「――うん、あの、とにかく、そういうわけで。いろいろとありましてぇ」
夜。見知らぬ街の――まぁ、名古屋のどこかではあると思うんだけど――今日知り合ったばかりの人のアパートの外階段で、俺はぼそぼそと言い訳がましい電話をかけていた。
相手は母さんである。
昨日の新幹線が止まったんはしょうがないとしても、今日はいったいなんなんや、と。呆れ八割で怒っている母さんをどうにかこうにか宥めすかせ、通話を切る。
通話時間七分十四秒と表示された画面を見つめ、俺は溜息を吐いた。
ちなみにだけど、爽生はいない。本日泊まらせてもらう予定のナミちゃん、改め、ナミさんの部屋に置いてきたからだ。
夜になっても蒸し暑い風を感じたまま、くしゃりと髪を掻きやる。外階段の一番下に腰かけた状態で、俺は肩を落とした。
……いや、そら、俺かて、はよ東京行こうと思ってたけどさぁ。
爽生の突然の人助けから始まり、ナミさんの家でもろもろの説明をしていたら、「今日はもう泊まっていったら?」みたいな時間になってしまったのだ。不可抗力と主張したい。
……でも、ほんま、なんで急にこんなことしよう言うたんやろ、爽生。
心の中で、俺は呟いた。現状は、俺にとっては不可抗力だけど、爽生にとってはそうじゃない。
こういうお節介するやつやったっけ、と尋ねたとき、ひどいなぁ、と爽生は笑っていたけれど。
「……なに考えてんのやろ、ほんま」
なんだか、俺は、本当に。爽生のことがわからなくなっている。
落ち込みそうになったタイミングで、上階でガチャリと扉が開く音がした。
「あ、ナミさん」
階段を下りてきたナミさんに声をかけると、ナミさんも「おー」とにかりとした笑顔をみせる。
「ちゃんと連絡ついた?」
「ついた、ついた。大丈夫」
「ならええけど。でも、悪かったな、引き留めて。東京の友達に会いに行くんやったんよな。日にちずれてもうたけど、そっちも大丈夫か?」
そう問いかけながら、ナミさんが俺の一段上に腰を下ろす。煙草を吸うつもりだったらしく、その手には煙草の箱があった。
自然なしぐさで煙草を一本引き抜いたナミさんを見つめたまま、小さく応じる。
「あ、……うん、大丈夫」
「そっか? ならええんやけど。――って、龍、未成年やったな」
微妙に眉をしかめると、ナミさんは箱をポケットに戻した。べつにいいですよ、と言うのもちょっと違う気がして、苦笑を刻む。
そうしてから、俺は言い訳のようなことを言った。中途半端な返事をしてしまった、さっきの友達の話。
「べつに、……その、何日に会うって約束しとるわけやないんで」
「そういうもんなんや。いや、それやったら、ぜんぜん俺はええねんけど。でも、ええな。夏休みに友達に会いに行くって。引っ越した子なんやったっけ」
「うん」
「仲良いんやな」
「うん」
頷いて、また少し迷ったものの、俺は言い足した。関係のない第三者に、聞いてほしかったのかもしれない。
「俺、そいつと幼なじみで、めっちゃ仲良かってんけど」
自分で過去形を選んだことに気づいたまま、話を続ける。大通りから離れた住宅街にあるからか、アパートの前は静かだった。
京都のネカフェとは違う、地元と少し似た静かな夜の空気。
「引っ越すって聞いたときも寂しいて、ラインも通話もいっぱいしよ言うて」
「あー、はい、はい」
「実際、最初はようしとったんやけど。高校始まったら、なんか」
そう言って、俺はぐっとスマホを握りしめた。
春休み、俺のラインのトーク履歴は、常に爽生の名前が一番上にあった。
またかいな、と笑いながら、爽生はいつも付き合てくれて。でも、高校が始まったら、いつのまにか爽生の名前の表示がぐんと下がった。
新しいクラスのグループラインとか、クラスの友達とか、そういうやりとりがどんどん増えて、それで。
最後は、音声通話の着信履歴に既読だけつけて、折り返すこともしなかった。握りしめたスマホを凝視して、俺は吐き出した。
「俺、ぜんぜん連絡せんくなって」
「あー……、まぁ、でも、しゃあないんと違う?」
火のついていない煙草を指に挟んだまま、ナミさんが言う。本当にしかたないと思っている、あっけらかんとした言い方だった。
「環境が変わったら、人間関係が変わるんは。むしろ、あたりまえやろ」
「それは、……そうかもしらんけど」
俺の声に屈託がにじんでいたのか、ふっとナミさんが笑う。しかたがないというような調子だった。
「俺、転勤族やったって言うたやろ?」
「うん」
「ここにおったんは、小学校の三年生のころまでやねんけど。そのときも、引っ越したない言うて泣いた記憶はあるけど」
もう一度、うん、と頷く。
「それで、そういう涙のお別れ、みたいなんは何回も経験したけどな」
「……うん」
「でも、引っ越して、そっちに馴染んだら、あっというまに忘れたよ」
身も蓋もないそれに、俺はぱっとナミさんを見た。目が合ったナミさんが、ほんの少し困ったふうに眉を下げる。
「まぁ、あっというまは言いすぎかもしらんけど。でも、そんなもんやろ。徐々に、そいつがおらん今が日常になるんは」
おらんくなった相手にずっと固執しとるほうが、おかしい気もするしなぁ、と言い、ナミさんは器用に煙草をくるりと回した。
「朋が死んだって聞いたときは、たしかにショックやったけど。でも、タイムカプセルのことも今日まで忘れとったしなぁ、俺」
「……そうなんや」
「まぁ、でも、どっかで覚えとったから、わざわざ大学でこっちに戻って来たんかもしらんな」
朋くんのことが引っかかっていたから、それで。
もし、そうだったら、あの子はきっと喜んだだろうな。そんなことを思いながら、俺は「そうなんや」と同じ相槌を繰り返した。
……ナミさんの言うことはわからんでもないけど。
というか、間違いなく俺を慰めてくれているんだろうけど。でも、その甘言に乗りたくないな、と思った。
生ぬるい風がナミさんの金髪を揺らしていく。なんとなくじっと見つめていると、ナミさんがぽつりと口を開いた。
「大人になったら開けよ、言うてたんよなぁ。たしか」
「それってタイムカプセル?」
「そう、そう。引っ越す前に、一緒に埋めよ言うて。開けるんは大人になって再会したときって」
「…………」
「成人式とか、そんなこと想像しとったんかな。もう忘れたけど」
小さく笑い、ナミさんは話を続けた。
「そのとき、俺の引っ越し先、広島やったんよ。子どもやったら遠いやろ? ひとりでなんて行かれへん」
「うん」
「でも、大人になったらなんでもできるし、会いに行けるって思ってたんよな」
そんなわけないのになぁと言わんばかりの調子に、うん、と首肯する。
でも、子どもって、きっと、そういうものだ。あるいは、俺が、爽生のことはなんでもわかると妄信していたことも同じなのかもしれない。
「大人になられへんなんて、思ってもおらんかったしな」
「……うん」
ナミさんから視線を外し、俺は自分の膝を見つめた。膝、というか、膝の近くで握っていたスマホ。
俺の後悔の象徴みたいな存在。それをぎゅっと握りしめたまま、でも、と思う。
俺だって、あたりまえに大人になって、距離が遠くたって、爽生とはずっと友達だと思っていた。
俺の態度をどう捉えたのだろうか。ナミさんが「でも」と穏やかに笑う。
「せやで、思い出せてよかったわ。ありがとうな」
「ほんまに?」
「なんの確認やねん、それ」
はは、と苦笑まじりに言い、ナミさんは頷いた。
「あたりまえやろ。懐かしい気持ちにもなれたでな」
「懐かしい……」
ナミさんは大学三年生だと言っていたから、小学校三年生だったころは十年は前の話になるのだろう。
……俺もいつか思い出になるはずやったんかな。
自嘲気味に、俺は想像した。
あたりまえに爽生と連絡を取る回数が減って、お互い大人になって。そういや、昔は仲良かったなぁ、なんて。
今、なにしてるのかは知らんねんけどな、なんて。違う誰かと話すような、そんな。
「でも」
自分の感情ひとつまともに整理できないまま、俺は絞り出した。
「でも、俺はそれは嫌やねん。懐かしいにしたぁない」
「せやったら、仲直りせんとあかんなぁ」
「え……」
「あれ、なんや。喧嘩してるわけやなかったん?」
戸惑った声をこぼした俺に、ナミさんが首を傾げる。
「てっきりそうなんやと思っとったわ」
「いや、……どうなんやろ」
謎に拍子抜けした気分で、俺は自問自答した。爽生と喧嘩。
「俺、そいつと喧嘩したこと、あんまりないかもしらん」
「マジで?」
「…………うん」
悩みながらも、俺は首肯した。
そうだ。爽生と喧嘩をしたことはたぶん、ない。
「すぐに仲直りするようなしょうもない喧嘩はしたことあるけど、でも」
それさえも、すごく小さなころの記憶になってしまうかもしれない。
改めて冷静に考えると、異質な関係だったのかも。悩み始めた俺に、ナミさんは「へぇ」と不思議そうな声を出した。
「そういう関係もあるんやな。俺と朋なんて、笑ったんと同じくらい喧嘩しとったのに」
黙り込んだ俺の頭を、ナミさんがわしゃりと撫でる。今日会ったばかりの人なのに、なんだか近所のお兄ちゃんみたいだ。
「でも、まぁ、あれやな」
「ん?」
「今、龍が気まずいって思ってるんやったら、ちゃんと話してすっきりしたほうがええんやろね」
「……せやな」
じっとナミさんを見つめたまま、頷く。
「そうよな」
「せやで。死んでもうたら、どうにもならへんねんから。ちゃんと喋って、思ってること言うて、思ってること聞かんと」
「うん」
「まぁ、俺が言うたら、重すぎるってなりそうやけどな」
爽生の現状を――爽生も半分幽霊のようなものなのだと知らないナミさんはあっさりとそう言って笑い、ポケットに手を突っ込んだ。
なんや、結局、煙草吸うんか、と思っていた俺は、差し出されたものに「え」と目を瞠った。
「ナミさん、これ」
「やるわ」
タイムカプセルに入っていたカードのうちの一枚。受け取りに躊躇していると、ナミさんが笑った。
「朋が俺にくれるつもりで入れてたやつは、俺が大事に貰っとくけど。それはやるわ」
「いや、でも」
「なんやろ。むしろ、ちょっと龍に持っとってほしいねん。俺ら以外のやつが俺らのこと覚えとってくれとったらうれしいで」
「…………」
「それに、龍が見つけてくれんかったら、俺んとこに来んかったもんやし。こういうんも縁って言うんやない?」
……縁、か。
人助けと言って笑っていた黒猫の顔と、男の子の笑顔。そうして、ひとり大人になったナミさんの穏やかな声音。
「うん」
ありがとう、と呟くように言い、俺はカードに手を伸ばした。知らないカードを見つめたまま、想像する。
引っ越しをする前に、小学校三年生だったナミさんと朋くんが、宝物のカードをタイムカプセルにしまっている場面。
実際に見たわけじゃないから、本当にただの想像なんだけど。あたりまえに大人になって、ふたりで開けることができていたらよかったのにな、と思う。
それで――、爽生もいたらよかったのに。カードから顔を上げ、俺は口を開いた。
「あのな。これ、見つけたの、俺やないねん」
「え? おまえがスコップで掘り出したって言うてへんかった?」
「いや、そうやねんけど。朋くんを見つけて、朋くんのお願いを叶えよう言うたんが俺やなくて」
「うん」
「爽生」
なんだか妙にドキドキとした気分で告げた俺に、ナミさんは一拍置いて「ああ」とちょっと大きな声を出した。
「電波か!」
初対面のときのとんでもないやりとりと気づき、俺は眉を下げた。
「ちゃう、ちゃう。俺の幼なじみ」
苦笑まじりに、そう打ち明ける。
たぶんだけど。俺も、俺たちだけじゃない誰かに知ってほしかったのだと思う。俺が今ひとりで旅をしているわけじゃないということを。
「幼なじみ?」
「うん。……まぁ、今はちょっとわけあって黒猫やねんけど」
「黒猫。ああ、あのマスコット!」
得心したらしいらしく、ナミさんはけたけたと笑い出した。その声が、静かな夜に反響する。
……なんや、そんなすぐ納得してくれるんや。
拍子抜けした気分で、俺はナミさんを見つめた。俺の視線に気がついているのか、いないのか。笑ったまま、「どうりでなぁ」とナミさんが言葉を継ぐ。
「あの黒猫、ちょいちょい変な動きするなぁと思っててん」
「あ、やっぱり?」
俺は思わず眉を下げた。
「あいつ、けっこう隠す気なく動くねん」
なんで「わけあって」なのかは問わないまま、ナミさんが頷く。
「そっか、そっか。そら、ぬい活やなかったなぁ」
「……うん」
ナミさんの言葉が、自分でもびっくりするくらいうれしくて。俺はもう一度はっきりと言葉にした。
「せやねん、ぬい活やないねん」
「うん」
わかったというように相槌を打ったナミさんが、ぽんと俺の頭を撫でて立ち上がる。
「ほな、戻ろか。爽生も待っとるしなぁ」
「うん」
反射で頷いたあと、俺ははっとして言い足した。
「でも、たぶん、ナミさんには声聞こえへんと思うんやけど」
「なんや、結局電波やんけ。まぁ、でも、ええわ。なんでも」
いいかげんな台詞なのに、それもすごくうれしくて。俺は二日ぶりくらいにほっとした気分で「うん」と笑った。
昨夜とは打って変わって、ゆっくり眠ることができた翌朝。「行ってきます」と靴を履いた俺に、ナミさんはスマホを取り出した。
「写真撮ったるわ、せっかくやで」
予想外の提案に、俺は肩に乗る爽生と目を見合わせる。爽生はなにも言わなかったけど。言わないのはオッケーということだろう。
勝手に解釈して、俺は「じゃあ」と笑った。
せっかくの爽生とのふたり旅の記念。
スマホでパシャリと写真を撮ったナミさんが、「ほな、ふたりとも気ぃつけや」と手を振った。
「また遊びおいでや」
「うん」
ありがとう、と最後に告げて、爽生と一緒に部屋を出る。カンカンとリズム良く階段を降りる俺に、爽生はほんの少し呆れた顔で、
「なんや、えらい機嫌ええなぁ」
と言った。
夜。見知らぬ街の――まぁ、名古屋のどこかではあると思うんだけど――今日知り合ったばかりの人のアパートの外階段で、俺はぼそぼそと言い訳がましい電話をかけていた。
相手は母さんである。
昨日の新幹線が止まったんはしょうがないとしても、今日はいったいなんなんや、と。呆れ八割で怒っている母さんをどうにかこうにか宥めすかせ、通話を切る。
通話時間七分十四秒と表示された画面を見つめ、俺は溜息を吐いた。
ちなみにだけど、爽生はいない。本日泊まらせてもらう予定のナミちゃん、改め、ナミさんの部屋に置いてきたからだ。
夜になっても蒸し暑い風を感じたまま、くしゃりと髪を掻きやる。外階段の一番下に腰かけた状態で、俺は肩を落とした。
……いや、そら、俺かて、はよ東京行こうと思ってたけどさぁ。
爽生の突然の人助けから始まり、ナミさんの家でもろもろの説明をしていたら、「今日はもう泊まっていったら?」みたいな時間になってしまったのだ。不可抗力と主張したい。
……でも、ほんま、なんで急にこんなことしよう言うたんやろ、爽生。
心の中で、俺は呟いた。現状は、俺にとっては不可抗力だけど、爽生にとってはそうじゃない。
こういうお節介するやつやったっけ、と尋ねたとき、ひどいなぁ、と爽生は笑っていたけれど。
「……なに考えてんのやろ、ほんま」
なんだか、俺は、本当に。爽生のことがわからなくなっている。
落ち込みそうになったタイミングで、上階でガチャリと扉が開く音がした。
「あ、ナミさん」
階段を下りてきたナミさんに声をかけると、ナミさんも「おー」とにかりとした笑顔をみせる。
「ちゃんと連絡ついた?」
「ついた、ついた。大丈夫」
「ならええけど。でも、悪かったな、引き留めて。東京の友達に会いに行くんやったんよな。日にちずれてもうたけど、そっちも大丈夫か?」
そう問いかけながら、ナミさんが俺の一段上に腰を下ろす。煙草を吸うつもりだったらしく、その手には煙草の箱があった。
自然なしぐさで煙草を一本引き抜いたナミさんを見つめたまま、小さく応じる。
「あ、……うん、大丈夫」
「そっか? ならええんやけど。――って、龍、未成年やったな」
微妙に眉をしかめると、ナミさんは箱をポケットに戻した。べつにいいですよ、と言うのもちょっと違う気がして、苦笑を刻む。
そうしてから、俺は言い訳のようなことを言った。中途半端な返事をしてしまった、さっきの友達の話。
「べつに、……その、何日に会うって約束しとるわけやないんで」
「そういうもんなんや。いや、それやったら、ぜんぜん俺はええねんけど。でも、ええな。夏休みに友達に会いに行くって。引っ越した子なんやったっけ」
「うん」
「仲良いんやな」
「うん」
頷いて、また少し迷ったものの、俺は言い足した。関係のない第三者に、聞いてほしかったのかもしれない。
「俺、そいつと幼なじみで、めっちゃ仲良かってんけど」
自分で過去形を選んだことに気づいたまま、話を続ける。大通りから離れた住宅街にあるからか、アパートの前は静かだった。
京都のネカフェとは違う、地元と少し似た静かな夜の空気。
「引っ越すって聞いたときも寂しいて、ラインも通話もいっぱいしよ言うて」
「あー、はい、はい」
「実際、最初はようしとったんやけど。高校始まったら、なんか」
そう言って、俺はぐっとスマホを握りしめた。
春休み、俺のラインのトーク履歴は、常に爽生の名前が一番上にあった。
またかいな、と笑いながら、爽生はいつも付き合てくれて。でも、高校が始まったら、いつのまにか爽生の名前の表示がぐんと下がった。
新しいクラスのグループラインとか、クラスの友達とか、そういうやりとりがどんどん増えて、それで。
最後は、音声通話の着信履歴に既読だけつけて、折り返すこともしなかった。握りしめたスマホを凝視して、俺は吐き出した。
「俺、ぜんぜん連絡せんくなって」
「あー……、まぁ、でも、しゃあないんと違う?」
火のついていない煙草を指に挟んだまま、ナミさんが言う。本当にしかたないと思っている、あっけらかんとした言い方だった。
「環境が変わったら、人間関係が変わるんは。むしろ、あたりまえやろ」
「それは、……そうかもしらんけど」
俺の声に屈託がにじんでいたのか、ふっとナミさんが笑う。しかたがないというような調子だった。
「俺、転勤族やったって言うたやろ?」
「うん」
「ここにおったんは、小学校の三年生のころまでやねんけど。そのときも、引っ越したない言うて泣いた記憶はあるけど」
もう一度、うん、と頷く。
「それで、そういう涙のお別れ、みたいなんは何回も経験したけどな」
「……うん」
「でも、引っ越して、そっちに馴染んだら、あっというまに忘れたよ」
身も蓋もないそれに、俺はぱっとナミさんを見た。目が合ったナミさんが、ほんの少し困ったふうに眉を下げる。
「まぁ、あっというまは言いすぎかもしらんけど。でも、そんなもんやろ。徐々に、そいつがおらん今が日常になるんは」
おらんくなった相手にずっと固執しとるほうが、おかしい気もするしなぁ、と言い、ナミさんは器用に煙草をくるりと回した。
「朋が死んだって聞いたときは、たしかにショックやったけど。でも、タイムカプセルのことも今日まで忘れとったしなぁ、俺」
「……そうなんや」
「まぁ、でも、どっかで覚えとったから、わざわざ大学でこっちに戻って来たんかもしらんな」
朋くんのことが引っかかっていたから、それで。
もし、そうだったら、あの子はきっと喜んだだろうな。そんなことを思いながら、俺は「そうなんや」と同じ相槌を繰り返した。
……ナミさんの言うことはわからんでもないけど。
というか、間違いなく俺を慰めてくれているんだろうけど。でも、その甘言に乗りたくないな、と思った。
生ぬるい風がナミさんの金髪を揺らしていく。なんとなくじっと見つめていると、ナミさんがぽつりと口を開いた。
「大人になったら開けよ、言うてたんよなぁ。たしか」
「それってタイムカプセル?」
「そう、そう。引っ越す前に、一緒に埋めよ言うて。開けるんは大人になって再会したときって」
「…………」
「成人式とか、そんなこと想像しとったんかな。もう忘れたけど」
小さく笑い、ナミさんは話を続けた。
「そのとき、俺の引っ越し先、広島やったんよ。子どもやったら遠いやろ? ひとりでなんて行かれへん」
「うん」
「でも、大人になったらなんでもできるし、会いに行けるって思ってたんよな」
そんなわけないのになぁと言わんばかりの調子に、うん、と首肯する。
でも、子どもって、きっと、そういうものだ。あるいは、俺が、爽生のことはなんでもわかると妄信していたことも同じなのかもしれない。
「大人になられへんなんて、思ってもおらんかったしな」
「……うん」
ナミさんから視線を外し、俺は自分の膝を見つめた。膝、というか、膝の近くで握っていたスマホ。
俺の後悔の象徴みたいな存在。それをぎゅっと握りしめたまま、でも、と思う。
俺だって、あたりまえに大人になって、距離が遠くたって、爽生とはずっと友達だと思っていた。
俺の態度をどう捉えたのだろうか。ナミさんが「でも」と穏やかに笑う。
「せやで、思い出せてよかったわ。ありがとうな」
「ほんまに?」
「なんの確認やねん、それ」
はは、と苦笑まじりに言い、ナミさんは頷いた。
「あたりまえやろ。懐かしい気持ちにもなれたでな」
「懐かしい……」
ナミさんは大学三年生だと言っていたから、小学校三年生だったころは十年は前の話になるのだろう。
……俺もいつか思い出になるはずやったんかな。
自嘲気味に、俺は想像した。
あたりまえに爽生と連絡を取る回数が減って、お互い大人になって。そういや、昔は仲良かったなぁ、なんて。
今、なにしてるのかは知らんねんけどな、なんて。違う誰かと話すような、そんな。
「でも」
自分の感情ひとつまともに整理できないまま、俺は絞り出した。
「でも、俺はそれは嫌やねん。懐かしいにしたぁない」
「せやったら、仲直りせんとあかんなぁ」
「え……」
「あれ、なんや。喧嘩してるわけやなかったん?」
戸惑った声をこぼした俺に、ナミさんが首を傾げる。
「てっきりそうなんやと思っとったわ」
「いや、……どうなんやろ」
謎に拍子抜けした気分で、俺は自問自答した。爽生と喧嘩。
「俺、そいつと喧嘩したこと、あんまりないかもしらん」
「マジで?」
「…………うん」
悩みながらも、俺は首肯した。
そうだ。爽生と喧嘩をしたことはたぶん、ない。
「すぐに仲直りするようなしょうもない喧嘩はしたことあるけど、でも」
それさえも、すごく小さなころの記憶になってしまうかもしれない。
改めて冷静に考えると、異質な関係だったのかも。悩み始めた俺に、ナミさんは「へぇ」と不思議そうな声を出した。
「そういう関係もあるんやな。俺と朋なんて、笑ったんと同じくらい喧嘩しとったのに」
黙り込んだ俺の頭を、ナミさんがわしゃりと撫でる。今日会ったばかりの人なのに、なんだか近所のお兄ちゃんみたいだ。
「でも、まぁ、あれやな」
「ん?」
「今、龍が気まずいって思ってるんやったら、ちゃんと話してすっきりしたほうがええんやろね」
「……せやな」
じっとナミさんを見つめたまま、頷く。
「そうよな」
「せやで。死んでもうたら、どうにもならへんねんから。ちゃんと喋って、思ってること言うて、思ってること聞かんと」
「うん」
「まぁ、俺が言うたら、重すぎるってなりそうやけどな」
爽生の現状を――爽生も半分幽霊のようなものなのだと知らないナミさんはあっさりとそう言って笑い、ポケットに手を突っ込んだ。
なんや、結局、煙草吸うんか、と思っていた俺は、差し出されたものに「え」と目を瞠った。
「ナミさん、これ」
「やるわ」
タイムカプセルに入っていたカードのうちの一枚。受け取りに躊躇していると、ナミさんが笑った。
「朋が俺にくれるつもりで入れてたやつは、俺が大事に貰っとくけど。それはやるわ」
「いや、でも」
「なんやろ。むしろ、ちょっと龍に持っとってほしいねん。俺ら以外のやつが俺らのこと覚えとってくれとったらうれしいで」
「…………」
「それに、龍が見つけてくれんかったら、俺んとこに来んかったもんやし。こういうんも縁って言うんやない?」
……縁、か。
人助けと言って笑っていた黒猫の顔と、男の子の笑顔。そうして、ひとり大人になったナミさんの穏やかな声音。
「うん」
ありがとう、と呟くように言い、俺はカードに手を伸ばした。知らないカードを見つめたまま、想像する。
引っ越しをする前に、小学校三年生だったナミさんと朋くんが、宝物のカードをタイムカプセルにしまっている場面。
実際に見たわけじゃないから、本当にただの想像なんだけど。あたりまえに大人になって、ふたりで開けることができていたらよかったのにな、と思う。
それで――、爽生もいたらよかったのに。カードから顔を上げ、俺は口を開いた。
「あのな。これ、見つけたの、俺やないねん」
「え? おまえがスコップで掘り出したって言うてへんかった?」
「いや、そうやねんけど。朋くんを見つけて、朋くんのお願いを叶えよう言うたんが俺やなくて」
「うん」
「爽生」
なんだか妙にドキドキとした気分で告げた俺に、ナミさんは一拍置いて「ああ」とちょっと大きな声を出した。
「電波か!」
初対面のときのとんでもないやりとりと気づき、俺は眉を下げた。
「ちゃう、ちゃう。俺の幼なじみ」
苦笑まじりに、そう打ち明ける。
たぶんだけど。俺も、俺たちだけじゃない誰かに知ってほしかったのだと思う。俺が今ひとりで旅をしているわけじゃないということを。
「幼なじみ?」
「うん。……まぁ、今はちょっとわけあって黒猫やねんけど」
「黒猫。ああ、あのマスコット!」
得心したらしいらしく、ナミさんはけたけたと笑い出した。その声が、静かな夜に反響する。
……なんや、そんなすぐ納得してくれるんや。
拍子抜けした気分で、俺はナミさんを見つめた。俺の視線に気がついているのか、いないのか。笑ったまま、「どうりでなぁ」とナミさんが言葉を継ぐ。
「あの黒猫、ちょいちょい変な動きするなぁと思っててん」
「あ、やっぱり?」
俺は思わず眉を下げた。
「あいつ、けっこう隠す気なく動くねん」
なんで「わけあって」なのかは問わないまま、ナミさんが頷く。
「そっか、そっか。そら、ぬい活やなかったなぁ」
「……うん」
ナミさんの言葉が、自分でもびっくりするくらいうれしくて。俺はもう一度はっきりと言葉にした。
「せやねん、ぬい活やないねん」
「うん」
わかったというように相槌を打ったナミさんが、ぽんと俺の頭を撫でて立ち上がる。
「ほな、戻ろか。爽生も待っとるしなぁ」
「うん」
反射で頷いたあと、俺ははっとして言い足した。
「でも、たぶん、ナミさんには声聞こえへんと思うんやけど」
「なんや、結局電波やんけ。まぁ、でも、ええわ。なんでも」
いいかげんな台詞なのに、それもすごくうれしくて。俺は二日ぶりくらいにほっとした気分で「うん」と笑った。
昨夜とは打って変わって、ゆっくり眠ることができた翌朝。「行ってきます」と靴を履いた俺に、ナミさんはスマホを取り出した。
「写真撮ったるわ、せっかくやで」
予想外の提案に、俺は肩に乗る爽生と目を見合わせる。爽生はなにも言わなかったけど。言わないのはオッケーということだろう。
勝手に解釈して、俺は「じゃあ」と笑った。
せっかくの爽生とのふたり旅の記念。
スマホでパシャリと写真を撮ったナミさんが、「ほな、ふたりとも気ぃつけや」と手を振った。
「また遊びおいでや」
「うん」
ありがとう、と最後に告げて、爽生と一緒に部屋を出る。カンカンとリズム良く階段を降りる俺に、爽生はほんの少し呆れた顔で、
「なんや、えらい機嫌ええなぁ」
と言った。



