あの空の彼方にも、同じ世界が広がっている。

 ―――――未来は変えることができる。
 そのことを、僕は知っている。

 1年前まで、僕には未来が全く見えていなかった。生まれた頃から原因不明の体調不良が続いていたからだ。両親が様々な医療機関に連れて行き、数え切れないほどの検査を受けた。元々、遊園地や動物園に行く体力が無かった。途中で体調が急変するのか分からないため、遠出することができなかったし、結果的に相当な距離を歩くことになる施設で遊ぶこともできなかった。だから、そのことは特に問題ではなかった。

 当然のように、学校の行事はほぼ休んだ。遠足や社会見学、修学旅行などもっての他だった。仮に参加を強行して何か起きれば、途中で行事ごと中止になってしまう可能性がある。学校もクラスメートも嫌いだったが、楽しみを奪おうとまでは思わなかった。


 それでも、小学生の頃までは、まだマシだったと言える。2年に1度のペースで体調管理のために入院はしていたが、周囲に取り残される感覚は無かったし、それほど危機的状況でもなかった。
 しかし、中学生になった頃には、かなり体調が悪くなっていたように思う。朝、ベッドから起きられない日ができた。枕から頭を上げることができない。倦怠感で身体を動かすことができない。そんな日が続くと、何も考えることができなくなり、目の前が真っ暗になった。

 どうにか、1年のうち3分の2はどうにか登校した。だけど、小学生の頃とは違い、休めば休んだ時間だけ勉強が遅れる。教科書だけでは理解できないことが増え、特に数学と英語についていけなくなった。それでも、参考書やインターネットの番組を利用してどうにかしようと頑張った。

 でも、そんな僕の努力など誰も理解しない。
 もっと頑張れ、と、両親は言った。重い頭を持ち上げ、必死に参考書を開いているのに、体力が尽きて寝転んでいる枕元で僕に呪いの呪文を唱える。
「このままだと、高校に行けなくなるぞ」
「みんなも頑張っているのだから、あなたは3倍努力しないと」
 こんな身体に生んだのは、アンタだろ。
 なぜ、休んでいるときだけに訪れて罵倒するんだ。

 親子の情愛が切れた。そう思った。
 親だとは思えなくなった。
 ただの騒音。
 2人の悪魔。
 右から、左から、悪魔が呪言を吐き続ける。

 毎週決ったように、どこかの病院に連れて行かれ、説明も無いままに白い機械に突っ込まれる。突っ込まれて、引き出されて、何の説明もされないまま車に乗せられて帰る。会話がない車内。対向車のライトに照らされた両親の表情を見れば、何がどうなったのかは想像ができる。


 中学3年生になった頃には、もう、自分の死に方を考えるようになっていた。
 一向に改善されない体調。いや、むしろ悪化していた。起きられない日が増えた。以前は薬を服用すると状態が善くなっていたが、いくら適量を飲み込んでも改善が見られなくなった。当然、思考は暗闇に落ちていく。視線は下に向けられ、夢を見ることがなくなった。目を閉じると、一瞬にして眠りに落ちるようになった。

 高校に進学しようという意欲が薄れていた。目標が何も無いからだ。それでも、学校推薦という都合の良い形で、秋には進学する高校が決った。自分の学力では到底受かりそうにもない学校に、小論文と面接で合格した。自分でもどうかとは思ったものの、合格させた学校が悪いのだと考えて納得した。


 義務教育の制度を活かして卒業し、高校に進学を果たす。
 登校できなくなり、退学処分になるかも知れないと本気で思っていた。この頃になると、両親は病院巡りを諦めていた。近くの大学病院で、月に1度診察を受け、薬を受け取るだけになった。担当医の白々しい笑顔と両親の顔色を見ると、未来が決っていることを悟るしかなかった。軽々しく口にしていた死が現実味を帯び、考えると気持ち悪くなった。ちょっとした事で、大きな声を出すことも増えた。そうすれば、親に対する憎悪と罪悪感という相反する思いで、少しの間だけ気分が楽になるからだ。

 自宅から一番近いという理由だけで決めた高校に通うようになった。
 自転車や電車で通学することができなかったため、毎朝、出勤途中の父親に連れて行ってもらうしかなかった。帰宅はタクシーや仕事途中の父親に連れて帰ってもらった。どれだけ面倒な存在なのだと、自嘲する毎日だった。


 そんな地獄で、遥香に出会った。
 自分の存在を嗤っていた僕が、誰の言葉にも耳を貸すことがない僕が、人生で始めて信じることができた相手。偶然、隣同士になっただけだったのに気持ちが通じ合った。言葉にできない感覚。何が、どうとは説明できないけれど、無条件に一緒にいたいと思った。

 初めて学校を休んだ日に、メッセージが届いた。ただの事務連絡。だけど、不思議とそこから会話が続いた。誰にも話さなかった自分のことや思いを、いつの間にか全て文字にしていた。途中で文字を打つことが面倒になり、声に変わった。言えなかった思いを吐露した。恥ずかしいことも、悔しい気持ちも全て吐き出した。いつの間にか、言葉が震えていた。僕も、遥香も。
 そして、未来を望まなかった僕は、次の日を待ち望むようになった。


 僕は初めて、未来を生きる選択をしたんだ。