ペアの2年生と4組1チームで集まったものの、最悪なメンバー構成になった。
葵に敵意むき出しの、柔道部先輩。
不快感丸出しの、2年生首席。
双子のファンの女子たち。
平穏なオリエンテーリングになるはずがない。
「てめえが鹿島葵か!」
葵のペア、片倉弘人が突然葵の胸ぐらを掴んで睨みつけた。
「だったらなんだよ」
睨み返す葵の腕を麗が引っ張り、晴が人当たりの良い笑みで問いかけた。
「先輩、アオが何かしました?」
「兄貴を投げ飛ばして、恥かかせたじゃねえか!」
葵は、相手の腕を掴んで捻り上げ、冷笑した。
「忘れたな。何の話だ?」
「てめえ!」
カシャッ、カシャッ。
「撮るな」
スマホを向けてくる2年の間山佳奈に、葵がすごむと、頬をピンクに染めてとろけた顔で頷いた。
「ごめんなさ~い」
「アオじゃなくて、ぼくと写真撮りましょうよ。先輩」
晴の微笑みに、佳奈はスマホを取り落とした。
「尊死……」
佳奈は唖然として、膝から崩れ落ちた。
「ちっ。何で馬鹿みたいなチームと行動しないといけないんだ」
晴のペア、田島賢一は眼鏡を指で押し上げ、顔をしかめて呟いた。
「こいつ、首席。基本、アホだけど」
葵に指差され、麗は怒りを込めて拳を握りしめた。
「本当に首席か? 5教科の合計点数は?」
賢一が不審な目を向けてきた。
「498点でした」
「なっ……!」
賢一は目を見開く。ずれた眼鏡を直すと、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「皆さん。しおりの地図を見ながら、スタンプを集めていってくださいね。制限時間はお昼のチャイムが鳴るまで。それでは、スタートしてください」
澪が言い終わると同時に、ピストルの音が校庭に響き渡った。
生徒達が一斉に裏門に向かって移動していくなか、弘人が葵に指を突きつけた。
「鹿島葵、俺とおまえ、どっちが先にスタンプを集めるか勝負しろ」
「は? チーム戦だろ?」
葵はジャージのポケットに手を突っ込んで、肩をすくめた。
「そんなの関係ねえ。俺に負けたら柔道部入れ。何が特例だ。ふざけやがって」
「あっ、その話、ウラアカに投稿されてた!」
佳奈がスマホ画面を触りながら、声を上げた。その横から、麗のペアの中村杏奈が小声で囁いた。
「私も、見たよ。白バックに、黒文字だけで書いてあったやつだよね」
杏奈の肩を佳奈が叩いて、大きく頷いた。
「そう、それ! 堅苦しい、連絡事項みたいで、先生が書いてんじゃね?って噂になってさ。ガチで先生だったらうけるんだけど」
麗の隣にいるクラスメイトの野崎彩夏が、ぼそっと呟いた。
「その説、有力」
「えっ?」
麗が聞き返すが、彩夏は黙ってしおりに目を落とした。
もしかして理事長? 削除したいはずのウラアカを利用するとは……。
「麗ちゃん、行こう」
晴が強引に手を掴んで歩き出した。
いつの間にか葵は、弘人と走り出していた。
「でも、ペアと行動しないと」
「どうせチーム戦なんだから、同じだよ」
晴が飄々と笑う。
ぞくりと悪寒がして振り向くと、女子3人の鋭い視線に射抜かれ、さっと視線をそらした。
「……手、離してください」
「離さないよ。麗ちゃんは、ぼくの“モノ”だからね」
嗜虐的な笑みが恐怖を誘う。繋がれた指先がひどく冷たい。
——逆らうな。そう言われているみたい。
晴から目を逸らし、裏門を見据えた。
裏門を出ると、駐車場の向こうに竹林と森林が広がっている。更に奥には、テニスコートやゴルフコースなどもある。全てのスタンプを集めるには、広大な敷地を1周しなければいけない。余裕を持って歩く晴の横を、多くの生徒達が駆け抜けていく。それに紛れて、賢一は姿を消してしまった。
「ハルさま~」
割って入ってきた佳奈に押された拍子に晴の手が離れ、麗は転びそうになった。
「うちと一緒に回ろうよ。2人で」
麗のことなど眼中にない佳奈は、猫撫で声で晴の腕にしがみつく。晴は微笑み、佳奈の腕をやんわりはずした。
「抜けがけは許さな……じゃなくて、ペアは私です。ペアと一緒じゃないと、スタンプもらえませんよ」
彩香がむすっとした表情で、佳奈に非難の目を向ける。
「えー、そんなの聞いてないしー」
「しおりに書いてあります」
彩香がしおりを広げて、小さな文字を指さす。
スタンプは、ペアと一緒にもらうこと。チーム全員が、そろってゴールすること。
「ははっ。アオと先輩、勝負の意味ないじゃん」
肩を揺らして笑う晴の顔を、佳奈と彩夏は頬を染めて見つめた。
「あっ、田島君」
杏奈がはっとした顔で、前方を指した。竹林に入ってすぐのチェックポイントの前。生徒会の腕章をつけた生徒と賢一が、言い合っていた。
「面倒なルール作りやがって。鹿島晴、僕のそばを離れるな!」
賢一は晴に気づくと、怒りの形相で晴を睨みつけた。
「ハルさまが離れたんじゃなくて、あんたが勝手に、先に行ったんでしょー。ハルさまに指図してんじゃねーよ、がり勉」
「なっ、何で僕が、責められるんだっ!」
佳奈に詰め寄られ、賢一は顔を真っ赤にして目を吊り上げた。
全員分のスタンプを押してもらい、肩を怒らせて歩く賢一を先頭に、次々とチェックポイントを回った。
葵と弘人とすれ違うことなく、校庭に戻ってきた。
麗が校舎を見上げると、3階の廊下を爆走している2人の姿が見えた。勝負の意味がないのに、何をしているのか。
「バカだなあ」
晴が冷めた口調で呟く。
「おい、早く行くぞ!」
「はいはーい」
晴は不満気な顔で、校舎に入る賢一の後についていった。
「麗さん」
「はい?」
杏奈の方を向くと、もじもじしながら小声で話しかけてきた。
「ツイプリの、異母妹って噂、本当?」
「いや、それは……って、今、ツイプリって言いました? もしかして、先輩も?!」
顔を引きつらせる麗に、杏奈はファンクラブサイトの画面を見せてきた。
「この子さ、こう見えてツイプリのガチファン。ウラアカにも、サイトにも、一番ツイプリ情報投稿してんの」
佳奈が杏奈の肩に手を置いて、得意げな顔をした。
「もしや、アンアンさん⁉ 神がこんな近くにいたとは!」
彩夏が目を輝かせ、杏奈を見上げた。
「アンアン? 神?」
眉を寄せる麗に、杏奈が一歩近づき、真剣な顔で見つめてきた。
「それで、麗さん。どうなの?」
麗は目を泳がせて口を引き結んだ。
異母妹だって言っちゃおうかな。でも、あいつらと血が繋がってるなんて、嘘でも嫌だ。とりあえず、この状況を切り抜けないと。
「私も聞きたいことがあるんです。答えてくれたら、私も答えます」
杏奈は驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んで頷いた。
「うん、いいよ」
「あっ、今はまずいかも」
彩夏が昇降口を見て、ぽつりと呟いた。
葵が校庭に飛び出してきたと思ったら、すぐ後から弘人が追いかけてきた。
「待て!」
「待つわけねえだろ。最後も、おれが先だ」
体育館に向かって走る葵と一瞬目が合うが、何も言わずに通り過ぎた。
「ねー、競争しても意味なくなーい?」
佳奈が声をかけると、息を切らしながら、弘人が返事をした。
「チェックポイント、ごとに、どっちが、先につくか、競ってんだよ!」
「うわー。男子ってアホ。やっぱ、ハルさま推しだわ」
小さくなっていく弘人の背中に、佳奈が呆れた顔を向けた。
「いえ。子供っぽいアオさま、推せます」
ぐっと拳を握りしめた彩夏が、目を光らせた。
「ふふふふ。アオさまの走ってる姿、ゲット」
杏奈が不敵な笑みで、スマホの上で高速に指を動かしている。佳奈と彩夏が、杏奈の手元を覗きこんだ。
「さすが、アンアン。やること早っ」
「ウラアカではアオさまの後ろ姿、ファンサイトでは、ご尊顔! 神ってます」
「あっ、DM。……麗さん」
杏奈は手を止めると、麗の顔をじっと見てきた。
「お昼休憩の時、話さない?」
「あっ、はい」
杏奈は微笑むと、彩夏と佳奈と一緒に昇降口に向かって歩き出す。
ファンって言いながら、誰も葵と晴の気持ち、考えようとしてない。それって、なんか……。
「やだな」
こぼれた本音は、誰に聞かれることもなく、風に乗って飛んでいった。
無音の生徒会室に、乾いた通知音が立て続けに鳴る。
「さすが、ファンクラブの情報屋ね。ウラアカとファンサイトの投稿が止まらないわ」
スマホに触れた澪が、ふっと笑みをこぼす。
スクロールしていた指を止めて、澪はすっと目を細めた。
『異母妹疑惑の真相を突き止める。乞うご期待』
そして、目線の合っていない麗の顔。
「長宮、麗」
コンコン。
扉がノックされ、澪はスマホの画面を裏にして机に置いた。澪の返事を待たずに扉は開かれ、女子生徒が入ってきた。
「澪ちゃん、スタンプラリーの順位、まとめておいたよ」
深緑色のリボンを揺らしながら、快活な笑みで用紙を1枚手渡した。
「紬先輩、ありがとうございます」
澪は渡された用紙に目を通すと、少し驚いた表情をした。
「あら。一番まとまりがなかったHチームが、3位? すごい追い上げですね」
「そうなんだよ。トップでゴールした鹿島と片倉ペアが、他のメンバーの尻を叩いてさ。秘密のご褒美効果で、今年はチームのまとまりが良さそうだよ。澪ちゃんの狙い通りだね」
親指を立てる紬に、澪は柔らかく微笑んだ。
「いえ、副会長の紬先輩が、私の意見を尊重して賛同してくれたおかげです。いつも助かっています」
「もう、澪ちゃんってば、本当に良い子なんだから! 澪ちゃんのやることに反対する人なんていないからね!」
澪の両手を握りしめた紬は、やる気に満ちた顔を近づけた。
「そう言ってもらえると嬉しいです。順位の発表を、校内放送で伝えてもらってもいいですか?」
「もちろん!」
大きく頷いた紬は、用紙を持って生徒会室を後にした。
澪が小さな溜息をついた時、通知音が鳴った。
「はっ!」
澪は目を見開いて口元に手を当て、息を呑む。
素早くスクリーンショットをすると、にやけた締まりのない顔でしばらく画面を見つめた。
昼食後。
葵と晴の食器を片付けさせられた麗は、ひとり遅れて食堂を出た。
「麗さん、ちょっといい?」
振り向くと、硬い笑みを浮かべた杏奈がいた。
「……はい」
頷いた麗の背後に、佳奈と彩夏が無言で立った。
否応なしに、3人挟まれるようにして食堂から連れ出された。
怖いんだけど。でも、これってチャンスじゃない?
「杏奈先輩。ウラアカとファンサイトに、よく投稿しているんですよね?」
杏奈に尋ねると、足を止めて振り向いた。
「うん。……聞きたいことって、何かな?」
麗は悟られないように、拳をぐっと握り締めた。
「最近、ウラアカで噂になってることってありますか?」
「ウラアカの噂?」
杏奈が首をかしげて、きょとんとした表情をした。
「ウラアカって、嘘か本当か分かんない噂話ばっかじゃん」
佳奈が苦笑して肩をすくめる。
「アンアンの情報、一番信頼できる」
彩夏が信頼の眼差しを杏奈に向けた。
「杏奈先輩が信頼できる噂話を、教えてください」
前髪に隠れた麗の瞳が、きらりと光る。
「どうして、そんなこと知りたいの?」
何かを探っているかのような杏奈の微笑みに、麗の表情は強張る。
「えっと、それは……」
「無理に答えなくてもいいよ。気になってる噂、教えてあげる」
「……ありがとう、ございます」
さっきの表情、なんだったの?
胸の奥がざわつく。
「信ぴょう性が高いのはこれかな」
杏奈はスマホの上で指を滑らせて、ウラアカの投稿画面を見せた。
『放課後、教師の不倫現場を激写!』
教室で密着する男性教師と女性教師の後ろ姿の画像。投稿文には、教師の名前まで晒されている。
「えっ、町田先生?」
麗は目を見開く。
「クラスの大半知ってる」
彩香が淡々と言い、佳奈は顔をしかめた。
「男の方って、2年1組の葉山っしょ。奥さんいて不倫とか、ドン引きなんだけど」
杏奈は更に別の投稿を開いた。
『あやしいカメラ見つけた! 盗撮⁉』
投稿文と共に、小型カメラを映した画像が載っている。
「証拠は薄いけど、本当だったら大問題だよ」
杏奈が声を潜める。
不倫に、盗撮。もしこれが真実なら、学院の信用は崩れる。嘘でも、生徒の不安は煽られる。
——誰が、何のために?
再び歩き出した杏奈についていくと、校舎裏の用具倉庫の前で止まった。
なぜか1、2年生の女子たちが10人ほど集まっている。嫌な予感しかしない。
……どういう状況?
困惑していると、杏奈を中心にじりじりと詰め寄ってきた。
「あ、あの、何ですか?」
杏奈の後ろから、明るい髪色の女子が2人、鋭い目つきで麗を睨みつけた。
「うちらさ、あんたにガチギレしてんだよ」
「あんたみたいなキモいやつが一緒に住んでるとか、意味分かんないんだけど」
意味わかんないのはこっちなんだけど。これって、リンチだよね? 何で双子のせいで、私がこんな目に!
麗は拳を震わせ、前から疑問に思っていたことを口にした。
「ツイプリって、何なんですか? 勝手に盛り上がって、何が楽しいんですか?」
全員の顔が凍り付く。
その途端。
目を吊り上げ、一斉に怒鳴り出した。誰が何を言っているのか全く聞き取れない。杏奈も、佳奈も、彩夏も人が変わったように恐ろしい表情だ。
この人たち、どうかしてる。息が詰まりそう。……逃げたい。
退路を探っていると、落ち着きを取り戻した杏奈が、深く息を吐き出した。
「ここにいる皆は、中学の時から“ツイプリファンクラブ”のコアメンバーなの」
ファンサイトの画面を突きつけてきた。
トップ画面には、笑顔の晴と、不機嫌そうな葵の画像が載っている。
……本気で引く。ファンって言うより、もはや執着だ。
不快そうに顔を歪める麗に、杏奈は鋭い眼光を向けた。
「ねえ、麗さん。どうして2人と一緒に住んでいるの? 二股の毒女説まで出るんだけど」
蛇に睨まれた蛙のように、その場に足を縫い留められた。
毒女? しかも二股? 妄想も大概にしてほしい。あいつらの本性も知らないくせに。
最低最悪な双子だって言ってやりたい。私はあいつらの被害者だって言いたい。
でも……。
言い返したい気持ちをぐっと堪える。きっと、この人たちは信じない。腹立たしいほど盲目だから。
麗は唇を引き結び、押し黙った。
「いい加減しゃべれよ!」
我慢しきれなくなったギャル2人が、杏奈を押しのけて前に出てきた。
「あんたマジでなんなの? 陰キャ臭いし、その前髪まじキモイ!」
悪意のかたまりが、ぐさぐさと突き刺さる。
好きでこんな前髪にしてるわけじゃないのに。初対面の人達に悪口言われるなんて、理不尽すぎる。
「うちらで切ってやるよ。みんなー、こいつ、押さえてて」
にやついた顔でハサミを取り出す。
両腕を押さえつけられ、用具倉庫の扉に背中を押さえつけられる。逃げ場がない。息が、詰まる。
前髪を鷲掴みにされ、顔を持ち上げられる。
鋭利な刃先に、薄茶色の瞳が映る。
「やめて!」
声を張り上げ、体を捻る。
その時。
カラン。
ハサミの落ちる乾いた音が響いた——。
