誰と誰が付き合っている。
そんな根も葉もない噂が学校中で広がっていたそんな折、クラス内で授業中に一通の紙が回り始めた。
ノートの切れ端に無造作に文字が記された、適当に畳んだだけの紙。回覧板のようにメモが記されているだけで、小学生の時も女子達の間で流行っていた。
「男子には渡さないでね!」
授業中にひそひそと囁き合いながら、男子の机だけを飛ばして回すその軌跡は女子だけの星団(ネットワーク)を描いていた。
くだらない噂と遊び。それが、数日前から男子の中でも流行り出した。
「うわ、あいつ意外と胸デカくねぇ?!」
「バカ! お前の声の方がデケぇよ」
シーッと口を尖らせ黙らせる相手にも、発信者の興奮は冷めそうもない。
昼休み明けの体育の時間、男子は隣のクラスとの合同の長距離走だ。クラスメイトは皆眠気を隠しもせずに校庭をだらだらと走っていく。グラウンド二周目に入った頃、僕と近藤の前で、サッカー部の奴等が仲間内で騒ぎ出した。
「見ろよ、めっちゃ揺れてるし」
「あれ、Dカップはあるだろ、ひょっとしてE?」
「あるな。絶対あるな」
下世話な話題の対象は、グラウンドの中央だった。三組と四組の合同で女子達が高跳びをしている。まばらな雲を水で薄めたような空の下、チョークで線を引いたように水平に白いポールが掛けられ、ピッ、と笛の合図で順番に女子クラスメイトが走り出す。
マットに向かって全力疾走するその胸元は、遠目にも柔らかそうなまるみが目立ち、ジャージの上からでも揺れているのが分かった。
「アマはどう思う?」
米倉が目敏く僕に絡んできた。
「……どうって、何が」
「あいつ、Dカップあると思う? お前の見立てだとどうよ?」
ニヤついた声に耳がぞわりとする。くだらない。僕は払うように「さぁ」と答えた。
「余裕だなぁ、アマは。もうとっくに揉んだことあるって?」
器用にも後ろ走りしながら佐々木達まで絡んできた。すると、僕の横、走るたびに息を上げている近藤に、
「近藤くーん、めっちゃ鼻息荒いけど、もしかしてエロいこと考えて興奮してたんじゃないのー? 刺激が強かったかなー」
ぎゃははは、と馬鹿笑いが起きた。
「ち、ち、違うよ⋯⋯! ぼ、ぼ、僕は⋯⋯」
真っ赤になっていた近藤の丸い顔がますます赤くなる。
「おい、近藤が違うって言ってるだろ」
「何だったらアマから近藤に色々教えてあげればー?」
「次、彼女さんが飛ぶみたいだぜ? 三組の村瀬さんも胸あっていいよなぁ」
呆れて言い返す気にもならない。近藤が標的から外れてほっとしたのも束の間、くだらない騒ぎは収まらない。走るペースを緩めずに僕は黙って睨み返す。また伸びた身長のせいで米倉達を見下ろす。
「あー、はいはい。アマは俺達とは違うもんな、しらけるわ」
突然言い切きるとつまらなそうに離れていった。
悔しい。勝手に立てられた噂の時にしろ、何で僕を巻き込もうとするのか、上手く言い返せなかった後悔が後から込み上がってくる。
米倉達はまだ同じ質問を別のやつに訊いて回っている。グラウンド三周目に入り、ピッ、と笛の甲高い音が乾いた空気に響いた時、クラスの誰かの声が耳に届いた。
「望月の番じゃん」
高跳びバーに向かって駆け出したシルエットを目で追う。白くて長い足がグラウンドの砂を蹴り上げて軽やかに速度を増すと、ポールを前に大地をうんと踏み締めて飛び上がった。宙に浮いた瞬間、耳朶あたりまで伸びたショートカットの黒い髪がふわりと舞い、陽射しを浴びた頭部が輝いた。天使の輪だ。
ピッ、と笛が鳴り、振り返った望月はバーが落ちなかったことを確認すると、声を上げることもなく静かに列へと戻っていく。
女子の中でも背が高くて目立つ望月はショートパンツから伸びる脚が長く、それだけで男子の視線を集めた。
「なぁ、あいつも意外と胸あるよな」
再び米倉達のグループがどっと盛り上がる。「おい、お前ら何喋ってる」と、朝礼台で生徒を見張っていた体育教師がやっとこちらに気付き、注意したが、「先生ぇ、僕達ちゃんと走ってますけどー」と調子良く返事しては米倉達がサッカー部トレーニングメニューの腿上げしながら走り続けるので、それ以上叱れないようだった。
群れはひそひそ話をやめず、愉快そうな笑いが零れるたびに僕の腹の底からぞわぞわと何かが突き上げてくる。「望月って足もいいよな」
誰かのいやらしい声に、胸まで迫り上がってきた不快さが爆爆した。
――やめろ!
僕の口が開きかけた。その時、
「おい。下らない話はやめろよ」
不愉快な声をぴしゃりとその場を制した。体育教師ではなかった。
三組の先頭を走っていた太谷が仁王立ちしている。すでにグラウンド四周目に入っており、その場で駆け足する余裕さえ見せながらチームメイト達を待ち伏せしていた。
「……ご、ごめん、太谷。冗談だってー!」
「お前ら、そういう目で女子を見るのはやめろ」
スニーカーの両足がトラックの白線を踏みしめ、仁王立ちしながら見据えると、波が広がるように米倉達が萎れていく。キャプテンの風格は隠せるものではないらしい。
やっぱりすごいな、太谷は。
単純に感心すると同時に、少しだけ違和感が残った。いつも冷静なキャプテンにしては荒ぶった注意――むしろ恫喝のようにすら感じる。
規則的に走るクラスメイトの足元でグラウンドの砂埃が上がり、乾いた空気に乗って運ばれてきた誰かの呟きを僕の耳が拾う。
「あいつら、馬鹿だよなー。望月と太谷が幼馴染なのにさ」
☆
