。
僕についてはこれくらいにして、話を『今』に戻そう。
なぜ僕が地下洞窟にいたのか、その理由を話す。
「食材の仕入れ先から車で店に戻る途中だったんだけど、あの家が前方に見えてきた時に、森から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたんだ。妙な胸騒ぎがしたから車を降りて空き家まで様子を見に行ってみたら、庭木の隙間から懐中電灯の灯りが見えてね。僕はその時、君たち二人が中にいるんじゃないかと思ったんだよ。空き家のことについて調べていたから」
僕はあの時、初めて森の泣き声を聞いた。そしてその泣き声は僕に、何かを訴えかけているように感じた。
導かれるように家の中に入った僕は、地下洞窟の穴を発見した。ここまで来たら確認するしかないと決めて洞窟の奥に進み、そこで倒れている女性を発見した。どうしようかと悩んでいたところに、二人が来て――という流れだ。
僕はこう思う。
僕は呪物を壊すことができる唯一の存在だった。そんな僕を空き家まで呼び寄せたのは森の泣き声――なきゐ様の声だ。
なきゐ様が手助けしてくれた。そう思っていいんじゃないだろうか。
「あ、そうだ優雨君。バイトの件なんだけど」
車が町田市に入ったタイミングで、僕は彼にバイトの件について話を振った。
「君は受験生で大事な時期だしね。バイトは来年の春からでどうかな?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
バックミラー越しに見えた友咲君は目を丸くしていた。何も知らない彼に、優雨君が僕の店でバイトをすることになった理由を説明した。今更だが、友咲君の生死がかかったあの状況で取引的なことをするなんて、我ながらひどい大人だと思う。
友咲君は眉をひそめると、ちらっと彼の横顔を見た。そして再び僕に視線を戻して言った。
「あの、稲上さん。優雨の代わりに、俺が働くのはダメですか?」
「おい。合意したのは俺なんだから、お前は関係ないだろ」
優雨君の不機嫌そうな声が響く。
「関係ないってなんだよ。またそうやって自分一人でやろうとすんの、優雨の悪い癖だぞそれ」
友咲君も不機嫌になると、気だる気な顔をした湊斗君を挟んで言い返す。
「はあ? 誰のためにしてやったと思ってんだ」
「俺のためだろ。だったら俺にも関係あるし。優雨が代わる気がなくても俺は働くからな」
「いい加減にしねぇとその口黙らせるぞ」
「いい加減にすんのはそっちだろ。この強情メガネの頑固野郎め!」
「テメェ上等だ、喧嘩売ってんなら買うぞ!」
「先輩たちうるさいです。俺を挟んで喧嘩しないでくれます? てか会長ってそんな乱暴な喋り方する人だったんですね」
「うっ……姫宮、聞かなかったことにしてくれ」
僕は思わず笑ってしまった。仲がいいなぁと微笑ましく思う。
もともとバイトは二人募集する予定だったと友咲君に伝えると、助けてもらったお礼にということで彼も働くことになった。優雨君は呆れていたけど何も言わなかった。
何はともあれ。
彼らを苦しめていた長い呪いの物語は、この夜、無事に終わりを告げた――。

