アオハルな恋とウラらかな復讐

 星が瞬く空の下、特設ステージを前に、全校生徒が集まっている。
 ステージに立つ澪が、マイクを口に近づけた。

「優勝クラスを発表します。優勝は……」

生徒たちが固唾をのんで見守る。

 お願い!

 麗は両手を組み合わせて、祈るように目を閉じる。

「2年1組です」

 うそっ……。

「やったー!」
「優勝だ‼」

ピョンピョン飛び跳ね、抱き合ったり、ハイタッチをしたり、歓喜に沸いた。

「2位は……、1年3組」

一瞬、音が消えた。

「……え?」

麗の顔から血の気が引いていく。

「そんな……」
「あんなに頑張ったのに……」

 悔しい。
 悔しすぎる。
 
 放課後、みんなで居残った文化祭準備。
 鬼気迫る、葵と晴とのステージ準備。
 忙しなくも、クラスメイトたちと駆け回った喫茶店。
 襲撃で初めて知った恐怖と、葵と晴の頼もしい姿。
 緊張しながらも全力を出し切ったステージ。
 そして、切った前髪。

 これまでのことが早足で脳裏を駆け巡る。

 ——届かなかった。あと一歩で。

 叫びたい。
 泣きわめきたい。
 感情を爆発させたい衝動がこみ上げる。

 それを抑え込むように、麗は拳を震わす。

「うっ、くっ……。ごめん、ぼくがもっと、しっかりしていれば……」
「委員長のせいじゃないよ」
「泣くなよ。俺たちまで泣けてくるじゃねえか」

泣き崩れる委員長を慰めながらも、悔し涙は連鎖していく。
 麗も震える唇を噛みしめ、涙を堪えた。
 
「おまえまで泣いてんじゃねえよ」

葵が制服の上着を麗の頭にかぶせる。

「だって……」

上着をぎゅっと握りしめ、顔を隠す。

「麗ちゃん、頑張ったもんね。前髪まで切っちゃったし」

晴が上着をどかし、ジグザグに切られた前髪に哀れな目を向けた。

「勝手なことしやがって」

不機嫌そうな顔で舌打ちをする。
 
「別にいいでしょ。私の前髪なんだから」

葵から顔を背けて、そっぽを向く。いつの間にか涙は引っ込んでいた。

「ぼくはいいと思うよ。……にしても、なんかにおうんだよねえ。生徒会長のクラスが優勝とか、できすぎてない?」

ステージ上で微笑む澪に、晴は鋭い視線を送る。

「それでは、優勝賞品の授与式を行います。2年1組を代表して、僭越ながら私が……」
「佐沖さん、ちょっといいかな」

マイクを片手に理事長が颯爽とステージに上がり、人の良い笑みを浮かべる。
 生徒たちはどよめく。

「……理事長。どうされました?」

澪は一拍間を置いて、ふわりと微笑んだ。
 
「文化祭中、トラブルが発生した。怖い思いをさせてしまい、申し訳ない」

生徒に向かって、頭を下げる。
 しんと静まった。

「ランキングに、教師陣の評価も加味することにした。妨害を受けた3クラスには、1ポイントずつ付与した。その結果、優勝は……」

期待と緊張の空気が場を覆う。
 澪は笑みを保ったまま、マイクをぎゅっと握った。
 
「1年3組だ。おめでとう」

理事長の柔らかい眼差しが、麗、葵、晴に向けられた。

「うおぉぉぉぉ!」
「やったー‼」

雄叫びと歓声をあげるクラスメイトたちが、泣き笑いの顔で抱き合う。

「ゆ、優勝? 本当に?」

麗は目を見開き、口元に手を当てる。肩から葵の上着が落ちる。葵が拾い上げ、麗の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。

「優勝だってよ。良かったな」
「うん!」

顔いっぱいに笑みがほころぶ。
 葵はその表情から目が離せない。
 初めてだった。
 こんな顔で笑う麗を見るのは。
 ただの笑顔なのに、葵の胸の奥は妙にざわついた。

「麗ちゃんの笑顔、見惚れちゃうよね」

晴の囁きがひっかかる。
 クラスメイトたちの輪の中で無邪気に笑う麗  を、葵は無意に目で追っていたことに気づいた。
 心臓が締め付けられ、顔が火照る。

「……何だよ、これ」

得体の知れない感情から逃れるように、葵は集団の中から外れて暗闇に紛れた。
 委員長がステージに上がり、理事長から優勝賞品の引換券を受け取った。嬉し涙を流しながら天高く掲げる。クラスメイトたちが歓声と拍手を送った。
 
 理事長の目線が澪に移る。

「君とは一度、面談をする必要がありそうだ」

低く冷たい声。澪の表情が若干強張る。それでも笑みは絶やさない。

「私も、お聞きしたいことがあったんです。……鹿島くんたちと、理事長の関係について、とか」

三日月型に細められた澪の瞳に、怪しげな光が宿る。
 
「それは個人情報だ。だが、君が隠していることを全て話すなら、応えてあげよう。だが……」

優しい笑みなのに、澪は威圧感で圧し潰されそうになる。

「その場合、帰る場所はないと思いなさい」

ぞくり。
 
 静かな恐怖が、蛇のように足元から這い上がり、うねりながら全身に巻き付く。

 ——普通の人間が出せる圧じゃない。
 ぞくぞくする。……楽しくなってきたわね。

「肝に銘じておきます」

澪は震えそうになる口元に手を添えた。だが、その目だけは笑っていた。
 理事長は小さく笑うと、ステージを下りた。


 出しっぱなしのメニュー、口の縛っていないゴミ袋、雑に置かれたメイドと執事の衣装。

「きたねえな」

それらを踏まないよう気を付けながら、葵はライトに照らされている校庭を見下ろした。
 窓を開けると、ポップな音楽と生徒達の笑い声と共に、乾いた風が入り込む。
 火照った頬を撫でる風が、心地良い。

 カタン。

 物音がして振り返る。

「ここにいたんだ」

麗が小さく微笑む。

 ドキッ。
 葵の心臓が跳ねる。

「急にいなくなったから、帰ったかと思った」

麗が隣に立ち、窓の下を眺める。
 不揃いの前髪が風に遊ばれ、乱れる。
 葵の手が、前髪に伸びる。
 触れる直前。
 葵の手がぴたりと止まる。
 誤魔化すように自分の髪をくしゃっと掴んだ。

「文化祭、うまくいったね。優勝できたし、ステージもなんとか最後までできたし」

麗が葵を見上げて満足そうな笑みを浮かべる。

「おまえにしては、よくやったんじゃねえの」

葵の小声が麗の鼓膜を震わす。

 褒めた? あの葵が?
 照れ臭いけど、ちょっと嬉しい。
 
「でもな、勝手なことしすぎなんだよ。前髪切りやがって」
「だって、あの時はああするしかなかったから」
「それだけじゃねえ。バッド持った奴に勝てるわけないだろ」
「でも、委員長が危なかったから」
「でもじゃねえよ!」

葵の低い声が静かな教室に響く。麗の肩がビクッと揺れる。

「何で自分より他人を優先すんだよ。俺が間に合わなかったからどうなってたか!」

葵の真剣な眼差しが麗の瞳を貫く。

「それは……」

麗は葵から視線を逸らし、教室を見渡した。
 ひびの入った鏡に映る、麗と葵の姿が歪んで見える。  
 
「あの時は、ただ助けなきゃって思ってたから。……でも、怖かった」

麗の脳裏に、バットを持った男たちがフラッシュバックする。

「理事長とか組長とか、怖い人いっぱい見て来たけど、全然違う怖さだった」

握りしめた手が、震える。
 葵は何も言わず、半歩、麗に近づいた。

「だけど、アオが来た時、安心した。助けてくれて、ありがとう」

麗が隣に立つ葵を見上げる。思ったよりも距離が近い。

「アホ。怖いなら逃げろよ」

葵が険しい顔でじっと見つめる。

 気まずい。
 なのに……。
 静かな眼差しから目を逸らせない。

 葵は、無言で麗の視線を受け止める。
 鼓動がうるさくて、落ち着かない。
 それでも……。
 目が離せない。
 その瞳に、自分だけを映してほしい。 
 葵の心の底から欲求が込み上げる。

 風が吹き込み、麗の髪があおられる。
 葵は麗の後ろ髪を撫でつけ、不揃いの前髪に触れる。
 
「ガタガタじゃねえか」
「しょうがないでしょ。……怒ってる?」

呟くように問いかける。

「命令違反は、罰だ」
「私は、下僕じゃない。命令も、罰も関係ない」

麗が強い眼差しを葵に向ける。
 
「クソ生意気。……これ以上、離れんな」

葵の艶やかな瞳が、麗を射貫いて離さない。
 命令のはずなのに、何でそんな不安そうな顔で言うの。
 私のことなんてどうでもいいんじゃないの。

「麗」
 
葵の顔が、ゆっくり近づいてくる。

 また、名前。
 こんな時に、反則すぎる。
 心臓が、外に飛び出そうなほど激しく脈打つ。
 音が、葵に聞こえそう。
 逃げられない。
 ——いや、違う。
 ……逃げたくない。
 
「2りっきりで、ナニしてるのかなあ?」

突然聞こえた晴の声に、葵と麗はビクッと肩を震わせ、距離を取った。

「ぼくだけ中間外れって、ひどいな。で、何しようとしてたのさ」

葵の肩に晴が肘を乗せる。その手を葵が振り払った。

「う、うるせえ。おまえには関係ねえ」
「じゃあ、僕が麗ちゃんにこんなことしても、関係ないよね?」

ポケットからハサミを取り出し、刃先を麗に向ける。シャキンと音を立てて、空を切った。

「な、何する気?」

麗の顔が強張る。

「大丈夫だよ。麗ちゃん、ちょっと目閉じてて」
「い、いや!」

麗は首を横に振って、後退りをするが、壁際に追い詰められる。
 助けを求めるように葵を見る。

「サイコか」

葵はただ、呆れた顔で腕組をしている。
 
 ……助ける気、ないの⁉

「すぐだから。ね」

麗の目の前に立った晴が、ニタリと不敵な笑みを浮かべた。
 麗はぎゅっと目を閉じた。

 シャキシャキ。

 前髪が、舞った。

 えっ? 髪?

「ほら、かわいくなった」

鏡を見ると、バラバラの前髪がきれいにラウンドカットに揃えられていた。

「……最初から言ってよ」

短くなった前髪を撫で、頬を膨らませる。

「アオじゃなくて、ぼくを選びなよ」

晴は麗の耳元に顔を近づけた。

「な、何言ってんの」

麗は耳を抑え、柔らかく微笑む晴を見た。

「麗ちゃんの選択、全部受け止めてあげる。例え、復讐心で誰かを殺したとしても」

麗の瞳孔が開く。

 ……心の汚い部分まで、見透かされている。
 私の全部を、晴は知っている。
 甘い言葉が、固く閉ざされた奥底の扉にすっと入り込む。
 晴の言葉なんて信じられないはずなのに、思わず耳を傾けてしまう。
 蜂蜜のような甘い匂いがつんと鼻をつく。
 
「ぼくはずっと麗ちゃんの傍にいるよ」

晴の瞳の奥に、ほんのりと温かい色が宿る。
 こんな晴、知らない。
 心臓がきゅっと締め付けられる。
 扉が、甘さでどろどろにとろかされそう。
 これ以上近づいたら危険だって分かっているのに、晴が伸ばしてきた手を取りそうになる。

「ま、選ぶのは麗ちゃんだけどね」

にっこり笑う晴に、葵が怪訝な目を向けた。

「何の話だよ」
「アオには関係ないよ。ぼくと麗ちゃんだけのヒミツ」
「はあ? うぜえ」

麗は、じゃれあう葵と晴をぼうっと見つめる。

 私が、本当に選びたいのは——。

 後夜祭の終わりを告げる花火が、打ち上がった。
 

 帰り支度を終えて、校門に向かっていると、背後から名前を呼ばれた。

「長宮さん」

振り向くと、少し離れた木の下で、澪が手を振っていた。
 葵と晴が、さっと麗を後ろに隠す。

「そんなに警戒しないで。ちょっとお話ししたいだけよ。お友達として。ね、いいでしょう」

にっこりと微笑む。その目は、麗を捉えて離さない。

 この人には、何かある。探らないと。

「いいですよ」

麗は2人の間から顔を出して、頷く。

「やめとけ」

葵が麗の腕を掴む。

「麗ちゃんが決めたなら、いいじゃん」

晴がその手を離した。

「大丈夫。すぐ戻るから、待ってて」

麗は澪の傍に走って行く。
 葵は手を伸ばそうとする。だが、すぐに下ろして、ポケットに突っ込んだ。

「大盛況だったわね。優勝おめでとう」

澪は小さく拍手をした。

「話って、何ですか?」

なるべく落ち着いた声を出すよう心がけた。

「……あなたのお父さんのことよ」

麗の息が、一瞬止まる。

 今、何て言った? 
 何で、この人がそんなこと……。

「それと、私の本当の目的」

麗の肩を、澪は優しく撫でた。

「明日の11時、ここで待ってるわ。来るでしょう?」

遊園地のチケットを渡すと、澪は軽い足取りで去って行った。
 
 ぐしゃり。

 強く握りしめたチケットが、しわくちゃになる。

 行ってやろうじゃない。
 どんな手がかりでも欲しい。
 
 ——あいつを見つけられるなら、例え罠でも飛び込む。
 私はどこへでも、堕ちていける。