君の放つアルテミスの矢が、僕の胸を貫いた


「もうすぐ、双子座流星群が見れるんだよ! めっちゃ楽しみ!!」
 草木も凍りそうな寒さをものともせずに、望月が頭上へと両手を広げてみせた。本格的に冬へ突入した夜空には、指で輪郭をはっきりとなぞれるほど星星が光を競い合っている。
「リュウセイグンって、それも星座なのか?」
「流星群は流れ星のことだよー! 夜空の一点から流れ星が飛び出して見える現象のこと。放射点(ほうしゃてん)って言うんだけど、今回はしし座の位置辺りから降ってくるの。星のシャワーだね」
「それって、星がいっぱい飛んでくるのか?」
「んーと⋯⋯、厳密には星じゃないんだよね。流星物質って言って、宇宙に漂ってる小っちゃな塵のことなんだけど、地球の大気圏にそれが大量にすごい速さでぶつかってくるの。その衝突時に光を放出した跡がほうき星。⋯⋯正体が分かっちゃうと味気ないよね。でもね、すごく綺麗だよ」
「へぇ。何か、地球相手にばんばんシュート決めるFW(フォワード)みたいだな」
「サッカーボールは塵じゃないでしょー! しかもそれ、地球人が丸腰過ぎ。攻撃されっぱなしじゃん」
「その流星群が見れるのはいつなんだ?」
「再来週。終業式の日」
 白い息と吐いた僕の返答に、望月は押し黙った。饒舌さが消えた河原には街灯の僅かな明かりしか届かず、今更心細さを思い出させる。足元で流れる川に似た緩やかさで望月が口を開いた。
「確か、サッカー部のクリスマス会だよね。じゃあ一緒に見られないか、残念」
「⋯⋯悪い」
「実は弟がさ、その日塾がクリスマス特訓らしくて終わりが遅いんだよね。あの人、張り切っちゃって夜食差し入れるとかでお迎えも自分でするから、私はいいって。だから、当日は思う存分一人で満喫できるよー! 何なら観測ピークの真夜中にも来ちゃおっかな」
「何言ってんだよ、女一人で夜中に危ないだろ!」
 しまった、と思った時には遅かった。びくりとコートの肩が震えている。
「ごめん!! 怒鳴るつもりはなかったんだ。ただ、この辺は人通り少ないから心配で」
「⋯⋯ううん、大丈夫。ちょっと驚いただけ。確かにさすがに不用心だよね。分かった、夜中はやめておく」
 脅かせてしまったと心配したが、仄かな月明かりに照らされた横顔は笑っていた。安堵していると、不意に左袖が引っ張られる微かな力に見下ろせば、望月の頭のつむじがこちらを向いていた。俯いたまま、
「天野くん……、ありがと、ね。何か、人に心配してもらえたのって久しぶり、かも」
 自分の母親を「あの人」と呼ぶ乾いた声と違い、囁きには温もりが滲んでいる。
「あと、これはね、独り言」
「うん?」
「私達、ぼっちじゃない? だから、優しくされるのに慣れてないって言うか、親切にされ過ぎると受け止めるのも難しいと思うんだ」
「⋯⋯相手の親切を受け止めることが、か?」
「そう。ものすごく有難いとは分かっているんだけど、向こうのエネルギーの強さにこちらが勝てない、っていうかさ。相手の要望を察するのにも才能がいるよね? ほら、柘植さんって基本いい子だけど、ちょっと……圧があるかな、って」
 昼間の教室の騒ぎを気にしてくれたんだ、と驚いていると、たどたどしく望月は言葉を紡いでいく。
「私の場合さ、合唱部辞めた時や体育祭準備で早退する時もさ、『弟さんの世話して大変だね。私に出来ることがあれば何でも言って』って柘植さんが何度も話し掛けてくれたんだよ。本当に有り難いんだけど……、頼られるのを待ってるみたいなプレッシャーを感じちゃって。私の勘違いかも知れないけどね? 天野くんはさ、今の四組になった最初から柘植さんに親切にされてたでしょ、目のことで」
 その通りだった。
 事故の後遺症のせいで、急に視界が暗くなって立ち眩みをたびたび起こす僕をら最初こそ皆が過剰に反応していた。それでも、サッカー部を続けていると分かると次第に薄らいでいった。
 だけど望月の言う通り、根が真面目なのか柘植さんは体育祭実行委員で一緒になって依頼、やたら僕を構ってくれていた。ノートの板書も、席替えの時も助けてくれた。
『――人には優しくしなさい。そうしたら人にも優しくされるから』
 手術を終えて退院する日だった。
 優しく掛けられた母さんの言葉を、僕は忘れる日は片時も無かった。人前で「うちの息子はハンサム」と自慢するし、お節介な母さん。だけど、昔父さんが死んでからずっと一人で頑張って働いてきた。
 その教え通り、僕なりに他人に親切にしてきたつもりだった。
 でも結局、僕は、相手の優しさを返しきれなくなっていただけなのかもしれない。
 今更になって罪悪感が襲ってくる。柘植さんの質問を誤魔化したことも、村瀬さんの帰りの誘いを断ったことも。
「⋯⋯それに、モテるのも大変だよね。天野くんの場合、相手に余計期待させちゃうだろうから」
 自己嫌悪に陥りそうになっていると、望月が眉根を寄せて僕を見上げて呟いた。
「だからって、目の敵にされるのも面倒だよね。ただの嫉妬だよ、あんなの」
「米倉達のことか」
「そう、あんな大声で喋らなくてもいいのにね! 教室中皆に聞こえるようにさ。嫌味だよ! どうせ集団にならないと言えないんだよ、本当は。あと『空気読めよ』って圧力も、じゃあ、そっちがこっちの空気読んでよって思う。何で、群れてるそっちに合わせなきゃいけないわけ?」
「もういいよ、望月」
「だって、可笑しくない? 納得行かな――」
「僕の味方してくれてるんだよな。本当に優しいよ、望月は……ありがとう」
 すると、不意に沈黙が降りた。さっきまで息巻いていたのが嘘みたいに望月が口を閉ざしている。両目を見開き、ぱちぱちと何度も瞬きしたのち、静かに俯いた。
 スクールコートの袖を指先で伸ばす仕草をするのは寒いからじゃなかった。白い頬が恥ずかしそうに赤く染まっている。
「⋯⋯だって、ほら、私は天野くんの先生だから! 天体講義の。だから、心配しちゃうっていうか」
「望月がいるから僕は大丈夫だよ。ありがとう。だから⋯⋯、ちっとも頼りにならないかも知れないけど⋯⋯、望月も僕に頼ってよ」
 勇気を出して僕は左手を差し出し、望月の右手を握る。冷えた手のひらを包むと、じんわりとが温もりが僕達を繋ぐ。
「⋯⋯ありがと。分かった、そうする」
 小さな頭に街灯で照らされ天使の輪を輝かせ、望月は顔を上げた。えへへ、と悪戯な笑顔は、やっぱり女神よりも天使っぽい。
「あーあ、流星群も知らないなんて手の掛かる生徒で困ったなぁ。天野くんには冬休みに宿題が必要だね!」
「げっ」
 取り留めもない会話の間、矢川はなだらかに流れていく。黒黒とした水面は宵空との境目が曖昧で、散らばった光の粒が星なのか反射なのか見分けがつかない。さざなみの表面にぽっかりと空いた穴のように銀色の月影が揺蕩っている。
 右側が少し欠けた下弦の月だ。
 確かに、こうして見ると弓に似ている。
「そう言えば、望月ってあんまり月の授業はしないな」
「えー、『地球から徐々に離れていってる』って教えたじゃん。忘れちゃったの?」
「さすがに覚えてるよ。アルテミスとオリオンの神話も。あの、後味悪いやつ」
「前に教えてあげたの覚えてたんだ! 確かに、死んじゃうんだから酷い悲劇だよね。私、冬を迎える度に東の空で二人が並んでいるのを確認するたびに切なくなるもん」
 東の地平からオリオン座が顔を出すと、追いかけるように月も昇り、二つの天体は寄り添うように明け方沈んでいくのだと習った。実際はそれぞれの軌道が重なっている訳ではないらしく、せめて二人を結ばせようと祈った紀元前の創作者の妄想には畏れ入る。
「見間違えるとかないでしょ、って突っ込みたくはなるよね。ただ、それまでの経緯を鑑みるとオリオンも自業自得な気はするな」
「アルテミスの肩持つんだ。やっぱ女神だから?」
「そう言う訳じゃないよー。でも、アルテミスからしたら平和を脅かす獣を退治しただけじゃない? 弓矢の腕が立つってアポロンからも認められているんだし」
「そのアポロンがどうかと、僕は思うけど」
「確かに! 結局あいつが一番嫌な奴だよねー!」
 わざと意地悪く望月が笑い飛ばした。冬空に負けない澄んだ声に、ごちゃごちゃに絡んだ人間関係のせいで混濁する頭が晴れていく。左肩に天使の輪を被った頭が触れ、僕は少しだけ近付くと凭れさせる。
「終業式の日、さ」
「ん? 何?」
「部活のクリスマス会、顔を出すだけ出して、早く抜け出すよ⋯⋯だから、双子座流星群、一緒に見よう」
 月よりも丸くした両目で瞬きしてから望月は、
「当日って、イヴだよね? ⋯⋯やっぱり、そう言うこと平気で言えちゃう所かもね。天野くんのモテる要因って」
 困った素振りで顔を背けると、吐息まじりに小さく頷く。
「分かった。クリスマス・イヴの夜に二人で見惚れようよ、流れ星の最強ストライカーにさ」

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