一生懸命生きなくていい~文芸系短編集~

 結婚して五年、妻の不倫が発覚した。
「あなたが私にかまってくれないのが悪いのよ!」
 テーブルの向こう、喚き続ける妻をぼぅと見る。知らぬ間に濃くなった化粧、前は奥二重で小さな鼻が愛らしかったのに、ぱっちりとした目と高い鼻になっていた。ふわふわと清楚で可愛らしかった服はどぎつい原色で身体のラインが出るものに変わり、目が痛んで眼鏡を外して眉間を揉んだ。
 ……これは妻ではない、かつて妻だったものだ。
 妻でないのなら〝これ〟はいったい、なんなのだろう。きっと人間ではない、バケモノだ。私の可愛くて愛おしい妻を乗っ取ったバケモノに違いない。ならば、退治して妻の敵を取らねば。
 眼鏡をかけ直し、立ち上がる。
「な、なに? 殴るつもり?」
 怯えたような視線を妻だったものが向けてくるが、あれはきっと演技だ。キッチンへ行き、包丁を掴む。包丁はもう長く使われていないのか、錆が浮いていた。
「え、やめてよ。話しあいましょう?」
 おどおどと後退っていく妻だったものと一気に距離を詰め、その口を押さえる。同時に腹へと包丁を突き立てた。手の中で妻だったものがくぐもった声を出す。抵抗されたが、二度、三度と刺すうちに大人しくなった。
「はぁ、はぁ」
 手を離すと妻だったものが崩れ落ちた。自分の手を見ると両手とも汚れていて嫌になる。シンクに全開で水を流し、除菌ハンドソープで丁寧に洗った。
「で、これをどうするかだ」
 当然、妻だったものの死骸がそこに転がっている。もし仮に、これが本当に妻ならば自首して刑に服するのは厭わない。むしろ、進んでそうする。しかしこれは妻のフリをしたバケモノだ。そんなもののために私がどうして不利益を被らなければいけないのだろう。
 死骸をしばらく眺めながら考えたあと、シャワーを浴びて着替えを済ませ、買い物に出た。なにしろシャツには妻だったものの血がべっとりついており、通報されかねない。
 二時間後、私が買ってきたのは生ゴミ処理機だった。種類は違うといえど肉は肉。これで肥料に変えて捨ててしまえばいい。
 浴室に死骸を運び、解体する。退治するのに使った包丁はもう使えないので、新しく買ってきた。もっとも、錆が回ったあの包丁では使用前でも無理だ。
 時間をかけて解体した死骸は生ゴミ処理機に入れられるだけ入れ、残りは冷蔵庫にしまう。
 こうやって普通に生活しながら処理していく。毎日の作業で疲れ切っている私を、周りは妻が浮気して出ていったからだと噂していてちょうどよかった。
 袋に肥料になった妻だったものを詰めながらふと思う。
 ……この肥料で育てた野菜はどんな味がするのだろう。
 そんなことは絶対にしないが、妻が肥料ならばきっと、美味しい野菜が獲れるはずだ。しかしこのバケモノからできた肥料だと妻だった頃の味がする野菜が獲れるのか、それともバケモノらしくマズい野菜なのか興味が湧いてきた。
 妻だったものがすべて肥料へと変わり、私は仕事を辞めた。可愛い妻がいなくなり、なにを張り合いに働けばいいのかわからない。妻との思い出が詰まったマンションも引き払い、1LDKのこぢんまりとしたマンションを買った。退職金とマンションを売った金の残りで暫くは暮らせそうなので、ベランダで野菜作りでもしたいと思う。
 野菜はミニトマトとナスにした。時期なのもあるが、ミニトマトは自由研究でも育てるし初心者向けな気がしたのと、ナスは妻が作る麻婆ナスが好きだったからだ。
「美味しく育てよー」
 肥料となった妻だったものをたっぷりと与え、水をやる。今から収穫が楽しみだ。
 毎日、せっせと世話をするうちに美味しそうな真っ赤なミニトマトと黒光りするナスが実った。
「いよいよ収穫、と」
 うきうきとキッチンへ行き、ミニトマトは氷水に浸けて冷やし、麻婆ナスを作る。料理はしたことがないが、まあなんとかなるだろう。
 汗を流しながら換気扇の下で中華鍋を振るう。できあがった料理は美味しそうで、渇いた喉がごくりと鳴った。
「いただきます」
 ビールを用意し、箸を手に取る。ぶるぶると震える箸先を近づけ、ナスを掴んだ。持ち上げたナスを眺めたあと、ゆっくりと顔へと近づける。大きく開けた口の中へとそれを放り込んだ。
「……マズい」
 ビールを手に取り、口の中を漱ぐ。油まみれだし、ただ辛いだけで味がしない。なにより肝心のナスがぐにゅぐにゅしてえぐみがある。
「……うん、まあ、私に料理は早かったな」
 さらにひとくちビールを飲み、テーブルの上に置いてあるもうひとつの皿に目を向ける。そこにはよく冷えたミニトマトがのっていた。麻婆ナスは料理がマズかった可能性があるので正確なジャッジはできないが、ミニトマトは素材そのままだから可能なはずだ。
「……すっぱっ!」
 噛んだ途端、目が覚めるほど酸っぱい果汁が溢れてきて飛び上がりそうだった。
「こんなの、人が食べるものじゃないって」
 口の中はすっぱいうえに青臭く、最悪だ。またビールを飲んでリセットする。
「うわー、やっぱりダメだな」
 妻だったものは所詮、妻ではない。あの毒々しい見た目と同じく、毒しか作れないのだ。
「しかし、どうするか……」
 肥料となった妻だったものは何袋もある。あれを処分せねばならないのかと憂鬱になった。
「……そうだ」
 今の世の中、不要品を売れる便利なアプリがある。それを利用しようと決めた。

【自家製有機肥料】
 こんな野菜が獲れました!と、見栄えよく撮った写真付きでフリマアプリに上げると肥料はすぐになくなり、私はそのお金を持って近くの中華屋で美味しい麻婆ナスを食べた。

【終】