縁切り巫女姫の縁結び

 応接室に着くと、そこには一人のスーツ姿の男性が座って待っていた。時雨を見た男性が軽く手を振ってくる。その洗練された佇まいからかなり裕福な家庭なのだと伝わってきた。

「待たせたな、琥太郎」
「やあ、時雨。気にしてないよ」

そう言って二人は握手を交わした。その時、時雨の後ろに隠れていた蒼と目が合った。

「おや。彼女は……?」
「私の妻の蒼だ」

時雨が迷いなく「妻」と紹介したことにドキッとした。しかし恥ずかしがっている場合ではない。目の前の男性に失礼のないよう、蒼は顔を赤くしたまま慌てて頭を下げた。

「あ、蒼と申します」

令嬢教育なんて幼い頃に受けたくらいなので、正直自信がない。このお辞儀に間違いがないのか、言葉遣いは不敬ではないか、不安でいっぱいだった。
 しかし琥太郎は気にしなかったらしい。
 愛想の良い笑顔で蒼にも手を差し伸べてきた。

「俺は八菱琥太郎。時雨とは幼馴染なんだ」
「八菱……?もしかして、あの……?」

八菱と言えば、大和国随一の財閥だ。大和国の経済発展の裏には八菱の活躍があったと言われるほどだ。
 一般人が易々と会えるような人物ではない。さすがの蒼もそのくらいは知っている。身分が高そうだとは思ったが、予想以上の人物に蒼は手が震えた。
 そんな震える蒼とは逆に、当の本人である琥太郎はカラカラと明るく頷いた。

「そうそう。俺、あの八菱財閥の跡取りだよ」

蒼は眩暈を覚えた。成り上がりの本田家の蒼には一生縁のない人物だと思っていた。
 いわゆる雲の上の存在だ。
 そんな人物が今目の前にいるなんて、信じられない。

「蒼、顔色が悪いが大丈夫か?」
「は、はい……大丈夫、です」

そしてそんな琥太郎と親しげに話す時雨も相当な人物なのだろう。

ーー私、とんでもない人と結婚したのかな……。

時雨は蒼の肩を抱いて心配そうに顔を覗き込んでくる。整った顔立ちの時雨にこんなに近くで見つめられると、蒼の心臓は持たない。蒼は視線を逸らして「大丈夫ですから」と言いながら時雨から距離を取った。しかし時雨は名残惜しそうに蒼を見つめている。
 そんな時雨を見て、琥太郎はますます目を丸くした。

「へえ。時雨のこんな姿初めて見たなあ」
「五月蝿いぞ」
「ごめんごめん」

琥太郎は全く悪びれた様子がない。むしろ楽しそうにしている。
 時雨はため息を吐きつつ、琥太郎の前の椅子に座った。

「それで今日は何の用事なんだ?」
「ああ……実は……」

琥太郎も椅子に座った。先ほどの明るさから一変して、どんよりと思い雰囲気になっている。
 何か大変なことでもあったのだろうか、と思わず蒼は不安になった。
 少し間を置いて琥太郎は神妙な面持ちで琥太郎は口を開いた。

「好きな人が出来たんだ」

思ったより普通の悩みだった。

「ほほう」

しかし時雨は真剣な表情で相談を聞いている。
 てっきり、新規事業に何か問題があったとか、会長が病床に臥せているとか、そんな類の相談だと思い込んでいた蒼は拍子抜けしていた。

ーーそういえばこの神社は縁結びの神社だった。

蒼はすっかり忘れていたが、もともと琴坂神社は由緒ある縁結びの神社だ。恋愛相談に来るのは何もおかしい事ではない。
 琥太郎は本当に真剣な表情で話し始めた。

「彼女……信濃菖蒲殿とはな、八菱財閥の新規事業祝賀会で出会ったんだ。信濃家は古くから続く地方華族で、今回の新規事業でとてもお世話になったお家なんだ」

お相手の名前は信濃菖蒲と言うらしい。
 大和国は王である天皇を頂点に、華族、士族、一般市民という身分が存在している。その華族の中にも各地方を統治している地方華族と、中央で天皇を補佐する中央華族の二種類の華族がある。琥太郎はいくら国随一の財閥御曹司と言っても身分は一般市民になる。ただ八菱財閥の財力は地方華族の比ではなく、今となっては華族と並ぶほどの権力を持つとまで言われている。
 そんな琥太郎の恋の相手が地方華族のご令嬢という事だが、蒼には分不相応という事もなさそうに思えた。しかし恋愛にはとんと疎い上に高貴な身分の方々とは無縁の生活を送ってきた蒼の常識が通じるとも思えない。蒼は横目で時雨の様子を伺った。
 すると時雨は「ふうん」と呟いた。

「信濃家は地方と言っても中央寄りの華族だし、歴史も古い華族だったな。歴史は古く人脈も地位もあるが、資産はそれほど多くない。国でも指折りの八菱財閥との結婚なら問題ないじゃないか」

琥太郎のお相手もなかなかのお嬢様らしい。華族なんて縁もゆかりもなかった蒼は驚くばかりだ。

ーー時雨様、詳しいんだ。

やはり時雨は蒼が知らないだけで、かなりの高位な人物なのだろう。そんな時雨の話を聞く限りでは、沢山の人から祝福されるお似合いの二人のように聞こえる。
 しかし琥太郎は重いため息をついて、口を開いた。

「それがな……彼女に避けられているみたいなんだ」

自分で言ってショックだったらしい。琥太郎はどんよりしてしまった。

「アプローチが足りないんじゃないか?華族の令嬢は奥手な女性が多いぞ」
「そう思って手紙から始めたさ!でもその手紙さえ受け取ってもらえないんだ」
「何が問題なんだ?」

時雨は首を傾げた。琥太郎は愛嬌もあるし、見目も悪くない。最初から相手にされない理由は特に思いつかない。

「俺には晴れの加護があるだろう。けど菖蒲殿は雨の加護を持っているんだ。それが気掛かりらしい」
「ああ……成程な」

時雨は納得したように頷いた。
 蒼には菖蒲の気持ちが分かる気がした。そして隣に座る時雨を横目で見た。

ーー真逆の加護だと、自分に相応しい人なのか不安になるよね。

蒼も、縁起が悪いと言われた縁切りの加護持ちである自分が、逆に縁起の良い縁結びの加護持ちと結婚していいものかと不安になる。自分のせいで相手に悪影響になってしまったらどうしよう、とどうしても考えてしまうのだ。
 きっと菖蒲も同じように悩んで、初めから距離を取ることを選んだのだろう。

「学校に会いに行ったりしてるんだが……晴れ男と雨女という相容れない二人だからって、いつも断られるんだよ」
「菖蒲殿は学生なのか」
「ああ。つい先日も学校訪問してきたんだがな……答えはいつも一緒なんだよ」

蒼はふと思い出した。茜がはしゃいで自分が射止めてみせると言っていた相手も御曹司だった。

ーー茜が財閥の御曹司が学校に来るって言っていたけど、琥太郎様のことだったのね。

茜は自分が選ばれると目を輝かせていたが、どうやら最初から選ばれることはなかったようだ。むしろ茜のアプローチは琥太郎に対して煩わしい印象を与えたに違いない。

ーーだから糸の色が黒に近い色だったのね。

八菱財閥を敵に回したら本田家なんてすぐに潰れてしまう。そういう暗示だったのだろう。
 そんな風に蒼が考えを巡らせていると、琥太郎は急に頭を下げた。あまりに咄嗟のことで蒼は肩をビクッと震わせた。

「だから時雨にお願いしたいんだ!」
「縁結びをか?」
「そうだ!」

ふむ、と時雨は考えた。そして時雨は蒼の方を見た。

「なら蒼と一緒にやらせてもらおうかな」
「え!?」

そんな話聞いていない。

「ありがとう!」
「ええ!?」

琥太郎は満面の笑みで時雨と蒼の手を握って、ブンブンと振り回した。そんなに喜ぶ琥太郎に「無理」なんてとても言えない。
 蒼は引きつった笑顔で視線を泳がせた。
 そして助けを求めるように時雨を見つめた。

「あ、あの……時雨様」
「どうした?」
「さすがに私にはまだ荷が重いかと……」

琥太郎のような大物の縁結びなんて蒼には荷が重い。そもそも学校にも通っていなければ、加護の使い方をきちんと学んだわけでもないのだ。
 しかし時雨は蒼の頭を撫でながら宥めるように言った。

「だからいい修行になるだろう?」
「でも」
「大丈夫。私がついているよ」

はっきりと言い切られると、蒼もこれ以上何も言えない。本当は自信もないしやりたくもないが、蒼は渋々頷いた。
 そんな蒼を慰めるように、時雨は蒼の肩を優しくポンポンと叩いた。そして耳元で何度も「大丈夫だよ」と囁いてくれた。
 そんな甘い二人の様子を、琥太郎はまじまじと見つめていた。

「時雨がここまで溺れているとはな」

そう言われて蒼は顔を真っ赤にした。そして急に恥ずかしくなって慌てて時雨から距離を取った。
 時雨は恨みがましく琥太郎を睨んだ。

「仕方ないだろう」
「まあな」
「それに、今の琥太郎なら私の気持ちも分かるだろう?」
「それは……」

時雨の不適な笑顔に、琥太郎も言葉を詰まらせた。そんな琥太郎に時雨は満足したらしい。

「ふっ。ようやく恋する男の気持ちが分かるようになったか」
「ああ。時雨の気持ちがようやく分かった。昔はお前の惚気を聞くのも苦痛だったんだがな」

そう言って琥太郎はちらっと蒼を見た。
 何のことだか全く分からない蒼は二人の会話に首を傾げるばかりだ。
 さっきまで勝ち誇ったような態度だった時雨は、琥太郎の台詞にバツが悪そうに口をへの字に曲げた。

「そんなに惚気話をしたつもりはないがな」

そう言ってそっぽ向いた。
 どうやら話をはぐらかしたいらしい。
 そんな分かりやすい時雨の態度に琥太郎はくつくつと笑った。