予定があるだけで人間ってこんなに気分が変わるのか、と軽い足取りで放課後の部活へ向かう。
今日もシュート特訓で校庭に各ペアが散らばっていく中、僕も太谷とゴールネット前で対峙する。開始早々に僕のシュートは軽々と捕らえられた。
「アマ。ちょっと訊くけど」
六本目を蹴ろうと踵に弾みを付ける直前だった。フォームの矯正かとキャプテンの個別指導に構えていると、
「秋くらいからかな、アマ、部活後に俺達が誘うの断ってすぐ帰るようになったけど、家の用事なんだよな?」
予想外の質問に、重心をかけていた左脚がつんのめった。放ったボールは弱々しく転がり、校庭の砂にまみれながら太谷の数メートル手前で止まった。
「そうだけど。うちは母さん一人で食事とか自分で用意してるし、目の治療で通院もあるから」
ゴールを決めるよりも素早く声を発していた。最近簡単に嘘を吐くようになった僕に「そうだよな」と太谷はいつもの穏やかな反応をする。勢いのなくなったボールを、遠目でも使い込んだと分かるグローブの両手で掴むと、投げずに置き直し、
「でも、最近、夜に矢川の河川敷にいるんだろ。それも、美誠――お前のクラスメイトの望月と一緒に」
勢いをつけたボールとともに言葉を蹴り返してきた。変化球は静かに、だけど、確実に一撃を食らわせる。
⋯⋯下の名前で呼び合ってるんだな。
何で太谷が知っているのか誰から耳にしたのか、何故そんなことを訊いてくるのか、と後から疑問が湧くのに、最初に思い浮かんだのは、二人が幼馴染である事実だった。
後ろまで飛んでいったボールを捕まえ、太谷に背を向ける間じゅう息を整えてから振り返る。
「見間違いじゃないの」
「二人が会ってるのを目撃したって噂になってる。さっき佐々木から聞いたし、ヨネ達も知ってる」
頭の中で警戒のホイッスルが鳴り響いた。知らないうちに面倒なことになってるらしい。
まさか柘植さんが言いふらした⋯⋯? でも偶然会っただけ、って説明したら納得してたし。何でわざわざそんなこと……。
頭がぐちゃぐちゃのまま顔を上げる。西日を背にした仁王立ちの姿が目に眩しい。オレンジの陽光で縁取られた太谷のシルエットがやけに大きく見える。周囲はマンツーマン練習に夢中で誰もこちらに注意を払わない。何十人もの部員がいるはずのグラウンドが果てしなく広大に感じて、宙に放置される僕を太谷だけが逃さない。
「ヨネは村瀬さんとアマの中を探ってたから能天気に喜んでるけど、佐々木は騒いでたよ。アマが柘植さんと付き合ってるのに二股掛けてるって。体育祭実行委員同士だよな? 俺も覚えてるよ、自主参加とは言ったけどサッカー部の朝練来ずに忙しそうにしてたから。やっぱり彼女だったんだな」
「違う。柘植さんとは、付き合ってない」
「でも、その柘植さん本人が認めているって聞いたけど?」
「実行委員で同じだっただけだ」
「確認だけど、美化委員の村瀬さんとも? うちのクラスの」
「違う」
否定するだけなのに僕の喉はカラカラだ。
「――そうか。成る程ね」
パスを寄越す太谷の声は落ち着いたままで、正面から静かに僕を見返してくるのはキャプテンの顔だ。
「アマ。前も注意したけど、そういう所直したほうがいい。ただでさえアマは目のことで気遣いたくなるから放っておけなくなる相手なんだよ。特に女子はその見た目もね。だから、優しくしてきた相手にその気も無いのに期待を持たせるような態度は無責任だよ。美誠にも」
長々と諌める最後に添えられた望月の名前は苗字じゃない、下の名前だ。 冷静なアドバイスは体育の時間に望月の体を品定めする男子グループを諌めた時と同じ、グラウンドを踏みしめるように力強く響いた。まっすぐな眼差しが僕の全身を貫いていく。
「見間違いってアマが言うなら誤解かも知れないけど、今後は気をつけろよ。アマは知らないかも知れないけど、美誠は見た目より子供っぽいし、純粋で信じやすい奴だから」
幼馴染みを守るための心配なのか。
でも、夜の帳が下りたべランダで一人であてもなく過ごしていた時、天体観測を勧めたきり太谷はサッカーに没頭して今では殆ど関わってこなくなった、と望月から聞いている。『ぼっち同士』と僕に見せる笑顔も、居着かない父親と不安定な母親と中学受験で塾に通わされて弟のいない家に帰れば、明け方沈んでいく月みたいに消えてしまうんだろう。
……無責任って、自分はどうなんだよ。
鼓動が速まるのと反比例して、頭の中で鳴っていた警戒が弱まっていく。
白い溜息が漏れる。僕はボールを足元に置き、体勢を立て直した。助走をつけるなり左足の軸を定め、右の褄先一点に力を籠める。蹴り上げる瞬間、はっきりと僕の口が動く。
「……何で太谷に言われなきゃいけないんだよ」
バスン、と強い衝突音。鈍いながらもボールはゴールネットにぶつかり、大きな跡を付けるなり落ちた。その前で、一ミリも動くことなく太谷が立ち尽くしている。矢川中の鉄壁のキーパーが守りを外していた。
事故に遭って以来、誰かに言い返したのは初めてだった。汗が僕の額をつたう。爽快な汗だった。
僕の近くを部員達がペアになってボールを操りながら校庭を蹴りつけ、砂ぼこりが巻き上がる。暫く呆然としていた太谷が、
「シュート練習、一旦終了。集合して」
と、何事もなかったように合図した。わらわらと部員が整列を始める。その声が少し震えていたのは僕の気のせいだったのか、冷たい北風が乾いたグラウンドを吹き抜けていった。
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