「この設問の解き方は、この公式を使って……」
連休明けの学校、数学の授業中。
私は、先生が黒板に書いている数式をぼんやり眺めていた。
日生くんと放課後に教室で話してから、休みの間中ふとした時に日生くんの「かわいい」っていう言葉と笑顔を思い出してばかり。
そしてなぜか思い出すと急に鼓動が高鳴るんだ。
私、どうしちゃったんだろう……。
そんなだから、流風ちゃんたちと遊びに行った時も、ふたりに「どうしたの?」って心配されちゃうんだ。
ふたりには、まだなんとなく言いづらくて話せないまま。
前に、日生くんの何がいいのかわからない的なことや、好きとか恋とかよくわからないみたいなことを言った手前、余計に話しづらいんだよね。
「……や。……みや」
だいたい、日生くんは今や校内一のモテ男子だし。
もうすでに彼女とかいるんだろうし。
「篠宮!」
「……はいっ!?」
突然大きな声で名前を呼ばれて慌てて返事をすると、数学担当の塚ちゃんが私に言った。
「問2の答えは?」
「……え?」
どうしよう、全然聞いてなかった。
「……」
答えられずに気まずい沈黙が流れる。
「ちゃんと聞いてなかったな。バツとして、授業後の昼休みに、昨日の宿題で出した問題集クラス全員分職員室に持ってきなさい」
……げ、塚ちゃんの意地悪!
まあ、聞いてなかった私が悪いんだけど。
授業が終わると、
「篠宮、よろしくな」
塚ちゃんが意地悪そうな笑みを浮かべて教室を出ていった。
はぁ、面倒くさいな。
「流風ちゃん、先に伊吹ちゃんと中庭に行ってていいよ」
「わかった。頑張れ、咲姫」
私は流風ちゃんに声をかけると、教卓の上に置いてある全員分の問題集を持って教室を出た。
やっぱり問題集クラス全員分ともなると、かなり重い。
「篠宮」
名前を呼ばれて顔を上げると、すぐ隣に日生くんがいた。
「日生くん」
「運悪かったな、塚ちゃんに当てられて」
「……まぁね」
その塚ちゃんに当てられて答えられなかった原因が、目の前にいるんだけど。
「それ、半分持つよ」
「え!? 大丈夫だよ」
慌ててそう言ったけど、もう日生くんは問題集を半分手に取って持ってくれている。
「いいって。どうせ、職員室って購買部の通り道だし」
そう言って日生くんが歩き出した。
その後ろ姿を慌てて追いかけながら、また鼓動が早くなっていくのを感じた。
「……あ。もうここまでで大丈夫だよ」
職員室前の廊下で、日生くんに声をかけた。
「大丈夫か? 一緒に中まで持っていってもいいけど」
「大丈夫。私ひとりで持っていかないと塚ちゃん文句言いそうだし」
「そっか。じゃ、頑張れ」
日生くんはそう言って、私が持っている問題集の上に持ってくれていた残りの問題集を重ねた。
「ごめんね、手伝ってもらっちゃって」
「俺が持つって言ったんだから気にするなって。それより、早くしないと昼休み少なくなるぞ」
優しく笑顔で言ってくれた日生くんを見て、また鼓動が高鳴る。
「失礼します」
職員室の中に入って塚ちゃんの席へ向かう。
「先生、問題集持ってきました」
「ご苦労さん。今度はちゃんと真面目に授業受けろよ」
「は~い」
先生のお小言を聞き流して職員室を出ようとした時。
入れ違いで中に入ろうとした男の子にぶつかりそうになってしまった。
「すみません」
謝って顔を上げると、一瞬男の子と目が合った。
目が合った瞬間、彼はハッとしたような表情になって、数秒私の顔を見つめた。
不思議に思っていたら、
「咲姫」
突然彼が私の名前を呼んだ。
……え?
なんでこの人私の名前知ってるの?
しかも、呼び捨てで呼んだよね?
一体誰?
私が考え込んでいると、
「俺のこと覚えてねぇの?」
彼が尋ねた。
覚えてませんけど、何か?
「俺はすぐわかったけどな。相変わらずチビでくるくるパーの咲姫ちゃん」
……は? まさか…その呼び方は……。
「……もしかして、爽くん?」
「あたり~!」
……うそ……。なんでこの学校にいるの?
今、私の目の前にいる男の子は夏川爽くん。
幼稚園から小学校2年生まで同じクラスで、家が近所だった幼なじみ。
私のこのチビと天パーをコンプレックスにさせた張本人。
お父さんの転勤で小学校3年生になるときに転校したんだけど、まさかこっちに戻ってきてて、しかも同じ高校だなんて。
「咲姫も同じ高校だったとはねぇ~。これから楽しくなりそうだなぁ」
爽くんが不敵な笑みを浮かべて言った。
なんかものすごくイヤな予感がする……。
* * *
「お~咲姫、今日もちゃんと弁当食わないと大きくなれないぞ~」
……うわ、また今日もきたよ。
「毎日ちゃんと食べてるってば! 余計なお世話!」
ホントに余計なお世話だ。
毎日ちゃんと食べても、伸びないものは伸びないんだから。
爽くんと衝撃の再会をしてから数日が過ぎた。
あれから、爽くんは昼休みにわざと中庭を通っては私に声をかけてくるようになった。
「それにしても、まさか夏川くんが咲姫の幼なじみだったとはね~」
私と爽くんの会話を聞いていた流風ちゃんが言った。
爽くんと偶然職員室で会った日、私は流風ちゃんと伊吹ちゃんに爽くんの話をしたんだけど。
なぜか流風ちゃんは爽くんの存在を知っていて、
「E組の夏川くんと言えば、日生くんと並ぶくらいイケメンで有名なんだよ!」
と興奮気味に話していた。
確かに、7年ぶりに会った爽くんは、名前の通り爽やかな雰囲気で、イケメンと言える顔立ちをしている。
でも、外見は良くても、性格は最悪だ。
同じイケメンと言われてる男の子でも、日生くんは私のコンプレックスも「かわいい」って言ってくれたし、いつもさりげなく助けてくれて、優しいのに。
「……き。咲姫?」
「……え!?」
「あたしの話聞いてた?」
流風ちゃんが呆れ顔で言った。
「ごめん」
私ってば、また考え込んでた。
「咲姫、なんか最近考え込んでること多いよね。悩み事?」
伊吹ちゃんが優しい口調で言ってくれた。
「ううん、なんでもないよ。ごめんね」
やっぱり、まだふたりに話すのは恥ずかしい。
「そう? ならいいけど」
「で、さっきの話だけどね。咲姫、なんか運命的じゃない?」
流風ちゃんが目をキラキラさせながら言った。
「何が?」
「幼なじみと偶然同じ高校で再会なんてさ。これは恋のチャンスかもよ~?」
「は!?」
こ、恋!?
「冗談やめてよ~!」
爽くんと恋愛なんて、考えられない!
でも、この爽くんとの再会が、本当に私の運命を変えることになるんだ―。
* * *
「来月に行われる球技大会ですが、男子はサッカー、女子はバスケに決まりました」
帰りのH.R.の時間。
体育委員の言葉に、教室中が騒がしくなった。
この学校では、6月半ばに学校行事として球技大会があるんだ。
球技が苦手な私にとっては、かなり憂鬱なイベント。
しかもバスケなんてチビな私にはハンデありまくりだし。
「今日はチーム決めをします。くじ引きで決めるので、順番にくじを引きに来て下さい」
体育委員が用意したくじを、前の席の人たちから男女別に順番にひいていく。
流風ちゃんと同じチームだったら心強いなと思いながら、流風ちゃんに続いてくじをひく。
「あたしAチームだ。咲姫は?」
2つ折にされた小さな紙を広げて見ると、
「Bチームだ~。流風ちゃんと一緒が良かったなぁ」
体育委員に自分のチームを言って、黒板に書いてもらって席に着く。
流風ちゃんとは同じチームになれなかったけど、話しやすい子と同じチームだといいなと思っていたのに。
私と同じBチームに書かれたメンバーは、普段私とはほとんど関わりのない、いわゆるミーハーグループの子達。
メイクバッチリでかなりハデな容姿。
いつも、校内のイケメンと言われる男の子の話や、彼氏がどうしたとかこうしたとか恋愛系の話題中心に盛り上がってる。
私とはきっと話が合わないタイプの子達だけど、大丈夫かな。
「明日から早速放課後に練習するので、よろしくお願いします」
くじ引きが終わってチームが決まったところで体育委員が言った。
球技大会までまだ1カ月近くもあるのに、もう練習始めるんだ。
まぁ、間に中間テストがあるから、試験前はさすがに練習はないだろうけど。
でも、あのメンバーで練習って、ただでさえバスケ苦手な私には憂鬱だな……。
* * *
翌日の放課後。
「女子は第2体育館、男子は第2グラウンドに集合して下さい」
という体育委員の指示で、みんな移動し始めた。
第2体育館と第2グラウンドは、この学校の敷地の中でも校舎より奥の方にある。
普段はほとんど使われず、今回のように学校行事や部活の大会が近づいてきた時に使うらしい。
この学校は郊外にあるからか、敷地がかなり広くて、移動するにも結構距離がある。
都内だけど敷地が広く、自然が多くてのびのびしているところが、この学校の人気の理由とも言われている。
体育館に着くと、簡単な準備運動のあと早速練習試合が始まった。
同じチームの子たちと試合をしたら、みんな意外と真剣で、運動神経が良かった。
むしろ私が足を引っ張ってる感じ。
みんな敢えて口には出さないけど、きっと、私と一緒ってやりづらいだろうな。
なんとなく視線が痛い気がする。
「そろそろ部活の練習時間になるので、ここからは自由練習にしてください」
体育委員の言葉に、部活組はそのまま各練習場所へ向かっていく。
「ねぇ、E組の男子第1グラウンドで練習してるって!夏川くん見に行かない?」
「行く行く~!」
私と同じBチームのひとり、川口さんの提案に、他の女の子たちも賛成してる。
もしかして川口さんたち、爽くんのファン?
「夏川くん、カッコイイよね~あの爽やかなんだけどちょっとやんちゃっぽい感じが」
いやいや、やんちゃっていうか意地悪なんだよ、爽くんは。
「あの笑顔がたまらないよね~」
笑顔に騙されちゃダメだよ~口悪いんだから!
と心の中で呟いていたら、
「お疲れ、咲姫。あたし部活行くね~」
流風ちゃんに声をかけられた。
「お疲れ~。部活頑張ってね」
「うん」
流風ちゃんは、中学時代からやっていたというバドミントン部に入部している。
私は結局部活には入らず、帰宅部。
だから、ちょっと練習していこうかな。
と思ってふと周りを見ると、体育館に残っているのは体育委員の井上さんとその友達の鈴木さんだけ。
「篠宮さん、まだ残ってく?」
「あ、うん……ちょっとだけ」
「じゃあ、鍵頼んでいい? うちらも部活の練習あるから」
「うん、いいよ」
「ありがと。よろしくね」
井上さんは私に鍵を渡すと、鈴木さんと一緒に体育館を出て行った。
なんだ、結局自由練習なんてみんなやらないんだ。
私もちょっと練習してすぐ帰ろう。
とりあえず、近くにあったボールを手に取って、ゴールにシュートしてみる。
でも、全然入らない。
何回かやってみたけど、ボールはゴールに入るどころか、リングの位置にも届かない。
「やっぱダメだぁ……」
独りごとを呟いたその時。
「ボール投げる時の位置変えてみな」
突然、すぐ後ろから声が聞こえた。
振り返ってみると、そこにいたのは……
「日生くん!?」
いつからここにいたの?
「ちょっと前からいたんだけど、全然気づいてなかっただろ」
私の思ったことを見透かしたかのように、日生くんが笑いながら言った。
「なんでここにいるの?」
「うちのクラスみんな解散してるのに、体育館から音が聞こえたから、誰かいるのかと思って見てみたら篠宮だった。ひとりで練習してたのか?」
「うん。バスケ苦手だし、チームの子に迷惑かけたくないから、とりあえずちょっと練習しようと思ったの」
「へぇ~。意外とマジメだな篠宮って」
「なんか一言余計じゃない?」
あれ? 私、なんか普通に話せてる?
今まで男子と話す時はこんな風に気軽に話せなかった気がする。
「……じゃあ、俺が教えるよ」
「えっ!?」
予想外の言葉に思わず日生くんの顔を見上げた。
「まずはシュートだな。顔の前じゃなくて、胸の前から押し出すように投げてみ」
そう言いながら、日生くんが床に置いてあったボールを私に投げた。
反射的にボールをキャッチする。
「えっと……この辺で持って投げればいいの?」
「うん」
言われた通り、ボールを投げる位置を変えてシュートしてみる。
「お!いい感じじゃん」
リングには入らなかったけど、さっきひとりでやってたときよりかなりリングの近くにボールが投げられた。
「あとは、ボール離すときに押し出すようにするのがコツ」
言いながら、日生くんが足元にあったボールを拾って投げた。
ボールはキレイにリングに吸い込まれていく。
「すご~い!」
華麗なシュートに思わず拍手。
さすが、バスケ部の助っ人をしているだけのことはある。
でも、同じことを運動音痴の私が出来るわけない。
見よう見まねでやってみたものの、やっぱりシュートは入らない。
ボールの位置は、最初よりよくなってきたけど。
「やっぱ難しいよ~。“押し出すように”がよくわからない……」
「じゃあもう1回俺が投げるからよく見てて」
「うん」
すぐ隣に日生くんが立って、お手本を見せてくれた。
……って、距離近い!
考えてみたら、今この体育館の中には私と日生くんふたりきりなんだ。
そう思ったら、急にドキドキしてきた。
「……で、今みたいに両手外側に開く感じ。わかった?」
「へっ!?」
やだ、肝心なところ見てなかった。
しかも間抜けな声だしちゃった。
「こら、ちゃんと見てなかっただろ?」
日生くんがそう言いながら私のおでこを軽く小突いた。
だって、距離が近すぎるんだよ。
また心臓ドキドキしてる。
「人の見るより一緒にやった方が早いか」
突然、すぐ上から声が降ってきて、後ろから手首を軽く掴まれた。
ちょ、ちょっと待って!
この体勢ってもしかして……。
私のすぐ後ろに日生くんがいて、チビな私は日生くんに後ろから抱きかかえられてるみたいな状態。
背中に日生くんの温もりを感じる。
日生くんがつけてるコロンの、爽やかでほんのり甘い香りが私の鼻をかすめる。
もう、距離が近いどころじゃない。
心臓の音がドキドキを通り越してバクバクになってる。
「ボールを離す時にこういう感じで手を離して……」
日生くんが私の手を動かしながら説明してくれてる。
でも、私は心の中でひとりパニック。
男の子とこんなに至近距離で接したことなんてないから。
それに、日生くんのファンの子にこんなところ見られたら大変だよ。
「この感覚、覚えて投げて」
「うん」
やっと日生くんが少し離れてくれて、呼吸が楽になった。
ドキドキしすぎて、呼吸もまともにできなかったんだ。
一度深呼吸して、日生くんに教えてもらった通りにボールを投げてみる。
「入った!」
ボールが、キレイにリングに吸い込まれていくように入った。
「ナイスシュート!」
隣で見ていた日生くんが拍手してくれた。
「今の感じ忘れないように、もう1回投げてみな」
「うん」
日生くんにボールを渡されて、もう1回投げてみると、またボールはキレイにリングに入った。
「入ったよ! なんかコツわかったみたい!」
嬉しくて、ボールを拾いながら思わず笑顔で日生くんのところに駆け寄る。
「うん。頑張ったな、篠宮」
日生くんが笑顔でそう言いながら、私の頭に軽く手を乗せた。
その瞬間、今まで感じたことのない不思議な感覚がした。
ドキドキとは違う、胸の奥がギュッとしめつけられるような感じ。
嬉しいのに悲しいような、泣きたくなるような……上手く言葉にできない感覚。
開けたままの扉から心地よい風が吹いてきて、目の前にいる日生くんの髪がなびく。
キレイに染まった、明るい茶色の髪。
サラサラって音が聞こえてきそうなくらいキレイな髪質。
天パーの私にとっては羨ましい限りだ。
そして風に運ばれて、また日生くんのコロンの爽やかで甘い香りがした。
今度は胸の奥がしめつけられるような感じと、いつものドキドキと両方の感覚。
これは、きっと男の子と話して緊張してるからじゃない。
日生くんがそばにいるから。
なんとなくだけど、それはわかってるんだ。
突然、沈黙を破るように下校時刻の校内放送が流れてきた。
もうそんな時間だったんだ。
「鍵、閉めるだろ?」
「……あ、うん」
日生くんに言われて、私はジャージのポケットに入れていた鍵を出した。
「ボール片付けてくるから、鍵よろしく」
言いながら、日生くんはボールを持って体育館を出た。
体育倉庫まで持って行ってくれるつもりなんだ。
私も体育館を出て、鍵を閉めた。
「日生くん、こんな時間まで色々ありがとね」
結局、下校時刻まで練習につきあってもらって、片付けも手伝ってもらっちゃった。
「どういたしまして」
笑顔で言ってくれた日生くん。
やっぱりその笑顔にドキドキする私。
なんか、日生くんが女子にモテるの、わかった気がする。
見た目はクールなのに、ちょっと天然で、実は優しいところ。
いつかの昼休みに流風ちゃんが言ってた、キュンってくるっていうのも、今ならわかる。
「じゃあ、また明日」
そう言って更衣室に向かおうと歩き始めた時。
「篠宮!」
日生くんに呼ばれて振り返ると、
「また時間あったら教えるよ」
そう言われたんだ。
……なんでだろう?
男子と関わるの、苦手だったはずなのに。
好きとか恋とかよくわからないって思ってたのに。
その一言が嬉しいなんて――。
【Side 玲央】
連休明けの数学の授業中。
俺は、篠宮の後ろ姿を見ていた。
あれから、あの放課後の篠宮の笑顔が頭から離れない。
それに男子と必要以上に関わらない理由を偶然にも聞けて、正直嬉しかった。
小さい頃にからかわれたことを気にしてたなんて、可愛いよな。
「え~それでは、問2の答えを……篠宮」
そんなことを思っていたら、塚ちゃんが篠宮を当てた。
「………」
でも、返事がない。
「篠宮」
もう1回呼ばれても、反応がない。
もしかして、寝てるとか?
「篠宮? 篠宮!」
先生が大きな声で呼ぶと、
「……はい!?」
やっと気づいたのか、篠宮が慌てて返事をした。
「問2の答えは?」
「……え?」
さっきから自分が当てられていたことに全く気づいてなかったようだ。
「………」
気まずい沈黙が流れる。
「ちゃんと聞いてなかったな。バツとして、授業後の昼休みに、昨日宿題で出した問題集クラス全員分職員室に持ってくるように」
塚ちゃんが呆れ顔で言った。
あ~あ、運悪かったな、篠宮。
授業後、俺はいつもの様にすぐ教室を出た。
でも、いつもより歩く速度は遅い。
そのわけは……。
聞こえてくる足音の方に視線を向けると、予想通り篠宮が問題集を持って歩いてきた。
問題集とはいえ、クラス全員分ともなるとかなり重そうだ。
小柄だから、余計に重そうに見える。
やっぱり見てるとほっとけなくなる。
「篠宮」
声をかけると、
「日生くん」
篠宮が顔を上げて、足を止めた。
「運悪かったな、塚ちゃんに当てられて」
「……まあね」
いまだに男子と話すのに慣れていないのか、声のトーンがなんとなくぎこちない。
「それ、半分持つよ」
言いながら、俺は篠宮が持っていた問題集を半分手に取った。
「え!? 大丈夫だよ」
「いいって。どうせ、職員室って購買部の通り道だし」
そう言って、俺は問題集を持ったまま歩き出した。
「……あ。もうここまでで大丈夫だよ」
職員室の廊下の前で、篠宮が遠慮がちに言った。
「大丈夫か? 一緒に中まで持っていってもいいけど」
「大丈夫。私ひとりで持っていかないと塚ちゃん文句言いそうだし」
「そっか。じゃ、頑張れ」
ここまで来たからには最後まで手伝うつもりでいたけど、確かに塚ちゃんのことだから2人で持って行ったらなんか言いそうだな。
篠宮の言葉に納得して持っていた問題集を渡すと、
「ごめんね、手伝ってもらっちゃって……」
篠宮が申し訳なさそうに言うから、ビックリした。
ほんのちょっと手伝っただけなのに、そんな風に言われるなんて思わなかったから。
「俺が持つって言ったんだから気にするなって。それより、早くしないと昼休み少なくなるぞ」
笑顔でそう言うと、篠宮は頷いて職員室に入っていった。
……なんだろう。
やっぱり篠宮と話すと、ほんわかした空気に包まれる気がする。
もっと話したくなる。
そんな風に思ったことなんて、今までなかったのにな。
* * *
数日後の昼休み。
いつもの様に購買部へ向かう途中、廊下から中庭の方を見ると……。
また来てる。
篠宮と親しげに話してる男子。
ここ数日、突然見かけるようになった。
滅多に男子と話さない篠宮が、かなり気を許したように話している。
一体誰なんだ?
「あ~っ! E組の夏川くんだぁ~」
疑問に思っていると、いきなり女子の声が聞こえてきた。
夏川って、もしかしてあの篠宮と話してる男子?
「また篠宮さんと話してるね」
……え?
突然出てきた篠宮という名前に思わず反応してしまった。
「篠宮さんって夏川くんの幼なじみらしいよ」
「え~そうなの?」
幼なじみ?
だから、あんな親しげなのか。
って、なにしっかり盗み聞きしてんだ、俺。
もう一度中庭の方に視線を向けると、もう夏川とかいう男子はいなくて、いつも通り篠宮は佐神と美原と3人で楽しそうに話していた。
いつからか、購買部に行く途中で中庭の様子を見るのがクセになってる。
昼休み以外でもふとした時に視線を向けてる。
なんとなく気になって無意識に目で追ってる。
もっと話したくて、もっと笑顔が見たくて。
いつのまにか今一番気になる存在になってる。
その理由は、なんとなくわかってる。
* * *
「日生くん、頑張って~」
「玲央くんファイト~」
放課後のグラウンド。
球技大会の練習で、サッカーの試合中。
違うクラスや学年の女子が、グラウンドの脇で歓声をあげている。
応援してくれるのはありがたいけど、あまり集中できないのが正直なところ。
「もうすぐ部活の練習時間なんで、今日はこれで終わります」
練習試合が終わって切りが良いところで、体育委員が言った。
その言葉に、みんな一斉にそれぞれの場所へ向かい始めた。
グラウンドの脇で見学していた女子たちも帰り始めた。
ほぼ同じタイミングで解散になったらしく、体育館の方から同じクラスの女子達も一斉に出てきた。
今日は助っ人頼まれてる部活もないし、帰るか。
そう思って、歩きかけた時だった。
体育館から、ボールの音が聞こえた。
……まだ誰かいる?
さっき歩いてきたクラスの女子達の中で見かけなかった女子って言ったら、誰なのかだいたい予想はつく。
開けたままの体育館の後ろの扉から中を覗き込む。
体育館の中にいたのは、予想通り篠宮だった。
ひとりで、シュートの練習をしている。
俺が中に入っても篠宮は全く気づかず、練習を続けている。
何度かシュートを打ってるけど、コツがつかめてないらしくなかなか入らない。
「やっぱダメだぁ…」
まだ俺がすぐ後ろにいることに気づかず、篠宮がつぶやいたその時。
「ボール投げる時の位置変えてみな」
タイミングを見計らって声をかけると、
「日生くん!?」
篠宮は慌てて振り返って、俺がいることに心底驚いている。
「ちょっと前からいたんだけど、全然気づいてねぇんだもん」
こんな近くで見てても気づかないって、集中力すごいな。
「なんでここにいるの?」
「うちのクラスみんな解散してるのに、体育館から音が聞こえたから、誰かいるのかと思って見てみたら篠宮だった。ひとりで練習してたのか?」
「うん。バスケ苦手だし、チームの子に迷惑かけたくないから、とりあえずちょっと練習しようと思ったの」
「へぇ~。意外とマジメだな篠宮って」
「なんか一言余計じゃない?」
思ったことを率直に言ったら、素早く切り返された。
男子とほとんど話さない篠宮が、前より気軽に話してる。
前に放課後に教室で二人で話した時は、かなりぎこちない感じだったけど。
そんな微妙な変化に気づいて、嬉しくなる。
それに今この状況って、篠宮と話す絶好のチャンスだ。
「じゃあ、俺が教えるよ」
「えっ!?」
俺の言葉が予想外だったのか、篠宮はかなり驚いたような表情で俺を見上げた。
「まずはシュートだな。顔の前じゃなくて、胸の前から押し出すように投げてみ」
言いながら、俺は篠宮にボールを投げた。
「えっと……この辺で持って投げればいいの?」
「うん」
戸惑いながらも、篠宮は俺の言うとおりにボールを投げた。
「お、いい感じじゃん」
リングには入らなかったけど、さっきよりもコントロールが良くなってる。
「あとは、ボール離すときに押し出すようにするのがコツ」
足元に置いてあったボールを取って、シュートを決める。
「すご~い!」
キレイに決まったシュートに、篠宮が笑顔で拍手してくれた。
そのあと篠宮も何本かシュートを打ったけど、まだコツがつかみきれてないらしく、リングには入らない。
「やっぱ難しいよ~。“押し出すように” がよくわかんない」
なかなかシュートが決まらずガッカリしたように篠宮が言う。
「じゃあもう1回俺が投げるからよく見てて」
「うん」
篠宮のすぐ隣に立って、もう1回シュートを決める。
今度は、なるべく手の動きがわかるようにちょっとスローモーション気味で。
「で、今みたいに、両手外側に開く感じ。わかった?」
篠宮の方に顔を向けると、
「へっ!?」
篠宮は気の抜けたような声を出した。
「こら、ちゃんと見てなかっただろ?」
言いながら、手で軽く篠宮のおでこを小突く。
篠宮って、小さいからか、ついこうやって構いたくなる。
「人の見るより一緒にやった方が早いか」
苦手だって言うなら、やっぱり見てるだけじゃ感覚はつかめないかもしれない。
俺は、篠宮のすぐ後ろに立って、篠宮の手を軽く掴んだ。
実際一緒に動かして教えた方が、感覚がつかめると思ったから。
なんて、それはただの口実で。
ホントは、篠宮にもっと近づきたくて。
「ボールを離す時にこういう感じで手を離して」
篠宮の手を動かしながら、説明する。
でも、篠宮がなんとなくぎこちない。
手、かすかに震えてるし。
やっぱり緊張してるのか。
そりゃあ、男子と関わるの苦手だって言ってるのに、こんな至近距離じゃ緊張するよな。
でも、そんなところもなんか可愛いって思うなんて、相当ハマってきてるな、俺。
「この感覚、覚えて投げて」
「……うん」
俺が離れると、篠宮は少しホッとしたような表情を浮かべた。
そんなに緊張してたのかと思うと、なんか悪いことしたようなショックなような。
ちょっと複雑な気持ちになりつつ、もう一度篠宮が投げる姿を見ていると
「入ったぁ!」
篠宮が嬉しそうな声をあげた。
「ナイスシュート!」
やっとシュートが決まって、拍手する。
「今の感じ忘れないように、もう1回投げてみな」
そう言って、もう一度篠宮にボールを渡す。
体で覚えるまで何度か投げないと、またすぐに感覚を忘れてしまうから。
でも、篠宮はコツをつかめたらしく、またキレイにシュートを決めた。
「入ったよ! なんかコツつかめたみたい!」
ホントに嬉しそうな笑顔で駆け寄ってきた。
瞳をキラキラさせた無邪気な笑顔。
ホント可愛すぎてやばい。
「うん。頑張ったな、篠宮」
そう言いながら、軽く頭に手を乗せる。
相変わらず触り心地が良いふわふわの髪。
でも、篠宮はこの天パーが嫌なんだよな。
外から気持ちの良い風が吹いて来て、篠宮の髪が揺れる。
無言のまま、篠宮がちょっと恥ずかしそうな表情で俺の方を見てる。
だから、そんな表情で見られたらやばいんだって。
当の本人は自覚ないんだろうけど。
突然、下校時刻の放送が流れてきた。
「鍵、閉めるんだろ?」
「あ、うん」
俺の言葉に、篠宮がハッとしたように頷いた。
「ボール片付けてくるから、鍵よろしく」
ボールを持って、そのまま体育館を出る。
「日生くん、こんな時間まで色々ありがとね」
鍵を閉めて、篠宮が言った。
ホント、素直なんだな。
そんな風に言われると、教えた甲斐があるし、単純に嬉しい。
「どういたしまして」
「じゃあ、また明日」
そう言って篠宮が歩き始めた時、
「篠宮!」
呼びとめると、篠宮が振り返った。
「また時間あったら教えるよ」
苦手だからって一生懸命練習しようとする姿見てたら、ほっとけない。
それに、もっと篠宮と一緒にいられる時間が欲しいから。

