君の放つアルテミスの矢が、僕の胸を貫いた

 向こう岸では高層ビルがきらびやかに輝き、黒い矢川の表面に光の粒を落としている。その会場では元同級生達が再会を祝っている最中だ。きっと誰もが、心から中学校時代に戻っているから楽しんでいられるんだろう。退屈で残酷な現実を忘れるならそれは幸せな方だ、と近藤は言っていた。
 だけど、元同級生達が作る星座の景色ももうすぐ消えるはずだ。
 イルミネーションを背に受けて立つ太谷は影絵のようにぴくりとも動かない。
 そして俺は美化した記憶じゃなく、足元を泥だらけにしてきた地続きの現実と向き合い直す。
「は? アマ、何のことだよ?」
「卒業文集の寄せ書きを見て、やっと分かったんだよ」
「だから! それが何だって言うんだよ!」
「太谷って堂々とした文字を書くけど、つい右斜めに偏る癖があるんだな、って。卒業式の日は見てすぐに閉じたから忘れてたよ。寄せ書きとハガキのメッセージ、字の大きさは全く違うけど、同じ癖が出てたから。⋯⋯それに、わざと分かるように癖を強調したんだろ? 俺を今夜ここに呼ぶために」
 丁寧に手書きで添えてあった『また、会いたい』とボールペンで走らせた七文字は、ずっと溜め込んだまま吐き出したくて堪らなそうな切迫感を受けた。
 そして、偽の俺の署名と『簡単にやれそう』と望月を愚弄する文字にそっくりだった。癖は同じなのに、卒業文集で自分がクラスの中央に位置するのが当然のように記したのとは違う、いじけるような文字だった。
 ごくり、と太谷が息を呑む音が聞こえる。
 たった一度だけ大会前のシュート特訓で俺のシュートを外した時と同じように放心したのち、睨みつけてくる。
 俺は逃げない。
 真正面から対峙する。
「⋯⋯ははは。⋯⋯可笑しいよな!」
 目を逸らしたのは太谷が先だった。
「幼馴染ってさ、近過ぎて気付かなくなるんだよな。美誠がお前と二人きりで会ってるって知って⋯⋯堪らなかったよ。両親が揉めて人間不信でさ、一人で夜空眺めるくらいしか出来なかったのに何でよりによって、アマ。⋯⋯お前みたいなクズに心許してるんだ、って」
「否定しない。あの頃の俺は、クズって言われても仕方ないと思う」
「殊勝な物言いするんだな? まぁ、昔の話だもんな、俺と違って成功したアマにとっては」
「そんなことない。俺だってこの十五年間、米倉達が回していたあの手紙を忘れた日はなかったし、ずっと許せなかった。根に持ち続ける嫌な人間だよ」
「へぇ? それは光栄だな。今や有名人のアマにそこまで言ってもらえるなんて」
 自虐的な挑発をするようになった太谷に一体何があったのか見当もつかない。
 手持無沙汰になった右手で、クシャリ、と紙の掠れる音が鳴る。皺だらけのハガキを握り潰していた。
「でも、俺は、お前と違って望月を利用したりはしなかった。あの無記名投票に俺の名前を騙って書かれたのはもうどうでもいい。わざわざ俺を貶める為に望月に失礼なことを書いたのを許せないんだよ」
「⋯⋯そっか。そこまで本気だったんだな。分かった、俺の完敗だよ」
 両手を上げると太谷は降参のポーズを取った。暗く流れる告白が、矢川の水底の闇に呑まれていく。
「俺にとってアマはさ、唯一認めるストライカーだったんだよ。小六の対抗試合でアマにボロ負けして初めて敗北を知ってさ⋯⋯きつかったなー。だから中学でチームメイトになれるって構えてたら事故に遭って、サッカー辞めようとしてるって分かってどれだけショックだったか⋯⋯。居てもたってもいられなくて、俺がキャプテンになれば他の部員を説得できるかも、って全力でサポートしたんだよ。それなのにアマ、身長伸びたのを理由にプレイが疎かになって、俺のアドバイスも聞かないし、女関係で浮ついて付き合いも悪くなって⋯⋯正直、ムカついた。しかも、サボって美誠と二人きりで会ってたんだろ? 毎日だったのか?」
「ああ」
 俺の頷きに、酷く傷付いたと誇示するように顔をしかめる。
「その直後かな。米倉が俺と同じクラスだった⋯⋯、村瀬さん、だっけ? 好きだったのにお前のこと好きで、しかもお前は相手をこっぴどく振ったのを知って『許せねぇ、アマに痛い目合わせてやりたい』って⋯⋯あいつ馬鹿だからさ、俺に持ちかけてきたんだよ。どうしたら復讐できるか、って。そこに佐々木が調子良く女子ランキングの紙を出してきて閃いたんだよ」
「望月にその話をベランダでしたのも、わざと待ち伏せたのか?」
「そうだよ。⋯⋯俺の話を聞く間、美誠、ずっとお前のこと庇ってたよ。『天野くんのはずない。誤解されてるだけ』ってさ。あと、クリスマス会か。流星群の観測場所矢川(ここ)にしよう、って仕組んだのも俺だよ? アマのクラスの学級委員の女子がこの河川敷で二人を目撃したのを佐々木が聞いて、じゃあ、カマかけてみるか、って。そしたら、アマ、凄い剣幕で阻止しようとして怪我までするから⋯⋯正直、引いたよ。敵わねぇ、って」
 その終局が天体講義で教えられた神話のように惨く、救いようのないものだったのを太谷は知らない。
「俺、一度くらいアマに分からせてやりたかった⋯⋯!」
力無く零れていく懺悔は夜の草叢へと消えていく。
暫くすると、太谷は何も発しなくなった。項垂れたままこちらを見ようとしない。心なしか対岸のビル群の光が一つ、また一つ、と消え、足元の闇が深くなっていた。俺は距離を保ったまま、おもむろに口を開く。
「なぁ、太谷。星座をつくる星同士って、ここから見上げると近くにあるように見えるけど、本当はお互い、すごく離れた位置にある、って知ってるか?」
「え?」
「ほら、例えば、オリオン座がそこに見えるだろ。斜め向かいに目立つ二つの星、ベテルギウスとリゲルなんて二六〇光年も離れてるんだってさ」
 返答はない。その代わり、月の白い光がかつて鍛え上げていたのが分かる太谷の肩の隆線を描き、シルエットを浮かび上がらせる。
 あの頃、矢川中が俺のすべてだった。
 クラスの教室とサッカー部が、俺の宇宙だった。宇宙はひどく窮屈で、自分の周りを巡回する人間関係で夜空が構成され、巨大な星に怯えていた。天の運行から逃れられないと。
 だけど、離れて観測したら分かった。勝手に線を結び、星座を作っていたのは自分だった。
 こちらの攻撃などびくともしない鉄壁のゴールキーパー。サッカー部員から全幅の信頼を得ていたキャプテン。望月自ら俺を攻撃するように仕向けた太谷。
 十五年前に冤罪を着せた相手に、もう怒りなど沸かなかった。謝る姿が似合わない男に詰め寄る気など、もう俺には持ち合わせてなかった。
「⋯⋯ごめん」
 辛うじて聞き取れた声は、クシャリ、と足元で踏み潰された枯れ草の音に重なった。
 俯くと、俺のと同じように大谷の靴も履き潰されて泥まみれになっていた。

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