寝ずの番

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「あの青年、限りなくシロかもしれない」
 事務所に実相寺潤子が現れた。黒いオーバーオールを羽織った彼女は地獄からの使者に見える。
 麻奈はすぐに紅茶を差し出す。潤子は熱い紅茶しか飲まない。
「ありがとう」
「潤子さん、やっぱり気が合いますね。僕も同意見です」
「あら、気が合うなんて珍しい」
 潤子が全身黒でよかったと思った。もし純白だったらと思うと、ゾッとする。
「容疑者はあの晩、あそこには行っていないと主張しているし、被害者の睦美ちゃんの目撃証言と食い違うとこがあるわ」
 尊は人差し指を立て、そこが僕も気になってましたと答えた。
「睦美ちゃんは犯人らしき人を大きな大人の人と言ったそうですね。あの青年は身長が百六十センチ前後です。睦美ちゃんは身長が百二十センチと仮定しても、大きな大人には見えるでしょうか?」
「そこが微妙なのよねえ。四十センチの差が果たして、大きく見えるかどうかね。ただ、尊、いいところは突いてるわ」
 尊は満更でもない表情をした。
「あの、では、なぜ、容疑者の青年が携帯していた御守りが現場近くに落ちていたのでしょうか?」
 麻奈が率直に訊いた。
「そんなの簡単よ。犯人はその青年に罪を被せるために御守りを落としたのよ」
 潤子は言った。
「では、その御守りはどこで手に入れたのでしょうか?」
「多分、犯人は容疑者の青年が落としていった御守りを拾って、今回の犯行を思いついたのよ。麻奈さん、このくらいの推理はできないとね」
「ありがとうございます。勉強になります」
 麻奈はスターでも見るように目を輝かせた。
「潤子、仮に犯人が別にいたとして、犯人の目的は何だと思う?」
「それは犯人に訊いてみないとね」
 それは確かにそうだ。
「ところで、ネバタマ様は撮れたの?」
「いいえ。カメラには何も...。あ、そういえば、カメラ外してくるの、忘れた!」
 潤子は頭を抱えながら、大きくため息をつく。
「尊、あんた、ガキの頃からうっかり病、治ってないね」

 翌朝、テーブルの上に一枚だけ、百合子からの置手紙があった。一言、「実家に帰ります」とだけ記されていた。
 康介はその手紙をくしゃくしゃに丸めて、壁に投げつけた。
 外は秋晴れなのに、康介の心は曇っていた。

 それから三時間後、警察官二名が康介宅を訪れた。
 康介はベッドの上に寝そべっていた。半覚醒の状態で起き上がるなり、二名の厳つい顔をした警察官が手帳をかざし、ちょっとよろしいですかと訊ねた。
 何事かと康介が問うと、警察官は居住まいを正した。
「犯人を東京で確保しました」
「え?東京で?だって、犯人は村の青年じゃなかったのですか?」
「いいえ。危うく、我々も誤認逮捕をするところでした。実はお宅の娘さんの指の爪の間に犯人と思しき人物の皮膚片が付着していまして、その皮膚片をもう一人の容疑者のDNAと照合したところ、完全に一致しました。そして逮捕に至りました」
 警察官の事務的な言葉は康介の耳を素通りした。
 犯人なんて、もはやどうでもよかった。百合子と睦美が康介から離れてしまったことがこたえていた。だが、次の瞬間、頭を殴られたような衝撃が走った。
「犯人は三沢さんの元同僚の山本大祐さんです」
「え、大祐?何かの間違いじゃないですか?」
「いいえ。観念して自供しました」
 康介は急いで大祐に電話をかけたが、繋がるわけもない。
「山本大祐さんは同じ会社の後輩である被害者、二宮沙穂さんと深い仲だったことはご存知でしたか?」
 康介には思い当たる節があった。大祐は入社したての彼女に首ったけになっていた。それがどういうわけか、康介が彼女をものにしてしまったのだ。
 康介が会社を退職してから、これ幸いと、大祐は沙穂をものにしようとしたが、彼女はまだ、康介に未練があったのだ。
 友だちだった大祐を殺人に駆り立てた責任の一端は康介にもある。百合子が睦美と実家に帰ってしまったのも、ある意味、天罰だったのだろう。

「先生、わたし、気づいちゃいました...」
 事務所で麻奈が急に言った。
「気づいた?何を」
「かつて、財糸村で失踪した五人の子どもに共通することです」
「何だと言うんだ?」
「五人とも、健康優良児だということです」
 尊は彼女の机の前に行き、リストを見た。
「十年間で移住してきた家族は全部で十一家族。そのうちの六組の家族の子どもたちが喘息や色素乾皮症などの病気を持っていました。三沢睦美ちゃんも喘息でした」
「だけど、三沢睦美ちゃんのケースは人為的なものだったけど?」
「つまり、わたしが言いたいことは、健康な子どもが誘拐されるってことは、裏に人身売買のような組織が介在しているのではないでしょうか?」
「おいおい、君までそんなことを。どうしちゃったんだ?」
「財糸村がああやって維持できてるのは、そのヤバい組織に便宜を図っている代わりに、袖の下を得ているからではないでしょうか?」
 尊は急に眩暈を覚えた。
「麻奈ちゃん、しばらく事務所は休みなさい。君は完全に疲れてる」
「いいえ。わたしはすこぶる元気です。だって、そう考えなければ説明できません」
「じゃあ、ネバタマ様の伝説はどう説明するんだ?」
「子どもの失踪をネバタマ様の仕業にすることで、組織に動きやすくするためでしょう。誇大妄想でしょうか?」
「しかし、あくまでも、それは君の想像だよね。それに、仮にその厄介な組織の仕業だとして、我々には手に負えない案件だよ」
「ええ、ですから、わたし、後悔しています。こんな共通点、見つけなければよかったって」

 康介は大祐と面会をした。
 大祐は留置場の支給している灰色の服を着て、髭もうっすらと生やしていた。
 生気のない顔はまるで別人のようだった。
「すまん。睦美ちゃんに目撃されたから、睦美ちゃんに手をかけようとした」
 アクリル板越しに大祐はうなだれた。
「睦美は元気だよ。あの子は強いからねえ。それより、おまえ、二宮くんのことが好きだったんだろう」
 意外そうに大祐は顔をあげた。目が涙を湛えているのか、充血している。
「どうして、彼女を...」
「すまない。別れ話を切り出されて、いや、つきあってないから違うな。とにかく、彼女は俺をこれっぽちも愛していなかった。それが悲しくて、やるせなくて...」
「大祐、いつからそうなってしまったんだ」
「わからないよ。康介の家を二人で訪問した時、俺は悟ったよ。彼女の心の中には、康介しかいないって」
「だからって、殺人を犯すなんて...。大祐、元はと言えば俺が悪い。実はさ、百合子が睦美を連れて出て行ったよ。バチがあたったな」
「康介、本当にすまない」
 大祐は顔を両手で覆うと、声を震わせて泣いた。

 留置場を出た康介はその足でホテルのラウンジへ向かった。
 ソファに深く腰掛けて、スマホをいじっている男を認めると、ご無沙汰しておりますと声をかけた。
 男はスマホから目を離し、康介をじっと見た。
「どうぞ、何か飲みますか?」
「いえ。結構です。無職の身なので」
 康介は沈みそうになるソファに座った。
「実は最近、被害者の会を立ち上げまして。本格的に活動しようかと考えています」
 今泉は照れながら言った。
「わたしの子どもは無事でしたが、今泉さんのお子さまはまだ、見つかっていないのですね?」
「はい。でも、わたしは諦めたわけではありません。必ずどこかで、奈緒は生きていると信じています」
 今泉は遠くを見るような視線を向けた。
「あの、今泉さん、わたしは現在は暇な身の上です。お手伝いさせてください」
 その一言は今泉には意外だったが、すぐに笑顔になる。
「お願いします。人数は多ければ多いほどいい。あの村には何かがある。ネバタマ様なんてクソ喰らえです」
 今泉はそう言って豪快に笑い飛ばした。
 康介もつられて笑ってみたが、心の底から笑うことができなかった。

 頭から白い糸を吐き出し、芋虫のように関節をくねらせて、這ってきた化け物を確かに見たような気がした。
 睦美は大祐に突き飛ばされて、木の幹に頭をぶつけて、意識が朦朧としていた。お姉さんが危ないと思って立ち上がろうとしたけれど、意識が混濁して、身体が言うことをきかなかった。
 その時、睦美は視界にその化け物を捉えたのだ。多分、大人に話しても笑われて、夢でも見たんだよと一蹴されるだろう。
 だけど、睦美は鮮明に覚えていた。あれは今思えば、ネバタマ様だったのかもしれない。
 百合子は睦美の隣で眠っていた。安心しきった息遣いが聞こえる。
 現在、睦美は百合子の実家に向かって列車の中にいた。
 睦美は現在、ちゃんと生きていることが信じられなかった。手も足もくっついている。こうして母親の体温も感じられる。
 ネバタマ様はどうして、睦美を無視したのか?もちろん、結果的には良かった。もう、あんな体験はしたくはなかった。
 だから、睦美は記憶が鮮明なうちに、ネバタマ様の全貌をノートに描いた。
 あっちの学校に行ったら、みんなにネバタマ様を教えてあげるんだ。
 百合子は目を覚ましたのか、睦美の頬に優しく触れた。
「睦美ちゃん、お腹空いたでしょう?」
 睦美は空腹だったので、頷いた。
「おばあちゃんがね、ビーフシチューを作って待ってるって。病院だとまともな食事も出なかったでしょう」
 睦美はビーフシチューを想像した。その瞬間、お腹がグーと鳴った。