今ごろは魔王を倒しているはずだった

 乗り込んだ新幹線「こだま」の座席は、予想していたよりも空いていた。ふたり掛けを占領することができて、ほっとする。
 隣に誰かが座ると、爽生と話すことができないからだ。
 そっと息を吐いて、窓枠に座る爽生に目を向ける。昨日の朝、京都駅を出発したときと同じ位置。
 爽生って、こんなに景色見るん好きやったっけ。そんなことをぼんやりと考えたまま、俺は問いかけた。
「さっきの、なんであかんって言うたん?」
 車窓から景色を眺めていた黒猫が、俺のほうを振り返る。その爽生に向かって、俺は繰り返した。
「だって、ぜんぜん違うかもしらんけど。昨日の男の子には、爽生から声かけに行ってたやん。そのときも『それはそれ』って言うとったけど」
「ああ、まぁなぁ」
 そういえばと言わんばかりに相槌を打った爽生が、「でも」と丸い頭を傾げる。
「なんとなくわからへん? 人間でもそうやんか。龍も変な感じがしたり、悪意がある感じがする人にはわざわざ声かけんやろ」
「それは、まぁ」
「でも、ほんまに純粋に困っとる人がおったら、声かけるやん」
「それも、……まぁ」
「って、そうか。龍は誰にでも声かけるよな」
 俺の曖昧な相槌をどう受け取ったのか、爽生は苦笑をこぼした。
 誰にでも、どんなときでも声をかける。人助けが好き。爽生の中の俺のイメージが、それなのだろうか。
 ……そんなこと、ぜんぜんないんやけどなぁ。
 昨日だってそうだ。爽生のほうが、俺よりずっと親身になっていた。
 男の子に「よかったなぁ」と笑っていた声を思い返しながら、もうひとつを問いかける。
「なんなんやろ、悪意のある幽霊って」
 相槌が曖昧になった理由のひとつ。爽生の言うことがまったくわからなかったわけではないけれど。でも、やっぱりよくわからなかったのだ。
「悪意があるから、悪霊ってことなん? 昨日の男の子は良い幽霊やけど、京都の女の子は悪霊なん? さっきの女の子も」
「まぁ、せやな」
 少し考えるような間を挟み、爽生が応じる。
「悪霊、悪霊やないは、俺にもようわからんけど。さっきの女の子は、自分が死んだことに気づかんまま、何回も自殺を繰り返しとる感じやったな」
「え……」
「せやで、悪意があるんやなくて、誰かを恨んどるんかもしらんね。……いや、まぁ、それも悪意か」
 絶句したままの俺に、爽生は「でも、なんや」と小さく笑った。
「どっちにしろ、マイナスな感情が強いんは、あんまりいいことやないんとちがう?」
「…………」
「まぁ、でも、それは生きとる人間も同じよな。マイナスなことばっかり言う人間と一緒におりたないやろ」
 さらりと笑い、爽生が話を打ち切る。
 まったく考えがまとまっていない頭で、「爽生」と呼ぼうとしたタイミングで、ポケットに入れていたスマホが振動した。
 会話が途切れるきっかけが生まれたことに、どこかで少しほっとして。俺はスマホに手を伸ばした。表示されていた通知に、小さく声を上げる。
「あ、ナミさんや」
「え、なに。昨日会ったばっかの人と、もうライン交換してるん?」
「そんなこと言うたら、昨日会ったばっかの人の家にお泊まりしてるでな、俺ら」
「それは、まぁ、そうやけど」
 バツの悪そうな空気を感じ取り、苦笑いを浮かべる。昔から知っている一面を、ひさしぶりに見た気がしたからだ。
 ……爽生って、ちょっと人見知りなんよな。他人に対する警戒心が強いというか。
 だから、昨日。あの男の子に積極的に関わろうとする姿勢に違和感を覚えたのだけど。
「そういえば、写真送ってくれるって言うてたで。それちゃうかな」
 言いながら、俺は通知をタップした。ナミさんの家の玄関で撮ってもらった写真。
 男子高校生の肩に乗る黒猫のマスコットは、客観的に見ても、だいぶ異質やで。そう茶化してやろうという目論みで、爽生に声をかける。
「なぁ、爽生――」
「なに?」
「あ、……いや、ごめん。なんでもない」
 怪訝そうな声に、俺ははっとして凝視していたスマホの画面を閉じた。
「いや、ほんまに。写真やなかったわ。『気ぃつけや』ってわざわざそれだけ送ってくれてん。律義よなぁ」
「ふぅん」
「また、お礼せんと」
 はは、と無意味に笑った俺をちらりと見、爽生は窓の景色に向き直った。
 黒猫の背中で揺れるしっぽから、ぎこちなくスマホに視線を落とす。ドキドキとしたまま、俺は再びスマホの画面を開いた。
 添付されていたのは、予想どおりの一枚だった。それで、たぶん、ナミさんはふつうの写真だと思って、送ってくれたんだと思う。
 ――でも、だって、そうやなかったら、絶対なんか言うよな……?
 だから、俺の見間違いかもしれない。ありえないことを期待しながら、トークの画面を押す。
 また遊びにおいでという気安い一文とともに送付された写真は、玄関の内側で撮ってもらったものだ。覚えている。笑った俺の肩には、黒猫の爽生が乗っていて――。
 ……なんで、こんな、黒いもやみたいなんが出てるん?
 俺は指先で、黒猫のマスコットの部分に触れた。ズームをしても、結果はなにも変わらない。
 マスコットの周りに、なにか黒いもやのようなものがうっすらとだが、たしかにしっかり写っている。まるで、まとわりついている、みたいな。
 加工だと、いたずらだと思うことはできなくて。ただただじっと凝視していると、「龍」と爽生が俺を呼んだ。
「あ、ごめん。なに?」
 慌ててスマホの画面を閉じた俺に、爽生が宣言する。
「降りるで」
「は?」
「いや、やで、次で。昨日、龍が『はよ言え』言うたから、ちゃんと伝えとこうと思うたんやけど」
「いや、いやいやいや」
 あっけらかんとしたそれに、俺は焦って首を振った。
「次て。東京行くって言うたやんな?」
 というか、そもそもだけど、早めに言うというのは、少なくとも券売機で切符を買う前に相談するということだと思う。
「まもなく浜松です――」
 必死に言い含めようとする俺を嘲笑うように、車内アナウンスが響いた。無言で爽生を見る。
「言うたけど」
 俺のじとりとした視線なんてなんのそののふてぶてしい態度で、爽生は首を傾げた。
「でも、まっすぐ行くって言うたかな、俺」
「いや、なんやねん、その屁理屈。――ちょ、爽生!」
 ぴょんと俺の膝を超えて隣のシートに着地した爽生が、そのまま通路を走っていく。
 阻止することに失敗した俺は、周囲の目を気にする余裕もなくリュックを手に追いかける羽目になった。完全に、昨日の二の舞である。
「ちょ、爽生……」
 ほんまになんやねん、と。俺は飛び降りたホームで爽生を呼び止めた。だが、爽生はどんどん先に進んでいく。
 ぴょんぴょんと移動する後ろ姿に、俺ははぁと溜息を吐いた。拾い上げることを諦め、爽生のあとを追いかける。
「爽生」
 駅の改札を出た爽生は、まっすぐ外に向かっている。
 足元に目を向ける人もいたものの、すぐうしろに俺がいることで、よくできたおもちゃと思っているみたいだった。
 ……ほんまに、なに考えてるんやろな。
 昨日と同じ、じくじくと暑い太陽の下を歩く。昨日と違うのは、これが百パーセント爽生の意思だということだ。
「爽生」
 人通りが少し減ったところで、何度目かの呼びかけをする。
「なぁ、爽生て」
 なにが不満なのか、爽生は新幹線を降りてからずっと黙り込んでいる。本当にいったいなにがしたいんだろう。
 なにもかもわからなくて、俺はぎゅっと自分の指を握りしめた。それでも最後の意地で、なんでもない声を取り繕う。
「なぁ、爽生」
「…………」
「東京、行きたぁないん?」
 俺の問いかけに、爽生の歩みがほんの少し乱れた気がした。
「べつに、そういうわけやないけど」
「じゃあ、なんなん?」
 ようやくあった返事に、我慢できなくなって言い募る。
「さっきから、ずっとなんも言わんで」
「べつに? せっかくやで、龍と遊んだろかなぁ思うて」
「いや、そんなん、今やなくてええやん」
 飄々とした返答に、俺は必死に爆発しないように感情を抑えた。俺が怒る資格はないとわかっていたからだ。
 それで、なにかを聞く資格もないと思っていた。
 だから、ふわふわとした表面的な会話だけを繋げて、こんなところまで来てしまった。なにもわからないまま。
 ――ちゃんと喋って、思ってること言うて、思ってること聞かんと。
 昨日の夜、ナミさんが言った台詞が、ぐるぐると頭を巡っていく。
 俺は、ずっと、爽生とそうやって生きてきたつもりだった。
 ちゃんと話して、思っていることを言って、だから、お互いのことはお互いが一番にわかっている、と、そう。
 でも、違ったのだ。ぐっとさらに指を握り込む。
「夏休みなんやし。爽生が元気になってからで」
 違っていたと理解したのに、まだやり直しはきくかもしれないのに。俺の口からこぼれたのは、表面的な言葉だった。
「な。そうしよ?」
 表面的で、でも、願望に満ちたそれ。
 爽生は元気になるに決まっていて、夏休みだってまだ始まったばかりで、だから、これから会って遊ぶ機会はいくらでもある。
 そのはずだと空元気な声で、俺は続けた。
「またこっち来たら」
「せやなぁ」
「それか、俺が東京行ってもええんやし」
「せやねぇ」
 連続した気のない相槌に、たまらなくなって呼びかける。
「爽生」
 自分でもどうかと思うくらい不安定に響いたそれに、ひとりで先を歩いていたマスコットの足が止まった。
「なんか、変やで。絶対」
 昨日からずっと、――あるいは、コンビニの前で再会してからずっと、どこかにあった違和感。
 爽生は、こんな人を試すような行動はしないし、衝動的に人を振り回すようなこともしない。
 穏やかで、感情の波も一定で、俺と気が合うのが不思議と周囲に言われるくらい大人びていて、でも、一緒にいるとただただ楽しい。安心して、ずっと一緒にいたくなる。
 それが、俺の知っている爽生だった。
「変って」
 失笑するように言い、爽生がこちらを振り返る。
「龍に俺のなにがわかるん」
「え…………」
 俺を見ているのは、小さな黒猫のマスコットなのに。ひやりと冷たい汗が背筋を流れていく。
 なにも言えず固まっていると、爽生が小さく息を吐いた。その次の瞬間。ぶわっと強い風が吹き抜けた。
「爽生……?」
 黒猫が消えた気がして、名前を呼ぶ。一歩を踏み出そうとしたものの、俺は足を止めた。きゅっと誰かが指先を握った感覚があったからだ。
 爽生かもしれないと視線を向ける。
「え……」
 そこにいたのは、京都のネットカフェで出会った女の子だった。俺の指を握って、足にくっついている。
 戸惑う俺と裏腹に、女の子はなにかを睨むような顔をしていた。
 ――なにか。
 はっとして、女の子の視線を追う。そこで、俺は「え」と掠れた声をこぼした。
「爽生」
 目の前に、爽生が立っている。あの夜と同じ、見慣れない制服姿で。なにを考えているのかわからない冷めた瞳で、俺を見ている。
「龍は、ほんまにそういうとこたらしよなぁ」
「え?」
 爽生の声はいつもどおりだった。いたっていつもどおりの、さらりとした調子。その声が、今まで一度も聞いたことがなかった言葉を紡いでいく。
「誰とでもすぐ仲良うなって、すぐに本音も言えて。それでかわいがられるんよな、誰にでも」
「爽生」
「高校入っても、楽しいしとんのやろなってすぐにわかった」
 沈黙を選んだ俺に、爽生は少しだけ笑った。
「龍は、俺と違う」
 ――そんなこと、ないやろ。
 そう言いたいのに、怖いくらい喉が渇いていて、どうすれば声が出るのかがわからない。
 黙ったままの俺に、まぁ、でも、と爽生はまたひとつ笑った。
「ええねんけどな。べつに、ほんまに」
「爽生」
 ようやく絞り出した呼びかけをにこりと笑い、爽生が俺を指さす。
「電話。鳴っとるよ」
 コンビニの前で、俺を促したときと同じ台詞だった。でも、そんなの、今の爽生以上に優先しないといけないものはない。
 そのはずだったのに、俺の指はなにかに操られたみたいに、スマホを取り出していた。
「やっと出た。ちょっと、龍平、あんた。ほんまになにやっとんの。もしかしてやけど、東京行かんと遊んどるんとちゃうやろな」
 呆れ半分、繋がった安堵半分の母さんの声。爽生からぎこちなく視線を外し、俺は小声で頷いた。
「いや、……ええと、昨日より進んではおんねんけど」
「昨日よりはってどういうことよ、ほんまに。遊びに行かせるつもりで見送ったんちゃうねんで」
 ごもっともの説教に、小声のままどうにか言い訳を口にする。
 というか、俺だって、もうとっくに東京に着いているつもりだったのだ。本当は。
「ええと、……その、俺にも事情があって」
「事情って。どんな事情よ」
「いや、……あの、ええと」
「龍平」
 口ごもると、しかたないというふうに母さんの口調がゆるんだ。
「もしな。もしやけど、あんたが東京行くん怖いんやったら、帰ってきてもええんやで」
 スマホを握る指に、ぴくりと力が入る。
「あんた、爽ちゃんと最近連絡取ってへんかったって言うてたけど。でも、それは、環境が変わったらあたりまえのことなんよ」
 それは、昨日、宥めるようにミナさんに言われたものと同じ台詞だった。
「べつに、それで、あんたと爽ちゃんが仲良かったことが嘘にはならんし、……今のことが龍平のせいなわけないんやから」
 そんなわけ、ないやん。そう言いたい衝動を堪え、俺は「わかっとるよ」と応じた。
 わかっとるよ。俺が薄情な人間やったんやということは。俺の薄情さが、爽生を追い込んだ一因になったかもしれんということは。
「明日には絶対東京行くで。ごめんやけど、もうちょっとだけ勝手させて。――うん、うん。ちゃんと連絡入れるで」
 父さんにもよろしく、と告げて電話を切る。ふぅと息を吐いて、顔を上げたところで、俺は「え……」と真っ青になった。
「爽生……?」
 いたはずの、制服姿の爽生が忽然と消えている。爽生が立っていた場所に黒猫のマスコットが落ちていることに気づき、俺は慌てて駆け寄った。
「爽生!」
 拾い上げて呼びかけたものの、黒猫からはなんの反応もない。
 ……あ、でも、そうか。
 焦りながら、俺は思考を巡らせた。
 あの夜、俺の部屋で。爽生は黒猫に入ってみせたけれど、それだけだ。黒猫が爽生の本体なわけじゃない。
「でも、じゃあ……」
 どこに行ったんだろう、としゃがんだまま俺は空を見上げた。ドクンドクンととんでもない勢いで心臓が鳴っている。
 違うよな。
 自分に言い聞かせるように、俺は心の中で呟いた。
 昨日、あの男の子は、「朋くん」は、友達のナミちゃんがタイムカプセルを受け取るところを見届けて、満足して消えていった。
 俺にはよくわからないけど、あれが成仏なのかと言われたら、そうなのかもな、と納得することができる。でも。
 ――ええねんけどな。べつに。ほんまに。
 あれは、満足なんかじゃない。
 自分のなにがわかるのか、と爽生に言われたばかりだ。俺だって、さすがにすべてをわかっているとは、もう言うことはできない。
 でも、生まれたころからほとんどずっと一緒だったのだ。あれが、諦めだったということはわかる。
 そんな状態で、消えるなんてありえない。
 ……そうやんな。消えてへんよな。
 必死に自分に言い聞かせていると、目の前にふわりとした光が現れた。はっとして顔を上げる。立っていたのは、あの女の子だった。
 着いてこいというように動き始める。縋りたい一心で、俺は立ち上がった。
「え? こっちってこと?」
 問いかけに、振り返った女の子がこくりと頷く。
 ――あんまり優しいすると引っ張られるで。
 一昨日の夜、呆れた声で爽生が告げた忠告を忘れたわけじゃない。でも。今はそんなことはどうでもいい。
 震えそうになる足を叱咤して、俺は走り出した。
 爽生がなんであってもいい。
 ただ、今の爽生に会いたかった。