「天使の輪っか、ねぇ⋯⋯。悪くないかも」
沈黙は望月から破った。
今夜の空は雲一つなく、紺碧な広がりに煌々と輝く月の光が僕達のいる河川敷に降り注ぎ、僕の真横に立つ望月が屈託のない表情を浮かべているのを照らした。ショートカットの黒髪が艶めいているのを褒められ、満更でもなさそうに続ける。
「でも、どうせなら私は天使じゃなくて神様のほうがいいな。神様だったら自由奔放に振る舞えるじゃない?」
予想もしない返事に思わず星座早見表を落としそうになり、慌てて空中で受け止めた。
「ナイスキャッチ!」
横からの弾んだ声がした。
自分が機嫌を損なわせたかと心配したのに、思わず気が抜ける。あろうことか、天使より上の位を要求するなんて不遜な奴だ。ふと見返すと、仁王立ちのセーラー服姿に、公園の噴水の周りを囲んでラッパを吹く白亜の天使像姿が重なり、僕は思わず吹き出した。
「あー! 何か妄想して笑ったでしょ?!」
「いや、ごめん。何か、似合うな、って思って」
「本当にー? 実際は、偉そうなこと言うな、って思ってたんでしょ?!」
責める口振りなのに声音はやっぱり楽しそうだ。本当は陽キャなのかな。教室での大人しい姿は仮の姿で、夜空の下だとまるで小学生みたいな突拍子もないないことばかり言い出す。
日没後の河川敷は、堤防の向こうに臨む住宅街の灯りが朧げで、僕の足元を流れる矢川の水面はふとすると呑み込まれそうで恐怖を煽られるのに、天体観測を始めてからは忘れていた。
⋯⋯そう言えば、望月って横断幕準備にもあまり参加してなかったな。
体育祭準備は名目上クラス全員参加だったが、授業後は日によってまばらだった。望月は部活に所属しているわけでもなく、塾に通っている様子もないのに放課後のチャイムが鳴ると同時に足早に教室を後にしていた。
もしかして矢川で何時間も過ごしてたのか?
いくら星が好きだからって夏場ならまだしも、冬本番が間近に迫る今の時期にはきついだろう。謎の多いクラスメイトは、すると、サイドの髪を耳にかけながら僕を見上げた。
「神様がいいとは言ったけど、天野くん、知ってる? 神様もね、失敗するんだよ」
「⋯⋯失敗?」
「お、神話に興味を持ったね? 感心、感心」
「茶化すなよ、望月先生」
「星座がギリシャ神話と深い関係があるのは前にも教えたよね。狩りの名人のオリオンの物語なんて、それはもう散々なんだから。どんな話か聞きたい?」
「うん」
僕は即座に頷いていた。
何でだろう、望月といると本当に飽きない。
「いいでしょう」
単純な僕の反応がお気に召したのか、満足そうに夜空の黒板を前にして望月は天体講義を始めた。
太陽が地面の下へと潜れば、月と星の出番だ。
望月の授業を聴いている間、堤防に並んで腰を下ろす僕達を冷たい夜風が何度も吹きつけた。頭上の空には、三つの星が規則正しく並べたオリオン座が光を放ち、その傍らで月がぽっかりと浮かんでいる。
その方角をじっと見つめながら、望月は両手を握り締めながら膝を抱え、話を続ける。
「アルテミスはね、一番愛していたオリオンを自分の弓で射抜いちゃったんだよ」
「え……、何で」
「海に浮かぶ黒い影が邪悪な怪物だと思い込んで、退治しようとしたの。それが、大好きなオリオンの頭だったのを知らなくてね。アルテミスは弓の名人だから」
望月は、仕方ないよね、と言うように小さく肩をすぼめた。
酷い誤解だ。
よりにもよって、恋人をそんな事故で失うなんて。すれ違いで死に分かれるのは、ロミオとジュリエットだったっけ? 周囲に反対されて引き裂かれるのを、確か毒を飲んで死んだことにしたのに、本当に死んでしまったとか。
でも、オリオンとアルテミスはもっと酷い。
「それって防げなかったのかな……。だって、恋人同士だったんだろ? 見間違えたりするなんて」
「だから言ったじゃない。神様も、失敗するんだって」
望月は明るく笑った。愉快そうなその声が、何故だか乾いて聞こえる。
僕は何も言えず、コートのポケットに深く両手を押し込んだ。
見上げた星空の中、オリオン座がやけに大きく見え、閉じた瞼の裏でも煌々と輝き続けていた。
☆ ☆
