今ごろは魔王を倒しているはずだった

 俺の人生で一番古い記憶って、誇張でもなんでもなく、たぶん、爽生だ。

「――龍」
 気持ち良くうとうとしていたところに、穏やかな声が響く。
「龍」
 ネットカフェという慣れない環境だったせいか、あるいは、夢見が悪かったせいか。昨日の夜はあまり熟睡できなかったのだ。
 東京まではまだかかるだろうから、もう少し寝ていたい。呼び声に抗っていると、予想外の台詞が耳に届いた。
「降りるで、俺」
「は?」
 寝ぼけ眼で、爽生を凝視する。まぁ、爽生というか、今日も黒猫のマスコットなんだけど。
「……ん?」
 そこで、俺は違和感に気がついた。ガタリと席を立ち上がる。
「いや、なんで外!?」
 うつらうつらとし始める前までは、絶対に窓のところにちょこんと座っていたはずなのに。
 黒猫のマスコットは、なぜか窓の向こうで手を振っている。
「え、嘘やろ? 東京!?」
 鳴り響き始めた出発のベルに、俺は慌ててリュックをひっつかんだ。そのまま猛スピードでドアに向かう。
 勢いよくホームに降り立った瞬間に扉が閉まり、俺はどっと胸を押さえた。
「ま、間に合った……」
 ほっとして駅名標を見上げ、「え」と絶句する。表示された駅名は「名古屋」。
 嘘やん。呆然とする俺の横を降りたばかりの新幹線が通り過ぎていく。
「間に合ってよかったなぁ」
「爽生~~」
 にこにことした調子に、俺は恨みがましい視線を向けた。だが、しかし。まったく堪えた様子はない。
 生きた人形よろしくとことこ近付いてくると、爽生はぴょこんと俺の肩に飛び乗った。反省ゼロの態度に、むにっと指先で黒猫の頭を挟む。
「なんで名古屋やねん。というか、起こすんやったら、もうちょいはよ起こしてや」
「いや、めっちゃ寝とったで、つい」
「よけい起こせや……」
 げんなり呟くと、黒猫は器用に首を傾げた。
「昨日、そんなに寝らんかったん? たしかに、なんや魘されとったけど」
「べつに」
 魘されていた。よみがえった記憶に、俺は爽生からふいと視線を外した。そうして、なんでもない調子を取り繕う。
「家のベッドやないで、寝づらかっただけやし」
「へぇ。龍のくせに、そんなこと言うんや」
「なんやねん、『龍のくせに』って。というか、ほんまになんで名古屋……?」
 問いかけながら、俺はぐるりと周囲を見渡した。夏休みなこともあってか、ホームには旅行者の姿が多い。
 これがただの旅行だったら、途中下車をして気ままに遊ぶのもありかもしれないけど。はっきり言って、そんな場合ではないのだった。
「なぁ」
 しれっとした顔の黒猫に、じとりとした視線を送る。
「俺、東京まで買ってんけど」
「まぁ、まぁ」
「いや、なにが『まぁ、まぁ』やねん」
「付き合ったってや、人助け」
「え?」
 さらりとした返答に、俺はきょとんと目を大きくした。その俺に、爽生が淡々と言葉を重ねる。
「龍、好きやろ」
「好きって、……ちょお、爽生」
 そんなことより、早う東京に行かな。説得の言葉をかけようとしたのとほとんど同時に、肩からぴょんと黒猫のマスコットが飛び降りた。
 前を行く通行人の足元をかき分けながら、みるみるうちに遠ざかっていく。
「嘘やん!?」
 再び叫んで、俺は反射で走り出した。知らない場所であんなに小さいぬいぐるみとはぐれたら、巡り会える気がしない。
「ちょ、爽生!」
 ……というか、そもそもやけど。あいつ、あんなに積極的に動くやつやったっけ?
 ちょろちょろと移動するマスコットを追いかけながら、考える。
 急に行き先を変更して、新幹線を降りるとか。なんだかすごく爽生らしくない行動だ。
 だって、いつも好き勝手に振り回すのは俺と相場は決まっていて。
 そんな俺を見て、「しゃあないなぁ」と少し困った顔で笑うのが、爽生だったはずなのに。
 わけもわからないまま、新幹線の改札を出る。どこに行ったのかときょろきょろしていると、「おーい」というのんきな声が耳に入った。
「爽生! ……と、ん?」
 声の方向に走り出そうとしたところで、急ブレーキを踏む。
 黒猫のマスコットがいるのは、人の少ない壁際だった。それはいい。だが、すぐ隣に小学校三年生くらいの男の子が立っている。
 ……え、これ、大丈夫なん?
 爽生の声が聞こえているのは、俺だけだと思うんだけど。 
 聞こえようが聞こえまいが、人形が動く現場を目撃された時点で、一発アウトなんじゃ。
 導き出される事態を予想して、俺はさーっと青くなった。
「さ、爽生」
 不審者にならない範囲で距離を詰め、小声で呼びかける。
「あれ、龍。なに。どうしたん? そんなにこそこそして」
「いや、こそこそって……!」
 俺の配慮ガン無視のあっけらかんとした反応に、俺は開き直ることを決めた。ずかずかと歩み寄って、さっと黒猫を回収する。
「あ、ごめんね! これ、俺がうっかり落としたマスコットなんだよね!」
「棒読みすぎひん、ちょっと」
「いや、本当にごめんね! よく喋るおもちゃで!」
「龍、龍」
 これ以上喋らせまいとぎゅっと包んだ手のひらの内側を、マスコットの小さな手がぱしぱしと叩く。なにか言いたいことがあるらしい。
 しかたなく、俺は手を開いた。こそっと声をかける。
「ちょお、爽生」
 ちなみにだけど、びっくりしすぎたのか、単純に俺の勢いに引いたのか。男の子は目も合わさずに立ち尽くしている。
 不審者の対応としては正解かもしれないが、ちょっと心に来るものはあるな、と俺は思った。
 八つ当たり半分で、軽く爽生を責める。
「おまえ、ほんまになに考えてんのよ」
「なに考えとるというか」
「ん?」
「あの子、幽霊やで」
「…………は?」
「やで、龍。ひとりで大声出して変な小芝居しとる、だいぶヤバい人になっとるよ」
 まったくもって、理解したくない言葉のオンパレード。
「は?」
 もう一度呟いて、俺は男の子に視線を向け直した。
 男の子は、ティーシャツにハーフパンツという平凡な夏の恰好をしている。昨日の女の子のような、目に見てわかる違和感はない。
 ――いや、でも、そう言われると、駅におるのに、鞄のひとつも持ってへんのはおかしいんか……?
 判別はつかないけど、でも。昨日の夜に爽生が言った「これからは、もっといっぱい出てくるかもしらん」という台詞が頭を過っていく。
 さっきとは違う意味で青くなったまま、俺は爽生に視線を戻した。
「さ、爽生……?」
 縋るような呼びかけに、爽生がほほえむ。
「こちら、朋くん」
「へ?」
「本日の人助けです」
「人助け……」
「あ、幽霊助けでもええねんけど。好きやろ、龍」
「いや、やで、べつに好きや」
 ないねんけど、と続けるつもりだった否定を、俺はうっと呑み込んだ。無反応だったはずの男の子の瞳が期待に満ちたものに変わっていたからだ。
 これは一刀両断するのは、気まずすぎる。
 ……というか、なんやねん。幽霊助けって。
 さっきから、――というか、一昨日からかもしれないけれど、本当に突っ込みどころが多すぎる。
「ええと」
 もろもろの逡巡も押し込め、俺は爽生に問いかけた。
「人助けって、なにすんのよ」
「うーん、そうやな」
 悩むように頭を傾げた黒猫が、にぱりと笑う。
「とりあえず、朋くんに着いていったらええんと違うかな」