「――それでな、爽生、すごかってんで。なんかえらい積極的でな。俺、めっちゃ振り回されたもん」
「あら、爽ちゃんが?」
ばあちゃんは、俺が龍平として話をしていても、違和感は感じないみたいだった。
そう気がついたのは、俺のうっかりが原因だったんだけど。開き直って、今は俺として話をしている。
だって、俺は俺だし。爽生は肩の上にちゃんといるし。ついでに、楽しそうに笑ってるし。
俺と、爽生と、ばあちゃんと。三人が揃っているからか、はじめて来た老人ホームなのに、ばあちゃんの家の縁側で喋っているときと同じ空気が漂っている感じがした。
穏やかな時間を引き延ばしたくて、笑って話を継ぐ。
「そう、そう。いっつも、俺のこと『もうちょい考えや』言うて引き留めるくせに。今回は逆やってん」
「そうやったの。まぁ、まぁ、爽ちゃんが」
「でも、今、振り返ると、それはそれでおもしろかったわ。振り回されたけどな」
「龍ちゃんがねぇ」
「うん」
ばあちゃんは、くすくすと楽しそうに笑っている。その笑顔を見つめ、俺は少しだけ自嘲した。
穏やかな時間がもっと続いてほしいと願ったばかりだったのに。心が緩んでしまったのかもしれない。
「でもなぁ、俺」
「うん? なぁに、どうしたの」
「いや、俺な。爽生のこと、なんでも知ってるつもりやってん」
生まれたときから、ほとんどずっと一緒で。
保育園も、小学校も、中学校も。小規模校だったから、クラスもずっと一緒で。下手をしたら、実の家族より一緒にいた時間が長いくらいで。
だから、なんでも知っていると思い込んでいた。
「でもな」
うつむきがちになっていた視線を持ち上げて、笑う。爽生は、なにも言わなかった。
「そんなこと、ぜんぜんなかったわ。俺、思い上がっとったんかもしれん」
「あら。あたりまえよ、それは」
「……あたりまえ」
感傷ごとばっさりと切り捨てられ、おうむ返しに呟く。
その俺の態度が、叱られて拗ねたものに見えたのだろうか。ばあちゃんは、「あのな、龍ちゃん」と優しい声を出した。
「ばあちゃんくらいの年になってもな、わからんことはぎょうさんあるんよ。人のことやったら、なおさらやね」
「なおさら」
「そうよ。ばあちゃんも、そう。龍ちゃんのことも、爽ちゃんのことも。ほんまにかわいいと思っとるけどな、わからんことはたくさんある」
爽ちゃんのことも。ばあちゃんから飛び出した台詞に、ちらりと爽生を見やる。俺の肩の上から、爽生はじっとばあちゃんを見ていた。
……こういうとこは変わらんのになぁ。
頭の中に、小さな爽生の顔が浮かぶ。小学校低学年だったころの爽生だ。
そのころの俺たちは、よく爽生のばあちゃんの家で過ごしていた。
爽生とふたりで遊んだり、ばあちゃんとぺちゃくちゃと喋ったり。
口数が多かったのは爽生より俺のほうで。だから、爽生は、俺の隣でにこにこと笑っていることが多かった。
龍は、ほんまによう喋るなぁ、なんて言いながら。
……あかん。
鼻の奥が熱くなった気がして、俺は慌ててうつむいた。
「あら、あら。龍ちゃんも泣き虫さんやね。爽ちゃんみたいやわ」
「え……」
予想外のばあちゃんの台詞に、ぱっと顔を上げる。慈愛に満ちた瞳に向かって、俺は問いかけた。
「爽生、泣き虫やった?」
俺に、そのイメージはあまりない。「ちょお」と肩から嫌そうな爽生の声が聞こえたけれど、俺は問いかけを撤回しなかった。
だって、俺が知っている爽生は、誰に嫌なことを言われても、向こうが幼いと言わんばかりの態度で笑っていて、それで――。
「小さいころはそうやったね」
にこりとばあちゃんがほほえむ。小さい爽生を思い出しているのか、ばあちゃんの表情は柔らかかった。
「お母さんが忙しいで寂しい、とか。保育園でからかわれた、とか」
「へぇ」
「でもねぇ、何才くらいになったころやったかな。龍ちゃんと一緒におったら泣かんくなったんよ、あの子」
「え……」
さっきと同じ呆然とした声がこぼれる。その俺を見つめ、ばあちゃんは笑いかけた。
「爽ちゃんにとって、龍ちゃんはそういうお友達。せやでね、わからんなぁ思うことがあったら、そのままにせんと。ちゃんと話して、聞いて」
「……うん」
「そうやって、ずっと仲良うしたってな。爽ちゃん、龍ちゃんのこと大好きやから」
「…………うん」
そんなの、俺だって、大好きだ。ストレートに言葉にすることを恥ずかしいと感じる年になったから、口にしなくなっただけで。
言わなくても通じるだろう、と慢心していただけで。
――忘れるよ、すぐに。それでまた俺がおらんのが、龍のあたりまえになる。
そんなことを、俺は爽生に言わせたくなかった。でも、言わせたのは俺で。間に合わなかったのも俺だった。
身体中に疼いた屈託を呑み込んで、もう一度「うん」と頷く。
「龍」
体温のない小さなマスコットの手が、とんと俺の肩を叩いた。
「そろそろ帰らんと」
「あ、……そっか。そうやんな」
話し込んでしまっていた事実に気づいて、立ち上がる。椅子を邪魔にならない位置に戻し、俺はばあちゃんのベッドにもう一歩近づいた。
あの家にいたころのばあちゃんは、いつも動き回っていたから。ずっとベッドに座っているのは、ちょっと変な感じがした。入院している、みたいな。
でも、これは入院じゃないから。ばあちゃんがあの家に戻ってくることは、ないんだよな。
「ばあちゃん」
笑顔をつくって、俺は声をかけた。
「ごめん。俺、そろそろ帰るわ」
「あら、そう? 気をつけて帰るんやよ」
「うん、気をつけるな」
幼いころと同じやりとりに眉を下げ、黒猫のマスコットをひょいと掴む。
爽生の意思を尊重するつもりはあるけど、それはそれというやつだ。
「ばあちゃん、これ。俺の大事やねん」
ばあちゃんの前に差し出すと、さすがにまずいと思ったのか、黒猫のマスコットがぴたりと固まる。
思わず笑いを堪えた俺をよそに、ばあちゃんはまじまじと黒猫を見つめていた。物珍しかったのかもしれない。
「へぇ。かわいいお人形やねぇ。龍ちゃん、猫好きやった?」
「うーん、まぁ、めっちゃ好き言うわけやないけど。これは好きやな」
へらりと笑い、黒猫を乗せた両手をさらにずいと差し出す。
「それでな」
「うん、なに?」
「よかったら、ちょっと頭撫でたってくれへん? 喜ぶと思うで」
「頭? ええけど。――あら、ほんまや、かわいい顔しとるねぇ」
不思議そうな顔をしたものの、黒猫を撫でると、ばあちゃんはすぐに相好を崩した。小さいころ、俺たちの頭を撫でてくれたときと同じように。
「なんや、爽ちゃん撫でとるみたいやわ。なんでやろ。あの子、元気にしとるんかなぁ」
「しとるよ」
この部屋で最初に。「元気にしとる?」ときかれたときよりも、ずっとはっきりと請け負う。
「爽生やったら大丈夫。でも、今度、もう一回、ふたりで会いに来るよ」
「あら、ほんま? 楽しみやわぁ」
「うん、絶対。せやで、待っとってな」
にこにこと笑うばあちゃんに約束をして、俺は「またな」と手を振った。
「あら、爽ちゃんが?」
ばあちゃんは、俺が龍平として話をしていても、違和感は感じないみたいだった。
そう気がついたのは、俺のうっかりが原因だったんだけど。開き直って、今は俺として話をしている。
だって、俺は俺だし。爽生は肩の上にちゃんといるし。ついでに、楽しそうに笑ってるし。
俺と、爽生と、ばあちゃんと。三人が揃っているからか、はじめて来た老人ホームなのに、ばあちゃんの家の縁側で喋っているときと同じ空気が漂っている感じがした。
穏やかな時間を引き延ばしたくて、笑って話を継ぐ。
「そう、そう。いっつも、俺のこと『もうちょい考えや』言うて引き留めるくせに。今回は逆やってん」
「そうやったの。まぁ、まぁ、爽ちゃんが」
「でも、今、振り返ると、それはそれでおもしろかったわ。振り回されたけどな」
「龍ちゃんがねぇ」
「うん」
ばあちゃんは、くすくすと楽しそうに笑っている。その笑顔を見つめ、俺は少しだけ自嘲した。
穏やかな時間がもっと続いてほしいと願ったばかりだったのに。心が緩んでしまったのかもしれない。
「でもなぁ、俺」
「うん? なぁに、どうしたの」
「いや、俺な。爽生のこと、なんでも知ってるつもりやってん」
生まれたときから、ほとんどずっと一緒で。
保育園も、小学校も、中学校も。小規模校だったから、クラスもずっと一緒で。下手をしたら、実の家族より一緒にいた時間が長いくらいで。
だから、なんでも知っていると思い込んでいた。
「でもな」
うつむきがちになっていた視線を持ち上げて、笑う。爽生は、なにも言わなかった。
「そんなこと、ぜんぜんなかったわ。俺、思い上がっとったんかもしれん」
「あら。あたりまえよ、それは」
「……あたりまえ」
感傷ごとばっさりと切り捨てられ、おうむ返しに呟く。
その俺の態度が、叱られて拗ねたものに見えたのだろうか。ばあちゃんは、「あのな、龍ちゃん」と優しい声を出した。
「ばあちゃんくらいの年になってもな、わからんことはぎょうさんあるんよ。人のことやったら、なおさらやね」
「なおさら」
「そうよ。ばあちゃんも、そう。龍ちゃんのことも、爽ちゃんのことも。ほんまにかわいいと思っとるけどな、わからんことはたくさんある」
爽ちゃんのことも。ばあちゃんから飛び出した台詞に、ちらりと爽生を見やる。俺の肩の上から、爽生はじっとばあちゃんを見ていた。
……こういうとこは変わらんのになぁ。
頭の中に、小さな爽生の顔が浮かぶ。小学校低学年だったころの爽生だ。
そのころの俺たちは、よく爽生のばあちゃんの家で過ごしていた。
爽生とふたりで遊んだり、ばあちゃんとぺちゃくちゃと喋ったり。
口数が多かったのは爽生より俺のほうで。だから、爽生は、俺の隣でにこにこと笑っていることが多かった。
龍は、ほんまによう喋るなぁ、なんて言いながら。
……あかん。
鼻の奥が熱くなった気がして、俺は慌ててうつむいた。
「あら、あら。龍ちゃんも泣き虫さんやね。爽ちゃんみたいやわ」
「え……」
予想外のばあちゃんの台詞に、ぱっと顔を上げる。慈愛に満ちた瞳に向かって、俺は問いかけた。
「爽生、泣き虫やった?」
俺に、そのイメージはあまりない。「ちょお」と肩から嫌そうな爽生の声が聞こえたけれど、俺は問いかけを撤回しなかった。
だって、俺が知っている爽生は、誰に嫌なことを言われても、向こうが幼いと言わんばかりの態度で笑っていて、それで――。
「小さいころはそうやったね」
にこりとばあちゃんがほほえむ。小さい爽生を思い出しているのか、ばあちゃんの表情は柔らかかった。
「お母さんが忙しいで寂しい、とか。保育園でからかわれた、とか」
「へぇ」
「でもねぇ、何才くらいになったころやったかな。龍ちゃんと一緒におったら泣かんくなったんよ、あの子」
「え……」
さっきと同じ呆然とした声がこぼれる。その俺を見つめ、ばあちゃんは笑いかけた。
「爽ちゃんにとって、龍ちゃんはそういうお友達。せやでね、わからんなぁ思うことがあったら、そのままにせんと。ちゃんと話して、聞いて」
「……うん」
「そうやって、ずっと仲良うしたってな。爽ちゃん、龍ちゃんのこと大好きやから」
「…………うん」
そんなの、俺だって、大好きだ。ストレートに言葉にすることを恥ずかしいと感じる年になったから、口にしなくなっただけで。
言わなくても通じるだろう、と慢心していただけで。
――忘れるよ、すぐに。それでまた俺がおらんのが、龍のあたりまえになる。
そんなことを、俺は爽生に言わせたくなかった。でも、言わせたのは俺で。間に合わなかったのも俺だった。
身体中に疼いた屈託を呑み込んで、もう一度「うん」と頷く。
「龍」
体温のない小さなマスコットの手が、とんと俺の肩を叩いた。
「そろそろ帰らんと」
「あ、……そっか。そうやんな」
話し込んでしまっていた事実に気づいて、立ち上がる。椅子を邪魔にならない位置に戻し、俺はばあちゃんのベッドにもう一歩近づいた。
あの家にいたころのばあちゃんは、いつも動き回っていたから。ずっとベッドに座っているのは、ちょっと変な感じがした。入院している、みたいな。
でも、これは入院じゃないから。ばあちゃんがあの家に戻ってくることは、ないんだよな。
「ばあちゃん」
笑顔をつくって、俺は声をかけた。
「ごめん。俺、そろそろ帰るわ」
「あら、そう? 気をつけて帰るんやよ」
「うん、気をつけるな」
幼いころと同じやりとりに眉を下げ、黒猫のマスコットをひょいと掴む。
爽生の意思を尊重するつもりはあるけど、それはそれというやつだ。
「ばあちゃん、これ。俺の大事やねん」
ばあちゃんの前に差し出すと、さすがにまずいと思ったのか、黒猫のマスコットがぴたりと固まる。
思わず笑いを堪えた俺をよそに、ばあちゃんはまじまじと黒猫を見つめていた。物珍しかったのかもしれない。
「へぇ。かわいいお人形やねぇ。龍ちゃん、猫好きやった?」
「うーん、まぁ、めっちゃ好き言うわけやないけど。これは好きやな」
へらりと笑い、黒猫を乗せた両手をさらにずいと差し出す。
「それでな」
「うん、なに?」
「よかったら、ちょっと頭撫でたってくれへん? 喜ぶと思うで」
「頭? ええけど。――あら、ほんまや、かわいい顔しとるねぇ」
不思議そうな顔をしたものの、黒猫を撫でると、ばあちゃんはすぐに相好を崩した。小さいころ、俺たちの頭を撫でてくれたときと同じように。
「なんや、爽ちゃん撫でとるみたいやわ。なんでやろ。あの子、元気にしとるんかなぁ」
「しとるよ」
この部屋で最初に。「元気にしとる?」ときかれたときよりも、ずっとはっきりと請け負う。
「爽生やったら大丈夫。でも、今度、もう一回、ふたりで会いに来るよ」
「あら、ほんま? 楽しみやわぁ」
「うん、絶対。せやで、待っとってな」
にこにこと笑うばあちゃんに約束をして、俺は「またな」と手を振った。



