アオハルな恋とウラらかな復讐

 最悪な入学初日。
 双子がいる限り、私に自由はない。

 麗が肩を落として溜息をついた時、担任の町田恵が教室に入ってきた。
 儚げな雰囲気を纏う女性教師。目立つ美人顔ではないが、か弱く放っておけない雰囲気がある。

「部活動と委員会活動について説明しますね」

落ち着いた声がふわりと教室を包む。
 もう、私には関係ない話。
 私だって、放課後に友達とくだらない話をして、部活帰りに寄り道して、恋バナだってしてみたかった。 
 ……ただ、それだけだったのに。

 麗は恨めしそうな目を双子に向けた。
 頬杖をついている葵は、気だるそうに机の下でスマホをいじっている。
 晴は隣の席の女子と、くすくす笑いながら話をしている。
 目を閉じ、怒りに震える拳を片手で抑えつけた。

 葵と晴の首を絞めて、2人まとめて黙らせてやりたい。
 みんなの前で下僕宣言撤回させて、私の高校生活を取り戻す!

「フフフフ……」

笑いが漏れそうになり、慌てて口元を押さえる。その時、頭に何かが当たり、机の上に丸まった紙が落ちた。

『笑うな、キモイ』

下手くそな葵の字。怒りのあまり机を叩きつけてしまい、教室中の視線が集まった。

「長宮さん、大丈夫ですか?」

担任から、心配と困惑の入り交じった顔を向けられた。

「あ、はい。大丈夫です。すみません……」

麗は顔を真っ赤にしてうつむき、ちらっと葵を見る。

「バーカ」

鼻で笑われる。
 晴は後ろの席で、声を押し殺して笑いを堪えている。

 ……永遠のクソガキ! 

 葵が投げつけてきた紙を、ビリビリに破いて手の中に握り込む。
 町田が教室を出て行ってすぐ、ゴミ箱に投げ捨てた。

「長宮さん」

帰り支度をしていると、いつの間にか席の周りに、クラス中の女子たちが集まってきた。

「な、何ですか?」

鞄をぎゅっと抱き寄せた麗に、女子たちは真剣な眼差しで矢継ぎ早に問いかけた。

「下僕って何?」
「同棲してるの?」
「兄妹って本当?」

矢継ぎ早の質問に、思考が追いつかない。

「……兄妹?」
「学校のウラアカなんだけど」

写真共有型のSNSのアプリを見せられる。

『カースト底辺、根暗のキモ女。ツイプリの下僕で、同棲中。兄妹か? 格差ありすぎて乙』

 盗撮された麗たちの写真と、顔の見えない悪意。
 麗の胸の中が、ぞわっと沸き立つ。
 双子への怒りとは違う。憎しみとも違う。
 不快感と、恐怖がこみ上げる。
 ……気持ち悪い。

 顔を上げると、好奇心と高圧的な無数の目線に射抜かれる。
 注射針を向けられているような嫌悪感に嫌気がさす。
 ただ、普通に馴染みたかっただけなのに。
 また、私は“普通”になれない。

「やめなよ。長宮さん困ってるよ」

鋭い声が視線を遮る。
 ポニーテールを揺らしながら、女子たちに睨みをきかせる。

 この人、庇ってくれたの? ……私を?

「鹿島君達に聞けばいいじゃん」

腰に手を当て、葵と晴を指差す。

「だって……。ねえ」
「聞きにくいし」

他の女子たちは気恥ずかしそうな顔で2人を見る。

「だからって、長宮さん困らせたらかわいそうだよ」

……かわいそう? そんな風に見えてた? 
 でも、唯一庇ってくれたクラスメイトなんだから、感謝しないと。

「ごめんね、長宮さん」

女子たちは口々に謝ると、気まずそうな顔で散っていった。
 
「お節介だったかな? なんか、放っておけなくて」

上目遣いの大きな瞳が、申し訳なさそうに翳る。

「いえ、助かりました。ありがとうございます」

頭を下げると、突然両手を包まれた。久しぶりの温もりに、鼻の奥がつんとする。

「あはは。敬語やめてよ。私、佐々木恵。メグって呼んで。ね、“ともだち”なろう」

連絡専用アプリを見せられ、麗は戸惑う。
 葵と晴しか入っていない“ともだち”リストに追加された“メグ”を凝視した。

 友達、つくれちゃった? 
 これ、夢じゃないよね?
 高校生活、終わってなかった。奪われてなかった。友達、できた!

喜びのあまり、スマホを持つ手が震える。

「レイって呼んでいい?」
「も、もちろん!」

諦めかけていた友達が、こんなに簡単にできちゃうなんて!
 しかも、あだ名呼び。
 それに……。

「このスタンプかわいいっしょ」

トーク欄に、初めて葵と晴以外のトークが表示される。
 うさぎの着ぐるみを被ったおじさんが、小躍りしているスタンプ。
 気味悪いのに、笑える。

「ははっ。このキャラクター、おもしろい」

自然と笑みがこぼれる。
 こんなふうに笑うの、いつ振りだろう。
 友達の力ってすごい。

「……知らないの?」

メグが怪訝な表情を浮かべる。
 知っていて当然のものだったとは。
 変なやつだって思われた。
 恥ずかしい……。

「私、あんまり友達いたことなくて」

俯くと、スマホの黒い画面に情けない顔の自分が映る。
 
「じゃあさ、私と友達っぽいこと、いっぱいしよ!」
「友達っぽいこと?」

その言葉が胸の奥に、小さな春を灯してくれた。

「クレープ食べたり、カラオケ行ったり、プリ撮ったりとか」

何それ! めちゃくちゃいい!
 夢の先に密かに思い描いていた、友達の理想像そのもの。
 放課後、制服のまま寄り道して。  
 可愛い雑貨を見たり、恋バナをしたり、部活帰りにくだらないことで笑ったり——。
 そんな“普通”が、私にも手に入るかもしれない。
 メグのおかげで、明日から少しずつ普通になれる気がする。

「友達になった記念に、お揃いのキーホルダー買いに行こうよ」
「行く!」

勢いよく立ち上がる。
 私の青春、諦めないで良かった。
 友達との買い物、楽しみすぎる!
 にやけ顔で恵と教室を出ようとした時。

「麗ちゃん、帰ろう」

晴に肩を捕まれ、足を止めた。

「え? メグと帰る……」
「行くぞ」

言い切る前に、葵に腕を捕まれた。

「離してください。友達と帰るって約束したんです」

恵に手を伸ばすが、強い力で葵に引っ張られた。

「……また今度にしよっか。バイバイ」

固い表情で手を振る恵に謝る暇もなく、廊下に引きずり出された。

「せっかく友達できたのに!」

葵と晴を睨み付ける。

「おまえなんかにできるわけねえだろ」
「これが証拠です!」

鼻で笑う葵に、“ともだち”リストを見せつけた。

「だからなんだよ。……必要ねえだろ」
「よかったね。でもさ」

顔をしかめる葵とは対照的に、晴は薄笑いを浮かべた。

「期待しすぎない方がいいよ」

ひどい。メグとの放課後、邪魔したくせに、そんな言い方するなんて。性格歪みすぎ。……今に始まったことじゃないけど。

「それと、こんなの気にしなくていいよ」

晴が、ウラアカの投稿画面を見せてくる。

「これ、知ってたんですか?」
「女の子たちから教えてもらったんだ」
「何が兄妹だ。あいつらに嘘だって言えよ。何で黙ってたんだ」

葵は眉間に皺を寄せ、麗を見下ろした。

「それは……」

嘘だって言ったら、説明しないといけなくなる。
 鹿島家に住んでいる本当の理由を。
 それだけは、絶対に嫌。
 誰にも知られたくない。

「ちっ。陰気くせえ顔しやがって」

舌打ちをする葵の前に、柔道着姿の大柄な生徒が立ちふさがった。胸元には“片倉”の文字がある。

「お前が鹿島葵だな。スポーツ特待生なら部活に入れ」
「弱いやつと群れる趣味ねえよ」

空気が凍り付く。
 人を苛つかせる天才だ。

「なめた態度とってんじゃねえぞ!」

片倉が葵の襟を鷲掴みにした瞬間、巨体が宙を舞った。

「手加減してもらえてよかったですね。アオが本気出してたら、背骨折れてましたよ」

床で伸びている片倉を見下ろした晴が、薄く笑う。

「俺に勝てたら入ってやるよ」

挑発しないでよ。これ以上、普通から遠ざかりたくないのに……。

 気付いたら野次馬が集まり、ざわつきいている。人だかりの奥で、恵が頬を染めて葵に熱い視線を送っている。

「早く帰りましょう」

麗は葵の背中を押して、そそくさと階段を下りて行った。
 晴がちらりと振り返る。
 一瞬、廊下の柱の影に隠れる人影が見えた。

「……退屈しなさそう」

晴の口角がにやりと上がる。

 柱の影では、新聞部の部員が興奮した目でシャッターを切った。

「これは良い資料になりそうだ。早くあの方に報告しないと」

使命感に満ちた表情で、階段を駆け下りた。


 翌朝。
 昇降口の掲示板の前には、人だかりができていた。掲示されている校内新聞を目にした麗は、目を見開いた。

 『1年が3年を背負い投げ⁉ 柔道部主将面目丸つぶれ!』

 葵が片倉を背負い投げしている瞬間の画像も掲載されている。

 いつの間に撮られてたの? 
 校内新聞に載るなんて。 
 いい気味なのに、胸がざわつく。

「アオ、おめでとう。校内新聞デビューだね」

晴が皮肉交じりの拍手を送る。

「あれが主将かよ。弱すぎだろ」

葵は新聞をはがしてぐしゃぐしゃに丸めた。非難の声を上げる生徒達を睨みつけ、ゴミ箱に放り投げた。

「レイ、新聞見たよ。葵くん凄いね」

教室に入ってすぐ、恵が話しかけてきた。葵は麗に持たせていた鞄を乱暴にひったくって、自分の席に座った。それを目で追う恵の頬が、うっすら桃色に染まる。

「葵くんさ、中学の時、全国大会で優勝したんでしょ。スポーツ特待生だし、かっこいいよね」

うっとりと目を細める恵の声音が、ねっとりと甘い。

「……詳しい、ね」
「あはは。これぐらいみんな知ってるよ」
「そう、なんだ」

みんなって誰? クラスメイトたち? 
 教室を見回す。
 晴の周りには女子の群れ。
 少し遠巻きに葵を見ながら頬を染めている女子たち。
 何であんな顔できるんだろう。外見しか見てないのに。中身は最低最悪だって教えてあげたい。

「レイは部活決めた? 私、迷っててさ。吹奏楽やってみたいんだけど、中学からの友達はテニス部にするって言ってて」
「メグがやりたい部活でいいと思う。……選ぶ権利があるんだから」

私と違って。
 羨ましい悩み。選べるんだからやりたいことをやればいい。友達と合わせる必要なんてない。

「でもさ、吹奏楽部に知り合いいなくて、上手くやれるか不安。まだ決まってなかったら、一緒に入らない?」

まるでチワワのような潤んだ瞳で見つめられ、思わず頷きそうになった。
 うんって言いたい。
 でも、言えない。
 私には自由がないーー。
 返事をできずに俯いていたら、恵が顔を覗き込んできた。

「他に入りたい部活ある?」
「そうじゃなくて……」
「もしかして、部活入らない? 葵くんから入るなとか言われてる?」
「え、何で?」
「下僕とか言ってたから。家で色々やらされてるのかなあって」
「あー、うーん、そんな感じ」

ウラ風紀委員のこと言えたらよかったのに。自分で下僕だって認めたくなかった……。

「私が言ってあげようか? 下僕なんておかしいって」

また私のために怒ってくれた。正義感溢れる恵の顔が輝いて見える。
 人の優しさはひだまりみたい。
 胸の中を明るく照らし、影を一掃する。
 心が震えて、目頭が熱くなる。

「ありがとう。気持ちだけで充分。すごく嬉しい」

感動で言葉尻が震える。

「……そう?」

一瞬、表情が消える。すぐに朗らかな笑顔を浮かべた。

「なんかあったらいつでも言って。友達だから」

友達という言葉がじんわりと沁み渡る。
 性格が破綻している葵と晴には、絶対に分からない。

 ブブッ。
 鞄の中でスマホが震える。

『3人共、今すぐ理事長室に来なさい』

グループチャットに届いた理事長からのメッセージ。ただの文字なのに、怒りが滲んでいる気がする。麗の顔から血の気が引いていった。

 叱れるのを覚悟していたが、理事長は穏やかな笑みで出迎えてくれた。
 麗は胸を撫で下ろす。だが、葵と晴はソファに座ろうとせず、気まずそうな顔で立ったままだ。理事長は校内新聞を弾いて床に落とし、葵に笑顔を向けた。

「アオくん。記事の内容は、事実かな?」

葵は目を泳がせて、頷く。

「問題の種を持ち込んでしまった君には、ペナルティを与えないといけない」

理事長がふみつけた新聞が、ぐしゃりと音を立てる。

「ペナルティって、何だよ」

葵が顔をしかめ、たじろぐ。

「空手部の大会で、助っ人として出てもらうよ」
「はあ⁉ 何だよ、それ。めんど……」

理事長の鋭利な視線に射貫かれた葵は、口をつぐんだ。

「非公式の学院アカウント、知っているかい?」

理事長がスマホ画面を向ける。
 噂。
 盗撮。
 虚偽情報。
 学院にとって害でしかない。

「ウラ風紀委員、初任務だ」

鋭い視線が突き刺さる。

「作成者を突き止め、削除させなさい」

なに、そのミッション。初任務にしては重すぎる。
 学生の域を超えてる。裏社会の手駒だって勘違いしてるんじゃないの?
 眉をひそめると、葵が嘲笑を浮かべて斜に構えた。

「フク兄がいるだろ」

情報屋——フクロウ。
 裏社会の人間まで巻き込むなんて。

「方法は問わない。だが、“ウラ”で粛々と頼むよ」

理事長は新聞を拾って、握りつぶす。

「例え、相手が素直に応じなかったとしても」

にっこり微笑む理事長と目が合う。麗の背筋が凍り、身震いした。
 普通から遠ざかるたび、心の奥で何かが静かに濁っていく。

 ——奪われるだけでいいの?

 微かな声が問いかける。

 奪われ続けるくらいなら、いっそ——。

 目を閉じた先に広がるのは、光の届かない闇だった。


「失礼いたします」

生徒会室の扉が遠慮がちに開いた。

「あら、部長さん。素晴らしいスクープでしたね」
「あ、ありがとうございます! 会長にお褒め頂き、光栄です!」

頬を染めて、勢いよく頭を下げた。

「私の方が後輩です。そんなにかしこまらないでください」
「い、いや、学校のトップにそんな……」
「本当のトップは、理事長ですよ」

澪は穏やかに微笑んだ。

「私はまだ、皆さんに支えられているだけです」

澪は立ち上がると、新聞部部長と目線を合わせて囁いた。

「新聞部の予算、調整しておきますね」
「あ、ありがとうございます!」

新聞部部長はへこへこ頭を下げながら、生徒会室を出て行った。
 扉が閉まると、澪の顔から笑みが消える。
 振り向き、壁にかけられている生徒会スローガンを口にした。

「公平は、規律によって守られる」

澪はスマホに目を落とし、口元をわずかに緩めた。

「情報も人も使い方次第。……独立不羈。私の正義は揺らがない」

窓を開けて、澪は手のひらを出した。
 風に乗った桜の花びらが一枚、手の中に入り込む。
 それをきゅっと握りしめる。
 手を開くと、花びらはまるで、次の標的を探すように舞い上がった。