『文化祭まで残り1ヶ月』
昇降口に大きく貼りだされた貼り紙。
その横に掲示された校内新聞の前に、人だかりができている。
人混みを掻き分ける麗の腕を、葵と晴が引っ張り、ようやく顔を出すことができた。
「今年の優勝賞品は、理事長特別権限?」
見出しを読んで首を傾げると、晴が補足した。
「理事長が願いをひとつ、何でも叶えてくれるらしいよ。よくオーケーしたなあ」
「何でもって、本当に叶える気あんのかよ」
「生徒の期待は裏切れないでしょ。理事長の体面もあるし。どんな願いでも、叶えざるを得ない」
一面の右上に載っている澪の写真を見据える。
「生徒会長、やるね」
澪のインタビュー記事が、麗の目に飛び込んできた。
『来客数と、投票数が一番多いクラスに、優勝賞品が贈られます。
競争は努力を可視化します。皆さんの本気が見られるのを楽しみにしています』
——やっぱり、競争だ。クリーン運動みたいには、ならないよね?
一抹の不安が、麗の胸に広がる。それを振り払うように、頭を振った。
教室に入ると、葵と晴の周りに、クラスの大半の女子たちが集まってきた。
輪から弾かれた麗は、自分の席から黄色い声に耳を傾けた。
「アオさま、ハルさまがいれば、うちのクラス、優勝間違いなしだよ」
「アオさまとハルさまが、目立つものがいいよね。何がいいと思う?」
キラキラした目が、葵と晴に集中する。
「どうでもいい」
顔をしかめる葵とは裏腹に、晴はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「こういうの、どうかな?」
声を小さすぎて、麗には届かない。
「キャーッ、それ最高!」
女子たちが一斉に耳をつんざく歓声を上げた。
葵が珍しく焦った顔で、何か反論をしている。
晴は一体何を言ったの?
嫌な予感がする……。
ホームルームの時間になっても目白は来なかった。その代わり、チャイムが鳴ったと同時に、壇上に委員長が立った。ざわめくクラスメイトたちを見回し、委員長は芝居がかった口調で声を張り上げた。
「僕は、目白先生から託された!」
ざわめきが落ち着く。
「文化祭の出し物を決めるようにと!」
拍手と歓声が沸き起こった。
面倒くさいから、委員長に任せただけじゃ……。
欠伸をしてぼさぼさの頭をかいている目白の顔が浮かんでくる。
「1年生が優勝したことは、かつてない。だが、今年の優勝候補はうちのクラスだ。絶対優勝して、理事長から願いを叶えてもらうぞ!」
眼鏡のがり勉のイメージしかなかった委員長が、こんなにも熱い人だったとは。
「おーっ!」
クラスメイトたちはぎらついた目で拳を突き上げた。
一体、理事長にどんな願いを叶えてもらうつもりなのか。
異様な熱気に包まれたクラスメイトたちから、麗は思わず一歩引いてしまう。
「早速、出し物を決めよう。どんどん案出して」
チョークを手にした委員長が言った途端、女子たちが勢いよく手を上げた。委員長に指されたひとりが席を立つ。
「男装、女装喫茶がいいです。ていうか、これ一択!」
他の女子たちが力強い拍手を送った。
「い、一択? 他の案は」
たじろぐ委員長に指を突きつけ、得意満面に言い放った。
「絶対、これしか勝たん!」
そうだ、そうだと拍手喝采の女子たちに、男子が反論の声を上げた。
「はあ? そんなの何がいいんだよ」
「喫茶店するなら、普通にやれよ」
女子たちが席を立ち、矢継ぎ早に異議を唱えた。
「普通じゃだめ!」
「優勝するためにはプラスの要素が必要なの!」
「男子、よく考えて。アオさまとハルさまのメイド姿を!」
男子たちは宙に目を向け、想像を膨らませる。
「兄は、黒髪ロングのツンデレタイプ……」
「弟は、茶髪ゆるふわツインテールで、あざとかわいい系……」
委員長も含め、男子たちはぼうっとした顔で、口元がにやける。
想像するが、麗は背筋が凍って、鳥肌が止まらない。
「男装、女装喫茶、いい! これで決まりだ」
委員長がチョークで黒板に書き始める。
「待て! 何がいいんだよ」
葵が慌てて立ち上がった。
「じゃあ、多数決とろう。賛成の人」
委員長が言い終わらない内に、葵と麗以外の全員が手を上げた。
えー……。みんな、正気?
麗は肩を縮こまらせた。
「鹿島くん、これはしょうがないよ。他にみんなが納得できる案があるなら聞かせて」
委員長の瞳が、きらりと光る。
「そんなのねえよ。俺は絶対、女装なんてしないからな!」
肩を怒らせる葵に、晴が微笑みかけた。
「しょうがないなあ。じゃあさ、アオは女装しないで、ウェイターで接客頑張るのでいい?」
「女装よりはましだけど、めんどくせえ」
葵の目線が麗に移る。強張った顔の麗と目が合う。葵はそっぽを向いてぼやいた。
「あいつの前で、腑抜けた格好できるかよ」
葵と晴への期待が高まり、2人の周りには一日中クラスの女子がいた。
放課後になると、葵は疲れ切った顔で深い溜め息をついた。
「おまえのせいだからな。しょうもない提案しやがって」
葵が鬼の形相で晴を睨む。
「半分冗談だったんだけどね。でも、麗ちゃんの男装楽しみだな」
全く、何も、楽しみじゃない。裏方希望だったのに、晴のせいで強引に接客に回された。
男装して接客とか、恥ずかしすぎる。
せっかくの文化祭が憂うつだ。
麗のポケットで、スマホが震える。
開くと、フクロウからメールが届いていた。
『カメラのデータ、復旧できたよ』
短い文面に、ダウンロード先のURLが添付されている。
「さすがフクロウさん。仕事が早い」
晴がスマホを覗き込む。
「転送して。ぼくのパソコンで見てみよう」
晴の部屋に集まり、データを順番に確認していく。
授業風景。
カメラを隠す葉山。
回収したカメラを町田に渡す葉山。
誰もいない薄暗い教室で抱き合う町田と葉山。
荒い画像だが、なんとなく顔が分かる。
「胸糞悪いな。とっとと飛ばせよ」
葵が晴からマウスを奪う。動画の最後の方まで再生ボタンを動かす。
誰も映っていない暗闇が続く。
小さな光が見え、葵は手を止めた。
「誰か来た」
麗と晴も目を凝らして画面を見つめる。
スマホのライトを頼りに、長髪の人影がカメラに手を伸ばす。
ライトの影になって、顔が見えない。紫紺色のリボンが光に照らされた。
「これ、3年生のリボン!」
麗は目を丸くする。
画面の端に、長い黒髪が映り、映像は途切れた。
「顔映ってないのかよ。誰だよ、こいつ」
葵が苛立つ。
晴は同じ場面を何度も見返す。マウスから手を離すと、椅子の背もたれに首を預けた。
「ふーん。……やっぱりね。突っついてみるか」
瞳の奥に、獲物を捕らえる愉悦の色が浮かんだ。
襖で仕切られた料亭の一室。
理事長の次郎は、上座の義兄、鹿島恒一に酌をした。
次郎の横に座る目白は、空いたお猪口を向いの体格の良い男に突き出した。
「メジロさん、いい飲みっぷりですね」
男は酒を注ぎながら、口角を上げる。
「クロサギよう、ガキのお守りやったことあっか? 飲まなきゃやってらんねえよ」
ぐいっとお猪口をあおる目白の顔が、少し赤い。
「悪いな、メジロ。報酬はたんまりはずんでやるからよ」
口角を上げた恒一の顔が、晴にそっくりで、目白は口をへの字に曲げた。
恒一がお猪口を置いた。
「大熊組が、動き出している」
次郎とクロサギは背筋を伸ばす。目白は刺身をひと切れ口に入れた。
「現組長の大熊龍之介、卑劣なやつですよ。警戒しておかないと」
クロサギの三白眼が、鋭く光る。
恒一は鼻で笑い飛ばす。
「あいつは小物だ。俺らの敵じゃねえ。けどな、次郎」
次郎はごくりと唾を呑み込む。
「学院は狙われてる。大熊の娘から目を離すな」
「はい。……文化祭に大熊も来るかもしれません」
「なら、俺も保護者として出向くか」
次郎とクロサギは目をみはり、目白はむせこんだ。
恒一は腕組をして、不敵な笑みを浮かべた。
「葵と晴を表に出して、大熊を牽制する」
「義兄さん、アオくんとハルくんには、ウラで動いてもらった方がいいんじゃないですか?」
「学院は鹿島の庭だって、見せつけてやらねえと」
お猪口を傾ける恒一。次郎の顔に不安の二文字が浮かぶ。
「そんなことしたら、アオくんとハルくんが危険なんじゃ……」
「心配すんな。当日は俺もいる。メジロもいるしな」
目白は仰々しい溜め息をついて、メニューを手に取った。
「ガソリンがないと無理だ。一番高い酒、頼んでやる」
「おう。気が済むまで飲め」
恨めしそうな目白の視線を、恒一は払いのけた。
翌日、登校して早々、麗は葵と晴と理事長室に来ていた。
「おじさん! どういうことだよ」
憤る葵の背後から、麗は困ったような表情の理事長に目を向けた。
「君たちのお父さんからの指示でね。悪いけど、ぼくには拒否権ない」
肩をすくめる。
「ステージ、おもしろそうじゃん」
晴がなだめるように葵の肩を叩く。
「目立ちたがり屋め。おまえだけ出ろよ」
「そういうわけにはいかないよ。父さんからの指示なんだし」
2人とも、ご愁傷様。ステージ頑張って。
内心ほくそ笑んでいると、葵に肩を掴まれ、理事長の前に押し出された。
「え、ちょっと、何?」
「3人だ。こいつもいいだろ?」
「いやいや、私は、無理! 2人で十分でしょ」
「おまえが出ないなら、俺も出ない」
「わがまま!」
理事長は唸り声をあげ、しばらく考え込む。
お願いします! 駄目だって言って!
「……まあ、いいか。なんとかなるだろう」
麗の願いは届かず。頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「何で、こんなことに……」
「麗ちゃん、3人で頑張ろうね」
「逃げんなよ」
2人に両肩を掴まれ、顔面蒼白になる。
足元が崩れ落ちる感覚に、血の気が引いていった。
「2人とも、先に行ってて」
理事長室を出ると、晴はそう言って軽い足取りで階段を駆け上がっていった。
「鹿島晴! 何でここに?」
2年1組の前で、牧野とばったり出くわした。
「ちょうどよかった。生徒会長、同じクラスですよね?」
「……そうだけど」
不審がる牧野の後に続いて教室に入った途端、ざわめきが広がった。
「佐沖先輩、いますか?」
晴に名前を呼ばれ、澪は卒倒しそうになる。平常心を保ち、柔らかい笑みを浮かべた。
「何か、用かしら?」
「カメラの落とし物、誰のか分かりました」
晴の目の奥が笑っていない。
「……そう。よかったわね」
澪の細い眉がわずかに動く。
「何のことか、聞かないんですね」
「言い間違えたかと思って、あえて聞かなかっただけよ」
花が開くように、ふわりと上品に微笑む。
「てっきり、気付いてるんだと思ってました。あれが、隠しカメラだって」
被せるように、晴はめいっぱいのプリンススマイルを浮かべた。
「隠しカメラ?」
牧野の眉がピクリと動く。
「何のことかしら」
澪の鉄壁の笑顔は崩れない。晴はスマイルを保ったまま、澪にだけ聞こえるように、声を落とした。
「あんたのでしょ」
肉食獣のようにぎらついた眼差しで、澪を射抜く。
「いいえ。その確信はどこからくるのかしら」
澪はえくぼを作って、顎に手を添えた。
「認めたら教えますよ」
飾らない低い声が、澪の鼓膜を震わせる。
「……もうすぐチャイムが鳴るわよ。教室に戻ってね」
口元に力を込め、清楚な笑顔を維持した。
「簡単にはいかないか。またお話しましょうね」
ウィンクをして、手を振る。女子たちの歓声を背に、晴は階段を下りて行った。
澪は飛び跳ねる心臓を押さえながら、髪を撫でつけた。
——気づかれた。さすがハルさまね。それでこそ……。
ふっと吐息を漏らしたのと同時に、チャイムの音が校舎を包み込んだ。
昼休み、食堂に行くと、異様な静けさに包まれていた。スピーカーから聞こえてくる放送部の声に、誰もが耳を傾けている。
『今日は特別ゲストとして、生徒会長の佐沖澪さんをお呼びしています。佐沖さん、よろしくお願いします』
パーソナリティの明るい声が食堂に響き渡る。
『よろしくお願いします』
凛としたよく通る澪の声。男子生徒達が顔を上げて、スピーカーを凝視した。
『今日は文化祭の詳細について、お話してくださるんですよね』
『ええ。今年は創立60周年の特別な文化祭です。例年は10月ですが、創立記念日に合わせて、6月に開催されます』
『例年と違うのは、開催月だけではないんですよね?』
生徒たちの食べる手がぴたりと止まる。
『はい。特別ステージが設けられることになりました』
疑問の声があちこちから上がり、さわがしくなる。
『ステージに上がれるのは、オーディションに勝ち抜いた6組。ちなみに、1組は理事長特別枠で既に決まっているので、残りは5組です』
『ステージに上がった人には、何か特典があるんですか?』
ざわめきが静まる。
『1組につき30ポイント差し上げます』
雄叫びと歓喜の声が、食堂だけでなく、学院のあちこちで上がる。
異常な熱気に、箸を持つ麗の手が震える。
文化祭って、こういうものなの?
もっとわきあいあいとしたものだと思っていたのに。
これが、“普通”?
“普通”とは無縁すぎて、ついていけないのかな……。
でも、普通に文化祭楽しみたい。
ノリについていかなきゃ。
せっかく青春が手の届く位置にあるんだから。
放課後、浮足立ったクラスメイトたちにより、早速衣装合わせが行われた。
メイド服に着替え、ウィッグをつけた晴が顔を出すと、教室の時が止まった。
誰もが微動だにせず、呆けた顔をしている。
「どうかな?」
ツインテールの髪を指にまきつけ、はにかむ。
「か、かわいいー‼」
女子たち歓声をあげながら写真を撮り、晴はモデルのように次々とポーズを決めていく。
「やばい。かわいい……」
「この胸のときめきは、なんだ……」
「おまえら、しっかりしろ! あいつは男だ!」
はっと我に返る男子たちだが、その頬はうっすらと桃色に染まっている。
「麗ちゃん、ぼく似合ってる?」
小首を傾げる晴のツインテールが揺れる。
「あ、うん。気持ち悪いぐらい違和感ない」
「えー、何その言い方。全然うれしくなーい」
話し方まで女子みたい。ここまでなりきってるといっそ清々しい。
そこへ、執事の衣装に着替えた葵が現れた。
「ちょっときついんだけど」
窮屈そうにジャケットの肩を触る。女子たちが色めき立ち、葵を取り囲んだ。
いつもと服装が違うだけなのに、心臓がうるさい。
麗は胸を抑え、鳴り響く心臓の音を抑え込もうとするが、うまくいかない。
葵から、目が離せない。
「他の人も衣装合わせしまーす。男子は隣の空教で、女子はここで」
委員長が取り仕切り、男女で分かれる。
「アオさま、かっこよかった!」
「ハルさまも超かわいい!」
「絶対うちら優勝じゃんね」
「ステージポイントも捨てがたいけど、店の来客数稼いだ方が早いかもよ」
着替えながら聞こえてくる女子たちの会話に、うまく入れない。
3人でステージ出るって言っておかないといけないのに。
けど、私が言っても、変な顔されそう。あの2人に伝えてもらった方がスムーズな気がする。
ひとりで頷いていると、衣装担当がじーっと麗の前髪を見てきた。
「あのさ、長宮さん」
「な、何?」
「一応飲食店だし、接客担当だし、その前髪、どうにかならないかな?」
「えっと、どうにか、とは?」
「結ぶとか、上げるとか。ちょっとごめんね」
前髪を撫でつける麗の手をどかし、前髪を束ねてヘアクリップで止めた。
久々の明るい視界が眩しい。
守られていたものがなくなったようで、妙に心もとない。
瞬きをすると、衣装担当もあんぐり口を開けて瞬きをした。
「や、やばい! ちょっとみんな、みてみて!」
声につられて集まってきた女子たちは、息を呑んだ。
なんか、デジャヴ……。
「えー! 長宮さん、マジ?」
「ポテンシャル高っ!」
「うちのクラス最強じゃん。ねえねえ、着替えたらウィッグもかぶってみて!」
言われた通りにやると、まるで葵と晴に向けるようなとろけた目で見つめられた。
「アオさまとハルさまに引けを取らない!」
「推せる!」
「いけるよ、これ! 長宮さん、本番もこれでいいかな?」
期待の眼差しを向けられ、断れるはずもなく、頷くしかなかった。
少し離れたところから、驚いた表情の恵がじっと麗を見つめている。
明るくなった視界で見る恵の顔が、以前より幼く見える。
麗は視線をずらし、女子たちに背中を押されるようにして教室に戻った。
「おまえ、何で前髪っ」
葵は、怒っているというより焦っている顔だ。
「麗ちゃん、イケメンじゃん。誰か分からなかったよ」
女装を脱いだ晴が、顔をほころばせた。
「アオ、もうみんなに麗ちゃんの素顔ばれちゃったし、隠さなくてもいいんじゃない?」
葵の肩に手を乗せて耳打ちをする。
「……他のやつに見せてんじゃねえよ」
晴の手を払う。ジャケットを脱ぎ捨て、制服をもって教室を出て行った。
命令違反したから怒った?
もう、いいや。葵の命令より、文化祭の方が大事。
みんなの期待に応えたい。
私だって普通に文化祭楽しみたい。
「これでぼくたちのクラスは優勝間違いなし! みんな、頑張ろう!」
委員長が拳を突き上げる。
「おおー!」
闘志を燃やす声が反響する。麗も真似をして、声を上げた。
同じ目的のために、一致団結して頑張る。夢見てた青春そのもの。
熱気の輪の中に混じって、青春を謳歌したい。
文化祭への期待が高まる一方で、前髪に覆われないクリアな視界が不安になる。
扉の向こうへ消えた葵の背中が、頭から離れなかった。
胸の奥に潜む黒い影を追い払うように、重い溜め息をもらした。
「あの」
消え入りそうな小さな声に振り向くと、目を伏せた恵が立っていた。
「メグ……」
麗の表情が強張る。
「この前は、本当にごめんなさい」
恵が深々と頭を下げる。
何で、今更謝るの?
二度も期待を裏切ったくせに。
「すぐ謝りたかったんだけど、勇気が出なくて。でも、レイが前髪を上げて堂々としてるの見たら、自分が嫌になって。それで……」
顔を上げた恵の目が潤んでいる。
もういいよ。謝らないで。
きっとこう言う方が普通で、正しいんだろうな。
わかってるけど、意地悪な自分が囁く。
罪悪感を軽くしたいだけでしょ。
口に出したら、恵を傷つける。そしたら自分が悪者になる。
この言葉は心の中にしまっておく。
「ごめん、何のことだっけ? 忘れちゃった」
「えっ……」
呆然とする恵に笑いかける。白々しい笑顔の仮面を被った自分の顔が、壁掛けの鏡に映っている。
“ともだち”リストの削除ボタンを押す。
その指に、迷いはなかった——。
昇降口に大きく貼りだされた貼り紙。
その横に掲示された校内新聞の前に、人だかりができている。
人混みを掻き分ける麗の腕を、葵と晴が引っ張り、ようやく顔を出すことができた。
「今年の優勝賞品は、理事長特別権限?」
見出しを読んで首を傾げると、晴が補足した。
「理事長が願いをひとつ、何でも叶えてくれるらしいよ。よくオーケーしたなあ」
「何でもって、本当に叶える気あんのかよ」
「生徒の期待は裏切れないでしょ。理事長の体面もあるし。どんな願いでも、叶えざるを得ない」
一面の右上に載っている澪の写真を見据える。
「生徒会長、やるね」
澪のインタビュー記事が、麗の目に飛び込んできた。
『来客数と、投票数が一番多いクラスに、優勝賞品が贈られます。
競争は努力を可視化します。皆さんの本気が見られるのを楽しみにしています』
——やっぱり、競争だ。クリーン運動みたいには、ならないよね?
一抹の不安が、麗の胸に広がる。それを振り払うように、頭を振った。
教室に入ると、葵と晴の周りに、クラスの大半の女子たちが集まってきた。
輪から弾かれた麗は、自分の席から黄色い声に耳を傾けた。
「アオさま、ハルさまがいれば、うちのクラス、優勝間違いなしだよ」
「アオさまとハルさまが、目立つものがいいよね。何がいいと思う?」
キラキラした目が、葵と晴に集中する。
「どうでもいい」
顔をしかめる葵とは裏腹に、晴はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「こういうの、どうかな?」
声を小さすぎて、麗には届かない。
「キャーッ、それ最高!」
女子たちが一斉に耳をつんざく歓声を上げた。
葵が珍しく焦った顔で、何か反論をしている。
晴は一体何を言ったの?
嫌な予感がする……。
ホームルームの時間になっても目白は来なかった。その代わり、チャイムが鳴ったと同時に、壇上に委員長が立った。ざわめくクラスメイトたちを見回し、委員長は芝居がかった口調で声を張り上げた。
「僕は、目白先生から託された!」
ざわめきが落ち着く。
「文化祭の出し物を決めるようにと!」
拍手と歓声が沸き起こった。
面倒くさいから、委員長に任せただけじゃ……。
欠伸をしてぼさぼさの頭をかいている目白の顔が浮かんでくる。
「1年生が優勝したことは、かつてない。だが、今年の優勝候補はうちのクラスだ。絶対優勝して、理事長から願いを叶えてもらうぞ!」
眼鏡のがり勉のイメージしかなかった委員長が、こんなにも熱い人だったとは。
「おーっ!」
クラスメイトたちはぎらついた目で拳を突き上げた。
一体、理事長にどんな願いを叶えてもらうつもりなのか。
異様な熱気に包まれたクラスメイトたちから、麗は思わず一歩引いてしまう。
「早速、出し物を決めよう。どんどん案出して」
チョークを手にした委員長が言った途端、女子たちが勢いよく手を上げた。委員長に指されたひとりが席を立つ。
「男装、女装喫茶がいいです。ていうか、これ一択!」
他の女子たちが力強い拍手を送った。
「い、一択? 他の案は」
たじろぐ委員長に指を突きつけ、得意満面に言い放った。
「絶対、これしか勝たん!」
そうだ、そうだと拍手喝采の女子たちに、男子が反論の声を上げた。
「はあ? そんなの何がいいんだよ」
「喫茶店するなら、普通にやれよ」
女子たちが席を立ち、矢継ぎ早に異議を唱えた。
「普通じゃだめ!」
「優勝するためにはプラスの要素が必要なの!」
「男子、よく考えて。アオさまとハルさまのメイド姿を!」
男子たちは宙に目を向け、想像を膨らませる。
「兄は、黒髪ロングのツンデレタイプ……」
「弟は、茶髪ゆるふわツインテールで、あざとかわいい系……」
委員長も含め、男子たちはぼうっとした顔で、口元がにやける。
想像するが、麗は背筋が凍って、鳥肌が止まらない。
「男装、女装喫茶、いい! これで決まりだ」
委員長がチョークで黒板に書き始める。
「待て! 何がいいんだよ」
葵が慌てて立ち上がった。
「じゃあ、多数決とろう。賛成の人」
委員長が言い終わらない内に、葵と麗以外の全員が手を上げた。
えー……。みんな、正気?
麗は肩を縮こまらせた。
「鹿島くん、これはしょうがないよ。他にみんなが納得できる案があるなら聞かせて」
委員長の瞳が、きらりと光る。
「そんなのねえよ。俺は絶対、女装なんてしないからな!」
肩を怒らせる葵に、晴が微笑みかけた。
「しょうがないなあ。じゃあさ、アオは女装しないで、ウェイターで接客頑張るのでいい?」
「女装よりはましだけど、めんどくせえ」
葵の目線が麗に移る。強張った顔の麗と目が合う。葵はそっぽを向いてぼやいた。
「あいつの前で、腑抜けた格好できるかよ」
葵と晴への期待が高まり、2人の周りには一日中クラスの女子がいた。
放課後になると、葵は疲れ切った顔で深い溜め息をついた。
「おまえのせいだからな。しょうもない提案しやがって」
葵が鬼の形相で晴を睨む。
「半分冗談だったんだけどね。でも、麗ちゃんの男装楽しみだな」
全く、何も、楽しみじゃない。裏方希望だったのに、晴のせいで強引に接客に回された。
男装して接客とか、恥ずかしすぎる。
せっかくの文化祭が憂うつだ。
麗のポケットで、スマホが震える。
開くと、フクロウからメールが届いていた。
『カメラのデータ、復旧できたよ』
短い文面に、ダウンロード先のURLが添付されている。
「さすがフクロウさん。仕事が早い」
晴がスマホを覗き込む。
「転送して。ぼくのパソコンで見てみよう」
晴の部屋に集まり、データを順番に確認していく。
授業風景。
カメラを隠す葉山。
回収したカメラを町田に渡す葉山。
誰もいない薄暗い教室で抱き合う町田と葉山。
荒い画像だが、なんとなく顔が分かる。
「胸糞悪いな。とっとと飛ばせよ」
葵が晴からマウスを奪う。動画の最後の方まで再生ボタンを動かす。
誰も映っていない暗闇が続く。
小さな光が見え、葵は手を止めた。
「誰か来た」
麗と晴も目を凝らして画面を見つめる。
スマホのライトを頼りに、長髪の人影がカメラに手を伸ばす。
ライトの影になって、顔が見えない。紫紺色のリボンが光に照らされた。
「これ、3年生のリボン!」
麗は目を丸くする。
画面の端に、長い黒髪が映り、映像は途切れた。
「顔映ってないのかよ。誰だよ、こいつ」
葵が苛立つ。
晴は同じ場面を何度も見返す。マウスから手を離すと、椅子の背もたれに首を預けた。
「ふーん。……やっぱりね。突っついてみるか」
瞳の奥に、獲物を捕らえる愉悦の色が浮かんだ。
襖で仕切られた料亭の一室。
理事長の次郎は、上座の義兄、鹿島恒一に酌をした。
次郎の横に座る目白は、空いたお猪口を向いの体格の良い男に突き出した。
「メジロさん、いい飲みっぷりですね」
男は酒を注ぎながら、口角を上げる。
「クロサギよう、ガキのお守りやったことあっか? 飲まなきゃやってらんねえよ」
ぐいっとお猪口をあおる目白の顔が、少し赤い。
「悪いな、メジロ。報酬はたんまりはずんでやるからよ」
口角を上げた恒一の顔が、晴にそっくりで、目白は口をへの字に曲げた。
恒一がお猪口を置いた。
「大熊組が、動き出している」
次郎とクロサギは背筋を伸ばす。目白は刺身をひと切れ口に入れた。
「現組長の大熊龍之介、卑劣なやつですよ。警戒しておかないと」
クロサギの三白眼が、鋭く光る。
恒一は鼻で笑い飛ばす。
「あいつは小物だ。俺らの敵じゃねえ。けどな、次郎」
次郎はごくりと唾を呑み込む。
「学院は狙われてる。大熊の娘から目を離すな」
「はい。……文化祭に大熊も来るかもしれません」
「なら、俺も保護者として出向くか」
次郎とクロサギは目をみはり、目白はむせこんだ。
恒一は腕組をして、不敵な笑みを浮かべた。
「葵と晴を表に出して、大熊を牽制する」
「義兄さん、アオくんとハルくんには、ウラで動いてもらった方がいいんじゃないですか?」
「学院は鹿島の庭だって、見せつけてやらねえと」
お猪口を傾ける恒一。次郎の顔に不安の二文字が浮かぶ。
「そんなことしたら、アオくんとハルくんが危険なんじゃ……」
「心配すんな。当日は俺もいる。メジロもいるしな」
目白は仰々しい溜め息をついて、メニューを手に取った。
「ガソリンがないと無理だ。一番高い酒、頼んでやる」
「おう。気が済むまで飲め」
恨めしそうな目白の視線を、恒一は払いのけた。
翌日、登校して早々、麗は葵と晴と理事長室に来ていた。
「おじさん! どういうことだよ」
憤る葵の背後から、麗は困ったような表情の理事長に目を向けた。
「君たちのお父さんからの指示でね。悪いけど、ぼくには拒否権ない」
肩をすくめる。
「ステージ、おもしろそうじゃん」
晴がなだめるように葵の肩を叩く。
「目立ちたがり屋め。おまえだけ出ろよ」
「そういうわけにはいかないよ。父さんからの指示なんだし」
2人とも、ご愁傷様。ステージ頑張って。
内心ほくそ笑んでいると、葵に肩を掴まれ、理事長の前に押し出された。
「え、ちょっと、何?」
「3人だ。こいつもいいだろ?」
「いやいや、私は、無理! 2人で十分でしょ」
「おまえが出ないなら、俺も出ない」
「わがまま!」
理事長は唸り声をあげ、しばらく考え込む。
お願いします! 駄目だって言って!
「……まあ、いいか。なんとかなるだろう」
麗の願いは届かず。頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「何で、こんなことに……」
「麗ちゃん、3人で頑張ろうね」
「逃げんなよ」
2人に両肩を掴まれ、顔面蒼白になる。
足元が崩れ落ちる感覚に、血の気が引いていった。
「2人とも、先に行ってて」
理事長室を出ると、晴はそう言って軽い足取りで階段を駆け上がっていった。
「鹿島晴! 何でここに?」
2年1組の前で、牧野とばったり出くわした。
「ちょうどよかった。生徒会長、同じクラスですよね?」
「……そうだけど」
不審がる牧野の後に続いて教室に入った途端、ざわめきが広がった。
「佐沖先輩、いますか?」
晴に名前を呼ばれ、澪は卒倒しそうになる。平常心を保ち、柔らかい笑みを浮かべた。
「何か、用かしら?」
「カメラの落とし物、誰のか分かりました」
晴の目の奥が笑っていない。
「……そう。よかったわね」
澪の細い眉がわずかに動く。
「何のことか、聞かないんですね」
「言い間違えたかと思って、あえて聞かなかっただけよ」
花が開くように、ふわりと上品に微笑む。
「てっきり、気付いてるんだと思ってました。あれが、隠しカメラだって」
被せるように、晴はめいっぱいのプリンススマイルを浮かべた。
「隠しカメラ?」
牧野の眉がピクリと動く。
「何のことかしら」
澪の鉄壁の笑顔は崩れない。晴はスマイルを保ったまま、澪にだけ聞こえるように、声を落とした。
「あんたのでしょ」
肉食獣のようにぎらついた眼差しで、澪を射抜く。
「いいえ。その確信はどこからくるのかしら」
澪はえくぼを作って、顎に手を添えた。
「認めたら教えますよ」
飾らない低い声が、澪の鼓膜を震わせる。
「……もうすぐチャイムが鳴るわよ。教室に戻ってね」
口元に力を込め、清楚な笑顔を維持した。
「簡単にはいかないか。またお話しましょうね」
ウィンクをして、手を振る。女子たちの歓声を背に、晴は階段を下りて行った。
澪は飛び跳ねる心臓を押さえながら、髪を撫でつけた。
——気づかれた。さすがハルさまね。それでこそ……。
ふっと吐息を漏らしたのと同時に、チャイムの音が校舎を包み込んだ。
昼休み、食堂に行くと、異様な静けさに包まれていた。スピーカーから聞こえてくる放送部の声に、誰もが耳を傾けている。
『今日は特別ゲストとして、生徒会長の佐沖澪さんをお呼びしています。佐沖さん、よろしくお願いします』
パーソナリティの明るい声が食堂に響き渡る。
『よろしくお願いします』
凛としたよく通る澪の声。男子生徒達が顔を上げて、スピーカーを凝視した。
『今日は文化祭の詳細について、お話してくださるんですよね』
『ええ。今年は創立60周年の特別な文化祭です。例年は10月ですが、創立記念日に合わせて、6月に開催されます』
『例年と違うのは、開催月だけではないんですよね?』
生徒たちの食べる手がぴたりと止まる。
『はい。特別ステージが設けられることになりました』
疑問の声があちこちから上がり、さわがしくなる。
『ステージに上がれるのは、オーディションに勝ち抜いた6組。ちなみに、1組は理事長特別枠で既に決まっているので、残りは5組です』
『ステージに上がった人には、何か特典があるんですか?』
ざわめきが静まる。
『1組につき30ポイント差し上げます』
雄叫びと歓喜の声が、食堂だけでなく、学院のあちこちで上がる。
異常な熱気に、箸を持つ麗の手が震える。
文化祭って、こういうものなの?
もっとわきあいあいとしたものだと思っていたのに。
これが、“普通”?
“普通”とは無縁すぎて、ついていけないのかな……。
でも、普通に文化祭楽しみたい。
ノリについていかなきゃ。
せっかく青春が手の届く位置にあるんだから。
放課後、浮足立ったクラスメイトたちにより、早速衣装合わせが行われた。
メイド服に着替え、ウィッグをつけた晴が顔を出すと、教室の時が止まった。
誰もが微動だにせず、呆けた顔をしている。
「どうかな?」
ツインテールの髪を指にまきつけ、はにかむ。
「か、かわいいー‼」
女子たち歓声をあげながら写真を撮り、晴はモデルのように次々とポーズを決めていく。
「やばい。かわいい……」
「この胸のときめきは、なんだ……」
「おまえら、しっかりしろ! あいつは男だ!」
はっと我に返る男子たちだが、その頬はうっすらと桃色に染まっている。
「麗ちゃん、ぼく似合ってる?」
小首を傾げる晴のツインテールが揺れる。
「あ、うん。気持ち悪いぐらい違和感ない」
「えー、何その言い方。全然うれしくなーい」
話し方まで女子みたい。ここまでなりきってるといっそ清々しい。
そこへ、執事の衣装に着替えた葵が現れた。
「ちょっときついんだけど」
窮屈そうにジャケットの肩を触る。女子たちが色めき立ち、葵を取り囲んだ。
いつもと服装が違うだけなのに、心臓がうるさい。
麗は胸を抑え、鳴り響く心臓の音を抑え込もうとするが、うまくいかない。
葵から、目が離せない。
「他の人も衣装合わせしまーす。男子は隣の空教で、女子はここで」
委員長が取り仕切り、男女で分かれる。
「アオさま、かっこよかった!」
「ハルさまも超かわいい!」
「絶対うちら優勝じゃんね」
「ステージポイントも捨てがたいけど、店の来客数稼いだ方が早いかもよ」
着替えながら聞こえてくる女子たちの会話に、うまく入れない。
3人でステージ出るって言っておかないといけないのに。
けど、私が言っても、変な顔されそう。あの2人に伝えてもらった方がスムーズな気がする。
ひとりで頷いていると、衣装担当がじーっと麗の前髪を見てきた。
「あのさ、長宮さん」
「な、何?」
「一応飲食店だし、接客担当だし、その前髪、どうにかならないかな?」
「えっと、どうにか、とは?」
「結ぶとか、上げるとか。ちょっとごめんね」
前髪を撫でつける麗の手をどかし、前髪を束ねてヘアクリップで止めた。
久々の明るい視界が眩しい。
守られていたものがなくなったようで、妙に心もとない。
瞬きをすると、衣装担当もあんぐり口を開けて瞬きをした。
「や、やばい! ちょっとみんな、みてみて!」
声につられて集まってきた女子たちは、息を呑んだ。
なんか、デジャヴ……。
「えー! 長宮さん、マジ?」
「ポテンシャル高っ!」
「うちのクラス最強じゃん。ねえねえ、着替えたらウィッグもかぶってみて!」
言われた通りにやると、まるで葵と晴に向けるようなとろけた目で見つめられた。
「アオさまとハルさまに引けを取らない!」
「推せる!」
「いけるよ、これ! 長宮さん、本番もこれでいいかな?」
期待の眼差しを向けられ、断れるはずもなく、頷くしかなかった。
少し離れたところから、驚いた表情の恵がじっと麗を見つめている。
明るくなった視界で見る恵の顔が、以前より幼く見える。
麗は視線をずらし、女子たちに背中を押されるようにして教室に戻った。
「おまえ、何で前髪っ」
葵は、怒っているというより焦っている顔だ。
「麗ちゃん、イケメンじゃん。誰か分からなかったよ」
女装を脱いだ晴が、顔をほころばせた。
「アオ、もうみんなに麗ちゃんの素顔ばれちゃったし、隠さなくてもいいんじゃない?」
葵の肩に手を乗せて耳打ちをする。
「……他のやつに見せてんじゃねえよ」
晴の手を払う。ジャケットを脱ぎ捨て、制服をもって教室を出て行った。
命令違反したから怒った?
もう、いいや。葵の命令より、文化祭の方が大事。
みんなの期待に応えたい。
私だって普通に文化祭楽しみたい。
「これでぼくたちのクラスは優勝間違いなし! みんな、頑張ろう!」
委員長が拳を突き上げる。
「おおー!」
闘志を燃やす声が反響する。麗も真似をして、声を上げた。
同じ目的のために、一致団結して頑張る。夢見てた青春そのもの。
熱気の輪の中に混じって、青春を謳歌したい。
文化祭への期待が高まる一方で、前髪に覆われないクリアな視界が不安になる。
扉の向こうへ消えた葵の背中が、頭から離れなかった。
胸の奥に潜む黒い影を追い払うように、重い溜め息をもらした。
「あの」
消え入りそうな小さな声に振り向くと、目を伏せた恵が立っていた。
「メグ……」
麗の表情が強張る。
「この前は、本当にごめんなさい」
恵が深々と頭を下げる。
何で、今更謝るの?
二度も期待を裏切ったくせに。
「すぐ謝りたかったんだけど、勇気が出なくて。でも、レイが前髪を上げて堂々としてるの見たら、自分が嫌になって。それで……」
顔を上げた恵の目が潤んでいる。
もういいよ。謝らないで。
きっとこう言う方が普通で、正しいんだろうな。
わかってるけど、意地悪な自分が囁く。
罪悪感を軽くしたいだけでしょ。
口に出したら、恵を傷つける。そしたら自分が悪者になる。
この言葉は心の中にしまっておく。
「ごめん、何のことだっけ? 忘れちゃった」
「えっ……」
呆然とする恵に笑いかける。白々しい笑顔の仮面を被った自分の顔が、壁掛けの鏡に映っている。
“ともだち”リストの削除ボタンを押す。
その指に、迷いはなかった——。
