アオハルな恋とウラらかな復讐

 教室に戻ると、更に行列ができていた。

「レイくん、早く接客戻って!」
「アオくんと、ハルちゃんも、接客手伝って!」

忙しなく動き回るクラスメイトたちに指示される。

「あ、うん!」
「はーい」

 麗と晴は急いで近くの席に注文をとりに行った。

「俺はやんねえぞ」
「アオくん、行きましょうネ~」
「アオくん目当てのお客さんも、たくさんいるんだからネ」

渋い顔をする葵の両腕を、がたいの良いメイドたちががっちり掴んだ。

「おまえら、やめろ! 気持ち悪い!」
「ランキング1位なんだから、今が稼ぎ時ヨ」
「頑張ろうネ。うふ」

ウィンクをきめられ、葵の顔から血の気が引いた。
 麗は思わずくすっと笑みがこぼれる。
 みんなで飾り付けた教室を、目まぐるしく走り回る葵と晴、そしてクラスメイトたち。

「レイ、これもお願い」

恵から皿を渡される。

「うん。ありがとう、メグ」

あだ名で呼び合って、普通に話せる。クラスメイト以上、友達未満の関係。
 でも、悪くない。
 むしろ私には友達ごっこよりこっちの方が向いてる。
 これが、私が手に入れたかった“普通の青春”。
 本心を隠す仮面を被らず、飾らない自分でいたい。
 お客さんでごった返す室内は、騒々しく忙しない。だけど、みんな楽しそう。そこに、私もいる。
 充足感が胸いっぱいに広がる。
 私の求めていたものが、目の前にある。
 もう、手放したくない。
 

 活気に溢れる校舎の中で、3年1組の教室は人がまばらで閑散としている。
 和風喫茶と書かれた看板が風で倒れた。
 澪は、静まり返った室内を覗いた。
 袴姿の女学生に扮した男子、書生姿に扮した女子が、意気消沈して客のいない席に座っていた。

「1年3組に被らせれば、こっちにも客が流れるって言ったの誰だよ」
「完全に、裏目に出た」
「最下位って。最後の文化祭なのに。終わった……」

重い空気を切り裂くように、澪が颯爽と室内に入ってきた。

「あら、どうしたんですか、先輩方」

澪の微笑みに、空気が一瞬華やぐ。
 だが、すぐに重い空気に包まれる。

「いや、だってさ。もうお昼だし。客来ないし」
「ランキング最下位だよ。うちら終わったっしょ」
「そんなことはありませんよ」

澪が書生姿の女子の肩に、優しく手を置いた。
 全員の視線が、澪に注がれた。

「挽回のチャンスはまだあります。諦めないでください」

ふわりと微笑む。
 生徒たちは、眩しそうに目を細めた。

「皆さんの力だけで乗り切ることも大切ですが、外部の力を借りてはいけないというルールはありません」

ゆっくりと首を横に振る。艶やかな黒髪が左右に揺れる。
 
「ただ、生徒会が管轄できるのは、生徒の皆さんのみ。外部の人が何をしても、生徒会は関与できません」

澪は細長い指を顔の前に立て、妖艶に微笑む。
 全員がはっと息を呑む。

「どうするかは、先輩方次第です。応援しています」

一礼して教室を出て行く。
 澪は扉を閉め、室内の声に耳を傾けた。

「なんか、やれる気がしてきた」
「うん。諦めるの、まだ早いかも」
「イケメンとか、美女とか、宣伝になりそうな外部の人って、誰かいる?」

活気が出てくる。家族や友人の名前を出しては、あれこれ話が盛り上がる。

「……兄貴に、頼んでみようかな」
「おまえの兄貴、半グレだって言ってなかったか?」

一気にざわつく。
 澪の整った眉がぴくっと動く。

「正攻法で勝てる気がしねえよ。生徒会長も言ってただろ。外部の人が何しても、罰せないって」
「どうするつもりだよ」
「上位3クラスを妨害してもらう。やり方は、兄貴とその仲間に任せるよ。俺たちは、あくまでも、外部に協力をお願いしただけだ」

——かかった。
 澪はふっと笑みをこぼし、廊下を優雅に歩いて行った。


 昼休憩を挟んでから、女装男装喫茶を再開しようとした時。
 上の階から怒号と悲鳴が聞こえ、階段を駆け下りる音が廊下に響いた。
 
「何? 今の」

麗がジャケットを羽織りながら、教室の扉から顔を出した。
 
「や、やばいよ! バット持った男たちが、他のクラス荒らしてるって!」

クラスの女子が、血相を変えて走ってきた。

「どういうこと?」

麗が眉を寄せて、問いかける。

「そ、それが、ランキング2位と3位のクラスが、狙われたって」

教室の空気が凍り付く。

「じゃあ、もしかして……」

嫌な予感が麗の脳裏に浮かぶ。

「ここが1年3組か」
「やべえ恰好してんじゃん」

鉄バットを床にひきずりながら、サングラスをかけた長身の男たちが3人入ってきた。

「1位だからって、調子乗ってんじゃねえぞ」

赤いニット帽を被った男が、サングラスを放り投げ、鉄バットをテーブルの上に振り下ろした。

 ガシャン!

 大きな音と共に、テーブルが壊され、椅子が投げ飛ばされた。

「キャーッ!」

クラスメイトたちが悲鳴を上げながら、廊下に飛び出す。
 麗は室内を見回すが、葵と晴の姿がない。
 
 こんな時になんでいないの?

 焦りと恐怖で麗の指が震える。

「アッハハハハ。全部、ぶっ壊してやる」

笑い声が、場違いに響く。

ガシャン!

「きゃあっ!」

麗の背後で、恵の悲鳴が聞こえる。
 鉄バットを振り回す男たちは、次々と楽しそうにテーブルや食器を破壊していく。
 恵は恐怖に震え、涙を浮かべてその場にしゃがみこんでしまう。

 破片が次々と床に散らばり、麗の足元にも飛び散る。威圧感ではない、初めて目にする快楽による恐怖。深い穴に落ちていくような、内蔵が浮く不快感。底知れぬ悪意が絡み付いて、息が止まりそう。
 
 …‥怖い。足が動かない。逃げたい。

「た、助けて……」

か細く震える声で、恵が麗を見上げる。
 目を逸らしたい。気付かない振りをしたい。
 けど。
 恵から裏切られた過去とは決別した。
 ——助けなきゃ。

 麗は怯える恵の肩を抱いて立ち上がらせ、素早く廊下へ出た。
 
「あ、ありがとう……」

泣きじゃくる恵からもらい泣きをしそうで、目を伏せた。

「や、やめてください!」

教室に残っていた委員長が、うわずった声を張り上げた。麗が慌てて顔を上げた時。

「いきがってんじゃねえぞ!」

バリン! 

 ニット帽を被った男が、鏡にバットを当てた。ひびが入り、小さな破片が飛び散った。
 一瞬の静寂。
 誰もが息を潜める。

「うわあぁぁ!」

 
パニックになった委員長の悲鳴が、空気を切り裂く。

「うるせえ! おまえの骨も、粉々に砕いてやろうか」
「やっちまえ!」
「見せしめに、ボコろうぜ」

3人に囲まれ、委員長は青ざめた顔でガタガタと震えた。
 クラスメイトたちは悲痛な面持ちで肩を抱き合って震えている。
 誰も動こうとしない。
 
 ただ見てるだけ……?
 そんなの、間違ってる。
 みんなで頑張って作り上げてきたのに。
 教室だけじゃなくて、委員長まで傷つけられるなんて、許せない。
 こんなやつらのせいで、終わらせたくない。
 でも……。

 麗の足は縫い付けられたように動かない。
 恐怖に負けている自分が情けない。
 
 ……動け! 私の足!
 
 一歩、踏み出す。
 
「ひいっ!」

委員長が身を縮こまらせ、目を閉じる。

「やめて!」

麗は教室に踏み込み、委員長の前に飛び出した。

「ああん?」
「なんだ、こいつ」
「ヒーロー気取りか? だせえ」

悪意に満ちた目つきに、射抜かれる。
 ビリビリと肌を突き刺すどす黒い悪意が、爪先から頭の天辺まで駆け上がる。
 暴力を厭わない人間が、こんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
 でも、もう逃げたくない。
 私だけでも、守りたい。
 
「これ以上、壊さないで」

戦慄く唇から、凛と通る声が教室に響く。瞳に強い光をたたえて、男たちを睨みつけた。
 
「んだよ、その目は! 生意気言ってんじゃねえぞ!」

ニット帽の男は、青筋を立て、バットを振り上げる。

「キャーッ」

廊下から悲鳴があがる。

「長宮さん、逃げて!」

委員長の必死の声が、背後で聞こえた。

 逃げるわけには、いかない!
 麗は奥歯を噛みしめ、両腕を顔の前でクロスして、衝撃に備えた。
 
「おい」

ニット帽の男の背後に、いつの間にか葵が立っている。

「何してんだ」

低く唸る声が、恐怖で支配されていた教室の空気を変えた。

「なっ!」

ニット帽の男は、驚愕する。
 バットを振ろうとするが、葵にバットを握られ、びくともしない。
 葵は麗の前に立ちふさがる。
 視界いっぱいに、葵の背中が広がった。

「ア、アオ!」

名前を呼んだだけなのに、震えが止まった。

「無茶してんじゃねえよ。……勝手にケガしたら、許さねえ」

振り返る葵の顔に、安堵が広がる。

 来て、くれた……。
 
 安心感が胸いっぱいにひろがる。
 必死に堪えていた涙が滲む。

「アオばっか麗ちゃんにいい恰好して、ずるいな」

葵の横に現われた晴が、頬を膨らませた。

「ハル!」

麗は目を見開き、目尻を拭う。晴が呑気に笑顔で手を振ってきた。

「おまえら、覚悟しろよ」

葵がバットを捻って、男の手からもぎとり、晴に渡した。

「な、何っ!」

ニット帽の男は驚愕して葵と晴を交互に見た。

「ねえ、お兄さんたち。かたぎに迷惑かけちゃ、いけないよね?」

晴が、小首を傾げてツインテールを揺らす。
 男たちは一瞬、頬を赤らめて怯んだ。

 その瞬間。
 ニット帽の男が葵に背負い投げをされ、床に叩きつけられた。
 男の息が一瞬、止まる。

「て、てめえ!」
「ふざけやがって!」

残りの男たちがバットを振り上げ、葵と晴に襲いかかる。
 葵は腰を落とし、ひとりのみぞおちに拳を撃ちつけた。

「ぐはっ!」

男は腹を抱えてうずくまる。

 もうひとりの男のバットを、晴がバットで塞ぐ。

 カキン!

 金属音が鼓膜に響く。
 晴は愉快な表情でバットを構え、男の顔めがけてフルスイングしようとした。
 だが、葵が先に男の足を払って転ばし、寝技で締め落とした。

「ぼくの出番とらないでよ。顔の骨折れるか試したかったのに」

唇を尖らせる晴に、葵が呆れた目を向けた。

「おまえは手加減できないから駄目だ。やりすぎたら俺らが責められるだろうが」
「そう言いながら、気絶させてんじゃん」

白目を向いている男を、晴がバットでつつく。

 強い。あっという間に倒しちゃった。
 ……悔しいけど、見直した。
 いつもはむかつくその顔も、頼もしく、安心してしまう。
 

 葵と目が合う。

 やたら輝いて見えるのは、日差しのせい? 
 それとも……。

 ———トクン。

 胸の奥が小さく跳ねる。
 麗は葵から目を逸らす。
 顔が火照っているような気がして、頬を覆った。

「く、くそっ」

ニット帽の男はよろめきながら立ち上がり、ふらふらと廊下に出て行く。
 
「お、おい、待てよ」

腹を抑えながら男が追っていく。

「忘れ物だぞ」

気絶した男の襟首を掴んで、葵が廊下に放り投げた。
 ニット帽の男は見向きせず去って行き、もうひとりの男がひきずっていった。

「逃がして大丈夫なの?」

麗が心配そうに葵に問いかけた。

「大丈夫だろ。ほら」

廊下の先を指差す。
 麗が目を凝らすと、男たちは階段の手前で立ち止まっている。
 その前方に、理事長と恒一が立ちふさがっていた。

 確かにあれは、誰も逃れられない。
 
 2人の威圧感に気圧された男たちは、腰を抜かした。

「こわーい大人にこらしめてもらわないとね。にしても……」

晴が、滅茶苦茶に壊された教室を見回す。
 
「委員長、大丈夫?」

床に座り込んでいる委員長に麗が手を貸す。

「あ、ありがとう、長宮さん」

震える手で麗の手を取る。
 教室に戻ったクラスメイトたちが、絶望の顔で肩を落とす。

「これじゃ、再開できない‥…」

委員長の頬を涙が伝う。
 すすり泣く声が、教室を覆っていく。

 麗は唇を噛みしめ、荒らされた教室を見渡した。

 みんな、頑張ってきたのに。
 このまま、終わるなんて嫌だ。
 
 絶望に包まれた空気にクラスメイトたちは呑み込まれていく。

「もういいだろ。危険な目に遭ってまでやることじゃない」

いつになく沈んだ葵の声。曇った瞳に、麗を映し出す。その顔には憂慮の色が滲んでいる。

「麗ちゃんはどうしたいの? 続けたいならぼくは応援するよ」

葵と真逆の明るい表情で、晴が小首を傾げる。

 いつも、そう。
 葵と晴は正反対。 
 どちらが正しいかは分からない。
 葵は、私を危険から遠ざけようとする。
 晴は、私のやりたいことを聞いてくれる。
 私の本心を、見抜こうとする。
 
 私は……。

「終わらせたくない」

葵は顔をしかめ、晴はにっこり微笑む。
 まるでオセロの表と裏みたい。
 どちらの色を選ぶかは、私次第。
 
「こんなんじゃ、無理だろ。どうすんだよ」
「続けられる方法、何かあるはずだよ」

 2人の声が重なる。

 きっと、続けられるはず。考えなきゃ。
 他の方法……。
 他の……。
 そうだ!

「別の場所でやるのはどう?」

麗にクラスメイトたちの視線が集まる。

「空いてる場所はあるだろうね。でも」

晴が床にばらまかれている食材や、割れた食器を指差した。

「こんな状態じゃ、場所移しても難しいんじゃないかな」

晴の言葉に、クラスメイトたちが涙を流しながら同意する。
 まるでお通夜のような重苦しい空気が漂う。

「派手にやられたな」

呑気な声が、陰鬱な空気を切り裂いた。

「目白先生! どこ行ってたんですか。色々と大変だったんですよ」

麗が目を吊り上げて、詰め寄った。

「理事長のお供させられてたんだよ。おまえら、ケガないか」

目白は頭をぼりぼり掻きながら、素早く生徒たちに目を走らせた。

「なさそうだな。いかれたやつらは、理事長が処理したから、大丈夫だ。文化祭、続けるかどうかは、お前ら次第だ」

静寂が教室を包む。

「……やめたくない!」

委員長が涙を拭う。
それに続いて、他のクラスメイトたちもぽつぽつと口を開く。

「私、続けたい」
「俺も、諦めたくない」
「まだ、やれることはあるはずだよ」
「長宮さんの言う通り、場所移してやろうよ」

次々と賛同の声が上がる。

「けど、喫茶店は、難しいだろ」
「喫茶店じゃなかったら、ネタにもならねえよ」
「ハルちゃんはいいよな。女子にしか見えないし、人気もあるし」

メイド服姿の男子たちが、ふてくされる。

「それだ!」

委員長が晴を指差した。晴がきょとんと首を傾ける。

「稼ぎ頭3人の握手会と撮影会をしよう!」
「それめっちゃいい! 委員長、頭いい!」
「確かにこの3人なら、お客さん集まるね」
「その間に教室を片づけて、喫茶店再開できるように頑張ろう!」
「ハルちゃん、アオくん、レイくん、お願い!」

期待の眼差しが麗、葵、晴に集中した。

「マジかよ」
「断れる雰囲気じゃないねえ」

葵は顔をしかめ、晴は苦笑した。

「できることは、やろうよ。あんなやつらに邪魔されて泣き寝入りしたくないでしょ」

薄茶色の瞳に、鋭い光が宿る。

「ったく、しょうがねえな」
「おもしろそうだし、いいんじゃない」

歓声と拍手が起こる。

「やられっぱなしでは、終われない! 1年3組、再始動だ!」
「おー!」

委員長のかけ声に、クラスが一丸となって拳を突き上げた。


 目立たない別館の教室で握手会と撮影会を行うことになった。集客と宣伝に力を入れた甲斐あって、長蛇の列ができるほど人気を集めた。
 
 その様子を遠目で見ていた澪は、小さな笑みを浮かべた。

「さすが、私が見込んだお友達。一筋縄ではいかなそうね」

校内放送が鳴り響く。ランキングの中間発表が行われた。

『少々トラブルがあり、ランキングの順番が大きく入れ替わりました。3位は、2年1組、2位は1年3組、1位は3年1組……』

一時的に放送が止まる。

『失礼しました。3年1組に不正が発覚し、失格となります。よって順位が繰り上がり、1位は1年3組です』

補講用の教室から大きな歓声が上がった。
 
「あら。ばれちゃったのね。頭を使えば上手くできたのに」

澪の口元に、あわれみの笑みが浮かぶ。

「佐沖先輩」

教室から抜け出した晴が呼び止めた。
 澪は飛び跳ねそうになる心臓を押さえ、落ち着いた笑みで振り返った。

「どうしたの?」
「それはこっちのセリフ。さっきの、どういう意味?」

口は笑みの形だが、晴の目は笑っていない。

「ただのひとり言よ」

澪の表情は一切崩れない。

「気持ち悪い仮面、いい加減はずしてよ。あんたが黒幕だって、とっくに気づいてるんだけど」

晴は笑みを完全に消す。鋭利な眼差しで射抜いた。

「……そう」

すっと笑みを隠し、細い顎を持ち上げた。冷淡な瞳で晴を見下ろす。

「そっちの方が、人間味あっていいじゃん。さっきの騒動も、あんたがけしかけたんでしょ」
「私は何もしていない。アドバイスをしただけ」
「そうやって影で生徒を操って、何がしたいわけ?」
「それは……」

窓から入り込む風が、澪の黒髪を撫でた。

「秘密。今は、まだね。……あの人が壊れる顔、見届けたいの」

ふっと微笑み、再び笑顔の仮面を被った。

「ハルちゃーん、ご指名だよー!」

教室からクラスメイトの声がした。そちらに意識が向いている間に、澪は廊下の向こうに遠ざかって行った。

「くえない人だな。……絶望する顔が見たい。ゾクゾクする」

頬が紅潮し、胸が高鳴る。鼓動を抑え、“カワイイ”を意識した笑顔に切り替え、教室に戻った。

 出店の時間が終わる1時間前に、小規模ながら喫茶店も再開でき、ギリギリまで客足は途切れなかった。
 遠くの空が茜色に染まり始めた頃。
 出店終了を告げる校内放送が鳴った。

『皆さん、お疲れさまでした。来賓の皆様、ありがとうございました。30分後に、体育館にて代表生徒によるステージが開催されます』

校内放送が終わると、委員長が達成感溢れる晴れやかな表情で声を張り上げた。

「みんな、お疲れ様! 途中大変なこともあったけど、最後までやりきれた。本当に、ありがとう!」

拍手が起こり、今日一番の大きな歓声が上がる。

「ランキングの結果の前に、ステージを楽しもう! 鹿島くんたち、長宮さん、頑張って!」

委員長が激励の拍手をすると、女子たちが1人1つずつうちわを取り出して、振り出した。

「がんばれー!」
「応援してるよ!」

うちわの表面には、3人の名前とLOVEの文字や、応援の言葉が書かれている。

「…‥アイドルかよ」

葵はジャケットを脱いで、眉をしかめる。

「みんな、ありがとう。頑張るよ」

ウィッグを外した晴はプリンススマイルで手を振り返した。

 なんか、緊張してきた……。

 麗は心拍数が上がり始めた胸を抑えて、息を吐き出した。

「麗ちゃん、ぼくたちが一緒だから、大丈夫だよ」

晴が麗の肩に手を置く。

「緊張してんのかよ。だせえな」

葵が麗の頭を軽く叩いた。
 
 上から目線のむかつく言い方。
 だけど、いつもと同じ葵。
 心拍数が少し落ち着く。

「大丈夫。アオよりも私の方が演技うまいし」

ふっと笑みがこぼれる。

「……なんだよ、その顔」

葵がそっぽを向く。夕陽が当たっているせいか、横顔が赤く見える。

「その調子だよ、麗ちゃん。黒幕に一矢報いてやろうよ」

晴の含みのある笑みを、もう怖いとは思わない。
 ひびの入った鏡をふと見る。
 晴の隣に、同じような笑みを浮かべた自分がいた。
 
 私、こんな顔してたの?

 愕然とする。
 でも、悪い気はしない。むしろやる気が溢れてくる。

 麗はウィッグをはずして、上着を脱ぐ。
 長い前髪がはらりと落ちる。

 いつの間にか、葵と晴が傍にいることが当たり前になっていた。入学初日は終わったと思っていた学校生活も、気付いたらクラスメイトたちの輪の中に入って、一緒に文化祭を作り上げた。憧れていた“普通”とはちょっと違うけど、諦めていた青春が目の前にある。もう誰にも奪わせない。
 だから私は、立ち向かう。
 葵と晴と一緒に。
 
「アオ、ハル。行こう」

麗は颯爽と教室を出た。
 葵と晴がその後に続く。

「なんかあったのか、あいつら」

よれたパンツのポケットに手を突っ込んだ目白が、眉をしかめた。


 照明がほとんど落とされた薄暗い体育館。
 広々した客席を埋め尽くすほど、観客で溢れている。
 
 1番から5番までのダンスやバンド、漫才などの出し物が終わり、観客は大盛り上がり。体育館の熱気は最上に高められた。
 
「さあ、いよいよ大トリの出番です! 理事長特別推薦枠、1年3組の鹿島葵くん、晴くん、長宮麗さんによる、映像舞台『糸の街』の開幕です!」

舞台袖から客席を覗き見た麗は、汗をかいて湿った手を、ぎゅっと握り込んだ。
 前方の席に座る澪と、目が合う。
 澪は小さく手を振り、微笑む。

 試すように、見下すように。
 全部、見通しているかのような笑顔。

 麗は正面から受け止め、ゆっくりと息を吐いた。

 もう、誰の指図も受けない。
 ——選ぶのは、私だ。

 拍手が起こり、幕が上がった。