君の放つアルテミスの矢が、僕の胸を貫いた

 外は辺り一面暗くなっていた。茜色の陽光を地面の下に押し込んだ空は墨色で、一等星のベテルギウスとリゲルを誇示するようにオリオン座が昇りはじめ、その近くで左側の少し欠けた月が寄り添っている。
 きっと、もう、来てるはず。
 全速力でいつもの通学路を走る。息が切れて苦しい。だけど構わなかった。もうずっと黒い雲に覆われてぐちゃぐちゃだった僕の頭は夜気のように澄み、川岸の匂いとともに蘇らせる。
『ここは私だけの特別なプラネタリウム』
 ⋯⋯絶対に、絶対に、あいつらから守らないと!
 堤防に昇りきって見下ろした瞬間、思いきり叫んだ。
「望月!!!」
 川の水際に、天頂へ伸ばすように真っ直ぐに立つシルエットを見つける。細くて長い脚、そして小さな頭には天使の輪だ。僕は急斜面を駆け降り、ザクザクと枯草を踏みながら草叢をかき分けて進む。
「望月! 悪いこと言わない、今夜は帰ったほうがいい!」
 艶めいた黒髪が振り返る。ゆっくりと僕に向き合うと、淡い月明かりに照らされた顔は真っ白だった。暗がりの中やっと焦点が合う。全力疾走して寒くないはずなのに背筋がぞくりと凍る。
「急に何言ってるの?」
「いや、だから⋯⋯、この後双子座流星群を見るんだろ!?  それなら家のベランダでも出来るし、今晩見は諦めてほしくて⋯⋯、早く帰って、家で」
「⋯⋯私が家に居づらいってこと知ってるのにそんなこと言うんだ?」
「いや、ほら、風邪長引いたらいけないし」
「何で、私が天野くんにそんなこと指図されなきゃいけないの?」
 必死に説得するのと同時に、何かがおかしい、と引っかかる。
「望月、何か怒ってる?」
「怒ってる? 私が? 何に?」
 矢継ぎ早に撃ち返される。徐々に暗がりに慣れてきた視界で、望月の両目が瞬きもせずに僕を鋭く射抜いてきた。
 オリオン座の周りの星座も見え始めると、望月が沈黙を破った。
「ああ、分かった。天野くん、柘植さんと約束してるとか? 矢川で流星群デートとか」
「え? 柘植さんって、何を言って」
「全部聞いたよ。⋯⋯うちのクラスの男子で流行ってる手紙。女子の誰と、その……したい、って投票」
 口籠もった望月は嫌悪感を露にした。卑猥なことを言葉にするのも嫌だと顔を強張らせている。望月の肩が震えているのは寒さのせいじゃない。
 最悪だ。
 女子を侮蔑する存在を、僕を装った嫌がらせを知られてしまった。でも、僕を貶めた犯人が誰かなんて今更どうでも良い。――望月を傷付けたくなかったのに!
 ありったけの声を振り絞る。
「違う、あれは米倉か誰かの嫌がらせで!!」
「陽が」
 振り絞った声は望月の耳に届いていないように遮られる。
「先週、風邪も治ったし、家でも天体観測しようかなってベランダに出たの。そしたら偶然陽もいてね『話がある』って真剣そうに呼ばれてわざわざ何かなって思ったら⋯⋯、教えてくれたんだ。『アマは悪い奴じゃないけど、最近は全く部活に集中出来ていないから心配だって。それにモテるからそっちにばかり気が回っているんじゃないかって』って……、それで」
 残酷な神話を語るような口調でそこで区切ると、今夜初めてにこりと笑顔を作り、左隣じゃなく真正面から僕と対峙した。
「⋯⋯ねぇ? 私って、そんなに……、簡単にヤれそう?」
「違う! あれは誰かが勝手に僕の名前を書いたんだ、僕が望月のことそんな風に言うわけないだろ!!」
「⋯⋯私だって、最初は陽に言い返したよ。四組の空気最悪だし、米倉くんや佐々木くん達のグループがよって集(たか)って天野くんに嫌がらせしてるから誤解だって」
「⋯⋯っ! それなら、どうして」
「じゃあ訊くけど……、何で村瀬さんにあんなこと言ったの?」
「⋯⋯村瀬さんのこと知ってるのか」
「村瀬さんも合唱部だよ。私は辞めちゃったけど、今も仲良いんだ。柘植さんとも一年の時はね。天野くん、村瀬さんと美化委員で一緒に帰ってる時にちゃんと話聞いてあげてなかったんだね……。それか覚えてなかった?」
 詰問する望月の表情からは作り笑顔が消えていた。
「他に相談できる人がいないから、って珍しく私に電話かけてきたの。村瀬さん⋯⋯、泣いてた」
 いたずらな天使とは程遠い大人びた顔に、思わず目を逸らす。
 二学期最後の美化委員会の後、僕は誘いを断ってから村瀬さんに顔向けできなかった。先週の大掃除も三組四組合同で体育館を担当したけど、村瀬さんは打ち合わせどころか、目を合わせずに去ってしまった。
 僕は今まで『好きです』と告白してきた女子に『付き合おう』も『ごめん』も伝えなかった。よく知らない相手に『ありがとう』だけ伝えて、うやむやにしてきた。
 いい加減な僕をやめたかった。だから、村瀬さんに正直な気持ちを伝えた。
 だけど、結局傷つけてしまった。それに教室に柘植さんを置いてきたことに今更罪悪感を覚える僕は、人として間違ってるのかもしれない。欠落している。
 ――ああ。これが「そういう所」か。