「あの、蒼様」
蒼は菖蒲から声をかけられた。思わぬ人物からの声掛けに少し緊張してしまう。
もしかして茜のことが気になるのだろうか。突然視察を邪魔してきたのだから無理もない。その上琥太郎に対して失礼な態度をとったのだから、茜への苦情があってもおかしくはない。
蒼は全て受け止める覚悟で身構えた。
「どうされましたか、菖蒲様」
しかし菖蒲の様子が少しおかしい。もじもじとした態度に蒼は首を傾げた。
「その……蒼様は琥太郎様とは仲が良いのですか?」
まさかそんな質問をされるとは思ってもいなかった。蒼は思わぬ質問に目を瞬いた。
「い、いえ。私ではなく時雨様と仲が良いのです」
蒼は隣の時雨に視線を送った。時雨も蒼に同意するように笑顔で頷いて見せた。
「琥太郎と私は幼い頃からの知り合いなのです」
「そうだったんですね……その……てっきり私、琥太郎様が蒼様を護衛にしたのは仲が良いからかと」
そんな事は微塵もない。むしろ蒼は菖蒲を呼び出すためのダシに使われていたくらいだ。菖蒲が心配することなんてちっともない。と、蒼は全部言ってしまいたくなった。
しかし琥太郎のことも考えて、口をもごもごさせながらも何とか耐えた。
この様子を見ていると菖蒲が琥太郎に素っ気ない態度をしていたとはとても思えなかった。むしろ菖蒲も琥太郎と同じ気持ちなのだろうと思えた。
ーー菖蒲様……琥太郎様の事が気になるのね。
恥ずかしそうに頬を赤く染めて俯く菖蒲は、何と微笑ましい事だろう。奥ゆかしさもあって、同性である蒼でも庇護欲をそそられる。琥太郎が骨抜きになるのも無理はない。
菖蒲はおろおろした様子で頭を下げた。
「失礼しました。私ったら……勝手に変な勘違いしてしまって恥ずかしいですね」
「そんな事ありませんよ!」
蒼は力いっぱい否定した。しかし顔を上げた時の菖蒲の表情は少し落ち込んでいるように見えた。
「私も……彼女のように積極的にならなければいけないのでしょうね」
そう言って菖蒲は茜の方をチラリと見た。遠くからこちらの様子を伺っている茜は確かに積極的だ。少しでも機会があれば飛び込んできそうな雰囲気がある。正直ギラギラした茜の目は、怖いとさえ思ってしまう。
そんな茜を参考にしてほしくない。
蒼は何と言って止めようと思っていたら、時雨がキッパリと言い切った。
「あの女性は参考になりません」
菖蒲は嫌な表情の時雨を見て、目をぱちくりさせた。時雨は菖蒲に諭すように話し始めた。
「正直、琥太郎はああいった女性は苦手な方です」
「え。そうなんですか?」
「ええ。昔から肩書きとかで言い寄られる事が多くて辟易としてましたから。それもあってか自分から女性に話しかける事も珍しくなりましたよ」
「それは……知りませんでした。いつも琥太郎様から話しかけてくださるから……」
「菖蒲殿。琥太郎が話しかけるのは菖蒲殿だからですよ」
時雨の真っ直ぐな答えに、菖蒲の顔はみるみる赤くなっていった。
時雨の言葉に戸惑う菖蒲は琥太郎の方に熱い視線を送った。残念ながら琥太郎はその視線に気付かず、黙々と視察の業務をしている。そんな時雨の姿に菖蒲の表情もほころんでいく。
そんな菖蒲の初々しい反応に、蒼はほっこりとした気持ちになる。
「琥太郎は八菱財閥の跡取りですから、分け隔てなく愛想良く話してはいますが、プライベートでは本当に話しませんよ。実は男が好きなんじゃないかと友人達から疑われたほどです」
「まあ」
菖蒲はクスクスと笑った。菖蒲の雰囲気が和やかになり、さっきまでの不安そうな様子も、今はもうない。
ーーこのまま二人が上手くいけばいいなぁ。
蒼は二人を見ていて何度もそう思った。そのためにも茜が無茶苦茶に結んだ縁をどうにかしなければならない。
蒼がそう気持ちを込めていたその時、離れた場所で琥太郎の怒号が聞こえてきた。
「また君か!いい加減にしてくれないかっ!」
琥太郎の苛立った声が珍しく、菖蒲も時雨も目を丸くして何事かと視線を向けた。
するとそこには懲りもせず琥太郎にまとわりつく茜の姿があった。護衛達が引き離そうとしているが、茜も琥太郎の腕を掴んで離そうとしない。
「何でぇ?!琥太郎様はぁ茜とは結ばれる運命なんですよぉ?」
「まっぴらごめんだ!」
琥太郎が鳥肌を立てて嫌がっている。ここまで嫌がられているというのに、茜はまだ離そうとしない。失礼にも程がある。二人の様子は通りすがりの人達も何事かと遠巻きに様子を伺っている。
このままでは茜の無礼な態度の噂が広まって、茜だけでなく、本田家の評判も悪くなる。
「また……」
その時、菖蒲がぽつりと呟いた。周りには聞き取れないくらい小さな声で、蒼も聞き間違いかと思った。しかし菖蒲の様子を伺うと、さっきまでの和やかな雰囲気なんて欠片もない沈んだ表情をしていた。
そうせいだろうか。
さっきまでの晴天が曇り空へと変わっていった。
蒼もついつい心配になってしまった。
「あの。菖蒲様、大丈夫ですか?」
「え、ええ……。琥太郎様は本当に人気者ですね」
菖蒲は必死に笑顔で答えたが、蒼にはとても大丈夫には見えなかった。空模様と同じく、菖蒲の顔色もどんどん鈍色に変化していっている。
そんな菖蒲とは対照的に、茜はなかなかなびいてくれない琥太郎に痺れを切らしていた。
「ねえ!茜は縁結びの加護なんですよぉ?だから縁が見えるんですぅ!茜とは結ばれる運命なんですぅっ!」
なんて無茶苦茶な、と周囲の誰もが思った。中には「あれが加護持ち?」「下品だわ」という陰口まで聞こえてくる。それでも茜はなりふり構わずキンキン声で喚き散らしていた。
聞いているこちらが恥ずかしくなるような態度だ。事情を知らない人達から見れば、茜は完全に不審者である。
だと言うのに、そんな茜さえも菖蒲には羨ましく映って見えてしまっていた。
「やっぱり……私なんか……」
今にも泣き出しそうな菖蒲が、絞り出すように呟いた。
「雨の加護持ちの私なんか……不釣り合いですよね」
そう言って静かに涙を流した。そんな菖蒲の姿に蒼は言葉を失った。
ーー分かる……。
この国で加護持ちは重要視される存在だ。だが中には縁切りや雨のように嫌われて疎まれる加護もあるのだ。そういった加護を持つ人達は、どうにも自分に自信が持てずにいた。加護持ちでありながら、その加護によって人々に恩恵を与えられるとは思えないからだ。
そんな中で対照的な加護を持つ人に恋なんてなかなか考えられない。もし恋してしまったら、その劣等感は余計に刺激されてしまう。
きっと私なんて釣り合わない。
あの人にはもっと良い人がいる。
そう思ってしまうのだ。
蒼が声をかけようとした時、菖蒲は何かに気がついたようで、顔を上げた。そして雨が降り出しそうな空模様を見て、慌てて笑顔を作った。
「ごめんなさい……私、雨の加護持ちなんですが、どうも制御が難しくて……すぐ天気を悪くしてしまうんです」
どうやら急に空が暗くなったのは菖蒲の加護の力だったらしい。そういえば琥太郎が浮かれている時も快晴だったな、と蒼は思い出していた。
時雨は「気にすることはありません」と言った。
「天候に関する加護は制御が難しい事が多いですからね」
「雨なんて……皆の気持ちも落ち込ませるだけだすのにね」
そんなことない、と言ったところで菖蒲の心が晴れることはないだろう。蒼も誰かに言われたからと言ってすぐに気持ちを切り替えられるものではない。
だからこそ蒼は何も言えなかった。
菖蒲の姿が、あまりにも自分そっくりだったのだ。
「こんな私では琥太郎様に似つかわしくありませんね」
「いいえ」
自暴自棄になっている菖蒲に、時雨はきっぱりと答えた。
「琥太郎は加護で人を判断するような人間ではありませんよ。きっと加護を抜きにして菖蒲さんの事を考えてくれます」
確かに琥太郎は菖蒲に加護の力を求めた事などなかった。財閥御曹司という立場にありながら加護の力ではなく菖蒲を選んでくれたのだろう。
それは付き合いの短い蒼にも充分伝わってきた。
けれど、菖蒲は今にも泣き出しそうな笑顔を見せた。
「琥太郎様らしい」
そんな優しい琥太郎だからこそ劣等感まみれの自分は相応しくないと思えてしまう。
琥太郎の気持ちに薄々気がついていながらも応えられないのは菖蒲自身の問題なのだ。
「きっと私の問題なんでしょうね」
それが分かっていても、菖蒲はまだ踏み出す勇気がない。「雨なんて」というしがらみが、菖蒲に巻き付いて身動きを取れなくしてしまうのだ。手を伸ばしたくても絡まったしがらみの糸が菖蒲を縛りつける。
その糸を断ち切る術を、菖蒲は知らないのだ。
蒼は菖蒲から声をかけられた。思わぬ人物からの声掛けに少し緊張してしまう。
もしかして茜のことが気になるのだろうか。突然視察を邪魔してきたのだから無理もない。その上琥太郎に対して失礼な態度をとったのだから、茜への苦情があってもおかしくはない。
蒼は全て受け止める覚悟で身構えた。
「どうされましたか、菖蒲様」
しかし菖蒲の様子が少しおかしい。もじもじとした態度に蒼は首を傾げた。
「その……蒼様は琥太郎様とは仲が良いのですか?」
まさかそんな質問をされるとは思ってもいなかった。蒼は思わぬ質問に目を瞬いた。
「い、いえ。私ではなく時雨様と仲が良いのです」
蒼は隣の時雨に視線を送った。時雨も蒼に同意するように笑顔で頷いて見せた。
「琥太郎と私は幼い頃からの知り合いなのです」
「そうだったんですね……その……てっきり私、琥太郎様が蒼様を護衛にしたのは仲が良いからかと」
そんな事は微塵もない。むしろ蒼は菖蒲を呼び出すためのダシに使われていたくらいだ。菖蒲が心配することなんてちっともない。と、蒼は全部言ってしまいたくなった。
しかし琥太郎のことも考えて、口をもごもごさせながらも何とか耐えた。
この様子を見ていると菖蒲が琥太郎に素っ気ない態度をしていたとはとても思えなかった。むしろ菖蒲も琥太郎と同じ気持ちなのだろうと思えた。
ーー菖蒲様……琥太郎様の事が気になるのね。
恥ずかしそうに頬を赤く染めて俯く菖蒲は、何と微笑ましい事だろう。奥ゆかしさもあって、同性である蒼でも庇護欲をそそられる。琥太郎が骨抜きになるのも無理はない。
菖蒲はおろおろした様子で頭を下げた。
「失礼しました。私ったら……勝手に変な勘違いしてしまって恥ずかしいですね」
「そんな事ありませんよ!」
蒼は力いっぱい否定した。しかし顔を上げた時の菖蒲の表情は少し落ち込んでいるように見えた。
「私も……彼女のように積極的にならなければいけないのでしょうね」
そう言って菖蒲は茜の方をチラリと見た。遠くからこちらの様子を伺っている茜は確かに積極的だ。少しでも機会があれば飛び込んできそうな雰囲気がある。正直ギラギラした茜の目は、怖いとさえ思ってしまう。
そんな茜を参考にしてほしくない。
蒼は何と言って止めようと思っていたら、時雨がキッパリと言い切った。
「あの女性は参考になりません」
菖蒲は嫌な表情の時雨を見て、目をぱちくりさせた。時雨は菖蒲に諭すように話し始めた。
「正直、琥太郎はああいった女性は苦手な方です」
「え。そうなんですか?」
「ええ。昔から肩書きとかで言い寄られる事が多くて辟易としてましたから。それもあってか自分から女性に話しかける事も珍しくなりましたよ」
「それは……知りませんでした。いつも琥太郎様から話しかけてくださるから……」
「菖蒲殿。琥太郎が話しかけるのは菖蒲殿だからですよ」
時雨の真っ直ぐな答えに、菖蒲の顔はみるみる赤くなっていった。
時雨の言葉に戸惑う菖蒲は琥太郎の方に熱い視線を送った。残念ながら琥太郎はその視線に気付かず、黙々と視察の業務をしている。そんな時雨の姿に菖蒲の表情もほころんでいく。
そんな菖蒲の初々しい反応に、蒼はほっこりとした気持ちになる。
「琥太郎は八菱財閥の跡取りですから、分け隔てなく愛想良く話してはいますが、プライベートでは本当に話しませんよ。実は男が好きなんじゃないかと友人達から疑われたほどです」
「まあ」
菖蒲はクスクスと笑った。菖蒲の雰囲気が和やかになり、さっきまでの不安そうな様子も、今はもうない。
ーーこのまま二人が上手くいけばいいなぁ。
蒼は二人を見ていて何度もそう思った。そのためにも茜が無茶苦茶に結んだ縁をどうにかしなければならない。
蒼がそう気持ちを込めていたその時、離れた場所で琥太郎の怒号が聞こえてきた。
「また君か!いい加減にしてくれないかっ!」
琥太郎の苛立った声が珍しく、菖蒲も時雨も目を丸くして何事かと視線を向けた。
するとそこには懲りもせず琥太郎にまとわりつく茜の姿があった。護衛達が引き離そうとしているが、茜も琥太郎の腕を掴んで離そうとしない。
「何でぇ?!琥太郎様はぁ茜とは結ばれる運命なんですよぉ?」
「まっぴらごめんだ!」
琥太郎が鳥肌を立てて嫌がっている。ここまで嫌がられているというのに、茜はまだ離そうとしない。失礼にも程がある。二人の様子は通りすがりの人達も何事かと遠巻きに様子を伺っている。
このままでは茜の無礼な態度の噂が広まって、茜だけでなく、本田家の評判も悪くなる。
「また……」
その時、菖蒲がぽつりと呟いた。周りには聞き取れないくらい小さな声で、蒼も聞き間違いかと思った。しかし菖蒲の様子を伺うと、さっきまでの和やかな雰囲気なんて欠片もない沈んだ表情をしていた。
そうせいだろうか。
さっきまでの晴天が曇り空へと変わっていった。
蒼もついつい心配になってしまった。
「あの。菖蒲様、大丈夫ですか?」
「え、ええ……。琥太郎様は本当に人気者ですね」
菖蒲は必死に笑顔で答えたが、蒼にはとても大丈夫には見えなかった。空模様と同じく、菖蒲の顔色もどんどん鈍色に変化していっている。
そんな菖蒲とは対照的に、茜はなかなかなびいてくれない琥太郎に痺れを切らしていた。
「ねえ!茜は縁結びの加護なんですよぉ?だから縁が見えるんですぅ!茜とは結ばれる運命なんですぅっ!」
なんて無茶苦茶な、と周囲の誰もが思った。中には「あれが加護持ち?」「下品だわ」という陰口まで聞こえてくる。それでも茜はなりふり構わずキンキン声で喚き散らしていた。
聞いているこちらが恥ずかしくなるような態度だ。事情を知らない人達から見れば、茜は完全に不審者である。
だと言うのに、そんな茜さえも菖蒲には羨ましく映って見えてしまっていた。
「やっぱり……私なんか……」
今にも泣き出しそうな菖蒲が、絞り出すように呟いた。
「雨の加護持ちの私なんか……不釣り合いですよね」
そう言って静かに涙を流した。そんな菖蒲の姿に蒼は言葉を失った。
ーー分かる……。
この国で加護持ちは重要視される存在だ。だが中には縁切りや雨のように嫌われて疎まれる加護もあるのだ。そういった加護を持つ人達は、どうにも自分に自信が持てずにいた。加護持ちでありながら、その加護によって人々に恩恵を与えられるとは思えないからだ。
そんな中で対照的な加護を持つ人に恋なんてなかなか考えられない。もし恋してしまったら、その劣等感は余計に刺激されてしまう。
きっと私なんて釣り合わない。
あの人にはもっと良い人がいる。
そう思ってしまうのだ。
蒼が声をかけようとした時、菖蒲は何かに気がついたようで、顔を上げた。そして雨が降り出しそうな空模様を見て、慌てて笑顔を作った。
「ごめんなさい……私、雨の加護持ちなんですが、どうも制御が難しくて……すぐ天気を悪くしてしまうんです」
どうやら急に空が暗くなったのは菖蒲の加護の力だったらしい。そういえば琥太郎が浮かれている時も快晴だったな、と蒼は思い出していた。
時雨は「気にすることはありません」と言った。
「天候に関する加護は制御が難しい事が多いですからね」
「雨なんて……皆の気持ちも落ち込ませるだけだすのにね」
そんなことない、と言ったところで菖蒲の心が晴れることはないだろう。蒼も誰かに言われたからと言ってすぐに気持ちを切り替えられるものではない。
だからこそ蒼は何も言えなかった。
菖蒲の姿が、あまりにも自分そっくりだったのだ。
「こんな私では琥太郎様に似つかわしくありませんね」
「いいえ」
自暴自棄になっている菖蒲に、時雨はきっぱりと答えた。
「琥太郎は加護で人を判断するような人間ではありませんよ。きっと加護を抜きにして菖蒲さんの事を考えてくれます」
確かに琥太郎は菖蒲に加護の力を求めた事などなかった。財閥御曹司という立場にありながら加護の力ではなく菖蒲を選んでくれたのだろう。
それは付き合いの短い蒼にも充分伝わってきた。
けれど、菖蒲は今にも泣き出しそうな笑顔を見せた。
「琥太郎様らしい」
そんな優しい琥太郎だからこそ劣等感まみれの自分は相応しくないと思えてしまう。
琥太郎の気持ちに薄々気がついていながらも応えられないのは菖蒲自身の問題なのだ。
「きっと私の問題なんでしょうね」
それが分かっていても、菖蒲はまだ踏み出す勇気がない。「雨なんて」というしがらみが、菖蒲に巻き付いて身動きを取れなくしてしまうのだ。手を伸ばしたくても絡まったしがらみの糸が菖蒲を縛りつける。
その糸を断ち切る術を、菖蒲は知らないのだ。


