今ごろは魔王を倒しているはずだった


 ――たぶんやけど、あの子、幽霊ってやつやで。あんまり優しいすると引っ張られる。
 ――見える人がおったら、うれしいなるやろ。それで、喋りかけてもろたら、もっと。それで、もっと一緒におりたぁなる。
 ――そういうもんなんやない? 生きとる人間も、死んどる人間も。

 京都のネットカフェで。呆れたように俺に言った爽生の声が、それはもうぐるんぐるんとすごい勢いで、頭の中を駆け巡っている。
「なに、あれ」
 半ば呆然と呟いて、俺はスマホを取り出した。
 さっきまで明るかったはずの空に、雷雲のような雲が集まっている。それで、俺の見間違いじゃなければ、その中心にあの子がいた。
 京都のネットカフェで会って、ちょっと前に爽生のところまで俺を連れて行ってくれた女の子。
「え、……ほんまになんなん、あれ」
 俺は似た言葉を繰り返した。たぶん、さっきよりも呆然とした調子で。
 肉眼でははっきりわからなかったけれど、スマホのカメラを通したことで気がついた。
 ナミさんが送ってくれた写真と同じように、あの女の子の周りに黒いもやがまとわりついている。
 たぶん、だけど。あの写真の黒猫より、ずっと濃いものが。
「さ、爽生」
 なにも答えてくれない爽生に焦れて、名前を呼ぶ。自慢ではないが、俺は昔から困ったときは爽生に頼るところがあった。
 引っ張り回しておいてなんやねんという話の自覚はあるものの、つまるところ、爽生は俺よりずっとしっかりしているのだ。その爽生が、呆れたような顔で俺を見る。
「せやで言うたやろ、関わるなて。心当たりは?」
「え? いや、まぁ、……ないとは言わんけど!」
 慌てて弁明した俺に、爽生がさらに呆れた顔をした。
「どうせ、なんか適当にお節介なこと言うたんやろ。あれ、絶対、龍が変に気にかけたで着いてきたんやで? どうすんの」
「嘘やん!?」
 変に気にかけたって、京都でちょっと声をかけただけじゃないか。思わず叫んだものの、はっとして俺は言い足した。
「いや、でも、放っておけんやろ? 夜にひとりやったんやで!?」
 まぁ、そもそもで言うと、ネットカフェで声をかけた時点では、幽霊なんて想像もしていなかったんだけど。
「よう言うわ、ほんま」
 不可抗力だという俺の主張を、爽生が一蹴する。
「目の前におらんかったら、放っとくくせに」
「え……」
 先ほどまでの呆れとは違う、吐き捨てるような調子だった。
 若干ぽかんと爽生を見つめる俺の耳に――もしかすると、頭だったのかもしれないけど――女の子の高い声がキンキンと反響する。
 ――寂しい。
 ――寂しい、寂しい、ずるい。
 ――ずるい。
「ずるい?」
 フレーズを繰り返し、俺は暗い空を見上げた。気のせいでなければ、女の子はじっと俺たちのほうを見ている。
 季節感のない恰好をした、小さな小さな女の子。
 京都のネットカフェで、生きている人間ではないと爽生に教えられたとき。あんな年の子が死んでしまったのか、かわいそうに、と思ったことを覚えている。
 ――寂しい。
 そうよな、死んだら、寂しいよな。女の子の訴えに、心の中で俺は応えた。
 ――ずるい。ずるい。
 ――うちも大事にされたい。大事に。
「……なぁ」
 ほとんど無意識で、俺は呟いた。
「なんとかしてあげられへんのかな」
 あの男の子が満足して成仏することができたように。提案した俺に、爽生は珍しく苛立った雰囲気を隠さなかった。
「できんよ」
「でも」
「する気もない」
「爽生?」
 冷たい声に、驚いて爽生の顔を見る。でも、爽生は答えなかった。その代わりに、すっと視界が暗くなる。
 一拍置いて、俺は、爽生の手のひらで覆われたのだと理解した。京都のネットカフェで感じたのと同じ、ひんやりとした空気。
「やれんよ、これは」
 空気と同じ温度感の声が、そんなことを言う。「え」と呟いたのとほとんど同時に、爽生の手のひらが離れていく。
 でも、開けた視界には、もう女の子はいなかった。ただ、暗雲は変わらず残っている。少し遠くでは、ゴロゴロと雷が鳴っていた。
「爽生……?」
 わけもわからずに、呼びかける。
「なぁ、爽生。今の」
「龍」
 俺の問いかけを完全に無視した態度だった。さっきまでの冷たい声ではない、いつもどおりのそれで、爽生が俺を呼ぶ。
「雨宿りしよ。走るで」
「え? 走る?」
 混乱したまま問い返した俺の肩に、ひょいと黒猫が飛び乗る。なんでまたそっちやねん、と突っ込む間もなかった。
 ぽつりと額に雨粒がかかる。俺は「あ」と空を見上げた。
「ほら。はよ行くで」
「…………」
「龍」
「うん」
 耳元で響く声に急かされ、ぎこちなく頷く。本当に、なにもかもわからなかったけれど。雨脚が強くなりそうなことだけは事実だったからだ。
 少し先に見えていた地下道に向かって、走り出す。女の子はいなくなったのに、俺の頭の奥には思念のような高い声が張り付いていた。
 ――寂しい。
 ――寂しい、寂しい。ずるい。
 ――ずるい。
 ――ずるい、うちも大事にされたい。