今ごろは魔王を倒しているはずだった

 炎天下の知らない道を、ふよふよと進む男の子を追いかけながら歩くこと、十数分。暑さに耐えかね、俺は「あかん」と呟いた。
 通り過ぎようとしていた自動販売機に手をつき、息も絶え絶えに訴える。
「ちょお、ほんま待って。なんか飲ませてくれん? ふつうにめっちゃ暑いねんけど」
「ああ」
 だらだらと汗を流す俺を一瞥し、爽生は気の毒にという顔をした。
「不便そうやな、人間」
「なんで俺が少数派みたいになってんねん……」
 絶対にいろいろとおかしいやろ。おまけに、突っ込みづらいことこの上ない。もごもごと口の中で文句を言い、俺は自動販売機のボタンを押した。
「あ、生き返る……。いや、ほんまに死ぬかと思った。暑すぎるやろ、名古屋」
「そう言うけど。俺らの地元もたいがいの暑さやで。ちょいちょい日本一言うてるやん」
 爽生の言に、ごくごくと炭酸を飲みながら頷く。
「ああ……。冬はふつうに寒いのにな」
「なぁ。最悪な気候やで、ほんま。梅雨はめっちゃじめじめするしな」
「ふぅん。東……」
「なに?」
「いや、うん。なんでもない。なんでも」
 東京はどうなん、と聞こうと思って、でも、やっぱり、デリカシーがないんじゃないかな、と気がついて。中途半端に言うのをやめただけである。
 気まずさを誤魔化すように、俺はペットボトルの蓋を閉めた。
 ……それにしても、どこまで行くんやろ、これ。
 にわかに心配になって、ちらりと男の子を見る。そこで、俺は、男の子がじっとペットボトルを見つめていたことに気がついた。
 もしかして、と問いかける。
「あ、飲みたいん? これ」
 ペットボトルを持ち上げると、心なしか男の子の瞳がきらめいた。それは、まぁ、夏だし。暑いし。飲ませてあげたいとは思うけど。
「…………」
 うーんと悩んで、俺は小声で爽生に助けを求めた。
「なぁ。飲まれへんよな、これ」
「まぁ、でも、幽霊やし。お供えしたら飲めるんちゃう?」
「お供え……」
 斜め上の提案に、きょろきょろと周囲を見渡す。
「お墓とか、お仏壇の前やなくてええんか……?」
 駅前に比べると人の通りは減ったけど、今いる場所は店が点在する大通りだ。お供えと聞いて、ぱっと思い浮かぶようなものはない。
 困惑する俺に、爽生はさらりと言い放った。
「大事なんは気持ちやろ」
「ばあちゃんみたいなこと言うなぁ」
 まぁ、爽生。おばあちゃんっ子やったもんな、昔から。
 懐かしさと、それなのに、爽生のおばあちゃんを気にかけなかった自分に対する罪悪感。
 入り乱れる感情に蓋をして、自動販売機で同じジュースを買る。それをきゅっと握って、俺は男の子に差し出した。
 お墓にお供えをするように、手を合わせる方法も浮かんだけど。それは少し違う気がしたのだ。
「はい、どうぞ。飲みたかったんやろ?」
 近所の小さい子を相手にする要領で、笑いかける。
 俺に男の子の声は聞こえないけど、男の子に俺の声は届いたみたいだった。ベットボトルを凝視していた男の子が、にこっと笑う。
「あ……」
 小さな手にペットボトルが握りしめられている光景に、思わずといった声がこぼれた。
「お供えってこんな感じなんや……」
 男の子もペットボトルを握っているけど、俺の手にもペットボトルは残っている。不思議な気持ちで交互に見やっていると、爽生がほほえましそうに口を開いた。
「よかったなぁ、龍。スキル解放って感じやん」
「いや、なんのゲームよ、それ」
 最初の村やないねんから。小さく突っ込みを入れたものの、爽生はにこにこと男の子を見つめている。
 見た目は猫のマスコットだけど、わかる。これは純粋に喜んでいるときの表情だ。
 ――よかったなぁ、紗英ちゃん。ちゃんとできたやん。
 そんなふうに笑いながら、爽生は俺の妹の面倒もよく見てくれた。爽生は優しい。でも。
 腹の底にうずく違和感に、俺は首をひねった。
「というか、爽生」
「ん? なによ」
「いや、おまえ。昨日、俺に『あんま関わんな』って言うたよな?」
 いまさらな確認かもしれないけれど、思い出すと気になってしまう。怪訝な声を出した俺に、爽生はにこりと頷いた。
「ああ、まぁ。でも、それはそれ。これはこれというか」
「なんやねん、それ」
 ほかに言いようがなく、溜息まじりに苦笑する。そんな気はしていたけれど、爽生はそれ以上は言わなくて。俺たちのあいだに沈黙が流れた。
 湿度を含んだぬるい風が、頬をなぶっていく。
「……暑いな、ほんま」
 手持無沙汰に呟いて、俺は手団扇で顔を扇いだ。ふぅと息を吐いたタイミングで、うれしそうに炭酸飲料を飲んでいた男の子が移動を始めた。
 ふわりふわりと揺れる背中を追って、俺も歩き出す。
 考えないようにしようかな、と思ったけど、やっぱり気になって。悠々自適に肩に乗っている黒猫に、俺はもう一度問いかけた。
「爽生って」
「ん?」
「こういうお節介するやつやったっけ?」
 こういう、赤の他人へのお節介。
 俺の妹の相手をしてくれることはあったし、俺にも優しかった。でも、それは、爽生が身内と認定した相手だからだと思っていた。
 ほんの一瞬の間のあとで、爽生がくすくすと笑う。
「嫌やなぁ。龍の中の俺って、そんな冷たいイメージなんや」
「そういうわけやないけど」
 そう。そういうわけではないのだけれど。うまく説明できずに口ごもると、爽生はぽつりと切り出した。
「なんや、言うたやろ、俺」
「言うたって、なにを?」
 なんだかやけに表情がころころ切り替わるな、と。不思議に感じつつ問い返す。
「魔王倒しとるはずやったって」
「え……」
「いや、まぁ、冗談やねんけど」
 本当に冗談なのだろうか。
 不安になったものの、うまく返すことができなくて。黙り込んだものの、爽生の態度は変わらなかった。冗談だと主張するように笑う。
「でも、まぁ、なんや。せっかくやで、こういう徳? 詰むんも悪うないなぁ思て」
「……徳。それで人助けなん?」
 そこでようやく俺は問い返すことができた。黒猫の短いしっぱが揺れて、肩に当たる。
 返事のつもりなのかもしれない。指でちょいと黒猫を触って、俺は前を行く男の子に意識を向けた。
「あ……」
 呆然とした声で呟き、男の子の足元を凝視する。
 ……なんで気づかへんかったんやろ、俺。
 青い靴を履いた小さな足元は、かすかに透けていた。おまけに、アスファルトを踏んでいるようで、踏んでいない。
「なぁ、爽……」
「ま、龍のほうが似合ってるんは事実やけどな」
「は?」
 呼びかけと重なった軽口に、ぱっと黒猫を振り返る。シリアスになっていた俺の心境を知ってか知らずか、黒猫は楽しそうだった。
「ほら、龍。小学校の修学旅行のときも」
「なんよ」
 脱力した気分で、相槌を打つ。人助けが俺のほうが似合うってなんやねん、とちょっと訝しみながら。
「大阪で、財布落とした人追いかけて、迷子なってたやん」
 ありていに言って、黒歴史というやつだ。三度黙り込んだ俺に、爽生はまた小さな笑みをこぼした。
「人助けやとかなんとか、調子ええことばっかり言うなぁ思うてたけど。でも、龍はほんまにそうなんよな」
「…………」
「覚えとる?」
「……覚えとるよ」
 しぶしぶと、俺は頷いた。忘れるわけがないし、爽生が誰かと俺を勘違いしているわけもない。
 なにせ、俺と爽生は、保育園から中学校までずっと一緒だったのだ。おまけに、ド田舎の公立の小規模校ばかりだったから、クラスもずっと一緒。
 だから、俺たちは、ついこのあいだまで、ほとんどの記憶を共有していた。
 一番古い記憶が爽生なんじゃないか、と俺が思う理由のひとつ。
「なんや、龍。えらい嫌そうやん」
 からかう顔をした爽生だったが、少し先にあるホームセンターが気になったらしく、「あ」と指を指した。ぴょこんと黒猫の背筋が伸びる。
「龍。あそこ」
「なに?」
「ちっちゃいスコップ買ってこ」
「ちっちゃいスコップ」
 嫌な予感しかしない。繰り返した俺に、爽生が「そう、そう」と頷く。
「砂場遊びのやつより、園芸用のほうがええと思うで。知らんけど」
「いや、知らんけどって」
 ほんまにもうなんやねん。
 何度目になるのかわからない悶々を呑み込んで、俺は進む方向をホームセンターに変更した。
 ずっと外を歩いていたので、クーラーの効いた店内が天国に思える。
 ……でも、爽生って、こんなやつやったっけ。
 理由も言わずに人を振り回して、飄々としているような。
 本日二回目の疑問に、園芸用品のコーナーでスコップを選びながら、首をひねる。
 いや、でも、飄々とはしとったか。俺はそう思い直した。
 物事にこだわりがなくて、基本的によく笑っていて、たぶん、穏やかで。でも、だから、なにを考えているのかわからないと評されがちだった。
 ……けど、俺はわかるって思うてたんよなぁ。
 なんの根拠もないのに、自信満々に。
 スコップを購入して外に出ると、また暑い太陽が肌を焼いた。目を細めると、店内ではおとなしくしていた爽生が口を開く。
「友達と埋めてんて。タイムカプセル」
「はぁ、タイムカプセル」
「でも、事故で死んでもうて、取り出せへんかったんやって」
 その説明に、俺は小さな背中に視線を移した。
 昨日の夜に会った女の子と違い、俺はあの子と喋ることができない。でも、爽生は俺のわからないところでやりとりをしているみたいだった。
「それで、気になっててんて」
 男の子から聞いたらしい情報を、淡々と俺に伝えてくる。
「龍が視えるんやったらちょうどいい。掘って見つけて、友達のとこに届けてほしいって言うてる」
「……それは、俺にってことやんね?」
「うん。そうしたら、成仏できるかもしらんねんて」
「成仏……」
 ドキリとして、俺は繰り返した。
 その声が聞こえたのか、男の子が振り返る。再びドキリとしたものの、男の子はすぐ近くにある公園に入っていった。
 到着したという意思表示だったのかもしれない。
「タイムカプセルなぁ」
 もう一度呟いて、公園に足を踏み入れる。
 そこは、滑り台とブランコとシーソーがあるだけの小さな公園だった。
 子どもはみんなクーラーの効いた部屋でゲームをしているのか、公園には誰の姿もない。蝉の声と乾いた土のにおいがした。
「なぁ、爽生」
「なに?」
「俺らも、小学校の低学年くらいのころに、近所の公園にタイムカプセル埋めたやん」
「ああ、うん。埋めたなぁ」
「小六のとき掘り返そう言うてけっこう探したけど、見つからんかったよな」
 適当に埋めたからと言われたら返す言葉はないのだが。一時間近く探しても見つからなくて諦めた記憶がある。
 ……でも、あれ、春やったで一時間探せたけど、夏やで?
 優に三十五度は越えているんじゃないかという真夏である。肩に座る黒猫を見やると、黒猫は挑発するような顔をした。
「なに、龍。それ、探しても無駄やでやりたぁないって言いたいん?」
「いや、べつに無駄やとまでは」
「へぇ、そうか。残念やなぁ。せっかく朋くんの未練が解消するかもしらんかったのに。朋くんが視えるんが、冷たい人間やったせいで」
「……いや、べつに」
「朋くんは、タイムカプセル、友達のとこに届けられへんねや」
 意地の悪い言い方に、とうとう沈黙する。それで、駄目押しが、なんとも悲しそうな「朋くん」の視線だった。
「あー……、もう、わかったよ。わかりました! やったらええんやろ」
 一蓮托生。死なばもろとも。後者はちょっと違う気はするけれど。とにもかくにも、ここまで来たらやるしかない。
 半分やけくそで叫んで、俺はスコップを土に突き刺した。