今ごろは魔王を倒しているはずだった

 姫川(ひめかわ)爽生は、たったひとりの俺の幼なじみだ。

「せやで言うてるやん。新幹線、大雨で動かへんねんて。うん、今日はもう無理って。――うん、夜行バスも空きないらしいで、え? ごめん。ちょっと聞こえへん」
 東京に向かう新幹線が運休になった京都駅の改札付近は、びっくりを通り越してドン引きレベルの人混みができあがっていた。
 ちなみにだけど、俺はド田舎で育っているので、満員電車どころか、電車に乗った経験自体がめちゃくちゃ少ない。
 移動の基本は自転車で、遠出をするときは誰かの車。そういう環境で生きてきた俺にとって、この状況は、はっきり言って無理ゲーだ。
 おまけに、人口密度のせいで、ヤバいくらい蒸し暑い。必死にキープした隅っこで母さんに事情を説明したものの、電話の電波も最悪だ。
 まぁ、そんなことを言っても、しかたがないんだけど。途切れ途切れの小言に、眉をひそめる。
「最初から夜行バスで行ったらよかったのにって。しゃあないやん。新幹線やったら今日中に東京着くと思ったんやもん」
 口にした直後、ぴたりとスマホの向こうの小言が止んだ。
 あ、ちょっと、ずるい言い方したかもしれんな。気づいたものの、俺は話を進めることを選んだ。これ幸いと思ったことは否定しない。
「あ、よけいな面倒かけたないで、俺が向かっとること、爽生のおばちゃんに言わんといてな。着いたら連絡するで。え? 今日の夜?」
 このあとどうするつもりかと問われ、近くにあった時計を見上げる。十七時二十一分。予定どおりだったら新幹線の中だった時間だ。
「えー……、せやなぁ」
 少し前に俺と同じ旅行客っぽい女の子たちが「諦めてホテル探す?」「めっちゃ高そう」「そもそも空きある?」と話していたことを思い出し、俺は、うーん、と言葉を濁した。
 駅に座り込んで待っていてもいいんだったら、そうしたいけど。その目論みを母さんに伝える勇気はない。
 悩んでいると、左肩からぼそりとした声がした。
「ネカフェにでも泊まる言うときや」
 ちょっと呆れたような、でも、間違いなく、助け船。これもちなみにだけど、肩に乗っているのは、ちょっと古びた黒猫のマスコットだ。
「ネカフェ? ――いや、あの、駅員さんが。近くのホテルはもう埋まってるんとちゃうかって……。うん、やで、そうするわ。入れたらラインする」
 なんだかんだとまだ言いそうな母さんとの会話を打ち切って、スマホをしまう。充電もちょっと心もとないのだ。
 えらい出だしになったなぁ、と。いっそ笑いたい気分で、黒猫のマスコット、もとい、爽生に小声で話しかける。
「ネカフェって、爽生入ったことあるん?」
「何回かは」
「俺はじめてやねんけど」
「まぁ、俺らの地元にはないでな」
「いくらくらいすんの? というか、寝れるん? ベッドがある感じなん?」
 完全に仕組みが謎だ。「ネカフェって漫画読み放題なんやろ?」くらいのイメージしかないし、そもそもとしてひとりでの外泊もはじめてである。
 微妙にそわそわと尋ねた俺に、もともと人相の悪い黒猫のマスコットがさらに目つきを悪くした。
「ベッドはないけど、ホテルよりぜんぜん安いし。龍やったら寝れるやろ」
「なんで、俺やったらどこでも寝れるみたいな感じやねん」
 突っ込んだ声がうっかりデカくなった瞬間、そばにいた女の人がそっと俺から距離を取った。目の当たりにした「私はなにも見ていません」という顔でスマホを凝視されている光景に、ぎこちなく視線を外す。
 ヤバいやつって警戒されたんだろうな。反省していると、爽生がまったく同じことを言った。
「完全にヤバいやつやな、龍」
「…………」
「肩にマスコット置いて、そこそこデカい声でひとりごと言うとるんは、だいぶヤバいで」
 そら、距離も置かれるわ、と続いた軽口に、無言のまま黒猫の頭をぐりぐりと指先で撫でる。
 痛覚があるのかどうかは知らないけれど、小さいころ、じゃれて爽生にやっていたのと同じようなレベルで。
 黙り込んだ黒猫をリュックの横ポケットに入れ、俺は近くのネカフェを調べるためにスマホを取り出した。
 なるほど。空きがあるかどうかは不明だが、とりあえずアプリをインストールしなければお話にならないらしい。
 バッテリーの減り加減を気にしつつダウンロードを済ませ、人混みの中を歩き出す。
 人の多さもヤバいけど、運行情報を求める大声があちこちで響いていて。なんだか妙に耳につく。
 らしくなく苛々している自分に気づき、俺は足を速めた。苛々というか、心の中がざわざわしている、と表現するほうが正確かもしれないけど。
 ……爽生が隣におったら、絶対、苛々なんてせんのにな。
 たとえば、これが夏休みのふたりの旅行だったら。新幹線が止まったことも楽しいハプニングに昇華できたのかもしれない。ふたりでいろいろ検索して、それで――。
 リュックの横ポケットをちらりと見て、俺は溜息を呑み込んだ。そうして、心の中でそっと呟く。さっきの爽生の発言に対する、いまさらな反論。
 っていうか、ひとりごとやないし、これ。ぜんぶ。

 ※

 ところで、爽生がなんで黒猫のマスコットに憑依(?)しているのかというと、話は少し遡る。
 昨日の夜、爽生のばあちゃんの家の前で。俺がなにも言えないでいるあいだに、爽生はふっと消えてしまった。
 どうしたらいいのかわからないまま家に戻り、自分の部屋のベッドに寝転がっていたんだけど。
 もんもんと爽生のことを考えていると、文字どおり突然、「なーに、この世の終わりみたいな顔しとんねん」という声が降ってきたのだ。
「え? は? 爽生!?」
 がばりと飛び起きて叫んだ俺を見下ろし、爽生が笑う。
「死に損なってんの、俺やで、俺」
「お、おま……」
 笑えないブラックジョークに、俺はぱくぱくと爽生を指さした。その俺を見て、爽生が首を傾げる。
 要領を得ないことを言う俺を「しゃあないなぁ」と苦笑いで受け止める、昔からの調子で。
「どしたん、龍。そんなびっくりした顔して。あ、俺が消えたから?」
「…………」
「いや、もうええかなと思ってんけど。龍があんまり暗い顔しとるで。さすがに気になってな」
「…………なんやねん、それ」
 ほかに言いようがなく、俺はぽつりと呟いた。
 なんやねん、ほんまに、それ。おまえがばあちゃんの家で消えてから、俺がどれだけ心配したと……怖かったと思ってんねん。
 盛大に溜息を吐くことで感情を逃し、改めて爽生を見上げる。あいかわらずの見慣れない制服に、あいかわらずの柔らかい表情。
 ……なに考えてんのやろ、ほんまに。
 焦燥感、罪悪感、不安、八つ当たり、苛立ち。そういったすべてが、ぐちゃぐちゃと俺の中で暴れ回っている。
 爽生に向けることができるわけのないそれを押し込み、俺は宣言した。よけいなことを考えないようにするには、動くことが一番だ。
「爽生。俺、東京行くわ」
「は?」
「うん。とりあえず、明日の朝、バスか電車で京都まで行って、そこから新幹線やな。どのくらいで着くねやろ」
「え、どのくらいって京都から東京? ……たぶん、二時間ちょっとくらいやったと思うけど」
「なんや。それくらいで行けんねや」
 ここから京都までは、バスでも電車でも二時間とかからない。
 なんや、と繰り返して、俺は制服のポケットに入ったままだったスマホを取り出した。
 なんや。お金はかかるかもしれんけど、たったそれだけの時間で会いに行けたんやな。
 ……でも、べつに、会いに行かんでも、ラインももっとできたし、通話もいくらでもできたんよな。
 俺が目の前のことを優先して、「そういや、最近、爽生と喋っとらんなぁ」とのんきにかまえていただけで。
 ぐっと後悔を呑み込んで、呟く。
「新幹線、往復で三万か。そのくらいやったら、貯金下ろしたらあるわ」
「ちょお、龍」
「母さんもいいって言うと思うし。明日の午前中に京都まで行って、そっから新幹線乗ったら夕方までには東京に――」
「いや、龍。ちょっと。いつものことやけど、思いついたら即行動すぎるやろ」
 呆れた声で俺を窘めると、爽生は少し困ったように首を傾げた。
「というか、東京行ってなにするん?」
「なにするって」
 なんでそんなあたりまえのことを聞くんだろうと、俺も首を傾げる。
「爽生に会いに」
「会いにって。俺、ここにおんねんけど」
「え、本体」
「…………」
「いや、だって。行くやろ、ふつう!」
 なんとも言えない顔で黙った爽生に、反射で言い返す。
 行ったらどうにかなると信じているわけではないけれど、この場でじっと待っているなんて論外だ。
「そういうわけで、俺は行きます」
 再び宣言して、通学用のリュックから持ち帰ったプリントをぽいぽいと放り出す。いらんもんばっかり入っとるなぁ、と。いいかげんな自分に呆れていると、爽生が口を開いた。
「まぁ、好きにしたらええけど。龍、ひとりで遠出したことあるんやっけ?」
「ないけど」
「よなぁ。むしろ、おまえ、ひとりで電車乗ったことないんと違う?」
「まぁ、……ないけど」
 市内の移動はチャリが基本だし、家族で出かけるときも車が基本。そもそも市内を走る電車は単線で、一時間に一本くらいしか走ってない。でも。
「なんとかなるやろ。スマホもあるし」
 言い切って、俺は「よし」とリュックを閉めた。
 財布とモバイルバッテリーが入っていたら、最悪なんとかなるだろう。あとはスマホを忘れずに持って行けば、大丈夫。
「明日の朝、母さんに言うて、十時のバスに乗れたら乗って、とりあえず京都やな」
「ええ……、ほんまに行くん?」
「せやで、行く言うてるやん。って、なんや、もう一時か」
 そう言ったところで、俺はシャワーもなにも済ませていないことに気がついた。
 ……まぁ、ええか。
 このまま寝ようと目論んでいると、はぁ、とひとつ。いかにもしかたないという溜息が響いた。
「しゃあないなぁ」
「は? え、……爽生?」
 台詞とほとんど同時に、ぱっと爽生の姿が消える。ぎょっとして叫ぶと、違う方向から爽生の声がした。
「ここ、ここ。おる、おる」
「おるって、…………え?」
 声を頼りに視線をさ迷わせた先で、ぽかんと口が開く。
 長年勉強机に置きっぱなしになっていた、大昔にゲーセンで取った黒猫のマスコットがよたよたと歩いていたからだ。
「え、…………爽生?」
 冷静な頭が「そんなあほな」という突っ込みを入れたものの、もうひとりの自分が「ここまで来たら、なんでもありなんちゃうか」としたり顔で苦笑している。
 混乱する俺の前にやってきた黒猫は、なんだか妙にえらそうな態度で胸を張った。
「しゃあないで、俺も東京まで着いてったるわ」
「え、……うん。ありがとう?」
 戸惑いながらもお礼を返した俺に、黒猫――もとい爽生は満足そうに頷いたのだけれど。
 いや、なんで、ぬいぐるみに入れんねん。