苦しそうな菖蒲の様子を見て、蒼は何もできずにいた。言葉も見つからず、何ができるかも分からない。
ーーこんな私も、時雨様の隣にいていいのかな。
むしろ蒼は菖蒲の感情に引きづられそうになっていた。そんな蒼の腰を抱き寄せて、時雨が耳打ちしてきた。
「蒼。君なら、菖蒲殿のしがらみを断ち切れるよ」
「え?」
そんな事できるわけがない、と蒼は思った。しかし蒼が横を向くと、そこには自信に満ちた時雨の笑顔があった。
「蒼の縁切りの加護なら、菖蒲殿のしがらみの縁を切る事ができんだ」
「私に……そんな事が……?」
信じられない。縁切りの加護にそんな事ができるなんて。
でも出来るのならやりたい。
それに時雨の笑顔を見ていると、不思議と蒼にも出来そうな気がしてくるのだ。
蒼は拳を握りしめてまっすぐ時雨を見た。
「私、菖蒲様の縁を……しがらみを断ち切りたいです!」
「ああ。やろう」
時雨は蒼の答えが分かっていたようで、優しく微笑んで頷いてくれた。
ーー時雨様の笑顔を見ると、勇気がもらえる気がする。
そう思うと、ますます時雨の事を意識してしまった。一度顔を逸らして、チラリと横目で時雨の様子を伺うと、時雨は優しい笑顔で蒼を見つめていた。まさかそんな優しい笑顔で見守られているとは思わず、蒼の頬は赤く染まった。
そして追い討ちをかけるように、時雨は蒼の耳元で囁いた。
「大丈夫。私がついているから」
時雨の優しい囁きに、蒼の頬はますます赤くなる。しかし今はそれどころではない。
蒼は頬を赤く染めたまま、ゆっくり頷いて、手のひらを目の前に突き出した。
「我を加護せし神よ」
そう呟くと、蒼の手のひらの上に毛糸の玉のようなものが現れた。
「信濃菖蒲の縁を示したまえ」
すると毛糸の玉はくるくると回って少しずつ解けていく。その中から一本の糸がするりと蒼の前に伸びてきた。糸の色は灰色をしている。少し毛羽立っていて、くすんで見える。
ーーこれが菖蒲様のしがらみの縁……。
蒼はその古びた糸を引き寄せて、思いっきり力を入れて引っ張った。すると糸は簡単にプチンと音を立てて切れた。
ーー切れた。
縁切りなんて、何年振りだろうか。
両親から忌み嫌われてからなかなか使うことのなかった力。
久しぶりに使った加護の力に、蒼の手は思わず震えた。
ーーあれ……?震えが止まらない。
本当に切ってしまってよかったのか。
もし失敗していたら?
間違って別の縁を切っていたら?
色んな不安が次々と浮かんできて、それを考えると震えが止まらないのだ。人にとって大事な縁をこうも簡単に切ってしまえる自分自身も怖く思えてしまう。
そんな震える蒼の手を、時雨が優しく包み込んだ。
「上手いな」
「あ、ありがとうございます」
「大丈夫。ちゃんと縁切りできている。心配することなんてない」
そう言われてようやく蒼の震えがおさまってきた。時雨の手の温かさが緊張をほぐしてくれる。
蒼はようやくほっと息をついた。
そんな蒼の様子を見て、時雨は蒼の手を強く握りしめた。
「その調子で琥太郎の悪縁も切ってやってくれ」
「はい!」
そうして蒼は再び手のひらを前に突き出した。
ーー大丈夫。私にも出来るはず。
そう思っていつもの通り唱えようとした時。
蒼の隣を静かに横切る人物がいた。
ーー菖蒲様……?
さっきまでの落ち込んだ様子ではなく、凛とした華族令嬢らしい堂々とした立ち振る舞いに、思わず見惚れてしまった。
そしてその堂々とした態度で、茜と琥太郎へと近寄って行った。さっきまでの気弱な菖蒲の様子はどこにも無い。だがよくよく見ると、菖蒲の手が小さく震えている。
「茜様」
そして菖蒲は茜に声をかけた。茜は眉間に皺を寄せて、菖蒲を睨み付けた。
「だあれ?」
「貴方と同じ大和国立特別学校に通う信濃菖蒲と申します」
「菖蒲さん?茜、知らなあい」
茜はぷいっとそっぽ向いた。その態度が凛とした菖蒲の様子と比べてると、とても子どもっぽく見える。
しかし菖蒲はそんか茜の失礼な態度にも顔色ひとつ変えずに答えた。
「そうですね。私とは教室が違いますから」
「ふぅん」
「でも私は存じています。噂以上でしたね。同じ学校に通う者として恥ずかしいです」
「んなっ!何よ!茜は縁結びの加護なのよ!」
菖蒲の言葉にカッとなった茜は顔を赤くして怒鳴り声を上げた。それでも菖蒲は微笑みを絶やさない。そんな菖蒲に茜はますます顔を赤くして手を震わせた。
ーーまずいっ!あの様子じゃ茜が何をするか分からない!
蒼は茜との付き合いが長い分、怒りで震える茜を見て危機感を覚えた。本田家で我が儘に振る舞う茜は、怒ると手がつけられなくなるのだ。
縁結びの加護の力で菖蒲が不利益になるよう仕向けることくらい簡単にやってしまいそうだ。
ーー早く茜の縁を切らなくちゃ!
蒼は慌てて加護の力を発動させた。
「我を加護せし神よ。本田茜の縁を示したまえ」
そう言って今度は茜の縁を出した。その中からぐしゃぐしゃに絡まった琥太郎との縁、黒い糸を引っ張り出した。
そして思いっきり引きちぎった。
すると、
プチン
と、小さな音が響いた。
「え。何……?今の音……」
縁が切れる音は、どうやら茜にも聞こえたらしい。戸惑う茜は音がどこから聞こえてきたのか辺りを見渡した。
その時、本田家の父親・正勝が駆けつけた。
「あ、茜!」
「お父様?」
「な、何してるんだい?」
正勝は慌てて茜の肩を掴んだ。その焦った表情は琥太郎の正体や、これまでの事情を知っているのだろう。かなり顔色が悪かった。
しかし茜は味方が現れたと勘違いしたのか、嬉しそうに正勝に泣きついた。
「お父様!私、この方と結婚したい!運命の人なの!」
「なっ!」
正勝の顔色がますます青くなった。恐る恐る琥太郎の方を向くと、大変不機嫌な表情で睨みつけている琥太郎と目が合った。
正勝はひゅっと喉を鳴らしてガタガタと震えた。
大和国のトップに君臨する八菱財閥の御曹司から睨まれれば、成り上がりの本田グループなんてひとたまりもない。正勝は慌てて茜の腕を引っ張った。
「と、とにかく今日は帰るぞ!」
「ええ!?な、なんでよぉ!」
いつも言う事を聞いてくれる正勝が、自分の言う事を聞いてくれないことに、茜は衝撃を受けた。
「ちょっとお父様!そんなに引っ張らないで!」
「いいから!早く帰るぞ!」
「嫌ぁっ!」
まるで駄々をこねる小さい子と、それをあやす親のようなやり取りに、周囲は呆れ果てていた。
「茜の王子様だもん!茜、間違ってないもん!縁結びしたんだからぁ!」
そう喚く茜は、何とも虚しく見えた。
茜の声に行き交う人々も何事かと足を止めて見てくる。正勝はその視線に耐え切れなかった。赤子のように叫ぶ茜を無理やり引っ張って、少しでも早くこの場から立ち去ろうとしていた。
しかしそんな正勝の前に、ある人物が立ち塞がった。
「失礼」
正勝はただでさえ恥ずかしい思いをしているのに邪魔までされて、思わず目の前の人物を睨みつけた。
しかし、すぐに正勝の顔色が悪くなった。
「あ、貴方は!」
「お久しぶりですね、本田殿」
「え?お父様の知り合い?だあれ?」
時雨の姿に、正勝は鳥肌がたった。
八菱財閥の御曹司といい、生徒会長といい、時雨の周囲には国の重鎮ばかりがいる。由緒ある神社の神主という一般市民のはずなのに何故、と疑問に思うが、正勝はその答えを知る術もない。ただ敵に回してはいけない相手だということだけは確かだった。
茜は正勝と時雨を交互に見て、何事かと首を傾げている。一人だけ事態を飲み込めずにいる茜を、時雨は馬鹿にしたように睨んだ。
しかし時雨の切れ長の鋭い目に睨まれた茜は、何故か頬を赤く染めた。整った顔立ちの美しい時雨に目を奪われて、騒ぎ喚くことなく、時雨に見惚れた。
「……お、お久しぶりです。あの電話は貴方でしたか」
「ええ。そうですよ」
ケロッとした態度で時雨は答えた。
「いるはずのない妹君を見かけたのでね。早めに連絡して正解でした。感謝してくださいね」
ーー時雨様、電話をしに行ったのは茜に気がついていたからだったのね……。
観覧車から降りた後、時雨が電話をしに離れたのは茜のことを正勝に知らせるためだったのだ。
時雨の飄々とした態度に、正勝はギリっと奥歯を噛み締めた。
そんな中、茜はずっと時雨にうっとりとしている。熱い視線を時雨に送り続けている。時雨も茜の視線に気がついたらしい。鬱陶しそうに茜を一瞥した。
茜の態度に呆れ、困った表情を作って正勝に声をかけた。
「娘の管理くらいしっかりしていただきたい」
「……っ!っ!」
そうして冷ややかな目で二人を睨みつけた。睨まれた父親は何も言えず、俯くしかできない。しかし一方で茜は、睨まれているとも知らず、頬を赤く染めて、うっとりとした目で時雨を見つめている。
正勝は居た堪れず、茜の腕を引っ張って、逃げるようにその場を立ち去ろうとした。さっきまで抵抗していた茜も、時雨に見惚れていてさっきまでの勢いが無くなっていた。
そんな茜の様子に、蒼は胸の中でモヤモヤとしたものを感じた。
ーーなんだか嫌な予感がする……。
時雨は確かに見目麗しく、蒼も初めて会った時は緊張した。
しかしあの茜のことだ。
欲しいと思ったものは、縁結びの力を使ってでも手に入れようとするだろう。
それを考えると一気に不安になり、時雨を見つめた。蒼の視線に気がついた時雨はさっきまでの気迫のある態度から一転して、いつもの優しい笑顔で蒼の頭をポンポンと撫でた。
「蒼が心配することは何もないからね」
「……はい」
もう茜の姿は見えない。それだけで蒼はほっと胸を撫で下ろしたのだった。
そして、ようやく落ち着いたと分かった琥太郎も胸を撫で下ろした。
「ありがとう。助かったよ」
「いや。私じゃない。蒼が縁を切ったんだ。もう大丈夫だろう」
「そうだったのか。ありがとう、蒼殿」
蒼は素直なお礼に恥ずかしくなった。なんと返せばいいのか分からず時雨の方を向くと、時雨は優しい表情で蒼の頭を撫でてくれた。
「よくやった」
いつも優しく包んでくれる時雨の手。
その温かさに、蒼の心もほぐれていく。
ーー時雨様の隣に、ずっといたいな。
蒼は探し続けていた自分の居場所を、ようやく見つけられたような気がした。
ーーこんな私も、時雨様の隣にいていいのかな。
むしろ蒼は菖蒲の感情に引きづられそうになっていた。そんな蒼の腰を抱き寄せて、時雨が耳打ちしてきた。
「蒼。君なら、菖蒲殿のしがらみを断ち切れるよ」
「え?」
そんな事できるわけがない、と蒼は思った。しかし蒼が横を向くと、そこには自信に満ちた時雨の笑顔があった。
「蒼の縁切りの加護なら、菖蒲殿のしがらみの縁を切る事ができんだ」
「私に……そんな事が……?」
信じられない。縁切りの加護にそんな事ができるなんて。
でも出来るのならやりたい。
それに時雨の笑顔を見ていると、不思議と蒼にも出来そうな気がしてくるのだ。
蒼は拳を握りしめてまっすぐ時雨を見た。
「私、菖蒲様の縁を……しがらみを断ち切りたいです!」
「ああ。やろう」
時雨は蒼の答えが分かっていたようで、優しく微笑んで頷いてくれた。
ーー時雨様の笑顔を見ると、勇気がもらえる気がする。
そう思うと、ますます時雨の事を意識してしまった。一度顔を逸らして、チラリと横目で時雨の様子を伺うと、時雨は優しい笑顔で蒼を見つめていた。まさかそんな優しい笑顔で見守られているとは思わず、蒼の頬は赤く染まった。
そして追い討ちをかけるように、時雨は蒼の耳元で囁いた。
「大丈夫。私がついているから」
時雨の優しい囁きに、蒼の頬はますます赤くなる。しかし今はそれどころではない。
蒼は頬を赤く染めたまま、ゆっくり頷いて、手のひらを目の前に突き出した。
「我を加護せし神よ」
そう呟くと、蒼の手のひらの上に毛糸の玉のようなものが現れた。
「信濃菖蒲の縁を示したまえ」
すると毛糸の玉はくるくると回って少しずつ解けていく。その中から一本の糸がするりと蒼の前に伸びてきた。糸の色は灰色をしている。少し毛羽立っていて、くすんで見える。
ーーこれが菖蒲様のしがらみの縁……。
蒼はその古びた糸を引き寄せて、思いっきり力を入れて引っ張った。すると糸は簡単にプチンと音を立てて切れた。
ーー切れた。
縁切りなんて、何年振りだろうか。
両親から忌み嫌われてからなかなか使うことのなかった力。
久しぶりに使った加護の力に、蒼の手は思わず震えた。
ーーあれ……?震えが止まらない。
本当に切ってしまってよかったのか。
もし失敗していたら?
間違って別の縁を切っていたら?
色んな不安が次々と浮かんできて、それを考えると震えが止まらないのだ。人にとって大事な縁をこうも簡単に切ってしまえる自分自身も怖く思えてしまう。
そんな震える蒼の手を、時雨が優しく包み込んだ。
「上手いな」
「あ、ありがとうございます」
「大丈夫。ちゃんと縁切りできている。心配することなんてない」
そう言われてようやく蒼の震えがおさまってきた。時雨の手の温かさが緊張をほぐしてくれる。
蒼はようやくほっと息をついた。
そんな蒼の様子を見て、時雨は蒼の手を強く握りしめた。
「その調子で琥太郎の悪縁も切ってやってくれ」
「はい!」
そうして蒼は再び手のひらを前に突き出した。
ーー大丈夫。私にも出来るはず。
そう思っていつもの通り唱えようとした時。
蒼の隣を静かに横切る人物がいた。
ーー菖蒲様……?
さっきまでの落ち込んだ様子ではなく、凛とした華族令嬢らしい堂々とした立ち振る舞いに、思わず見惚れてしまった。
そしてその堂々とした態度で、茜と琥太郎へと近寄って行った。さっきまでの気弱な菖蒲の様子はどこにも無い。だがよくよく見ると、菖蒲の手が小さく震えている。
「茜様」
そして菖蒲は茜に声をかけた。茜は眉間に皺を寄せて、菖蒲を睨み付けた。
「だあれ?」
「貴方と同じ大和国立特別学校に通う信濃菖蒲と申します」
「菖蒲さん?茜、知らなあい」
茜はぷいっとそっぽ向いた。その態度が凛とした菖蒲の様子と比べてると、とても子どもっぽく見える。
しかし菖蒲はそんか茜の失礼な態度にも顔色ひとつ変えずに答えた。
「そうですね。私とは教室が違いますから」
「ふぅん」
「でも私は存じています。噂以上でしたね。同じ学校に通う者として恥ずかしいです」
「んなっ!何よ!茜は縁結びの加護なのよ!」
菖蒲の言葉にカッとなった茜は顔を赤くして怒鳴り声を上げた。それでも菖蒲は微笑みを絶やさない。そんな菖蒲に茜はますます顔を赤くして手を震わせた。
ーーまずいっ!あの様子じゃ茜が何をするか分からない!
蒼は茜との付き合いが長い分、怒りで震える茜を見て危機感を覚えた。本田家で我が儘に振る舞う茜は、怒ると手がつけられなくなるのだ。
縁結びの加護の力で菖蒲が不利益になるよう仕向けることくらい簡単にやってしまいそうだ。
ーー早く茜の縁を切らなくちゃ!
蒼は慌てて加護の力を発動させた。
「我を加護せし神よ。本田茜の縁を示したまえ」
そう言って今度は茜の縁を出した。その中からぐしゃぐしゃに絡まった琥太郎との縁、黒い糸を引っ張り出した。
そして思いっきり引きちぎった。
すると、
プチン
と、小さな音が響いた。
「え。何……?今の音……」
縁が切れる音は、どうやら茜にも聞こえたらしい。戸惑う茜は音がどこから聞こえてきたのか辺りを見渡した。
その時、本田家の父親・正勝が駆けつけた。
「あ、茜!」
「お父様?」
「な、何してるんだい?」
正勝は慌てて茜の肩を掴んだ。その焦った表情は琥太郎の正体や、これまでの事情を知っているのだろう。かなり顔色が悪かった。
しかし茜は味方が現れたと勘違いしたのか、嬉しそうに正勝に泣きついた。
「お父様!私、この方と結婚したい!運命の人なの!」
「なっ!」
正勝の顔色がますます青くなった。恐る恐る琥太郎の方を向くと、大変不機嫌な表情で睨みつけている琥太郎と目が合った。
正勝はひゅっと喉を鳴らしてガタガタと震えた。
大和国のトップに君臨する八菱財閥の御曹司から睨まれれば、成り上がりの本田グループなんてひとたまりもない。正勝は慌てて茜の腕を引っ張った。
「と、とにかく今日は帰るぞ!」
「ええ!?な、なんでよぉ!」
いつも言う事を聞いてくれる正勝が、自分の言う事を聞いてくれないことに、茜は衝撃を受けた。
「ちょっとお父様!そんなに引っ張らないで!」
「いいから!早く帰るぞ!」
「嫌ぁっ!」
まるで駄々をこねる小さい子と、それをあやす親のようなやり取りに、周囲は呆れ果てていた。
「茜の王子様だもん!茜、間違ってないもん!縁結びしたんだからぁ!」
そう喚く茜は、何とも虚しく見えた。
茜の声に行き交う人々も何事かと足を止めて見てくる。正勝はその視線に耐え切れなかった。赤子のように叫ぶ茜を無理やり引っ張って、少しでも早くこの場から立ち去ろうとしていた。
しかしそんな正勝の前に、ある人物が立ち塞がった。
「失礼」
正勝はただでさえ恥ずかしい思いをしているのに邪魔までされて、思わず目の前の人物を睨みつけた。
しかし、すぐに正勝の顔色が悪くなった。
「あ、貴方は!」
「お久しぶりですね、本田殿」
「え?お父様の知り合い?だあれ?」
時雨の姿に、正勝は鳥肌がたった。
八菱財閥の御曹司といい、生徒会長といい、時雨の周囲には国の重鎮ばかりがいる。由緒ある神社の神主という一般市民のはずなのに何故、と疑問に思うが、正勝はその答えを知る術もない。ただ敵に回してはいけない相手だということだけは確かだった。
茜は正勝と時雨を交互に見て、何事かと首を傾げている。一人だけ事態を飲み込めずにいる茜を、時雨は馬鹿にしたように睨んだ。
しかし時雨の切れ長の鋭い目に睨まれた茜は、何故か頬を赤く染めた。整った顔立ちの美しい時雨に目を奪われて、騒ぎ喚くことなく、時雨に見惚れた。
「……お、お久しぶりです。あの電話は貴方でしたか」
「ええ。そうですよ」
ケロッとした態度で時雨は答えた。
「いるはずのない妹君を見かけたのでね。早めに連絡して正解でした。感謝してくださいね」
ーー時雨様、電話をしに行ったのは茜に気がついていたからだったのね……。
観覧車から降りた後、時雨が電話をしに離れたのは茜のことを正勝に知らせるためだったのだ。
時雨の飄々とした態度に、正勝はギリっと奥歯を噛み締めた。
そんな中、茜はずっと時雨にうっとりとしている。熱い視線を時雨に送り続けている。時雨も茜の視線に気がついたらしい。鬱陶しそうに茜を一瞥した。
茜の態度に呆れ、困った表情を作って正勝に声をかけた。
「娘の管理くらいしっかりしていただきたい」
「……っ!っ!」
そうして冷ややかな目で二人を睨みつけた。睨まれた父親は何も言えず、俯くしかできない。しかし一方で茜は、睨まれているとも知らず、頬を赤く染めて、うっとりとした目で時雨を見つめている。
正勝は居た堪れず、茜の腕を引っ張って、逃げるようにその場を立ち去ろうとした。さっきまで抵抗していた茜も、時雨に見惚れていてさっきまでの勢いが無くなっていた。
そんな茜の様子に、蒼は胸の中でモヤモヤとしたものを感じた。
ーーなんだか嫌な予感がする……。
時雨は確かに見目麗しく、蒼も初めて会った時は緊張した。
しかしあの茜のことだ。
欲しいと思ったものは、縁結びの力を使ってでも手に入れようとするだろう。
それを考えると一気に不安になり、時雨を見つめた。蒼の視線に気がついた時雨はさっきまでの気迫のある態度から一転して、いつもの優しい笑顔で蒼の頭をポンポンと撫でた。
「蒼が心配することは何もないからね」
「……はい」
もう茜の姿は見えない。それだけで蒼はほっと胸を撫で下ろしたのだった。
そして、ようやく落ち着いたと分かった琥太郎も胸を撫で下ろした。
「ありがとう。助かったよ」
「いや。私じゃない。蒼が縁を切ったんだ。もう大丈夫だろう」
「そうだったのか。ありがとう、蒼殿」
蒼は素直なお礼に恥ずかしくなった。なんと返せばいいのか分からず時雨の方を向くと、時雨は優しい表情で蒼の頭を撫でてくれた。
「よくやった」
いつも優しく包んでくれる時雨の手。
その温かさに、蒼の心もほぐれていく。
ーー時雨様の隣に、ずっといたいな。
蒼は探し続けていた自分の居場所を、ようやく見つけられたような気がした。


