最後のページみたいな恋だった

 先日、ふと思い出した。


 世界を描きながら。


 目がくりっとしてて可愛らしい男の子のこと。


 クラスの人気者で、いつも笑顔で、そしてとても優しい人だった。


 地味でよく一人でいるような私にさえ、声をかけてくれるのだから。




 小学二年生の冬のこと。


 誰もいない教室。聞こえるのは、一台のストーブが頼りなく鳴いている音だけ。そうだった、あともう一つ。


 鉛筆が紙の上を歩く音。


 できた!


 鉛筆を置いて、出来上がったものを眺めていた、そのとき。


 「なにやってるの?」


 ぴたり視線が合う。くりっとした大きな瞳と。


 可愛らしくて整った顔立ちの山田勇(やまだいさむ)くんがそこにいた。


 同じクラスで、いつも笑顔で、人気者で。


 そんな彼が、どうしてここにいるのだろう。


 今は長いお昼休み。静かすぎる教室に彼はすごく浮いている。


 「ま、まんがかいてたの」


 戸惑いが隠せないまま、答えてしまう。仕方ない、逆にどうしたら平常心でいられるか教えてほしい。


 そう、私は漫画を描いていた。


 前にお母さんから漫画の読み方を教わったことで、無性に描きたくなってしまって。


 思い立ったその日から、創作は始まった。


 本当だったら、準備に時間をかけなければならないけど、初めての創作。一瞬で終わってしまう。


 普段使っている鉛筆に消しゴム。それから学校で配られたプリント。裏面が空白の。しかも白じゃなくて、淡い桃色だった。形にはまったくこだわっていない。


 今度は物語を考える。でもこれもすぐに終わってしまう。


 当時好きだった可愛い女の子が悪者と戦う番組をモデルにしよう、といっても実際ほぼパクリだったけれど。


 それからコマ割り、といってもただ定規で線を引いただけ。ちょっとマスの大きい原稿用紙みたい。


 家で、静かな教室で一週間から二週間、とにかく描いた。


 色鉛筆で色まで足して。


 でも楽しかった。


 頭の中で描いていたものが形となってゆくのは。


 そうやって、ついに初めて出来上がった創作物が机の上に現れたとき。


 「なにやってるの?」


 勇くんがそう声をかけてきたのだった。


 「ま、まんがかいてたの」


 「まんが?」


 それから勇くんが机にある自作を覗き見てきた。


 すごく恥ずかしい。


 人に見られることを前提に置いていないから。


 なのに、追い打ちをかけるように彼は。


 「読んでもいい?」


 なんて訊いてきた。


 本当は恥ずかしいし、読んでほしくない。


 でもはっきりと断るのも悪い気がしてつい。


 「……いいよ」


 と曖昧に承諾してしまう。目の前の彼はくしゃりと笑って、創作物をさらった。


 普通ではありえないけれど、私の作品は見開き一ページで物語が完結している。だからただじっと見られてしまう。


 彼の黒目が右へ左へ。動くたび鼓動が早くなる。


 絶対面白くないはず。そもそも読者がいる前提で書いてたわけじゃないのに。


 だけど。


 「なにこれ、すごく面白い!」


 「え?」


 予想だにしていなかった感想にフリーズしてしまう。


 ほとんどパクリなのに。むしろストーリー的にも劣っているのに。


 「主人公と仲間のエピソードとか、めっちゃ感動した。こんな物語かけるなんて、ゆうちゃんはすごいよ」


 「そ、そんなことないよ……」


 「そんなことあるって。だってもっと読みたいって思ったもん。続きってないの?」


 「続き?」


 「うん。ほら漫画って、一巻二巻と続いてるじゃん」


 「ごめん。まったく考えてなかった」


 そんなこと想定してなくて。というか私の作品を好きになってくれる人が現れるなんて考えてもなかったから。


 申し訳ない気持ちでいっぱいになる。せっかく褒めてくれた勇くんに。


 ところが。


 「じゃあ、待つよ。続き」


 「え?」


 「楽しみにしてる」


 するとちょうどチャイムが鳴り、教室にクラスメイトたちが入ってきた。


 おい、なにしてたんだよ、と男の子たちに絡まれる勇くんはとろけるような笑みを浮かべて。


 ごめんごめんと彼は呟いた。
 



 先日、ふと思い出した。


 世界を描きながら。


 ただ変わったこともある。


 絵で世界を描くか、言葉で世界を描くか、だ。


 今の私は小説を書いている。


 続きではない、まったく新しい物語。


 あれから彼のために漫画の続きを描いた。


 楽しみにしてる、こんな私に抱いてくれた期待に応えたくて。


 でも現実は、そんな期待に応じることすら許してくれなかった。


 二年生の三月。彼が転校してしまって。


 どんな言葉を交わしたかは覚えていない。


 でもはっきりと残っているのは、描きかけの漫画の原稿用紙の手触りだった。今にも風で飛んでいきそうに紙の端がパラパラ動いていた。


 その原稿用紙はもうない。捨てたんだと思う。


 それから長い間、創作から離れていた。一度漫画を描いてどれだけの労力が必要か思い知らされて。


 でもまったく離れていたわけじゃない。


 その間に私は本が好きになった。


 小学校の頃は目もくれなかった図書室に中学の頃は入り浸ってたくらい。


 そのうちこの作家さんみたいなお話をかいてみたい。


 昔から空想することが好きで、ネタだけはたくさんあった。


 どれだけ時間がかかるかわからない。


 それでもやってみたい。


 そうやって挑み続けているのが今の私。


 試行錯誤でいつも書いている。


 そして先日、私は改めて彼、勇くんの存在を再認識した。


 彼に私の作品を届けたい。


 形は違えど、物語を。


 きっかけなんかじゃない。きっかけはあくまで私の今までの読書。


 だけど付け足された動機として。私が物語を書き続ける動機として。


 当時はなにも思わなかった。


 彼に特別な感情なんて。


 そもそもあの頃の私に恋愛感情はなかった気がする。周りの人がバレンタインで盛り上がっているのに不思議がるくらい。


 でも今は違った。


 思い返せば返すほど、すごいどきどきして。


 もっと話してみたかったな。もっと早くに描き始めてたら、続きも描けて彼に渡せたのかなって。


 思い出の美化のせい。


 わかっているけど、思い出したら止められなかった。


 もう彼とは出逢えない。転校先の県名しか知らない。


 でももうずっと昔の話。本人が別の場所に移ってる可能性のほうがきっと高い。


 もう一度会いたいなんて、贅沢なことは望まない。


 ただ願わくば。


 彼に物語を届けて、あの頃寄せてくれた期待に応えたい。


 それすらも叶わないかもしれないけど。


 でも、ずっと。


 ずっと描き続けるよ。


 やっと気づけた恋を抱きながら。


 そのときはなんとも思わなかったけど、最後まで読んであの場面の重要さに気づく、みたいな。


 そんな最後のページみたいな恋だった。
 


終わり