アオハルな恋とウラらかな復讐

 昨日から降り続いている雨が、校庭のあちこちに大きな水溜まりをつくっている。
 廊下の窓からそれを見下ろしていた目白は、手元の用紙の束に目を落とす。

「クリーンな学院、ねえ」

ひとりぼやくと、1年3組の扉を開けた。


「——で、今朝は教室にいながら、全体集会やるらしいぞ。誰かテレビつけろ」

気だるそうな目白がテレビを指差す。前列の生徒がテレビをつけると校内放送が始まり、最後に澪が画面に映った。

「生徒会からのお知らせがあります。この用紙は配られたでしょうか?」

澪が、『公明正大な学院へ。誰もが通いやすいクリーンな学院を目指しましょう』と太字で書かれた用紙を見せた。

澪は背筋を伸ばして、話し始めた。

「ここ最近、学院内で根拠のない噂が広がっています」

ウラアカのことだ。削除されたのに。

麗は、眉を八の字に下げる澪の顔をじっと見た。

「それを完全に防ぐことは、難しいです。だからこそ」

一拍置くと、澪は強い光を称えた眼差しで、画面越しに訴えた。

「私たちは、正しい情報を集める必要があります」

チラシを軽く持ち上げ、右下を指差した。

「このQRコードから、学院に関する“気づき”を報告してください」

不穏な空気が漂う。麗を含め、ほとんどのクラスメイトが首をかしげた。

「改善すべき問題点、疑問や違和感など、些細なことで構いません。小さな気づきが、大きな問題を防ぐこともあります」

澪がふわっと花がほころぶ笑みを浮かべる。それだけで、空気が和らいだ。
表情の使い方がうまい。自分の顔が武器になることをよく知っている。……誰かさんと同じ。

「不自然な関係や、違和感のある行動も、立派な改善点です。見過ごされている違和感こそ、本当の問題かもしれません」

麗の脳裏に、町田と葉山、アダプタ型カメラがよぎる。
 二度とあんなことが起きてはならない。
用紙を持つ手に力を込める。くしゃっと皺が寄る。

「クリーン運動にご協力頂くお礼に、特典を用意しました」

澪はQRコードの横に羅列してある文字を指して、笑みを深めた。

「投稿数と重要度に応じて、ランキングを発表します。上位3クラスには、6月の創立記念文化祭における出店および、企画の優先権が与えられます」

上階の2年生のクラスから、拍手と歓声がうっすら聞こえてきた。
 
「文化祭って内申点めっちゃ響くらしいよ」
「マジ? じゃあ、この特典かなりいいじゃん」
「匿名でいいなら、やってみようかな」

教室中が一気にざわめき立つ。期待と高揚に満ちた空気が広がる。
 運動というより、イベントのようだ。生徒たちのやる気を引き出す効果的な方法を心得ている。だが、報酬制というのは少し引っ掛かる。本当にクリーンな学院になるのか。麗は不安気な顔で、画面の中の澪を見つめた。


「号外! 号外! 投稿フォームのランキング発表!」

クリーン運動が始まってから1週間が経った。朝から新聞部が声を張り上げながら、校内新聞を配っている。葵は興味なさそうにスルーしたが、麗は新聞を手に取った、

「1週間で100件も集まった? 1位は、2年3組……」
「情報通の杏奈先輩がいるからかな。へえ。渡り廊下の屋根が修理されたのって、投稿のおかげなんだ」

横から晴が覗いてきた。おもむろにスマホを取り出すと、麗に投稿フォームの画面を見せた。

「投稿内容の一覧、見れるようになってる。ほら」
「本当だ。……ん?」

スクロールしていくと、一番下の投稿内容が目に留まった。

『1年3組の担任、だらしなさすぎる』

「これって、目白先生のことだよね」

麗が眉をひそめると、晴が苦笑を浮かべた。

「報告したところで、あの人は改善しないでしょ」


 教室に入ると、クラスメイトたちは、数人単位で集まって新聞やスマホを凝視している。いつもなら挨拶をしてくる女子たちも、葵と晴に目もくれず、話しに夢中だ。

「うちのクラス7位だ」
「下から2番目じゃん。もっと頑張らないと」
「1位のクラスの、いいねの数すごいよ。いいねがつきやすい投稿をした方が、ランキング上がるんじゃない?」
「恵、頭いい!」

恵の名前に麗の指先が、ピクリと反応する。あれから一切話していない。
話すつもりはない。利用されて裏切られ、まやかしの友達は消えた。傷つくぐらいなら友達なんていらない。
 そう思うのに、“ともだち”リストから恵の名前を消せないでいる。
麗はスマホを握る手に力を入れる。

 忘れなきゃ。いつまでも俯いていられない。

 削除ボタンに指が触れる。
 ボタンを押す直前、目の前に大きな手が出され、スマホを覆い隠した。

「現文の教科書、忘れた。おまえの貸せ」

葵だ。不遜な態度で見下ろしている。
 麗はスマホの画面を切って、顔をしかめた。

「山口先生怖いから嫌。サボればいいのに」
「前にサボったら、ねちっこく説教されたんだよ。いいから貸せ」

抵抗する間もなく、葵に教科書を奪われた。

 横暴すぎる。こんなのあんまりだ。……絶対、嫌味混じりの説教される。

案の定、山口は狐のような目を吊り上げて、刺々しい声で説教を始めた。

「教科書を忘れるということは、教師に対する冒涜です。このクラスは特に問題ですよ」

赤縁の眼鏡をくいっと持ち上げ、葵を一瞬睨みつけると、麗に視線を戻した。

「それに、その前髪は何ですか。だらしない。きっちりしないと人から嫌われますよ」

眼鏡のフレームに指を添えて、眉を寄せる。

「うるせえ」

低く呟く葵の声。険しい顔つきで山口を睨みつける。周囲の空気が凍る。だが、山口には届いていない。

「学校も社会もルールがあります。個人の自由はルールによって守られています。今はそのことを学ぶ時なんですよ。ですから……」

ルールに守られているんじゃなくて、縛られているとしたら? それは、私の欲しい自由じゃない。
 何にも縛られず、自分で選んで、自分で決める、本当の自由が欲しい。
 こんなめに合わずにすむのに。
 
くどくどと説教された後、授業が終わるまで教室の後ろに立たされた。
授業中ずっと葵を脳内処刑していた麗は、チャイムの音に我に返った。

「長宮さん、大丈夫?」
「山口先生、ひどすぎるよ」

あっという間にクラスメイトたちに囲まれ、麗は身動きが取れなくなった。

「投稿フォームで報告しようぜ」
「クラス全員でいいね押せば、生徒会が山口を辞めさせてくれんじゃね?」
「ランキングも上がったら、一石二鳥。やるしかない」

麗が一言も発する間もなく、一斉に投稿フォームに入力を始めた。

「長宮さんもいいね押してほしい。長宮さんのためにも、クラスのためにも」

ほぼ初対面の委員長が、正義感に満ちた表情で、麗に投稿画面を見せてきた。

「あ、うん」

曖昧に頷くと、麗を取り囲んでいた輪は散り散りになって、やっと席に戻れた。

「ほらよ。災難だったな」

葵が机の上に教科書を放り投げ、鼻で笑った。

「誰のせいだと!」

睨みつけるが、葵はどこ吹く風で、自分の席に戻って行った。教科書を投げつけてやろうかと手に持つと、微笑を浮かべた晴が、麗の手の上に自分の手を乗せた。

「大変だったね、麗ちゃん。でも、みんなに同情されてよかったね」
「何もよくないけど」

晴の手をどかして、麗は膝の上で両手を組む。

「山口先生の言い方はむかついたけど、辞めさせるっていのは、やりすぎな気がする」
「そうかな? ぼくはいいね押したよ」

晴は首を傾げる。
 軽い口調で笑い合うクラスメイトたちの声が、麗の耳に届く。

「いいね押さない人なんていないよね」
「みんな押すなら、押しとかないとだろ」

生徒の要望を全部叶えるのって、改善になるのかな……。

 麗は口を引き結び、笑い合うクラスメイトたちを見つめた。


 翌週、登校すると、1年3組は歓喜に満ちていた。麗が教室に入った途端、葵と晴を押しのけて麗の周りをクラスメイトが取り囲んだ。

「長宮さん! ぼくらのクラス、ランキング1位になったよ」

委員長に投稿フォームの画面を見せられ、麗はたじろいだ。

「長宮さんが言われたひどいこと書いたら、いいねが100も集まったんだよ」
「しかも、山口、休職するらしいぜ」
「よかったね、長宮さん」
「う、うん」

圧力に負けて思わず、頷いてしまう。
 クラスメイトたちの笑顔が目に沁みる。   
 ずっと欲しかったはずの“普通”が、目の前にある。
 皆と笑えて、受け入れられて。
 粉々に砕かれた友達の夢が、手の届くところにある。

 でも、何か引っ掛かる。
 みんなが見ているのは、私じゃない。
 いいねの数、その先にある報酬。
 誰かが得をしたら、誰かが傷つく。本当にこれでいいの?

 いいんじゃない? だって、私は被害者なんだから。

 ふと込み上げた思いに、ぞっとした。
 自分だって、身勝手だ……。

 私の心は、私だけのもの。どう思おうが自由でしょ。

 もうひとりの自分が囁く。
 耳を塞いで、目を閉じた。

 席に座ると、近くの席の女子たちと一瞬目が合った。すぐに目を逸らされ、2人は顔を突き合わせてひそひそと話し始めた。

「山口先生、厳しかったけど、授業楽しかったのに」
「忘れ物する方が悪いじゃん。休職させるとかひどいよ」

 チクリ。
 胸にとげが刺さる。 

 私のせいじゃない。そう言いたいけど、声が出ない。
大多数の生徒が望むことでも、望まない生徒もいる。多数決で簡単に決めていいことだけじゃない。

 だけど。
 私には何もできない。
 クリーン運動を妨害しろと理事長から言われたわけでもない。
 葵と晴の命令でもない。

 麗はざわつく胸の内を見て見ぬふりをして、投稿フォームに目を落とした。
 いいねの多い順に投稿が並べられている。山口に関する投稿の次に多いのが、柔道部の投稿だ。

『主将は、弟より強い生徒を試合に出させないようにしている。えこひいきだ』
『1年に投げ飛ばされたやつが、柔道部の主将をやるのはおかしい。見直すべき』

オリエンテーリングの時、葵に勝負をけしかけていた弘人。やたら苛立っていた余裕のない表情が思い浮かぶ。
 強張る指を滑らせて、投稿をななめ読みしていく。

「あっ、これ……」

麗の指がぴたりと止まり、目をみはった。

『スポーツ特待生なのに、特例が認められている1年生がいる。いくら中学時代の成績が良くても、ひとりだけ特別扱いは変だ』

 葵のことだ。いいねの数はまだそれほど多くない。

 クリーン運動っていってるけど、やってることはウラアカと同じじゃない? 
 噂話、不平不満の拡散。
 真偽が曖昧なまま、学院の闇が拡散されてしまう。
 放っておいていたら、脅威になりかねない。
 このままで、いいの?

 麗はスマホを強く握りしめ、電源を切った。


 曇天の広がる空の下、無人の屋上で目白は煙草の煙を吐き出した。

「ふーっ。校内禁煙とか、ふざけてんだろ」

その時。
 屋上の扉が勢いよく開いた。
 目白はむせながら、慌てて携帯灰皿に煙草を押しつけて、ポケットにしまった。

「目白先生! 本当にいた」

目白が振り向くと、葵、晴の後ろから麗が顔を出した。

「んだよ。おまえらか。まだ残ってたのに……」

恨めしそうにポケットを見る目白を、晴が呆れた目で見た。

「隠れて煙草吸ってたんですね」
「だったらなんだよ」

ぼさぼさの頭をかきむりながら、目白は天を仰いだ。

「投稿フォームに、目白先生の報告もいくつかあるので、気をつけた方がいいですよ」

麗が眉を下げて忠告すると、目白は苦い顔で溜め息をついた。

「このまま放っておいたら、生徒会長に学校喰われるぞ」

刺すような視線に射貫かれ、鳥肌が立つ。

「投稿フォーム、ぶっ潰せ」

麗はぽかんと口を開け、葵は眉間に皺を寄せ、晴は口角を上げた。

「それ次郎おじさんからの任務?」

晴が問いかけると、目白は手をぶらぶらと横に振った。

「いや。顧問からの指示だ」

葵はフェンスに寄りかかり、目白を睨んだ。

「何が顧問だよ。おまえの指示には従わねえ。勝手に自爆してろ」
「反抗期かよ、このヤロー。そっちの2人はどうすんだ」

目白に目を向けられ、晴は頷き、麗は目を伏せた。

「いいんじゃないですか。きな臭いと思ってたんですよね」
「私も、投稿フォームは危険だと思います。でも、どうやって潰せばいいんですか?」

目白は耳の穴をほじくり、指についた汚れを吹き飛ばす。

「知らねえよ。おまえらで考えろ」

覇気のない声で言い放つ目白に、3人が冷たい視線をぶつける。目白は気にも留めず、鼻の頭をぽりぽりと掻いた。
 

 放課後、教室を出ようとした葵の前に、弘人とその兄が立ちふさがった。剣吞な雰囲気の中、クラスメイトたちは固唾をのんで見つめた。

「鹿島、面貸せ」

弘人に言われ、葵は麗と晴の方を振り向く。

「あいつらも一緒なら」

兄が頷くと、弘人は麗と晴に目を向け、ついてこいと顎で合図をした。

 人気のない用具室の前に連れていかれ、麗が警戒をしていると、片倉兄弟は腕組をして葵を見下ろした。

「投稿フォーム、見たか」

弘人が尋ねると、葵は首を横に振った。麗はスマホを出して、投稿フォームの画面を開いた。

「柔道部のこと、色々と言われてますよね」

弘人は目を背け、兄は太い拳を強く握りしめた。

「このせいで、俺らはしばらく部活に参加できない」
「えっ?」

麗は驚き、葵は眉をわずかに動かした。

「生徒会が、部員に聞き取り調査をしたんだ。投稿の内容が裏付けされたとか言われてよ、俺と兄貴は活動停止くらっちまった」

奥歯を噛みしめる弘人。声を押し殺して、砂利を爪先で蹴った。

「あいつら、妬んでるだけだっての!」

小石が弾け飛び、コロコロと転がり、葵の靴にぶつかった。

「それで、俺に何の用だよ」

弘人は葵の前に一歩踏み出す。葵が姿勢を低くして身構える。
 だが、弘人は勢いよく頭を下げ、葵は面食らった顔をした。

「おまえが試合に出ること、理事長に断った。だが、もうすぐ試合がある。俺らが出れないと、県大会出場も危うい。だから」

弘人に続き、兄も頭を下げ、肩を震わせた。

「頼む。俺らの代わりに、試合に出てくれ」

麗は顔をしかめる。
 この人たちも勝手だ。……でも、必死だ。葵に頭を下げるなんて。

「図々しすぎて、笑える」

嗜虐的な笑みを浮かべた晴が呟く。

「めんどくせえ。何で俺が」

葵は心底嫌そうな顔で、眉間に皺を寄せる。

「俺を投げ飛ばしたことは水に流す。生意気な態度も許す。だから、頼む」
「ただでとは言わない。おまえの言うこと何でもひとつ聞くからよ、頼む」

片倉兄弟は頭を上げ、葵に真剣な眼差しを向けた。

「何でも、か」

葵は不敵な笑みを浮かべた。

「投稿フォーム潰せば、活動停止しなくてもいいじゃない?」

麗は葵の腕を引っ張って耳元で囁いた。

「さすが麗ちゃん。アオも一緒にぶっ潰そうよ。試合出るの面倒なんでしょ」

晴が葵の肩に手を置いて、にんまりと笑みを浮かべた。

「……どっちにしろめんどくせえよ」

そう言いながらも、葵は、試合までに投稿フォームがなくならなければ、試合に出ると約束をした。
 憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情で、片倉兄弟は去って行った。

「あー、くそっ。生徒会のせいで」

拳を手のひらの打ちつける葵の背中を、なだめるように晴が優しく叩いた。

「まあまあ。退屈しないからいいじゃん。それに、3人集まれば文殊の知恵っていうでしょ。仲良く作戦会議しようよ」
「作戦会議?」

麗が首を捻る。

「打倒、生徒会! 投稿フォームをぶっ潰せ作戦、だよ」

口元だけで笑う晴に、葵は渋面を作って溜息をついた。麗は、黒雲に覆われた空を見上げ、小さく首を縦に動かした。

「……うん。やろう」
「いいね、麗ちゃん。いつになく積極的だね。気になる投稿でもあった?」

葵を疑う投稿が脳裏をよぎる。

「そういうわけじゃないけど……。放っておくと、大変なことになりそうだから」

晴はふーんと微笑むと、歩き出す葵の後についていった。
 さあーっと湿った風が吹抜け、前髪を持ち上げる。
 振り向いた晴が、麗の前髪を撫でつける。

「勝手に、触らないで」

自分で前髪を整え、顔をしかめる。

「麗ちゃんの瞳、綺麗だったから、つい」

夕陽を受けて橙色に染まる晴の顔が、いつもより優しく見えた。

「嘘ばっかり」
「嘘じゃないよ。……本気だから」

晴の手が伸びる。真剣な眼差しに、夕陽が反射して煌めく。
 晴のくせに、眩しい。

 本気なわけないのに。
 期待なんてしたくないのに。

「何してんだよ」

葵が晴の手を払いのける。

「別に」

いつものうさんくさい晴の笑顔に、ほっと胸を撫で下ろす。
 葵の目元がわずかに歪む。口を開きかけるが、何も言わずに背を向けた。

 2人とも、どうしたの? 調子狂う。
 
 少しだけ熱を帯びる頬を押さえる。
 ふと。
 視線を感じて振り返る。
 誰もいない。
 でも……。
 見られてる?
 ざわつく胸を抑え、2人の後を追った。