カーテンがきっちり閉じられた薄暗い室内。
陽の光は一切入らない。
明かりといえば、デスクトップのブルーライトぐらいだ。
画面の右下から表れたDMの通知をクリックすると、Misaoからのメールが表示された。
『ウラアカウントの運営は順調ですか? 何かあれば対応しますので、いつでも連絡してくださいね』
Misaoが誰かも、目的も分からない。
ただ、不登校のまま卒業できるという条件だけが、魅力だった。
悠々自適に引きこもりライフを送っていたのに、あいつらのせいで亀裂が生じた。
『ウラアカのせいで、誰かが傷つくかもしれないんです』
長宮麗の言葉が頭の片隅から離れない。
誰が傷つくっていうんだよ。
好き勝手言いたいこと言って楽しんでるだけだろ。
俺には関係ない。
Misaoにあいつらのことを言うべきか。
いや、改造銃で脅したから二度と来ないだろう。
わざわざ言う必要は……。
ドンドン、ドンドン!
扉が大きく揺れ、今にも壊れそうな勢いだ。
ヘッドホンを外すと、ドスの効いた声と、軽やかな声が聞こえた。
「とっとと開けろ!」
「牧野先輩、開けてくださいよ」
あいつら、また来たのか!
浩平は溜息を漏らして、敵意を含んだ目で扉を睨みつけた。
「うまくいくのかよ」
「やってみるしかないよね」
扉の向こうでは、しかめっ面の葵と、苦笑を浮かべた晴が、真剣な表情の麗に目を向けた。
「もっと言い続けて。頃合いを見て、私が話す」
麗は白い箱の持ち手をぎゅっと握りしめた。
「めんどくせえな」
葵はそう言いながら、扉を叩いた。
「おい! 開けないと蹴破るぞ!」
階段の下から、浩平の母親がおそるおそる顔を覗かせた。
「うるさい! 何でまた来たんだよ。帰れ!」
浩平の怒鳴り声に、母親は肩を震わせて顔を引っ込めた。
「そろそろ現実みたほうがいいですよ。引きこもったまま卒業できるほど、世の中甘くないでしょ」
晴が言い終わらないうちに、浩平は扉にヘッドホンを投げつけた。
「黙れ!」
晴は口角を上げ、更に続ける。
「自分が作ったウラアカで、噂に左右されてる生徒たちを見て、優越感に浸ってるんですか? それとも、リアルでは仲間に入れないから、ウラアカで友達作りしてるとか? やばいですね」
カギの開く音と共に、扉が勢いよく開いた。
「これ以上しゃべったら、まじで撃つぞ」
ひきつった顔の浩平が、銃口を晴に向ける。
「撃てるもんなら撃ってみろよ」
晴を押し退けた葵が銃口を握り、自分の心臓に押し当てた。
「なっ……!」
浩平の手が震え、呼吸が荒くなる。
葵は一切動じず、浩平を見下ろす。額から汗が流れ、顎を伝って足元に滴り落ちる。
「覚悟もねえやつが、こんなん作ってんじゃねえぞ」
静かな低い声が、浩平の鼓膜を震わせる。
浩平の手からわずかに力が抜ける。
葵は勢いよく銃を床に叩きつけた。
「くそっ」
右手を押さえて顔をしかめた浩平の前に、葵と晴が立ち塞がり、距離を詰めていく。
浩平は後退りをして、机の前まで追い詰められた。
「ウラアカ削除しろ。削除するまで殴ってやろうか?」
拳を握る葵の横で、銃を手のひらの上に乗せた晴が、不敵な笑みを浮かべた。
「この改造、違法ですよね。通報したらどうなるか。……やってみます?」
浩平はひゅっと息を呑んで、一瞬怯えた顔をするが、すぐに葵と晴を睨みつける。
北風じゃ脱がせられない。
ここからは、太陽(私)。
葵と晴が麗に目配せをする。頷き、2人の腕を思いっきり引っ張る。
「2人ともやめて! ひどいよ。ほら、牧野先輩、こんなに怯えてかわいそう!」
浩平を庇うように腕を広げ、声を張り上げた。
「……怯えてないし」
浩平は目を逸らし、鳥肌が立っている腕をさすった。
「くくっ。麗ちゃん、棒読みっ……」
笑いをこらえて肩を震わす晴を、呆れ顔の葵が小突いた。
「乱暴なことをして、すみませんでした。シュークリーム、よかったらどうぞ」
麗は頭を下げ、白い箱を差し出した。
「……わざわざ?」
浩平は怪訝な顔で箱を見つめる。
「この間のお詫びです」
殊勝な態度で目を伏せる麗の背後で、葵が険しい目つきで受け取れと圧をかける。
浩平はしぶしぶ箱を手に取り、シュークリームをひとつ頬張る。
「牧野先輩。どうしても、ウラアカの削除をお願いしたいんです!」
麗は真剣な表情で浩平を見つめる。
「ムリ。できない」
指についたクリームを舐め、突っぱねる。
「何か、事情があるんですか?」
「……」
麗が問いかけるが、浩平は口を閉ざす。
「……出席日数の改ざん」
ぽそりと呟く麗を、浩平は驚愕の表情で見つめる。
「おまえ、どこまで知ってる?」
「裏取引、したんですよね?」
確証はない。けど、そうとしか考えられない。
「なんで、おまえがそれを……」
青白い顔で唇を震わす。動揺で泳ぐ目を、麗の瞳が捉える。
やっぱり。牧野先輩の背後に、誰かいる。その人を突き止めないと、終わらない。
「ウラアカの作成、誰に頼まれたんですか?」
浩平の目を離さず、一歩近づく。たじろいだ浩平の手が、パソコンに当たる。
麗は、DMのメール画面の文字をさっと追う。
差出人は、Misao。
「この人ですね」
浩平は観念したように、肩を落として頷いた。
「誰だよ、そいつ」
「会ったことあるんですか?」
画面を覗いた葵と晴が、浩平に目を向ける。
「DMでしか連絡取ってないから、誰か分からない。学校行かなくなってから、突然こいつからDMがきて、ウラアカのこと頼まれたんだよ。不登校のまま進級できるようにするって条件で」
浩平が顔をしかめ、パソコンの画面を消した。
「そんなことできるの、教師ぐらいじゃない?」
薄ら笑いを浮かべた晴が、銃をくるくる回す。
「返せ」
浩平が銃を奪い返して棚にしまった。
「教師が何のために?」
ウラアカ作って生徒たちを噂で翻弄して、楽しんでる?
でも、学院の評判が落ちる噂もあるし、そんなことして教師に何のメリットが?
「知らねえよ。とにかく、俺はウラアカ削除しないから」
「おまえの事情なんてどうでもいい。学校行きたくないならやめちまえ。中途半端なことしてんじゃねえよ」
眉間に皺を寄せた葵が浩平に詰め寄り、机を叩いた。
「……うるさい。バカなやつらとは関わりたくない」
「てめえ!」
葵が拳を振り上げる。浩平は顔を背けて、ぎゅっと目を閉じる。
「待って!」
麗の叫び声が響く。
浩平の顔すれすれのところで、葵の拳が止まった。
「牧野先輩。学校、嫌いですか?」
静かに問いかける。
「……嫌いだ。くだらないカーストに当てはめて、底辺だって見下してくる。どいつもこいつもバカばっかりだ」
浩平の顔が苦しそうに歪む。
「学校って、色々な人がいますよね。この2人のファンがあんなにいるなんて信じられない。どうかしてますよ」
麗が肩をすくめると、葵が晴を顎で指した。
「こいつのファンはいかれてる」
「それはこっちのセリフだよ」
睨み合う2人の間に麗が割って入り、咳ばらいをした。
「ファンにも、2人にも困らされてるけど、私は、学校に通えて嬉しいです」
振り返った浩平が眉をひそめた。
「悪い意味で注目されてるって分かってんの? 妬まれて悪口言われて、何が嬉しいんだ」
眼鏡の奥の瞳が、暗く翳る。
「……私、小4から学校通えていなかったんです。でも、やっと高校に通えた。だから嬉しくて」
麗は、胸の前で握り合わせた両手に目を落とす。
「現実は学校でも2人の下僕で、常に傍にいるし、自由なんてこれっぽちもないですけど」
浩平は同情の眼差しを麗に向ける。
「それはご愁傷様」
麗は浩平の顔をじっと見つめた。
「先輩には私と違って、自由があります。でも、自由には責任が伴うんです」
「……」
浩平は押し黙る。
「ウラアカで、傷つく人だっている。学院の評判を落とす噂が公になったら、困る人がいるんです。それに、盗撮の噂、先輩も知ってますよね」
浩平は小さく頷き、目を伏せた。
「販売サイト、見つけたんです」
浩平の顔が引きつる。
「大勢の生徒が、被害にあっていました。……私もです」
屈辱。悔しさ。怒り。恐怖。それらがぐちゃぐちゃに混ざり合あって、高波のように押し寄せてくる。足元からすくわれ、飲み込まれてしまいそうだ。
ふと。
両肩に、重みと熱を感じる。
葵と晴の手が、麗の肩を掴んでいる。
感情の波にさらわれそうな麗を、引き留めるように。
浩平の顔から血の気が引いていく。
「今の内にウラアカウントを削除して、販売サイトも削除すれば、公にならずにすみます」
麗の目に強い光が宿る。
「牧野先輩にしかできないんです。お願いします!」
深く頭を下げる麗の頭上から、重たく長い溜息が降ってきた。
「……わかったよ。ウラアカの削除はする」
「ありがとうございます!」
麗は顔を上げて、笑みを浮かべる。
「けど、販売サイトは削除したところで、いたちごっこだぞ。ネットの世界だって甘くない」
浩平が椅子に座り、パソコンの画面をつける。
「サイトをどうにかするより、犯人を捕まえた方が手っ取り早い」
高速でキーボードを打つ。
「サイトの問い合わせで、販売者に連絡をとって、カメラを仕掛けざるを得ない状況を作り出せばいい。このサイトだろ?」
話している間に浩平はサイトを開いた。
「わお。さすがハッカー歴のあるITオタク」
晴はパチパチと拍手を送った。
「その言い方むかつくな」
苦々しい顔をする浩平に、麗が慌てて尋ねた。
「どうやって犯人を捕まえるんですか?」
「『明日までに、新作の教室の動画が欲しい。言い値の倍払う』。……今夜動きだすだろ」
問い合わせに書き込み、エンターキーを押す。
「おまえたちは学校で見張っておけばいい。カメラを仕掛けたところを捕まえれば、言い逃れできない」
足を組んで、麗たちに目を向ける。
「なるほど。賢いですね」
麗が褒めると、浩平はわざとらしい咳ばらいをした。耳が、微かに赤い。
「牧野先輩」
麗は、まっすぐ浩平を見た。
「裏取引じゃなくて、正式に学校へ戻りませんか? 理事長なら、出席日数も別棟登校も何とかできるかもしれません」
「……そんな都合よく?」
浩平が怪訝な顔をする。
「その代わり」
晴が笑顔で割り込む。
「登校中は、ぼくたちが同行するけどね」
「……は?」
浩平の顔が歪む。
「逃げたら終わりだ」
葵が指を鳴らしながら、鼻で笑う。
「脅しかよ……」
浩平は顔を引きつらせる。
「保護だよ」
晴の笑顔に、浩平はさらに青ざめた。
「でも、今よりずっと前に進めます」
麗はカーテンを開け、窓を開け放った。
「せっかく自由なんですから、明るい表の世界で生きた方が幸せですよ」
眩しい陽光が差し込み、爽やかな初夏の風が吹き込む。
麗の前髪が持ち上がる。
光が反射して、薄茶色の瞳が輝く。
浩平は呆気にとられた顔で、麗の瞳をぼうっと見つめる。
麗の桜色の唇が笑みの形になり、浩平の頬は紅潮した。
「帰るぞ」
「麗ちゃん、行こう」
「あっ、ちょっと! 牧野先輩、次は学校で会いましょう」
葵と晴が麗を引きずり、扉の外に放り出した。
2人は浩平を睨みつけると、バタンと力任せに扉を閉めた。
「あの噂、本当だったのか。……長宮麗。変なやつ」
煌々と差し込む日差しに目をすがめた浩平の口元が、ほんの少し緩んだ。
誰もいない暗闇に包まれた校舎に、足音が静かに響く。
足元を照らすスマホのライトが上に向けられ、「1年3組」のプレートが照らされる。
扉をゆっくり開け、ライトの明かりを頼りに、教壇へ足を運ぶ。
明かりが教壇の下に消える。
その途端。
電気がパッとつき、教室が明るくなった。
「あなただったんですね」
顔を強張らせた麗が、教壇の下に潜っている人影に声をかけた。
「出てこいよ」
「動画撮ってるんで、言い逃れはできませんよ。——町田先生」
スマホを構えた晴に名前を呼ばれた町田が、教壇の下からおずおずと出てきた。その手には小型カメラ。葵はカメラをひったくり、教壇を覗く。そこには、カメラを隠すための小さな穴があった。
「ゲスだな」
葵は蔑視の眼差しで町田を見て、カメラを麗に放り投げた。
「……どうして、あなたたちが」
町田の顔が青ざめる。
「明日までに新しい動画が欲しいって連絡したの、私たちなんです」
「そんな……」
町田は唖然として口を覆った。
「何で、こんなことを?」
麗が問いかける。
「……あの人に、愛されたかったの」
町田は、震える声で呟いた。
「あの人って、葉山先生ですよね」
晴が棘げしい声で問いかける。
「……知ってるのね。盗撮動画を販売したら高く売れるって。女の私しかできないからって」
麗は息を呑む。
葵は舌打ちをし、晴は冷ややかに町田を睨んだ。
「あの人の望むことを叶えれば、必要としてもらえる気がして……」
「そんな理由で、生徒を傷つけたんですか?」
あまりにも、身勝手だ。
怒りがふつふつと沸いてくる。
殴りたい。蹴り飛ばしたい。
衝動が抑えられない。
気づいたら、町田の頬を力いっぱい鷲掴みにしていた。
「い、いたいっ。ごめんなさいっ! 許して!」
町田の情けない耳障りな声が、神経を逆なでする。
「許せない! 生徒がどれだけ傷つくか、考えなかったの⁉」
ドクドクと脈打つ音が耳に響く。
麗の全身を流れる血が、マグマのように煮えたぎっているようだ。
拳を握り、涙を流す町田の顔めがけて振り下ろす。
パシン!
「やめろ」
麗の拳は、葵の手のひらに包まれた。
「こんなやつ、殴る価値もない」
虫けらを見るような目で、町田を見下ろす。
麗の体から力が抜ける。葵の手のひらから、じんわりと温かい体温が伝わる。不思議と気持ちが落ち着いていき、平常心を取り戻した。
「私だって、最初は、悩んだのよっ。けど、背中を押されて……。ごめんなさいっ!」
町田は顔を覆い、背中を丸めてしゃくりあげる。
哀れだ。
殴らなくてよかった。
後悔、していたかもしれない。
葵が手を離す。しばらく、右手は熱いままだった。
晴は動画を停止し、顔を上げて息を吐き出す。
ふと、黒板の上にあるコンセントに差し込んである、黒いアダプタに目が留まる。
アダプタを引き抜き、指で表面を撫なぞる。
「……ん?」
指先に違和感を覚えて、じっと見つめる。
小型カメラのレンズがきらりと光った。
「これも先生の?」
麗に支えられて立ち上がった町田に晴が問いかける。
町田は小さく首を左右に振った。
「それ、カメラなの?」
「他にも盗撮犯がいるのか? この学校やべえな」
麗と葵がアダプタを見て首を傾げた。
「黒幕だろうね」
晴は鼻先で笑った。
「……黒幕?」
麗の背中を、嫌な汗が伝っていく。
アダプタのカメラが、鈍く光った。
——まるで、まだ誰かが見ているように。
陽の光は一切入らない。
明かりといえば、デスクトップのブルーライトぐらいだ。
画面の右下から表れたDMの通知をクリックすると、Misaoからのメールが表示された。
『ウラアカウントの運営は順調ですか? 何かあれば対応しますので、いつでも連絡してくださいね』
Misaoが誰かも、目的も分からない。
ただ、不登校のまま卒業できるという条件だけが、魅力だった。
悠々自適に引きこもりライフを送っていたのに、あいつらのせいで亀裂が生じた。
『ウラアカのせいで、誰かが傷つくかもしれないんです』
長宮麗の言葉が頭の片隅から離れない。
誰が傷つくっていうんだよ。
好き勝手言いたいこと言って楽しんでるだけだろ。
俺には関係ない。
Misaoにあいつらのことを言うべきか。
いや、改造銃で脅したから二度と来ないだろう。
わざわざ言う必要は……。
ドンドン、ドンドン!
扉が大きく揺れ、今にも壊れそうな勢いだ。
ヘッドホンを外すと、ドスの効いた声と、軽やかな声が聞こえた。
「とっとと開けろ!」
「牧野先輩、開けてくださいよ」
あいつら、また来たのか!
浩平は溜息を漏らして、敵意を含んだ目で扉を睨みつけた。
「うまくいくのかよ」
「やってみるしかないよね」
扉の向こうでは、しかめっ面の葵と、苦笑を浮かべた晴が、真剣な表情の麗に目を向けた。
「もっと言い続けて。頃合いを見て、私が話す」
麗は白い箱の持ち手をぎゅっと握りしめた。
「めんどくせえな」
葵はそう言いながら、扉を叩いた。
「おい! 開けないと蹴破るぞ!」
階段の下から、浩平の母親がおそるおそる顔を覗かせた。
「うるさい! 何でまた来たんだよ。帰れ!」
浩平の怒鳴り声に、母親は肩を震わせて顔を引っ込めた。
「そろそろ現実みたほうがいいですよ。引きこもったまま卒業できるほど、世の中甘くないでしょ」
晴が言い終わらないうちに、浩平は扉にヘッドホンを投げつけた。
「黙れ!」
晴は口角を上げ、更に続ける。
「自分が作ったウラアカで、噂に左右されてる生徒たちを見て、優越感に浸ってるんですか? それとも、リアルでは仲間に入れないから、ウラアカで友達作りしてるとか? やばいですね」
カギの開く音と共に、扉が勢いよく開いた。
「これ以上しゃべったら、まじで撃つぞ」
ひきつった顔の浩平が、銃口を晴に向ける。
「撃てるもんなら撃ってみろよ」
晴を押し退けた葵が銃口を握り、自分の心臓に押し当てた。
「なっ……!」
浩平の手が震え、呼吸が荒くなる。
葵は一切動じず、浩平を見下ろす。額から汗が流れ、顎を伝って足元に滴り落ちる。
「覚悟もねえやつが、こんなん作ってんじゃねえぞ」
静かな低い声が、浩平の鼓膜を震わせる。
浩平の手からわずかに力が抜ける。
葵は勢いよく銃を床に叩きつけた。
「くそっ」
右手を押さえて顔をしかめた浩平の前に、葵と晴が立ち塞がり、距離を詰めていく。
浩平は後退りをして、机の前まで追い詰められた。
「ウラアカ削除しろ。削除するまで殴ってやろうか?」
拳を握る葵の横で、銃を手のひらの上に乗せた晴が、不敵な笑みを浮かべた。
「この改造、違法ですよね。通報したらどうなるか。……やってみます?」
浩平はひゅっと息を呑んで、一瞬怯えた顔をするが、すぐに葵と晴を睨みつける。
北風じゃ脱がせられない。
ここからは、太陽(私)。
葵と晴が麗に目配せをする。頷き、2人の腕を思いっきり引っ張る。
「2人ともやめて! ひどいよ。ほら、牧野先輩、こんなに怯えてかわいそう!」
浩平を庇うように腕を広げ、声を張り上げた。
「……怯えてないし」
浩平は目を逸らし、鳥肌が立っている腕をさすった。
「くくっ。麗ちゃん、棒読みっ……」
笑いをこらえて肩を震わす晴を、呆れ顔の葵が小突いた。
「乱暴なことをして、すみませんでした。シュークリーム、よかったらどうぞ」
麗は頭を下げ、白い箱を差し出した。
「……わざわざ?」
浩平は怪訝な顔で箱を見つめる。
「この間のお詫びです」
殊勝な態度で目を伏せる麗の背後で、葵が険しい目つきで受け取れと圧をかける。
浩平はしぶしぶ箱を手に取り、シュークリームをひとつ頬張る。
「牧野先輩。どうしても、ウラアカの削除をお願いしたいんです!」
麗は真剣な表情で浩平を見つめる。
「ムリ。できない」
指についたクリームを舐め、突っぱねる。
「何か、事情があるんですか?」
「……」
麗が問いかけるが、浩平は口を閉ざす。
「……出席日数の改ざん」
ぽそりと呟く麗を、浩平は驚愕の表情で見つめる。
「おまえ、どこまで知ってる?」
「裏取引、したんですよね?」
確証はない。けど、そうとしか考えられない。
「なんで、おまえがそれを……」
青白い顔で唇を震わす。動揺で泳ぐ目を、麗の瞳が捉える。
やっぱり。牧野先輩の背後に、誰かいる。その人を突き止めないと、終わらない。
「ウラアカの作成、誰に頼まれたんですか?」
浩平の目を離さず、一歩近づく。たじろいだ浩平の手が、パソコンに当たる。
麗は、DMのメール画面の文字をさっと追う。
差出人は、Misao。
「この人ですね」
浩平は観念したように、肩を落として頷いた。
「誰だよ、そいつ」
「会ったことあるんですか?」
画面を覗いた葵と晴が、浩平に目を向ける。
「DMでしか連絡取ってないから、誰か分からない。学校行かなくなってから、突然こいつからDMがきて、ウラアカのこと頼まれたんだよ。不登校のまま進級できるようにするって条件で」
浩平が顔をしかめ、パソコンの画面を消した。
「そんなことできるの、教師ぐらいじゃない?」
薄ら笑いを浮かべた晴が、銃をくるくる回す。
「返せ」
浩平が銃を奪い返して棚にしまった。
「教師が何のために?」
ウラアカ作って生徒たちを噂で翻弄して、楽しんでる?
でも、学院の評判が落ちる噂もあるし、そんなことして教師に何のメリットが?
「知らねえよ。とにかく、俺はウラアカ削除しないから」
「おまえの事情なんてどうでもいい。学校行きたくないならやめちまえ。中途半端なことしてんじゃねえよ」
眉間に皺を寄せた葵が浩平に詰め寄り、机を叩いた。
「……うるさい。バカなやつらとは関わりたくない」
「てめえ!」
葵が拳を振り上げる。浩平は顔を背けて、ぎゅっと目を閉じる。
「待って!」
麗の叫び声が響く。
浩平の顔すれすれのところで、葵の拳が止まった。
「牧野先輩。学校、嫌いですか?」
静かに問いかける。
「……嫌いだ。くだらないカーストに当てはめて、底辺だって見下してくる。どいつもこいつもバカばっかりだ」
浩平の顔が苦しそうに歪む。
「学校って、色々な人がいますよね。この2人のファンがあんなにいるなんて信じられない。どうかしてますよ」
麗が肩をすくめると、葵が晴を顎で指した。
「こいつのファンはいかれてる」
「それはこっちのセリフだよ」
睨み合う2人の間に麗が割って入り、咳ばらいをした。
「ファンにも、2人にも困らされてるけど、私は、学校に通えて嬉しいです」
振り返った浩平が眉をひそめた。
「悪い意味で注目されてるって分かってんの? 妬まれて悪口言われて、何が嬉しいんだ」
眼鏡の奥の瞳が、暗く翳る。
「……私、小4から学校通えていなかったんです。でも、やっと高校に通えた。だから嬉しくて」
麗は、胸の前で握り合わせた両手に目を落とす。
「現実は学校でも2人の下僕で、常に傍にいるし、自由なんてこれっぽちもないですけど」
浩平は同情の眼差しを麗に向ける。
「それはご愁傷様」
麗は浩平の顔をじっと見つめた。
「先輩には私と違って、自由があります。でも、自由には責任が伴うんです」
「……」
浩平は押し黙る。
「ウラアカで、傷つく人だっている。学院の評判を落とす噂が公になったら、困る人がいるんです。それに、盗撮の噂、先輩も知ってますよね」
浩平は小さく頷き、目を伏せた。
「販売サイト、見つけたんです」
浩平の顔が引きつる。
「大勢の生徒が、被害にあっていました。……私もです」
屈辱。悔しさ。怒り。恐怖。それらがぐちゃぐちゃに混ざり合あって、高波のように押し寄せてくる。足元からすくわれ、飲み込まれてしまいそうだ。
ふと。
両肩に、重みと熱を感じる。
葵と晴の手が、麗の肩を掴んでいる。
感情の波にさらわれそうな麗を、引き留めるように。
浩平の顔から血の気が引いていく。
「今の内にウラアカウントを削除して、販売サイトも削除すれば、公にならずにすみます」
麗の目に強い光が宿る。
「牧野先輩にしかできないんです。お願いします!」
深く頭を下げる麗の頭上から、重たく長い溜息が降ってきた。
「……わかったよ。ウラアカの削除はする」
「ありがとうございます!」
麗は顔を上げて、笑みを浮かべる。
「けど、販売サイトは削除したところで、いたちごっこだぞ。ネットの世界だって甘くない」
浩平が椅子に座り、パソコンの画面をつける。
「サイトをどうにかするより、犯人を捕まえた方が手っ取り早い」
高速でキーボードを打つ。
「サイトの問い合わせで、販売者に連絡をとって、カメラを仕掛けざるを得ない状況を作り出せばいい。このサイトだろ?」
話している間に浩平はサイトを開いた。
「わお。さすがハッカー歴のあるITオタク」
晴はパチパチと拍手を送った。
「その言い方むかつくな」
苦々しい顔をする浩平に、麗が慌てて尋ねた。
「どうやって犯人を捕まえるんですか?」
「『明日までに、新作の教室の動画が欲しい。言い値の倍払う』。……今夜動きだすだろ」
問い合わせに書き込み、エンターキーを押す。
「おまえたちは学校で見張っておけばいい。カメラを仕掛けたところを捕まえれば、言い逃れできない」
足を組んで、麗たちに目を向ける。
「なるほど。賢いですね」
麗が褒めると、浩平はわざとらしい咳ばらいをした。耳が、微かに赤い。
「牧野先輩」
麗は、まっすぐ浩平を見た。
「裏取引じゃなくて、正式に学校へ戻りませんか? 理事長なら、出席日数も別棟登校も何とかできるかもしれません」
「……そんな都合よく?」
浩平が怪訝な顔をする。
「その代わり」
晴が笑顔で割り込む。
「登校中は、ぼくたちが同行するけどね」
「……は?」
浩平の顔が歪む。
「逃げたら終わりだ」
葵が指を鳴らしながら、鼻で笑う。
「脅しかよ……」
浩平は顔を引きつらせる。
「保護だよ」
晴の笑顔に、浩平はさらに青ざめた。
「でも、今よりずっと前に進めます」
麗はカーテンを開け、窓を開け放った。
「せっかく自由なんですから、明るい表の世界で生きた方が幸せですよ」
眩しい陽光が差し込み、爽やかな初夏の風が吹き込む。
麗の前髪が持ち上がる。
光が反射して、薄茶色の瞳が輝く。
浩平は呆気にとられた顔で、麗の瞳をぼうっと見つめる。
麗の桜色の唇が笑みの形になり、浩平の頬は紅潮した。
「帰るぞ」
「麗ちゃん、行こう」
「あっ、ちょっと! 牧野先輩、次は学校で会いましょう」
葵と晴が麗を引きずり、扉の外に放り出した。
2人は浩平を睨みつけると、バタンと力任せに扉を閉めた。
「あの噂、本当だったのか。……長宮麗。変なやつ」
煌々と差し込む日差しに目をすがめた浩平の口元が、ほんの少し緩んだ。
誰もいない暗闇に包まれた校舎に、足音が静かに響く。
足元を照らすスマホのライトが上に向けられ、「1年3組」のプレートが照らされる。
扉をゆっくり開け、ライトの明かりを頼りに、教壇へ足を運ぶ。
明かりが教壇の下に消える。
その途端。
電気がパッとつき、教室が明るくなった。
「あなただったんですね」
顔を強張らせた麗が、教壇の下に潜っている人影に声をかけた。
「出てこいよ」
「動画撮ってるんで、言い逃れはできませんよ。——町田先生」
スマホを構えた晴に名前を呼ばれた町田が、教壇の下からおずおずと出てきた。その手には小型カメラ。葵はカメラをひったくり、教壇を覗く。そこには、カメラを隠すための小さな穴があった。
「ゲスだな」
葵は蔑視の眼差しで町田を見て、カメラを麗に放り投げた。
「……どうして、あなたたちが」
町田の顔が青ざめる。
「明日までに新しい動画が欲しいって連絡したの、私たちなんです」
「そんな……」
町田は唖然として口を覆った。
「何で、こんなことを?」
麗が問いかける。
「……あの人に、愛されたかったの」
町田は、震える声で呟いた。
「あの人って、葉山先生ですよね」
晴が棘げしい声で問いかける。
「……知ってるのね。盗撮動画を販売したら高く売れるって。女の私しかできないからって」
麗は息を呑む。
葵は舌打ちをし、晴は冷ややかに町田を睨んだ。
「あの人の望むことを叶えれば、必要としてもらえる気がして……」
「そんな理由で、生徒を傷つけたんですか?」
あまりにも、身勝手だ。
怒りがふつふつと沸いてくる。
殴りたい。蹴り飛ばしたい。
衝動が抑えられない。
気づいたら、町田の頬を力いっぱい鷲掴みにしていた。
「い、いたいっ。ごめんなさいっ! 許して!」
町田の情けない耳障りな声が、神経を逆なでする。
「許せない! 生徒がどれだけ傷つくか、考えなかったの⁉」
ドクドクと脈打つ音が耳に響く。
麗の全身を流れる血が、マグマのように煮えたぎっているようだ。
拳を握り、涙を流す町田の顔めがけて振り下ろす。
パシン!
「やめろ」
麗の拳は、葵の手のひらに包まれた。
「こんなやつ、殴る価値もない」
虫けらを見るような目で、町田を見下ろす。
麗の体から力が抜ける。葵の手のひらから、じんわりと温かい体温が伝わる。不思議と気持ちが落ち着いていき、平常心を取り戻した。
「私だって、最初は、悩んだのよっ。けど、背中を押されて……。ごめんなさいっ!」
町田は顔を覆い、背中を丸めてしゃくりあげる。
哀れだ。
殴らなくてよかった。
後悔、していたかもしれない。
葵が手を離す。しばらく、右手は熱いままだった。
晴は動画を停止し、顔を上げて息を吐き出す。
ふと、黒板の上にあるコンセントに差し込んである、黒いアダプタに目が留まる。
アダプタを引き抜き、指で表面を撫なぞる。
「……ん?」
指先に違和感を覚えて、じっと見つめる。
小型カメラのレンズがきらりと光った。
「これも先生の?」
麗に支えられて立ち上がった町田に晴が問いかける。
町田は小さく首を左右に振った。
「それ、カメラなの?」
「他にも盗撮犯がいるのか? この学校やべえな」
麗と葵がアダプタを見て首を傾げた。
「黒幕だろうね」
晴は鼻先で笑った。
「……黒幕?」
麗の背中を、嫌な汗が伝っていく。
アダプタのカメラが、鈍く光った。
——まるで、まだ誰かが見ているように。
