翌日家に戻ると、玄関の前にフクロウが立っていた。
「おかえり」
片手を上げるフクロウの足元で、サクラが勢いよく麗に突進する。
「いだっ!」
倒れた麗を見下ろしながら、葵と晴がにやつく。
「大丈夫か?」
フクロウが手を貸そうとする。だが、サクラが甘えるように鼻をこすりつけ、それを阻止した。
サクラめ。一体、私に何の恨みがあるっていうの。
麗はサクラを睨みつけ、よろよろと立ち上がる。
「そうだ、オリエンテーリングだったんだっけ?」
サクラを撫でながら、フクロウが横目で麗たちを見た。
「3位になれて、1学期分の学食チケットもらえたんです」
葵と晴は不満そうだけど、私にとっては悪くない結果だった。
「そうか、よかったな」
フクロウが麗の頭を撫でると、ワイドパンツのポケットをサクラがひっかいた。
「あ、そうだった。情報持ってきたんだよ」
ポケットからメモの切れ端を出し、麗に渡した。
そこには、ウラアカ作成者の名前と住所があった。
——牧野浩平。
「2年の不登校だ」
メモを覗き込んだ晴が、目を丸くした。
「フクロウさん、すごいです」
麗が尊敬の眼差しを向ける。
「だろ? ちなみにそいつ、ハッキング歴もあるITオタクだ」
フクロウは鼻高々に胸を反らした。
「こいつにウラアカ削除させたら、任務は終わりだな」
サクラを撫でている葵に、晴が呆れ顔を向けた。
「まだだよ。盗撮問題があるじゃん。そうだ。フクロウさん、また手伝ってくれない?」
ゴッドイエローの瞳を針のように細め、フクロウは肩をすくめた。
「おれさ、めちゃくちゃ有能じゃん。クソ忙しいんだよ。麗ちゃんのためにタダ働きしたけど、他にも仕事山積みだから、これ以上はムリ」
「麗ちゃんからも頼んでみて」
晴に耳打ちをされ、麗が上目遣いでおずおずとフクロウを見上げた。
「ううっ、そんな目で見られても、ムリなもんはムリなんだよ。麗ちゃん、ごめん!」
フクロウはサクラのリードを握って、玄関を飛び出した。
「麗ちゃんでも駄目なんて、よっぽど忙しいんだね」
晴は残念そうに肩をすくめる。
フクロウさんばかりに頼ってちゃだめだ。
できることをしないと。
メモを強く握りしめ、唇を引き結んだ。
麗が律儀に、牧野浩平のことを報告したばかりに、翌日、家に行くよう理事長命令が下された。
「せっかくの休みだってのに、おまえのせいで」
「融通が利かないっていうか、頭が固いっていうか。さすが、ザ・優等生だよねえ」
ねちねち文句を言う葵と晴がわずらわしい。
麗はマップアプリのナビを見ながら、スマホを握る手に力を込めた。
あんたたちの頭を何度も塀に叩きつけて、気絶させてやろうか!
情けない姿をウラアカに晒してやりたい。
妄想にふける麗の後ろで、晴がずっと歩きスマホをしている。
「さっきから何やってんだよ」
葵が怪訝な顔を向けた。
「……あった」
手を止め、画面を葵に見せた。
「盗撮動画の販売サイト、探してたんだ。何回か弾かれたけど、やっとサイトに入れたよ。この体操服、九南学院のだ」
更衣室を上から撮影した動画のサムネイルを凝視した葵が、眉間に皺を刻んだ。
「盗撮の噂、本当だったってこと?」
振り向いた麗が、顔を歪めた。
「そうみたい。けっこうな高値で取引きされてる」
「胸糞わりいな」
……クズすぎる。
心の奥から怒りが燃え上がる。
麗の体がわなわな震える。
晴のスマホを放り投げたい衝動を抑えて、唇を噛みしめた。
許せない。絶対、犯人捕まえてやる!
ナビを終了する音声案内が聞こえ、足を止める。
左側の一軒家の表札に「牧野」と記されている。
葵と晴に目配せをする。
「押せ」
葵が顎でインターホンを指す。
私が? ……そうなるか。
反発心を堪え、緊張の面持ちでインターホンを押す。
ピンポーン。
間延びした音が響く。
『……どちらさまですか?』
くぐもった女性の声が返事をした。
麗はごくりと唾を飲み込み、インターホンを見据えた。
「九南学院の生徒です。牧野浩平さんにお会いしたいのですが」
息を呑む音がして、すぐに玄関が開いた。
「お友達が来てくれるなんて、何年振りかしら。さあ、あがって」
白髪交じりの中年の女性が、泣きそうな顔で門を開けた。
友達ではないと言う暇もなく、背中を押されてリビングに通された。
「浩平くんの部屋、上ですか? ぼくたち、話したいことがあって」
晴が天使のスマイルを向けて、階段を指差した。
「上がってすぐ左の部屋よ。あの子、部屋から全然出てこなくて……。口下手だけど、悪い子じゃないのよ。だから、仲良くしてね」
母親は涙ぐみながら、上階を見上げる。
重たい期待が、痛い。
引きこもりたくなる気持ちも、分かる。
まだ見ぬ牧野浩平に、麗は同情した。
晴を先頭に、足早に階段を上っていく。
一刻も早くこの家から立ち去りたい。
「ああいう親、まじでキライ」
スマイルを一瞬にしてしかめっ面に変えた晴に、葵が頷いた。
「とっとと話して帰ろうぜ」
トントン。
晴が部屋の扉をノックして、声をかけた。
「牧野先輩? ぼくたち、九南高校の1年なんですけど、確認したいことがあって来ました」
返事がない。
晴が強めにドアを叩く。
ドンドン、ドンドン。
「牧野せんぱーい!」
またしても反応がない。
苛立った葵がドアノブを回すが、鍵がかかっていて開かない。葵は乱暴にノブを回しながら、扉を拳で激しく叩いた。
ガチャガチャッ!
ドンドンッ!
「開けろよ!」
扉が壊れそうな勢いに、麗は顔をひきつらせた。
……借金取りみたい。
ドンッ!
中から、扉を叩く力強い音がした。
「うるさい!」
くぐもった怒鳴り声。
「いるじゃねえか」
「先輩、開けてくださいよ」
葵と晴がまたドアを叩こうとすると、刺々しい声が返ってきた。
「誰だよ、おまえら。こっちは話すことなんて何もねえよ。帰れ!」
葵の顔が歪む。
「いい度胸してんじゃねえか」
ボキボキッと関節を鳴らし、正拳突きの構えをとった。
「ま、待って! さすがにそれは駄目!」
麗は扉を守るように慌てて両腕を広げ、扉に向かって話しかけた。
「乱暴なことをしてすみません。学校のウラアカのことで、来たんです」
ガタッと物音がする。
「……牧野先輩が、ウラアカを作ったんですよね?」
問いかけると、しんと静まった。
物音ひとつ聞こえない。
麗が扉に耳を近づける。
その途端。
わずかに扉が開いた。
扉の隙間から、黒ぶち眼鏡をかけた面長の顔が半分だけ見えた。
「……何でおまえらが」
浩平が目を見開き、警戒と不審の眼差しを向けた。
「ぼくたちのこと、知ってるみたいですね。ウラアカ運営してるんだから、当然か」
晴が口角を上げる。
「今すぐウラアカ削除しろ」
葵が扉を掴んで強引にこじ開け、薄暗い室内に足を踏み入れた。
「な、何言ってんだ」
顔をひきつらせた浩平の視線が、一瞬だけ背後のデスクトップパソコンに向く。
葵の後ろから入ってきた晴が、パソコンの画面を覗き込む。
「初対面のくせに、ウラアカ作っただの、削除しろだの、意味わかんねえよ!」
浩平は慌てて画面を隠し、目をつり上げた。
「説明する必要ねえだろ」
「とっとと削除してくださいよ。いらないでしょ、あんなもの」
葵と晴が冷たい眼差しで浩平を見下ろす。
「嘘か本当か分からない噂話だらけだし、隠し撮りされて憶測で嫌なこと投稿されるし、本当に困ってるんです」
2人の後ろから顔を出した麗が訴えた。
「そんなん知るか!」
浩平はパソコンの電源を落として声を荒げた。
「ウラアカのせいで、傷つく人がいるんです」
声が震える。
それでも、目を逸らさず、一歩近づく。
「お願いします。削除してください」
振り向いた浩平の眉がわずかに動く。奥歯を食いしばると、机の横に飾ってあるモデルガンを手に取った。
「おまえら、出てけ!」
葵が鼻で笑うと、浩平は安全装置を外して銃口を葵に向けた。
「改造銃だからな! 馬鹿にしてると痛い目みるぞ」
葵が眉を寄せ、麗は息を呑んだ。
「脅しじゃなさそうだね。帰る前にひとつ聞きたいんですけど、牧野先輩、自分が噂されてるって知ってました?」
晴は両手を上げて肩をすくめた。
「それがどうした」
晴に銃口を向ける。
「先生に、書類を改ざんさせたんじゃないですか?」
銃口が一瞬下がる。すぐに両手で持ち直し、晴に照準を合わせた。
「……おまえら、さっさと出てけ! まじで撃つぞ!」
銃を構えたままじりじりと近づいてくる。
「てめえ、調子乗ってんじゃねえぞ!」
銃を奪おうとする葵を、晴と麗が止め、部屋の外に出た。
バタン!
扉は勢いよく閉められ、すぐさま鍵がかけられた。
葵は怒り任せに、扉を拳で殴ると、舌打ちをして階段を駆け下りる。
浩平の母の横を葵は無言で通りすぎ、リビングを出ていった。
「あの子、怒らせるようなこと言っちゃったかしら? よかったらこれだけでも食べていって。あの子の大好物でね、とってもおいしいのよ」
2階から下りてきた晴と麗に、浩平の母が眉を八の字にして話しかけた。
「ありがとうございます。持って帰りますね」
シュークリームをひとつ取ると、晴はさっさと玄関に行った。
「頂きます。お邪魔しました」
麗は頭を下げながら、葵の分のシュークリームも持って、急いで靴を履いた。
外に出ると、門の前でふてくされた顔で立っている葵が、麗の手からシュークリームを奪って大口で頬張った。
既に食べ終わっていた晴が、口の回りを舐めて満足気な笑みを浮かべた。
「さすが、行列ができる人気店。うまいね」
葵が手に付いたカスタードを舐めて呟いた。
「まあまあだな」
呆れ顔の麗は、カーテンが閉まっている2階の窓を見上げた。
「麗ちゃん、行くよ」
数歩先を行く晴が手招きをしている。麗は早足で追いかけた。
カーテンがわずかに揺れ、人影が通りすぎた——。
空一面が茜色に染まる頃。
葵が濡れた髪をタオルで拭きながら、リビングの椅子に腰かけた。
唐揚げを揚げている麗の後ろ姿をぼうっと眺める。
「あっ!」
ソファに寝転んでいた晴が、大声を出して飛び起き、スマホの画面を凝視した。
「何だよ、うるせえな」
顔をしかめて耳をふさぐ。
「これ、麗ちゃんじゃない?」
盗撮動画の販売サイトに表示されている、動画のサムネイルを指差した。
更衣室で、体操服に着替えている数人の生徒の中に、麗の姿が小さく映っている。
葵の眉間に深い皺が刻まれる。
「クソがっ!」
肩にかけていたタオルを床に叩きつけ、怒りを露わにした。
「な、何っ?!」
山盛りの唐揚げを運んできた麗が、驚いた拍子に危うく皿をひっくり返しそうになる。
「麗ちゃん、大丈夫?」
晴が慌てて支えた。
「あ、うん。急に怒り出して、どうしたの?」
葵はいぶかしげな表情の麗から目を逸らし、晴のスマホを睨みつけた。
晴が動画のサムネイルを麗に見せ、眉を寄せた。
「どこで撮影されてるのか調べようと思って、サイト見てたんだけど。そしたら、さ」
画面に映る自分を見つけた麗は、背筋がぞっとした。
「う、映ってる……」
私も、被害者だった……?
足元が崩れ落ちて、底の見えない穴に落とされたような絶望感。
遅れて込み上げてくる恐怖と怒り。呼吸が乱れ、指先が震える。
「ふざけやがって」
髪をぐしゃっとかきあげる葵に、麗はちらりと視線を向けた。
……何で、葵が怒ってるの?
少しだけ、心が軽くなる。
「サムネイルだけでも、撮影場所は分かったよ。更衣室、部室、教室、それに、トイレ。カメラしかけてるの、女だろうね」
「見せて」
晴からスマホを受け取った麗は、指を動かしながら縦に並んでいるサムネイルを凝視した。
「こんなにたくさん? ……あれ?」
麗は目を凝らした。
「教室の動画、ほとんど私たちのクラスだ」
一気に血の気が引く。
「足しか映ってないのに、分かるの?」
晴が首をかしげる。
「上履き、靴下、鞄、どれも見たことあるのばっかり」
頭の中に、クラスメイトたちの顔が浮かんでは消える。
「他のやつの上履きとか鞄とか覚えてんのかよ。キモイな」
葵がスマホを奪い取り、晴に放り投げた。
唐揚げ投げつけてやろうか!
麗は拳を握りしめて、葵を睨みつける。
「……1年3組に、犯人がいる?」
顎に手を当てて考え込んでいた晴が、ぼそっと呟く。
「いや、でも他の教室の動画もあったし、断言はできないでしょ。教師が犯人の可能性もあるし……」
麗は自分で言いながら、恐ろしくなった。
同じクラスに犯人がいるなんて、思いたくない。
教師が犯人っていうのも、信じられない。
けど、内部犯は濃厚。
足元から一気に体が冷える。
嫌な汗が背中を伝う。
——このままじゃ、被害者が増える。
私にできること……。
「そうだ。私が囮になる!」
麗は箸を握りしめ、頷いた。
「何言ってんだよ」
「どうやって囮になるのさ」
葵と晴が呆れ顔を向けてくる。
「販売サイトで、『1年3組の長宮麗の動画が欲しい』って連絡を取るの。そしたら私の席の近くにカメラを隠すはず」
腰に手を当て、自信ありげに胸を反らした。
「駄目だ」
「駄目だよ」
葵と晴の声が揃った。
「何で? 良いアイディアなのに」
口をとがらせてあきれ顔の2人を見る。
「個人名出すとかアホか」
「怪しまれて、余計に警戒されるよ」
「じゃあ、どうするの? 早く見つけないと、被害者が増えてくし、公になったらまずいよ」
イライラしながら、箸で机を叩く。
「犯人を捕まえるよりも、サイトを削除した方が早いよ。牧野浩平に、ウラアカと一緒に販売サイトも削除させればいい。ハッキング歴あるなら、それぐらいできるでしょ」
晴は人差し指を立てて、自分のスマホを指差した。
「そんな簡単にやってくれるとは思えないけど」
銃を向けてきた浩平を思い浮かべた麗は、首を捻った。
「脅せばやるだろ」
不敵に笑った葵が、指の関節を鳴らす。
「それは駄目! 暴力反対!」
麗は首を横に振って、顔の前でバツ印を作った。
「アオはすぐ暴力に走るんだから。ぼくみたいな優しさも必要だよ」
「腹黒のくせに何言ってんだよ。おまえのせいで殴り合いになった女どもを、嘲笑ってただろうが」
「そんなことあったっけ?」
人畜無害な柔らかい笑顔に、誰もが騙される。
かくいう麗も、6年前、鹿島家に来てすぐ騙された。
「麗ちゃんの味方はぼくだけだからね。アオにひどいこと言われたら、ぼくに言ってね」
晴の前では、強張っていた表情が緩んだ。あの笑顔に救われていた。
……本性を知るまでは。
鹿島家に来て間もない頃。
葵の部屋を掃除中、ロボットのプラモデルを落として、腕が取れてしまった。
咄嗟に晴の顔が浮かび、壊れたロボットを見せた。
「大丈夫だよ。ぼくがやったことにしてあげる」
あの笑顔を信じた。
——なのに。
晴は葵に、粉々になったプラモデルを渡して、麗がやったと言ったのだ。
葵は顔を真っ赤にして怒鳴りながら、プラモデルの破片を麗に投げつけてきた。
そして、扉の外。
晴は三日月型に目を細めて、愉快そうに笑っていた。
その瞬間、理解した。
……騙された。
暴力的で威圧的な葵と、腹黒ドSの晴は、まさしく最恐最悪の双子だ。
北風と太陽だと思っていたのに、まさか太陽が暴風雨になるなんて誰も思わない。
そうだ。北風じゃ駄目なら……。
「私が太陽になる!」
「「はあ?」」
目を瞬かせる葵と晴に、麗はにんまりほくそ笑んだ。
「おかえり」
片手を上げるフクロウの足元で、サクラが勢いよく麗に突進する。
「いだっ!」
倒れた麗を見下ろしながら、葵と晴がにやつく。
「大丈夫か?」
フクロウが手を貸そうとする。だが、サクラが甘えるように鼻をこすりつけ、それを阻止した。
サクラめ。一体、私に何の恨みがあるっていうの。
麗はサクラを睨みつけ、よろよろと立ち上がる。
「そうだ、オリエンテーリングだったんだっけ?」
サクラを撫でながら、フクロウが横目で麗たちを見た。
「3位になれて、1学期分の学食チケットもらえたんです」
葵と晴は不満そうだけど、私にとっては悪くない結果だった。
「そうか、よかったな」
フクロウが麗の頭を撫でると、ワイドパンツのポケットをサクラがひっかいた。
「あ、そうだった。情報持ってきたんだよ」
ポケットからメモの切れ端を出し、麗に渡した。
そこには、ウラアカ作成者の名前と住所があった。
——牧野浩平。
「2年の不登校だ」
メモを覗き込んだ晴が、目を丸くした。
「フクロウさん、すごいです」
麗が尊敬の眼差しを向ける。
「だろ? ちなみにそいつ、ハッキング歴もあるITオタクだ」
フクロウは鼻高々に胸を反らした。
「こいつにウラアカ削除させたら、任務は終わりだな」
サクラを撫でている葵に、晴が呆れ顔を向けた。
「まだだよ。盗撮問題があるじゃん。そうだ。フクロウさん、また手伝ってくれない?」
ゴッドイエローの瞳を針のように細め、フクロウは肩をすくめた。
「おれさ、めちゃくちゃ有能じゃん。クソ忙しいんだよ。麗ちゃんのためにタダ働きしたけど、他にも仕事山積みだから、これ以上はムリ」
「麗ちゃんからも頼んでみて」
晴に耳打ちをされ、麗が上目遣いでおずおずとフクロウを見上げた。
「ううっ、そんな目で見られても、ムリなもんはムリなんだよ。麗ちゃん、ごめん!」
フクロウはサクラのリードを握って、玄関を飛び出した。
「麗ちゃんでも駄目なんて、よっぽど忙しいんだね」
晴は残念そうに肩をすくめる。
フクロウさんばかりに頼ってちゃだめだ。
できることをしないと。
メモを強く握りしめ、唇を引き結んだ。
麗が律儀に、牧野浩平のことを報告したばかりに、翌日、家に行くよう理事長命令が下された。
「せっかくの休みだってのに、おまえのせいで」
「融通が利かないっていうか、頭が固いっていうか。さすが、ザ・優等生だよねえ」
ねちねち文句を言う葵と晴がわずらわしい。
麗はマップアプリのナビを見ながら、スマホを握る手に力を込めた。
あんたたちの頭を何度も塀に叩きつけて、気絶させてやろうか!
情けない姿をウラアカに晒してやりたい。
妄想にふける麗の後ろで、晴がずっと歩きスマホをしている。
「さっきから何やってんだよ」
葵が怪訝な顔を向けた。
「……あった」
手を止め、画面を葵に見せた。
「盗撮動画の販売サイト、探してたんだ。何回か弾かれたけど、やっとサイトに入れたよ。この体操服、九南学院のだ」
更衣室を上から撮影した動画のサムネイルを凝視した葵が、眉間に皺を刻んだ。
「盗撮の噂、本当だったってこと?」
振り向いた麗が、顔を歪めた。
「そうみたい。けっこうな高値で取引きされてる」
「胸糞わりいな」
……クズすぎる。
心の奥から怒りが燃え上がる。
麗の体がわなわな震える。
晴のスマホを放り投げたい衝動を抑えて、唇を噛みしめた。
許せない。絶対、犯人捕まえてやる!
ナビを終了する音声案内が聞こえ、足を止める。
左側の一軒家の表札に「牧野」と記されている。
葵と晴に目配せをする。
「押せ」
葵が顎でインターホンを指す。
私が? ……そうなるか。
反発心を堪え、緊張の面持ちでインターホンを押す。
ピンポーン。
間延びした音が響く。
『……どちらさまですか?』
くぐもった女性の声が返事をした。
麗はごくりと唾を飲み込み、インターホンを見据えた。
「九南学院の生徒です。牧野浩平さんにお会いしたいのですが」
息を呑む音がして、すぐに玄関が開いた。
「お友達が来てくれるなんて、何年振りかしら。さあ、あがって」
白髪交じりの中年の女性が、泣きそうな顔で門を開けた。
友達ではないと言う暇もなく、背中を押されてリビングに通された。
「浩平くんの部屋、上ですか? ぼくたち、話したいことがあって」
晴が天使のスマイルを向けて、階段を指差した。
「上がってすぐ左の部屋よ。あの子、部屋から全然出てこなくて……。口下手だけど、悪い子じゃないのよ。だから、仲良くしてね」
母親は涙ぐみながら、上階を見上げる。
重たい期待が、痛い。
引きこもりたくなる気持ちも、分かる。
まだ見ぬ牧野浩平に、麗は同情した。
晴を先頭に、足早に階段を上っていく。
一刻も早くこの家から立ち去りたい。
「ああいう親、まじでキライ」
スマイルを一瞬にしてしかめっ面に変えた晴に、葵が頷いた。
「とっとと話して帰ろうぜ」
トントン。
晴が部屋の扉をノックして、声をかけた。
「牧野先輩? ぼくたち、九南高校の1年なんですけど、確認したいことがあって来ました」
返事がない。
晴が強めにドアを叩く。
ドンドン、ドンドン。
「牧野せんぱーい!」
またしても反応がない。
苛立った葵がドアノブを回すが、鍵がかかっていて開かない。葵は乱暴にノブを回しながら、扉を拳で激しく叩いた。
ガチャガチャッ!
ドンドンッ!
「開けろよ!」
扉が壊れそうな勢いに、麗は顔をひきつらせた。
……借金取りみたい。
ドンッ!
中から、扉を叩く力強い音がした。
「うるさい!」
くぐもった怒鳴り声。
「いるじゃねえか」
「先輩、開けてくださいよ」
葵と晴がまたドアを叩こうとすると、刺々しい声が返ってきた。
「誰だよ、おまえら。こっちは話すことなんて何もねえよ。帰れ!」
葵の顔が歪む。
「いい度胸してんじゃねえか」
ボキボキッと関節を鳴らし、正拳突きの構えをとった。
「ま、待って! さすがにそれは駄目!」
麗は扉を守るように慌てて両腕を広げ、扉に向かって話しかけた。
「乱暴なことをしてすみません。学校のウラアカのことで、来たんです」
ガタッと物音がする。
「……牧野先輩が、ウラアカを作ったんですよね?」
問いかけると、しんと静まった。
物音ひとつ聞こえない。
麗が扉に耳を近づける。
その途端。
わずかに扉が開いた。
扉の隙間から、黒ぶち眼鏡をかけた面長の顔が半分だけ見えた。
「……何でおまえらが」
浩平が目を見開き、警戒と不審の眼差しを向けた。
「ぼくたちのこと、知ってるみたいですね。ウラアカ運営してるんだから、当然か」
晴が口角を上げる。
「今すぐウラアカ削除しろ」
葵が扉を掴んで強引にこじ開け、薄暗い室内に足を踏み入れた。
「な、何言ってんだ」
顔をひきつらせた浩平の視線が、一瞬だけ背後のデスクトップパソコンに向く。
葵の後ろから入ってきた晴が、パソコンの画面を覗き込む。
「初対面のくせに、ウラアカ作っただの、削除しろだの、意味わかんねえよ!」
浩平は慌てて画面を隠し、目をつり上げた。
「説明する必要ねえだろ」
「とっとと削除してくださいよ。いらないでしょ、あんなもの」
葵と晴が冷たい眼差しで浩平を見下ろす。
「嘘か本当か分からない噂話だらけだし、隠し撮りされて憶測で嫌なこと投稿されるし、本当に困ってるんです」
2人の後ろから顔を出した麗が訴えた。
「そんなん知るか!」
浩平はパソコンの電源を落として声を荒げた。
「ウラアカのせいで、傷つく人がいるんです」
声が震える。
それでも、目を逸らさず、一歩近づく。
「お願いします。削除してください」
振り向いた浩平の眉がわずかに動く。奥歯を食いしばると、机の横に飾ってあるモデルガンを手に取った。
「おまえら、出てけ!」
葵が鼻で笑うと、浩平は安全装置を外して銃口を葵に向けた。
「改造銃だからな! 馬鹿にしてると痛い目みるぞ」
葵が眉を寄せ、麗は息を呑んだ。
「脅しじゃなさそうだね。帰る前にひとつ聞きたいんですけど、牧野先輩、自分が噂されてるって知ってました?」
晴は両手を上げて肩をすくめた。
「それがどうした」
晴に銃口を向ける。
「先生に、書類を改ざんさせたんじゃないですか?」
銃口が一瞬下がる。すぐに両手で持ち直し、晴に照準を合わせた。
「……おまえら、さっさと出てけ! まじで撃つぞ!」
銃を構えたままじりじりと近づいてくる。
「てめえ、調子乗ってんじゃねえぞ!」
銃を奪おうとする葵を、晴と麗が止め、部屋の外に出た。
バタン!
扉は勢いよく閉められ、すぐさま鍵がかけられた。
葵は怒り任せに、扉を拳で殴ると、舌打ちをして階段を駆け下りる。
浩平の母の横を葵は無言で通りすぎ、リビングを出ていった。
「あの子、怒らせるようなこと言っちゃったかしら? よかったらこれだけでも食べていって。あの子の大好物でね、とってもおいしいのよ」
2階から下りてきた晴と麗に、浩平の母が眉を八の字にして話しかけた。
「ありがとうございます。持って帰りますね」
シュークリームをひとつ取ると、晴はさっさと玄関に行った。
「頂きます。お邪魔しました」
麗は頭を下げながら、葵の分のシュークリームも持って、急いで靴を履いた。
外に出ると、門の前でふてくされた顔で立っている葵が、麗の手からシュークリームを奪って大口で頬張った。
既に食べ終わっていた晴が、口の回りを舐めて満足気な笑みを浮かべた。
「さすが、行列ができる人気店。うまいね」
葵が手に付いたカスタードを舐めて呟いた。
「まあまあだな」
呆れ顔の麗は、カーテンが閉まっている2階の窓を見上げた。
「麗ちゃん、行くよ」
数歩先を行く晴が手招きをしている。麗は早足で追いかけた。
カーテンがわずかに揺れ、人影が通りすぎた——。
空一面が茜色に染まる頃。
葵が濡れた髪をタオルで拭きながら、リビングの椅子に腰かけた。
唐揚げを揚げている麗の後ろ姿をぼうっと眺める。
「あっ!」
ソファに寝転んでいた晴が、大声を出して飛び起き、スマホの画面を凝視した。
「何だよ、うるせえな」
顔をしかめて耳をふさぐ。
「これ、麗ちゃんじゃない?」
盗撮動画の販売サイトに表示されている、動画のサムネイルを指差した。
更衣室で、体操服に着替えている数人の生徒の中に、麗の姿が小さく映っている。
葵の眉間に深い皺が刻まれる。
「クソがっ!」
肩にかけていたタオルを床に叩きつけ、怒りを露わにした。
「な、何っ?!」
山盛りの唐揚げを運んできた麗が、驚いた拍子に危うく皿をひっくり返しそうになる。
「麗ちゃん、大丈夫?」
晴が慌てて支えた。
「あ、うん。急に怒り出して、どうしたの?」
葵はいぶかしげな表情の麗から目を逸らし、晴のスマホを睨みつけた。
晴が動画のサムネイルを麗に見せ、眉を寄せた。
「どこで撮影されてるのか調べようと思って、サイト見てたんだけど。そしたら、さ」
画面に映る自分を見つけた麗は、背筋がぞっとした。
「う、映ってる……」
私も、被害者だった……?
足元が崩れ落ちて、底の見えない穴に落とされたような絶望感。
遅れて込み上げてくる恐怖と怒り。呼吸が乱れ、指先が震える。
「ふざけやがって」
髪をぐしゃっとかきあげる葵に、麗はちらりと視線を向けた。
……何で、葵が怒ってるの?
少しだけ、心が軽くなる。
「サムネイルだけでも、撮影場所は分かったよ。更衣室、部室、教室、それに、トイレ。カメラしかけてるの、女だろうね」
「見せて」
晴からスマホを受け取った麗は、指を動かしながら縦に並んでいるサムネイルを凝視した。
「こんなにたくさん? ……あれ?」
麗は目を凝らした。
「教室の動画、ほとんど私たちのクラスだ」
一気に血の気が引く。
「足しか映ってないのに、分かるの?」
晴が首をかしげる。
「上履き、靴下、鞄、どれも見たことあるのばっかり」
頭の中に、クラスメイトたちの顔が浮かんでは消える。
「他のやつの上履きとか鞄とか覚えてんのかよ。キモイな」
葵がスマホを奪い取り、晴に放り投げた。
唐揚げ投げつけてやろうか!
麗は拳を握りしめて、葵を睨みつける。
「……1年3組に、犯人がいる?」
顎に手を当てて考え込んでいた晴が、ぼそっと呟く。
「いや、でも他の教室の動画もあったし、断言はできないでしょ。教師が犯人の可能性もあるし……」
麗は自分で言いながら、恐ろしくなった。
同じクラスに犯人がいるなんて、思いたくない。
教師が犯人っていうのも、信じられない。
けど、内部犯は濃厚。
足元から一気に体が冷える。
嫌な汗が背中を伝う。
——このままじゃ、被害者が増える。
私にできること……。
「そうだ。私が囮になる!」
麗は箸を握りしめ、頷いた。
「何言ってんだよ」
「どうやって囮になるのさ」
葵と晴が呆れ顔を向けてくる。
「販売サイトで、『1年3組の長宮麗の動画が欲しい』って連絡を取るの。そしたら私の席の近くにカメラを隠すはず」
腰に手を当て、自信ありげに胸を反らした。
「駄目だ」
「駄目だよ」
葵と晴の声が揃った。
「何で? 良いアイディアなのに」
口をとがらせてあきれ顔の2人を見る。
「個人名出すとかアホか」
「怪しまれて、余計に警戒されるよ」
「じゃあ、どうするの? 早く見つけないと、被害者が増えてくし、公になったらまずいよ」
イライラしながら、箸で机を叩く。
「犯人を捕まえるよりも、サイトを削除した方が早いよ。牧野浩平に、ウラアカと一緒に販売サイトも削除させればいい。ハッキング歴あるなら、それぐらいできるでしょ」
晴は人差し指を立てて、自分のスマホを指差した。
「そんな簡単にやってくれるとは思えないけど」
銃を向けてきた浩平を思い浮かべた麗は、首を捻った。
「脅せばやるだろ」
不敵に笑った葵が、指の関節を鳴らす。
「それは駄目! 暴力反対!」
麗は首を横に振って、顔の前でバツ印を作った。
「アオはすぐ暴力に走るんだから。ぼくみたいな優しさも必要だよ」
「腹黒のくせに何言ってんだよ。おまえのせいで殴り合いになった女どもを、嘲笑ってただろうが」
「そんなことあったっけ?」
人畜無害な柔らかい笑顔に、誰もが騙される。
かくいう麗も、6年前、鹿島家に来てすぐ騙された。
「麗ちゃんの味方はぼくだけだからね。アオにひどいこと言われたら、ぼくに言ってね」
晴の前では、強張っていた表情が緩んだ。あの笑顔に救われていた。
……本性を知るまでは。
鹿島家に来て間もない頃。
葵の部屋を掃除中、ロボットのプラモデルを落として、腕が取れてしまった。
咄嗟に晴の顔が浮かび、壊れたロボットを見せた。
「大丈夫だよ。ぼくがやったことにしてあげる」
あの笑顔を信じた。
——なのに。
晴は葵に、粉々になったプラモデルを渡して、麗がやったと言ったのだ。
葵は顔を真っ赤にして怒鳴りながら、プラモデルの破片を麗に投げつけてきた。
そして、扉の外。
晴は三日月型に目を細めて、愉快そうに笑っていた。
その瞬間、理解した。
……騙された。
暴力的で威圧的な葵と、腹黒ドSの晴は、まさしく最恐最悪の双子だ。
北風と太陽だと思っていたのに、まさか太陽が暴風雨になるなんて誰も思わない。
そうだ。北風じゃ駄目なら……。
「私が太陽になる!」
「「はあ?」」
目を瞬かせる葵と晴に、麗はにんまりほくそ笑んだ。
