あの空の彼方にも、同じ世界が広がっている。

 戸惑う僕を置き去りにして、タブレット画面の明度がアップする。
 白い画面に表示されたのは、<ユーザー名:スガワラ ユウタ>という黒い文字。
 僕は電源を入れてもないし、当然のことながら自分の名前を登録していない。一体何がどうなっているのか分からず、驚くよりも恐怖心に支配される。どう考えてもおかしい。
 数秒後、名前の下に自分の顔写真が表示されて愕然とした。タブレットにはどこにもカメラが付いているようには見えなかった。レンズがどこにも見当たらない。悪い冗談かと思い周囲を見渡すが、同じホームにいるのはスマホに夢中の高校生くらいだ。
 意味が分からない。
 分からな過ぎて頭が寒くなるくらい血の気が引く。
 理解できなくてタブレットを持つ腕が総毛立つ。
 今すぐに捨てようと考えるが、ユーザーとして顔写真と共に登録されていれば届けられる可能性が高いと思ってしまう。それよりも、「捨てても無駄」だという言葉が脳裏に浮かんで消せない。そういうもの(・・・・・・)だと受け入れるしかないと、強制的に理解させられる。

 電車の到着を知らせる音楽がホームに流れる。二つ目のライトを点灯させ、在来線の電車が微かにブレーキ音を響かせながら停車した。先ほどから視界に入っていた高校生が、スマホを手にしたまま電車に乗り込む。この時間帯は、まだまだ乗客が少ない。あと2時間もしないうちにラッシュのピークが訪れる。どうせ途中で下車する乗客はほとんどいないのだから、途中の駅を素通りするレールライナー的な高速便を増やせば良いのに、とずっと思っている。
 タブレットを手にしたまま、僕は下りホームに到着した電車を見送った。

 膝から下が西陽に当てられてジリジリと熱くなっているが、それを気にする気分になれない。そんな僕の気持ちに対する配慮など何もなく、タブレットの画面が切り替わり、ニュースサイトのトップページのような文字列を表示した。僕の目は自然とその文字を追う。

「・・・何だこれ」
 無意識に口から零れた言葉が、僕の思いを完璧に表現している。画面には人名や地名、現象等が無秩序に表示されていた。
 佐藤 圭吾 ――― 2時間15分
 北島 桜子 ――― 3時間30分
 高速3号線東部トンネル内玉突き衝突事故 ――― 5時間10分
 高橋内閣 ――― 92日12時間5分
 首都直下型大地震 ――― 3751日7時間23分
 一体何を表しているのかは分からないが、表示されている時間は少しずつ減少している。いくつか仮説は頭に浮かんだが、ファンタジー過ぎてとても現実的とは思えなかった。

 しばらく眺めていた僕は徐々に落ち着きを取り戻し、自分を納得させる方向で思考がまとまり始めた。そして、「これは何かの作業をする専用端末ではないか」、という結論に至った。いや、そうだと決め付けた。
 30分以上考えていたのか、ホームに2度目の電車が到着する音楽が流れ始める。タブレットを手にしたまま、今度はベンチから立ち上がった。この電車に乗らなければ、次はラッシュに巻き込まれてしまう。30分とはいえ、座って帰りたいという思いは強いのだ。乗車の列に割り込んできた中年女性の後頭部を睨み付けながら、僕は下りの電車に乗り込んだ。

 予定通り無事シートを確保し、引き続きタブレットの画面を確認する。建造物だと思われる名称や、地名など知らない単語も多いが、一部の人名には心当たりがあった。佐藤 圭吾は老齢の有名な個性派俳優であるし、北島 桜子は紅白歌合戦に出演するような演歌歌手だ。今年で最後だと、毎年言っているような記憶がある。
 などと考えていたが、次第に面倒臭くなって考えるのを止めた。そして、タブレットをカバンに仕舞い込んだ。色々と謎が多いし気味が悪くもあるが、いくら考えたところで何も分からない。考えるだけ無駄だだと。


 電車に乗って約30分。ようやく、自宅の最寄り駅に到着した。
 10年以上前に次々と企業が撤退したものの、戦後数十年もの長きに渡って工業の街として発展していたこの街の駅は大きい。しかし、駅前にあったデパートは5年前に撤退し、よく分からない市の施設になった。駅の構内に売店以外の店舗は見当たらず、何となくどんよりと空気が重い。改札を抜け薄暗い雰囲気の構内を通り過ぎるて、隣接する駐輪場に向かう。駅の利用者を増やす狙いがあるのか、それとも設備が老朽化しているためなのか利用料は無料(タダ)だ。

 駅から自宅までは自転車を使用している。徒歩で通えない距離ではないが、徒歩で20分という微妙な距離であるため自転車にした。雨が降ったら南の国の大王のように休みたいところだが、担任からの電話が鳴り止まないため徒歩で行き来している。
「よいしょっ・・・と」
 カバンから取り出したキーで開錠し、マイ自転車を無理矢理に引っ張り出して駐輪場の外まで移動させる。駐輪スペースは300台程は大丈夫そうな広さがあるものの、放置自転車が片付けられていないため思った以上に狭い。幅が50センチ程の通路を出なければ自転車に跨ることもできない有り様だ。

 どうにか自転車に跨り、自宅への道を進み始めた。