君の放つアルテミスの矢が、僕の胸を貫いた

「⋯⋯大丈夫だよ、本当。何とかなるから。ありがとうな」
「そっか。なら、いいんだ」
「望月こそ大丈夫なのか? ……家」
 両親の不仲がきっかけで、ぼっちで星を眺めるようになったと打ち明けられた日以来、僕はその話題に触れずにいた。
 だけど、こんな遅い時間に出歩いている時点で望月が家に居辛いのは想像に難くない。
「もう慣れちゃった。最近はあの人達、冷戦状態だから静かなもんだよ」
「……冷戦って」
「んー? 父親の方は相変わらず浮気してるみたいだし、仕事を言い訳にますます家に寄り付かなくなったよ。早く別れればいいのに、臆病なのか頑固でさ」
 父親の浮気ご発覚した三年前、メンタルが不安定になった母親の代わりに小六だった望月は、四歳年下の弟の面倒や、夕食の準備、洗濯をするようになった。中学に上がって部活に入ったものの、まだ小学校低学年の弟を放っておけず退部した。
 ⋯⋯授業後、すぐに教室から飛び出すように帰っていたのは、弟の為だったのか。
「私、元合唱部だったんだんだ。そのせいで辞めちゃったけどねー」
「そう、だったのか」
「知らなかったよね? うちのクラスだと柘植さんもだよ。パートリーダーだし、あの子真面目だから頑張ってるんじゃないかな。」
 意外な苗字が挙げられる。少し胸がざわついた僕はそれとなく話題を変えた。
「大丈夫なのか⋯⋯? もう家に帰らないといけないんじゃ」
「ううん。それがあの人――母親の方がね、今、弟の私立中学受験にぞっこんなの」
「受験? 弟って、まだ小五だろ?」
「あの人からしたら、もう小五なんだって。最近塾に通い始めて、終わりが遅いから夕食の準備はそれに間に合えばいいし、この頃はあの人も気が向くとご飯作ることもあるしね。ただまぁ、塾の帰りはさすがに夜道だから私が迎えに行っているんだけど」
「望月、もしかして⋯⋯、いつもここで天体観測してるのって」
「あはは、バレちゃった?」
 門限は無くてフリーだから、と嘯いていたのは方便だったのか。
 夕暮れとともに意気揚々と講義を始めるのに、十九時を過ぎると矢川中の方を向き、校舎の時計を気にしていたのは、弟を迎えに行く時間が近付いていたからか。
「時間あるし、折角だからベランダじゃなくて野外で天体観測でも始めようかな、って近所を散策してたの。ここなら他の明かりに邪魔されないで星が見えるし、それに⋯⋯。ここなら、一人になれるしね。あの人達はさ、家に私が居ても居なくても、どっちでも意味ないんだよ」
「⋯⋯それって、まさか」
「あ! やだな、変な妄想してる? 大丈夫、別に何でもないから! 弟にはさ、いい学校入って、いい大学出て欲しいんだって。⋯⋯私には、興味ないみたい。だから気楽だよ?」
 対岸へと蹴り飛ばすように明るく望月は言い放った。鈴の音のような声は澄んだ空気に響くのに、底の見えない矢川へと飲み込まれていく。
 どれだけ傷ついてきたんだろう。街灯もまばらな堤防の下、頭上をまっすぐに仰ぐ望月は俯かない。
「あ、そうだ。天野くん、人間って一回に泣ける量って決まってるって知ってた? うちの弟さ、昔はそれはよく泣いてさ、怪獣が吠えるみたいにわーわー泣き続けるんだけど、一定時間を過ぎたら止んじゃうの。で、パタッと黙り込んだ途端、ぐーぐーと寝始めるんだよ、私の膝で! 泣くとエネルギー使い果たしちゃうんだろうね。面白いでしょ?」
「⋯⋯そうなんだ。面白い、な」
 弓なりにした目を望月はぱちりと丸くするなり、
「もう。天野くん、かっこいいけど演技は下手だなぁ」
 と、呆れられた。
 太谷だったら、こんな時気の利くことを言うんだろうな。
 だけど、と棒読みの返事を棚に上げながら思う。どんな言葉を用意しても、無意味になるなら。
「無理するなよ」
「え?」
「ここでは無理して笑うなよ。⋯⋯ぼっち同士だろ」
 はっと息を呑む音とともに、ゆっくりと横顔がこちらを向くと、困ったように眉を下げた。
 顔をくしゃくしゃにして笑った途端、白い顔に雫がこぼれた。その数滴が遠くの月明かりを反射しながら、頬をつたい落ち、黒髪で天使の輪が今夜も輝いている。
 音もなく流れていく川のように、望月は僕の前で静かに泣き続けた。