本田家は、先代が事業に成功し財をなした商家である。まだ新参者であるため成金と揶揄する者もいるが、そんな中でも蒼たちの父親であり本田グループの社長である本田正勝はさらなる事業拡大に力を入れていた。喜ばしい事に事業は波に乗っており、蒼達が住む家も一般家庭に比べるとそれなりの豪邸であった。その豪邸には蒼達家族だけでなく、使用人達も数人住み込みで働いている。
そして今日も、帰宅したばかりの二人を使用人達が頭を下げて待っていてくれた。
「おかえりなさいませ、茜お嬢様、蒼お嬢様」
「ただいま帰りました」
蒼は微笑して、使用人達に返事をした。
しかし、茜はむすっとした表情で何も言わない。不機嫌を隠そうともしない様子だ。そんな茜の態度にも慣れた使用人達は、特に狼狽える事もなかった。
しかしあからさまに子供っぽい態度の茜を、蒼は困ったように見つめた。茜は帰り道ずっと「あの先生のせいで御曹司と仲良くなれなかった」と不満を口にしていた。そして「お父様に報告しなきゃ」としきりに呟いていた。
ーー見込みのない相手なのに……。
と、茜は思ったが、感情的になった茜を止める気にもなれず、蒼は見守ることしか出来なかった。黒に近い縁の糸を思い出して、茜に伝えるべきかと迷いもした。しかし伝えたところで茜が自分の考えを変えるとも思えない。蒼はただ見守るしかできないのだった。
ーーやっぱり、御曹司との縁を切っておくべきだったのかも。
あの時、誰にも見つからずに縁切り出来ていれば、とも思ってしまう。けれどあの時の事を思い出すとどうしても、あの男の事も思い出してしまう。そして加護持ちだと知られてしまったかもしれないと不安になってしまうのだ。
蒼は考えをやめようと、首を横に振った。
「ちょっと其処の貴方!お父様はどこ?」
茜は頬を膨らませて使用人に尋ねた。ピリピリした声で尋ねられた使用人はびくっと肩を震わせた。
「お、おそらく仕事部屋かと思います」
それを聞いた茜は真っ先に仕事部屋へと向かって行く。茜のいつもと違う様子に、さすがの使用人達も首を傾げた。そして事情を知っていそうな蒼へと視線を送った。
しかし蒼は何も言わずに首を横に振った。
使用人達はそんな蒼の反応を見てすぐに納得した。茜の我が儘は今に始まったことではない。「またか」と思うだけで、何事もなかったかのようにすぐに仕事に戻って行った。
縁結びという縁起の良い加護を持つ茜は両親から大層可愛がられて育った。そのため本田家ではお姫様のように振る舞っているのだ。
ーー茜は本田グループにとって大切な存在だから仕方ないわね。
そう自分に言い聞かせて蒼は自分の部屋へと向かった。
本田家がどんなに豪邸と言っても、華族や財閥と比べれば少し大きいだけの一般家庭だ。本田家の居住空間は二階に集まっており、蒼と茜の部屋は隣同士だ。蒼が部屋に向かえば、当然茜の部屋の前も通る。
ーーあれは、茜と……お母様?
茜の部屋の前で母親と茜が話している姿が見えた。父親の仕事部屋に向かったと思ったら、途中で母親にも愚痴を言っていたらしい。
全く飽きないものだな、と蒼はため息をついた。
「もう聞いてよ、お母様。それがねぇ」
茜は先生の悪口をこれでもかと言うほど話していた。蒼は耳にタコができるほど聞いたので、もう何も思わなくなっていたが、母親には許せない出来事だったらしい。「まあ!」と声をあげて、目を釣り上げていた。
「嗚呼、茜!何て失礼な教師なのかしらね!心配ないわ。貴方にはとっておきの縁談を用意してあげるから」
「本当?約束よ、お母様」
母親は茜を優しく抱きしめた。茜の言い分が全て正しいと言わんばかりの態度だ。茜を肯定してくれる母親に茜は満足したようで、満面の笑みで母親に抱きついていた。
これが本田家の日常だった。
茜の言う事が全てで、茜の願いは何でも叶えてあげねばならない。
だから使用人も、勿論蒼も、茜に逆らわないようご機嫌を取る。そんな生活に嫌気がさすこともあるが、蒼にはここ以外居場所がない。
だから耐えるしかないのだ。
蒼はなるべく関わりたくなくて、無言で二人の横を通り過ぎようとした。
その時。
「蒼、ちょっと待ちなさい」
母親が蒼を呼び止めた。蒼が縁切りの加護だと知ってから、母親は蒼を避けるようになっていた。
話しかけられるのなんて、いつぶりだろうか。
蒼は立ち止まって母親を見た。きっと蒼に用事があるから嫌々引き留めたに決まっている。そう思って恐る恐る振り返った。
しかし、そうではなかった。
母親は穏やかな笑顔で蒼を見ていた。久しぶりに向けられた母親の笑顔に、蒼はゾッとした。
ーー嫌な予感がする。
そんな蒼の気持ちなんて知りもしない茜は無邪気だった。
「何なに?私も知りたぁい」
「そうね。茜も来ていいわ」
茜は無邪気に喜んだ。嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら蒼に寄って行く。
「やったあ。話って何だろうね、蒼ちゃん」
「そ、そうね」
けれど茜とは反対に、蒼は苦笑いしか出来なかった。
ーーきっと碌なことじゃない。
そんな予感しかしないのだ。本音は聞きたくないし、ついて行くのも嫌だ。だが蒼はため息をついて母親の後に続いた。
向かう先は父親の仕事部屋だった。
家の一番奥にある広い部屋で、仕事関係者と会議している時もあるので、普段蒼は近付く事がない。幼い頃近付いたら「縁起が悪くなるから近付くな」ときつく怒られた。その一方で茜は普段からこの部屋によく来ていた。父親は茜が近寄るだけで加護が働くかもしれないと考えているようで、あえて茜を部屋に呼ぶこともあった。
「旦那様、蒼を連れて参りました」
母親が扉をノックすると、部屋の中から「入れ」という言葉が返ってきた。
仕事部屋には壁いっぱいの本棚があった。その本棚の壁に囲まれて、父親の執務机が置いてある。仕事の途中だったらしい父親は、ペンをスラスラと動かしていた。しかしすぐにひと段落ついたのか、「ふう」と一息ついてペンを置いた。
そして最初に父親の目に入ったのは茜だった。
「おや。茜も来たのか」
「ええ。だって蒼ちゃんに話があるって聞いて気になっちゃったんだもん」
「ははは。全然構わないさ」
恰幅の良い父親は、大きなお腹をさすりながら、明るく笑った。だがその笑顔は茜にしか向けられていない。
蒼は疎外感を感じていた。
無邪気な茜と、そんな茜を愛おしいく見つめる父親、そして寄り添うように茜と父親を見守る母親。笑い合う三人の姿は仲の良い家族そのものだった。
だがその輪に蒼が入れてもらえる事はない。
縁切りの加護持ちだと分かってから、ずっとこれが普通だった。もう慣れた事なのに、毎度毎度、仲睦まじい三人を見ると虚しくなってしまう。
茜を愛でた父親が、ようやく少し離れた場所にいた蒼に視線を向けた。
「さて、蒼」
「はい」
父親は真面目な表情で蒼を見た。父親は仕事が忙しくて、蒼とは普段から顔を合わせていない。
こうして向き合ったのも、いつぶりだろうか。
蒼は思わず緊張してしまった。
いい事でない事は明らかだが、何を言われるのか考えると、鼓動が速くなる。
「蒼、お前の結婚が決まったぞ」
「え」
それは思いもよらないものだった。
ーー結婚?結婚って言ったの?
蒼は十七歳だ。商家の娘として婚約者がいてもおかしくはないのだが、まさか自分が結婚できるなんて思ってもいなかった。ずっと本田家に隠されて一生を終えるのだと思っていた。
だからこの家で役目があれば、自分にも居場所が出来るだろうと考えた。そのために武術も磨いて、姫騎士と呼ばれるくらいには強くなった。
そうして本田家で居場所を作れたと思っていたのに。
蒼は何と言っていいのか分からなかった。
しかしそんな蒼の気持ちなんて微塵も考えていない母親は明るく喜んでいた。
「良かったわ。貴方みたいな縁起の悪い加護持ちをもらってくれる奇特な人がいて!」
「ああ。これで我が本田家も安泰だ」
厄介払いできた、と両親は両手をあげて喜んでいる。
ーー私の今までの努力って……。
必死にこの本田家のために努力してきた。せめてこの家のお荷物にならないようにしてきたつもりだったのに。蒼の努力は両親にとってはどうでもいい事だったようだ。その事実を突きつけられて蒼は動揺した。
それでも蒼にはすぐに受け入れられる事ではなかった。
「ちょ、ちょっと待って!私には茜の護衛があるのよ?」
良家の女子としての教育を捨てて武術を身につけたのも、そうすれば本田家で居場所を作れると思ったからだ。蒼は慌てて反論した。
父親は蒼が反論した事が不満だったらしい。眉間に皺を寄せて声を低くくして答えた。
「そんなもの他の人を雇えばいい」
「蒼ったら何を言っているの。縁切りなんて不吉な加護を持つ貴方を引き取ってもらえる絶好の機会なのよ?」
「そんな……」
母親も呆れたようにそんな事を言ってくる。蒼は助けを求めるように茜の方を見るが、茜はキョトンとしていた。何も考えていない茜に、蒼はすがった。
「茜。茜は私がいなくなったら困るわよね?」
「うーん」
しかし茜は首を傾げた。蒼がいなくなって困る事が思い浮かばないらしい。
「茜、わかんなぁい」
そして、何とも残酷な返事をした。
「え……そんな」
これまで茜の愚痴を聞き、茜の機嫌を取って、茜の護衛をしてきたのは何だったのだろうか。茜にとって蒼はその程度だったという事なのだろうか。
蒼は眩暈がした。茜の一言が蒼のこれまでを否定しているように聞こえてしまった。
「でもぉ、茜は優秀だから何とかなるよ。蒼ちゃん、頑張ってね」
そして茜はトドメを刺すようにそう言った。
「そうね、茜は優秀だもの。蒼のために役目を作ってあげていたのよね」
「うん!蒼ちゃんがいなくても、茜は平気だなぁ」
「はっはっはっ!なら蒼も何の憂いもなく嫁げるな!」
母親は茜の頭を撫でて褒め、父親は上機嫌に腹を抱えて笑っている。喜ぶ両親の反応に茜も満足そうに笑っている。
そして蒼だけが顔を青くしていた。その後も三人は何かを話していたようだが、もう蒼の耳に届かない。映画のワンシーンを見るように、ただ呆然と三人の様子を見ていた。
そして蒼はようやく理解した。
ーー嗚呼。私、ここではもう必要ないのね。
どんなに努力しようと、どんなに機嫌を取ろうと、蒼のほしいものはここでは手に入らない。
その日、蒼はひっそり涙を流したのだった。
そして今日も、帰宅したばかりの二人を使用人達が頭を下げて待っていてくれた。
「おかえりなさいませ、茜お嬢様、蒼お嬢様」
「ただいま帰りました」
蒼は微笑して、使用人達に返事をした。
しかし、茜はむすっとした表情で何も言わない。不機嫌を隠そうともしない様子だ。そんな茜の態度にも慣れた使用人達は、特に狼狽える事もなかった。
しかしあからさまに子供っぽい態度の茜を、蒼は困ったように見つめた。茜は帰り道ずっと「あの先生のせいで御曹司と仲良くなれなかった」と不満を口にしていた。そして「お父様に報告しなきゃ」としきりに呟いていた。
ーー見込みのない相手なのに……。
と、茜は思ったが、感情的になった茜を止める気にもなれず、蒼は見守ることしか出来なかった。黒に近い縁の糸を思い出して、茜に伝えるべきかと迷いもした。しかし伝えたところで茜が自分の考えを変えるとも思えない。蒼はただ見守るしかできないのだった。
ーーやっぱり、御曹司との縁を切っておくべきだったのかも。
あの時、誰にも見つからずに縁切り出来ていれば、とも思ってしまう。けれどあの時の事を思い出すとどうしても、あの男の事も思い出してしまう。そして加護持ちだと知られてしまったかもしれないと不安になってしまうのだ。
蒼は考えをやめようと、首を横に振った。
「ちょっと其処の貴方!お父様はどこ?」
茜は頬を膨らませて使用人に尋ねた。ピリピリした声で尋ねられた使用人はびくっと肩を震わせた。
「お、おそらく仕事部屋かと思います」
それを聞いた茜は真っ先に仕事部屋へと向かって行く。茜のいつもと違う様子に、さすがの使用人達も首を傾げた。そして事情を知っていそうな蒼へと視線を送った。
しかし蒼は何も言わずに首を横に振った。
使用人達はそんな蒼の反応を見てすぐに納得した。茜の我が儘は今に始まったことではない。「またか」と思うだけで、何事もなかったかのようにすぐに仕事に戻って行った。
縁結びという縁起の良い加護を持つ茜は両親から大層可愛がられて育った。そのため本田家ではお姫様のように振る舞っているのだ。
ーー茜は本田グループにとって大切な存在だから仕方ないわね。
そう自分に言い聞かせて蒼は自分の部屋へと向かった。
本田家がどんなに豪邸と言っても、華族や財閥と比べれば少し大きいだけの一般家庭だ。本田家の居住空間は二階に集まっており、蒼と茜の部屋は隣同士だ。蒼が部屋に向かえば、当然茜の部屋の前も通る。
ーーあれは、茜と……お母様?
茜の部屋の前で母親と茜が話している姿が見えた。父親の仕事部屋に向かったと思ったら、途中で母親にも愚痴を言っていたらしい。
全く飽きないものだな、と蒼はため息をついた。
「もう聞いてよ、お母様。それがねぇ」
茜は先生の悪口をこれでもかと言うほど話していた。蒼は耳にタコができるほど聞いたので、もう何も思わなくなっていたが、母親には許せない出来事だったらしい。「まあ!」と声をあげて、目を釣り上げていた。
「嗚呼、茜!何て失礼な教師なのかしらね!心配ないわ。貴方にはとっておきの縁談を用意してあげるから」
「本当?約束よ、お母様」
母親は茜を優しく抱きしめた。茜の言い分が全て正しいと言わんばかりの態度だ。茜を肯定してくれる母親に茜は満足したようで、満面の笑みで母親に抱きついていた。
これが本田家の日常だった。
茜の言う事が全てで、茜の願いは何でも叶えてあげねばならない。
だから使用人も、勿論蒼も、茜に逆らわないようご機嫌を取る。そんな生活に嫌気がさすこともあるが、蒼にはここ以外居場所がない。
だから耐えるしかないのだ。
蒼はなるべく関わりたくなくて、無言で二人の横を通り過ぎようとした。
その時。
「蒼、ちょっと待ちなさい」
母親が蒼を呼び止めた。蒼が縁切りの加護だと知ってから、母親は蒼を避けるようになっていた。
話しかけられるのなんて、いつぶりだろうか。
蒼は立ち止まって母親を見た。きっと蒼に用事があるから嫌々引き留めたに決まっている。そう思って恐る恐る振り返った。
しかし、そうではなかった。
母親は穏やかな笑顔で蒼を見ていた。久しぶりに向けられた母親の笑顔に、蒼はゾッとした。
ーー嫌な予感がする。
そんな蒼の気持ちなんて知りもしない茜は無邪気だった。
「何なに?私も知りたぁい」
「そうね。茜も来ていいわ」
茜は無邪気に喜んだ。嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら蒼に寄って行く。
「やったあ。話って何だろうね、蒼ちゃん」
「そ、そうね」
けれど茜とは反対に、蒼は苦笑いしか出来なかった。
ーーきっと碌なことじゃない。
そんな予感しかしないのだ。本音は聞きたくないし、ついて行くのも嫌だ。だが蒼はため息をついて母親の後に続いた。
向かう先は父親の仕事部屋だった。
家の一番奥にある広い部屋で、仕事関係者と会議している時もあるので、普段蒼は近付く事がない。幼い頃近付いたら「縁起が悪くなるから近付くな」ときつく怒られた。その一方で茜は普段からこの部屋によく来ていた。父親は茜が近寄るだけで加護が働くかもしれないと考えているようで、あえて茜を部屋に呼ぶこともあった。
「旦那様、蒼を連れて参りました」
母親が扉をノックすると、部屋の中から「入れ」という言葉が返ってきた。
仕事部屋には壁いっぱいの本棚があった。その本棚の壁に囲まれて、父親の執務机が置いてある。仕事の途中だったらしい父親は、ペンをスラスラと動かしていた。しかしすぐにひと段落ついたのか、「ふう」と一息ついてペンを置いた。
そして最初に父親の目に入ったのは茜だった。
「おや。茜も来たのか」
「ええ。だって蒼ちゃんに話があるって聞いて気になっちゃったんだもん」
「ははは。全然構わないさ」
恰幅の良い父親は、大きなお腹をさすりながら、明るく笑った。だがその笑顔は茜にしか向けられていない。
蒼は疎外感を感じていた。
無邪気な茜と、そんな茜を愛おしいく見つめる父親、そして寄り添うように茜と父親を見守る母親。笑い合う三人の姿は仲の良い家族そのものだった。
だがその輪に蒼が入れてもらえる事はない。
縁切りの加護持ちだと分かってから、ずっとこれが普通だった。もう慣れた事なのに、毎度毎度、仲睦まじい三人を見ると虚しくなってしまう。
茜を愛でた父親が、ようやく少し離れた場所にいた蒼に視線を向けた。
「さて、蒼」
「はい」
父親は真面目な表情で蒼を見た。父親は仕事が忙しくて、蒼とは普段から顔を合わせていない。
こうして向き合ったのも、いつぶりだろうか。
蒼は思わず緊張してしまった。
いい事でない事は明らかだが、何を言われるのか考えると、鼓動が速くなる。
「蒼、お前の結婚が決まったぞ」
「え」
それは思いもよらないものだった。
ーー結婚?結婚って言ったの?
蒼は十七歳だ。商家の娘として婚約者がいてもおかしくはないのだが、まさか自分が結婚できるなんて思ってもいなかった。ずっと本田家に隠されて一生を終えるのだと思っていた。
だからこの家で役目があれば、自分にも居場所が出来るだろうと考えた。そのために武術も磨いて、姫騎士と呼ばれるくらいには強くなった。
そうして本田家で居場所を作れたと思っていたのに。
蒼は何と言っていいのか分からなかった。
しかしそんな蒼の気持ちなんて微塵も考えていない母親は明るく喜んでいた。
「良かったわ。貴方みたいな縁起の悪い加護持ちをもらってくれる奇特な人がいて!」
「ああ。これで我が本田家も安泰だ」
厄介払いできた、と両親は両手をあげて喜んでいる。
ーー私の今までの努力って……。
必死にこの本田家のために努力してきた。せめてこの家のお荷物にならないようにしてきたつもりだったのに。蒼の努力は両親にとってはどうでもいい事だったようだ。その事実を突きつけられて蒼は動揺した。
それでも蒼にはすぐに受け入れられる事ではなかった。
「ちょ、ちょっと待って!私には茜の護衛があるのよ?」
良家の女子としての教育を捨てて武術を身につけたのも、そうすれば本田家で居場所を作れると思ったからだ。蒼は慌てて反論した。
父親は蒼が反論した事が不満だったらしい。眉間に皺を寄せて声を低くくして答えた。
「そんなもの他の人を雇えばいい」
「蒼ったら何を言っているの。縁切りなんて不吉な加護を持つ貴方を引き取ってもらえる絶好の機会なのよ?」
「そんな……」
母親も呆れたようにそんな事を言ってくる。蒼は助けを求めるように茜の方を見るが、茜はキョトンとしていた。何も考えていない茜に、蒼はすがった。
「茜。茜は私がいなくなったら困るわよね?」
「うーん」
しかし茜は首を傾げた。蒼がいなくなって困る事が思い浮かばないらしい。
「茜、わかんなぁい」
そして、何とも残酷な返事をした。
「え……そんな」
これまで茜の愚痴を聞き、茜の機嫌を取って、茜の護衛をしてきたのは何だったのだろうか。茜にとって蒼はその程度だったという事なのだろうか。
蒼は眩暈がした。茜の一言が蒼のこれまでを否定しているように聞こえてしまった。
「でもぉ、茜は優秀だから何とかなるよ。蒼ちゃん、頑張ってね」
そして茜はトドメを刺すようにそう言った。
「そうね、茜は優秀だもの。蒼のために役目を作ってあげていたのよね」
「うん!蒼ちゃんがいなくても、茜は平気だなぁ」
「はっはっはっ!なら蒼も何の憂いもなく嫁げるな!」
母親は茜の頭を撫でて褒め、父親は上機嫌に腹を抱えて笑っている。喜ぶ両親の反応に茜も満足そうに笑っている。
そして蒼だけが顔を青くしていた。その後も三人は何かを話していたようだが、もう蒼の耳に届かない。映画のワンシーンを見るように、ただ呆然と三人の様子を見ていた。
そして蒼はようやく理解した。
ーー嗚呼。私、ここではもう必要ないのね。
どんなに努力しようと、どんなに機嫌を取ろうと、蒼のほしいものはここでは手に入らない。
その日、蒼はひっそり涙を流したのだった。


