教室に戻ると、更に行列ができていた。
「レイくん、早く接客戻って!」
「アオくんと、ハルちゃんも、接客手伝って!」
忙しなく動き回るクラスメイトたちに指示される。
「あ、うん!」
「はーい」
麗と晴は急いで近くの席に注文をとりに行った。
「俺はやんねえぞ」
「アオくん、行きましょうネ~」
「アオくん目当てのお客さんも、たくさんいるんだからネ」
渋い顔をする葵の両腕を、がたいの良いメイドたちががっちり掴んだ。
「おまえら、やめろ! 気持ち悪い!」
「ランキング1位なんだから、今が稼ぎ時ヨ」
「頑張ろうネ。うふ」
ウィンクをきめられ、葵の顔から血の気が引いた。
麗は思わずくすっと笑みがこぼれる。
みんなで飾り付けた教室を、目まぐるしく走り回る葵と晴、そしてクラスメイトたち。
「レイ、これもお願い」
恵から皿を渡される。
「うん。ありがとう、メグ」
あだ名で呼び合って、普通に話せる。クラスメイト以上、友達未満の関係。
でも、悪くない。
むしろ私には友達ごっこよりこっちの方が向いてる。
これが、私が手に入れたかった“普通の青春”。
本心を隠す仮面を被らず、飾らない自分でいたい。
お客さんでごった返す室内は、騒々しく忙しない。だけど、みんな楽しそう。そこに、私もいる。
充足感が胸いっぱいに広がる。
私の求めていたものが、目の前にある。
もう、手放したくない。
活気に溢れる校舎の中で、3年1組の教室は人がまばらで閑散としている。
教室の前には、和風喫茶と看板が出ている。
澪は、静まり返った室内を覗いた。
袴姿の女学生に扮した男子、書生姿に扮した女子が、意気消沈して客のいない席に座っていた。
「1年3組に被らせれば、こっちにも客が流れるって言ったの誰だよ」
「完全に、裏目に出た」
「最下位って。最後の文化祭なのに。終わった……」
重い空気を切り裂くように、澪が颯爽と室内に入ってきた。
「あら、どうしたんですか、先輩方」
澪の微笑みに、空気が一瞬華やぐ。
だが、すぐに重い空気に包まれる。
「いや、だってさ。もうお昼だし。客来ないし」
「ランキング最下位だよ。うちら終わったっしょ」
「そんなことはありませんよ」
澪が書生姿の女子の肩に、優しく手を置いた。
全員の視線が、澪に注がれた。
「挽回のチャンスはまだあります。諦めないでください」
ふわりと微笑む。
生徒たちは、眩しそうに目を細めた。
「皆さんの力だけで乗り切ることも大切ですが、外部の力を借りてはいけないというルールはありません」
ゆっくりと首を横に振る。艶やかな黒髪が左右に揺れる。
「ただ、生徒会が管轄できるのは、生徒の皆さんのみ。外部の人が何をしても、生徒会は関与できません」
澪は細長い指を顔の前に立て、妖艶に微笑む。
全員がはっと息を呑む。
「どうするかは、先輩方次第です。応援しています」
一礼して教室を出て行く。
澪は扉を閉め、室内の声に耳を傾けた。
「なんか、やれる気がしてきた」
「うん。諦めるの、まだ早いかも」
「イケメンとか、美女とか、宣伝になりそうな外部の人って、誰かいる?」
活気が出てくる。家族や友人の名前を出しては、あれこれ話が盛り上がる。
「……兄貴に、頼んでみようかな」
「おまえの兄貴、半グレだって言ってなかったか?」
一気にざわつく。
澪の整った眉がぴくっと動く。
「正攻法で勝てる気がしねえよ。生徒会長も言ってただろ。外部の人が何しても、罰せないって」
「どうするつもりだよ」
「上位3クラスを妨害してもらう。やり方は、兄貴とその仲間に任せるよ。俺たちは、あくまでも、外部に協力をお願いしただけだ」
——かかった。
澪はふっと笑みをこぼし、廊下を優雅に歩いて行った。
昼休憩を挟んでから、女装男装喫茶を再開しようとした時。
上の階から怒号と悲鳴が聞こえ、階段を駆け下りる音が廊下に響いた。
「何? 今の」
麗がジャケットを羽織りながら、教室の扉から顔を出した。
「や、やばいよ! バット持った男たちが、他のクラス荒らしてるって!」
クラスの女子が、血相を変えて走ってきた。
「どういうこと?」
麗が眉を寄せて、問いかける。
「そ、それが、ランキング2位と3位のクラスが、狙われたって」
教室の空気が凍り付く。
「じゃあ、もしかして……」
嫌な予感が麗の脳裏に浮かぶ。
「ここが1年3組か」
「やべえ恰好してんじゃん」
鉄バットを床にひきずりながら、サングラスをかけた長身の男たちが3人入ってきた。
「1位だからって、調子乗ってんじゃねえぞ」
赤いニット帽を被った男が、サングラスを放り投げ、鉄バットをテーブルの上に振り下ろした。
ガシャン!
大きな音と共に、テーブルが壊され、椅子が投げ飛ばされた。
「キャーッ!」
クラスメイトたちが悲鳴を上げながら、廊下に飛び出す。
麗は室内を見回すが、葵と晴の姿がない。
もう、こんな時になんでいないの?
焦りと恐怖で麗の指が震える。
「アッハハハハ。全部、ぶっ壊してやる」
笑い声が、場違いに響く。
ガシャン!
「きゃあっ!」
麗の背後で、恵の悲鳴が聞こえる。
鉄バットを振り回す男たちは、次々と楽しそうにテーブルや食器を破壊していく。
「こ、怖い……」
恵は涙を浮かべてその場にしゃがみこんでしまう。
…‥怖い。足が動かない。逃げたい。
「た、助けて……」
か細く震える声で、麗を見上げる。
目を逸らしたい。気付かない振りをしたい。
けど。
恵から裏切られた過去とは決別した。
——助けなきゃ。
麗は怯える恵の肩を抱いて立ち上がらせ、素早く廊下へ出た。
「あ、ありがとう……」
泣きじゃくる恵からもらい泣きをしそうで、目を伏せた。
「や、やめてください!」
教室に残っていた委員長が、うわずった声を張り上げた。
「委員長!」
麗が慌てて教室へ戻ろうとした時。
「いきがってんじゃねえぞ!」
バリン!
ニット帽を被った男が、鏡にバットを当てた。ひびが入り、小さな破片が飛び散った。
麗は体を震わせる。
委員長は短い悲鳴をあげて、しゃがみこんだ。
「おまえの骨も、粉々に砕いてやろうか」
「やっちまえ!」
「見せしめに、ボコろうぜ」
3人に囲まれ、委員長は青ざめた顔でガタガタと震える。
「やめて!」
麗は考えるより先に、委員長の前に飛び出した。
「ああん?」
「なんだ、こいつ」
「ヒーロー気取りか? だせえ」
悪意に満ちた目つきに、射抜かれる。
ビリビリと肌を突き刺す恐怖が、爪先から頭の天辺まで駆け上がる。
暴力を厭わない人間が、こんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
今すぐ、逃げ出したい。けど、耐えなきゃ。委員長のためにも、教室を守るためにも、私が踏ん張らないと!
「もう、やめてください。みんなで、頑張って作り上げたんです。これ以上、壊さないで」
手足も、口も震える。
だが、瞳に強い光をたたえて、思いっきり男たちを睨みつけた。
「んだよ、その目は! 生意気言ってんじゃねえぞ!」
ニット帽の男は、青筋を立て、バットを振り上げる。
「キャーッ」
廊下から悲鳴があがる。
「長宮さん、逃げて!」
委員長の必死の声が、背後で聞こえた。
逃げるわけには、いかない!
麗は奥歯を噛みしめ、両腕を顔の前でクロスして、衝撃に備えた。
「おい」
ニット帽の男の背後に、いつの間にか葵が立っている。
「何してんだ」
低い声が、恐怖で支配されていた教室の空気を変えた。
「なっ!」
ニット帽の男は、驚愕する。
バットを振ろうとするが、葵にバットを握られ、びくともしない。
葵は麗の前に立ちふさがる。
視界いっぱいに、葵の背中が広がる。
「ア、アオ!」
名前を呼んだだけなのに、震えが止まった。
「無茶してんじゃねえよ。……勝手にケガしたら、許さねえ」
振り返る葵の顔に、安堵が広がる。
来て、くれた……。
安心感が胸いっぱいにひろがる。
必死に堪えていた涙が滲む。
「アオばっか麗ちゃんにいい恰好して、ずるいな」
葵の横に現われた晴が、頬を膨らませた。
「ハル!」
麗は目尻を拭い、声を震わせる。晴が笑顔で手を振ってきた。
「おまえら、覚悟しろよ」
葵がバットを捻って、男の手からもぎとり、晴に渡した。
「な、何っ!」
ニット帽の男は驚愕して葵と晴を交互に見た。
「ねえ、お兄さんたち。かたぎに迷惑かけちゃ、いけないよね?」
晴が、小首を傾げてツインテールを揺らす。
男たちは一瞬、頬を赤らめて怯んだ。
その瞬間。
ニット帽の男が葵に背負い投げをされ、床に叩きつけられた。
男の息が一瞬止まる。
「て、てめえ!」
「ふざけやがって!」
残りの男たちがバットを振り上げ、葵と晴に襲いかかる。
葵は腰を落とし、ひとりのみぞおちに拳を撃ちつけた。
「ぐはっ!」
男は腹を抱えてうずくまる。
もうひとりの男のバットを、晴がバットで塞ぐ。
カキン!
金属音が鼓膜に響く。
晴は楽しそうに笑うと、バットを構え、男の顔めがけてフルスイングしようとした。
だが、葵が先に男の足を払って転ばし、寝技で締め落とした。
「ぼくの出番とらないでよ。顔の骨折れるか試したかったのに」
唇を尖らせる晴に、葵が呆れた目を向けた。
「おまえは手加減できないから駄目だ。やりすぎたら俺らが責められるだろうが」
「そう言いながら、気絶させてんじゃん」
白目を向いている男を、晴がバットでつつく。
強い。あっという間に倒しちゃった。
悔しいけど、見直した。
ファンの気持ちが少しだけ分かった。
葵と目が合う。
やたら輝いて見えるのは、日差しのせい?
それとも……。
———トクン。
胸の奥が小さく跳ねる。
麗は葵から目を逸らす。
顔が火照っているような気がして、頬を覆った。
「く、くそっ」
ニット帽の男はよろめきながら立ち上がり、ふらふらと廊下に出て行く。
「お、おい、待てよ」
腹を抑えながら男が追っていく。
「忘れ物だぞ」
気絶した男の襟首を掴んで、葵が廊下に放り投げた。
ニット帽の男は見向きせず去って行き、もうひとりの男がひきずっていった。
「逃がして大丈夫なの?」
麗が眉を下げて、葵に問いかけた。
「大丈夫だろ。ほら」
廊下の先を指差す。
麗が目を凝らすと、男たちは階段の手前で立ち止まっている。
その前方に、理事長と恒一が立ちふさがっていた。
確かにあれは、誰も逃れられない。
2人の威圧感に気圧された男たちは、腰を抜かした。
「こわーい大人にこらしめてもらわないとね。にしても……」
晴が、滅茶苦茶に壊された教室を見回す。
「委員長、大丈夫?」
床に座り込んでいる委員長に麗が手を貸す。
「あ、ありがとう、長宮さん」
震える手で麗の手を取る。
教室に戻ったクラスメイトたちが、絶望の顔で肩を落とす。
「これじゃ、再開できない‥…」
委員長の頬を涙が伝う。
すすり泣く声が、教室を覆っていく。
麗は唇を噛みしめ、荒らされた教室を見渡した。
みんな、1ヶ月頑張ってきたのに。
あんなやつらのせいで、このまま、終わるなんて嫌だ。
何か、他の方法……。他の……。
そうだ!
「別の場所でやるのはどう?」
麗にクラスメイトたちの視線が集まる。
「空いてる場所はあるだろうね。でも」
晴が床にばらまかれている食材や、割れた食器を指差した。
「こんな状態じゃ、場所移しても難しいんじゃないかな」
晴の言葉に、クラスメイトたちが涙を流しながら同意する。
まるでお通夜のような重苦しい空気が漂う。
「派手にやられたな」
呑気な声が、陰鬱な空気を切り裂いた。
「目白先生! どこ行ってたんですか。色々と大変だったんですよ」
麗が目を吊り上げて、詰め寄った。
「理事長のお供させられてたんだよ。おまえら、ケガないか」
目白は頭をぼりぼり掻きながら、素早く生徒たちに目を走らせた。
「なさそうだな。いかれたやつらは、理事長が処理したから、大丈夫だ。文化祭、続けるかどうかは、お前ら次第だ」
静寂が教室を包む。
「……やめたくない!」
委員長が涙を拭う。
それに続いて、他のクラスメイトたちもぽつぽつと口を開く。
「私、続けたい」
「俺も、諦めたくない」
「まだ、やれることはあるはずだよ」
「長宮さんの言う通り、場所移してやろうよ」
次々と賛同の声が上がる。
「でも、喫茶店は、難しいだろ」
「喫茶店じゃなかったら、ネタにもならねえよ」
「ハルちゃんはいいよな。女子にしか見えないし、人気もあるし」
メイド服姿の男子たちが、ふてくされる。
「それだ!」
委員長が晴を指差した。晴がきょとんと首を傾ける。
「稼ぎ頭3人の握手会と撮影会をしよう!」
「それめっちゃいい! 委員長、頭いい!」
「確かにこの3人なら、お客さん集まるね」
「その間に教室を片づけて、喫茶店再開できるように頑張ろう!」
「ハルちゃん、アオくん、レイくん、お願い!」
期待の眼差しが麗、葵、晴に集中した。
「マジかよ」
「断れる雰囲気じゃないねえ」
葵は顔をしかめ、晴は苦笑した。
「できることは、やろうよ。あんなやつらに邪魔されて泣き寝入りしたくないでしょ」
薄茶色の瞳に、鋭い光が宿る。
「ったく、しょうがねえな」
「おもしろそうだし、いいんじゃない」
歓声と拍手が起こる。
「やられっぱなしでは、終われない! 1年3組、再始動だ!」
「おー!」
委員長のかけ声に、クラスが一丸となって拳を突き上げた。
目立たない別館の教室で握手会と撮影会を行うことになった。集客と宣伝に力を入れた甲斐あって、長蛇の列ができるほど人気を集めた。
その様子を遠目で見ていた澪は、小さな笑みを浮かべた。
「さすが、私が見込んだお友達。一筋縄ではいかなそうね」
校内放送が鳴り響く。ランキングの中間発表が行われた。
『少々トラブルがあり、ランキングの順番が大きく入れ替わりました。3位は、2年1組、2位は1年3組、1位は3年1組……』
一時的に放送が止まる。
『失礼しました。3年1組に不正が発覚し、失格となります。よって順位が繰り上がり、1位は1年3組です』
補講用の教室から大きな歓声が上がった。
「あら。ばれちゃったのね。頭を使えば上手くできたのに」
澪の口元に、あわれみの笑みが浮かぶ。
「佐沖先輩」
教室から抜け出した晴が呼び止めた。
澪は飛び跳ねそうになる心臓を押さえ、落ち着いた笑みで振り返った。
「どうしたの?」
「それはこっちのセリフ。さっきの、どういう意味?」
口は笑みの形だが、晴の目は笑っていない。
「ただのひとり言よ」
澪の表情は一切崩れない。
「気持ち悪い仮面、いい加減はずしてよ。あんたが黒幕だって、とっくに気づいてるんだけど」
晴は笑みを完全に消す。鋭利な眼差しで射抜いた。
「……そう」
すっと笑みを隠し、細い顎を持ち上げた。冷淡な瞳で晴を見下ろす。
「そっちの方が、人間味あっていいじゃん。さっきの騒動も、あんたがけしかけたんでしょ」
「私は何もしていない。アドバイスをしただけ」
「そうやって影で生徒を操って、何がしたいわけ?」
「それは……」
窓から入り込む風が、澪の黒髪を撫でた。
「秘密。今は、まだね。……あの人が壊れる顔、見届けたいの」
ふっと微笑み、再び笑顔の仮面を被った。
「ハルちゃーん、ご指名だよー!」
教室からクラスメイトの声がした。そちらに意識が向いている間に、澪は廊下の向こうに遠ざかって行った。
「くえない人だな。……絶望する顔が見たい。ゾクゾクする」
頬が紅潮し、胸が高鳴る。鼓動を抑え、“カワイイ”を意識した笑顔に切り替え、教室に戻った。
出店の時間が終る1時間前に、小規模ながら喫茶店も再開でき、ギリギリまで客足は途切れなかった。
遠くの空が茜色に染まり始めた頃。
出店終了を告げる校内放送が鳴った。
『皆さん、お疲れさまでした。来賓の皆様、ありがとうございました。30分後に、体育館にて代表生徒によるステージが開催されます』
校内放送が終わると、委員長が達成感溢れる晴れやかな表情で声を張り上げた。
「みんな、お疲れ様! 途中大変なこともあったけど、最後までやりきれた。本当に、ありがとう!」
拍手が起こり、今日一番の大きな歓声が上がる。
「ランキングの結果の前に、ステージを楽しもう! 鹿島くんたち、長宮さん、頑張って!」
委員長が激励の拍手をすると、女子たちが1人1つずつうちわを取り出して、振り出した。
「がんばれー!」
「応援してるよ!」
うちわの表面には、3人の名前とLOVEの文字や、応援の言葉が書かれている。
「…‥アイドルかよ」
葵はジャケットを脱いで、眉をしかめる。
「みんな、ありがとう。頑張るよ」
ウィッグを外した晴はプリンススマイルで手を振り返した。
なんか、緊張してきた……。
麗は心拍数が上がり始めた胸を抑えて、息を吐き出した。
「麗ちゃん、ぼくたちが一緒だから、大丈夫だよ」
晴が麗の肩に手を置く。
「緊張してんのかよ。だせえな」
葵が麗の頭を軽く叩いた。
「……大丈夫。アオよりも私の方が演技うまいし」
ふっと笑みがこぼれる。心拍数が落ち着いた。
「っ……!」
夕陽が当たっているせいか、葵の顔が赤い。
「その調子だよ、麗ちゃん。……黒幕に、一矢報いてやろうよ」
晴の含みのある笑みを、もう怖いとは思わない。
ひびの入った鏡をふと見る。
晴の隣に、同じような笑みを浮かべた自分がいた。
私、こんな顔してたの?
愕然とする。
だが、悪い気はしない。むしろやる気が溢れてくる。
麗はウィッグをはずして、上着を脱ぐ。
前髪をピンで止める。
「アオ、ハル。行こう」
麗は颯爽と教室を出た。
葵と晴がその後に続く。
「なんかあったのか、あいつら」
よれたパンツのポケットに手を突っ込んだ目白が、眉をしかめた。
照明がほとんど落とされた薄暗い体育館。
広々した客席を埋め尽くすほど、観客で溢れている。
1番から5番までのダンスやバンド、漫才などの出し物が終わり、観客は大盛り上がり。体育館の熱気は最上に高められた。
「さあ、いよいよ大トリの出番です! 理事長特別推薦枠、1年3組の鹿島葵くん、晴くん、長宮麗さんによる、映像舞台『糸の街』の開幕です!」
舞台袖から客席を覗き見た麗は、汗をかいて湿った手を、ぎゅっと握り込んだ。
前方の席に座る澪と、目が合う。
澪は小さく手を振り、微笑む。
試すように、見下すように。
全部、見通しているかのような笑顔。
麗は正面から受け止め、ゆっくりと息を吐いた。
もう、誰の指図も受けない。
——選ぶのは、私だ。
拍手が起こり、幕が上がった。
「レイくん、早く接客戻って!」
「アオくんと、ハルちゃんも、接客手伝って!」
忙しなく動き回るクラスメイトたちに指示される。
「あ、うん!」
「はーい」
麗と晴は急いで近くの席に注文をとりに行った。
「俺はやんねえぞ」
「アオくん、行きましょうネ~」
「アオくん目当てのお客さんも、たくさんいるんだからネ」
渋い顔をする葵の両腕を、がたいの良いメイドたちががっちり掴んだ。
「おまえら、やめろ! 気持ち悪い!」
「ランキング1位なんだから、今が稼ぎ時ヨ」
「頑張ろうネ。うふ」
ウィンクをきめられ、葵の顔から血の気が引いた。
麗は思わずくすっと笑みがこぼれる。
みんなで飾り付けた教室を、目まぐるしく走り回る葵と晴、そしてクラスメイトたち。
「レイ、これもお願い」
恵から皿を渡される。
「うん。ありがとう、メグ」
あだ名で呼び合って、普通に話せる。クラスメイト以上、友達未満の関係。
でも、悪くない。
むしろ私には友達ごっこよりこっちの方が向いてる。
これが、私が手に入れたかった“普通の青春”。
本心を隠す仮面を被らず、飾らない自分でいたい。
お客さんでごった返す室内は、騒々しく忙しない。だけど、みんな楽しそう。そこに、私もいる。
充足感が胸いっぱいに広がる。
私の求めていたものが、目の前にある。
もう、手放したくない。
活気に溢れる校舎の中で、3年1組の教室は人がまばらで閑散としている。
教室の前には、和風喫茶と看板が出ている。
澪は、静まり返った室内を覗いた。
袴姿の女学生に扮した男子、書生姿に扮した女子が、意気消沈して客のいない席に座っていた。
「1年3組に被らせれば、こっちにも客が流れるって言ったの誰だよ」
「完全に、裏目に出た」
「最下位って。最後の文化祭なのに。終わった……」
重い空気を切り裂くように、澪が颯爽と室内に入ってきた。
「あら、どうしたんですか、先輩方」
澪の微笑みに、空気が一瞬華やぐ。
だが、すぐに重い空気に包まれる。
「いや、だってさ。もうお昼だし。客来ないし」
「ランキング最下位だよ。うちら終わったっしょ」
「そんなことはありませんよ」
澪が書生姿の女子の肩に、優しく手を置いた。
全員の視線が、澪に注がれた。
「挽回のチャンスはまだあります。諦めないでください」
ふわりと微笑む。
生徒たちは、眩しそうに目を細めた。
「皆さんの力だけで乗り切ることも大切ですが、外部の力を借りてはいけないというルールはありません」
ゆっくりと首を横に振る。艶やかな黒髪が左右に揺れる。
「ただ、生徒会が管轄できるのは、生徒の皆さんのみ。外部の人が何をしても、生徒会は関与できません」
澪は細長い指を顔の前に立て、妖艶に微笑む。
全員がはっと息を呑む。
「どうするかは、先輩方次第です。応援しています」
一礼して教室を出て行く。
澪は扉を閉め、室内の声に耳を傾けた。
「なんか、やれる気がしてきた」
「うん。諦めるの、まだ早いかも」
「イケメンとか、美女とか、宣伝になりそうな外部の人って、誰かいる?」
活気が出てくる。家族や友人の名前を出しては、あれこれ話が盛り上がる。
「……兄貴に、頼んでみようかな」
「おまえの兄貴、半グレだって言ってなかったか?」
一気にざわつく。
澪の整った眉がぴくっと動く。
「正攻法で勝てる気がしねえよ。生徒会長も言ってただろ。外部の人が何しても、罰せないって」
「どうするつもりだよ」
「上位3クラスを妨害してもらう。やり方は、兄貴とその仲間に任せるよ。俺たちは、あくまでも、外部に協力をお願いしただけだ」
——かかった。
澪はふっと笑みをこぼし、廊下を優雅に歩いて行った。
昼休憩を挟んでから、女装男装喫茶を再開しようとした時。
上の階から怒号と悲鳴が聞こえ、階段を駆け下りる音が廊下に響いた。
「何? 今の」
麗がジャケットを羽織りながら、教室の扉から顔を出した。
「や、やばいよ! バット持った男たちが、他のクラス荒らしてるって!」
クラスの女子が、血相を変えて走ってきた。
「どういうこと?」
麗が眉を寄せて、問いかける。
「そ、それが、ランキング2位と3位のクラスが、狙われたって」
教室の空気が凍り付く。
「じゃあ、もしかして……」
嫌な予感が麗の脳裏に浮かぶ。
「ここが1年3組か」
「やべえ恰好してんじゃん」
鉄バットを床にひきずりながら、サングラスをかけた長身の男たちが3人入ってきた。
「1位だからって、調子乗ってんじゃねえぞ」
赤いニット帽を被った男が、サングラスを放り投げ、鉄バットをテーブルの上に振り下ろした。
ガシャン!
大きな音と共に、テーブルが壊され、椅子が投げ飛ばされた。
「キャーッ!」
クラスメイトたちが悲鳴を上げながら、廊下に飛び出す。
麗は室内を見回すが、葵と晴の姿がない。
もう、こんな時になんでいないの?
焦りと恐怖で麗の指が震える。
「アッハハハハ。全部、ぶっ壊してやる」
笑い声が、場違いに響く。
ガシャン!
「きゃあっ!」
麗の背後で、恵の悲鳴が聞こえる。
鉄バットを振り回す男たちは、次々と楽しそうにテーブルや食器を破壊していく。
「こ、怖い……」
恵は涙を浮かべてその場にしゃがみこんでしまう。
…‥怖い。足が動かない。逃げたい。
「た、助けて……」
か細く震える声で、麗を見上げる。
目を逸らしたい。気付かない振りをしたい。
けど。
恵から裏切られた過去とは決別した。
——助けなきゃ。
麗は怯える恵の肩を抱いて立ち上がらせ、素早く廊下へ出た。
「あ、ありがとう……」
泣きじゃくる恵からもらい泣きをしそうで、目を伏せた。
「や、やめてください!」
教室に残っていた委員長が、うわずった声を張り上げた。
「委員長!」
麗が慌てて教室へ戻ろうとした時。
「いきがってんじゃねえぞ!」
バリン!
ニット帽を被った男が、鏡にバットを当てた。ひびが入り、小さな破片が飛び散った。
麗は体を震わせる。
委員長は短い悲鳴をあげて、しゃがみこんだ。
「おまえの骨も、粉々に砕いてやろうか」
「やっちまえ!」
「見せしめに、ボコろうぜ」
3人に囲まれ、委員長は青ざめた顔でガタガタと震える。
「やめて!」
麗は考えるより先に、委員長の前に飛び出した。
「ああん?」
「なんだ、こいつ」
「ヒーロー気取りか? だせえ」
悪意に満ちた目つきに、射抜かれる。
ビリビリと肌を突き刺す恐怖が、爪先から頭の天辺まで駆け上がる。
暴力を厭わない人間が、こんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
今すぐ、逃げ出したい。けど、耐えなきゃ。委員長のためにも、教室を守るためにも、私が踏ん張らないと!
「もう、やめてください。みんなで、頑張って作り上げたんです。これ以上、壊さないで」
手足も、口も震える。
だが、瞳に強い光をたたえて、思いっきり男たちを睨みつけた。
「んだよ、その目は! 生意気言ってんじゃねえぞ!」
ニット帽の男は、青筋を立て、バットを振り上げる。
「キャーッ」
廊下から悲鳴があがる。
「長宮さん、逃げて!」
委員長の必死の声が、背後で聞こえた。
逃げるわけには、いかない!
麗は奥歯を噛みしめ、両腕を顔の前でクロスして、衝撃に備えた。
「おい」
ニット帽の男の背後に、いつの間にか葵が立っている。
「何してんだ」
低い声が、恐怖で支配されていた教室の空気を変えた。
「なっ!」
ニット帽の男は、驚愕する。
バットを振ろうとするが、葵にバットを握られ、びくともしない。
葵は麗の前に立ちふさがる。
視界いっぱいに、葵の背中が広がる。
「ア、アオ!」
名前を呼んだだけなのに、震えが止まった。
「無茶してんじゃねえよ。……勝手にケガしたら、許さねえ」
振り返る葵の顔に、安堵が広がる。
来て、くれた……。
安心感が胸いっぱいにひろがる。
必死に堪えていた涙が滲む。
「アオばっか麗ちゃんにいい恰好して、ずるいな」
葵の横に現われた晴が、頬を膨らませた。
「ハル!」
麗は目尻を拭い、声を震わせる。晴が笑顔で手を振ってきた。
「おまえら、覚悟しろよ」
葵がバットを捻って、男の手からもぎとり、晴に渡した。
「な、何っ!」
ニット帽の男は驚愕して葵と晴を交互に見た。
「ねえ、お兄さんたち。かたぎに迷惑かけちゃ、いけないよね?」
晴が、小首を傾げてツインテールを揺らす。
男たちは一瞬、頬を赤らめて怯んだ。
その瞬間。
ニット帽の男が葵に背負い投げをされ、床に叩きつけられた。
男の息が一瞬止まる。
「て、てめえ!」
「ふざけやがって!」
残りの男たちがバットを振り上げ、葵と晴に襲いかかる。
葵は腰を落とし、ひとりのみぞおちに拳を撃ちつけた。
「ぐはっ!」
男は腹を抱えてうずくまる。
もうひとりの男のバットを、晴がバットで塞ぐ。
カキン!
金属音が鼓膜に響く。
晴は楽しそうに笑うと、バットを構え、男の顔めがけてフルスイングしようとした。
だが、葵が先に男の足を払って転ばし、寝技で締め落とした。
「ぼくの出番とらないでよ。顔の骨折れるか試したかったのに」
唇を尖らせる晴に、葵が呆れた目を向けた。
「おまえは手加減できないから駄目だ。やりすぎたら俺らが責められるだろうが」
「そう言いながら、気絶させてんじゃん」
白目を向いている男を、晴がバットでつつく。
強い。あっという間に倒しちゃった。
悔しいけど、見直した。
ファンの気持ちが少しだけ分かった。
葵と目が合う。
やたら輝いて見えるのは、日差しのせい?
それとも……。
———トクン。
胸の奥が小さく跳ねる。
麗は葵から目を逸らす。
顔が火照っているような気がして、頬を覆った。
「く、くそっ」
ニット帽の男はよろめきながら立ち上がり、ふらふらと廊下に出て行く。
「お、おい、待てよ」
腹を抑えながら男が追っていく。
「忘れ物だぞ」
気絶した男の襟首を掴んで、葵が廊下に放り投げた。
ニット帽の男は見向きせず去って行き、もうひとりの男がひきずっていった。
「逃がして大丈夫なの?」
麗が眉を下げて、葵に問いかけた。
「大丈夫だろ。ほら」
廊下の先を指差す。
麗が目を凝らすと、男たちは階段の手前で立ち止まっている。
その前方に、理事長と恒一が立ちふさがっていた。
確かにあれは、誰も逃れられない。
2人の威圧感に気圧された男たちは、腰を抜かした。
「こわーい大人にこらしめてもらわないとね。にしても……」
晴が、滅茶苦茶に壊された教室を見回す。
「委員長、大丈夫?」
床に座り込んでいる委員長に麗が手を貸す。
「あ、ありがとう、長宮さん」
震える手で麗の手を取る。
教室に戻ったクラスメイトたちが、絶望の顔で肩を落とす。
「これじゃ、再開できない‥…」
委員長の頬を涙が伝う。
すすり泣く声が、教室を覆っていく。
麗は唇を噛みしめ、荒らされた教室を見渡した。
みんな、1ヶ月頑張ってきたのに。
あんなやつらのせいで、このまま、終わるなんて嫌だ。
何か、他の方法……。他の……。
そうだ!
「別の場所でやるのはどう?」
麗にクラスメイトたちの視線が集まる。
「空いてる場所はあるだろうね。でも」
晴が床にばらまかれている食材や、割れた食器を指差した。
「こんな状態じゃ、場所移しても難しいんじゃないかな」
晴の言葉に、クラスメイトたちが涙を流しながら同意する。
まるでお通夜のような重苦しい空気が漂う。
「派手にやられたな」
呑気な声が、陰鬱な空気を切り裂いた。
「目白先生! どこ行ってたんですか。色々と大変だったんですよ」
麗が目を吊り上げて、詰め寄った。
「理事長のお供させられてたんだよ。おまえら、ケガないか」
目白は頭をぼりぼり掻きながら、素早く生徒たちに目を走らせた。
「なさそうだな。いかれたやつらは、理事長が処理したから、大丈夫だ。文化祭、続けるかどうかは、お前ら次第だ」
静寂が教室を包む。
「……やめたくない!」
委員長が涙を拭う。
それに続いて、他のクラスメイトたちもぽつぽつと口を開く。
「私、続けたい」
「俺も、諦めたくない」
「まだ、やれることはあるはずだよ」
「長宮さんの言う通り、場所移してやろうよ」
次々と賛同の声が上がる。
「でも、喫茶店は、難しいだろ」
「喫茶店じゃなかったら、ネタにもならねえよ」
「ハルちゃんはいいよな。女子にしか見えないし、人気もあるし」
メイド服姿の男子たちが、ふてくされる。
「それだ!」
委員長が晴を指差した。晴がきょとんと首を傾ける。
「稼ぎ頭3人の握手会と撮影会をしよう!」
「それめっちゃいい! 委員長、頭いい!」
「確かにこの3人なら、お客さん集まるね」
「その間に教室を片づけて、喫茶店再開できるように頑張ろう!」
「ハルちゃん、アオくん、レイくん、お願い!」
期待の眼差しが麗、葵、晴に集中した。
「マジかよ」
「断れる雰囲気じゃないねえ」
葵は顔をしかめ、晴は苦笑した。
「できることは、やろうよ。あんなやつらに邪魔されて泣き寝入りしたくないでしょ」
薄茶色の瞳に、鋭い光が宿る。
「ったく、しょうがねえな」
「おもしろそうだし、いいんじゃない」
歓声と拍手が起こる。
「やられっぱなしでは、終われない! 1年3組、再始動だ!」
「おー!」
委員長のかけ声に、クラスが一丸となって拳を突き上げた。
目立たない別館の教室で握手会と撮影会を行うことになった。集客と宣伝に力を入れた甲斐あって、長蛇の列ができるほど人気を集めた。
その様子を遠目で見ていた澪は、小さな笑みを浮かべた。
「さすが、私が見込んだお友達。一筋縄ではいかなそうね」
校内放送が鳴り響く。ランキングの中間発表が行われた。
『少々トラブルがあり、ランキングの順番が大きく入れ替わりました。3位は、2年1組、2位は1年3組、1位は3年1組……』
一時的に放送が止まる。
『失礼しました。3年1組に不正が発覚し、失格となります。よって順位が繰り上がり、1位は1年3組です』
補講用の教室から大きな歓声が上がった。
「あら。ばれちゃったのね。頭を使えば上手くできたのに」
澪の口元に、あわれみの笑みが浮かぶ。
「佐沖先輩」
教室から抜け出した晴が呼び止めた。
澪は飛び跳ねそうになる心臓を押さえ、落ち着いた笑みで振り返った。
「どうしたの?」
「それはこっちのセリフ。さっきの、どういう意味?」
口は笑みの形だが、晴の目は笑っていない。
「ただのひとり言よ」
澪の表情は一切崩れない。
「気持ち悪い仮面、いい加減はずしてよ。あんたが黒幕だって、とっくに気づいてるんだけど」
晴は笑みを完全に消す。鋭利な眼差しで射抜いた。
「……そう」
すっと笑みを隠し、細い顎を持ち上げた。冷淡な瞳で晴を見下ろす。
「そっちの方が、人間味あっていいじゃん。さっきの騒動も、あんたがけしかけたんでしょ」
「私は何もしていない。アドバイスをしただけ」
「そうやって影で生徒を操って、何がしたいわけ?」
「それは……」
窓から入り込む風が、澪の黒髪を撫でた。
「秘密。今は、まだね。……あの人が壊れる顔、見届けたいの」
ふっと微笑み、再び笑顔の仮面を被った。
「ハルちゃーん、ご指名だよー!」
教室からクラスメイトの声がした。そちらに意識が向いている間に、澪は廊下の向こうに遠ざかって行った。
「くえない人だな。……絶望する顔が見たい。ゾクゾクする」
頬が紅潮し、胸が高鳴る。鼓動を抑え、“カワイイ”を意識した笑顔に切り替え、教室に戻った。
出店の時間が終る1時間前に、小規模ながら喫茶店も再開でき、ギリギリまで客足は途切れなかった。
遠くの空が茜色に染まり始めた頃。
出店終了を告げる校内放送が鳴った。
『皆さん、お疲れさまでした。来賓の皆様、ありがとうございました。30分後に、体育館にて代表生徒によるステージが開催されます』
校内放送が終わると、委員長が達成感溢れる晴れやかな表情で声を張り上げた。
「みんな、お疲れ様! 途中大変なこともあったけど、最後までやりきれた。本当に、ありがとう!」
拍手が起こり、今日一番の大きな歓声が上がる。
「ランキングの結果の前に、ステージを楽しもう! 鹿島くんたち、長宮さん、頑張って!」
委員長が激励の拍手をすると、女子たちが1人1つずつうちわを取り出して、振り出した。
「がんばれー!」
「応援してるよ!」
うちわの表面には、3人の名前とLOVEの文字や、応援の言葉が書かれている。
「…‥アイドルかよ」
葵はジャケットを脱いで、眉をしかめる。
「みんな、ありがとう。頑張るよ」
ウィッグを外した晴はプリンススマイルで手を振り返した。
なんか、緊張してきた……。
麗は心拍数が上がり始めた胸を抑えて、息を吐き出した。
「麗ちゃん、ぼくたちが一緒だから、大丈夫だよ」
晴が麗の肩に手を置く。
「緊張してんのかよ。だせえな」
葵が麗の頭を軽く叩いた。
「……大丈夫。アオよりも私の方が演技うまいし」
ふっと笑みがこぼれる。心拍数が落ち着いた。
「っ……!」
夕陽が当たっているせいか、葵の顔が赤い。
「その調子だよ、麗ちゃん。……黒幕に、一矢報いてやろうよ」
晴の含みのある笑みを、もう怖いとは思わない。
ひびの入った鏡をふと見る。
晴の隣に、同じような笑みを浮かべた自分がいた。
私、こんな顔してたの?
愕然とする。
だが、悪い気はしない。むしろやる気が溢れてくる。
麗はウィッグをはずして、上着を脱ぐ。
前髪をピンで止める。
「アオ、ハル。行こう」
麗は颯爽と教室を出た。
葵と晴がその後に続く。
「なんかあったのか、あいつら」
よれたパンツのポケットに手を突っ込んだ目白が、眉をしかめた。
照明がほとんど落とされた薄暗い体育館。
広々した客席を埋め尽くすほど、観客で溢れている。
1番から5番までのダンスやバンド、漫才などの出し物が終わり、観客は大盛り上がり。体育館の熱気は最上に高められた。
「さあ、いよいよ大トリの出番です! 理事長特別推薦枠、1年3組の鹿島葵くん、晴くん、長宮麗さんによる、映像舞台『糸の街』の開幕です!」
舞台袖から客席を覗き見た麗は、汗をかいて湿った手を、ぎゅっと握り込んだ。
前方の席に座る澪と、目が合う。
澪は小さく手を振り、微笑む。
試すように、見下すように。
全部、見通しているかのような笑顔。
麗は正面から受け止め、ゆっくりと息を吐いた。
もう、誰の指図も受けない。
——選ぶのは、私だ。
拍手が起こり、幕が上がった。
