この前のことで急速にKyo君との関係が縮まったかのように思えたけど、現実はそんなに簡単にはいかない。
結局月に一度の配達で交わす会話といえば「体調どうですか?」「声マシですか?」「残薬預かりますよ。」という私の3種類の言葉に「大丈夫。」「あんま」「これ、よろしく」という答えに「いつもありがとう。」という挨拶がつくぐらいだ。
少し薬が減ったり増えたりしながら、大体量が減ってきたので、だいぶ調子を取り戻してきているのかもしれない。かと言って、本人が言うように歌えるかどうかは別問題というところが難しい。本人の体調が良くなったからといって、focusとして歌えるかどうかはわからないのだ。
どれだけ心配したとしても、薬剤師でしかない私には何もできないし、かと言ってファンを全面に押し出していくのは違うし、まぁ向こうだってそれは困るだろうし。いろいろしてあげたい気持ちはあるけど、母親面するのはもっと違うし。最終的につかづ離れずの距離というか、一般的な患者と薬剤師に収まっている。
医者だったら、「困った時にこちらにご連絡ください。」とかって、連絡先渡せるのかなぁ〜と悶々としながら日々の業務を過ごすうちに気づけば1年が過ぎようとしていた。
その日はクリスマス数週間前だった。
サクラに誘われて、ライブを見にそこそこの大きさの箱で待ち合わせをしていた。
私は、focus以外に特に興味がなかったこともあって、この一年はライブハウスに足を運ぶこともなく過ごしていたが、一方サクラはライブのない人生なんてつまんない!と標榜しているだけあって、focus以外のバンドのライブにも足繁く通っていたようだ。
今日は、その中で今一番の推しというバンドのライブに誘ってもらった。バンド名はメル。サクラ曰く、音とか声とかよりもビジュが最高にいいバンドらしい。
予定も無かったし、誘われるままに参加したライブはしかし全然興味惹かれなかった。
初めて見たバンドメンバーは、とても綺麗な顔立ちをしている人たちばかりで、ボーカルやギター、ベースはもちろんのこと、ドラムだって女かと見まごうほどの美しさ。いや、私なんかは完全に負けたかもしれない。
ライブだって、そこそこの整番で入ったせいもあり、周りはメルのコアなファンに囲まれて熱気もすごかったし、顔だけという割には音楽だって、激しかったり優しかったりのいろんな音を持っていて、結構良かったように思う。語れるほど音楽について何かを知っているわけじゃないけど、きっとこのまま大きな舞台まで駆け抜けていくんじゃないかと思わせられるような、そんなバンドだった。
けれど、音楽の方向性も、メンバーの構成だって、どことなくfocusに似ている。でも、似てる分だけ余計にfocusと比べてしまう。
きっとKyo君だったら、こんな風に声を出してた。MCでは優しく微笑んでた。みんなの煽りはこうだったはず…
結局はfocusとの違いばかり目について、ちっとも楽しめなかった。
ライブが終わると、サクラは上がったテンションのまま、どの曲が良かったとか、誰のMCが面白かったとか、ライブの感想を捲し立てるように話してくれるけど、曖昧にしかうなづくことができない。
「focus以外にも良いバンドあるよ?やっぱりfocusじゃなきゃダメ?」
何を言っても反応の薄い私を気遣って、サクラが優しく声をかけてくれる。
「そうゆうわけじゃないんだけど…」
初めてこの世界の楽しさを教えてくれたのがfocusだった。初めて会ったその日からKyo君の声に、みんなのサウンドに惹かれ、フリだっとか何も知らなかったところから覚えていって気づいたら、どっぷりハマってた。ここ数年の私の歴史はfocus抜きでは語れなくて、いろんな初めてが会った分、心の奥に刺さったままそれを抜くことも、違うものに置き換えることもできないでいる。
『いっそのこと、解散してくれれば諦めがつくかも』
フォローワーさんが呟いた言葉が忘れれない。
いつまで続くかわからない、活動休止。いっそのこと全てを無くしてくれた方が、ファンとしては楽になるかもしれない。けれど、必死にもがいているKyo君を知っている私は、その言葉にも賛同することができない。
どっちつかずで、揺れ動く私の心。
かといって、誰かに話せるわけでもなく…。
深く息を吐き出そうとしたその時、ピロリンと私とサクラの携帯が同時になる。
二人同時に音が鳴ったことに何か意味があるような気がして、慌てて携帯を取り出してみると、そこには「focusからのお知らせ」とタイトルされた配信がポップアップで表示される。
私達が顔を見合わせると、一息吸い込んだ後、頷き合ってから自らの携帯に視線を落とした。
さて、これは吉報か凶報か。
世間は後数週間でクリスマス。クリスマスライブで復活なんてことになってくれたら最高なのにと、思いはよぎる。
震える冷えた手にスマホはなかなか反応してくれず、ポップアップされた画面を何度もタッチするが、反応が遅い。やっと画面が遷移しても、読み込むまでの数秒がやけに長く感じる。じっとが面を凝視する私の横で、サクラが小さく声を漏らした。
「嘘…」
その声に返事をするより、自分のスマホの画面に文字が映し出されるのが早かった。
全文は頭に入ってこない。けれど、Kyo脱退 新生focusの文字が目に入ってきて、頭の中で警鐘を鳴らしている。
これは…どうゆうこと…?
気づいた時には私は走り出していた。後ろで「くるみちゃん!どこ行くの!?」という声が聞こえたけれど、振り返ることもせずにただ夢中で走り出す。
気づいた時には一番近い駅から電車に乗っていた。
私は、今Kyo君に会いに行かなければ。論理的ではない強い感情に突き動かされるようにしてここまでやってきたが、実際会ってどうするつもりなのかはわからない。
電車に乗っって一息ついたせいか、携帯が何度も鳴っていたことを思い出す。
見ればサクラからの電話や、メッセージだった。
簡単に謝りのメッセージを入れておく。
携帯をマナーモードに変えて、肩掛けのカバンの奥深くにしまいこむ。
今は誰にも邪魔されたくなかった。
小さく深くを息を吐き出してから顔を上げると、窓のガラスに反射している無表情な私の顔が映るだけ。地下を走る電車の外は、何もない暗い空間が続いている。
Kyo君に会って、一体何を言おう。私は…私にできることは…
考えて考えて、冷静になったことに、Kyo君の家の最寄駅についた。
さっきまでの勢いとは打って変わって、ゆっくりと下車する。
改札を抜ける前に力尽きて、駅のホームにあるベンチに座った。
私みたいな部外者が行っても何も出来ない。行くことは無意味だ。それに、たまたま仕事で相手の家を知っただけ。押しかけるなんて、ファンとしての行為としても、職業柄の好意としてもあまりにも不適切だ。
さっきいたライブハウスからKyo君の家がもっと近かったら良かったのに。そうすれば、勢いのまま家に駆けつけて、思いの丈をぶつけることができた。でも、一度冷静になってしまったら、そんなことするなんて、もうできない…。
顔を伏せて、膝を抱き抱えるようにしたまま動けずに、もう何分経っただろうか。いや、何十分経ったんだろうか。ふと視線に気がついて顔を上げると、そこには帽子を目深に被ってマスクをしたKyo君が経っていた。
「なんで…?」
「ほら、そのほくろでわかった。」
私は慌てて生え際を両手で覆い隠す。
「そうゆうことじゃなくてっ!」
赤くなって慌てる私を見て、Kyo君の目尻が下がる。あ、笑った。
「今、事務所の帰り。お前は?何してんの?ライブ帰り?」
確かに私は、ライブ帰りの格好だ。メイクだって普段と違ってばっちりしてるし、服装だって普段の仕事着とは違ってパンクよりだし、手荷物も極力減らしてる。タオルは首にこそかけていないけれど、カバンには結んであるし、わかる人が見ればライブ帰りの格好だった。ステージの上から私たちをよく見ていたKyo君には、そりゃもうはっきり私がライブ帰りだってわかるだろう。
けれど、好んでfocus以外のバンドに行っていると思われたくなかった。待てができない子だなんて思われたくない。
「今日たまたま、友達に誘われただけで!」
慌てて取り繕う私を見てKyo君はつまらなさそうに言う。
「別にどんなライブ見ようが、お前の好きにしたら良いじゃん。」
「私は!私は…focusの復活を待ってるんです…。」
声がだんだん小さくなっていく。最後は、もう消える寸前の声だった。
そう、私はfocusの復活を待っている。でも、それはもう叶わない。focusは新生focusとなり、そこにはKyo君はいない。Kyo君のいないfocusなんて、それは私にはfocusじゃない。
涙がこぼれそうになって、慌てて顔を伏せる。
無言の私たちの間に、ホームのアナウンスが響き、その後に電車が入っていく音がする。
ドアが開くとたくさんの人が降りてきて、ガヤガヤと改札に向かう人の列と、電車に飲み込まれて行く人の列が混ざり合う。いっときの騒音を撒き散らして、電車は再び走り去った。
私たちの二人の空間だけが、まるで切り取られたかのように、だけがただ静かに取り残されている。
「ファンクラブの案内、見たのか?」
静かなkyo君の問いかけに、私は静かに頷く。
Kyo君はため息をつくと、優しく言ってくれた。
「いつまでもここにいてても困るだろ。暇だったら、俺んち寄れ。」
驚いて顔を上げる私に、「ほら、行くぞ」と、改札に向けて歩き出す。
このまま本当についていって良いのかと一瞬思ったけど、置いていかれても悲しいので、慌ててKyo君の後を追いかけた。
Kyo君の家に着くと、私は以前と同じようにリビングに通されソファーに座っていると、ホットココアを目の前に置かれる。
ここまでの道中は、当たり前だけど、何か会話があるでもなく、どんどん先を歩いていくKyo君に後ろからついて行くのが必死で、寒い夜だというのに少し汗ばむぐらいのポカポカした体になってしまった。だから、正直ホットココアよりも冷たい麦茶をぐいっといっぱいやりたいくらいだったけど、Kyo君の優しさが嬉しくて、そっとマグカップを両手で包み込む。
「ここに来ると、いつもココアを貰う気がします。」
「お前、ココア嫌い?」
「いえ。好きですよ。でも、Kyo君がココア淹れてくれるっていうのが不思議です。」
「俺、甘いもの好きだから結構飲むよ。そもそも、女子ウケしそうなものがココアしかないってのもあるけど。」
「女子ウケって…ふふっ。」
いつだって、女の子をキャーキャー言わせていたKyo君から女子ウケなんて言葉が出てきたことに、笑いが溢れる。体が温まったせいもあり、少し心もほぐれて来たのかもしれない。
Kyo君は自分用に入れたココアのマグカップを持って来てテーブルの端の方に置くと、自分もカーペットの上に直接腰を下ろした。
「で?お前、駅で何してたの?」
「あ〜…なんていうか…お恥ずかしいんですが…友達と行ったライブ帰りにfocusからのお知らせを見ていても立ってもいられなくて、ここまで来たんですけど…一ファンの自分が何してるんだって、駅で我に帰ってから動けなくなったというか…自分でもよくわかんないんですけど…」
お知らせを目にした時の衝撃と衝動を上手に説明できなくて、しどろもどろになりながら話をする。
「あのままだったら風邪引いてただろ。風邪には気をつけろよ。」
「はい…」
そのまま沈黙が支配する。私から聞いて良いんだろうか。それとも、それは出過ぎた真似だろうか。ぐるぐると考えている間もKyo君は無言で、自分のマグカップを見つめ続けている。
「あの…歌、もう歌わないんですか?」
「歌うよ。歌いたい。」
「じゃぁ、なんで…?声だって、だいぶ良いですよね?今だって、普通の喋れてる。今日だって、外出もできてるし、何が問題なんですか?」
「何が問題か…?それがわかったら、俺だって困らない。」
Kyo君はゆっくりとココアを口につける。私も同じように口につけると、優しい甘さの後に、苦味が口の中に広がっていった。甘いけど、苦い。それは、今この二人の空間でもあり、人生そのもののような味わいでもあった。
「…いろんなことがだいぶよくなった気がして…ほら、買い物にだって出られるし、声だって普通に話す分には大丈夫だから…俺だってもう良いかなって、最近はボイトレだって始めてた。お前に言われたようにまず楽しもうって。でも、歌ってると時々声が出ないことがフラッシュバックして、それ以上歌えなくなる。何曲か歌える時もあれば、1曲だって最後まで歌えない時もある。不安定なんだ。」
「そんな…」
「正直、いつになったら治るとかは医者でもわからないって言われた。じゃぁ、いつまであいつらを待たせる?俺らだってそんなに若いわけじゃない。結果残せなかったら、他に仕事を探すように親からせっつかれてる奴もいるんだ。活動できなかったら結果も何もないだろ。」
「だから…?」
「そう。だから、一旦俺は抜けることにした。あいつらの音なら、誰がボーカルでもきっとやっていける。一からバンドを組み立てるなら、少しでも早いほうがいいに決まってるし。」
「それで?それで、Kyo君はどうするんですか?」
「…正直まだはっきり決まってるわけじゃない。バンドを組もうにも、今のままじゃろくに歌えないから迷惑かけるだけだし。ソロとかやる実力はまだないし。とりあえず、事務所は歌えるようになったらもう一回戻ってこいって言ってくれたけど…ま、まずはバイトを探すところからじゃね?で、一からの出直し。」
いつも通り、あっけらかんとKyo君は事実を口にする。もう何も拘ってないというように。自分は全部受け入れてるとでもいうように。でも、きっと心の中は痛くて、しんどくて、もうボロボロなんじゃないかな。顔だってやつれているように見える。けれど、Kyo君はいつだって優しくあろうとしてくれる。
思えばライブだってそうだった。激しい曲では煽って、煽って、煽りまくるけど、最後にはやっぱり優しいし気遣ってくれる。包み込むようなバラードの優しさに私は癒されたし、惚れ込んだんだ。
声が出ても、出なくてもKyo君の本質は何も変わらない。いや、ライブでのKyo君しか見たことのない私は、彼の一面しか見ていなかったのかもしれない。ちょっと弱ってる時を知っているからといって、私は彼の本質なんて全くわかっていないのかもしれない。それでも、今まで見せてくれたKyo君がKyo君の一部であるならば、それだけでこれからも応援し続けるだけの価値はある。
「昔から、そして、今も、これからも、私はKyo君のファンで居続けますよ。」
「お前…」
「歌えるまで、ずっと待ってます。だから、あきらめないでください。私は、Kyo君のかかりつけ薬剤師ですからね。健康のこと、心のこと、もちろん声の調子だって、どんなことだって相談に乗りますよ。ま、わからないことも多いですけど。けど、一緒に調べたりしていきましょう。」
Kyo君の目を見て、真っ直ぐに私の思いを告げる。
少し驚いた顔のKyo君は、私の言葉を染み渡らせるようにゆっくりと瞬きをすると、次に目を開いたときには、とても穏やかな顔になっていた。
右手を伸ばして、私の分目のホクロあたりに触れてから、そっと髪を撫でてくれる。
「ファン一号のお前がいるから、きっと俺は頑張れる。」
自分に言い聞かせるように、しっかりと宣言する。
「はい、きっと大丈夫です。」
私の髪を撫でてくれる優しい手に、私の手をそっと乗せると、私の手を絡め取って自分の方に引き寄せる。その拍子にバランスを崩してKyo君の方に倒れ込みそうになる私の肩をそっと抱き止めてくれて、見上げた私とKyo君の視線が絡まり合う。そのままどちらからともなく顔が近付いていったときに、突然私の携帯のアラームが鳴った。
ピロリロピロリン
けたたましくなり続けるその音に、Kyo君はびっくりしたままだし、私は恥ずかしすぎてどうしようもない。たいして中身が入ってないバックなのに、焦るせいでなかなか携帯を見つけられなかった私は、ガサゴソと何回もバッグの中身をかき回すようにしてやっと携帯を見つけ出し、アラームを止める。
「すみません…明日も仕事なので、夜遊び過ぎないように一応のアラームをかけてまして…」
「いやいや、大丈夫。」
Kyo君が苦笑している。
せっかくいい雰囲気だったのに、アラームのせいでそんな雰囲気はぶち壊し。今更白けた空気をどうすることもできなくて、私も言葉を継ぐことができない。
「連絡先、教えて。」
Kyo君は自分のメッセージアプリの連絡先を表示すると、私に読み取らせてくれル。私もお返しに同じように操作する。Kyo君に憧れ続けて5年。私の事なんて認識すらしてもらえないただのファンと偉大なボーカルだって思ってた。それが、患者さんとして出会い、Kyo君がバンドという居場所を無くした日に、ただのファンとボーカルでは無い関係として、初めて二人の間がつながった気がした。
今日という日は、きっとKyo君にとっては最もしんどい日だったに違いない。人生チャートで言うとどん底の方。今まで大切にして築いていたものを手放す覚悟をみんなに伝えた日。その一方で、私にとっては、バンドのボーカルとファンいう関係から一歩も二歩も進めて、夢見たいな願いが叶って幸せな日?ううん、違う。これからもKyo君を支えるという、覚悟をした日。
「これでなんかあったら俺からも連絡するから。だから、お前はもう帰れ。明日は仕事なんだろ?」
「あ、そうなんです。早番で…」
「早番?」
「開店準備とかしなきゃ。」
「じゃぁ、早く帰って寝な。」
「はい…。」
早く帰れと言われると、急に立ち去りがたくなる。長居ができる関係として許されたかどうかは甚だ怪しいけれど、このまま自分の失態のままそそくさと帰るのは嫌だなぁ。かといって、何かで挽回することもできない。
仕方なく、残りのココアを飲み干すと立ち上がった。
「あの、コップ洗って帰りましょうか?」
「洗っとくから大丈夫。」
なけなしの提案も、すげなく断られて撃沈する。
私がもう少しし居たがっていることに気づいたのだろうか、玄関まで私を送ってくれたKyo君が、靴を履く私を待ちながらそっといってくれる。
「仕事が休みの日の前日にまた来ていいから。」
「え…?」
驚いて顔を上げると、素早く顔が近付いてきて、あっさりと唇を奪われる。
「この続きは休みの前の日にね。」
少し掠れた甘い声。夢にまで見たその声は私だけのために囁いてくれる。
真っ赤になった私は、コクコクと人形のように頷きながら、Kyo君の家のドアを閉め
結局月に一度の配達で交わす会話といえば「体調どうですか?」「声マシですか?」「残薬預かりますよ。」という私の3種類の言葉に「大丈夫。」「あんま」「これ、よろしく」という答えに「いつもありがとう。」という挨拶がつくぐらいだ。
少し薬が減ったり増えたりしながら、大体量が減ってきたので、だいぶ調子を取り戻してきているのかもしれない。かと言って、本人が言うように歌えるかどうかは別問題というところが難しい。本人の体調が良くなったからといって、focusとして歌えるかどうかはわからないのだ。
どれだけ心配したとしても、薬剤師でしかない私には何もできないし、かと言ってファンを全面に押し出していくのは違うし、まぁ向こうだってそれは困るだろうし。いろいろしてあげたい気持ちはあるけど、母親面するのはもっと違うし。最終的につかづ離れずの距離というか、一般的な患者と薬剤師に収まっている。
医者だったら、「困った時にこちらにご連絡ください。」とかって、連絡先渡せるのかなぁ〜と悶々としながら日々の業務を過ごすうちに気づけば1年が過ぎようとしていた。
その日はクリスマス数週間前だった。
サクラに誘われて、ライブを見にそこそこの大きさの箱で待ち合わせをしていた。
私は、focus以外に特に興味がなかったこともあって、この一年はライブハウスに足を運ぶこともなく過ごしていたが、一方サクラはライブのない人生なんてつまんない!と標榜しているだけあって、focus以外のバンドのライブにも足繁く通っていたようだ。
今日は、その中で今一番の推しというバンドのライブに誘ってもらった。バンド名はメル。サクラ曰く、音とか声とかよりもビジュが最高にいいバンドらしい。
予定も無かったし、誘われるままに参加したライブはしかし全然興味惹かれなかった。
初めて見たバンドメンバーは、とても綺麗な顔立ちをしている人たちばかりで、ボーカルやギター、ベースはもちろんのこと、ドラムだって女かと見まごうほどの美しさ。いや、私なんかは完全に負けたかもしれない。
ライブだって、そこそこの整番で入ったせいもあり、周りはメルのコアなファンに囲まれて熱気もすごかったし、顔だけという割には音楽だって、激しかったり優しかったりのいろんな音を持っていて、結構良かったように思う。語れるほど音楽について何かを知っているわけじゃないけど、きっとこのまま大きな舞台まで駆け抜けていくんじゃないかと思わせられるような、そんなバンドだった。
けれど、音楽の方向性も、メンバーの構成だって、どことなくfocusに似ている。でも、似てる分だけ余計にfocusと比べてしまう。
きっとKyo君だったら、こんな風に声を出してた。MCでは優しく微笑んでた。みんなの煽りはこうだったはず…
結局はfocusとの違いばかり目について、ちっとも楽しめなかった。
ライブが終わると、サクラは上がったテンションのまま、どの曲が良かったとか、誰のMCが面白かったとか、ライブの感想を捲し立てるように話してくれるけど、曖昧にしかうなづくことができない。
「focus以外にも良いバンドあるよ?やっぱりfocusじゃなきゃダメ?」
何を言っても反応の薄い私を気遣って、サクラが優しく声をかけてくれる。
「そうゆうわけじゃないんだけど…」
初めてこの世界の楽しさを教えてくれたのがfocusだった。初めて会ったその日からKyo君の声に、みんなのサウンドに惹かれ、フリだっとか何も知らなかったところから覚えていって気づいたら、どっぷりハマってた。ここ数年の私の歴史はfocus抜きでは語れなくて、いろんな初めてが会った分、心の奥に刺さったままそれを抜くことも、違うものに置き換えることもできないでいる。
『いっそのこと、解散してくれれば諦めがつくかも』
フォローワーさんが呟いた言葉が忘れれない。
いつまで続くかわからない、活動休止。いっそのこと全てを無くしてくれた方が、ファンとしては楽になるかもしれない。けれど、必死にもがいているKyo君を知っている私は、その言葉にも賛同することができない。
どっちつかずで、揺れ動く私の心。
かといって、誰かに話せるわけでもなく…。
深く息を吐き出そうとしたその時、ピロリンと私とサクラの携帯が同時になる。
二人同時に音が鳴ったことに何か意味があるような気がして、慌てて携帯を取り出してみると、そこには「focusからのお知らせ」とタイトルされた配信がポップアップで表示される。
私達が顔を見合わせると、一息吸い込んだ後、頷き合ってから自らの携帯に視線を落とした。
さて、これは吉報か凶報か。
世間は後数週間でクリスマス。クリスマスライブで復活なんてことになってくれたら最高なのにと、思いはよぎる。
震える冷えた手にスマホはなかなか反応してくれず、ポップアップされた画面を何度もタッチするが、反応が遅い。やっと画面が遷移しても、読み込むまでの数秒がやけに長く感じる。じっとが面を凝視する私の横で、サクラが小さく声を漏らした。
「嘘…」
その声に返事をするより、自分のスマホの画面に文字が映し出されるのが早かった。
全文は頭に入ってこない。けれど、Kyo脱退 新生focusの文字が目に入ってきて、頭の中で警鐘を鳴らしている。
これは…どうゆうこと…?
気づいた時には私は走り出していた。後ろで「くるみちゃん!どこ行くの!?」という声が聞こえたけれど、振り返ることもせずにただ夢中で走り出す。
気づいた時には一番近い駅から電車に乗っていた。
私は、今Kyo君に会いに行かなければ。論理的ではない強い感情に突き動かされるようにしてここまでやってきたが、実際会ってどうするつもりなのかはわからない。
電車に乗っって一息ついたせいか、携帯が何度も鳴っていたことを思い出す。
見ればサクラからの電話や、メッセージだった。
簡単に謝りのメッセージを入れておく。
携帯をマナーモードに変えて、肩掛けのカバンの奥深くにしまいこむ。
今は誰にも邪魔されたくなかった。
小さく深くを息を吐き出してから顔を上げると、窓のガラスに反射している無表情な私の顔が映るだけ。地下を走る電車の外は、何もない暗い空間が続いている。
Kyo君に会って、一体何を言おう。私は…私にできることは…
考えて考えて、冷静になったことに、Kyo君の家の最寄駅についた。
さっきまでの勢いとは打って変わって、ゆっくりと下車する。
改札を抜ける前に力尽きて、駅のホームにあるベンチに座った。
私みたいな部外者が行っても何も出来ない。行くことは無意味だ。それに、たまたま仕事で相手の家を知っただけ。押しかけるなんて、ファンとしての行為としても、職業柄の好意としてもあまりにも不適切だ。
さっきいたライブハウスからKyo君の家がもっと近かったら良かったのに。そうすれば、勢いのまま家に駆けつけて、思いの丈をぶつけることができた。でも、一度冷静になってしまったら、そんなことするなんて、もうできない…。
顔を伏せて、膝を抱き抱えるようにしたまま動けずに、もう何分経っただろうか。いや、何十分経ったんだろうか。ふと視線に気がついて顔を上げると、そこには帽子を目深に被ってマスクをしたKyo君が経っていた。
「なんで…?」
「ほら、そのほくろでわかった。」
私は慌てて生え際を両手で覆い隠す。
「そうゆうことじゃなくてっ!」
赤くなって慌てる私を見て、Kyo君の目尻が下がる。あ、笑った。
「今、事務所の帰り。お前は?何してんの?ライブ帰り?」
確かに私は、ライブ帰りの格好だ。メイクだって普段と違ってばっちりしてるし、服装だって普段の仕事着とは違ってパンクよりだし、手荷物も極力減らしてる。タオルは首にこそかけていないけれど、カバンには結んであるし、わかる人が見ればライブ帰りの格好だった。ステージの上から私たちをよく見ていたKyo君には、そりゃもうはっきり私がライブ帰りだってわかるだろう。
けれど、好んでfocus以外のバンドに行っていると思われたくなかった。待てができない子だなんて思われたくない。
「今日たまたま、友達に誘われただけで!」
慌てて取り繕う私を見てKyo君はつまらなさそうに言う。
「別にどんなライブ見ようが、お前の好きにしたら良いじゃん。」
「私は!私は…focusの復活を待ってるんです…。」
声がだんだん小さくなっていく。最後は、もう消える寸前の声だった。
そう、私はfocusの復活を待っている。でも、それはもう叶わない。focusは新生focusとなり、そこにはKyo君はいない。Kyo君のいないfocusなんて、それは私にはfocusじゃない。
涙がこぼれそうになって、慌てて顔を伏せる。
無言の私たちの間に、ホームのアナウンスが響き、その後に電車が入っていく音がする。
ドアが開くとたくさんの人が降りてきて、ガヤガヤと改札に向かう人の列と、電車に飲み込まれて行く人の列が混ざり合う。いっときの騒音を撒き散らして、電車は再び走り去った。
私たちの二人の空間だけが、まるで切り取られたかのように、だけがただ静かに取り残されている。
「ファンクラブの案内、見たのか?」
静かなkyo君の問いかけに、私は静かに頷く。
Kyo君はため息をつくと、優しく言ってくれた。
「いつまでもここにいてても困るだろ。暇だったら、俺んち寄れ。」
驚いて顔を上げる私に、「ほら、行くぞ」と、改札に向けて歩き出す。
このまま本当についていって良いのかと一瞬思ったけど、置いていかれても悲しいので、慌ててKyo君の後を追いかけた。
Kyo君の家に着くと、私は以前と同じようにリビングに通されソファーに座っていると、ホットココアを目の前に置かれる。
ここまでの道中は、当たり前だけど、何か会話があるでもなく、どんどん先を歩いていくKyo君に後ろからついて行くのが必死で、寒い夜だというのに少し汗ばむぐらいのポカポカした体になってしまった。だから、正直ホットココアよりも冷たい麦茶をぐいっといっぱいやりたいくらいだったけど、Kyo君の優しさが嬉しくて、そっとマグカップを両手で包み込む。
「ここに来ると、いつもココアを貰う気がします。」
「お前、ココア嫌い?」
「いえ。好きですよ。でも、Kyo君がココア淹れてくれるっていうのが不思議です。」
「俺、甘いもの好きだから結構飲むよ。そもそも、女子ウケしそうなものがココアしかないってのもあるけど。」
「女子ウケって…ふふっ。」
いつだって、女の子をキャーキャー言わせていたKyo君から女子ウケなんて言葉が出てきたことに、笑いが溢れる。体が温まったせいもあり、少し心もほぐれて来たのかもしれない。
Kyo君は自分用に入れたココアのマグカップを持って来てテーブルの端の方に置くと、自分もカーペットの上に直接腰を下ろした。
「で?お前、駅で何してたの?」
「あ〜…なんていうか…お恥ずかしいんですが…友達と行ったライブ帰りにfocusからのお知らせを見ていても立ってもいられなくて、ここまで来たんですけど…一ファンの自分が何してるんだって、駅で我に帰ってから動けなくなったというか…自分でもよくわかんないんですけど…」
お知らせを目にした時の衝撃と衝動を上手に説明できなくて、しどろもどろになりながら話をする。
「あのままだったら風邪引いてただろ。風邪には気をつけろよ。」
「はい…」
そのまま沈黙が支配する。私から聞いて良いんだろうか。それとも、それは出過ぎた真似だろうか。ぐるぐると考えている間もKyo君は無言で、自分のマグカップを見つめ続けている。
「あの…歌、もう歌わないんですか?」
「歌うよ。歌いたい。」
「じゃぁ、なんで…?声だって、だいぶ良いですよね?今だって、普通の喋れてる。今日だって、外出もできてるし、何が問題なんですか?」
「何が問題か…?それがわかったら、俺だって困らない。」
Kyo君はゆっくりとココアを口につける。私も同じように口につけると、優しい甘さの後に、苦味が口の中に広がっていった。甘いけど、苦い。それは、今この二人の空間でもあり、人生そのもののような味わいでもあった。
「…いろんなことがだいぶよくなった気がして…ほら、買い物にだって出られるし、声だって普通に話す分には大丈夫だから…俺だってもう良いかなって、最近はボイトレだって始めてた。お前に言われたようにまず楽しもうって。でも、歌ってると時々声が出ないことがフラッシュバックして、それ以上歌えなくなる。何曲か歌える時もあれば、1曲だって最後まで歌えない時もある。不安定なんだ。」
「そんな…」
「正直、いつになったら治るとかは医者でもわからないって言われた。じゃぁ、いつまであいつらを待たせる?俺らだってそんなに若いわけじゃない。結果残せなかったら、他に仕事を探すように親からせっつかれてる奴もいるんだ。活動できなかったら結果も何もないだろ。」
「だから…?」
「そう。だから、一旦俺は抜けることにした。あいつらの音なら、誰がボーカルでもきっとやっていける。一からバンドを組み立てるなら、少しでも早いほうがいいに決まってるし。」
「それで?それで、Kyo君はどうするんですか?」
「…正直まだはっきり決まってるわけじゃない。バンドを組もうにも、今のままじゃろくに歌えないから迷惑かけるだけだし。ソロとかやる実力はまだないし。とりあえず、事務所は歌えるようになったらもう一回戻ってこいって言ってくれたけど…ま、まずはバイトを探すところからじゃね?で、一からの出直し。」
いつも通り、あっけらかんとKyo君は事実を口にする。もう何も拘ってないというように。自分は全部受け入れてるとでもいうように。でも、きっと心の中は痛くて、しんどくて、もうボロボロなんじゃないかな。顔だってやつれているように見える。けれど、Kyo君はいつだって優しくあろうとしてくれる。
思えばライブだってそうだった。激しい曲では煽って、煽って、煽りまくるけど、最後にはやっぱり優しいし気遣ってくれる。包み込むようなバラードの優しさに私は癒されたし、惚れ込んだんだ。
声が出ても、出なくてもKyo君の本質は何も変わらない。いや、ライブでのKyo君しか見たことのない私は、彼の一面しか見ていなかったのかもしれない。ちょっと弱ってる時を知っているからといって、私は彼の本質なんて全くわかっていないのかもしれない。それでも、今まで見せてくれたKyo君がKyo君の一部であるならば、それだけでこれからも応援し続けるだけの価値はある。
「昔から、そして、今も、これからも、私はKyo君のファンで居続けますよ。」
「お前…」
「歌えるまで、ずっと待ってます。だから、あきらめないでください。私は、Kyo君のかかりつけ薬剤師ですからね。健康のこと、心のこと、もちろん声の調子だって、どんなことだって相談に乗りますよ。ま、わからないことも多いですけど。けど、一緒に調べたりしていきましょう。」
Kyo君の目を見て、真っ直ぐに私の思いを告げる。
少し驚いた顔のKyo君は、私の言葉を染み渡らせるようにゆっくりと瞬きをすると、次に目を開いたときには、とても穏やかな顔になっていた。
右手を伸ばして、私の分目のホクロあたりに触れてから、そっと髪を撫でてくれる。
「ファン一号のお前がいるから、きっと俺は頑張れる。」
自分に言い聞かせるように、しっかりと宣言する。
「はい、きっと大丈夫です。」
私の髪を撫でてくれる優しい手に、私の手をそっと乗せると、私の手を絡め取って自分の方に引き寄せる。その拍子にバランスを崩してKyo君の方に倒れ込みそうになる私の肩をそっと抱き止めてくれて、見上げた私とKyo君の視線が絡まり合う。そのままどちらからともなく顔が近付いていったときに、突然私の携帯のアラームが鳴った。
ピロリロピロリン
けたたましくなり続けるその音に、Kyo君はびっくりしたままだし、私は恥ずかしすぎてどうしようもない。たいして中身が入ってないバックなのに、焦るせいでなかなか携帯を見つけられなかった私は、ガサゴソと何回もバッグの中身をかき回すようにしてやっと携帯を見つけ出し、アラームを止める。
「すみません…明日も仕事なので、夜遊び過ぎないように一応のアラームをかけてまして…」
「いやいや、大丈夫。」
Kyo君が苦笑している。
せっかくいい雰囲気だったのに、アラームのせいでそんな雰囲気はぶち壊し。今更白けた空気をどうすることもできなくて、私も言葉を継ぐことができない。
「連絡先、教えて。」
Kyo君は自分のメッセージアプリの連絡先を表示すると、私に読み取らせてくれル。私もお返しに同じように操作する。Kyo君に憧れ続けて5年。私の事なんて認識すらしてもらえないただのファンと偉大なボーカルだって思ってた。それが、患者さんとして出会い、Kyo君がバンドという居場所を無くした日に、ただのファンとボーカルでは無い関係として、初めて二人の間がつながった気がした。
今日という日は、きっとKyo君にとっては最もしんどい日だったに違いない。人生チャートで言うとどん底の方。今まで大切にして築いていたものを手放す覚悟をみんなに伝えた日。その一方で、私にとっては、バンドのボーカルとファンいう関係から一歩も二歩も進めて、夢見たいな願いが叶って幸せな日?ううん、違う。これからもKyo君を支えるという、覚悟をした日。
「これでなんかあったら俺からも連絡するから。だから、お前はもう帰れ。明日は仕事なんだろ?」
「あ、そうなんです。早番で…」
「早番?」
「開店準備とかしなきゃ。」
「じゃぁ、早く帰って寝な。」
「はい…。」
早く帰れと言われると、急に立ち去りがたくなる。長居ができる関係として許されたかどうかは甚だ怪しいけれど、このまま自分の失態のままそそくさと帰るのは嫌だなぁ。かといって、何かで挽回することもできない。
仕方なく、残りのココアを飲み干すと立ち上がった。
「あの、コップ洗って帰りましょうか?」
「洗っとくから大丈夫。」
なけなしの提案も、すげなく断られて撃沈する。
私がもう少しし居たがっていることに気づいたのだろうか、玄関まで私を送ってくれたKyo君が、靴を履く私を待ちながらそっといってくれる。
「仕事が休みの日の前日にまた来ていいから。」
「え…?」
驚いて顔を上げると、素早く顔が近付いてきて、あっさりと唇を奪われる。
「この続きは休みの前の日にね。」
少し掠れた甘い声。夢にまで見たその声は私だけのために囁いてくれる。
真っ赤になった私は、コクコクと人形のように頷きながら、Kyo君の家のドアを閉め

