アオハルな恋とウラらかな復讐

 慌ただしい足音、忙しない声、明るい笑い声、注意する尖った声。
放課後になっても、各クラスが騒然としている。


「優勝目指して、頑張ってくださいね」

澪はクラスを巡回しながら、声をかける。だが、どのクラスも苦々しい表情で同じことを言うのだった。

「優勝候補は、1年3組」

澪は、決まり文句のように激励の言葉を投げかけた。

「やり方はいくらでもあります。当日も工夫次第で、ランキングをひっくり返せるかもしれませんよ」

生徒たちの顔がやる気に満ちる。
 
——期待しているわ。当日が楽しみね。

1年3組の教室の前で、澪は立ち止まった。
 教室からは、どのクラスよりも賑やかで、ハイテンションの声が聞こえてくる。
 開け放たれた扉から中を覗く。
 ツインテールのウィッグにメイド服を着た晴を見た途端、澪の心拍数が跳ねあがった。

「ご主人様、おかえりなさい」

笑顔で小首を傾げる晴の髪が揺れる。
澪は口を押えて、飛び出しそうになる悲鳴を堪えた。

「麗ちゃんも言ってみてよ」
「えっ、私も?」

晴の隣に立つ執事姿の麗が、薄茶色の瞳を縮めて困惑の表情を浮かべる。
 その瞳を見た瞬間、澪は息を呑んだ。

「……あの男と、同じ目」

血の気が引く。
それと同時に、口元が緩む。

「そういうことだったのね。……やっと見つけた」

澪は踵を返して、廊下の奥へと消えて行った。
 
「生徒会長、変な顔でおまえらのこと見てたぞ」

澪の後ろ姿を見ていた葵が、晴と麗に耳打ちをした。

「あの人黒だよ」

晴の口角が上がる。

「そうなの? 生徒会長が、何で?」
「さあ? そこまでは分かんないけど、警戒しておいた方がいい」

晴の声が、麗の耳に冷たく響く。顔が強張る。

「びびってんのか。こんなもんやめて、隠れとけよ」

嘲笑する葵が、麗のウィッグをはずして、前髪を下ろした。

「ちょっと、何すんの。返してよ」

葵の手からウィッグを奪い返す。
 だが、被らずに机の上に置いた。
 前髪に遮られた視界で、葵と晴を見上げる。

 おかしい。……ほっとする。
 前髪、邪魔なはずなのに。仕方なく命令に従っていたはずなのに。
 安心するのはどうして?
 ……このままでもいいのかな。

 麗は首を横に振り、前髪を撫でつけた。

 
 帰り際、葵と晴と校門まで来たところで、麗はリボンがないことに気づき、教室に戻った。
 誰もいないはずの室内から物音がする。
 扉を開けると、澪がひとり佇んでいた。

「生徒会長? 何で、ここに?」

警戒しておいた方がいい。
 晴の声を思い出し、身構える。

「教室の前で、拾ったの」

澪は手の中のエンジ色のリボンを見せた。

「ありがとう、ございます」

リボンを受け取り、会釈をする。
 
「男装女装喫茶、おもしろそうね。優勝候補だって言われてるわよ」
「そう、なんですか?」
「楽しみね」

柔らかい微笑なのに、麗の背筋に悪寒が走る。

「……はい。じゃあ、私はこれで」

体を反転させて、急いで廊下に出ようとする。

「長宮さん」

澪に呼び止められ、麗はおずおずと振り返った。

「私、あなたとお友達になりたいの」

夕陽に照らされ、逆光になった澪の表情が見えない。

 嘘だ。何か裏がある。
 けど、全く意図が読めない。

「あなたとなら、親友になれる気がするわ」

そんなわけない。根拠は何?
 笑顔の圧しが強くて怖すぎる。

「……何で、私なんですか?」
「長宮さんに、シンパシーを感じているの」

親し気な笑み。
 きっとこれは仮面。
 裏側の表情は見当もつかない。
 余計に警戒心が強くなる。
 
「みんなが見ているのは、生徒会長の私。誰も、本当の私を見てくれない。みんなが思っているような聖人君子じゃないのに……」

麗に近づきながら、澪は眉を下げた。くるんと持ち上がったまつげが、震える。組み合わせた手をぎゅっと握りしめる。

「長宮さん、大変な思いをしてきたんでしょう。ずっと本当の自分を押し殺してきたんじゃない?」

本当の自分……。
 下僕扱いしてきた葵、心を踏みにじった晴。いつか2人に復讐を果たす。怒りを抑えてきた。
 けど、今はどうだろう。気持ちが、ふらついている。

「見回りをしている時に、長宮さんの顔が見えたの。とても素敵だったわ。どうして前髪を伸ばさせていたのかしら」

澪の手が、麗の額に伸びる。
 麗の肩がびくっと震える。
 細い指先が優しく前髪をかきわける。
 色素の薄い茶色の瞳があらわになった。

「こんなにきれいな目なのに。お父さん似かしら?」

瞳を見据え、澪は薄い唇を持ち上げた。
 蛇に睨まれた蛙のように、体が強張って動かない。

「触んな」

背後に現れた葵が、澪の指を弾いた。

「後輩いびりですか? そんな人だとは思いませんでした」

晴が麗の肩を引いて、自分の後ろに隠した。

「誤解よ。お友達にそんなことしないわ。ねえ、長宮さん」
「……あ、はい」

思わず頷いてしまった。

「はあ?」
「友達?」

葵と晴に怪訝な顔を向けられた麗は、目を泳がせた。

「それじゃあ、また明日。気を付けて帰ってね」

澪は手を振ると、笑顔で去って行った。

 どうして、お父さん似だなんて言ったんだろう。深い意味は、ないよね……?
 
 遠ざかる澪の背中に、麗は険しい眼差しを向けた。


 朝日を背に立つ澪は、ファイルを片手に生徒会役員たちを見回した。

「オーディションの結果も出て、各クラスの士気も上がってきました。文化祭まで残り2週間、生徒会は文化祭実行委員に徹してください」

澪はファイルから取り出した用紙を配った。

「役割配分と、今後のスケジュールです。当日、問題が起きないよう、入念に準備していきましょう」

覇気のある返事に満足そうに微笑んだ。


 麗たちが教室に入ると、校内新聞を握りしめたクラスメイトたちが集まってきた。

「3人とも、ステージ出るの?!」
「理事長推薦枠って、何だよ」

そうだった。みんなに伝えるの忘れてた!

「ご、ごめん。伝えようと思ってたんだけど」

麗が手を合わせて謝る。
 
「さすが! 凄いよ」
「30ポイントでかい! 優勝間違いなし!」

あれ、怒ってない?

 予想外の反応に麗は目を瞬かせた。

「店の準備はぼくらに任せて、3人はステージの準備に専念して」

委員長が言うと、他のクラスメイトも頷く。

 それはありがたいけど、ステージの準備……?

麗は葵と晴と額を突き合わせた。

「何するの?」
「何するんだ?」
「何やる?」

口々に問いかけ合う。麗は顔が青ざめた。

「誰も考えてないの? あと2週間だよ」
「おまえが考えろよ」

葵が麗の額を小突く。

「やだよ。2人で考えて」

むっとして言うと、晴が人差し指を立てた。

「じゃあさ、放課後ファミレスで話し合おうよ」
「めんどくせえ」

葵は眉間に皺を寄せた。

「参加しないと拒否権ないからね。アオにダンスしてもらおっかな」
「いいね。そうしよう」

晴と麗がハイタッチをすると、葵はその手を引きはがし、麗を見下ろした。

「いいわけねえだろ。行きゃあいいんだろ」

不機嫌な顔で、席に座ると、鞄を机に叩きつけた。最近、学校でも家でもイライラしていて、
近寄りがたい。

 普段は前髪、下ろしてるのに。
 それとも、生徒会長のこと? あれから話しても、目も合わせてもいないのに。
 いやいや。葵が苛ついている理由とかどうでもいいって。
 命令されないし、むかつくこと言ってこないし、いいことの方が多いじゃん。
 それよりも、ステージのこと考えないと。
 でも、人前で何かやるとか、絶対ムリ。どうしよう……。

 授業そっちのけで頭を悩ませている内に、あっという間に1日の授業が終わってしまった。

「私、やっぱり、人前に出て何かやるのは、ムリな気がする」

ファミレスでパフェを突きながら、麗は首を振った。

「はあ? おまえに拒否権ないぞ」

葵が顔をしかめながら、大口でハンバーグを口にいれた。

「分かってる。だから、考えたんだけど」

麗は豚カツを頬張る晴に目を向けた。

「ハルに映像を作ってもらうのはどうかな」
「ぼく?」
「パソコン得意でしょ。持ち時間の10分に収まる映像だったら、2週間あれば作れるよね?」
「まあ、できるけど」

豚カツを呑み込んで頷く。

「アオも映像の方がいいでしょ」
「内容考えてんのか?」
「それは、これから一緒に考えてよ」

麗はクリームとアイスをかき混ぜながら口を尖らせる。

「学院を牛耳っていい気になってるあの人に、一矢報いる内容にしたいね」

晴が麗の口の端についたクリームを指で拭って、舐めた。

「な、何するの!」
「おまえ、キモイぞ」

葵は顔をひきつらせ、麗の肩を後ろに引いた。

「それより、早く内容決めちゃおう。台本作って、撮影して、編集しないといけないんだから、2週間って結構ギリギリだよ」

何事もなかったように味噌汁を流し込む。
 麗は先の見えない不安を拭うように、底にたまったコーンフレークをかきこんだ。

 それからの2週間は、地獄だった。
 すぐに意見がぶつかる葵と晴の板挟みにされながら、麗は寝る間も惜しんで台本を作り、撮影を行った。晴に編集を丸投げできたのが本番5日前だった。
 日に日に晴の目の下のクマが濃くなっていく。学校中の女子たちが心配するのを、葵は大げさだと鼻で笑っていた。寝不足の辛さを、身をもって知った麗は、晴が倒れてしまわないか、1日中目で追っていた。
 
 あんなに頑張らなくてもいいのに。
 倒れたらどうするつもり? 
 明後日、本番なのに。
 ここまで頑張ってきたんだから、喫茶店もステージも成功させたい。
 ……私に、できるかな。

 文化祭のことを考え出すと、心配と不安で眠れなくなる。時計を見ると、とっくに日付をまたいでいる。溜息をついて起き上がり、気分転換に部屋を出た。晴の部屋から漏れている明かりが、廊下を薄く照らしていた。
 ドアに耳を近づけるが、物音は聞こえない。
ノックをしてみるが、返事がない

「ハル、まだ起きてるの?」

静かにドアを開けると、編集作業中のパソコンの前で、晴が寝落ちしていた。腕を枕にして小さな寝息を立てている。目を閉じていると、まつ毛の長さが際立つ。陶器のようなきめ細かい白い肌のせいで、薄茶色のクマが余計目立つ。

 こんな時間までやってたんだ。寝るならベッドいけばいいのに。風邪ひいちゃう。

 麗はベッドの上に畳んであるブランケットを晴の肩にそっとかけた。
 部屋を出ようとした時。

「麗ちゃん?」

寝ぼけ眼の晴に名前を呼ばれた。

「起こしちゃった?」

麗は気まずそうに頬をかく。
ブランケットに気づいた晴は、静かに微笑んだ。

「これ、麗ちゃんがかけてくれたの? 優しいね」
「いや、別に。風邪ひかれたら困るし。疲れてるんでしょ。早く寝たら?」
「心配してくれるの? 珍しいね。……ぼくのこと、嫌いなのに」

間違いなく嫌い。なのに、言葉にしようとすると、声が出なくなる。どうして……。

 目を伏せている間に、晴が目の前に立っていた。
 凪のように落ち着いた眼差し。
 緩く口角の上がった口元。
 いつもとは違う、穏やかな顔つき。思わず見入ってしまう。

「ぼくは、麗ちゃんのこと嫌いじゃないよ」
「え?」

晴が一歩近づき、目線を合わせる。瞳の奥に柔らかい光が宿る。

「ぼくにとって麗ちゃんは、特別だよ」
「っ……?!」

心臓がきゅっと締め付けられる。
 冗談、だよね。またからかおうとしてるだけでしょ。
 そう思うのに、胸の中がざわめいて頬が熱くなる。

「もう遅いから。おやすみ、麗ちゃん」

晴に背中を押される。パタンと小さな音を立てて、ドアが閉まった。

 何、今の。初めて見た。ハルのあんな表情……。

 麗はうっすら熱を帯びている頬に手を添え、自分の部屋に戻った。
 動揺していたせいで、隣室のドアが開いていることに麗は気づかなかった。
 
「あいつ、こんな時間にハルの部屋で何してたんだ」

葵が眉間にしわを寄せ、部屋に入る麗の背中を睨んだ。

 晴の顔がずっと頭から離れなかった麗は、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。
 寝不足の青白い顔で朝食を作り、食卓に並べたところで葵がやってきた。

「おはよう」
「……」

声をかけるが、不機嫌そうな表情の葵は無言で席についてトーストをかじった。

 何この態度。寝不足で苛ついてるところに追い打ちかけないでよ。いつも以上にむかつく。

牛乳とコップを音を立てて置いた時、クマが一層濃くなった晴が大あくびをしながらリビングに入ってきた。

「編集、終わった……」
「もう終わらせたの? 無理しすぎだよ」
「学校休んで寝るから、大丈夫」

晴はふらつきながらリビングを出ていった。

「本当に大丈夫かな」
「あいつがそんなに気になるのか」

葵が低く呟く。トーストがぐしゃっと音を立てて、粉々になった。

「朝からイライラして何なの? ハルは寝ないで編集頑張ってたんだよ。気になって当然でしょ」

寝不足のせいで沸点が低くなっている。胸の中に怒りの火種が簡単について、つい刺々しい口調になってしまう。

「はあ? おまえ、夜中にあいつの部屋行ってただろ。何やってたんだよ」

葵が目を吊り上げて、麗をじっと見る。

「見てたの? 何もしてない。電気ついてたから様子見ただけ。アオには関係ないでしょ」

視線をずらして牛乳を飲む。だが、葵は目を逸らさない。

「関係ある」

強い眼差しに射抜かれ、麗はたじろぐ。

「あいつの心配ばっかしてんじゃねえよ。おまえだって寝不足だろ」
「……へ?」

葵の黒々とした瞳がわずかに揺れる。
さっきまで不機嫌そうな表情をしていたのに、いつもと同じ葵のはずなのに。
どこか大人びて見えるのは、気のせい?
 晴も葵も、どうしちゃったの?
 考えたくもないのに、アオとハルの顔が頭から離れない!
 2人のこと考えると心臓が痛い。
 胸の奥がざらついて落ち着かない。
 ……けど。
 嫌な感じがしない。
 何なの、これ。自分のことなのに、よく分からない。
 
 悶々としている間に、文化祭当日を迎えた。
 
 校庭も校舎も飾り付けられ、生徒たちのやる気に満ちた声に溢れている。
すっかり喫茶店に変貌を遂げた教室を見回しながら、目白がぼさぼさの頭をかいた。

「すげえな。……おまえらも」

頬をピクピクと震わせ、メイド服に身を包んだ男子と、執事服を着た女子を見た。

「さあ、1年3組の目玉、ハルちゃんと、アオイくん、レイくんの登場だよ!」

衣装係が声を張る。麗は気恥ずかしさで、俯きながら教室に入った。葵はオールバックにヘアセットし、晴はメイクもしている。どこからどう見ても女子だ。

 悔しいけど、確かにかわいい。寝不足も解消されたみたいだし、ぶりっこ女子の演技にも気合が入ってる。
 葵は……。

 オールバックのせいで、いつもの葵とは別人に見える。組長の面影が色濃く感じられるせいか、マフィアのボスのような風格もある。一瞬、葉巻と酒と、頭を垂れる手下の幻覚が見えた。
 目をこすると、窓から差し込む日差しがスポットライトのように葵を照らしている。麗は数秒、葵を見つめ、我に返って目を逸らした。
 
「ハルさま、可愛すぎて神!」
「でも、アオさまのカッコよさ、ハンパなくない?」
「お嬢様とか言われたら、キュン死!」

テンションが上がりすぎている女子たちにちらっと目を向ける。目が合った途端、口をつぐんで、息を呑んだ。

「やばい。レイくん、かっこいいけどかわいさもあって、最強すぎる」
「守られたいけど、守ってあげたくなる!」
「この3人、マジで無敵!」

誉めすぎ! 恥ずかしすぎる! 1日やっていけるかな……。

 麗、葵、晴のスマホから同時に通知音が鳴った。
 メールを開くと、案の定理事長からだった。

『大熊組の組長が来るかもしれない。鉢合わせしないよう、義兄さんを引き留めておいてくれ』

大熊組組長の顔写真が添付されている。名前にふさわしい熊みたいな巨体で、もみあげと髭がくっついている毛深い中年男性だ。

「ぼくたち、宣伝用のプラカード持って回ってるから、父さんが来たら宜しくね」
「えっ、私が?」
「しょうがねえだろ。ていうか、親父に見られるとか最悪」
「私だって嫌だよ。絶対馬鹿にされる」

唇を突き出す麗の肩を、晴が優しく叩いた。

「大丈夫。ぼくよりは馬鹿にされないよ」
「あー、うん。そうかも」
「馬鹿にされるよりも、お袋思い出して抱きつかれるかもな」

葵は冗談交じりで嘲笑うが、晴の顔は青ざめた。

「フラグ立てないでよ。……母さんの方が、美人だし」

フリルエプロンのポケットから手鏡を出して、自分の顔をまじまじと見た。

「お母さんに似てるの?」

小声で問いかけると、葵は首を捻った。

「似てんじゃね? あんまり顔覚えてねえ」
「そっか」

私は今でも忘れられない。
 お母さんの顔も、父親の顔も。
 
 備え付けの鏡に映る自分と目を合わせる。
 
「麗は父さん似だな。この瞳は人から愛される証だ」

人と違う自分の目が嫌いだった。
 けど、そう言われて好きになった。
 なのに……。

 こんな目、大嫌い。

 鏡から目を背ける。前髪を下ろしたい衝動にかられる。

 ドン、ドーン。

 外から花火が打ち上がる音が聞こえた。
 麗は唇を引き結び、長い1日の始まりを覚悟した。

 店が開いてからすぐ、続々と人が集まってきた。
 プラカードを持って回る葵と晴の宣伝力によって、隣のクラスまで行列ができるほど人気を博した。目の回る忙しさに追われ、麗はすっかりウラ風紀委員の任務を忘れていた。

「おい、長宮」

目白に呼ばれて教室の外に出ると、そこに鹿島恒一がいた。

「あっ!」

思わず声を上げて、麗は気まずい表情を浮かべる。

「麗か?……懐かしいな」

馬鹿にされるかと思っていたが、麗の瞳を見つめて目元をわずかに緩めた。

「何でこんなに人気なんだか。くみ、じゃなくて、鹿島くんのお父さんを、優先してくれ」

気怠そうな目白に言われ、麗は教室を覗いた。どの席も埋まっていて、すぐに案内できる席がない。

「ちょっと、難しいかと」

ブブッ。

麗のポケットの中でスマホが震える。

『大熊が来ている。私は今手が離せない。義兄さんを引き留めておいてくれ』

そうだった! でも、どうしよう。満席だし……。ここは目白先生に相手をしてもらうしか。

「長宮、あとよろしく」

足早に去って行ってしまった。
 恒一と2人きりにされ、麗は頭をフル回転させた。
 
席はないし、引き留めておかないといけないし、どうすれば……。

「葵と晴は、どこだ?」

教室を覗き込んだ恒一に聞かれ、麗はぱっと表情を明るくした。

「校内を回って、店の宣伝をしてるんです。席をすぐに案内できないので、2人を探しませんか?」
「まあ、いいだろ。あいつらも女装してんだろ。笑ってやらねえとな」

葵とそっくりな不敵な笑みを浮かべる。
 
 これは絶好の復讐チャンス!
 父親に女装姿を見せて、晴のプライドを傷つけてやる。
 執事姿ですら見られるのを嫌がっていた葵にも、最悪な恥をかかせることができる。

「フフフフフ」

笑いが込み上げてくる。
 自分を覆っている殻にピキッとひびが入る音がした。

形態が震える。葵からのメールだ。

『大熊いた。中央階段上ってったぞ。親父いたか?』

まずい。ここから中央階段見える。他の階段で下に降りないと。
 
 返信する余裕もなく、麗は恒一を急いで左端の階段に案内し、下って行った。


「1年3組、女装男装喫茶やってまーす! イケメン執事と、可愛いメイドたちがいっぱいですよ」

晴が呼び込みをしながら、大熊の背中を追いかける。

「……あいつ、返事しねえで何やってんだよ」

葵は苛立った顔でスマホを見る。

「大熊、最上階まで上るつもりかな。3年生の階も過ぎてくよ」
「親父が来たらまずい」

葵が麗に電話をかけると、3回目でようやく出た。

「おい、返信しねえで何やってんだよ」
『今、校舎回りながら、引き留めてるとこ』
「親父をか?」
『うん』
「早く言えよ。大熊、4階に行こうとしてるぞ。そっちは大丈夫だろうな」
『……あー、まずいかも。切るよ』
「は? あいつ、切りやがった」

葵は顔をしかめ、スマホをポケットにしまった。

「アオ、あれって、生徒会長だよね?」
「知り合いなのか?」

生徒会室の前で立ち止まった大熊は、室内から出て来た澪と何やら話し込んでいる。
 そこに注目していた2人は、麗と恒一が近くに来ていることに、気付くのが遅れた。

 ——少し前。
 麗は恒一を下の階に連れて行ったものの、ごった返している昇降口に辟易し、階段を上って行った。

「なんだよ、この人の多さは。あいつら探すのめんどくせえから、理事長室で待つか」
「で、でも、今、理事長いないかも……」
「気にすんな。ウラの経営者は俺だ。どう使おうが俺の勝手だ」

恒一がニヒルに笑う。
 さすが葵と晴の父親。もう止められる気がしない。
 
「あいつらに、理事長室来るよう言っとけ」
「……はい」

麗は従順に頷き、後をついていくしかなかった。
4階に登ったところで葵から電話がかかってきた。
 電話を切った時には、中央階段から上ってきた大熊の姿が見えた。

「大熊、来てやがったか」

低く唸る恒一の声が辺りの空気を冷やす。

「おいおい、あれ、あいつらか?」

階段の壁際に身を隠している葵と晴に気付き、鼻で笑った。少し空気が和らぎ、麗は胸を撫で下ろした。
 
 大熊組組長と鹿島組組長が、こんなところでぶつかったらどうなるの?

 不安と興味でざわつく胸を抑え、口元を引き結んだ。

 晴が廊下の向かいから歩いてくる麗と恒一に気付き、葵の肩を忙しなく叩いた。

「いる、いる!」
「何が……」

前方を見て葵もようやく気付いた。

「あいつ、しくじったな」

葵の声は聞こえなかったが、表情を見る限り、何を言っているのかなんとなく分かった。
 
にしても、大熊と生徒会長、どういう関係? 
 
 恒一と麗が近づくと、澪は話をやめて麗に微笑んだ。

「あら、長宮さん。……そちらは?」
「鹿島くんたちのお父さんです」

澪の背後に立つ猛獣のような鋭い目をした大熊に凝視され、麗は身を縮こまらせた。
 その場の空気が、わずかに沈んだ。

「生徒会長の佐沖澪と申します。本日はお越しいただき、ありがとうございます」

澪は丁寧にお辞儀をする。

「生徒会長か。できた娘さんをお持ちで」

恒一は口角を上げ、大熊に目線を移した。

「あら。よく父だと分かりましたね」

澪が微笑みながら、小首を傾げた。

「どことなく似てるからな」

どこが?! 親子だなんて、ちっとも思わなかった! 生徒会長が、大熊の娘って、どういうこと⁉

 麗と同じく、葵と晴も驚いた表情で、大熊を見た。

「初めまして。大熊です」

まるで威嚇する大型犬のような、低く響く声に圧迫される。

「母とは離婚しているの。佐沖は母の旧姓なのよ。お友達だから、教えてあげるわ」

澪が麗にこっそり囁いた。
 
 なら、大熊組とは関係がないのかな。

「もっと私のこと知りたかったら、後夜祭の後、お話ししましょう」

疑問が顔に出ていたのだろうか。

「そちらは、娘さんとはあまり似ていませんな」

大熊は麗の瞳を凝視する。

「血は繋がってませんから。愚息は無様な姿をしているので、紹介はまたの機会に」

恒一は麗を隠すように、一歩前に出た。

「お父様、そろそろ行きましょう。それでは、文化祭楽しんでください」

澪は一礼すると、大熊と一緒に左端の階段に向かった。
 麗は肺に溜まった重たい空気を、一気に吐き出した。
 その間に、恒一は階段を下りようとする葵と晴に近づき、呼び止めた。

「アオ、ハル。おもしろい恰好してんじゃねえか」

葵と晴は動きを止め、ぎこちない動作で振り返った。

「ハハッ。馬子にも衣裳ってか」

指を差されて笑われた葵は、顔を赤くして奥歯を噛みしめた。
 怒りの眼差しは恒一ではなく、麗に向けられた。

 あれ、全然怖いと思わない。むしろ笑いが込み上げてくる。

 ピキピキッ。
 次々と殻にひびが入る音がする。

「ハル、おまえはいつから娘になったんだよ」

晴の顔から笑顔が消えた。

「……あいつそっくりじゃねえか」

恒一が心痛の面持ちを浮かべる。途端に晴をきつく抱き締めた。

「急にいなくなりやがって。ガキと旦那より大事なもんがどこにあるってんだ」
「ちょ、やめて。マジで、気持ち悪い…‥」

晴の顔が青ざめる。
 恒一が離れると、力なくその場にへたり込んだ。

「なんだよ、失礼なやつだな。ステージも見てやる。思う存分目立って来い」

そう言い残して、恒一は階段を下りていった。

 ついに、2人に復讐を果たした。
 胸の奥に溜まっていた黒いものが、少しずつ溶けていく。
 初めて、自分で奪い返せた気がした。

「てめえ、何してんだよ! 任務失敗しやがって。親父にも見られるし、最悪じゃねえか」

葵の怒鳴り声も子犬の鳴き声程度にしか聞こえない。
 なんだか気分が晴れて、すっきりしている。

 パキパキッ。
 殻が、割れる音がした。

「ざまあ」

階段の上から葵を見下ろし、嘲笑った。

「……なっ! 下僕のくせにっ!」

葵が目を見開いて絶句する。
 その表情に、麗の気分は高揚する。
 今なら、何でも言える。

「私は、下僕じゃない。モノでもない」

言えた。
 6年間、心の奥底に溜め込んで、押し殺してきた言葉。

「いい気になってんじゃねえぞ」

葵が奥歯を噛みしめる。

「ふん」

腕を組んで口角を上げ、鼻を鳴らす。

 ……あれ?
 見下して馬鹿にするのって、楽しい。

 下段から麗を見上げていた葵は、ぞくっと背筋に悪寒が走った。
 麗の視線は、手すりを掴んでよろよろと立ち上がった晴へ向けられる。
 
「手、貸してあげようか?」

晴に手を差し出す。

「ありがと」

弱々しく笑った晴が、掴もうとする。
 だが、手が触れる直前、麗は手を引いた。
 晴の手は空を切る。体勢を崩し、膝をついた。

「やっぱり、やーめた。ごめんね」

薄茶色の瞳を細めて、麗はニヤリとほくそ笑んだ。
 呆然自失の晴の顔。
 いい気味。 
 なんて気持ちいいんだろう。
 熱を持つ頬に手を添え、小首を傾げる。
 小悪魔のようないたずらっぽい麗の顔。
 晴の胸がざわつく。
 今までにない興奮と屈辱。
 初めての感情が理性を解き放つ。
 

「アーッハッハッハッハッ!」

晴は突然、お腹を抱えて大声で笑いだした。

「麗ちゃんのさっきの顔、最高。やられる側も悪くないね。麗ちゃんのこと、本気で好きになっちゃうよ」

目の端の涙を拭う。

「変態……」
「変態め」
「ひどいな、2人とも」

麗と葵の蔑む視線を、晴は満面の笑みで受け止めた。
 ぞわりと、鳥肌が立つ。
 それを振り払うように、床を踏みつけた。 
 
 パキン。
 殻が音を立てて砕けた。
 もう——
 元には戻らない。

 飲食の出店が両側に建ち並ぶ校庭を通って、澪は大熊を校門まで見送った。

「どうでしたか?」
「間違いない。あの目、忘れもしない。あいつの娘だ」
「お父様、長宮さんのこと、私に任せてくれないかしら」

澪の目の奥が、鋭く光る。

「……いいだろう。跡取りとしての力を見せてみろ」
「はい。文化祭、これからがおもしろくなりますよ。帰ってしまうのですか?」
「後で報告しろ」

大熊は踵を返して、巨体を揺らしながら校門の前に停まっている車に乗り込んだ。

「人の心はいくらでも操れる。暴力なんていらない。その目で見て欲しかったのに。残念ね」

薄い唇が弧を描く。
 校舎を見上げた時、校内放送が鳴り響いた。

「ランキングを発表します」

澪は目を閉じて耳を傾ける。

「……3位は、2年2組、2位は、3年1組、1位は、1年3組です」

ゆっくりと目を開き、えくぼを作った。

「ここからが、本番よ。壊れる準備は、できているわ」

生ぬるい風が、澪の髪をなびかせた。