コトリカゴ

阿切(あぎり)さん……?」

 目に掛かる長い前髪に、肩まである髪をハーフアップにするこの男の人を、俺は知っていた。

 しかし名前を呼んだ呟きは聞こえていなかったのか。いや、それどころではない状況だったからか、俺の存在には気付かれず、阿切さんはあちゃーと困った表情を浮かべた。

「最終まで堕ちてしもたんか。こうなったら手遅れや。だからそれまでに祓いって言うたのに」

 呆れたため息を吐いたものの、すぐ臨戦態勢になる。

「すぐ祓うんで、そこから離れて下さい」

 抑制出来ていないとしても、本当に離れて大丈夫なのか? と困惑する。現に今もじいちゃんは首を絞め続けていて、少しでも離れれば、ばあちゃんへの力は増してしまうんじゃないかと思う。

 それでも言われた通りに、息子さんが腕を離した。だから俺も離れると、阿切さんは首に掛けていた数珠を手に取った。
 長さのある数珠を、右手の指と手首に巻き付ける。袖の中からお札を一枚出すと、指に挟んでお経を読み出した。

「――――――」

 何と言っているのかは分からない。けれど直接的ではない方法に、本当にこんなことで解決するのか? と焦ってしまう。

 だが俺の心配を他所に、じいちゃんの動きが止まる。首から手が離れたかと思えば頭を抱えて、急に苦しみ出した。

「グ、ガ。アアア"ア"ァ"!!」

 頭が痛いのか? 酷く大声を上げ、上体を逸らしてもがく。おおよそ本人とは思えない叫び声と、その苦しそうな様子に、思わず顔を顰めてしまう。

 尚も阿切さんのお経は続く。するとじいちゃんの両目から血の涙が流れ――鼻からも血が垂れ出てきた。

「終いにすんで」

 そう言うと、指に挟んでいたお札がひとりでに燃え出した。誰もライターやマッチを使っていないのに火が付くと、ゆっくりと燃えていく。

 黒くなったお札が最後、灰になって跡形もなくなる。それと同時に、じいちゃんは口から大量の血をがはっと吐いた。
 あまりの生々しい光景に、うっと目を細める。

 膝を着いた状態で、じいちゃんはうぅぅ……と微かな呻き声を上げていて、まだ生きていた。
 けれどその場に固まって、動かない。その様子を見て、阿切さんが傍に寄る。しゃがんで懐から独特な形をした仏具、独鈷(どっこ)を取り出した。

「横井のじいさん。安らかに逝きぃ」

 独鈷を心臓に刺すように、胸を突く。そうするとまるで電池が切れたおもちゃのように、じいちゃんの体は突如として、どさりと崩れ落ちた。


 しんと。嵐が去ったような、妙な静けさが流れる。

 血にまみれたじいちゃんが起き上がってくることは、なかった。