真っ暗な舞台上に、プロジェクターの明かりだけが煌々と光っている。
巨大なスクリーンに映像が映し出される。
赤い幕が下ろされた人形劇の舞台。
『糸の街』
タイトルが浮かびあがる。
緩やかで落ち着くBGMが流れ、幕が開くと同時に、タイトルは消えた。
異世界ファンタジーのような石造りの家の絵を背景に、老若男女の村人の人形が並んでいる。人形たちの背後に、細い糸がきらめく。
『ここは平和な街。誰もが笑って、誰もが自由に生きている』
晴のナレーションに合わせて、人形たちがそれぞれの方向に体を揺らす。
客席から、かわいいと声が上がる。
『……そう、思っていた』
BGMが不穏なものに変わる。
澪の眉がわずかに動く。
「どんな表情を見せてくれるかな」
晴が舞台袖で、澪の顔を見据える。喉の奥でくつくつと笑った。
『彼らは、気づいていない。自分たちが、糸で操られていることに』
人形たちの動きが止まる。
右へ、左へ、コミカルな動作で、バタバタと動き回る。
「BGMと人形の動き、合ってなくない?」
「それはそれで、ありでしょ」
首を捻ったり、笑ったり、観客たちの反応は様々だ。
舞台全体を見渡せる後方では、恒一と理事長が静かにスクリーンを見ている。恒一は一瞬、探るような視線を舞台袖に向けた。
『あれ?』
一体の人形だけ、動きを止める。
『動けない。何で……?』
人形の糸が、太くなる。
他の人形もピタッと動きが止まる。
プツン。
人形たちの糸が、切れた。
『その瞬間、世界が崩れた』
人形が倒れ込むと同時に、BGMが途切れた。
ピキピキ。
背景にも、人形にもひびが入る。
パリン。
鏡のように割れて、ガラガラと崩れ落ちた。
場内がしんと静まる。
澪の口角が上がる。
画面が歪む。
モノクロのアニメーション映像に切り替わる。
人々の首や腕から、糸が伸びている。
色のない世界でただひとつ、糸だけが赤い。
『誰もが笑っている。しかし、誰も糸には気づいていない』
全員、同じような笑顔。
石畳の街を同じ方向に、歩いている。
麗に似た顔の人物が、画面の端から歩いてくる。
反対側から、葵を模した人物が歩いてくる。
2人は足を止め、お互いを指差す。
『なにか、ついてるよ』
『なんだよ、これ』
腕や足、首に絡む糸に気づく。
2人の右腕、左足が上がる。
兵隊のような動きで、他の人が集まっている場所へ動く。
『な、なに、これ。体が勝手に……』
『違う、そっちじゃない!』
その瞬間、糸が一気に増殖する。
2人の全身に絡みつき、縛りつける。
『気づいたときには、もう遅い。逃げられない——』
ナレーションの声が一段低くなる。
「なんか、怖くない?」
「ファンタジーじゃなくて、ホラー?」
客席がざわつく。
——いいえ。これは、現実。私へのあてつけかしら。
澪が眉をひそめる。
2人をがんじがらめにする赤い糸が、上へ上へと伸びていく。
「あれ、糸、浮いてない?」
「本当だ」
スクリーンの上に赤い糸が垂れ、わずかに揺れている。
ゆっくりスクリーンが上がる。
舞台の上で、糸が絡みついた校舎を背景に、制服姿の麗と葵が現れた。
「アオさまー!」
客席から歓声が上がる。
人形のように棒立ちで客席を見下ろす2人の体にも、糸が絡まっている。
舞台の下手にスポットライトが当たる。
そこには、女子の制服に、長髪の黒髪ウィッグをつけた晴がいた。
「キャーッ!」
「ハルちゃん!」
「美しい!」
女子の黄色い歓声が響く。
腕を組んで斜に構えると、澪に向かってウィンクをする。
その姿に、澪は若干の焦りと高揚が混じった表情で、息を呑んだ。
「生徒会長に似てないか?」
「寄せたんじゃね? ウケ狙いっしょ」
「度胸あるなあ」
澪にちらちら視線が向けられる。
澪は他の生徒の視線など、まったく気にならない。その目に映るのは晴だけだ。
ファンとしてのときめき。
野望を妨害する敵への嫌悪感。
相容れぬ感情が、澪の中で渦巻く。
手のひらに目を落とす。
まるで糸を掴んで離さないように、ぎゅっと手を握りしめる。
顔を上げ、余裕の笑みを見せた。
晴は真っ赤な口紅をひいた唇を舐め、にんまりと口角を上げた。
手のひらを観客にむける。
10本の指に赤い糸が結び付けられている。それらは全て、葵と麗に繋がっている。
「人は操られる。弱いから。周りと同じ方に、流されるのよ」
晴が糸を引く。
葵と麗が、同じ方向に傾く。
「誰も気づかない。いえ、気付かないふりをしている。ひとりだけ、違う方を向くのは、怖いから。周りに合わせた方が、楽だから」
上下、左右に糸を引っ張る晴に合わせて、葵と麗も腕と足を動かす。
「自分で考えること、選ぶことを放棄している。そうよね?」
晴の顔が、観客に向けられる。葵と麗の首が、がくんと前に倒れた。
「これって……」
「私たちのこと、言ってる?」
「やめてよ。まさか……」
不安な声音があちこちから聞こえてくる。
麗は勢いよく、顔を上げた。
鋭い眼光で、澪を射抜く。
「違う!」
力強い麗の声が、場内に響く。
葵がはっと顔を上げる。気味悪そうに体に絡みついた糸を見た。
「こんなの、おかしい!」
麗は腕に絡みつく糸を引っ張る。
「なんだよ、この糸! 気持ち悪いな!」
葵は顔をしかめ、糸を引きちぎろうとする。
「無駄よ」
晴が片手の糸を、思いっきり引っ張る。麗が晴の傍に引き寄せられ、片手で抱き留める。晴が唇をわずかに動かす。
「もーらい」
観客には届かないほど小さな声。挑発するような勝ち誇った顔で、葵を見た。
「触んじゃねえ!」
走ってきた葵が、晴から麗を引きはがした。
「こいつに触れていいのは、俺だけだ」
そんなセリフ、あったっけ?
葵の大きな手が肩を包み込み、晴から守るように強く抱き寄せた。
ドキン、と心臓が飛び跳ねた。
……こんな時に!
「ずいぶんな言われようね。私は何もしてないわ。ただ、囁いただけ。どう動くか、選んだのはあなたたちよ」
不敵な笑みをこぼす。
『選ばされていることに、気づきもしないで』
晴の心の声が、スピーカーから流れる。
客席が静まった。
澪の顔から表情が消える。
「あなたはそうやって、私たちを思い通りに操ってきた。でも、もうそれも終わり。私は、自分で選ぶ!」
麗はスカートのポケットからハサミを取り出し、掲げた。
「あなたに糸が切れるの? 周りと違う選択をすれば、悪目立ちする。陰口を叩かれ、いじめの標的にされる」
晴は観客を見回す。
「それって、とっても怖いことでしょ。…‥本当の自分が、壊れるくらいにはね」
晴のセリフに、観客たちが神妙な面持ちで頷く。
「……怖いよ。みんなと違うって、怖い。嫌われるのも、ひとりになるのも、怖い」
麗がハサミを持った手を、力なく下ろす。
その手を、葵がきゅっと握る。
熱い体温が伝わる。
麗は唇を噛みしめ、足を一歩踏み出した。
「けど、自分の意思を失くして、操られる方がよっぽど怖い!」
澪と目が合う。
体温のない冷たい瞳。
麗は正面からそれを受け止めた。
ステージの明かりが落ちる。
その時。
バチバチッ。
スクリーンに稲妻の映像が映り、再び明かりが灯された。
「そうだ! おまえに操られて流されちまったやつらは、善悪の区別もつかなくなる。他人を傷つけていることにすら、気づけない!」
葵の真っすぐな瞳が、観客席を向く。
生徒たちはいたたまれない様子で、身を縮こまらせる。
「私は、自分で選ぶ! 糸を、断ち切る!」
シャキン!
麗と晴を繋ぐ糸が、切り離された。
「おまえの操り人形は、もうごめんだ。俺の糸も、切れ!」
麗が葵の糸も切る。絡みついていた糸が、静かに床に落ちた。
客席に向って、ハサミを高く掲げ、切る真似をする。
……あれ? いない。
澪の姿が、見えない。
「これ以上、おまえの好き勝手はさせない!」
葵が晴に殴りかかろうとする。
その時——。
舞台の両端から、幕が閉まり始めた。
「な、何で?」
「まだ終わってねえぞ」
麗と葵は慌てて、幕を見上げる。
客席がざわつき始める。
「誰かがボタン押したんじゃ……」
晴は視線を感じて、ふと2階を見あげた。笑顔でリモコンを振る澪の姿があった。
「やってくれたね。あと一押しだったのに」
「あの女っ」
葵の顔が歪む。
その間にも、幕はどんどん閉まっていく。
こんなんじゃ、終われない。
ハサミの刃先が、キラリと光る。
もう、誰からも支配されたくない。誰の影にも、隠れたくない。
——自分のことは、自分で決める。
「観客の注意は、私が引く。私にスポットライト当てて。早く!」
麗は閉まりかける幕から飛び出す。
「はあ? 何言ってんだよ」
伸ばした葵の腕は、届かない。
「分かんないけど、今は麗ちゃんの言う通りにしよう」
葵は怪訝な顔で、晴と舞台裏に向かった。
幕は下ろされ、暗転する。
暗がりの中、観客たちがざわめく。
パッ。
幕の前に立つ麗に、左右からスポットライトが当たる。
麗は何も言わず、ハサミを顔の前に持ち上げる。
長い前髪の束を指で挟む。
そのまま——
前髪を、切る。
さらり、と髪が落ちた。
薄茶色の瞳がライトに照らされ、輝く。
「これが、本当の私」
麗の手からハサミが落ちる。
2階にいる澪と、目を合わせる。
「次は、あなたの番」
麗の目線は、観客へ移る。
「選べるよ。誰にも決められなくていい。惑わされないで。本当の自分を、見失わないで」
深く頭を下げる。
ライトが消え、麗は大きく息を吐き出して舞台袖に戻った。
「お父さん譲りの、いい目ね。……頃合いかしら」
澪は静かに笑い、 拍手が鳴り響く階下に下りた。
「私たち、誰かに操られてたのかな」
「誰かってさ、もしかして……」
「生徒会長のこと?」
疑惑の声は拍手の合間から、じわじわと生徒達に広がっていった。
「だいぶ目立ってましたね」
理事長が含み笑いをする。
「……やはり、あの男の娘だな。いい度胸してやがる」
低く呟く恒一の声音に、セピア色が滲む。ゆっくりと瞬きをし、体育館を後にした。
