最悪な入学初日。
双子がいる限り、私に自由はない。
麗が肩を落として溜息をついた時、担任の町田恵が教室に入ってきた。
儚げな雰囲気を纏う女性教師。目立つ美人顔ではないが、か弱く放っておけない雰囲気がある。
「部活動と委員会活動について説明しますね」
落ち着いた声がふわりと教室を包む。
もう、私には関係ない話。
私だって、放課後に友達とくだらない話をして、部活帰りに寄り道して、恋バナだってしてみたかった。
……ただ、それだけだったのに。
麗は恨めしそうな目を双子に向けた。
頬杖をついている葵は、気だるそうに机の下でスマホをいじっている。
晴は隣の席の女子と、くすくす笑いながら話をしている。
目を閉じ、怒りに震える拳を片手で抑えつけた。
葵の首を絞めあげて、そのスマホを晴に投げつけてやる。2人を縛り上げて、下僕宣言撤回させて、私の高校生活を取り戻す!
「フフフフ……」
笑いが漏れそうになり、慌てて口元を押さえる。その時、頭に何かが当たり、机の上に丸まった紙が落ちた。
『笑うな、キモイ』
下手くそな葵の字。怒りのあまり机を叩きつけてしまい、教室中の視線が集まった。
「長宮さん、大丈夫ですか?」
担任から、心配と困惑の入り交じった顔を向けられた。
「あ、はい。大丈夫です。すみません……」
麗は顔を真っ赤にしてうつむき、ちらっと葵を見る。
「バーカ」
鼻で笑われる。
晴は後ろの席で、声を押し殺して笑いを堪えている。
……永遠のクソガキ!
葵が投げつけてきた紙を、ビリビリに破いて手の中に握り込む。
町田が教室を出て行ってすぐ、ゴミ箱に投げ捨てた。
「長宮さん」
帰り支度をしていると、いつの間にか席の周りに、クラス中の女子たちが集まってきた。
「な、何ですか?」
鞄をぎゅっと抱き寄せた麗に、女子たちは真剣な眼差しで矢継ぎ早に問いかけた。
「下僕って何?」
「同棲してるの?」
「兄妹って本当?」
矢継ぎ早の質問に、思考が追いつかない。
「……兄妹?」
「学校のウラアカなんだけど」
写真共有型のSNSのアプリを見せられる。
『カースト底辺、根暗のキモ女。ツイプリの下僕で、同棲中。兄妹か? 格差ありすぎて乙』
盗撮された麗たちの写真と、顔の見えない悪意。
麗の胸の中が、ぞわっと沸き立つ。
双子への怒りとは違う。憎しみとも違う。
不快感と、恐怖がこみ上げる。
……気持ち悪い。
顔を上げると、好奇心と高圧的な無数の目線に射抜かれる。
注射針を向けられているような嫌悪感に嫌気がさす。
ただ、普通に馴染みたかっただけなのに。
また、私は“普通”になれない。
「やめなよ。長宮さん困ってるよ」
鋭い声が視線を遮る。
ポニーテールを揺らしながら、女子たちに睨みをきかせる。
この人、庇ってくれたの? ……私を?
「鹿島君達に聞けばいいじゃん」
腰に手を当て、葵と晴を指差す。
「だって……。ねえ」
「聞きにくいし」
他の女子たちは気恥ずかしそうな顔で2人を見る。
「だからって、長宮さん困らせたらかわいそうだよ」
……かわいそう? そんな風に見えてた?
でも、唯一庇ってくれたクラスメイトなんだから、感謝しないと。
「ごめんね、長宮さん」
女子たちは口々に謝ると、気まずそうな顔で散っていった。
「お節介だったかな? なんか、放っておけなくて」
上目遣いの大きな瞳が、申し訳なさそうに翳る。
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
頭を下げると、突然両手を包まれた。久しぶりの温もりに、鼻の奥がつんとする。
「あはは。敬語やめてよ。私、佐々木恵。メグって呼んで。ね、“ともだち”なろう」
連絡専用アプリを見せられ、麗は戸惑う。
葵と晴しか入っていない“ともだち”リストに追加された“メグ”を凝視した。
友達、つくれちゃった?
これ、夢じゃないよね?
高校生活、終わってなかった。奪われてなかった。友達、できた!
喜びのあまり、スマホを持つ手が震える。
「レイって呼んでいい?」
「も、もちろん!」
嫌なはずがない。いくらでも呼んでほしい。
「一緒に帰ろう。ねえ、友達になった記念に、お揃いのキーホルダー買おうよ」
何それ! めちゃくちゃいい!
夢の先に密かに思い描いていた、友達の理想像そのもの。
「私、あんまり友達いたことなくて、色々憧れててて……」
「じゃあさ、私と友達っぽいこと、いっぱいしよ!」
友達っぽいこと。
その言葉が胸の奥に、小さな春を灯してくれた。
放課後、制服のまま寄り道して。
可愛い雑貨を見たり、恋バナをしたり、部活帰りにくだらないことで笑ったり——。
そんな“普通”が、私にも手に入るかもしれない。メグのおかげで、明日から少しずつ普通になれる気がする。
こんなに晴れやかな気持ちになったのは何年振りだろう。思わず頬が緩む。
にやけ顔で恵と教室を出ようとした時。
「麗ちゃん、帰ろう」
晴に肩を捕まれ、足を止めた。
「え? メグと帰る……」
「行くぞ」
言い切る前に、葵に腕を捕まれた。
「離してください。友達と帰るって約束したんです」
恵に手を伸ばすが、強い力で葵に引っ張られた。
「また今度にしよ。バイバイ」
固い表情で手を振る恵に謝る暇もなく、廊下に引きずり出された。
「せっかく友達できたのに!」
葵と晴を睨み付ける。
「おまえなんかにできるわけねえだろ」
「これが証拠です!」
鼻で笑う葵に、“ともだち”リストを見せつけた。
「だからなんだよ。……必要ねえだろ」
「よかったね。でもさ」
顔をしかめる葵とは対照的に、晴は薄笑いを浮かべた。
「期待しすぎない方がいいよ」
ひどい。メグとの放課後、邪魔したくせに、そんな言い方するなんて。性格歪みすぎ。……今に始まったことじゃないけど。
「それと、こんなの気にしなくていいよ」
晴が、ウラアカの投稿画面を見せてくる。
「これ、知ってたんですか?」
「女の子たちから教えてもらったんだ」
「何で黙ってた? 嘘だって言えよ」
葵は眉間に皺を寄せ、麗を見下ろした。
「それは……」
嘘だって言ったら、説明しないといけなくなる。
鹿島家に住んでいる本当の理由を。
それだけは、絶対に嫌。
誰にも知られたくない。
「ちっ。陰気くせえ顔しやがって」
舌打ちをする葵の前に、柔道着姿の大柄な生徒が立ちふさがった。胸元には“片倉”の文字がある。
「お前が鹿島葵だな。スポーツ特待生なら部活に入れ」
「弱いやつと群れる趣味ねえよ」
空気が凍り付く。
人を苛つかせる天才だ。
「なめた態度とってんじゃねえぞ!」
片倉が葵の襟を鷲掴みにした瞬間、巨体が宙を舞った。
「手加減してもらえてよかったですね。アオが本気出してたら、背骨折れてましたよ」
床で伸びている片倉を見下ろした晴が、薄く笑う。
「俺に勝てたら入ってやるよ」
挑発しないでよ。これ以上、普通から遠ざかりたくないのに……。
気付いたら野次馬が集まり、ざわつきいている。人だかりの奥で、恵が頬を染めて葵に熱い視線を送っている。
「早く帰りましょう」
麗は葵の背中を押して、そそくさと階段を下りて行った。
晴がちらりと振り返る。
一瞬、廊下の柱の影に隠れる人影が見えた。
「……退屈しなさそう」
晴の口角がにやりと上がる。
柱の影では、新聞部の部員が興奮した目でシャッターを切った。
「これは良い資料になりそうだ。早くあの方に報告しないと」
ニヤリと笑みを浮かべ、階段を駆け下りた。
翌朝。
昇降口の掲示板の前には、人だかりができていた。掲示されている校内新聞を目にした麗は、目を見開いた。
『1年が3年を背負い投げ⁉ 柔道部主将面目丸つぶれ!』
葵が片倉を背負い投げしている瞬間の画像も掲載されている。
いつの間に撮られてたの?
校内新聞に載るなんて。
いい気味なのに、胸がざわつく。
「アオ、おめでとう。校内新聞デビューだね」
晴が皮肉交じりの拍手を送る。
「あれが主将かよ。弱すぎだろ」
葵は新聞をはがしてぐしゃぐしゃに丸めた。非難の声を上げる生徒達を睨みつけ、ゴミ箱に放り投げた。
「レイ、新聞見たよ。葵くん凄いね」
教室に入ってすぐ、恵が話しかけてきた。
「あ、うん。柔道、得意だから」
「中学の時、全国大会で優勝したんでしょ。スポーツ特待生だし、かっこいいよね」
恵は、席に座る葵を目で追いながら、うっとりと目を細めた。
「……詳しい、ね」
「あはは。これぐらいみんな知ってるよ」
「そう、なんだ」
みんなって、クラスメイト?
教室を見回す。
晴の周りには女子の群れ。
少し遠巻きに葵を見ながら頬を染めている女子たち。
何であんな顔できるんだろう。外見しか見てないのに。中身は最低最悪だって教えてあげたい。
「レイは部活決めた? 私、迷っててさ。吹奏楽やってみたいんだけど、中学からの友達はテニス部にするって言ってて」
「メグがやりたい部活でいいと思う。……選ぶ権利があるんだから」
私と違って。
羨ましい悩み。選べるんだからやりたいことをやればいい。友達と合わせる必要なんてない。
「でもさ、吹奏楽部に知り合いいなくて、上手くやれるか不安。まだ決まってなかったら、一緒に入らない?」
まるでチワワのような潤んだ瞳で見つめられ、思わず頷きそうになった。
うんって言いたい。
でも、言えない。
私には自由がないーー。
返事をできずに俯いていたら、恵が顔を覗き込んできた。
「他に入りたい部活ある?」
「そうじゃなくて……」
「もしかして、部活入らない? 葵くんから入るなとか言われてる?」
「え、何で?」
「下僕とか言ってたから。家で色々やらされてるのかなあって」
「あー、うーん、そんな感じ」
ウラ風紀委員のこと言えたらよかったのに。自分で下僕だって認めたくなかった……。
「私が言ってあげようか? 下僕なんておかしいって」
また私のために怒ってくれた。正義感に満ちた恵の顔が輝いて見える。
人の優しさはひだまりみたい。胸の中を明るく照らし、影を一掃する。心が震えて、目頭が熱くなる。
「ありがとう。気持ちだけで充分。すごく嬉しい」
自然に笑みがこぼれる。
「……そう?」
一瞬、表情が消える。すぐに朗らかな笑顔を浮かべた。
「なんかあったらいつでも言って。友達だから」
友達という言葉がじんわりと沁み渡る。
性格が破綻している葵と晴には、絶対に分からない。
ブブッ。
鞄の中でスマホが震える。
『3人共、今すぐ理事長室に来なさい』
グループチャットに届いた理事長からのメッセージ。ただの文字なのに、怒りが滲んでいる気がする。麗の顔から血の気が引いていった。
叱れるのを覚悟していたが、理事長は穏やかな笑みで出迎えてくれた。
麗は胸を撫で下ろす。だが、葵と晴はソファに座ろうとせず、気まずそうな顔で立ったままだ。理事長は校内新聞を弾いて床に落とし、葵に笑顔を向けた。
「アオくん。記事の内容は、事実かな?」
葵は目を泳がせて、頷く。
「問題の種を持ち込んでしまった君には、ペナルティを与えないといけない」
理事長がふみつけた新聞が、ぐしゃりと音を立てる。
「ペナルティって、何だよ」
葵が顔をしかめ、たじろぐ。
「空手部の大会で、助っ人として出てもらうよ」
「はあ⁉ 何だよ、それ。めんど……」
理事長の鋭利な視線に射貫かれた葵は、口をつぐんだ。
「非公式の学院アカウント、知っているかい?」
理事長がスマホ画面を向ける。
噂。
盗撮。
虚偽情報。
学院にとって害でしかない。
「ウラ風紀委員、初任務だ」
鋭い視線が突き刺さる。
「作成者を突き止め、削除させなさい」
なに、そのミッション。初任務にしては重すぎる。
「外部だったら?」
晴が面倒くさそうに問いかける。
「その時はこちらで処理する」
「それ、一番ムズイやつじゃん」
晴が顔をしかめる。
学生の域を超えてる。裏社会の手駒だって勘違いしてるんじゃないの?
眉をひそめると、葵が嘲笑を浮かべて斜に構えた。
「フク兄がいるだろ」
情報屋——フクロウ。
裏社会の人間まで巻き込むなんて。
「方法は問わない。だが、“ウラ”で粛々と頼むよ」
理事長は新聞を拾って、握りつぶす。
「例え、相手が素直に応じなかったとしても」
にっこり微笑む理事長と目が合う。麗の背筋が凍り、身震いした。
普通から遠ざかるたび、心の奥で何かが静かに濁っていく。
――奪われるだけでいいの?
微かな声が問いかける。
奪われ続けるくらいなら、いっそ——。
目を閉じた先に広がるのは、光の届かない闇だった。
「失礼いたします」
生徒会室の扉が遠慮がちに開いた。
「あら、部長さん。素晴らしいスクープでしたね」
「あ、ありがとうございます! 会長にお褒め頂き、光栄です!」
頬を染めて、勢いよく頭を下げた。
「私の方が後輩です。そんなにかしこまらないでください」
「い、いや、学校のトップにそんな……」
「本当のトップは、理事長ですよ」
澪は穏やかに微笑んだ。
「私はまだ、皆さんに支えられているだけです」
澪は立ち上がると、新聞部部長と目線を合わせて囁いた。
「新聞部の予算、調整しておきますね」
「あ、ありがとうございます!」
新聞部部長はへこへこ頭を下げながら、生徒会室を出て行った。
扉が閉まると、澪の顔から笑みが消える。
後ろを振り向き、壁にかけられている生徒会スローガンを口にした。
「公平は、規律によって守られる」
澪はスマホに目を落とし、口元をわずかに緩めた。
「情報も人も使い方次第。……独立不羈。私の正義は揺らがない」
窓を開けて、澪は手のひらを出した。
風に乗った桜の花びらが一枚、手の中に入り込む。
それをきゅっと握りしめる。
手を開くと、花びらはまるで、次の標的を探すように舞い上がった。
双子がいる限り、私に自由はない。
麗が肩を落として溜息をついた時、担任の町田恵が教室に入ってきた。
儚げな雰囲気を纏う女性教師。目立つ美人顔ではないが、か弱く放っておけない雰囲気がある。
「部活動と委員会活動について説明しますね」
落ち着いた声がふわりと教室を包む。
もう、私には関係ない話。
私だって、放課後に友達とくだらない話をして、部活帰りに寄り道して、恋バナだってしてみたかった。
……ただ、それだけだったのに。
麗は恨めしそうな目を双子に向けた。
頬杖をついている葵は、気だるそうに机の下でスマホをいじっている。
晴は隣の席の女子と、くすくす笑いながら話をしている。
目を閉じ、怒りに震える拳を片手で抑えつけた。
葵の首を絞めあげて、そのスマホを晴に投げつけてやる。2人を縛り上げて、下僕宣言撤回させて、私の高校生活を取り戻す!
「フフフフ……」
笑いが漏れそうになり、慌てて口元を押さえる。その時、頭に何かが当たり、机の上に丸まった紙が落ちた。
『笑うな、キモイ』
下手くそな葵の字。怒りのあまり机を叩きつけてしまい、教室中の視線が集まった。
「長宮さん、大丈夫ですか?」
担任から、心配と困惑の入り交じった顔を向けられた。
「あ、はい。大丈夫です。すみません……」
麗は顔を真っ赤にしてうつむき、ちらっと葵を見る。
「バーカ」
鼻で笑われる。
晴は後ろの席で、声を押し殺して笑いを堪えている。
……永遠のクソガキ!
葵が投げつけてきた紙を、ビリビリに破いて手の中に握り込む。
町田が教室を出て行ってすぐ、ゴミ箱に投げ捨てた。
「長宮さん」
帰り支度をしていると、いつの間にか席の周りに、クラス中の女子たちが集まってきた。
「な、何ですか?」
鞄をぎゅっと抱き寄せた麗に、女子たちは真剣な眼差しで矢継ぎ早に問いかけた。
「下僕って何?」
「同棲してるの?」
「兄妹って本当?」
矢継ぎ早の質問に、思考が追いつかない。
「……兄妹?」
「学校のウラアカなんだけど」
写真共有型のSNSのアプリを見せられる。
『カースト底辺、根暗のキモ女。ツイプリの下僕で、同棲中。兄妹か? 格差ありすぎて乙』
盗撮された麗たちの写真と、顔の見えない悪意。
麗の胸の中が、ぞわっと沸き立つ。
双子への怒りとは違う。憎しみとも違う。
不快感と、恐怖がこみ上げる。
……気持ち悪い。
顔を上げると、好奇心と高圧的な無数の目線に射抜かれる。
注射針を向けられているような嫌悪感に嫌気がさす。
ただ、普通に馴染みたかっただけなのに。
また、私は“普通”になれない。
「やめなよ。長宮さん困ってるよ」
鋭い声が視線を遮る。
ポニーテールを揺らしながら、女子たちに睨みをきかせる。
この人、庇ってくれたの? ……私を?
「鹿島君達に聞けばいいじゃん」
腰に手を当て、葵と晴を指差す。
「だって……。ねえ」
「聞きにくいし」
他の女子たちは気恥ずかしそうな顔で2人を見る。
「だからって、長宮さん困らせたらかわいそうだよ」
……かわいそう? そんな風に見えてた?
でも、唯一庇ってくれたクラスメイトなんだから、感謝しないと。
「ごめんね、長宮さん」
女子たちは口々に謝ると、気まずそうな顔で散っていった。
「お節介だったかな? なんか、放っておけなくて」
上目遣いの大きな瞳が、申し訳なさそうに翳る。
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
頭を下げると、突然両手を包まれた。久しぶりの温もりに、鼻の奥がつんとする。
「あはは。敬語やめてよ。私、佐々木恵。メグって呼んで。ね、“ともだち”なろう」
連絡専用アプリを見せられ、麗は戸惑う。
葵と晴しか入っていない“ともだち”リストに追加された“メグ”を凝視した。
友達、つくれちゃった?
これ、夢じゃないよね?
高校生活、終わってなかった。奪われてなかった。友達、できた!
喜びのあまり、スマホを持つ手が震える。
「レイって呼んでいい?」
「も、もちろん!」
嫌なはずがない。いくらでも呼んでほしい。
「一緒に帰ろう。ねえ、友達になった記念に、お揃いのキーホルダー買おうよ」
何それ! めちゃくちゃいい!
夢の先に密かに思い描いていた、友達の理想像そのもの。
「私、あんまり友達いたことなくて、色々憧れててて……」
「じゃあさ、私と友達っぽいこと、いっぱいしよ!」
友達っぽいこと。
その言葉が胸の奥に、小さな春を灯してくれた。
放課後、制服のまま寄り道して。
可愛い雑貨を見たり、恋バナをしたり、部活帰りにくだらないことで笑ったり——。
そんな“普通”が、私にも手に入るかもしれない。メグのおかげで、明日から少しずつ普通になれる気がする。
こんなに晴れやかな気持ちになったのは何年振りだろう。思わず頬が緩む。
にやけ顔で恵と教室を出ようとした時。
「麗ちゃん、帰ろう」
晴に肩を捕まれ、足を止めた。
「え? メグと帰る……」
「行くぞ」
言い切る前に、葵に腕を捕まれた。
「離してください。友達と帰るって約束したんです」
恵に手を伸ばすが、強い力で葵に引っ張られた。
「また今度にしよ。バイバイ」
固い表情で手を振る恵に謝る暇もなく、廊下に引きずり出された。
「せっかく友達できたのに!」
葵と晴を睨み付ける。
「おまえなんかにできるわけねえだろ」
「これが証拠です!」
鼻で笑う葵に、“ともだち”リストを見せつけた。
「だからなんだよ。……必要ねえだろ」
「よかったね。でもさ」
顔をしかめる葵とは対照的に、晴は薄笑いを浮かべた。
「期待しすぎない方がいいよ」
ひどい。メグとの放課後、邪魔したくせに、そんな言い方するなんて。性格歪みすぎ。……今に始まったことじゃないけど。
「それと、こんなの気にしなくていいよ」
晴が、ウラアカの投稿画面を見せてくる。
「これ、知ってたんですか?」
「女の子たちから教えてもらったんだ」
「何で黙ってた? 嘘だって言えよ」
葵は眉間に皺を寄せ、麗を見下ろした。
「それは……」
嘘だって言ったら、説明しないといけなくなる。
鹿島家に住んでいる本当の理由を。
それだけは、絶対に嫌。
誰にも知られたくない。
「ちっ。陰気くせえ顔しやがって」
舌打ちをする葵の前に、柔道着姿の大柄な生徒が立ちふさがった。胸元には“片倉”の文字がある。
「お前が鹿島葵だな。スポーツ特待生なら部活に入れ」
「弱いやつと群れる趣味ねえよ」
空気が凍り付く。
人を苛つかせる天才だ。
「なめた態度とってんじゃねえぞ!」
片倉が葵の襟を鷲掴みにした瞬間、巨体が宙を舞った。
「手加減してもらえてよかったですね。アオが本気出してたら、背骨折れてましたよ」
床で伸びている片倉を見下ろした晴が、薄く笑う。
「俺に勝てたら入ってやるよ」
挑発しないでよ。これ以上、普通から遠ざかりたくないのに……。
気付いたら野次馬が集まり、ざわつきいている。人だかりの奥で、恵が頬を染めて葵に熱い視線を送っている。
「早く帰りましょう」
麗は葵の背中を押して、そそくさと階段を下りて行った。
晴がちらりと振り返る。
一瞬、廊下の柱の影に隠れる人影が見えた。
「……退屈しなさそう」
晴の口角がにやりと上がる。
柱の影では、新聞部の部員が興奮した目でシャッターを切った。
「これは良い資料になりそうだ。早くあの方に報告しないと」
ニヤリと笑みを浮かべ、階段を駆け下りた。
翌朝。
昇降口の掲示板の前には、人だかりができていた。掲示されている校内新聞を目にした麗は、目を見開いた。
『1年が3年を背負い投げ⁉ 柔道部主将面目丸つぶれ!』
葵が片倉を背負い投げしている瞬間の画像も掲載されている。
いつの間に撮られてたの?
校内新聞に載るなんて。
いい気味なのに、胸がざわつく。
「アオ、おめでとう。校内新聞デビューだね」
晴が皮肉交じりの拍手を送る。
「あれが主将かよ。弱すぎだろ」
葵は新聞をはがしてぐしゃぐしゃに丸めた。非難の声を上げる生徒達を睨みつけ、ゴミ箱に放り投げた。
「レイ、新聞見たよ。葵くん凄いね」
教室に入ってすぐ、恵が話しかけてきた。
「あ、うん。柔道、得意だから」
「中学の時、全国大会で優勝したんでしょ。スポーツ特待生だし、かっこいいよね」
恵は、席に座る葵を目で追いながら、うっとりと目を細めた。
「……詳しい、ね」
「あはは。これぐらいみんな知ってるよ」
「そう、なんだ」
みんなって、クラスメイト?
教室を見回す。
晴の周りには女子の群れ。
少し遠巻きに葵を見ながら頬を染めている女子たち。
何であんな顔できるんだろう。外見しか見てないのに。中身は最低最悪だって教えてあげたい。
「レイは部活決めた? 私、迷っててさ。吹奏楽やってみたいんだけど、中学からの友達はテニス部にするって言ってて」
「メグがやりたい部活でいいと思う。……選ぶ権利があるんだから」
私と違って。
羨ましい悩み。選べるんだからやりたいことをやればいい。友達と合わせる必要なんてない。
「でもさ、吹奏楽部に知り合いいなくて、上手くやれるか不安。まだ決まってなかったら、一緒に入らない?」
まるでチワワのような潤んだ瞳で見つめられ、思わず頷きそうになった。
うんって言いたい。
でも、言えない。
私には自由がないーー。
返事をできずに俯いていたら、恵が顔を覗き込んできた。
「他に入りたい部活ある?」
「そうじゃなくて……」
「もしかして、部活入らない? 葵くんから入るなとか言われてる?」
「え、何で?」
「下僕とか言ってたから。家で色々やらされてるのかなあって」
「あー、うーん、そんな感じ」
ウラ風紀委員のこと言えたらよかったのに。自分で下僕だって認めたくなかった……。
「私が言ってあげようか? 下僕なんておかしいって」
また私のために怒ってくれた。正義感に満ちた恵の顔が輝いて見える。
人の優しさはひだまりみたい。胸の中を明るく照らし、影を一掃する。心が震えて、目頭が熱くなる。
「ありがとう。気持ちだけで充分。すごく嬉しい」
自然に笑みがこぼれる。
「……そう?」
一瞬、表情が消える。すぐに朗らかな笑顔を浮かべた。
「なんかあったらいつでも言って。友達だから」
友達という言葉がじんわりと沁み渡る。
性格が破綻している葵と晴には、絶対に分からない。
ブブッ。
鞄の中でスマホが震える。
『3人共、今すぐ理事長室に来なさい』
グループチャットに届いた理事長からのメッセージ。ただの文字なのに、怒りが滲んでいる気がする。麗の顔から血の気が引いていった。
叱れるのを覚悟していたが、理事長は穏やかな笑みで出迎えてくれた。
麗は胸を撫で下ろす。だが、葵と晴はソファに座ろうとせず、気まずそうな顔で立ったままだ。理事長は校内新聞を弾いて床に落とし、葵に笑顔を向けた。
「アオくん。記事の内容は、事実かな?」
葵は目を泳がせて、頷く。
「問題の種を持ち込んでしまった君には、ペナルティを与えないといけない」
理事長がふみつけた新聞が、ぐしゃりと音を立てる。
「ペナルティって、何だよ」
葵が顔をしかめ、たじろぐ。
「空手部の大会で、助っ人として出てもらうよ」
「はあ⁉ 何だよ、それ。めんど……」
理事長の鋭利な視線に射貫かれた葵は、口をつぐんだ。
「非公式の学院アカウント、知っているかい?」
理事長がスマホ画面を向ける。
噂。
盗撮。
虚偽情報。
学院にとって害でしかない。
「ウラ風紀委員、初任務だ」
鋭い視線が突き刺さる。
「作成者を突き止め、削除させなさい」
なに、そのミッション。初任務にしては重すぎる。
「外部だったら?」
晴が面倒くさそうに問いかける。
「その時はこちらで処理する」
「それ、一番ムズイやつじゃん」
晴が顔をしかめる。
学生の域を超えてる。裏社会の手駒だって勘違いしてるんじゃないの?
眉をひそめると、葵が嘲笑を浮かべて斜に構えた。
「フク兄がいるだろ」
情報屋——フクロウ。
裏社会の人間まで巻き込むなんて。
「方法は問わない。だが、“ウラ”で粛々と頼むよ」
理事長は新聞を拾って、握りつぶす。
「例え、相手が素直に応じなかったとしても」
にっこり微笑む理事長と目が合う。麗の背筋が凍り、身震いした。
普通から遠ざかるたび、心の奥で何かが静かに濁っていく。
――奪われるだけでいいの?
微かな声が問いかける。
奪われ続けるくらいなら、いっそ——。
目を閉じた先に広がるのは、光の届かない闇だった。
「失礼いたします」
生徒会室の扉が遠慮がちに開いた。
「あら、部長さん。素晴らしいスクープでしたね」
「あ、ありがとうございます! 会長にお褒め頂き、光栄です!」
頬を染めて、勢いよく頭を下げた。
「私の方が後輩です。そんなにかしこまらないでください」
「い、いや、学校のトップにそんな……」
「本当のトップは、理事長ですよ」
澪は穏やかに微笑んだ。
「私はまだ、皆さんに支えられているだけです」
澪は立ち上がると、新聞部部長と目線を合わせて囁いた。
「新聞部の予算、調整しておきますね」
「あ、ありがとうございます!」
新聞部部長はへこへこ頭を下げながら、生徒会室を出て行った。
扉が閉まると、澪の顔から笑みが消える。
後ろを振り向き、壁にかけられている生徒会スローガンを口にした。
「公平は、規律によって守られる」
澪はスマホに目を落とし、口元をわずかに緩めた。
「情報も人も使い方次第。……独立不羈。私の正義は揺らがない」
窓を開けて、澪は手のひらを出した。
風に乗った桜の花びらが一枚、手の中に入り込む。
それをきゅっと握りしめる。
手を開くと、花びらはまるで、次の標的を探すように舞い上がった。
