最悪な入学初日。
双子がいる限り、私に自由はない。
麗が肩を落として溜息をついた時、担任の町田恵が教室に入ってきた。
30代前半に見える、線の細い女性教師。目立つ美人顔ではないが、か弱く放っておけない雰囲気がある。
「部活動と委員会活動について説明しますね」
落ち着いた声がふわりと教室を包む。
私には何の関係もない話。
私だって、選びたかった。
なのに……。
麗は恨めしそうな目を双子に向けた。
頬杖をついている葵は、気だるそうに机の下でスマホをいじっている。
晴は隣の席の女子と、くすくす笑いながら話をしている。
目を閉じ、怒りに震える拳を片手で抑えつけた。
葵の首をネクタイで絞めて、スマホを奪って、晴に投げつけてやりたい。
ひるんだところを縛り上げて、教壇の上に飾り付けてやる。
写真撮って、学校中にばらまいたらおもしろそうじゃない?
「フフフフ、フフフフ」
麗は口許に手を当て、笑いを堪えた。
ポン。
頭に何かが当たり、机の上に丸まった紙が落ちる。
『笑うな、キモイ』
ド直球の悪口。下手くそな葵の文字だ。
葵を睨みつけると、声を出さず口を大きく3回動かした。
キ、モ、イ‥…!?
麗は怒りのあまり、机を拳で叩きつけた。
思ったよりも音が響き、教室中の視線を集めてしまった。
「長宮さん、大丈夫ですか?」
担任から、心配と困惑の入り交じった顔を向けられた。
「あ、はい。大丈夫です。すみません……」
麗は顔を真っ赤にしてうつむき、ちらっと葵を見る。
「バーカ」
鼻で笑われる。
晴は後ろの席で、声を押し殺して笑いを堪えている。
……永遠のクソガキ!
葵が投げつけてきた紙を、ビリビリに破いて手の中に握り込む。
町田が教室を出て行ってすぐ、ゴミ箱に投げ捨てた。
「長宮さん、聞きたいことあるんだけど」
帰り支度をしていると、いつの間にか席の周りに、クラス中の女子たちが集まり出した。
「な、何ですか?」
鞄をぎゅっと抱き寄せた麗に、女子たちは真剣な眼差しで矢継ぎ早に問いかけてきた。
「下僕って何?」
「同棲してるの?」
「兄妹って本当?」
矢継ぎ早に質問され、頭が追い付かない。
「……兄妹?」
ぽかんとしていると、ひとりの女子がスマホの画面を見せてきた。
写真共有型のSNSのアプリだ。
「九南学院のウラアカ知ってる? ほら、ここ」
双子と麗が校庭を歩いている画像を指さす。
校庭の茂みから撮られたようで、明らかな盗撮だ。
画像の下には、短い文章が綴られている。
『カースト底辺、根暗のキモ女。ツイプリの下僕で、一緒に住んでる。苗字が違うから、腹違いの兄妹か? 格差ありすぎて乙』
麗の胸の中が、ぞわっと沸き立つ。
双子への怒りとは違う。憎しみとも違う。
見えない悪意が、全身を這いずり回る。
不快感と、恐怖がこみ上げる。
……気持ち悪い。
爪先が冷えていく。
顔を上げると、好奇心と高圧的な無数の目線に射抜かれる。
注射針を向けられているような嫌悪感に、胸が疼く。
「何してんだよ」
「麗ちゃん、帰ろう」
突然、葵と晴が女子の輪の中に入り込んできた。
「行くぞ」
俯いている麗の腕を葵が掴み、無理矢理立たせた。
ふっと息が軽くなる。
掴まれた腕からじんわりと熱が伝わる。
「じゃあね」
晴が爽やかな笑顔で手を振ると、大きな歓声が上がった。
「うるせえ」
葵は片耳を塞ぎ、麗を廊下に引っ張っていく。
「離してください。……痛いです」
葵の手を振り払い、腕をさする。
助けてなんて、言ってないのに。
「そうかよ」
むすっとした表情で、ポケットに手を突っ込んだ。
「麗ちゃん、こんなの気にしなくていいよ」
晴が、ウラアカの投稿画面を見せてくる。
「これ、知ってたんですか?」
「うん。女の子たちから教えてもらったんだ。葵もアカウントフォローしたら?」
「くだらねえ」
葵は眉間に皺を寄せ、麗を見下ろした。
「何であいつらの前で黙ってた? 嘘だって言えよ」
「それは……」
嘘だって言ったら、説明しないといけなくなる。
鹿島家に住んでいる本当の理由を。
それだけは、絶対に嫌。
「ちっ。陰気くせえ顔しやがって」
舌打ちをして歩き出そうとする葵の前に、体格の良い3人の男子生徒が立ちふさがった。
「お前が、鹿島葵だな」
それぞれ柔道着、剣道着、空手着を着ており、胸元には主将の文字。
「だったらなんだよ」
葵は面倒くさそうに、3人を睨みつけた。
「スポーツ特待生なら、部活に入る決まりだろ」
葵よりも頭一つ分高い柔道部主将が、葵を睨み返す。
「弱いやつと群れる趣味ねえよ」
空気が凍り付く。
人を苛つかせる天才だ。主将たちが怒りに震える。
……まずい。
「なめた態度とってんじゃねえぞ」
柔道着主将が葵の襟を鷲掴みにした。
「あっ、ダメです!」
麗が止め間もなく、葵は体勢を低くして相手の懐に潜った。
ビターン!
巨体が綺麗に宙を舞い、床に叩きつけられた。
だから言ったのに。
麗は同情の眼差しを向け、溜息をついた。
「先輩、手加減してもらってよかったですね。アオが本気出してたら、背骨折れてましたよ」
晴は薄ら笑いを浮かべ、痛みに顔をしかめている柔道部主将を見下ろした。
他の2人の主将は、青ざめた顔で葵を見つめた。
「俺に勝てたら入ってやるよ」
馬鹿にした顔で鼻を鳴らす。
いつの間にか集まっていた1年生の集団から、歓声と拍手が起こった。
「おまえら、何見てんだ!」
「散れ!」
剣道部と空手部の主将が怒鳴ると、1年生たちは委縮して散っていった。
「……くそっ」
柔道部主将は葵をひと睨みすると、悔しそうに表情を歪めた。
「早く帰りましょう」
これ以上面倒ごとを起こすのはまずい。
麗は葵の背中を押して、そそくさと階段を下りて行った。
晴がちらりと振り返る。
一瞬、廊下の柱の影に隠れる人影が見えた。
「……退屈しなさそう」
晴の口角がにやりと上がる。
柱の影では、新聞部の部員が興奮した目でシャッターを切った。
「これは良い資料になりそうだ。早くあの方に報告しないと」
ニヤリと笑みを浮かべ、深緑色のネクタイを興奮気味に揺らしながら、階段の方へ消えて行った。
翌朝。
校舎に入ると、昇降口付近に大勢の生徒の人だかりができていた。生徒達が葵と晴に気づくと、まるで海を割るように道ができた。開かれた道の先には、掲示板があり、校内新聞が貼られている。
『1年が3年を背負い投げ⁉ 柔道部主将面目丸つぶれ!』
目立つタイトルの下に、葵が柔道部の3年生を背負い投げしている瞬間の画像がある。
いつの間に、こんなの撮られてたの? 校内新聞に載るなんて……。
いい気味なのに、胸がざわつく。
「アオ、おめでとう。校内新聞デビューだね」
皮肉交じりの拍手を送る晴。葵は新聞をはがしてぐしゃぐしゃに丸めた。非難の声を上げる生徒達を睨みつけた葵は、階段横のゴミ箱に放り投げた。
ブブッ。
麗、葵、晴のスマホが同時に震えた。
『3人、今すぐ理事長室に来なさい』
グループチャットに届いた理事長からのメッセージ。ただの文字なのに、怒りが滲んでいる気がする。麗の顔から血の気が引いていった。
叱れるのを覚悟していたが、理事長は穏やかな笑みで出迎えてくれた。
麗は胸を撫で下ろす。だが、葵と晴はソファに座ろうとせず、気まずそうな顔で立ったままだ。理事長は校内新聞を弾いて床に落とし、葵に笑顔を向けた。
「アオくん。記事の内容は、事実かな?」
葵は目を泳がせて、頷く。理事長は席を立ち、新聞を踏みつけた。ぐしゃっと新聞にしわが寄る。
「気を付けてもらわないと困るな」
葵の肩に手を置くと、理事長の顔からすっと笑顔が消えた。葵は顔を強張らせ、頭一つ分高い理事長を見上げた。
「君のわがままを通すのに、私がどれほど神経を使ったか」
氷のように冷たい視線に、恐怖を促す重低音ボイス。
やっぱり、理事長は裏社会の人間だ。
葵だけでなく晴も怯えているのか、いつもの笑みが引きつっている。
「問題を影ながら解決するべき君たちが、問題を起こす側になってどうする」
理事長は腕組をすると、表情をやわらげ、教育者らしい顔つきに戻った。
「麗さん、君は2人の世話係だろう? 今後、このようなことがないよう気を付けてくれ」
下僕扱いされている私にどうしろと?
抗議したかったが、理事長の恐ろしさを知ってしまった今、素直に頷くしかなかった。
「問題の種を持ち込んでしまった君には、ペナルティを与えないといけない」
すっと目を細め、葵に指を突き付ける。
「ペナルティって、何だよ」
葵が顔をしかめ、たじろぐ。
「柔道部、剣道部、空手部の大会で、助っ人として出てもらうよ」
理事長は人当たりの良い笑みを浮かべた。
「はあ⁉ 何だよ、それ。めんど……」
理事長が一瞬、鋭利な目線を向ける。葵は、目を逸らして口をつぐんだ。
「非公式の学院アカウント、知っているかい?」
スマホ画面を3人に向けた。
「学院にとって害でしかない」
投稿には、噂、盗撮、虚偽情報——。
放置すれば、学院全体が不安に飲まれる。理事長の立場も危うくなる。
「ウラ風紀委員、初任務だ」
理事長の鋭い視線が突き刺さる。
「作成者を突き止め、削除させなさい」
なに、そのミッション。初任務にしてはレベル高くない? アカウントなんて、顔も見えないのに。
「……面倒すぎる。外部の人だったらどうすればいいのさ」
「その時はこちらで処理する。内部ではない証明をしてくれたらいい」
「それ、一番ムズイやつじゃん」
晴が、半目で唇を尖らせる。
学生の域を超えてる。裏社会の手駒だって勘違いしてるんじゃないの?
眉をひそめると、葵が嘲笑を浮かべて斜に構えた。
「フク兄がいるだろ」
「そうだった。フクロウくんに頼もう」
晴が笑顔で指を鳴らす。
情報屋——フクロウ。浮世離れしたウラの人間。
裏社会の人巻き込んで大丈夫なの?
「方法は問わない。だが、“ウラ”で粛々と頼むよ」
理事長は新聞を拾って、握りつぶす。
「例え、相手が素直に応じなかったとしても」
にっこり微笑む理事長と目が合う。麗の背筋が凍り、ぶるっと震えた。
カメラを持った小柄で眼鏡をかけた男子生徒が、辺りを窺いながら生徒会室の扉をノックした。
「失礼いたします」
扉を開けると、窓際の席に座る女子生徒が柔らかく微笑む。
机の上には、「生徒会室 佐沖澪」と記されたプレートが置いてある。澪の紫紺色のリボンには、クラウン型の金色のバッジが目立っている。
「あら、新聞部の部長さん。記事、読ませてもらいました。素晴らしいスクープでしたね」
「あ、ありがとうございます! 佐沖会長にお褒め頂き、光栄です!」
頬を染めて、勢いよく頭を下げた。
「私の方が後輩ですよ。そんなにかしこまらないでください」
新聞部部長が頭を上げると、澪の顔が窓からの日差しで逆光になり、眩しさに目を細めた。
「い、いや、学校のトップにそんな、滅相もない」
「……本当のトップは、理事長です。私は部長さんのように、協力してくださる生徒たちに支えられているんです」
澪は立ち上がると、新聞部部長と目線を合わせた。
「規律を乱す生徒のことを、公にしてくれありがとうございます」
「あのっ、そのっ……!」
顔を真っ赤にしてのけ反る新聞部部長に、澪は囁いた。
「新聞部の予算、調整しておきますね」
「あ、ありがとうございます!」
新聞部部長はへこへこ頭を下げながら、生徒会室を出て行った。
扉が閉まると、澪の顔から笑みが消える。
後ろを振り向き、壁にかけられている生徒会スローガンを口にした。
「公平は、規律によって守られる」
澪はスマホに目を落とし、口元をわずかに緩めた。
「情報も人も使い方次第。……独立不羈。私の正義は揺らがない」
窓を開けて、澪は手のひらを出した。
風に乗った桜の花びらが一枚、手の中に入り込む。
それをきゅっと握りしめる。
手を開くと、花びらはまるで、次の標的を探すように舞い上がった。
双子がいる限り、私に自由はない。
麗が肩を落として溜息をついた時、担任の町田恵が教室に入ってきた。
30代前半に見える、線の細い女性教師。目立つ美人顔ではないが、か弱く放っておけない雰囲気がある。
「部活動と委員会活動について説明しますね」
落ち着いた声がふわりと教室を包む。
私には何の関係もない話。
私だって、選びたかった。
なのに……。
麗は恨めしそうな目を双子に向けた。
頬杖をついている葵は、気だるそうに机の下でスマホをいじっている。
晴は隣の席の女子と、くすくす笑いながら話をしている。
目を閉じ、怒りに震える拳を片手で抑えつけた。
葵の首をネクタイで絞めて、スマホを奪って、晴に投げつけてやりたい。
ひるんだところを縛り上げて、教壇の上に飾り付けてやる。
写真撮って、学校中にばらまいたらおもしろそうじゃない?
「フフフフ、フフフフ」
麗は口許に手を当て、笑いを堪えた。
ポン。
頭に何かが当たり、机の上に丸まった紙が落ちる。
『笑うな、キモイ』
ド直球の悪口。下手くそな葵の文字だ。
葵を睨みつけると、声を出さず口を大きく3回動かした。
キ、モ、イ‥…!?
麗は怒りのあまり、机を拳で叩きつけた。
思ったよりも音が響き、教室中の視線を集めてしまった。
「長宮さん、大丈夫ですか?」
担任から、心配と困惑の入り交じった顔を向けられた。
「あ、はい。大丈夫です。すみません……」
麗は顔を真っ赤にしてうつむき、ちらっと葵を見る。
「バーカ」
鼻で笑われる。
晴は後ろの席で、声を押し殺して笑いを堪えている。
……永遠のクソガキ!
葵が投げつけてきた紙を、ビリビリに破いて手の中に握り込む。
町田が教室を出て行ってすぐ、ゴミ箱に投げ捨てた。
「長宮さん、聞きたいことあるんだけど」
帰り支度をしていると、いつの間にか席の周りに、クラス中の女子たちが集まり出した。
「な、何ですか?」
鞄をぎゅっと抱き寄せた麗に、女子たちは真剣な眼差しで矢継ぎ早に問いかけてきた。
「下僕って何?」
「同棲してるの?」
「兄妹って本当?」
矢継ぎ早に質問され、頭が追い付かない。
「……兄妹?」
ぽかんとしていると、ひとりの女子がスマホの画面を見せてきた。
写真共有型のSNSのアプリだ。
「九南学院のウラアカ知ってる? ほら、ここ」
双子と麗が校庭を歩いている画像を指さす。
校庭の茂みから撮られたようで、明らかな盗撮だ。
画像の下には、短い文章が綴られている。
『カースト底辺、根暗のキモ女。ツイプリの下僕で、一緒に住んでる。苗字が違うから、腹違いの兄妹か? 格差ありすぎて乙』
麗の胸の中が、ぞわっと沸き立つ。
双子への怒りとは違う。憎しみとも違う。
見えない悪意が、全身を這いずり回る。
不快感と、恐怖がこみ上げる。
……気持ち悪い。
爪先が冷えていく。
顔を上げると、好奇心と高圧的な無数の目線に射抜かれる。
注射針を向けられているような嫌悪感に、胸が疼く。
「何してんだよ」
「麗ちゃん、帰ろう」
突然、葵と晴が女子の輪の中に入り込んできた。
「行くぞ」
俯いている麗の腕を葵が掴み、無理矢理立たせた。
ふっと息が軽くなる。
掴まれた腕からじんわりと熱が伝わる。
「じゃあね」
晴が爽やかな笑顔で手を振ると、大きな歓声が上がった。
「うるせえ」
葵は片耳を塞ぎ、麗を廊下に引っ張っていく。
「離してください。……痛いです」
葵の手を振り払い、腕をさする。
助けてなんて、言ってないのに。
「そうかよ」
むすっとした表情で、ポケットに手を突っ込んだ。
「麗ちゃん、こんなの気にしなくていいよ」
晴が、ウラアカの投稿画面を見せてくる。
「これ、知ってたんですか?」
「うん。女の子たちから教えてもらったんだ。葵もアカウントフォローしたら?」
「くだらねえ」
葵は眉間に皺を寄せ、麗を見下ろした。
「何であいつらの前で黙ってた? 嘘だって言えよ」
「それは……」
嘘だって言ったら、説明しないといけなくなる。
鹿島家に住んでいる本当の理由を。
それだけは、絶対に嫌。
「ちっ。陰気くせえ顔しやがって」
舌打ちをして歩き出そうとする葵の前に、体格の良い3人の男子生徒が立ちふさがった。
「お前が、鹿島葵だな」
それぞれ柔道着、剣道着、空手着を着ており、胸元には主将の文字。
「だったらなんだよ」
葵は面倒くさそうに、3人を睨みつけた。
「スポーツ特待生なら、部活に入る決まりだろ」
葵よりも頭一つ分高い柔道部主将が、葵を睨み返す。
「弱いやつと群れる趣味ねえよ」
空気が凍り付く。
人を苛つかせる天才だ。主将たちが怒りに震える。
……まずい。
「なめた態度とってんじゃねえぞ」
柔道着主将が葵の襟を鷲掴みにした。
「あっ、ダメです!」
麗が止め間もなく、葵は体勢を低くして相手の懐に潜った。
ビターン!
巨体が綺麗に宙を舞い、床に叩きつけられた。
だから言ったのに。
麗は同情の眼差しを向け、溜息をついた。
「先輩、手加減してもらってよかったですね。アオが本気出してたら、背骨折れてましたよ」
晴は薄ら笑いを浮かべ、痛みに顔をしかめている柔道部主将を見下ろした。
他の2人の主将は、青ざめた顔で葵を見つめた。
「俺に勝てたら入ってやるよ」
馬鹿にした顔で鼻を鳴らす。
いつの間にか集まっていた1年生の集団から、歓声と拍手が起こった。
「おまえら、何見てんだ!」
「散れ!」
剣道部と空手部の主将が怒鳴ると、1年生たちは委縮して散っていった。
「……くそっ」
柔道部主将は葵をひと睨みすると、悔しそうに表情を歪めた。
「早く帰りましょう」
これ以上面倒ごとを起こすのはまずい。
麗は葵の背中を押して、そそくさと階段を下りて行った。
晴がちらりと振り返る。
一瞬、廊下の柱の影に隠れる人影が見えた。
「……退屈しなさそう」
晴の口角がにやりと上がる。
柱の影では、新聞部の部員が興奮した目でシャッターを切った。
「これは良い資料になりそうだ。早くあの方に報告しないと」
ニヤリと笑みを浮かべ、深緑色のネクタイを興奮気味に揺らしながら、階段の方へ消えて行った。
翌朝。
校舎に入ると、昇降口付近に大勢の生徒の人だかりができていた。生徒達が葵と晴に気づくと、まるで海を割るように道ができた。開かれた道の先には、掲示板があり、校内新聞が貼られている。
『1年が3年を背負い投げ⁉ 柔道部主将面目丸つぶれ!』
目立つタイトルの下に、葵が柔道部の3年生を背負い投げしている瞬間の画像がある。
いつの間に、こんなの撮られてたの? 校内新聞に載るなんて……。
いい気味なのに、胸がざわつく。
「アオ、おめでとう。校内新聞デビューだね」
皮肉交じりの拍手を送る晴。葵は新聞をはがしてぐしゃぐしゃに丸めた。非難の声を上げる生徒達を睨みつけた葵は、階段横のゴミ箱に放り投げた。
ブブッ。
麗、葵、晴のスマホが同時に震えた。
『3人、今すぐ理事長室に来なさい』
グループチャットに届いた理事長からのメッセージ。ただの文字なのに、怒りが滲んでいる気がする。麗の顔から血の気が引いていった。
叱れるのを覚悟していたが、理事長は穏やかな笑みで出迎えてくれた。
麗は胸を撫で下ろす。だが、葵と晴はソファに座ろうとせず、気まずそうな顔で立ったままだ。理事長は校内新聞を弾いて床に落とし、葵に笑顔を向けた。
「アオくん。記事の内容は、事実かな?」
葵は目を泳がせて、頷く。理事長は席を立ち、新聞を踏みつけた。ぐしゃっと新聞にしわが寄る。
「気を付けてもらわないと困るな」
葵の肩に手を置くと、理事長の顔からすっと笑顔が消えた。葵は顔を強張らせ、頭一つ分高い理事長を見上げた。
「君のわがままを通すのに、私がどれほど神経を使ったか」
氷のように冷たい視線に、恐怖を促す重低音ボイス。
やっぱり、理事長は裏社会の人間だ。
葵だけでなく晴も怯えているのか、いつもの笑みが引きつっている。
「問題を影ながら解決するべき君たちが、問題を起こす側になってどうする」
理事長は腕組をすると、表情をやわらげ、教育者らしい顔つきに戻った。
「麗さん、君は2人の世話係だろう? 今後、このようなことがないよう気を付けてくれ」
下僕扱いされている私にどうしろと?
抗議したかったが、理事長の恐ろしさを知ってしまった今、素直に頷くしかなかった。
「問題の種を持ち込んでしまった君には、ペナルティを与えないといけない」
すっと目を細め、葵に指を突き付ける。
「ペナルティって、何だよ」
葵が顔をしかめ、たじろぐ。
「柔道部、剣道部、空手部の大会で、助っ人として出てもらうよ」
理事長は人当たりの良い笑みを浮かべた。
「はあ⁉ 何だよ、それ。めんど……」
理事長が一瞬、鋭利な目線を向ける。葵は、目を逸らして口をつぐんだ。
「非公式の学院アカウント、知っているかい?」
スマホ画面を3人に向けた。
「学院にとって害でしかない」
投稿には、噂、盗撮、虚偽情報——。
放置すれば、学院全体が不安に飲まれる。理事長の立場も危うくなる。
「ウラ風紀委員、初任務だ」
理事長の鋭い視線が突き刺さる。
「作成者を突き止め、削除させなさい」
なに、そのミッション。初任務にしてはレベル高くない? アカウントなんて、顔も見えないのに。
「……面倒すぎる。外部の人だったらどうすればいいのさ」
「その時はこちらで処理する。内部ではない証明をしてくれたらいい」
「それ、一番ムズイやつじゃん」
晴が、半目で唇を尖らせる。
学生の域を超えてる。裏社会の手駒だって勘違いしてるんじゃないの?
眉をひそめると、葵が嘲笑を浮かべて斜に構えた。
「フク兄がいるだろ」
「そうだった。フクロウくんに頼もう」
晴が笑顔で指を鳴らす。
情報屋——フクロウ。浮世離れしたウラの人間。
裏社会の人巻き込んで大丈夫なの?
「方法は問わない。だが、“ウラ”で粛々と頼むよ」
理事長は新聞を拾って、握りつぶす。
「例え、相手が素直に応じなかったとしても」
にっこり微笑む理事長と目が合う。麗の背筋が凍り、ぶるっと震えた。
カメラを持った小柄で眼鏡をかけた男子生徒が、辺りを窺いながら生徒会室の扉をノックした。
「失礼いたします」
扉を開けると、窓際の席に座る女子生徒が柔らかく微笑む。
机の上には、「生徒会室 佐沖澪」と記されたプレートが置いてある。澪の紫紺色のリボンには、クラウン型の金色のバッジが目立っている。
「あら、新聞部の部長さん。記事、読ませてもらいました。素晴らしいスクープでしたね」
「あ、ありがとうございます! 佐沖会長にお褒め頂き、光栄です!」
頬を染めて、勢いよく頭を下げた。
「私の方が後輩ですよ。そんなにかしこまらないでください」
新聞部部長が頭を上げると、澪の顔が窓からの日差しで逆光になり、眩しさに目を細めた。
「い、いや、学校のトップにそんな、滅相もない」
「……本当のトップは、理事長です。私は部長さんのように、協力してくださる生徒たちに支えられているんです」
澪は立ち上がると、新聞部部長と目線を合わせた。
「規律を乱す生徒のことを、公にしてくれありがとうございます」
「あのっ、そのっ……!」
顔を真っ赤にしてのけ反る新聞部部長に、澪は囁いた。
「新聞部の予算、調整しておきますね」
「あ、ありがとうございます!」
新聞部部長はへこへこ頭を下げながら、生徒会室を出て行った。
扉が閉まると、澪の顔から笑みが消える。
後ろを振り向き、壁にかけられている生徒会スローガンを口にした。
「公平は、規律によって守られる」
澪はスマホに目を落とし、口元をわずかに緩めた。
「情報も人も使い方次第。……独立不羈。私の正義は揺らがない」
窓を開けて、澪は手のひらを出した。
風に乗った桜の花びらが一枚、手の中に入り込む。
それをきゅっと握りしめる。
手を開くと、花びらはまるで、次の標的を探すように舞い上がった。
