君の放つアルテミスの矢が、僕の胸を貫いた

「アマ。お前、また別の女子と歩いてただろ」
 サッカー部の部室を出た瞬間、お世辞にも爽やかとは言えない汗の匂いが鼻先を通り過ぎた。
 僕を待っていたのか、チームメイトの米倉(よねくら)が詰め寄ってくる。
「……何のこと」
「三組の村瀬(むらせ)だよ!」
 隣のクラスの女子の名前を出されて、やっと分かった。
 村瀬さんとは同じ美化委員だ。グループを組んで会話を交わすようになり、帰り道が同じ方向なので一緒に帰っている。
「アマ、告白されたんだろ? 柘植(つげ)さんはどーしたんだよ」
「今度は何で急に学級委員の柘植さん? 村瀬さんと何の関係もない――」
「柘植さんと付き合ってんのに一緒に帰ってるとかおかしくねぇ? 皆、そう言ってんだよ!」
 何だよ、それ。
 今年、米倉達と同じクラスになったが、どうやら勝手に噂を立たれているらしい。どこかで沸いた無責任な言葉はサッカーボールと同じくコロコロと跳ね、僕の知らない所まで飛んでしまっている。
「柘植さんは球技大会の係が一緒になってからたまに話すだけだよ。それに村瀬さんとも委員会が同じだけだよ」
「じゃあ、何で一緒に帰ってるんだよ?」
「一緒に帰ってほしい、って言われただけだよ」
 先週の美化委員の会議が延長してしまい、校門を出た時には十八時を回っていた。
 日々、母さんの「人には優しくするのよ」の助言で耳にタコが出来ていたから、彼女の家まで送ることにした。
 帰り道、僕の右側で黙って俯きながら歩く村瀬さんは玄関先で慌てるように言った。
『……これからも、委員会の後、一緒に帰ってくれる?』
 断る理由がなかった。
 それに、告白されてもいない。
「夜道を女子一人で帰らせる訳に行かないだろ。だから僕が送る、って言っただけだよ」
「は? 何だよ、それなら最初はお前から誘ったってことじゃん!」
 すると、着替えを終えた他のチームメイトが一斉にこちらに注目し、こちらに集まってくるなり米倉が早口で捲し立て始める。
「ヨネ、何だよ、どーした?」
「村瀬さん、アマの告白待ってるんじゃないのー?」
 米倉と仲の良い佐々木(ささき)を筆頭に嬉しそうに同調し始めた。
「アマはたらしだからなぁ。柘植さんはどうすんだよ? めちゃくちゃお前を意識してるぞ」
「俺達と違って女子にモテるからなぁ。アマ、そのせいでサッカーどころじゃないんじゃねぇの?」
 勝手な盛り上がりは反論する余地を与えない。僕の名前が空中でコロコロと蹴飛ばされていく。いっそ蹴り飛ばせれば楽なのに、目に見えないから奥歯を噛み締める。
「⋯⋯何だよ、その目。何睨んでんだよ」
 急に米倉の声が曇った。
「睨んでないよ」
「俺等に文句あんなら睨んでないでちゃんと言えよ、なぁ?」
 単に、僕の目付きが悪いせいなのに、本音は理由なんてどうでも良いんたろう、米倉は今にも突っかかりたさそうに苛立ちを隠そうともしない。
 ……本当に、もう面倒くさい。
「だから、違うって言って」
「そこまでにしておけよ、米倉」
 一触即発を覚悟して僕が口を開いた瞬間、騒ぎ立てるチームメイトの間を縫うように落ち着いた声が響いた。
 キャプテンの太谷(おおたに)陽(よう)が立っていた。
「でもよ、キャプテン、睨んできたのはアマからだせ?!」
「俺には、付き合っていないってアマ本人が否定してるのに、勝手に想像して尾ひれついた噂に惑わされてるように聞こえるよ。それに柘植さんや村瀬さん自身から聞いた話なのか? あと、皆が言っている、って具体的には誰と誰のこと?」
 大人びた言い方は本人の軽やかなドライブに似て冷静だ。ゴールキーパー用のグローブを外しながら理路整然と述べる。
「それは⋯⋯」
「アマが視力弱くて困ってるのは知ってるだろ?」
 太谷が迫るように言い切った。
 しん、と部室内が一気に静まり返る。米倉や佐々木達が気不味そうに眉をしかめ、顔を見合わせていた。
 今年の夏、先輩達の引退を機にキーパーの太谷が部長に就任した。こうして揉め事の度に収めている。冷静沈着でプレイは骨太、そして学校の成績まで良い、とパーフェクト。誰も言い返せるわけがなかった。
 騒ぎが収まり、僕はほっと溜息を吐く。
 その反面、居心地の悪さが増した気がしてしまう。
 それを知らないふり出来ない僕は、人としてどこかおかしいんだろうか……。
 チームメイト達が白けて校門へと歩いていくのを遠目で見ていると、
「まったく元気が有り余り過ぎなんだよ、ヨネ達は!」
 波が引いたのを確認したようなタイミングで太谷が僕の右横に立っていた。
「太谷、……フォローさせてばかりで、悪ぃ」
「いや? これもキャプテンの仕事だし。ただ、まぁ、これは俺から忠告」
「え?」
「アマも相変わらずだよな。そういう所、直した方がいいよ」
「……そういう所、って?」
「無意識に相手に期待させている所だよ。将来的に彼女達どちらかと付き合う気はあるの? そうならきちんと言葉にして答えるべきだし、その気が無いならちゃんと断ってあげないと」
 眉をしかめて見上げてくる表情は、今日パスミスを三度もした僕を注意するのと同じだった。
 今年に入って突然、僕の身長は三十センチも伸びた。
「スタイルが良くなっていいじゃない。私に似て美形なんだから、ますますモテるわね!」と母さんは能天気に言うけど、FW(フォワード)ポジションの身として、突然変異は邪魔でしかなかった。
 足が縺れて今まで通りにパスが打てない。
 相手のディフェンスを交わせない。
 最初こそからかってきたチームメイト達は、大事な局面で僕がゴールを外す度に「本気でやれよ」と語気を強めていった。上手くプレイできない自分に歯痒さを感じ、退部の文字が頭を過ぎった時、
「その長い脚はいつかシュートの武器になる。アマは、チームに必要なんだよ」
とが引き留めてくれた。
 僕がサッカーを辞めようとしたのは二度目、どちらも太谷が僕を励ましてくれた。
「アマの為に言うけどさ、期待させておいて相手が悲しむようなことはしない方がいいよ。それに、今日のパス練習、集中出来てなかっただろ? そのせいもあるんじゃないのか?」
「そうだ、調子に乗んなよー?」
 会話を聞いていた誰かが横から口を挟んでくる。
 僕はモテるらしい。米倉や佐々木達の勝手な基準によると、だ。
 確かに、身長が伸びると並行して女子に声をかけられる頻度が高くなった。成長期は僕の気持ちを置いてけぼりにして勝手に進んでいく。
 調子になんか乗っていないのに。
「まぁ、誰にでも優しいのはアマの良い所なんだけどね」
 僕が黙って目線を地面に落としていると、いつもの頼もしい口調で話題を切り上げられた。
「皆、今日も頑張ったよなー! 帰りにアイス食べて帰ろうか」
「いいね! 喰う、喰う!」
 ぞろぞろと歩くチームメイト達に明るく持ちかけるキャプテンに、米倉を筆頭にはしゃぎ出す。中学生が帰りに寄れる所などたかが知れていて、最寄りのコンビニの百円アイスだ。もう秋だが部活後は暑いし、ひんやりしたアイスが恋しい。
 だけど僕の喉は水分を欲しがるより先に、乾いた言葉を発した。
「ごめん。俺、先に帰るわ」
「どうして」
 まっすぐに僕の胸を射抜くように太谷が理由を求めてくる。試合後のミーティングの時と同じ、ミスの敗因を聞いてくる姿勢だ。
「……今日は、親から、早く帰れって」
 声変わりした僕の声はやっぱり低く、夕暮れのオレンジ色に染まるコンクリート道路に落ちると不機嫌そうに響いた。
「そっか。じゃ、また明日な」
 引き留めて来なかった。
 僕は太谷を見るでもなく軽く手を振り、黒い学ランの群れから抜けて逆方向に歩き出す。家に帰る道を曲がって、校舎の裏側にある矢川へと向かう。
 多分、僕には演技力がない。嘘が下手だ。

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