推しは私の患者です!?


 Kyo君と出会ってから2週間ほどした時だった。最低気温も5度を上回るようになってきて、少しずつ春の気配を感じるそんな日だったと思う。その日はたまたま遅番で、21時を過ぎて、患者さんがだいぶ減ってきて、終わりが見えてきた頃だった。
「来たで。」
 ささっと寄ってきた富岡さんが、私の耳元で囁いてくる。
 要注意患者でもいただろうかと思って、富岡さんの顔を見ると、ばっちりウィンクしてくれる。
 これはまさか…
 慌てて待合の方を見ると…いた。あの帽子、見たことある。Kyo君だ。
 今日も目深に被っているが、間違いない。
 Kyo君を確認してから、富岡さんの近くに行くと、Kyo君の薬が入ったカゴを渡された。
「かかりつけ薬剤師とるんやろ。頑張りや。」
 そうだった、かかりつけ薬剤師について説明するんだった…でも、毎回トローチだったら、かかりつけにしてもらうのも本当に申し訳ない…そう思って、カゴの中の薬を確認すると今日はスルピリド50mgという錠剤と白虎加人参湯という漢方だ。
 ん?耳鼻科でスルピリド?
 白虎加人参湯ということは、喉の渇きなどがあるということだ。そこにスルピリドということは、喉の渇きは胃腸の不調から来るという先生の見立てだろうか。
 Kyo君は最近は配信もなく、ブログ記事だけで声を聞いてなかった。それは、風邪を引いていて喉の調子が悪いからだと思っていたけど、もしかしたら違うのかもしれない。詳しい検査はしたのだろうか。シェーグレン症候群とかだったらどうしよう…いや、シェーグレンだとしたら、漢方だけの処方になるはずがない。処方解析をしながら途端に不安になる。けれど、ここで不安になっていても仕方がない。
「135番でお待ちの患者様〜」
 投薬ブースで声を張り上げると、Kyo君がのっそりと立ち上がりこちらに近づいてくる。
「森下響也様ですね?」
 投薬ブースの前に立ち止まったKyo君を前に、名前の確認をするけれど、今回もうなづくだけ。まぁ、若い人のほとんどがそうなので、特に問題はない。
「今日のお薬、前回と変わりましたね。トローチは喉の痛みというより、口の中の乾燥で出てた感じですかね?」
 コクリとまたKyo君がうなづく。
「トローチで効果がなかったので、この薬に変わった感じですか?」
 コクリ
 Kyo君は一言たりとも言葉を発してくれない。まぁ、これもよくあることだと自分を納得させようとするが、なんだかモヤモヤした感じと意知れぬ不安が胸の中に渦巻いている。
 そのあと、薬の飲み方や副作用についても簡単に説明し終わったあと、私はかかりつけ薬剤師の紙を手にした。
 緊張する。でも、このチャンスを逃してなるものか。Kyo君を私専属の患者にしてしまいたい!
 職業意識とは違ったものに突き動かされるようにして、私はチラシを見せながら説明した。
「あの〜もしこのままお薬を継続されるようなことになった場合のために、かかりつけ薬剤師を登録されませんか?かかりつけ薬剤師には1回数十円程度の金額が発生してしまいますが、いろいろなお話を通して、森下様ご自身のお薬の服用状況や飲み合わせなどの管理をさせていただけますし、お身体のことのどのような事でも、ご相談に乗りますよ。もちろん、薬剤師の登録は、私木下でも大丈夫ですし、他の方を選んでいただくことも可能です。」
 他の方を選んでいただくことは可能…と言いながら、ここで選ばれなかったら流石に泣くかも。3回中2回投薬しているのは私なのに、その結果私を選ばないっていうことは、この2回で粗相をしてしまったということだからだ…もしそうなったら、ライブでも合わせる顔がない。
 笑顔の下で苦悩している一方で、Kyo君は他の若い方と違って、繁々とパンフレットを眺めている。
 お、意外にいい反応かもしれない。
 ついつい、期待を込めた視線で見つめていると、Kyo君がその視線に気付いたのか、顔を上げた。
 そして、私の名前が書いた箇所と私のことを交互に指差してくる。「お前が、かかりつけになるの?」と聞きたいのだろうか?喋りたくないのか、声が出ないだけなのかどちらかはわからないが、Kyo君から声が出ることはない。普段のライブや配信からは優しさしか溢れていないKyo君だから、きっと指差すなんて失礼なことはしない。これはきっと、声が出ないからだ。そう強く推しのイメージを抱く一方で、もし本当に声が出ないのだとしたら、大事になるぞ。と、不安にもなる。けれど、私は薬剤師。ファンとしての苦悩をここに出すわけにはいかない。
「この用紙は、私をかかりつけ薬剤師とするための用紙です。私でよければ、この用紙にサインしてください。他にご希望の薬剤師がいましたら、お名前をおっしゃっていただければその薬剤師の分を持ってきますよ?」
 Kyo君はしばらく手を顎に当てて考えたあと、ペンが欲しいとジェスチャーで伝えてきてくれた。私がペンを渡すと、それを受け取って、スラスラとサインしてくれる。
 その時、袖を軽く捲り上げた動作で、手首の少し下に星型のタトゥーが入っているのが見えた。Kyo君と一緒だ。もうここまで証拠がそろったらKyo君以外にありえない。そして、そのKyo君が私をかかりつけ薬剤師として指名してくれている。なんたること!言葉に表せない幸せってこうゆうこと!私は今すぐ踊りたくなるほど気持ちが昂っている。
 けれど、そんなひと時は長くは続かない。サインされた用紙を受け取り、お会計を済ませると、あっという間にさよならの時間だ。
「では、次回から私が出勤している時は、私が担当させていただきますね。不在の時は他の薬剤師になりますので、よろしくお願いします。」
 義礼的に頭を下げると、Kyo君の目元がフッと柔らかくなった気がした。
 今!私を見て微笑んでくれたよね!?え?私の妄想ですか!?イヤイヤ絶対違うはず!
 有頂天になっていた私の横に、富岡さんが忍者のようにささっと近づいてくる。手には水筒を持っているから、もう上がりの時間のようだ。
「お、推しのかかりつけになれたんや。めっちゃおめでとう。で、今日はもう終わりやって。」
「あ、ありがとうございます!」
「目がハートになってんで。そんな調子で大丈夫か?夜道気ぃつけや。」
「え!?私そんなになってます!?」
「なってるなってる!なぁ、溝口さん?」
 富岡さんが夜のパート事務の溝口さんに声をかけると、閉店業務のしながら、溝口さんが朗らかに答える。
「そうですねぇ。木下さんがそんな顔になってるのは珍しいですねぇ。」
「なぁ?誰が見ても目がハートやで。次が楽しみになってよかったやん。」
 富岡さんは、私の肩をポンポンと叩くと、バックヤードに入っていった。

 正直、その日は私の人生史上一番興奮していたと思う。
 誰かに言いたい!推しは私の患者です!って。それもKyo君のことを知ってる人に!
 でも、言えない!それはKyo君の個人情報をバラすことになってしまうから…あ〜でも、自慢したい!同じfocusのファンに!
 ベッドの上で抱き枕をギュウギュウに抱きしめながら、右へ左へとコロコロ転がる。
 言いたいのに言えない気持ちが燻って、完全なる不完全燃焼。あ〜叫びたい!吐き出したい!
 その時、テーブルの上で携帯のバイブレーションが鳴った。メッセージかと思って無視しようとしたが、バイブレーションが鳴り続けている。
 こんな時間に電話?
 不思議に思って画面に目をやると、発信者はfocus友達のサクラだ。
 その途端、今日の出来事を報告して自慢したくなるが、流石にそれをやってはおしまいだ。職業倫理がブレーキをかける。
 一つ大きく息を吸ってから、電話に出た。
「はい、サクラ?どうした?」
「どうしたって!?クルミちゃん、ファンクラブからの配信見てないの!?」
「え?配信?ごめん、今日結構仕事遅くて見れてなかったかも…」
「じゃぁ、一旦電話切るから自分で確認して!で、確認したら折り返して!」
「え〜教えてくれたらいいじゃん?」
「ダメ!これは自分で確認したほうがいいよ!いい?今すぐ確認してよ!?」
 そういうと、サクラからの電話が切れた。
 何があったというんだろう。この前Kyo君が言ってたいい報告だろうか。だとすると、サクラのあの興奮の仕方は、メジャデビューが決まったとかだろうなぁ。まぁ、人気的にもそろそろだと思っていたから、嬉しいのは嬉しいけど、いわゆる予想の範囲内だ。
 そんなことを考えながら、メールの方を見ると、タイトルが「大切なお知らせ」というファンクラブからのメッセージが見つかった。2時間ほど前に配信されていたようだが、仕事もあったし、それ以外の衝撃的なことも多かったので、確認していなかった。
 私はどちらかというと、喜ぶ用意をしてそのメールを開いたのだが、文面に目を通して固まってしまった。まさか、そんなことが…
『focusを応援してくださっている皆様へ

 focusはVo.Kyoの体調不良により、バンド活動を一次的に休止することになりました。
今の所大事に至る病ではないですが、ここで無理をすると今後の活動により深刻な影響を及ぼすだろうと、メンバーとスタッフで話し合いの結果、このような決断に至りました。
 Kyoの体調が回復するまで、ファンの皆様も温かい目で見守り続けてくれたらと思います。
 また、今後決定していたライブ活動、配信等も一旦見送らせていただきます。詳細は、決まり次第またご連絡いたします。ご迷惑をお掛け致しますが、よろしくお願いいたします。
 以下、メンバーから皆様へのメッセージです。

 Vo.Kyo
今回は俺の問題で、バンド活動を休止させてしまったこと、申し訳なく思ってます。 でも、絶対に治してくるから。それも、できるだけ早く。だから、みんな待っててほしい。

 Gt.ミケ
  focusをいつも応援してくれて、ありがとう。今回の活動休止でみんなには不安な気持ちにさせてしまうかも知れないけど、絶対に戻ってくるから。戻ってきた時は今よりパワーアップしてることを期待してて。

 Ba.Towa
 いつも応援してくれてありがとう。Kyoは頑張りすぎなところがあるから、ここで一度休むことをファンのみんなも許してくれるよな?俺たちもKyoのこと、全力で支えて行くから、お前たちも待ってて。また、次のライブではみんなで笑顔で会おうな。

Dr.景
 いつも応援してくれてありがとう。今回のこの発表で、悲しい思いをする子たちもいるかも知れないけど、絶対戻ってくるから。それだけは信じて。
 いつか見た夢の続きは こんなもんじゃない。まだまだ、みんなと作り上げて行くつもりだから、その時はよろしくな。

                             focusメンバー・スタッフ一同』
 
 ゆっくりと、何度も読み返したけれど、Kyo君の体調不良による活動休止に変わりはないようだ。どうして、こんなことが?やはり、頻繁に病院に行っているKyo君の体調は芳しくないようだ。相当ヤバい状況なのか?担当医ではないし、そもそも医者ではないからカルテは見れない。ならば、薬剤師として薬から想像するしかない。
 今日出ていた漢方は確か白虎加人参湯。あれは、口の渇きに出るものだ。だからシェーグレン症候群を疑った。やはりその可能性もあるにはあるだろう。そして、その時
謎だったのは、スルピリドだ。胃薬なんかで出ることも多いが、胃腸科や内科での処方がほとんどだ。他にも精神科で気持ちを落ち着かせたりするために使うことはあるが、量はもっと多かったはず。今回は、胃腸薬の代わりにと安易に結論づけて投薬したが、もしかして耳鼻科では胃薬でも、精神薬でもない使い方があるのだろうか。
 携帯を手に取って、『スルピリド 耳鼻科』と入力してみる。すると、本来国から承認を受けた使い方ではないけれど、一般的に効果があると認められている使い方、いわゆる適応外処方として、「咽喉頭異常感症に使う」というのが出てきた。
 咽喉頭異常感症というのは、喉がイガイガしたり、詰まった感じだったり、声が枯れてしまったりという症状はあるのに、風邪をひいているとか、ポリープや癌があるだとかの明確な病気がない時につけられる病名だそうだ。ということは、投薬時にもKyo君は喋らなかったし、もしかしたら声が上手く出ない状態が続いているのかも知れない。そして、いつになったら治るのかわからないから、とりあえず活動休止にした?
 もし、そうだとしたらボーカルとしては致命的だ。しかももうゆうはっきりとした原因のないものは、鬱だとか精神的な病気と一緒くたになって、治りがかなり悪い。と、なると活動を再開する目処が立たないのではないだろうか。
 そこまで思い至った時、背筋に薄寒いものが流れた。
 最悪、このまま解散もあり得るかも知れない。
 まずは、今日渡したスルピリドに効果があるかどうかだ。今回の処方は2週間分だった。効果自体はは2週間程度で現れてくるというから、次に来局する頃には少しでも改善してるのだろうか?改善していなかったら、次に打つてはあるのだろうか。
 私が一人静かに考えていると、またブーブーとバイブレーションが鳴る。
 いけない、一人で考えに沈み込んでしまった。
 気づけばサクラと電話を切ってから30分も経っていて、この電話もサクラからだった。
「ごめん、なんかボ〜ッとしてたら、折り返し忘れてた。」
 急いで電話を取って、サクラに謝る。
「いやいや、そりゃそうなるよ。私だって、受信してすぐに見たけど、1時間はボ〜ッと考え込んじゃったもんね。ま、私に何ができるわけでもないんだけど。でもショックでさぁ。」
「わかるよ。」
「特にクルミちゃんはKyoちゃんのファンだもんね。そりゃショックだよ…」
「うん…」
「Kyoちゃんって、なんの病気なんだろう?すぐに良くなるといいけどね…」
 すぐに良くならないかも知れないよ!だからKyo君だって不安なはずだよ!と、叫びたい。でも、そんなの言えない。
「もし、このまま解散とかってなったらどうしよう…」
「う…ん…実際そうゆうバンドもあるよね。私の知り合いの好きなバンドも活休して、結局10年そのままだって言ってた。もうソロでも成功してるし、戻って来ないんじゃないかなぁって。」
「それは…やだね…」
 Kyo君がこのままどこかへ行って、みんなの前から消えてしまったらと思うと、苦しくて苦しくて胸が締め付けられる。Kyo君の身に何かあるくらいなら、もちろんバンド活動をしなくったって裏で元気に生きてくれる方が嬉しいと思う。でも、一ファンとしては、あの弾けるような笑顔を、ライブが大好きだって全身で表しているあのKyo君をもう一度見たいと思う。
「でも、私たちにできることは、信じて待つだけだから。信じておこう。」
「そうだね。ライブなくても、また遊んだりしてね。」
「うん。じゃぁ、夜遅くにごめんね。明日からも、頑張ろうね。おやすみ。」
 信じて待つ。そのサクラの提案に、うなづいた。ファンにできることはそれしかない。けれども私にできることは、信じて待つことだけじゃない。Kyo君は私の患者になったんだから、私がなんとかしてあげる。
 Kyo君のステージ上の笑顔を守りたいから。