ーーあら?この方……どこかで……?
馬車が神社の前で止まり、御者が扉を開けてくれた。そこには、少し目つきの悪い若い男性が立っていた。その男性を見た時、蒼はどこかで会ったことがあるような気がした。
誰だっただろうかとじっと男性を見つめると、男性が手入れの行き届いた艶のある黒髪に、整った顔立ちをした美青年で、蒼は少し恥ずかしくなった。切れ長の目が冷たい印象を与えるが、とても清潔感があり、女性に人気がありそうに見えた。
しかし次の瞬間、男性は満面の笑みを見せた。
「また会ったな、私の花嫁」
「貴方は……っ!」
何処かで見覚えのある顔だと思ったが、声を聞いて蒼はようやく合点がいった。
ーーあの時の……学校で会った男性だわ!
あの時、慌てて逃げたので再会するとは思ってもいなかった。まさか本当に花嫁に迎えるなんて思ってもいなかったし、こんなに早く見つかってしまうとも思っていなかった。蒼は何と言っていいのか分からず、口をぱくぱくさせた。
そんな驚きで呆然とする蒼を見て、男性は蒼の手を引いた。
「とりあえず中に入ろう」
「お荷物は蒼様の部屋に運ばせていただきますね」
「すみません、ありがとうございます」
急に握られた手に、蒼は顔が熱くなった。
ーー男性の手って、こんなに温かくて少し骨ばったゴツゴツした感覚なんだ……。
姫騎士と言われていても、蒼は恋もした事がない少女だ。男性の手の感覚なんて初めてで、緊張してしまう。
ーー私の手、汗かいてないかな。
なんて急に心配になってしまう。それに男性にこんなに優しく手を握ってもらったことなんて初めてで、ドキドキしてしまう。
蒼は顔が赤くなっているのがバレないように、あいてる手で頬を覆った。
ーー心臓がもたないかも……。
そう思いながら、男性の広い背中を見つめた。
こんな美しい人が本当に自分の旦那様なのかと、まだ信じられないでいる。ただ、男性から伝わってくる手のぬくもりが蒼の心をじんわりと温めてくれていったのだった。
琴坂神社の横には立派な社務所があった。社務所には住居も併設されているらしく、その中へと案内された。広く長く続く廊下に、手入れの行き届いた庭園。どれをとっても本田家の家とは比べ物にならないほど上品なものばかりだった。
蒼が案内されたのは、最低限の家具しか置いていない和室だった。と言っても十畳程ある広い部屋だ。部屋の一角に置かれた椅子に男性が座ると、蒼は机を挟んだ前の席に腰を下ろした。
そして侍女らしい人が緑茶を用意してくれていたようで、二人が席につくとすぐに出してくれた。
「さて。突然のことで驚いただろう。蒼はどこまで聞いているのかな?」
「どこまで……」
そう聞かれても困る。蒼は結婚する事以外、何も聞いていないのだ。すぐには言葉が出てこず首を傾げた。そして申し訳無さそうに「えっと」と口を開いた。
「まだ貴方様のお名前も知りません」
「はあ!?」
さすがにそこまでとは思わなかったのだろう。目の前の男性は素っ頓狂な声を出した。そして呆れ果てたのか頭を抱えて大きなため息をついた。
「あの野郎」
ポツリとそんな悪態を突くくらいには苛立ったらしい。何だか蒼まで申し訳ない気持ちになってしまった。小さく「すみません」と呟くと、男性は首を横に振った。
「蒼が気にすることなんて何もないからね」
男性が優しくそう言ってくれた。当然だが男性は蒼の名前を知っていたらしい。急に呼び捨てされて、思わず胸が高鳴ってしまった。
そして男性は笑顔で名乗ってくれた。
「私は大和時雨。この琴坂神社の神主だ」
「え。神主様、ですか?かなりお若いですよね」
時雨は十七歳の蒼とそんなに年齢が変わらないように見える。それに学校で出会ったので、てっきり学生だと思っていたが、神主をしていると言うのだから驚きだ。
ーーこんな立派な神社の神主様なんて……しかもかなり若い……きっと凄い人なんだろうな。
蒼は急に不安になった。こんな立派な神社の神主の妻なんて、自分に務まるのだろうか、と。
「十九歳だよ。私も加護持ちでね。大和国立特別学校も卒業している」
大和国立特別学校は六年制の学校だ。ととのせの祝いで加護持ちと分かった子どもは、十二歳でこの学校に入学する。加護持ちなのに学校にも行っていない蒼は胸の奥がズキンと痛んだ。
「私の加護は『縁結び』。この琴坂神社には縁結びの加護持ちが神主になる風習があるんだ。まあこの琴坂神社は縁結びの神社で有名だしね」
茜と同じ加護だ。そう思うと蒼は心の奥にモヤモヤしたものを感じた。
「そして妻となる人は縁切りの加護持ちを迎える。だから私はずっと縁切りの加護持ちの女性を探していたんだ。まさかこんなに近くにいたなんて……」
時雨はため息をついて背もたれに寄りかかった。確かに、蒼が学校に入学していればもっと早く見つけられただろう。
蒼も複雑な気持ちだ。
「もっと早く分かっていれば蒼と学校生活を楽しめたと言うのに……」
どうやら学生カップルに憧れがあったようだ。時雨は非常に残念そうに俯いた。
「だが見つかったのだから良しとしよう。これから新婚生活が待っているしな」
時雨の立ち直りは早く、すぐに明るい笑顔を見せた。まだ結婚の実感が湧いていなかった蒼は「新婚生活」という言葉に思わず顔を赤くした。
そんな初々しい蒼の反応に、時雨はますます上機嫌になった。
「あの……その、私は何をすればいいのでしょう」
「ん?そうだなぁ。生活面では何もしなくて良い。食事をはじめ家事全般は使用人達がいるからね。私達がすることはお参りに来た人達の対応だ」
てっきり妻として家事全般をするのかと思っていたが、そうではないらしい。本田家でも使用人が家事全般をしていたので、蒼は家事をした事がなかった。もし家事を任されたらと不安が大きかったが、内心かなり安心した。
しかしお参りに来た人の対応となると、縁結びではないだろうか。
蒼は表情を暗くした。
「お参り……でも、私に縁結びの力はありません」
「いいや。蒼にしか出来ないことなんだ」
落ち込む蒼に、時雨は優しく諭した。
「縁を結ぶためには、悪縁を断ち切る事も時には必要になる。縁結びと縁切りは表裏一体なんだよ」
蒼は思わず目を丸くした。そしてゆっくり時雨を見つめた。
ーーそんなこと……初めて言われた。
縁切りの加護は不吉だと、忌み嫌われて過ごしてきた。それが普通なのだと思っていた。
だが時雨の一言で蒼の普通がひっくり返された。
「縁結びの加護は結構事例があるけど、縁切りの加護はほとんどいない。私なんかよりよっぽど希少で、多くの人が必要とする大事な加護なんだ」
その一言でじんわりと胸が熱くなる。
「ありがとうございます。……その、私は自分の加護に自信がなかったので……少し驚きです」
時雨は困ったように笑った。そして言いにくそうに口を開いた。
「実は……蒼が、本田家でどんな生活をしていたのか調べさせてもらった」
「そうですか……」
時雨は申し訳無さそうに俯いた。
ーーじゃあ……知ってるのね。
本田家の事情も、蒼の加護も、加護持ちなのに学校に行っていないという事も。正直、こんなに立派な神社の神主の妻として、蒼は不充分にも思えた。例え稀少な縁切りの加護を持っていようと、それ以外の教養が何もないのだ。
「私は加護の力を使う術も、基本的な教養も持ち合わせていません。時雨様の期待に添えるかどうか」
「いいや」
時雨は首を横に振った。そして真っ直ぐ蒼を見つめてくる。
「それは今から覚えていけばいい事だ」
その言葉に、蒼は目を見開いた。
「気にする事は何もない」
「……はいっ!」
時雨の言葉に蒼はいつの間にか頷いていた。
自分でも驚くほど自然に、そして力強く頷いてしまい、目を丸くした。
時雨はほっと胸を撫で下ろして、懐から細長い物を取り出した。上等な布で包まれたそれを、蒼に差し出した。
「これは?」
蒼は首を傾げた。受け取った方がいいのか、と手をさまよわせた。
「琴坂神社の妻が代々持つと言われる懐刀だ。君にお守りとして持っていてほしい」
「そんな!私には分不相応です」
蒼は思わず手を引っ込めた。
しかし時雨は引かなかった。
「いや。これは蒼に絶対に持っていて欲しい」
そう言って懐刀を突き出された。蒼はどうしたら良いのか分からず、懐刀と時雨を交互に見つめ、そして恐る恐る手を差し伸ばした。
「では……一時預かる、という事で……」
蒼が懐刀を受け取った事で、時雨はほっと胸を撫で下ろした。刀なんて初めて持った蒼は、まだおぼつかない手つきで刀を握っている。
「失礼します、時雨様。お客様でございます」
「ああ。そんな時間か。すぐに行く」
部屋の外から声がかかった。時雨は腰が重そうに立ち上がった。
そして蒼に手を差し伸ばした。
「蒼も来てくれないか?」
蒼は躊躇いつつも、時雨の手を取った。
馬車が神社の前で止まり、御者が扉を開けてくれた。そこには、少し目つきの悪い若い男性が立っていた。その男性を見た時、蒼はどこかで会ったことがあるような気がした。
誰だっただろうかとじっと男性を見つめると、男性が手入れの行き届いた艶のある黒髪に、整った顔立ちをした美青年で、蒼は少し恥ずかしくなった。切れ長の目が冷たい印象を与えるが、とても清潔感があり、女性に人気がありそうに見えた。
しかし次の瞬間、男性は満面の笑みを見せた。
「また会ったな、私の花嫁」
「貴方は……っ!」
何処かで見覚えのある顔だと思ったが、声を聞いて蒼はようやく合点がいった。
ーーあの時の……学校で会った男性だわ!
あの時、慌てて逃げたので再会するとは思ってもいなかった。まさか本当に花嫁に迎えるなんて思ってもいなかったし、こんなに早く見つかってしまうとも思っていなかった。蒼は何と言っていいのか分からず、口をぱくぱくさせた。
そんな驚きで呆然とする蒼を見て、男性は蒼の手を引いた。
「とりあえず中に入ろう」
「お荷物は蒼様の部屋に運ばせていただきますね」
「すみません、ありがとうございます」
急に握られた手に、蒼は顔が熱くなった。
ーー男性の手って、こんなに温かくて少し骨ばったゴツゴツした感覚なんだ……。
姫騎士と言われていても、蒼は恋もした事がない少女だ。男性の手の感覚なんて初めてで、緊張してしまう。
ーー私の手、汗かいてないかな。
なんて急に心配になってしまう。それに男性にこんなに優しく手を握ってもらったことなんて初めてで、ドキドキしてしまう。
蒼は顔が赤くなっているのがバレないように、あいてる手で頬を覆った。
ーー心臓がもたないかも……。
そう思いながら、男性の広い背中を見つめた。
こんな美しい人が本当に自分の旦那様なのかと、まだ信じられないでいる。ただ、男性から伝わってくる手のぬくもりが蒼の心をじんわりと温めてくれていったのだった。
琴坂神社の横には立派な社務所があった。社務所には住居も併設されているらしく、その中へと案内された。広く長く続く廊下に、手入れの行き届いた庭園。どれをとっても本田家の家とは比べ物にならないほど上品なものばかりだった。
蒼が案内されたのは、最低限の家具しか置いていない和室だった。と言っても十畳程ある広い部屋だ。部屋の一角に置かれた椅子に男性が座ると、蒼は机を挟んだ前の席に腰を下ろした。
そして侍女らしい人が緑茶を用意してくれていたようで、二人が席につくとすぐに出してくれた。
「さて。突然のことで驚いただろう。蒼はどこまで聞いているのかな?」
「どこまで……」
そう聞かれても困る。蒼は結婚する事以外、何も聞いていないのだ。すぐには言葉が出てこず首を傾げた。そして申し訳無さそうに「えっと」と口を開いた。
「まだ貴方様のお名前も知りません」
「はあ!?」
さすがにそこまでとは思わなかったのだろう。目の前の男性は素っ頓狂な声を出した。そして呆れ果てたのか頭を抱えて大きなため息をついた。
「あの野郎」
ポツリとそんな悪態を突くくらいには苛立ったらしい。何だか蒼まで申し訳ない気持ちになってしまった。小さく「すみません」と呟くと、男性は首を横に振った。
「蒼が気にすることなんて何もないからね」
男性が優しくそう言ってくれた。当然だが男性は蒼の名前を知っていたらしい。急に呼び捨てされて、思わず胸が高鳴ってしまった。
そして男性は笑顔で名乗ってくれた。
「私は大和時雨。この琴坂神社の神主だ」
「え。神主様、ですか?かなりお若いですよね」
時雨は十七歳の蒼とそんなに年齢が変わらないように見える。それに学校で出会ったので、てっきり学生だと思っていたが、神主をしていると言うのだから驚きだ。
ーーこんな立派な神社の神主様なんて……しかもかなり若い……きっと凄い人なんだろうな。
蒼は急に不安になった。こんな立派な神社の神主の妻なんて、自分に務まるのだろうか、と。
「十九歳だよ。私も加護持ちでね。大和国立特別学校も卒業している」
大和国立特別学校は六年制の学校だ。ととのせの祝いで加護持ちと分かった子どもは、十二歳でこの学校に入学する。加護持ちなのに学校にも行っていない蒼は胸の奥がズキンと痛んだ。
「私の加護は『縁結び』。この琴坂神社には縁結びの加護持ちが神主になる風習があるんだ。まあこの琴坂神社は縁結びの神社で有名だしね」
茜と同じ加護だ。そう思うと蒼は心の奥にモヤモヤしたものを感じた。
「そして妻となる人は縁切りの加護持ちを迎える。だから私はずっと縁切りの加護持ちの女性を探していたんだ。まさかこんなに近くにいたなんて……」
時雨はため息をついて背もたれに寄りかかった。確かに、蒼が学校に入学していればもっと早く見つけられただろう。
蒼も複雑な気持ちだ。
「もっと早く分かっていれば蒼と学校生活を楽しめたと言うのに……」
どうやら学生カップルに憧れがあったようだ。時雨は非常に残念そうに俯いた。
「だが見つかったのだから良しとしよう。これから新婚生活が待っているしな」
時雨の立ち直りは早く、すぐに明るい笑顔を見せた。まだ結婚の実感が湧いていなかった蒼は「新婚生活」という言葉に思わず顔を赤くした。
そんな初々しい蒼の反応に、時雨はますます上機嫌になった。
「あの……その、私は何をすればいいのでしょう」
「ん?そうだなぁ。生活面では何もしなくて良い。食事をはじめ家事全般は使用人達がいるからね。私達がすることはお参りに来た人達の対応だ」
てっきり妻として家事全般をするのかと思っていたが、そうではないらしい。本田家でも使用人が家事全般をしていたので、蒼は家事をした事がなかった。もし家事を任されたらと不安が大きかったが、内心かなり安心した。
しかしお参りに来た人の対応となると、縁結びではないだろうか。
蒼は表情を暗くした。
「お参り……でも、私に縁結びの力はありません」
「いいや。蒼にしか出来ないことなんだ」
落ち込む蒼に、時雨は優しく諭した。
「縁を結ぶためには、悪縁を断ち切る事も時には必要になる。縁結びと縁切りは表裏一体なんだよ」
蒼は思わず目を丸くした。そしてゆっくり時雨を見つめた。
ーーそんなこと……初めて言われた。
縁切りの加護は不吉だと、忌み嫌われて過ごしてきた。それが普通なのだと思っていた。
だが時雨の一言で蒼の普通がひっくり返された。
「縁結びの加護は結構事例があるけど、縁切りの加護はほとんどいない。私なんかよりよっぽど希少で、多くの人が必要とする大事な加護なんだ」
その一言でじんわりと胸が熱くなる。
「ありがとうございます。……その、私は自分の加護に自信がなかったので……少し驚きです」
時雨は困ったように笑った。そして言いにくそうに口を開いた。
「実は……蒼が、本田家でどんな生活をしていたのか調べさせてもらった」
「そうですか……」
時雨は申し訳無さそうに俯いた。
ーーじゃあ……知ってるのね。
本田家の事情も、蒼の加護も、加護持ちなのに学校に行っていないという事も。正直、こんなに立派な神社の神主の妻として、蒼は不充分にも思えた。例え稀少な縁切りの加護を持っていようと、それ以外の教養が何もないのだ。
「私は加護の力を使う術も、基本的な教養も持ち合わせていません。時雨様の期待に添えるかどうか」
「いいや」
時雨は首を横に振った。そして真っ直ぐ蒼を見つめてくる。
「それは今から覚えていけばいい事だ」
その言葉に、蒼は目を見開いた。
「気にする事は何もない」
「……はいっ!」
時雨の言葉に蒼はいつの間にか頷いていた。
自分でも驚くほど自然に、そして力強く頷いてしまい、目を丸くした。
時雨はほっと胸を撫で下ろして、懐から細長い物を取り出した。上等な布で包まれたそれを、蒼に差し出した。
「これは?」
蒼は首を傾げた。受け取った方がいいのか、と手をさまよわせた。
「琴坂神社の妻が代々持つと言われる懐刀だ。君にお守りとして持っていてほしい」
「そんな!私には分不相応です」
蒼は思わず手を引っ込めた。
しかし時雨は引かなかった。
「いや。これは蒼に絶対に持っていて欲しい」
そう言って懐刀を突き出された。蒼はどうしたら良いのか分からず、懐刀と時雨を交互に見つめ、そして恐る恐る手を差し伸ばした。
「では……一時預かる、という事で……」
蒼が懐刀を受け取った事で、時雨はほっと胸を撫で下ろした。刀なんて初めて持った蒼は、まだおぼつかない手つきで刀を握っている。
「失礼します、時雨様。お客様でございます」
「ああ。そんな時間か。すぐに行く」
部屋の外から声がかかった。時雨は腰が重そうに立ち上がった。
そして蒼に手を差し伸ばした。
「蒼も来てくれないか?」
蒼は躊躇いつつも、時雨の手を取った。


