君の放つアルテミスの矢が、僕の胸を貫いた

「え? 何だよ、アマ、急にかしこまってー?!」
 囃し立てる元チームメイトに構わず、俺は背筋を伸ばして口を開いた。
「二年の冬の大会、実は俺……、わざとお前達のパスを受けなかった。受けたくなかったんだ」
「は? 何、昔のこと言ってんだよー、アルコール回ってんのかよー?」
「謝ったからって十五年前の試合の勝敗が変わるわけじゃないのは分かっている。でも、あの頃の俺は本当にガキだった。今、謝るよ。ごめん」
 ゆっくりと頭を下げると、サッカー部の輪はしんと静まり返り、アルコール臭い溜息が落ちる。
「別に⋯⋯、誰も気にしてねぇし。なぁ?」
 捻くれた米倉の相槌に「お、おお、そうだよ。考え過ぎだって」佐々木が明るく肯定すると「そうそう、昔の話だろ」と波が伝わるように他の奴等も続き、俺をフォローするような声が次々と飛び交う。
「目の後遺症あったし仕方ねぇよ。それに二年の時クラスメイトだった柘植さんだっけ、付きまとわれてたしな」
「何か面倒そうだったよなー、クリスマス会に何かアマに詰め寄ってて正直引いたよな! 今日って来てるんだっけ?」
「流石に来れないだろー? 大変だったよな、同情するよ。俺達はアマの味方だからな!」
 グラスを乾杯させながら俺を励ましてくる。多分、望月やクラスメイトの女子達を侮辱した過去など、仲間内で都合良く忘れてしまったのだろう。
 俺は胸を痛めながら、黙って会釈して去っていった柘植さんの耳に入らなかったことに、少しだけ安堵した。
「それにさ、キャプテンだって気にしてないだろ。アマのこと勝ってたし」
 遥か何光年もの過去に想いを馳せるアルコール臭の中、誰かの一言が現実に引き戻す。
「太谷、どうして来られなかったんだろうな?」
「さぁな。何かあいつ、働き出してから付き合い悪くなったよな。学生の時はやたら飲み会招集して、夜中だっていうのに無理矢理呼ばれたってのに」
「なー? サッカー部の時はやたら偉そうだったのになぁ、あいつ変わったよな」
「ここだけの話、メンタル病んでるっぽいよ。確かに勤め先がブラックって言って」
「その会社辞めたらしいよ、今は派遣で食いつないでいるってよ」
「マジ?!」
餌に群がる獣のように湧くのが、歓声に聞こえてくる。
「自分が正義だって疑いもしないような顔したキャプテンも、社会じゃ通用しなかったかぁ」
 太谷の話題は尽きることなく、ボールのように蹴られてはパスされる。汗臭い部室で学ランに着替える下卑た笑顔が重なっていく。
「そう言えば、太谷がアマに会いたがっていたぜ。キャプテンはお前のこと妙に特別扱いしてたしな」
 何の意図もないのだろう。米倉は告げると、
「サッカー部だけでまた集まろうぜ、昔みたいに。乾杯」と俺のグラスに自分のグラスをぶつけてきた。
 ビールの残りを飲み干した俺は「おかわりを取ってくるよ」と、その場を静かに離れた。
 平穏に会話を交わすようになった俺は、多分、演技が上手くなったんだろう。

 賑わう地上五十二階のホテルの最上階、同窓会の喧騒は収まりそうもない。地元のどんなものも見下ろせる場所だ。ガラス張りの窓の外、春の星座が広がっているを横目にドリンクスタンドに近付く。
 その横、テーブルに開かれた大型の冊子があるのに気付いた。当時の卒業文集が飾られている。
 おもむろにページを手繰っていると、『将来の夢』と銘打った寄せ書きにあたった。太谷と望月のクラスだった。
『サッカー選手 太谷陽』
 中央に堂々と書かれていた文字から俺は視線を逸らす。すると、紙面の左隅に小さいけれど丁寧な文字が記されていた。
 教室では目立たないようにしても自分の意見ははっきり言う、そんな性格が滲み出ている望月の文字が、一等星のごとく視界に飛び込んでくる。
 ――そっか。
 俺は頷く。そしてもう一度、視線の高さに散らばる星空をガラス越しに見上げ、会場を抜け出した。
 行き場は一つしかない。
 恋多き非業の死を迎えたオリオンと月の女神アルテミスに、あの場所で再び会うために。

  ☆

 矢川から仰ぐ夜空はあの頃と変わっていなかった。
 地球に届く星の光は、何光年前と気が遠くなる程ずっと昔に発せられた過去のものだ。
 過去には戻れないし、変わらないものなど無いと俺は知っている。
 対岸の遠くで高層ホテルが人工の煌めきを撒き散らしているのを眺めながら、ポケットから皺だらけのハガキを取り出した瞬間、
 クシャリ、と枯草を踏む足音が背後からした。
 俺は迷わずに振り向く。
「待ってたよ。――太谷」