アオハル、貸出中

 三月の終わりの土曜日。
 よく晴れたその日、俺と茨木は学校の駐輪場に居た。
 体育館の脇に位置する駐輪場は、その横に業者用の搬入口があって、そこから車が入れるようになっている。
「今日、北園は?」
「面倒くさいから任せるって」
「あの野郎、相変わらずだな」
 俺が呆れた声でそう言うと、茨木も苦笑した。
「でも業者の手配もしてくれたし、来月から司書もしてくれるし。感謝してる」
「それはそうだけど」
「……もうすぐかな」
 茨木がスマホを確認した時、フェンスの向こうから車の音がした。
 軽トラックがバックで入ってくる。俺と茨木は脇に寄った。
 車から降りてきたのは年配の男性と若い男性の二人組だ。トラックの荷台には古紙回収センターと書かれていた。
「北園先生からご依頼受けて参りました」
 若い男性が帽子を脱いで、明るく挨拶してくれる。
 茨木がぺこりと頭を下げたので、俺も同じようにした。
「これで全部かな?」
 年配の男性が言った。視線は俺たちの足元に注がれている。そこには、段ボール箱に詰められた、行き場を見つけられなかった本があった。
 廃棄本は全部で1322冊。これが、俺たちの迎えた結果だ。
 図書室を失いたくない、と春から春にかけて奔走した。……いや、奔走は大袈裟かもしれない。実際には、俺たちにできることはそんなに多くない、ということを思い知る日々だったように思う。
 それでもこの一年は、俺にとっては無駄じゃなかった。茨木にとってもそうだと思う。
 業者の人たちは手早く、段ボール箱を荷台に積んでいく。俺たちはそれをただただ、立って見守った。
 あっという間だった。最後の箱を積み終えた後、若い男性が俺たちにバインダーを差し出す。
 そこに挟まれていたのは、回収完了書と書かれた紙で、下段にサインを書く欄がある。
 茨木が、ゆっくり、丁寧に、そこに名前を書いた。一人分の署名でいいはずなのに、茨木は書き終えた後、俺にボールペンとバインダーを渡す。
 俺も、そこに名前を書いた。これまでの人生で一番、丁寧に書いた。
「これで完了です。毎度どうも」
 男性から控えを受け取った。車のエンジンがかかる。
 車はゆっくり前進した。
 茨木が弾かれるように走る。車の後を追う。俺も走った。
 搬入口を出た車は、そのまま大通りへと進む。茨木は学校を出てすぐのところで立ち尽くすと、トラックの後ろをじっと見つめていた。
 トラックが徐々に小さくなっていく。
 他の車の間に合流して、見えなくなる。
 隣の茨木をそっと盗み見た。
 茨木の瞳からは大粒の涙が溢れ、それは頬を伝い、顎先に到達し、やがてぽたぽたと地面に染みを作る。
 胸が痛くて、目の奥が熱い。俺の瞳にも薄い膜が張る。
 茨木の涙を見たのは、これが初めてだった。
「……雨、降ってきたな」
 そう言って、茨木の後ろ頭をぽんぽんと柔らかく叩く。
 茨木は滑り落ちる涙を拭うことなく、真っ直ぐ前を見て言った。
「──うん。でも、すぐに止むよ」
 これは廃棄じゃなくて、本の卒業だから。
 そう言った茨木のことを、心底、カッケェな、と思った。


 遅咲きの桜が、校舎の窓から見える。
 南校舎の三階に向かう途中の窓からは、裏庭の桜が見えるのだ。
 日が当たりにくいので、この場所の桜は毎年開花が遅い。
 新入学生たちはこの桜の下で、新しいクラスメイトたちと弁当を食ったりしている。
 今も覗き込むと、数組のグループが楽しそうに過ごしていた。
 ゆっくり階段を登り、目当ての教室の扉の前に立つ。
 ふーっと深呼吸をした。扉に手をかけ、そっと横に開く。前は縦開きの重厚な扉だったけれど、この春から図書室のドアは横開きになった。
 小さな図書室に、一歩、足を踏み入れる。
 ふわりと、古いインクと紙の匂いが鼻先に届く。
 右手に作られた小さなカウンターには、『図書委員・茨木律』と書かれた札が置いてあった。
 カウンターに積み上がった本の向こうに、旋毛が見えた。気配を察した旋毛が、顔を上げる。
 その拍子に伊達眼鏡がずれた。
「いらっしゃい」
 そう言って、茨木が微笑む。
 カウンターの前にはガチャが置いてあった。
「これ、今月の特集、何?」
「青春特集。春だしね」
 目当てのものが入ってるかもよ、と茨木が悪戯っぽく口端を上げる。
「しゃーねえ、回してやるか」
 傍らの専用コインを手に取り、ガチャの機械に投入してダイヤルを回した。
 茨木も立ち上がり、背伸びして結果を見届けている。
 カプセルがころんと転がり出てきた。中身の白い紙を開く。
「なに当たったの?」
 問いかけてくる茨木に、紙を広げて見せた。
「当たりだね」
「当たりだな」
 紙に書かれた書架の場所に進み、『銀河鉄道の夜』を手に取った。
 窓際の机に腰掛ける。
 薄く開いた窓の隙間から入り込んだ桜の香りが、インクと紙の匂いに混じった。
 その匂いを胸いっぱいに吸い込むと、あの日の始まりの音は、ここに繋がっていたのだ、と感じる。
 そっと表紙を開く。
 飽きたら、読むのをやめたっていい。借りても借りなくてもいい。図書室はそういう場所だ。
 でもきっと、俺はこの本を最後までここで読むんだろうな。
 そんな予感がした。