アオハルな恋とウラらかな復讐

 男子トイレの鏡の前で、目白は苛立っていた。

「何で俺がネクタイしめないといけねえんだよ。ハゲデブめ」

不慣れな手つきで紺色のネクタイを締めながら、悪態をつく。

「それって、教頭のことですか?」

ふらっと現れた晴が、にんまりと笑みを浮かべる。目白は驚いた様子もなく、手を洗う晴を横目で見て、窮屈そうに顔をしかめた。

「悪い評判ばかり報告されてるから、しょうがないですよ」

ハンカチで手を拭きながら、晴は苦笑した。

「教師が生徒の評判気にしてたら、世も末だな。……とっととぶっ潰せ」

しわくちゃのスーツと新品のネクタイがちぐはぐで、凄まれても威圧感はまるでない。晴は笑いを堪えて、鏡の中の目白に目を向けた。

「先生の方がこういうの得意でしょ。ヒントくださいよ」
「しょうがねえな」

目白は気にくわない顔でネクタイを指で弾くと、晴に視線を向けた。

「掃除ってのは、汚れを消すだけじゃない。きれいなもんを汚して、ターゲットが手放すよう仕向けることもある。それと」

目白は言葉を切ると、声を落とした。

「上からきれいなもん被せて、見えなくするやり方もある」
「それ、ただ隠してるだけでしょう?」
「違和感なく見せかけるのが、プロの仕事だ」

いつの間にかネクタイがしわくちゃになっている。
「ふーん。なるほどね」

晴は顎に手を添え、口角を上げた。

 
 廊下を横並びに歩く葵を、麗は怪訝な顔でまじまじと見る。葵の手には、音楽の教科書と筆箱。少し前までは、持たされていたのに。
 最近、葵がおかしい。下僕扱いされない。これが正常なんだけど、なんか変な感じ。
 
 前方で、女子に囲まれて愛想笑いを浮かべている晴にちらっと目を向けた。

 晴は、いつもどおり。相変わらず無理してるような笑い方。アイドルでもないのにファンサって、痛々しい。

 女子たちが晴の腕に触れたり、腕を絡ませたり、密着しすぎだ。晴は微笑みながら、やんわりと腕をほどく。

「嫌ならはっきり言えばいいのに」

もやっとする気持ちをぽつりと吐き出す。

「あれも病気だ。胸くそ悪い」

舌打ち混じりに言った途端。葵は、背後を振り返った。
 2人の影が、廊下の柱にさっと隠れる。

「何、あれ?」

麗は足を止めて、怪訝な顔をした。

「知らね。放っとけ」

葵は興味なさそうな顔で音楽室に入った。その後に続く麗の後ろ姿を、廊下の柱から顔を出した2人の男子生徒がじっと見つめた。

「何であいつらばっかり女子に人気なんだよ」
「長宮も謎だよな。あやしい」

そう言うと折り畳みのスマホを開き、指を走らせる。もうひとりも、リンゴマークが目立つスマホをタップする。

『鹿島兄弟、性格最悪。女子たちはだまされている』

『同居している長宮麗は、本当に義妹なのか疑問だ』

2人は同時に投稿ボタンをタップし、顔を見合わせる。

「佐藤もあの3人、あやしいと思うよな。証拠あれば一気に、いいね集まるんじゃないか?」
「だな。中村、放課後時間あるか? 鹿島たちのあとつけて、証拠写真撮ろうぜ」

佐藤がスマホを開いたり、閉じたりしながら、ニヤリと口角を上げた。 中村もにんまりとほくそ笑んだ。

「あいつらの人気も地に落ちて、ランキングも上がれば最高だな」

投稿に次々といいねが集まる。スマホ越しに、温度のない無数の目がこちらを覗いた。


 放課後、昇降口を出た麗と、葵、晴を杏奈がおずおずと呼び止めた。

「投稿フォーム、見た?」

杏奈は言いにくそうに口をもごもごと動かす。

「このことですか?」

晴がスマホの画面を杏奈に見せると、小さく頷く。葵がスマホを奪って、眉を寄せた。

「私は、義妹であってほしいと思ってるけど、本当のところは知らないから、その……」

心配と好奇心の入り交じった瞳が、麗を射抜く。
 ざわり。 
 麗の胸の奥に、黒い影が揺らめく。

 まただ。隠しているのに、身勝手に掘り起こそうとする。
 知られたくないことは、守らないと。
 やられる前に——。

 影が、囁く。固く閉めたはずの蓋が、小さな音を立てる。
 翳った瞳で、杏奈を睨みつける。
 だが、唐突に葵の背中で視界が覆われた。
 その拍子に、影は姿を消した。

「関係ねえだろ」 

葵が鋭い眼差しで杏奈を見下ろし、声を低くする。
 怯える杏奈の横を通りすぎ、校門の方へ歩いていった。

「自分達でなんとかするんで、気にしないでください。麗ちゃん、行こ」

冷ややかな笑みを浮かべると、晴は麗の腕を引いた。麗は杏奈に会釈をして、晴の隣に並ぶ。

「どうして、あの子ばっかり。……ずるい」

スマホを握る手に力が入る。気づいたら指が動いていた。




「アオ、気づいてる?」

後ろをちらっと振り向いた晴は、前を歩く葵に問いかけた。
 葵は頷くと、歩く速度を落とし、晴と麗の間に入ってきた。

「後ろに、何かあるの?」

振り向こうとする麗の頭を葵が押さえつけ、耳元で囁く。

「つけられてる」

葵の低い声のせいか、聞き慣れないワードのせいか、心臓がドクンと跳ねる。

「学校でもつけてきてたやつらだと思う。ぼくたちのこと、よっぽど投稿フォームに書きたいんだね」

晴の目が三日月型に細まる。

「売られたケンカは、買わないとな。おまえ、何か考えてんのかよ」

葵が両拳を打ち付けながら、晴に問いかけた。

「上から作られた情報を被せて、真実を見えなくする。“ステルス作戦”ってとこかな」

全然わかんない。
 葵の顔にも意味不明と書かれている。

「だから、あの2人を使って……」

晴が説明しているところへ、黒塗りの高級車が路肩にゆっくり停車した。後部座席の窓が開き、葵と晴の父親、鹿島組組長が顔を出した。

「よう。今帰りか」
「父さん。こんな時間に珍しいね」

晴が微笑む。
 組長は、一歩後ずさった麗に一瞥をくれると、葵と晴を氷のような冷たい眼差しで射抜いた。

「おめえら、悪目立ちすんなよ。ウラでうまくやれ」

ドスが利きすぎている声音に、麗は一瞬息が詰まった。
 葵と晴は神妙な面持ちで頷く。
 組長が窓を閉めると、車は発車してあっという間に見えなくなった。

 塀に隠れて車を見ていた佐藤と中村は、呆然と立ちすくんだ。

「見たか、今の……」
「すっげー怖そうなおっさん。あれって……」

2人は顔を見合わせ、まさかなと無理やり笑みを作った。

 距離を開けつつ尾行を続けると、麗たちは築地塀に囲まれた広い日本家屋の門をくぐった。

「これ、家か? でかくね?」
「金持ちかよ」

2人が少し離れた先の電柱に隠れて、家の写真を撮っていると、麗たちがサクラとフクロウと一緒に門の外に出てきた。
 
「「反社……!」」

佐藤と中村は、焦りと興奮で早鐘を打つ心臓を押さえながら、大急ぎで来た道を戻っていった。

「あれ、捕まえなくてよかったのか?」

フクロウが走り去る2人組を指さした。

「作戦の内だから。それより、フクロウさん。大事な仕事頼みたいんだけど」

ハルが鞄から、アダプタ型カメラを取り出してフクロウに見せた。

「忙しいって言っただろ」
「知り合いのハッカーに頼むだけでもだめ? ほら、麗ちゃんもやってほしいって顔してるよ」

突然晴にふられた麗は、あたふたと両手を組んで、フクロウを見上げた。

「お願い、できますか?」
「わかった、わかった。頼むだけだからな」

フクロウは眩しそうに目を細め、からアダプタを受け取る。フクロウの指が、カメラのレンズに触れた。

「おまえたち、危険なことに首つっこんでないよな? 麗ちゃん巻き込んだら、承知しないぞ」

針のように目を細め、葵と晴を睨む。

「そんなことしねえよ」
「心配しないで」

葵は眉間にしわを寄せ、晴はにっこり微笑んだ。

「ならいいけど。じゃあな、麗ちゃん」

麗に笑顔を向けると、フクロウはサクラのリードを握って走って行った。


「思ったとおり。やってくれたね」

ダイニングテーブルに並べられた菓子をつまみながら、晴がスマホの画面を葵と麗に向けた。

『鹿島兄弟の家、反社疑惑。画像付き』
『長宮麗、あやしい男と関連あり。画像付き』
『この3人は危険だ。反社が通う学校、怖すぎる。安心して通えない』

 晴が添付画像をタップすると、黒塗りの車、鹿島家の門、フクロウの画像が表示された。麗も自分のスマホでサイトを開く。どんどんいいねの数が増えていく。新着の投稿がされ、麗は震える指先でタップした。
 
「あいつら、しめてやる」

拳を握る葵の腕に血管が浮かび上がる。

「そんなことしたら、大炎上だよ。単細胞」
「んだと!」

せせら笑う晴の胸倉を、葵が掴みかかろうとした時。

「これ、見て」

青ざめた顔の麗が、画面を2人に見せた。

『長宮麗は、義妹じゃない。アオさまとハルさまを弄ぶ悪女。下僕は見せかけ。可哀そうな振りをして、2人を独り占めしてる』

「ふざけんなよ」
「明日には学校中が、ぼくたちの敵だろうね」

こんなの被害妄想だ。勝手な思い込みのせいで、憎悪の標的にされる。
 悪意ある嘘が、ネット上に張り巡らされた糸を辿って拡散されていく。
 その糸は、断ち切れない。
 じゃあ、どうすればいいの。本当のこと言うの?
 それは絶対、駄目だ。
 鹿島家のことも、私のことも、真実は隠し通す。
 
 本当のこと言いたくなら、嘘ついちゃえばいいじゃん。
 
 暗い影が、囁く。

「嘘の真実……」

乾いた自分の声が、別人のように聞こえた。

「さすが麗ちゃん。それが“ステルス作戦”だよ」
「はあ?」

葵は眉を寄せた。

「みんなが納得しそうな、真実をでっちあげる。そうすれば、本当のことは埋もれる。肝心なのは内容なんだけど……」

晴がいたずらっぽい笑みを浮かべ、麗を指さした。

「賢い麗ちゃんに任せるね」
「丸投げ? いつもアホって馬鹿にするくせに」
「大丈夫かよ。牧野の時の作戦もアホみたいだったぞ」

親指で指してくる葵を麗が睨みつけると、晴は何の裏もなさそうな明るい笑みを浮かべた。

「だからだよ」
「どういう意味! やっぱり馬鹿にしてるっ……」

晴に詰め寄ると、棒状のお菓子を口に突っ込まれた。

「麗ちゃんなら、できるよ。それに、みんなが知りたいのは、麗ちゃんとぼくらの本当の関係。麗ちゃんがぼくらの傍にいる理由なんだよ」

笑みを深める晴から目をそらす。

 私が2人といる理由……。

 2人には、両親のことは一切話していない。
 組長に聞いてるかもしれないけど、何も詮索してこない。
 2人にも、誰にも、話すつもりはない。
 だから、みんなが求めている、納得できる理由を作る——。

「でもよ、学校のやつらが信じなかったら意味ないだろ」

葵がグラスを傾けて空にする。

 他人事なのがむかつくけど、確かにそう。
 どうやって信じさせるかが、この作戦の肝。
 私たちが表立って言ったところで、無駄な気がする。
 また悪意ある投稿をされたら、余計に悪化しそう。
 ウラアカと同じだ。
 ……なら、解決も同じでいいのかも。投稿した本人に、間違ってたって言わせればいい。

「尾行してた2人と直接話して、信じこませよう」

葵が呆れた目で麗を見て、晴は肩を揺らして笑った。

「アホか」
「くくっ。おもしろそうじゃん」
「本気で言ってるんだけど」

考えろって言ったくせに。こいつら、やっぱりむかつく。

 麗は歯を食いしばり、腰に手を当てて2人を見下ろした。

「任せるって言ったんだから、2人とも、ちゃんと協力してよ。拒否権ないから」

有無を言わせない気迫の麗に、葵と晴はわずかにたじろいだ。

「……生意気」
「やる気だね」

麗はチップスの袋に口をつけて、残りを全て口の中に流し込んだ。バリバリと音を立てて噛みしめながら、心の奥についた炎を燃えたぎらせた。

 絶対、成功させてやる。
 これ以上、私の高校生活は奪わせない!


 翌日登校すると、誰もが遠巻きに麗たちにチラチラ視線を送ってきた。
 教室に行くと、ざわめきが静まり、3人に刺々しい目線が集中する。
 
 晴の予想通り、麗と、葵、晴に関する投稿には、いいねが200近く集まっていた。
 校内新聞にも取り沙汰され、新聞を掴む麗の手に力が入る。

「反社って、本当なのかな」
「証拠画像あったじゃん。ガチだって」
「ツイプリが反社とか、ショックなんだけど」
「えー、逆にかっこよくない? むしろ、ガチ反社であってほしい」
「でも、やっぱ一番気になるの、長宮さんじゃない?」

麗が顔を上げると、クラスメイトたちからさっと目をそらされた。
 葵を見ると、いつもどおり足を組んでスマホをいじっている。いつも女子に囲まれている晴の周りには誰もいない。晴が、佐藤と中村に目を向けると、2人はびくっと肩を震わせた。


 緊張の走る生徒会室で、生徒会役員を前に、澪は静かに微笑んだ。

「重要な投稿がありました。まだ疑惑の段階ですが、生徒の皆さんを不安にさせています。優先して、この案件に取り組むことにします。鹿島葵、鹿島晴、長宮麗の3名に話を聞きましょう」

生徒会役員たちの覇気のある返事が、室内に響いた。


 昼休み。
 学食から出て来た麗たちは、生徒会役員に取り囲まれた。周囲の生徒達が、不審な目で見る。廊下の向こうからカメラを構えた新聞部が数名走って来て、無遠慮にシャッターを切り始めた。

「なんだよ、おまえら」

葵に睨まれた、生徒会役員と新聞部部員がたじろぐ。

「投稿のことで、あなたたちに話を聞きたいの。生徒会室に来てちょうだい」

副会長の腕章をつけた紬が前に出た。

「任意ですよね?」

晴に問いかけられた紬の顔が強張る。

「拒否してもいいことはないよ」

いつの間にか野次馬が大勢集まり、ざわめく。
 刺々しい視線が突き刺さる。
 リアルで晒されることがこんなにも不快で、怖いなんて……。
 震える指先を握りしめる。

「副会長、この3人からどんな話を聞くつもりですか?」

新聞部部長が、紬にボイスレコーダーを向けた。

「投稿内容が真実かどうか、聞くつもりだよ」

新聞部部長は、にやりと笑って頷いた。

「事情聴取ってやつですか」
「クリーン運動は、特定の個人を責めるためのものではないの。まずは調査を行う」

紬は、周囲の生徒達に聞こえるよう、声を大きくした。葵、晴、麗に目を向け、口角を上げた。

「素直に協力した方が、あなたたちのためになると思うけど」
「わかりましたよ」

晴は肩をすくめる。

「クソめんどい」
「行こう」

麗は顔をしかめる葵の背中を押し、紬たちの後についていった。

生徒会室に入ると、澪が柔らかい笑みを浮かべた。

「あなた方が、反社会的勢力と関係しているのでは、という報告についてだけど」

穏やかな口調だが、目の奥は笑っていない。

「事実確認のため、お話を聞かせてもらえるかしら。投稿された画像は、作られたものではない?」

紬が、パソコンの画面を麗たちに向けた。鹿島家の表札がある門、黒塗りの車、フクロウの写真を次々に映し出す。

「画像は本物ですよ。隠し撮りですけど」
「尾行して、勝手に写真撮りやがって。そっちの方が問題だろ」

晴と葵は口を尖らせる。澪は、俯いている麗に視線をずらした。

「そうね。注意しておくわ。長宮さん、あなたの報告もあったわね。この男性とは、どういう関係かしら?」

澪がフクロウの画像を指差した。

「知り合いです」
「具体的にどのようなお知り合いなの?」

優しい声音。でも、答えないといけない圧力を感じる。答える義務なんてないのに。
 麗は顔を上げ、澪と目を合わせる。
 
 カチッ。

 入学式の時と同じ音が、鼓膜を震わせる。 
 麗は背筋を伸ばし、口を開いた。

「この写真は全て、学院の外のものです。クリーン運動は、学院内を改善するためのものですよね。生徒のプライベートまで干渉する権利はないと思います」

澪の頬にえくぼができる。麗の背中に悪寒が走った。

「ふふっ。問題をすりかえるのがお上手ね。長宮さんの言うことも正しいわ。……あなたと鹿島君たちとの関係についてだったら、聞いてもいいわよね?」

澪は椅子を引いて、ゆっくり麗の前に歩いてきた。

「それも、プライベートです。言いたくありません」

麗は澪の瞳をまっすぐ見据える。

 目を逸らしたら、負けだ。
 一歩も引きたくない。

「でも、生徒たちの間に不安が広がっているわ。誰もが安心して通える学院を守るために、クリーン運動を始めたの」

澪は腰をかがめて、麗と目線を合わせた。

「私には、報告の真偽を確かめる責任があるの。それに、真実を明らかにすることは、あなたたちの嫌疑をはらすことになるのよ」
「……っ」

嫌な言い方。澪の言葉がまとわりつく。言葉が、出ない。
 助け舟を出すかのように、チャイムが鳴った。

「あら。時間切れね。また改めて、お話を聞かせてちょうだい」

澪は頬に手を添え、にっこり微笑んだ。

生徒会室から解放され、麗は重たい息を吐き出す。

「頑張ったね」

晴の手が肩に触れる。ふっと体から力が抜けた。

「あいつ、やべえな」

苦々しい顔でぼやく葵に、晴が頷く。

 澪の視線は扉一枚を隔ててもなお、麗の自由を試すように絡みつく。
 ——早く手を打たないと。
 
 胸の奥で、黒い感情が静かに揺れた。

 もう、誰にも奪わせない。