「ねえ、ぼくたちのファンサイトあるって知ってた?」
晴が見せたスマホ画面には、『ツイプリファンクラブ』の文字。スクロールした先には、盗撮写真、行動記録、妄想じみた投稿が並んでいる。執着を通り越して狂気だ。
「アホらし」
葵は眉をひそめ、さっさと家へ入っていく。
怒るより先に、呆れているらしい。
「反吐が出るよね」
晴は笑顔のまま、冷たい目で画面を閉じた。
玄関では、葵が黒柴のサクラを撫でていた。麗が近づくと、サクラは唸り声を上げる。
「何で私だけ……」
「サクラもおまえを下僕だと思ってんだろ」
腹立たしいくらい、葵は楽しそうに笑った。
「おかえり~」
ふいに大きな手が、麗の頭に触れた。
「フクロウさん!」
「制服似合ってんじゃん」
フクロウはまるで幼い子供にするように、麗の頭をよしよしと優しく撫でた。
「ありがとう、ございます」
高身長のフクロウを見上げ、麗は苦笑した。
この年で子供扱いは、ちょっと恥ずかしい……。
「小さかった頃が懐かしいなあ」
梟に似せたゴッドイエローの瞳がわずかに細まる。
「くう~ん」
サクラが甘えるようにフクロウの足元に寝転がった。
「サクラちゃん、寂しかったでちゅか~?」
サクラを抱き上げ、フクロウは別人みたいに頬を緩めた。
相変わらず、動物への愛が引くほど重い。
「そうだ。久しぶりに、麗ちゃんの淹れたコーヒーが飲みたいな」
フクロウは麗に顔を向け、白い歯を見せた。
「……はい」
麗は小さく頷き、台所へ行った。
お湯を注ぐたびにコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
フィルターからポタポタ零れ落ちるコーヒーをぼうっと見つめる。
コーヒーは、嫌い。
香りが、幸せだったあの頃を思い出させる。
いつも笑顔に満ちていた両親の喫茶店。
湯気の向こうに、戻れない日々が滲む。
全部、もう戻らない。
コーヒーの淹れ方なんて、忘れてしまいたい。なのに、体が勝手に動く。まるで、両親の温かい手が添えられているみたいに。
最後の一滴が、褐色の水面に落ちる。
一瞬。
赤色に変わる。
心臓がきゅっと縮む。
思わずポットを落としそうになった。
唇を強く噛み締める。口の中に、血の味が広がった。
3人分のコーヒーを応接間に運ぶと、フクロウが真っ先にカップを手に取った。
「サンキュー。ん~、香ばしくて深い味わい。店出せるレベルだわ」
歯の奥がむず痒い。褒められているのに、息が詰まる。室内に充満したコーヒーの香りにむせ返りそうになる。
奥歯を噛み締めて堪えていると、ポケットの中でスマホが振動した。スマホを開くと、理事長からのメッセージが届いていた。葵と晴が同時にスマホを見て、同じタイミングで舌打ちをした。
「女か? ライオンみたいにハーレム作って女を蔑ろにしてたら、刺し殺されるかもしれねえぞ。おまえらの遺体は、掃除屋にお願いしてやるよ」
にやりと不敵に歪む口から八重歯が覗く。
「女じゃねえし。叔父さんからめんどくせえこと押しつけられちまったんだよ」
晴の手を雑に振り払い、葵は理事長からのメッセージをフクロウに見せた。
「ウラ風紀委員? よく分かんねえけど、おまえらをこき使うなんて、さすが姐さんの実弟だな」
口をへの字に曲げ、感心したように頷く。
「フクロウさん、理事長のこと知ってたんですか?」
目を見開く麗に、フクロウは苦笑した。
「おれを誰だと思ってんの。ウラ界隈で知らないやつはいねえよ」
……そうだった。ただの動物好きな変人じゃない。ウラアカ作成者も、きっとすぐ見つけられる。
その前に……。
『オリエンテーリングで、ウラアカの情報を集めなさい』
「オリエンテーリング?」
理事長からの指令に、麗が首を傾げる。
「1・2年合同の生徒会行事だよ」
晴が軽く説明する。
「めんどくせえ」
葵は露骨に顔をしかめた。
けれど、これは命令。
自由なんて、やっぱり簡単には手に入らない。
「そんなことより、フクロウさんにお願いしたいことがあるんだけど」
晴が人懐っこい笑みを浮かべる。
「ウラアカの作成者を探して欲しいんだ」
フクロウは晴に一瞥をくれると、麗に声をかけた。
「おれがやらないと、麗ちゃんが困ること?」
「……はい。困ると、思います」
「じゃあ、やるよ」
微笑んだフクロウは親指を立てて、頷く。
何で私にだけ優しいんだろう……。
裏があるんじゃないかと疑ってしまう自分が、少し嫌になる。でも、裏社会の人だから、疑っちゃうのはしょうがない。
『期待しすぎない方がいいよ』
晴のセリフと恵の笑顔が浮かんでくる。
メグはクラスメイトから助けてくれたし、葵にも怒ってくれたし、友達になってくれた。その優しさに裏があるなんて、思いたくない。明日こそは、メグと放課後ショッピングをしたい。中学の話とか聞きたいし、恋バナとかもできたら楽しいだろうな。
期待に胸を膨らませ、翌朝登校した。ファンたちに囲まれて身動きがとれなくなった葵と晴を置いて、軽い足取りで教室に向かう。鼻唄を歌いながら、スキップできそうなほど、心は弾んでいた。
「メグさ、長宮麗とガチで友達になったの?」
となりのクラスの前で、恵と立ち話をしている女子の声が聞こえてきた。
「そりゃ友達になるでしょ」
当然の如く頷く恵に、麗の顔は綻ぶ。声をかけようと一歩近づいた時。
「根暗のキモ女とかウラアカに書いてたくせに」
……は?
思考が止まる。目眩で視界が揺れる。息が、
うまくできなかった。
「だって本当のことじゃん。私、葵くんのこと本気だから。あんなのが葵くんと同棲とかキモい」
あははと笑う声が、頭に響く。
友達だと思っていたのは、私だけだったーー。
胸の奥で、やっと灯った春が、音もなく踏み潰された。
真冬の海に突き落とされたような衝撃。息ができないまま、暗い深海まで沈んで這い上がれない恐怖。
「でも、レイを使えば簡単に近づけるし」
「あっ、ヤバいよ」
麗に気付いた女子が、恵の肩を叩いて顔をひきつらせた。
振り向いた恵は、表情を強張らせ、無理矢理笑顔を取り繕った。
「あっ、えっと、これは違うの!」
あたふたと白々しい言い訳をする。
もう、何も聞きたくない。
海は凍りつき、氷の中に閉じ込められた。
必死に話しかける恵の声は、氷に弾かれて麗にまで届かない。
友達だって言ってくれて、本当に嬉しかったのに。
全部、嘘だったの?
期待なんてしなきゃよかった。
私には、“普通”は手に入れられない。
悔しいでしょ。
傷つけられたままでいいの?
内側から暗い影が囁く。
胸の奥の蓋がわずかに持ち上がる。
「レイ、ごめん! 私たち友達でしょ。許してくれるよね?」
切実に訴える恵が、麗の肩をきつく掴む。
我慢しなくていい。
許す必要なんてない。
やられたらやり返さないと。
「……バカにしないで。友達ぐらい選ぶ権利はある」
恵の手を払いのける。前髪の隙間から覗く鋭利な瞳で、恵を貫く。
天敵を前に怯える小動物のように震えている。
そんなに震えちゃって。
「……ほんと、かわいそう」
ふっと静かに笑って、踵を返す。
「友達、いなくなっちゃった?」
すぐ後ろにいた晴が、憐憫の眼差しを向ける。
「簡単に信用しやがって」
隣に立つ葵が口角を上げる。
麗は静かに2人を見据える。
この2人が元凶なのに。
何で、ほっとするの……。
自分を包み込む氷が、少しずつ溶け出す。
視界が滲み、2人の顔がぼやける。震える唇を噛み締め、2人の横をすり抜けて教室に入った。
「なんだよ、あの顔」
葵がばつが悪そうに視線を逸らす。
「……俺のモノに手出しやがって」
立ちすくんでいる恵を睨み、低く唸る。恵の肩がびくっと震える。葵はそれ以上何も言わず、教室へ向かう麗の背中を追った。
「麗ちゃんにはああいう顔が似合うよ」
愉悦に満ちた表情で、麗の後ろ姿を眺めた。
「でも、あんな顔をさせていいのは、ぼくだけなんだよね」
恵に冷ややかな目を向け、ぽつりと呟いた。
その日の夜は、強風が吹き荒れた。
風が窓を揺らす音が、浴室に響く。
麗は顎までお湯につけて、目を閉じた。
晴の言うとおり、期待しなきゃよかった。
普通の高校生活、友達との青春がやっと手に入ると思ったのに。
利用されただけだった。せめて、ほんの少しでも友達になりたいって思ってくれていたら……。
友達も、青春も、普通も、また奪われた。
2人の前で零れそうになった涙が、今になって頬を伝う。湯船にぽたぽたと流れ落ち、嗚咽が漏れる。
「うっ……」
悔しい。馬鹿みたいに心踊らせて、期待してた自分が情けない。
あははと笑う恵の顔を思い浮かべると、余計に胸が締め付けられる。声を張り上げて大声で泣きわめきたい。恵への恨みつらみを叫びたい。
そう思っても、声は出ない。
胸を拳で殴るように叩いて、高ぶった気持ちを発散させる。
顔を洗って涙も一緒に洗い落とす。
少しだけ気持ちが落ち着いた。
根暗のキモ女って思いながら、あんなに明るく笑って、「友達」だって言ってたなんて……。
まるで仮面を被ってるみたい。
表は、正義の笑顔を浮かべたきれいな仮面。
その裏は、我欲に満ちて汚れている。
きっと誰もがきれいな仮面を被って、汚い自分を隠している。
……私も、そう。
表も裏もきれいじゃない。
きれいな仮面を被る権利すら奪われた。
笑顔は、あの日に置いてきた。
もう、二度と戻ってこない両親との思いでの日々。
幸せ、温もり、優しさが溢れた平穏。そして、何にも縛られない自由と未来への希望。当たり前にあった普通の人生を、自分の手で取り戻したい。
だから私は、全てを奪ったあいつを許さない。そしてーー。
ガタガタと強風が激しく窓を鳴らす。
「復讐してやる」
ガサガサ。
麗の声に被せるように、脱衣所から音がした。すりガラスの扉の向こうに、人影が見える。
うそ……。
鍵、かけ忘れてた?
「ちょ、ちょっと待って、開け……!」
扉を押さえようと立ち上がった瞬間。
ガチャッ。
扉が開いて、葵と目が合った。
「キャーッ!」
急いで湯船に体を沈める。
「おまっ、鍵閉めろよ!」
顔を真っ赤にした葵は即座に扉を閉めた。
「見ましたよね!?」
「み、見てねえよ!」
明らかに動揺している。
「アオ、覗き? さすがに引く」
晴が現れ、顔をしかめた。
「ちげーよ!」
耳まで真っ赤にした葵は、そのまま脱衣所を飛び出した。
「ガキだなあ。そうだ、麗ちゃん」
含み笑いをする晴の声に呼ばれ、耳をすませる。
「あの子、もう近づいてこないと思うよ」
「えっ?」
「麗ちゃんには、ぼく達がいるでしょ。……ひとりにはさせないよ」
優しい声音なのに、逃れられない檻のようだった。
湯気の中で、麗は目を伏せた。
葵と晴からは、逃れられない。
私はやっぱり、2人の“モノ”。
自由は、ないーー。
いつの間にか風は弱まり、窓の隙間から入り込む湿った空気が、肌に張り付いた。
翌日から教室ですれ違っても、恵はもう、笑いかけてこなかった。連絡アプリの名前を削除しかけるが、麗の指はそれ以上動かなかった。
やばい、やばい!! オリエンテーリング遅刻とか、ありえない!
ふらつく麗の腕を葵が掴んだ。
「早くしろ。校門、閉まるぞ」
葵に腕を引かれ、全力で走る。
「あとちょっと!」
晴に背中を押され、どうにか滑り込んだ。
その途端、チャイムが鳴り、校門は閉められた。
「アオ、作戦にしても、ギリギリすぎたんじゃない?」
「これぐらいが自然だろ」
……作戦? 何それ。
「ぼくたちと麗ちゃんのペアが同じグループになっても、誰もなんとも思わないでしょ」
「しょうがねえだろ。理事長命令だ。おじさんには勝てねえからな」
私には連絡きていない。
また、私の知らないところで決められている。
やっぱり私は、“モノ”。
モノじゃなくて、人としてみてほしい。
私も平等にーー。
「君たち、残った番号札持ってって。あと、これ」
校門を閉めた生徒が、小さく折り畳まれた紙と、手書きのしおりを渡してきた。
1年3組の列に加わってすぐ、澪が壇上に上がった。
その途端。
ざわついていた生徒達は、しんと静まりかえった。
「皆さん、おはようございます」
柔らかく聞き取りやすい声が、校庭に響いた。
「番号札は、1、2年生合同でグループわけしたものです」
さっき2人が話してたのって、このこと?
「ぼくら3人、同じグループだよ。よかったね」
晴が笑顔で耳打ちしてきた。
何も良くない。このためにわざと遅く家を出て、全力疾走させたの⁉ しかも理事長命令
とか、ありえない!
麗はボストンバックの肩ベルトを強く握りしめた。
「グループで3つのミッションをこなしてもらいます」
澪の澄んだ声が、静かに校庭へ響く。
「異学年で、ほぼ初対面同士。不安に思う方もいるでしょう」
澪の眉が、わずかに動く。
「しかし——呉越同舟」
空気が張り詰めた。
「敵対していても、共通の目的があれば協力し合える」
綺麗すぎる笑顔。
まるで、自由を測る檻みたい。
……やっぱり、この人は危険だ。
「あいつのうさんくさい笑い方、おまえに似ててむかつく」
晴の方を振り向いた葵が小突いた。
「ぼくの笑顔とは違うよ。ね、麗ちゃん?」
「同じです。うさんくさい」
即答すると、晴はわざとらしくしょんぼりした。
また、その顔。
周囲の女子たちは、簡単に悲鳴を上げる。
ほんと、外面だけは完璧。
「すべてのミッションにはポイントがつけられます。獲得ポイント上位3グループには、素敵なごほうびを用意しました。それは……」
生徒達から拍手と歓声が上がった。澪がマイクを手に取ると、甲高いノイズ音が響き、一気に場が静まった。
「今は秘密です。明日の閉会式を楽しみにしていてください。皆さん、頑張ってくださいね」
澪が壇上を降りると、ざわめきが起こった。
「生徒会長、やるじゃん」
晴の呟きは葵に届き、葵は不信感丸出しの顔で澪を睨んだ。
麗はしおりを開き、ひとつめのミッションの内容に目を通した。
最初のミッションは、スタンプラリー。これなら、ミッションをこなしながら情報も集められる。
言われるがまま従いたくない。どうせやるなら、自分で考えて行動したい。
籠から出してもらえなくても、抗い続ける。
自由を取り戻すために。
唇を引き結んで顔を上げた麗は、鋭い視線を感じて背中が震えた。
振り向いても誰もいない。壇上の澪だけが、静かにこちらを見ていた。
まるで全てを見透かすように——。
晴が見せたスマホ画面には、『ツイプリファンクラブ』の文字。スクロールした先には、盗撮写真、行動記録、妄想じみた投稿が並んでいる。執着を通り越して狂気だ。
「アホらし」
葵は眉をひそめ、さっさと家へ入っていく。
怒るより先に、呆れているらしい。
「反吐が出るよね」
晴は笑顔のまま、冷たい目で画面を閉じた。
玄関では、葵が黒柴のサクラを撫でていた。麗が近づくと、サクラは唸り声を上げる。
「何で私だけ……」
「サクラもおまえを下僕だと思ってんだろ」
腹立たしいくらい、葵は楽しそうに笑った。
「おかえり~」
ふいに大きな手が、麗の頭に触れた。
「フクロウさん!」
「制服似合ってんじゃん」
フクロウはまるで幼い子供にするように、麗の頭をよしよしと優しく撫でた。
「ありがとう、ございます」
高身長のフクロウを見上げ、麗は苦笑した。
この年で子供扱いは、ちょっと恥ずかしい……。
「小さかった頃が懐かしいなあ」
梟に似せたゴッドイエローの瞳がわずかに細まる。
「くう~ん」
サクラが甘えるようにフクロウの足元に寝転がった。
「サクラちゃん、寂しかったでちゅか~?」
サクラを抱き上げ、フクロウは別人みたいに頬を緩めた。
相変わらず、動物への愛が引くほど重い。
「そうだ。久しぶりに、麗ちゃんの淹れたコーヒーが飲みたいな」
フクロウは麗に顔を向け、白い歯を見せた。
「……はい」
麗は小さく頷き、台所へ行った。
お湯を注ぐたびにコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
フィルターからポタポタ零れ落ちるコーヒーをぼうっと見つめる。
コーヒーは、嫌い。
香りが、幸せだったあの頃を思い出させる。
いつも笑顔に満ちていた両親の喫茶店。
湯気の向こうに、戻れない日々が滲む。
全部、もう戻らない。
コーヒーの淹れ方なんて、忘れてしまいたい。なのに、体が勝手に動く。まるで、両親の温かい手が添えられているみたいに。
最後の一滴が、褐色の水面に落ちる。
一瞬。
赤色に変わる。
心臓がきゅっと縮む。
思わずポットを落としそうになった。
唇を強く噛み締める。口の中に、血の味が広がった。
3人分のコーヒーを応接間に運ぶと、フクロウが真っ先にカップを手に取った。
「サンキュー。ん~、香ばしくて深い味わい。店出せるレベルだわ」
歯の奥がむず痒い。褒められているのに、息が詰まる。室内に充満したコーヒーの香りにむせ返りそうになる。
奥歯を噛み締めて堪えていると、ポケットの中でスマホが振動した。スマホを開くと、理事長からのメッセージが届いていた。葵と晴が同時にスマホを見て、同じタイミングで舌打ちをした。
「女か? ライオンみたいにハーレム作って女を蔑ろにしてたら、刺し殺されるかもしれねえぞ。おまえらの遺体は、掃除屋にお願いしてやるよ」
にやりと不敵に歪む口から八重歯が覗く。
「女じゃねえし。叔父さんからめんどくせえこと押しつけられちまったんだよ」
晴の手を雑に振り払い、葵は理事長からのメッセージをフクロウに見せた。
「ウラ風紀委員? よく分かんねえけど、おまえらをこき使うなんて、さすが姐さんの実弟だな」
口をへの字に曲げ、感心したように頷く。
「フクロウさん、理事長のこと知ってたんですか?」
目を見開く麗に、フクロウは苦笑した。
「おれを誰だと思ってんの。ウラ界隈で知らないやつはいねえよ」
……そうだった。ただの動物好きな変人じゃない。ウラアカ作成者も、きっとすぐ見つけられる。
その前に……。
『オリエンテーリングで、ウラアカの情報を集めなさい』
「オリエンテーリング?」
理事長からの指令に、麗が首を傾げる。
「1・2年合同の生徒会行事だよ」
晴が軽く説明する。
「めんどくせえ」
葵は露骨に顔をしかめた。
けれど、これは命令。
自由なんて、やっぱり簡単には手に入らない。
「そんなことより、フクロウさんにお願いしたいことがあるんだけど」
晴が人懐っこい笑みを浮かべる。
「ウラアカの作成者を探して欲しいんだ」
フクロウは晴に一瞥をくれると、麗に声をかけた。
「おれがやらないと、麗ちゃんが困ること?」
「……はい。困ると、思います」
「じゃあ、やるよ」
微笑んだフクロウは親指を立てて、頷く。
何で私にだけ優しいんだろう……。
裏があるんじゃないかと疑ってしまう自分が、少し嫌になる。でも、裏社会の人だから、疑っちゃうのはしょうがない。
『期待しすぎない方がいいよ』
晴のセリフと恵の笑顔が浮かんでくる。
メグはクラスメイトから助けてくれたし、葵にも怒ってくれたし、友達になってくれた。その優しさに裏があるなんて、思いたくない。明日こそは、メグと放課後ショッピングをしたい。中学の話とか聞きたいし、恋バナとかもできたら楽しいだろうな。
期待に胸を膨らませ、翌朝登校した。ファンたちに囲まれて身動きがとれなくなった葵と晴を置いて、軽い足取りで教室に向かう。鼻唄を歌いながら、スキップできそうなほど、心は弾んでいた。
「メグさ、長宮麗とガチで友達になったの?」
となりのクラスの前で、恵と立ち話をしている女子の声が聞こえてきた。
「そりゃ友達になるでしょ」
当然の如く頷く恵に、麗の顔は綻ぶ。声をかけようと一歩近づいた時。
「根暗のキモ女とかウラアカに書いてたくせに」
……は?
思考が止まる。目眩で視界が揺れる。息が、
うまくできなかった。
「だって本当のことじゃん。私、葵くんのこと本気だから。あんなのが葵くんと同棲とかキモい」
あははと笑う声が、頭に響く。
友達だと思っていたのは、私だけだったーー。
胸の奥で、やっと灯った春が、音もなく踏み潰された。
真冬の海に突き落とされたような衝撃。息ができないまま、暗い深海まで沈んで這い上がれない恐怖。
「でも、レイを使えば簡単に近づけるし」
「あっ、ヤバいよ」
麗に気付いた女子が、恵の肩を叩いて顔をひきつらせた。
振り向いた恵は、表情を強張らせ、無理矢理笑顔を取り繕った。
「あっ、えっと、これは違うの!」
あたふたと白々しい言い訳をする。
もう、何も聞きたくない。
海は凍りつき、氷の中に閉じ込められた。
必死に話しかける恵の声は、氷に弾かれて麗にまで届かない。
友達だって言ってくれて、本当に嬉しかったのに。
全部、嘘だったの?
期待なんてしなきゃよかった。
私には、“普通”は手に入れられない。
悔しいでしょ。
傷つけられたままでいいの?
内側から暗い影が囁く。
胸の奥の蓋がわずかに持ち上がる。
「レイ、ごめん! 私たち友達でしょ。許してくれるよね?」
切実に訴える恵が、麗の肩をきつく掴む。
我慢しなくていい。
許す必要なんてない。
やられたらやり返さないと。
「……バカにしないで。友達ぐらい選ぶ権利はある」
恵の手を払いのける。前髪の隙間から覗く鋭利な瞳で、恵を貫く。
天敵を前に怯える小動物のように震えている。
そんなに震えちゃって。
「……ほんと、かわいそう」
ふっと静かに笑って、踵を返す。
「友達、いなくなっちゃった?」
すぐ後ろにいた晴が、憐憫の眼差しを向ける。
「簡単に信用しやがって」
隣に立つ葵が口角を上げる。
麗は静かに2人を見据える。
この2人が元凶なのに。
何で、ほっとするの……。
自分を包み込む氷が、少しずつ溶け出す。
視界が滲み、2人の顔がぼやける。震える唇を噛み締め、2人の横をすり抜けて教室に入った。
「なんだよ、あの顔」
葵がばつが悪そうに視線を逸らす。
「……俺のモノに手出しやがって」
立ちすくんでいる恵を睨み、低く唸る。恵の肩がびくっと震える。葵はそれ以上何も言わず、教室へ向かう麗の背中を追った。
「麗ちゃんにはああいう顔が似合うよ」
愉悦に満ちた表情で、麗の後ろ姿を眺めた。
「でも、あんな顔をさせていいのは、ぼくだけなんだよね」
恵に冷ややかな目を向け、ぽつりと呟いた。
その日の夜は、強風が吹き荒れた。
風が窓を揺らす音が、浴室に響く。
麗は顎までお湯につけて、目を閉じた。
晴の言うとおり、期待しなきゃよかった。
普通の高校生活、友達との青春がやっと手に入ると思ったのに。
利用されただけだった。せめて、ほんの少しでも友達になりたいって思ってくれていたら……。
友達も、青春も、普通も、また奪われた。
2人の前で零れそうになった涙が、今になって頬を伝う。湯船にぽたぽたと流れ落ち、嗚咽が漏れる。
「うっ……」
悔しい。馬鹿みたいに心踊らせて、期待してた自分が情けない。
あははと笑う恵の顔を思い浮かべると、余計に胸が締め付けられる。声を張り上げて大声で泣きわめきたい。恵への恨みつらみを叫びたい。
そう思っても、声は出ない。
胸を拳で殴るように叩いて、高ぶった気持ちを発散させる。
顔を洗って涙も一緒に洗い落とす。
少しだけ気持ちが落ち着いた。
根暗のキモ女って思いながら、あんなに明るく笑って、「友達」だって言ってたなんて……。
まるで仮面を被ってるみたい。
表は、正義の笑顔を浮かべたきれいな仮面。
その裏は、我欲に満ちて汚れている。
きっと誰もがきれいな仮面を被って、汚い自分を隠している。
……私も、そう。
表も裏もきれいじゃない。
きれいな仮面を被る権利すら奪われた。
笑顔は、あの日に置いてきた。
もう、二度と戻ってこない両親との思いでの日々。
幸せ、温もり、優しさが溢れた平穏。そして、何にも縛られない自由と未来への希望。当たり前にあった普通の人生を、自分の手で取り戻したい。
だから私は、全てを奪ったあいつを許さない。そしてーー。
ガタガタと強風が激しく窓を鳴らす。
「復讐してやる」
ガサガサ。
麗の声に被せるように、脱衣所から音がした。すりガラスの扉の向こうに、人影が見える。
うそ……。
鍵、かけ忘れてた?
「ちょ、ちょっと待って、開け……!」
扉を押さえようと立ち上がった瞬間。
ガチャッ。
扉が開いて、葵と目が合った。
「キャーッ!」
急いで湯船に体を沈める。
「おまっ、鍵閉めろよ!」
顔を真っ赤にした葵は即座に扉を閉めた。
「見ましたよね!?」
「み、見てねえよ!」
明らかに動揺している。
「アオ、覗き? さすがに引く」
晴が現れ、顔をしかめた。
「ちげーよ!」
耳まで真っ赤にした葵は、そのまま脱衣所を飛び出した。
「ガキだなあ。そうだ、麗ちゃん」
含み笑いをする晴の声に呼ばれ、耳をすませる。
「あの子、もう近づいてこないと思うよ」
「えっ?」
「麗ちゃんには、ぼく達がいるでしょ。……ひとりにはさせないよ」
優しい声音なのに、逃れられない檻のようだった。
湯気の中で、麗は目を伏せた。
葵と晴からは、逃れられない。
私はやっぱり、2人の“モノ”。
自由は、ないーー。
いつの間にか風は弱まり、窓の隙間から入り込む湿った空気が、肌に張り付いた。
翌日から教室ですれ違っても、恵はもう、笑いかけてこなかった。連絡アプリの名前を削除しかけるが、麗の指はそれ以上動かなかった。
やばい、やばい!! オリエンテーリング遅刻とか、ありえない!
ふらつく麗の腕を葵が掴んだ。
「早くしろ。校門、閉まるぞ」
葵に腕を引かれ、全力で走る。
「あとちょっと!」
晴に背中を押され、どうにか滑り込んだ。
その途端、チャイムが鳴り、校門は閉められた。
「アオ、作戦にしても、ギリギリすぎたんじゃない?」
「これぐらいが自然だろ」
……作戦? 何それ。
「ぼくたちと麗ちゃんのペアが同じグループになっても、誰もなんとも思わないでしょ」
「しょうがねえだろ。理事長命令だ。おじさんには勝てねえからな」
私には連絡きていない。
また、私の知らないところで決められている。
やっぱり私は、“モノ”。
モノじゃなくて、人としてみてほしい。
私も平等にーー。
「君たち、残った番号札持ってって。あと、これ」
校門を閉めた生徒が、小さく折り畳まれた紙と、手書きのしおりを渡してきた。
1年3組の列に加わってすぐ、澪が壇上に上がった。
その途端。
ざわついていた生徒達は、しんと静まりかえった。
「皆さん、おはようございます」
柔らかく聞き取りやすい声が、校庭に響いた。
「番号札は、1、2年生合同でグループわけしたものです」
さっき2人が話してたのって、このこと?
「ぼくら3人、同じグループだよ。よかったね」
晴が笑顔で耳打ちしてきた。
何も良くない。このためにわざと遅く家を出て、全力疾走させたの⁉ しかも理事長命令
とか、ありえない!
麗はボストンバックの肩ベルトを強く握りしめた。
「グループで3つのミッションをこなしてもらいます」
澪の澄んだ声が、静かに校庭へ響く。
「異学年で、ほぼ初対面同士。不安に思う方もいるでしょう」
澪の眉が、わずかに動く。
「しかし——呉越同舟」
空気が張り詰めた。
「敵対していても、共通の目的があれば協力し合える」
綺麗すぎる笑顔。
まるで、自由を測る檻みたい。
……やっぱり、この人は危険だ。
「あいつのうさんくさい笑い方、おまえに似ててむかつく」
晴の方を振り向いた葵が小突いた。
「ぼくの笑顔とは違うよ。ね、麗ちゃん?」
「同じです。うさんくさい」
即答すると、晴はわざとらしくしょんぼりした。
また、その顔。
周囲の女子たちは、簡単に悲鳴を上げる。
ほんと、外面だけは完璧。
「すべてのミッションにはポイントがつけられます。獲得ポイント上位3グループには、素敵なごほうびを用意しました。それは……」
生徒達から拍手と歓声が上がった。澪がマイクを手に取ると、甲高いノイズ音が響き、一気に場が静まった。
「今は秘密です。明日の閉会式を楽しみにしていてください。皆さん、頑張ってくださいね」
澪が壇上を降りると、ざわめきが起こった。
「生徒会長、やるじゃん」
晴の呟きは葵に届き、葵は不信感丸出しの顔で澪を睨んだ。
麗はしおりを開き、ひとつめのミッションの内容に目を通した。
最初のミッションは、スタンプラリー。これなら、ミッションをこなしながら情報も集められる。
言われるがまま従いたくない。どうせやるなら、自分で考えて行動したい。
籠から出してもらえなくても、抗い続ける。
自由を取り戻すために。
唇を引き結んで顔を上げた麗は、鋭い視線を感じて背中が震えた。
振り向いても誰もいない。壇上の澪だけが、静かにこちらを見ていた。
まるで全てを見透かすように——。
