アオハルな恋とウラらかな復讐

「……ガチ?」 

ギャルがぽかんと口を開け、麗の顔を凝視した。麗を抑えつけていた女子たちが手を離し、全員の視線が集まる。

 何なの、この反応。

 視線から逃れるように、目を伏せる。薄汚れたスニーカーで砂利を踏みしめる。

 ……気持ち悪い。

 胸の奥で、どろっとした感情が渦巻く。息が、詰まる。重苦しい息を吐き出した。

「すっぴんなの?」
「まつげ長いし、肌きれいすぎ!」
「その前髪でわざと隠している? なぜに?!」

目を見開いた杏奈、佳奈、彩夏が、ずいっと詰め寄ってきた。後退ると、背中が用具倉庫の扉に当たった。逃げ場がない。

「……葵の命令で、仕方なく」
「本当に?」
「信じられない」

杏奈と彩夏は、青ざめた顔で固まった。

 そんなこと言われても、事実なのに。下僕に選択肢はない。

「ハ、ハルさまは、そんな命令、してないっしょ?」

佳奈が唇を震わせながら、真剣な顔で問いかけてくる。

 こんな変な命令してくるのは葵だけだ。
……でも、晴も命令したって言ったら、どうなる?
 どろどろした感情から生まれたもうひとりの自分が囁く。
こんな嘘、大したことない。こいつらが傷つく? そんなのどうでもいいじゃん。私は被害者なんだから。

麗は佳奈を見据えて、口を開いた。

「……晴にも、命令されました」

 言っちゃった。でも、完全に嘘ではない。切れとは言われてないから。

「そんな……。晴さまも……?」

佳奈を筆頭に、全員こと切れた人形のように、その場にうずくまった。

何でこんなにショック受けてるの?
ちくり。
胸に棘が刺さったような感じがする。それを振り払うように胸のあたりをぎゅっと掴む。
そそくさとその場を後にして、少し離れたところで足を止めた。
晴れ渡った青空を見上げる。雲の隙間から太陽が顔を覗かせる。この時期にしては強い日差しに、目が眩む。

「はあ」

溜息をついて、とぼとぼ歩きだした。
あの人たち、2人がやくざの息子だって知ったら、ファンクラブ解散するだろうな。だけど、本当に知られたら、私の高校生活は終わってしまう。もしも、それがバレて、ウラアカに晒されたら……。

理事長と組長の顔を想像するだけで、背筋が凍る。

作成したやつ絶対に見つけて、早く削除させないと!

 決意を胸に、拳を突き上げる。
すると、体育館の角から、突然葵が飛び出してきた。

「わっ!」

ぶつかる寸前で葵が避ける。
麗の足がもつれてこけそうになり、目を閉じる。だが、地面にぶつかる衝撃は来ない。代わりに、手を強く掴まれ、ぐいっと引っ張られた。

「あぶねえだろ」

目と鼻の先に葵の顔がある。

「えっ……?」

葵に、助けられた?
 目を瞬かせて、葵に掴まれた手を見る。豆だらけのごつごつとした手の中に、自分の手がすっぽりおさまっている。

「……っ!」

麗の視線に気づいた葵は、顔を赤くして麗の手を振り払った。

「おじさんが呼んでる。行くぞ」

ポケットに手を突っ込んで歩き出す。

「……はい」

麗は掴まれていた腕をさすりながら、後をついていった。

昼休憩の後は、部活や委員会の交流の時間。その前に、理事長から「人目を避けて理事長室に来なさい」と呼び出しがあったらしい。
 スマホを鞄に入れっぱなしだったので気付かなかった。おかげで、晴に皮肉たっぷりな嫌味を言われてしまった。

「麗ちゃん、スマホって携帯電話なんだよ。携帯してなかったら意味ないよ?」

冷笑する顔が憎たらしい。

「学校では基本、スマホ禁止じゃないですか」

唇を尖らせる麗の頭を、葵がしおりで軽く叩いた。

「バーカ。しおり読めよ」
「どこにそんな……」

晴が葵から奪ったしおりの表紙を1枚めくって、見せてきた。

「オリエンテーリング中は、スマホの使用を許可しますって、堂々と書いてあるでしょ。これ見逃す人、なかなかいないよ?」

馬鹿にしたように、晴がくすくす笑った。

どうりでみんな普通にスマホを持ってたわけだ。……じゃなくて! 一言多い! 殴ってやりたい!

 麗が拳を震わせていると、扉の向こうから入室を促す理事長の声が聞こえてきた。葵を先頭に入ると、ソファに座っている理事長が、人の良さそうな笑みを浮かべた。葵と晴は表情を強ばらせ、麗は2人の背後にそっと身を隠した。

「な、何?」
「前向け」
「気にしないで」

振り向くと、2人に両頬を押さえられ、前に向き直された。

「遅かったじゃないか。そこ、座って」

優しい声音なのに、威圧感がある。瞳の奥に苛立ちの色が見える。

笑顔なのに、怒ってる……?

ひとつのソファに3人で腰かけ、麗は緊張の面持ちで理事長に目を向けた。

「で、何か報告することは?」

長い足を組んで目を細める。

「ウラアカ作成者は、フクロウさんに頼んだよ」

晴が即答する。

「そうか。他に情報は探れたかい?」

明後日の方を見る晴と葵から目をそらした理事長は、麗に笑顔を向けた。
 杏奈から聞いた、教師の不倫と盗撮の噂を伝えると、理事長の顔から笑顔が消えた。

「不倫はともかく、盗撮は見過ごせない。外にもれたら大問題だ」
「犯罪じゃねえか」

葵が低く唸り、晴も不快そうに目を細める。

「盗撮の真相を突き止めなさい」

銃で撃つかのように、人差し指を葵、晴、麗に向けた。

「うぇっ」
「えー」

あからさまに嫌そうな顔をする葵と晴。

「理事長命令だ。文句あるかな?」

理事長が柔らかく微笑む。葵と晴は背筋を伸ばして、首を横に振った。
 優しい笑みの裏に、一体どんな恐怖が潜んでいるのか。計り知れない理事長の恐ろしさに、麗は身がすくんだ。

晴が何か思い出したような顔で、理事長を見た。

「2年の牧野浩平って生徒知ってる? 不登校らしいんだけど、おかしいって噂されてたよ」
「おかしい?」

理事長の目が針のように細くなる。

「1年の6月以降、学校に一回も来てないのに、進級できたの変じゃないかって」
「牧野浩平、か」

理事長は壁際の書類棚に移動すると、分厚いファイルを取り出してペラペラめくった。

「あった。2年1組、牧野浩平。少人数制の授業には、出席しているようだ。教室は別棟にあるから、登校していないように見えたんだろう」

用紙の上に指をはわせながら、理事長は頷いた。

「それがさ、ウラアカに『この1年で、牧野浩平を見た人、いなくない?』って投稿したら、1時間しない内に削除されたんだよ。なんか、あやしいよね」

晴が肩をすくめると、理事長は眉間に皺を寄せた。

「投稿は、自分以外でも削除できるのかい?」
「内容によっては通報されて、運営側に削除されることもあるよ。でも、通報の通知は来なかった。勝手に削除されるなんてありえないでしょ」

理事長は頷いてファイルを閉じた。

「牧野については私も調べておこう。君たちは、ウラアカ作成者と、盗撮の真相を探ってくれ。あとは、オリエンテーリングを楽しむこと」
「「は?」」

葵と晴が声を揃えて、怪訝な顔をした。理事長は頬を緩め、目尻に皺を作った。

「学生の時の経験は、大人になってから染みるものだ。今はまだ、分からないかもしれないが」

理事長の瞳の奥に、懐かしい温もりを感じる。
 麗は両手を握り合わせ、奥歯を噛みしめた。

 あんな目で見てくれる人は、もういない。当たり前の日常も、優しかった母も、全部父が奪った。憎くて、憎くて、たまらない。

 6年前から、募った父への恨みは、麗の胸の奥でずっと沈殿している。足元からずぶすぶと沈んでいきそうになるのを、葵と晴への恨みに置き換えて、必死に堪えてきた。 
すべてを失ったあの日の記憶は、頑丈に蓋をしていても、ふとした時に蘇ってしまう。

小学4年生の夏休み最終日。一段と暑い日だった。エアコンなんてないおんぼろアパートでは干からびて死んでしまいそうで、朝からプールに行ってお昼に家に戻った。
母は、早朝から深夜まで働いているため、家には誰もいない。
だが、ドアが少し開いている。鍵をかけたはずなのに。
ドアの隙間から狭い玄関を覗くと、母のボロボロのスニーカーが、雑に置かれてある。だが、室内に母はいない。
浴室の扉の向こうから、水の流れる音が聞こえる。
心臓がバクバク高鳴る。
恐る恐る扉を開けた瞬間——。

「え?」

目に飛び込んできたのは赤一色。浴槽に赤色の絵具がぶちまけられているのかのようだ。
蛇口から水が出続けているせいで、浴槽から水があふれ出て、床が真っ赤に染まっている。
 左腕を浴槽につけて、背を向けて座り込んでいる人がいる。

「はっ、はっ、はっ」

自分の荒い呼吸が反響する。
真っ赤な床に足を踏み入れ、おそるおそる顔を覗き込んだ。
青白い顔で、目を閉じている。
まぎれもなく、母だ。
血の気が引いて声が出ない。よろめきながら浴槽から出て、畳の上に座り込んだ。

 お母さん、どうして……。

 背中がカラーボックスにぶつかり、写真立てが落ちた。麗が1年生になったばかりの頃、喫茶店の前で、親子3人で撮った写真。手に取り、笑顔の両親を呆然と見つめる。

両親が営んでいた喫茶店は、いつも人で賑わっていた。
この年の春、全てが壊れた。父が突然姿を消した。店は閉まり、母はこの古いアパートに引っ越して、朝から晩まで働くようになった。時々、柄の悪い男たちが来ては、低い声で何かを話していた。
「借金取り」
誰かに言われたその言葉が、妙にしっくりくる。

茫然自失の状態でいると、柄の悪い男たちが部屋に入り込んでいた。母の居場所を聞かれ、震える指で浴室を指す。すぐに、悲鳴と悪態が響いた。男たちに向けられた視線が、脳内にこびりついている。
——同情と憐れみ。
胸に開いた穴が、広がっていく。

 気づけば、見知らぬ事務所にいた。目の前には、人相の悪い大男。向かいの席には、煙草をくゆらせる男がいた。鹿島組組長の、鹿島健一。

「名前と年は?」

煙草の煙を吐きながら、値踏みするような目でじっと麗を見つめた。

「……長宮麗、10歳」
「あいつらと同い年か。ちょうどいいな」

冷たく低い声。背筋が震える。

「今日からおまえは、倅たちの“モノ”だ」

その言葉が、深く突き刺さる。
 私は、“人”ですらなくなった。

連れていかれた先で、葵と晴の前に誕生日プレゼントとして渡された。
2人は怪訝な顔で、声をシンクロさせて一言。

「「何これ」」

それが最初の言葉だった。誕生日プレゼントが人だということに、一切驚いていない。

「好きに使え。だが、壊すんじゃねえぞ。心ってのは繊細で厄介だ。心が壊れちまったら……」

組長が冷淡な視線を麗に向ける。

「自ら死を選ぶことだってある」

——おまえの母親のように。
そう言われているみたいだった。

 そうか。お母さん、心が壊れちゃったんだ。だから……。

 浴室で見た母の顔が浮かぶ。

もう二度と母の顔を見ることも、声を聞くこともできない。
母はもう、いない……。
 
「うわっ、泣いてんの? なんだよこいつ」
「父さん、この子どこか痛いの?」

顔をしかめる葵と、眉を下げる晴が、涙で滲んだ。
ポタポタ大粒の雫が、頬を伝って流れていった。  

「さあな。泣かせて発散させておけ。我慢させたら、いつ壊れるか分かんねえよ」

組長の言葉で塞き止めていた壁が決壊した。
一度声を出したら止められなくなり、大声で泣きわめいた。
葵は迷惑そうな顔をしていたが、泣き止むまで何も言わずそっぽを向いていた。観察していた晴の表情が、だんだん愉快げな笑みに変わっていき、ニヤニヤし始めた。気味が悪くなって昂っていた気持ちが落ち着き、涙は引っ込んだ。

「おまえ、俺の下僕な。俺が命令したこと全部やるんだぞ」

葵が偉そうな態度で指を突きつけてきた。

「ぼくはアオみたいに乱暴なことしないからね。アオがひどいことしてきたら、ぼくに言うんだよ」

一方で晴は、ペットにするように頭をなで、天使のような笑顔で微笑んだ。

この6年間。
葵には下僕として、晴にはモルモットのように扱われてきた。恨みは積もりに積もっている。
だが、母を死に追いやる原因を作った父への恨みは比べ物にならない。
——あの日から、全部狂った。
日常も、家族も。
何もかも。
憎くて、憎くてたまらない。
必ず探し出して、復讐してやる。

 底なしの怨恨の沼に沈んでいく。漆黒の闇に視界が遮られる。
 
 
「麗」
「麗ちゃん?」

葵と晴の呼ぶ声に、麗の意識は沼から引き上げられた。瞬きをすると、怪訝な表情の葵と晴の顔が目の前に見えた。

「な、何ですか?!」

のけ反ると、葵がデコピンをしてきて、晴は苦笑を浮かべた。

「いたっ」

麗が額を抑えている間に、葵はひとりで階段を駆け下りて行った。
 いつの間にか、理事長室を出ていたらしい。

「ずっと黙って俯いてたから、心配になっちゃったよ。もうすぐカレー作り始まるって。行こう」

晴がくすくすと笑い、麗の手を取った。

「手、離してください」

冷たい晴の手を振り解くと、眉を下げて残念そうな顔をした。

「あ、そうだ」

スマホを取り出すと、ウラアカウントの投稿画面を見せてきた。

「ウラアカとファンサイト、麗ちゃんのことで炎上してるよ」
「え?」

『長宮麗、妹説濃厚! あの前髪は、ツイプリの妹溺愛の証拠‼』
オリエンテーリング中の麗の画像が、投稿されている。

「ファンサイトには、麗ちゃんの素顔がとんでもない美人で、ぼくらが悪い虫から麗ちゃんを守るために、前髪を伸ばして顔を隠せって命じているって書いてるんだけど」

晴はスマホを操作しながら、首を傾げた。

「そんなこと、一言も言ってないです。……ファンの人たちに、前髪を切られそうにはなったけど」
「うわー、それイジメじゃない? 女の子って、怖いねえ」

笑顔で言う晴の方がよっぽど怖い。

「まあ、ファンサイト見る限り、これ以上麗ちゃんにちょっかい出さなそうだけどね」

冷たい目線をスマホに向ける。

「ぼくらが溺愛してる麗ちゃんをいじめれば、嫌われちゃうってさ。……自分本位すぎて、笑える」

言葉とは裏腹に、晴の顔には表情がない。

「前髪、切らないでね」

天性の人たらしの笑顔。

「前は、切れって言ってませんでした?」

麗は警戒して、肩をびくつかせた。

「前は、ね。でも、先に伸ばせって命令したのアオだから」
「2人が真逆の命令をした場合は、先に命令した方の言うことを優先させる。そういうルールですよね」
「そう。どうせ葵の命令が優先だし、いいでしょ」

葵と晴の命令は絶対。
 拒否権などない。
 前髪なんてどうでもいい。でも、自分のことすら、自分で選べない。髪も、人生も。
 6年前、奪われたままの自由。
 胸の奥に閉じ込めた過去が、静かに疼いた。